shin-1さんの日記

○おばちゃんの悲しい死

 隣のおばちゃんが亡くなりました。一人暮らしのおばちゃんですが風呂場で死んでいたのです。妻が民生委員をしているため何かにつけて注意をしていたのですが、残念な出来事が起こってしまいました。私より一回り上だけのまだ73歳です。人生80年の現代では若い死だと思います。

 最近認知症の症状が出始めたので隣町に住む娘さんも気になって度々覗いていたようですし、私もわが家でやっているお地蔵さんのお接待のため毎月21日には赤飯を炊いて近所の独居老人に配っていたので、私か妻が毎月訪問していました。認知症になると外にも出ず、話相手もいない一人暮らしでは足腰が弱くなるのか、トイレに行くことすら大変のようで、男性なのに失礼ながら2~3度玄関へ上がって下のお世話をしてあげた事もありました。余程嬉しかったのでしょう何処かで貰ったタケノコを自分で提げて届けてくれたこともありました。

 このおばちゃんには娘が3人います。娘や孫が度々訪ねる優しいご家族で、来た時はわが家へも近況報告する礼節を忘れませんでした。故にまるで身内のおばちゃんのことのように悲しいのです。翠小学校横に水車を作った時も玄関先に置いていた石臼をタダ同然で快く差し出してくれましたし、若い頃は民生委員も長らく務められました。

 人はいつか必ず死にます。死ぬ前の生き方は自分でコントロールできますが、死ぬ時の死に方は自らが自らの命を絶たない限り自分でコントロールできない悲しい運命を持っています。昨晩の通夜に駆けつけた見覚えのある酒好きなおじいさんも既に老域に達して、私の手を取って涙を流していました。

 人は誰でも老いを迎えます。最近はわが町でも高齢化率が高くなって、子どもの姿は少なくなりましたがお年寄りを多く見かけるようになって来ました。「来た道行く道」といいますが、戦争という時代の流れに翻弄されながら生きたであろうおばちゃんのあの世の人生に幸多かれと祈ります。

  「昨日声かけたばかりのあの人が今日はあの世へ一人旅立つ」

  「銭や地位あの世じゃあ何も役立たずせめて葬式涙だけでも」

  「今日一人また人口が減ってゆく寂しき冬の棺桶担ぐ」

  「近づいた今度は俺の番かもと年寄り予定の顔描く」

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