shin-1さんの日記

○突然水戸黄門のテーマソングが鳴った携帯電話

 先日田舎の地域づくり講演会に招かれ出かけました。この研修会にも若者の姿は皆無で高齢者や女性が多く、いよいよ田舎も危なくなったと直感させられました。私の話が始まって30分くらいした頃でしょうか、突然携帯電話の呼び出し音がなり始めたのです。しかもその着信音は「水戸黄門」のテーマソングなのです。皆さんの目はその80歳がらみのおばあさんに集中しました。おばあさんはバツが悪そうに持っていた巾着袋から携帯電話を取り出したまではよかったのですが、それからがまた大変です。このおばあさんは聞くところによると一人暮らしなので、田舎に住む息子さんが安全のために一週間前の誕生日にプレゼントしてくれたそうなのですが、使い方がまだ飲み込めてなく、着信音をマナーモードにすることも、切ることも出来ないのです。慌てれば慌てるほどオロオロになるおばあさんを見て、みんなは大爆笑でしたが、すっかり興ざめしたのは私です。講演会は中断し、結局私が壇上から会場へ下りて行っておばあさんの携帯電話の呼び出し音を切る羽目になったのです。おばあさんの携帯電話を見て驚きました。何とおばあさんの持っている携帯電話の機種が私の物と同じなのです。

 私は数年前携帯電話を買う時、息子に頼みました。息子は要領よく手続きをして買ってくれ、馴れない私に代わって様々な電話番号を入力して使えるように指導してくれました。面倒臭い私はこの電話は受信用にして、まだ机の引き出しに沢山残っているテレフォンカードを使って発信していました。でもいつの間にかその煩わしさや電話代金の高さなど銀行引き落としのキャッシュレスですから気にならなくなってどうにか使いこなすように、今では恐る恐るですがメールも出来るようになりました。

 参加者の笑いは頂点に達しましたが、再び私は公園を続ける事になりました。降って沸いたこの話題を話芸に生かし、「情報化社会」について話しました。参加者に手を挙げてもらったところ、参加者の中にも携帯電話を持っている人が三分の一くらいいました。「今日の参加者の中に時代遅れの人が三分の二いらっしゃいます」と爆笑を誘い、携帯電話の電磁波の話しをしました。「最近ショッキングな話を耳にしました。携帯電話から出ている電磁波が人間の卵子や精子にいたずらをしているというのです。私たちはズボンのポケットに携帯電話を入れたりバックに入れて持ち歩いていますが、電磁波の近くに卵子や精子がいるのです。目に見えない電磁波の影響が生まれてくる赤ちゃんに影響を与えるとしたら、あなたたちはどうしますか。まあ今日集まった方々にはもうそんな心配は皆無に等しいほど、何ら影響のない話です」でまたまた大爆笑となり、私の話はやっと元の軌道に戻り事なきを得ました。

 講演会が終わって数日後、このおばあちゃんから一個の宅配便が届きました。見知らぬ人の名前なので開けて爆弾でもと思うほど私は有名人でもなく人にうらまれる筋合いもないものですから妻と開けて見ました。中には手紙と野菜がどっさり入っていました。手紙には先日の講演会で大失態をしたお詫びの言葉が綴られていました。そして都会に住む息子にその話しをしたら怒られたとも書いていました。怒ることはありません。音信手段を確保してくれた優しい息子さんの心根やそれを受け入れつつも使いこなせないデジタル社会に翻弄されたおばあちゃんとの親子ミスマッチはどこかほのぼのとしたお話でした。 

 今でもこのおばあちゃんとはハガキのやり取りをしています。その後携帯電話で私に電話もかけてくるし、ハガキに書かれた近況では「息子とメールを始めた」そうです。ひょっとしたら笑った私より進化しているのかも知れません。うかうか出来ませんね。

  「突然に 水戸黄門の テーマ鳴る 講演中断 場内爆笑」

  「止め方も マナーモードも 知らぬ婆 オロオロ顔を 赤くして座す」

  「電磁波も 何ら影響 ない人と いって爆笑 元に戻りて」

  「メールまで 覚えたばあちゃん ルンルンで 今日も携帯 印籠のよう」


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○毎月唱和の理念とビジョン

 今日は今月最後の木曜日です。この日は毎月コープえひめの定例理事会があるのです。柄にもなく学識経験者理事の末席を汚して早くも1年9ヶ月が経ちました。最初は執行部を除けば女性だけの集まりに戸惑い、2年の任期を全うすることが出来るか心配をしましたが、2年近くが経つと馴染みの人も多くなって、今では1ヶ月が待ち遠しくなるのですから慣れとは不思議なものです。

