○机の上の貯金箱
私の机の上にかなり大きな昔のポスト型をした貯金箱が置いてあります。この貯金箱は役場に勤めていた頃からの愛用で、つり銭や小銭をその都度入れてきましたが、毎年年末になると底の蓋を開けて中のお金を出し、計算して歳末助け合いの義援金に送ってきました。今年もそうしようと思っているのですが、学生の三男が目ざとく見つけ「この貯まったお金の使い道は」と聞くのです。「歳末助け合いに毎年協力しているので今年もそうしようと思っている」というと、「お父さん人を助けるのも大事だが、自分の息子を助けるのはもっと大事」と、さもそのお金を自分に回すことが当たり前ような言い分をしました。
言われてみれば三男の言い分にも一利あるかも知れないと思ったのですが、ブログをご覧の皆様はどんなご意見をお持ちでしょう。「お前にはお母さんを通じて毎月ちゃんと小遣いを渡している。お前より恵まれない人は世の中にいっぱいいる」と息子に反論すべきか、「お前の言う通り今年はお前にこのお金を全部やる」と言って息子の喜ぶ顔を見るべきか、はたまた』自分の夢に使うか、今のところ悩んでおります。正直な話人間牧場の資金が少々不足しているので、薪ストーブの購入資金に回そうかとも考えています。毎年金額にして3万円くらいはあるようですので、歳末助け合いを10年以上続けてきた努力に免じて・・・・とも。
私は子どもの頃から貯金箱が好きでした。竹筒に鋸目を入れて投入口を作った自作貯金箱は、割らない限り中の物が取り出せない仕組みになっているのに、小遣いが不足するとハガキをハサミで切り、そっと逆さまにして取り出したことも何度かありました。
私にとって貯金箱の一番の思い出は青年の船でアメリカへ行く時、ある集落の子供会指導をしていて、その子どもたちみんなが相談してそれぞれの貯金箱を持ち寄って割り、そのお金を餞別にくれたことです。あの時は涙が出ました。私はその子どもたちの写真を撮ってアメリカへ持って行きました。船長さんに頼んでにっぽん丸の舳先で子どもたちの写真を掲げ「これがアメリカだ」と叫んだこともありました。
その後昭和51年から日本銀行の貯蓄広報委員会でアドバイザーとして活動してこれたのも貯金箱のお陰かも知れません。物が豊かな時代でも貯金箱精神は立派な金銭教育だと思います。
「年末になると必ず貯金箱開けて中身を贈る喜び」
「一円や五円十円ザクザクと塵も積ればこんなお金に」
「俺にくれいきなり息子ごもっとも御託並べて虎視眈々と」
「今年また妻一億の夢を見る当るものかと言いつつ当れば」