人間牧場

〇世の中には目敏い人がいるものです

今日ある人に電話をかけたついでに「あなたの名前が昨日の新聞に載っていた」と言われました。えっ、と驚き、昨日の新聞を開けてみましたが何処にも見当たりませんでした。もしやと思って10面の文芸欄をよ~く見ると、米粒ほどの小さな文字で作品と名前が載っていました。実は私は松山五行歌の会に所属していて、駄作ながら毎月初めに欠席歌の部に投稿しているのです。歌会にはまだ一度も参加したことがありませんが、恐らく3月8日、わが家でやった歌会の作品と思われます。

北国じゃ
毎日毎日雪が降る
他人事思えぬ
雪かき
難儀

いいのか悪いのか分からぬままに紹介されていました。まあいいか。

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人間牧場

〇春を通り越してまるで初夏のような陽気

昨日から今日にかけて、雲一つない晴天が続き気温がぐんぐん上がり手元の温度計なので定かでありませんが25度の夏日に近づいたようでした。寒い煮は苦手な私としては大歓迎ですが、この天気も今日で終わりのようで、戻り寒波が来るかも知れないと気を揉んでいます。こんな日は夕日が綺麗だろうなと思い、夕方午後6時ころ夕日のメッカふたみシーサイド公園に出かけました。その夕日の写真は明日のfacebookで紹介するとして、取って置きの一枚をアップしてみました。

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〇椿の花

春といえば何といっても桜です。昨日全国で一番に咲いたのは高知県だそうですが、気象台がなくなり公式記録の発表が出来なくなった宇和島市では愛好者が地道な活動を続けていち早く準開花一番を自慢しているようです。私たちの町の桜は関門海峡を越えて吹き付ける北西の風が桜の花の水分を奪い、蕾が固いため1週間程遅れるようです。それでも水仙や菜の花が咲き始めると双海町はダントツに花を楽しむ人で賑わうのです。そんな中人知れずひっそりと咲く椿の花も味わい深いものがあります。菜の花に心を奪われていて、椿の花の存在を忘れていました。生垣の間にひっそりと咲く椿も、「私も忘れないように見て」と言っているようでした。

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〇農具の修理

わが家は第一は両親が漁師をしながら、母親が農業を営むいわゆる半でしでした。ゆえに漁業にまつわる道具類もやたらと多いのですが、農具と称する道具もそれなりにあって、処分できず倉庫の隅に吊り下げられたり立てかけています。ふと親父が晩年使っていた鍬がまだ使えるのに傷んだままになっていました。捨てるのも勿体ないと思いつき直すことにしました。柄とクサビを抜き、研いだカ柄をを削って穴に入れくさびを打ち込み、鍬の背に電動ドリルで穴を開け、適当な長さに切った釘を差し込みました。地掘り鍬2本と平ぐ話1本の計3本を修繕しました。使ってみるとこれが中々使い勝手がよく、新たな命を得たようでした。「わしも中々やるわい」と多少自信のようなものが産まれました。傍で見ていた妻が「お父さんも器用じゃねえ」と褒めてくれ、益々有頂天になりました。親父から「お前は不器用」とレッテルを押された息子(私)の復権でした」

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人間牧場

〇毎日3本の記事を書く

メインの1本はfacebookで、そしてアメーバブログ「shin-1さんの日記」とワードプレス「人間牧場」のそれぞれ2本記事を、毎日悪びれることもなく書き綴ってfacebookにシェアしています。「良く書くことがあるものだ」と友だちからはからかい交じりに言われますが、当の本人は誤字脱字があっても、毎日楽しく認知症防止のつもりで書いています。ある日突然アメーバブログとワードプレスを1ヶ月ほど体の都合で休んだことがありますが、「どうしたの」とか、「どうやらガンらしい」とか、いらぬ詮索をされたため、復活することにしました。多い日には100人以上の人が読んでくれていて有難いことです。また2千人を超すfacebook仲間へ誕生日にメッセージを届けています。年齢を重ねるのを機会にデジタル音信を止める人がいますが、私はむしろ老いてこそ大事な情報発信を3本のブログで続けています。ご愛読者の皆さん今日もご愛読ありがとうございます。