 理事会は理事長さんのあいさつで始まるのですが、理事長さんの話は要点をしっかりと押さえ、感心するほど上手なのにいつも驚いています。また順番が決められ任期中に2回ぐらい回ってくる司会を何の気負いもなくやれる理事さんも立派だし、受け答えする常任理事や専務さんもよく勉強していてすがすがしささえ感じるのです。そこへ行くと私などは何の責任もないことから中途半端な傍観者で済まない気持ちでいっぱいで、お昼に出る質素ながらも豪華な弁当にマイ箸を持参して食い逃げと洒落込んでいます。

 さて、これまで1年12回、2年で22回も毎回皆さんで会の前に唱和する理念とビジョンを、どれだけ覚えているか、司会の言葉につられて、「赤信号みんなで渡れば怖くない」ような雰囲気で唱和しているものですから心もとない話です。多分私のブログは松本専務さん始め多くの方々が愛読?ではなく乱読されているので、若し間違っていたらメールで訂正して欲しいと、あえて自分の暗記能力をテストしてみました。

   コープ理念

 よりよいくらしの想いをかたちに

   コープえひめビジョン

 一、「健康で安心して暮らしたい」という想いを実現できる生協になっています。

 二、一人ひとりの声が生かされ、元気の輪が広がる生協になっています。

 三、地域の人々とともに住みよいまちづくりがすすめられています。

 四、くらしに役立ち続けるために健全経営が維持できています。

 これだけ思い出すのに少し時間がかかってしまいました。どうにか記憶を思い出し書き写すことが出来ましたが、正しいかどうか心もとない話です。ふと慣れは恐ろしいとも思いました。毎回呪文のようにみんなで唱和するだけで、その意味を余り考えず行動している事に気づいたのです。理念もビジョンも生協運動の憲法のようなものなのですが、慣れると理念もビジョンも唱和するだけのものになっていたようです。

 私たちは君が代という国歌をもう数え切れないほど歌ってきました。ところが君が代の歌詞の意味など殆ど考えずに歌っているのです。もちろん学校の先生からも君が代の意味を明確に教えてもらったことは記憶にないのです。

コープの理念やビジョンは実によく出来た分りやすい言葉です。理念もビジョンも私たち家庭生活者の目標でもあるような気がしています。もう一度初心に帰って理念とビジョンの意味をしっかりと考えてみたいと、理事会の資料を整理しながら思いました。

  「なるほどな 理念にビジョン 納得し 記憶辿りつ 文字にしてみる」

  「いつのまに 門前小僧に なり下がる 習わぬお経 唱えるだけで」

  「明日の朝 専務がメール くれるはず こことそこここ 違っていると」

  「早二年 月日が経つも 進化せず 堂々巡り 俺は何処行く」  

   


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○落語入門

 私の友人に関西汽船に勤める浜田さんがいます。無類の読書家で、様々な本を読んでいるようですが特に民俗学者宮本常一に深い関心を持って研究しています。宮本常一についてはブログで何度も取り上げていますが、人間牧場から見える周防大島が生まれたゆかりの地なので、そうした接点から知り合ったように思うのです。人間牧場が出来て間もない頃、人間牧場へ入門させて欲しいと自分で申請書を作って持参した人ですから、かなりの人であることは間違いありません。その頃はまだ人間牧場の建設中で入門させるともさせないとも回答せずそのままになっていますが、最近人間牧場の門を叩く人が何人かいて、そろそろ塾生を定めて掲札しようかと思うようになっており、その際は浜田さんを塾生第1号にしなければなるまいと心に決めています。

 その浜田さんは私の留守中に時々私に読ませたい本を差し入れしてくれるのです。多分私の浅はかな知識をもっと高めよとの諭しだろうと読ませていただいていますが、先日留守中にサライという週刊誌を届けてくれていました。この号の特集は「続・落語入門」で、名だたる落語家の話などが特集されていました。これも推測ですが、最近私が始めた落語ならぬ落伍が余りにも未熟なため、少し勉強するようにとの有り難いお導きと考え読ませてもらっています。しかし残念かな私の落伍は落語と似て非なるものなので、これを真似て修行する気持ちは毛頭ないのです。しかし落語も落伍も人を楽しませようとする話芸であることに変わりはないので、大切にして勉強したいと思っています。

 仏教の経典の一つに「無量寿経」というのがあります。浄土宗や浄土真宗では根本経典の一つに数えられる重要なものだそうです。落語の一節にご存知「寿限無」というのがありますが、落語の話しの中に出てくる「寿限無」という言葉は仏教の経典「無量寿経」には見当たらずその典拠について正確には分らないないそうです。多分落語の中に出てくるように「無量寿経」の「無量寿」をいいやすく寿限無に置き換えたする説が有力だといわれているようです。

 「寿限無、寿限無、五劫(ごこう)の、すりきれ、海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)、水行来(すいぎょうらい)、雲来末うんらいまつ)、風来末(ふうらいまつ)、食う寝る処に、住む処、やぶら小路(こうじ)の、薮柑子(やぶこうじ)、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーノポンポコナーの、長久命(ちょうきゅうめい)の、長助(ちょうすけ)さん」

 落伍を始めて半年が過ぎました。高座の話芸はまだまだ未熟半熟ですが高座本の売れ行きも仲間のご支援のお陰もあって、まあ順調といえば順調で、自転車操業といいつつ、初期投資の回収は確実になり、そろそろ五輪の書の「地の書」に続いて次号「水の書」の編集にも取り掛からなければならなくなりました。目標は5年で5冊ですから、予想以上の進捗状況です。気の遠くなるような150話の完成を目指して話芸と文筆を両立させなければならないと思うと、多少望みを高く持ち過ぎた感も否めませんが、着実に一歩一歩前へ進んで行きたいと思っています。

 三遊亭金馬師匠の「落語は生き物、芸に完成はありません。だから生涯をかけて、追求し続けるんです」という言葉に、少し救われた感じがしました。

  「玄関に 週刊誌置く 人ありて 修行をしろと 言ってるように」

  「寿限無さえ 知らない男 落伍する 無量寿経の 教えなおさら」

  「高座本 半分売れて ゼロになる 元に戻って ゼロから出直し」

  「どれ程の 人を演じる 落伍かな 自分だけでも 演じも出来ず」

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shin-1さんの日記

○庭の隅に置いている箱庭

 私の家は親父と私が大体同じ趣味ということもあって、海の資料館「海舟館」や、私設公民館「煙会所」などを中心に、様々な民俗資料的なものが置かれています。その殆どは「海舟館」と「煙会所」に展示されていますが、中には無造作に庭の隅に置かれているものあるのです。

 今日は飛び込みで町並を研究している岡崎さんが沖野先生と日本ナショナルトラスト専門研究員の住田さんを伴ってやって来ました。沖野先生は埋蔵文化財の専門家で今年の春まで上灘中学校に勤務していましたが、思うところあって早期退職をされました。岡崎さんは私の旧友でまち歩きの大家です。私が代表を務めるえひめ地域づくり研究会議の事務局長でもあるのですが、どういう訳か私の家にはまだ来たことがないというのです。今日は翠小学校へ来たついでにわが家へ立ち寄ってくれました。

 まず私の家に来るなりまち歩きウォッチャーの目に留まったのは、親父の隠居の前に置いている箱庭です。私はいつも見慣れていてそんなにマジマジ見たことはなかったのですが、彼が言うのにはとても珍しいものだそうです。

 この箱庭がわが家へやって来たのはまだ20年ほど前です。双海町内で製材業を営む従兄弟の家にあったものですが、余りこうしたものに趣味のない彼は、畑の隅に無造作に置いて雑草に埋もれていました。目敏く箱庭を見つけた親父は譲り受けて家に持って帰り傷んだ部分を修復したのです。まず海岸へ行って小さなそれらしい青石を探し、一つ一つ丁寧に石垣から修復しました。それは気の遠くなるような作業でしたが親父の器用さも手伝っていい雰囲気に修復が出来ました。この箱庭には洋式本館と和式の蔵が2棟ありますが、洋式本館の屋上に青銅製の屋根があったらしいのですが、完全に紛失していました。親父はこれも銅板を木槌で叩いて復元したのです。また枯れた樹木を植え替えました。最初は松の木が植わっていたようですが、盆栽鉢に植えられていたものを活用し一本は五葉松、もう一本は梅を植えました。いい感じです。

 風格が戻った箱庭は最初ブロックを敷いていましたが、その後御影石にしたため、予想以上に引き立って、岡崎さんの目を止めたのだと思うのです。

 この御影石はシーサイド公園に地元篤志家のご芳志により童謡の小路を造った折、思わぬ失敗をしてしまいました。石に刻んだ文字が間違っていたのです。検査後発見し間違いに気付きましたが後の祭りでした。業者さんの間違いかこちらの間違いか分らぬまま、とりあえず新しいものと交換しました。その時この石の処分に困っていたので、譲り受けて運んで再利用となったのです。裏面には何も掘っていないため見た目にはすごく立派な中国産御影石の置石に変身し、箱庭にマッチして置かれているのです。

 多分わが家が続く限りはこの石はこの場所に置かれているでしょうが、歴史の変化などによってこの石を動かせば、ミステリーじみた話題も生まれるのではないかと思ったりしました。