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〇あれから30年が経ちました

去年や今年は色々な区切りの年のようです。一昨日の「夕日を観る会』を陰ながら手伝ってくれている大森秀泰さんが、古い広報紙「ふたみ」のコピーを皆さんに配って紹介していました。ふと気がつくとシーサイド公園が出来てから、30年になるのです。2007年3月16日にオープンしたシーサイド公園は町内7団体が出資し、有限会社シーサイドふたみを設立して運営に当たりました。今はその会社もなくなっていますが、開設当時は55万人の集客を誇る県内でも珍しい施設でした。その運営に道の駅の駅長として、また双海町役場の地域振興課長として経営に携わりました。遠くなった記憶が昨日のことのように蘇りました。

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〇笑いヨガティチャー玉井千恵先生

私が双海町の教育長をしていた頃、玉井千恵さんは地元下灘小学校校長をしていました。その後松山の余戸小学校に校長として転任しましたが、私も平成の大合併を機に退職し、お互いの交流が少し遠のきました。ある時車に乗って松山に向かっていると、カーラジオから玉井千恵さんの朗らかな声が聞こえました。何でも笑いヨガにハマっているようでした。早速電話で感想をお話して出会いが復活しました。その後夕日を観る会の手助けをお願いしたところ、喜んで協力してくれることが決まりました。玉井さんは最近連れ添いを失くしていますが、持ち前の明るい性格で乗り切り、妹さんの一色まゆみさんとともに出会いを重ねてます。今年も夕日を観る会が昨日の春分の日に、大勢の人を連れて玉井さんはやって来て、今流行りのべらぼう流の和服コスチュームで登場し、1時間ばかり笑いのヨガを指導して、参加者をあっと言わせました。私が仲立ちで知り合った人形作家林智美さんとも仲良くしてもらい、昨日は玉井さんの人形が初お目見えで、会場の隅で楽しく微笑んでいました。玉井さんは能舞台でも長年活躍していてその姿もりりしいので、林さんに頼んで作って貰ったらどうかと提案をしています。いつも前向きに生きていて、教えられることばかりです。

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〇妻の友人がやって来ました

わが家は私の友人や同居の孫たちの友人がよく遊びにやって来ます。また息子の友人も時々やって来ますが、若い頃よく集まっていた妻の友人は、殆ど来ることも無くなりました。ところが今日は夕日を観る会があるというので、妻が2人の友人を誘ったところ、夕方までわが家でお喋り会をするべくやって来ました。電話では行く話している昔の仲間ですが、お昼を挟んで延々4時間も大いに世間話に話が弾んだようです。昼食を取りながら近所のこと、家族のことなどを話して情報を仕入れたようです。その後3人は私が先んじて出かけた夕日を観る会に参加して久しぶりに人中に入りました。忘れかけていた友だちの温もりが復活したようでした。

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〇山仕事で無くなった手鋸が出てきた

人間牧場や港の見える丘、それに家の横の家庭菜園と仕事が山ほどあって、年齢を重ねる程に少し重荷になって来ました。息子も時々手伝ってくれますが、忙しくて当てにならないのが正直なところです。間もなくやって来る草が伸びるシーズンを迎えるともうMaxのような気がしてそろそろ断捨離を真剣に考えなければなりません。昨日山仕事の途中でどこへ置いたか分からなくなっていた手鋸が見つかりました。半年も見つからず仕方なく買ったばかりでした。農作業は使った道具を探すことから始めなければなりません。認知症かも・・・です。

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〇高校野球が甲子園で始まりました

全国の人が待ちに待った春の選抜高校野球が甲子園で始まりました。大谷選手の影響もあってサッカーやバスケット、それにバレーボールに押され気味だった野球が再び息を吹き返し、大リーグの開幕戦が史上初の日本人投手対決もあって、今日はその他のニュースが霞むほどのフィーバーぶりのようです。新横綱豊昇龍で話題を集める春場所も開かれていて、スポーツに疎い私でも気になって目が離せません。

 

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