 それにしてもわが家には私自身も気付かぬ物語が沢山ある事を岡崎さんによって改めて発見してしまいました。

 今日は午前中伊予銀行上灘支店長さんを人間牧場まで案内し、午後は赤とんぼ先生が恋人とんぼの試作品を持参して打ち合わせするなど、何かと慌しくも充実した一日でした。

  「何気なく 庭に置かれた 箱庭を 目敏く見つけ 写真に収め」

  「九十の 親父修復 した庭を まざまざ見つめ 偉いもんだと」

  「失敗の 石を裏して 再利用 後の人々 ミステリーかと」

  「折からの 雨に打たれて 美しく 見える箱庭 少し見直し」

  

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shin-1さんの日記

○家庭菜園も衣替え

 わが家にはかなり広い家庭菜園があって、年老いた親父には少々手に負えないほどの仕事量があります。最も厄介なのはこれから始まる夏場の除草と虫との闘い、それに水やりはかなり骨が折れるようです。これまで親父の健康法だと余り手伝いもせずもっぱら親父に任せていましたが、寄る年波には勝てずそろそろ代替わりしなければならないと、暇を見つけて一緒に過ごすようにしていますが、果たしてこれから私が親父の歳まで、つまりこれから三十年も出来るかと考えると、ゾッとしたりするのです。「まあ出来なくなったらその時よ」とばかりに始めてはみるものの、野菜つくりも中々奥が深くて、季節のカレンダーをまず頭に入れることから始めなければならないのです。天一稲荷神社の春祭りになると夏野菜の苗を植えるとか、文化の日頃にタマネギの苗を植えるとかいったことは簡単に覚えれるのですが、ネギの伏せ替えやジャガイモの根寄せなどの雑事は体に染み付いた親父でないと分らない部分が多く、これからじっくり修行をして教えてもらいたいと思っています。

 そういいつつ、今日はネギの伏せ替えをしました。畑に植えているネギは春先の暖かい気候によって、青々と伸びてきました。中には種保存の原則でしょうか、ネギ坊主が伸びてきました。ネギにはネギ坊主が出るものと出ないものがあって、ネギ坊主が出るものは葉が硬くて薬味用にはなりません。この時期はその硬くなったものを湯がいて酢味噌で和えタコや貝などと一緒にヌタにすると美味しく食べれます。今日植えたものは薬味用のネギです。畑で引き抜いたものの古葉を丁寧に取って葉の部分を切り落とし、新しい畝に植えてゆくのです。今朝親父がその作業を手伝うようにいうので、長靴を履いて畑に出ました。作業の途中でズボンのポケットの携帯電話が鳴りっぱなしで、結局は作業を中断して急ぎのメールに対応するため部屋の中へ入ってしまいました。

 私の場合はいつもこんな結末が多いのです。親父は残った作業を自分ひとりでこなさなければならず、結局迷惑をかけてしまいました。

 今朝畑に出てみると、急逝した親父の弟、つまり私の叔父の葬儀のため2~3日家を留守にしていましたが、その間に親父は近くの雑木林に細い竹を切りに行って全ての夏野菜の垣を作り終えていました。それはもう玄人はだしでまるで芸術品のような垣を作っていました。

 「親父、これはキュウリじゃない、カボチャじゃないの?」と指摘すると、「わしはてっきりキュウリとばかり思っていた」と間違いに気付きました。キュウリと思って垣が必要なため綺麗な垣を作っていました。早速植え替えたようですが、キュウリとカボチャの苗が分りにくいのは私も同じなようです。

 一昨日、種物屋さんで種を買ってきました。これも私買う人、親父植える人、妻調理する人の役割分担が暗黙のうちに決まっていて、目下のところ私は買う人に専念をしています。でもそろそろ私の出番が来たようだと、代替わりの予感を感じる春の朝でした。

  「大洲では 夏日になったと 新聞で わが家はナスビ 苗植え終わる」

  「九十の 親父の指図 受けながら 六十手習い 菜園作業」

  「ネギの苗 頭を切って 植え替える 明日雨予報 合わせるように」

  「この季節 何を植えるか 記憶する 苗価高さに 驚く財布」 

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○膝・腰・肩

 90歳になる親父の大好きなテレビ番組は、いわゆる時代劇といわれる水戸黄門です。親父は最近耳が遠くなり、テレビの前に陣取ってボリュームをかなり大きくしてかぶりつくようにして見ているのです。一方62歳になる妻はサスペンスや旅番組が大好きで、こ難しい操作をしなければ見れないビデオを使ってお気に入りの番組を録画し、「よく飽きないなあ」と思うほど、同じような番組を何度でも再生して見ているのです。親父も妻も生まれた頃にテレビはありませんでしたが、私がパソコンなしで日々の暮しが考えられないように、今ではテレビなしでは生きてゆけないような雰囲気なのです。

 私にとってテレビとパソコンとどちらを取るかといわれたら、多分パソコンを取るでしょうが、親父も妻もテレビの方を選ぶに違いないのです。「双方向性」を謳い文句に地上デジタル放送が開始されています。私たちの地域でもその電波は来ているのですが、わが家ではまだアナログテレビが健在で、多分期限切れまで使うものと思われます。既にそのテレビを見ている娘夫婦や息子夫婦の家に行くと、別の国に行っているような錯覚さえ覚えるまるで違う画面を、いとも簡単に使ってテレビ番組を楽しんでいるようです。パソコンを使ってテレビを見れば、好きなだけ時代劇もサスペンスも見れるのだそうですが、そんなことをしたら親父も妻もテレビの前に座り続けそうな雲行きなので、一方通行だけの今のままの不自由さがいいのかもしれないのです。しかしそういいながらも一方通行だけの情報を受けている親父や妻と、双方向性の情報を発受信している私とでは、これまた随分違う世界にいるのだとしみじみ思い知らされているのです

 昨日叔父の葬式に行きました。親父の兄弟姉妹たちもみんな高齢化して、膝・腰・肩が痛いと訴える人が殆どになりました。肩は別として膝・腰の不調は深刻で、日本の伝統的な暮らし方である畳での生活はかなりしんどいらしく、そんな高齢化を反映して式場や控え室などには高齢者用の座椅子が沢山用意されていました。叔父や叔母たちはその椅子に座って長時間の待ち合わせに耐えていましたが、老いの身にはとても辛いと漏らしていました。集まった中ではまだ若い方だと思っていた私さえもここ4、5日のぎっくり腰に悩まされて続けているのです。

 親父と妻のテレビ番組を見て気がついたのですが、これらの番組を作る送り手の意図は、視聴者の年齢層を意識しているということです。内容も人情ものの時代劇、トリックの多いサスペンスと目的は違うものの、興味をそそるように出来ているのです。そしてあい中に挟むコマーシャルがどこか共通していて、「ヒアルロンサン、コラーゲン」などといった膝・腰・肩に良いようなもの、「サプリメント」といった「痩せたい」という願望をそそるようなものなどが、これでもかとばかりに留めもなく流されているのです。

 膝・腰・肩の不調を訴える高齢者にとってその悩みは深刻で、夜も寝れない辛さから開放されて、若い頃のように元気で動けるようになりたいというのは当然のことかも知れないのです。そんな人が薬やサプリメントを買い求める気持ちも分るし、番組に高いお金を使ってコマーシャルを流すのも道理といえば道理なのです。

 しかし、わが妻のようにビデオで見る時はコマーシャルを早送りして見る事を、テレビ局は承知しなければならないのです。

  「CMを 早送りして 見るビデオ 妻にとっては 影響もなし」

  「これでもか 膝腰肩に 効く薬 ホントに効くと 信じる愚人」

  「身の回り 膝腰肩の 悪い人 どんどん増えて 座椅子満席」

  「黄門と セットで売れる コラーゲン 意味も分らず 年金使い」

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shin-1さんの日記

○またまたのぎっくり腰に悪戦苦闘

 「今朝はゴミを出してやろう」と殊勝にも妻に言葉をかけ外に出て、生ゴミ入れの大きなバケツの蓋を取り、中から少し重たいゴミの固まりを取り出そうとしたまでは順調でした。ところがゴミの重さが手から腕、肩、そして背中と伝わった一瞬でした。腰から背筋にまるで電気が走ったような感じがしました。これまでにもぎっくり腰に度々なっている私としては気をつけていたつもりなのですが、またやってしまったのです。それからはゴミを出すどころか腰が動かなくなって、ついにはゴミ出しを妻に頼んであえなくダウンしてしまったのです。

 この日は午後からえひめ地域づくり研究会議の運営委員会が予定されているため寝る訳にもいかず、妻に電話してもらって日頃ぎっくり腰の度にお世話になっている伊予市の松本整体院へ電話を入れ、早速予約を取って出かけたのです。幸い今回は重症でもなく何とか自分で車の運転が出来るので顔をしかめながら出かけました。松本さんは私の姿を見て、私の申告とは少し違ってかなり重症だと診断しました。普通だと背中を上に向けてマッサージするのですが、今日ばかりは横になっての治療です。約30分マッサージをしてもらいましたが、涙が出るほど痛く、診察どおりだと長引きそうなのです。それでも会議だけは出席したのですが、運の悪い事に3人の代表のうち近藤さんが欠席したため、私が親交を務めなければならない羽目になりました。会議は2時間ほどで終りましたが、懇親会はキャンセルしてしまいました。

 金曜日、土曜日、月曜日と日曜休診を挟んで3日間、通院したお陰で随分楽になりましたが、叔父の入院、危篤、死亡、仮通夜、通夜、葬儀、法要と続く私的なハードスケジュールが回復を遅らせ、未だに全快していないのです。特に本通夜は殆ど寝なかったし、椅子が用意されていても畳に横座りする姿勢が腰には天敵で、涙が出るほどでした。それでも懇意にしていた叔父の終焉なので、喪主である従兄弟の懇願もあって、通夜、葬儀、法要の3度も親族代表の挨拶をしてしまいました。

 親族の皆さんから見える私の批評は、「挨拶は進一に任せとけ」のようですが、当の本人はそれほど甘いことではないと、ない知恵を絞っての挨拶なりました。人の挨拶は案外批評の対象になってあれこれ色々言うものですが、それはやらない人の評論に過ぎないのです。親族代表の挨拶は親族の評価にも関わることであり、それでいて気負い過ぎると挨拶をした本人の評価を下げることにもなりかねません。まあそんなこんなで結構気を使ったことだけは間違いないのです。

 最近は腰痛体操をするなど気を配って日々を暮らしているつもりです。だのに自分の実感としてはぎっくり腰になる周期がだんだん短くなって行くような気がするのです。これから畑仕事が始まる矢先の腰の不調は、私の農作業にも暗い影を投げかけています。草丈も伸び始めました。もうそろそろ草刈りを始めねばなりません。また親父に任せていた夏野菜の植え付けも手伝わなければなりません。親父は相変わらず畑に出てアリの歩みのような農作業をしています。連休辺りまでにそのメドをつけておきたいものです。

 先日かつて役場の同僚だった井上さんがぎっくり腰になって救急車で病院に運ばれました。みんな人のことだと大笑いをしました。私もそれに似てまるで老人が歩くような姿で腰をかがめている姿が窓越しガラスに写りハッとしました。かけがえのない健康を確保するため一層の精進を誓いました。

  「ああまたか ぎっくり腰の その姿 ガラスに写り 自分幻滅」

  「サイクルが 早くなったと 気付いても どうにもならぬ ぎっくり腰には」

  「弱り目に たたり目葬儀 追い討ちを 回復遅れ 整体通う」

  「注射すりゃ 一発治る アドバイス 注射嫌いな 俺に向って」 


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shin-1さんの日記

○送られてきた伊予柑

 先日、今治市大西町の大河内結子さんから桜いよかんという蜜柑が一箱送られてきました。「桜いよかん」なんて聞いたことがないのでひょっとしたら新品種かな?と蓋を開けてみると、そうでもなく真赤に熟してはいるものの普通の伊予柑のようです。中からハガキくらいの品書きが出て来ました。

 桜いよかん

 晩生の伊予柑を収穫する時期をできるだけ遅らせ、樹上で熟らせました。大空に枝を伸ばし、樹齢60年の樹がつくる「スッキリとして爽やかな風味」と「春の香り」をご笑味ください。

 安全・安心を第一に農薬をう~んと少なくして、エコ栽培にこだわりました。

 「桜いよかん」は桜の季節に美味しい果物です。(防腐剤を散布していませんので、なるべく早くお召し上がりください)

 私はこのメッセージを見て、今の農業の表と裏を考えてみました。表、それは消費者の好みに合わせ作物を作り続けてきた今までの農業です。見た目を重視して市場や農協の言うがままの農業をした結果、農業では飯が食いにくくなり、自給率39パーセントという日本の農業を作ってしまいました。勿論市場や農協の責任も問われますが、農家もそれに追随し化学肥料と農薬に依存した危険な農業をやり続け、新品種を追い求め続けて、足元の美味しいはずの蜜柑をないがしろにしているのです。ふと大谷伊予柑を思い出しました。新品種と持て囃され穂木泥棒まで現れる異常な時代でしたが、結果は金が取れる時にはブームが去って、殆どの農家が「こんなはずではなかった」と、落胆したのは記憶に新しい出来事です。最近は晩柑ブームで、せとかやはるか、きよみなど、まるで飲み屋のネーちゃんの名前のような新品種がズラリ並んで、農家でさえどれがどれだか食べ比べても分らないほど混乱しているのです。

 裏を考えてみました。桜いよかんは正直どこにでもある伊予柑です。でも味と香りに自信を持った生産者がそれを手間暇掛けて作った誇りのようなものを感じるのです。しかも桜をイメージするこの時期に真赤な果実が届くのです。私のように柑橘には慣れている人間でも驚くのですから、蜜柑に縁遠い都会や東京以北の人には新鮮に感じられるはずなのです。

 減農薬、、農薬五割減、腐り止めの防腐剤、安心・安全、エコ、愛媛特別栽培農産物、愛媛産には愛がある、とこれでもかと言われる程のロゴが飛び込んで、表の怖さを感じてしまいました。

 もう一枚ハガキサイズのメッセージが入っていました。

 朝フルでスリムで健康な生活を。

 朝食をフルーツ果物にして、体の中をきれいで清潔に保ちましょう。

 朝食には、体に負担をかけずに十分なエネルギーがとれる果物がベストです。

 果物の食べ方にはルールがあります。

   ①朝食は果物だけを食べる。

   ②果物はお腹が空いたときに食べる。

   ③果物は新鮮で熟したものを食べる。

 私たちは「朝食をフルーツ(果物9)にする」だけで、誰でも簡単にできる健康法を実践しています。皆さんにもスリムで健康な生活をしていただくために、「えひめ朝フルBOX」で美味しく健康な果物を提供しています。フルーツモーニングで今日からあなたも健康人の仲間入りです。

 果物の正しい食べ方のルールを守りましょう。

                えひめ朝フルの会

 私も会員になろうかな。

  「果物を 朝食べるだけ それだけで 健康なれる? 私もなれた」

  「新品種? いやいや違う 新理念 足元見れば 美味しさだらけ」

  「もう辞めよ 走り過ぎてて 疲れます 今の農業 足元見直し」

  「蜜柑さえ 食わぬ百姓 蜜柑売る どこか変だな 食う物売りな」


 

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shin-1さんの日記

○友遠方より来る

 昨日は東よりの風邪が吹いていたものの久しぶりの好天に恵まれました。一年にどの程度来るのか数えたこともないのですが、私の元へはリタイアした今でも沢山の視察者が訪れます。視察は私の主張の裏返し、つまりあちらこちらに講演などに行けば行くほど、またマスコミに取り上げられれば取り上げられるほどたくさんの方々がやって来るのです。その中には周りの人を連れて何度となくやって来る人もいて、その都度私の少し違った進化部分を見せるよう努力しているつもりなのですが、結果的にはその人がどのような私との出会いやふれあいを繰り返しているのか反芻するまもないものですから、結果的には今の自分のありのままの自然体となってしまうのです。

 昨日来た瀬戸田の金本さんもそんな旧友です。金本さんは旧瀬戸田町の職員で、今は合併して尾道市役所の職員です。教育委員会の仕事が長いこと、子どもが私と同じようにたくさんいること、将来を見据え人間としての生き方がしっかりしていること、ふるさとのためにという想いを常い忘れてないで地域を巻き込んでいることなど、今時珍しい彼の魅力が大好きで深いご縁をいただいているのです。瀬戸田といえば地域づくりでは常に先進地でした。故に学ぶことも多く度々訪ねた地域です。その後も金本さんとの深いご縁もあって数え切れないほどお邪魔し、数え切れないほど多くの知人友人を得ているのです。

 そんな金本さんが他の友人や家族連れで人間牧場へ来るという

ので昨日はご案内しました。未明からの叔父の危篤で予定していた足湯の準備も出来ず、いきなりの入場になってしまいました。それでも天気にも恵まれ、束の間の話し合いを楽しくさせてもらいました。

 金本さんから昨晩お礼のメールが入りましたが、一緒にやって来た娘さんが「人間牧場に永住を希望するほど」という表現には思わず笑ってしまいましたが、素直な子どもの目からみた反応は嘘もお追従もなく嬉しい反応として受け止めました。

 また高座本「夕日徒然草」の中から引用した「宿命と運命の違い」についても同感と書き込んでいただき、金本さんに対するメッセージが伝わった事を感じました。金本さんのご家族や、妻の友人と同姓同名の橋本和子さんの来訪など、あっという間の2時間でしたが、次の約束が人間牧場であって、国道まで見送ることが出来なかったことが多少悔やまれてなりません。

 私の元へやって来る仲間たちはこちらが恐縮するほど沢山のお土産を持ってやって来ます。昨日は金本さんが瀬戸田特産のレモンを使ったふるさとレモンという粉末清涼飲料をくれました。お返しの土産もないまま帰らせたこともこれまた妻に叱られ悔やまれてなりません。

 私は土産物はさて置き心の土産を用意しなければなりませんが、はてさて心もとない限りで恐縮しています。

  「手土産を 持参の人が やって来る お返し何を 心もとなく」

  「人間は 人が育み 人となる 人の良し悪し 選ぶは自分」

  「永住を 希望と書いた メール見て 何より嬉し 言葉かみしめ」

  「好天は どこかウキウキ ホッとする 天気見方の 山路を歩く」

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shin-1さんの日記

○叔父危篤

 「親父が危ない」と従兄弟から電話がかかってきたのは「さあ寝よう」と思った午前0時前でした。昨日からわが家に泊まりにきていた孫を寝かせ、そろそろトイレへ小便に連れて行こうと思う矢先のことです。従兄弟の親父、つまり私の親父の弟は85歳なのです。十二人兄弟の長男に生まれた私の親父は大正7年生まれです。私の親父の末の妹、つまり私の叔母は54歳で昭和18年生まれなのです。上手く説明しないと分らないくらい私の祖母は26年間に12人の子どもを生んだ計算になるのです。よくもまあと思うのですが、いろはかるたに詠まれた「律儀者の子沢山」という言葉そのままに子どもを産み育てているのです。しかも戦前・戦中・戦後の食う物とて少ない赤貧洗うが如き激動の時代にですから、想像を絶する他はないのです。

 昨晩危篤の知らせを受け叔父は最近急に衰えが目立ち、認知症がかなり進んで、介護している叔母の手を随分煩わせ、介護で叔母が病気になる限界まできていたようなので、そろそろ特別養護老人ホームへと相談し始めた矢先のことでした。

 私たち夫婦は身支度を整えて孫を起こし車に乗り込み、御前様の酔いタンボがそこら辺をウロウロする松山の道を走って日赤病院へ向かいました。途中で孫を娘の家に降ろし、病院へ到着したのは深夜1時頃でした。ロビーには救急当直病院なのでしょうか、様々な病気や怪我の人がロビーに詰めかけ、まるで昼間のような賑やかさです。

受付で名前を告げると、第3病棟5階と案内してくれました。夜の病院は静まり返り何となく寂しいものです。度々病院へ見舞いに来ている妻は要領よく事を運んで、エレベーターの乗り口まで熟知していて、さすがと感心しました。病室へ入ると叔父はまるで機械のように幾つものパイプを口から鼻から入れられ、側の生命維持装置が無造作に体温、脈拍、血圧などのデーターを表示しながら右から左へ波打つように流れていました。また分厚い輸血のための真赤な血液が病気の重さを物語っていました。

 叔母も従兄弟夫婦も心配そうに叔父のベットの横で座っていましたが、私たち夫婦の見舞い来訪を叔父に告げ、叔父もかすかな記憶を引き出そうと目を開けて反応しているようには見えるのですが、直ぐに目を瞑ってしまうのです。「医者の話では体内の動脈瘤が破けていて手術は不可能なので24時間以内しか・・・・」と息を殺したような低い悲しい声で私に話しました。10分ほどの面会で深夜のことなのでひとまず家に帰り、叔母連中に連絡する役目を引き受けました。深夜のことながら叔母たちは家族がしっかりと対応してくれ、大坂の叔母を除けば直ぐに見舞いに駆けつける言ってくれホッとし、浅い眠りに着きました。

 親父が起きる6時に親父に叔父の危篤を告げ、病院へ連れて行きましたが、道すがら叔父の幼い頃からの思い出話を話す親父は悲しそうでした。十二人兄弟姉妹といいながら2人の妹を大坂戦災で亡くし、二人の弟も既にガンで亡くなっています。今度弟と別れれば、一番長男の自分しか残っていない順番の狂いを嘆いて、「出来れば変わってやりたい」とも話しました。僅か10分ほどの面会でしたが、叔父も懸命に応えて穏やかな面会で幾分救われたのか、親父も満足そうでした。

  午後2時15分頃、従兄弟から「叔父死亡」という携帯電話が入りました。それからは慌しく、松前の叔父の家を何度も往復し馴れない従兄弟そ相談相手として通夜や葬儀の決め事を葬儀社の人と相談し、今晩は身内だけの通夜、明日は式場で午後6時半から通夜、明後日午前10時半から葬儀などを決め、忙しくも空しい一日を過ごしました。それでも叔父は自分の過ごした家に戻って、眠るように穏やかな顔で横たわっているのが印象的でした。

  「一日が こんなに長い ものなのか 叔父の最後に 行ったり来たり」

  「もの言えず それでも目開け 応えたる 叔父の姿に 感動涙」

  「ロウソクの 灯り消えゆく ように逝く 叔父は現世に 終りを告げて」

  「ああ無常 人の命の はかなさよ 親父も俺も いつかこのように」


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