shin-1さんの日記

○九州ぶらり見て歩き①長崎県長崎市編

 今回の旅の目的地は長崎なのですが、九州への第一歩が小倉港だったので、早朝5時に駅前の歩く歩道を歩いて小倉駅に着き、特急に乗り込みました。早朝5時40分発といっても外はもう明るくて、スペースワールドを列車が通過する頃には、スペースシャトルに朝日が輝いてまるで手塚治の漫画の未来世界のようでした。

 長崎へは福岡県、佐賀県、長崎県の三県をを走らなければなりません。すべての旅の基点となる博多から特急白いカモメに乗り込みました。車窓にはお国自慢の風景が広がり、飽きずに眺めることが出来ますが、佐賀平野の今頃は麦秋の頃で、何処までも黄金色の小麦や大麦の畑が広がって、これまた素敵な田園風景です。

 白いカモメは有明海沿線を走り諫早からは長崎って感じになります。長崎は長崎本線の終着駅でもあり始発駅でもあるのです。四国にもよく似た駅で宇和島がありますが、どこか始発駅や終着駅はどこか郷愁があって歌や絵になる光景です。長崎は離党や半島も多く、下車した人はそれぞれの目的地を目指すのです。

 駅の構内語朱印船の大きな模型が展示されていて、列車を降りるなり旅人の心を異国情緒で迎えてくれるのです。とっさに長崎といえば出島・坂本龍馬・キリシタン・グラバー亭・浦上天主堂・平和の像、眼鏡橋、港町などが頭に浮かんできました。福岡博多も色々な異国情緒が見ることが出来ますが、長崎は徳川時代の鎖国の時代さえ開国していたのですから、日本の夜明けは長崎から始まったといっても決して過言ではありません。

 長崎には路面電車が走っています。坊ちゃん列車などの路面電車が走る松山近くに住んでいるとさしてめずらしくありませんが、一回100円の安さや、古い電車にレトロを感じました。電車に乗って面白いのは駅の名前で、市民の暮しが息づいているようでした。公会堂前、眼鏡橋駅など、観光客には有り難い一目瞭然の名前です。

 眼鏡橋は水辺に下りて散策出来るよう遊歩道が整備されています。川上・橋下・川下と見る場所によってその趣が違います。この日は太陽光線の関係で川下からの眺めがいいようでした。川岸には柳の木が若芽を茂らせて見事でした。今ならいざ知らず、昔の人の高い土木技術の腕が光る建築物には脱帽するしかありません。

 眼鏡橋のたもとで坂本竜馬の銅像を見つけ、同じ四国人として嬉しくなりました。坂本龍馬にとっても長崎は縁の深い土地です。海援隊など、海人として大活躍をしました。沿道にはそろそろ咲こうとしているアジサイの蕾が控え目に演出をしていました。道端にはこのようにちょっと注意をして見ると幾らでも歴史の散策が出来るのです。

 再び大通りに出て路面電車に乗りました。長崎は坂の街です。電車を大浦下で降りて少し歩くと大浦天主堂へ続く坂道があり、両側には長崎カステラ、ビードロおもちゃ、ステンドグラスなどを売ってるお店が立ち並び、修学旅行やツアー客がひっきりなしに坂を登ったり、お土産屋に立ち寄って冷やかしていました。坂下には長崎湾が見えました。

 坂の上には有名な浦上天主堂があり、五月の青い空に美しく聳えていました。中を見学したかったのですが、あいにく団体客が沢山いて込み合っていて、何度か訪ねたことがあるので素通りです。それにしても長崎には教会がよく似合います。鈍い教会の鐘の音も異国情緒を存分に引き立ててくれました。

 教会の直ぐ横の坂道を進むと、長崎湾を一望できるグラバー亭がありました。管理の行き届いた園内は緑が一際美しく、見学や散策には今が一番いい季節かもしれません。ここで偶然にも愛媛県の知人に出会い、「若松さん」と声をかけられびっくりです。何とも羨ましくも微笑ましい夫婦での退職記念旅行だそうです。

 オランダ坂などを横目で見て写真に収めながら中華街へ出ました。入口には韓国などの街角でよく見かける寺院風瓦屋根の公園があり、近所のお年寄りがたむろして休憩していました。荷物を持っての散策なので少し汗ばみ、休憩しながら古老にその来歴を聞きました。長崎のお年寄も元気で人なつっこい人たちばかりでした。

 中華街の入口横で珍しい看板の薬屋さんを発見しました。町並み散策の達人である岡崎さんに見せてやりたいような立派な構えです。どんな意味があるのか分りませんが大きな釣鐘が軒先に半分吊るしてあり、下には飛行機の木製プロペラです。これだけの店構えですからかなり老舗なのでしょう。昔の店の様子も写真で紹介していました。これも長崎の鐘です。

 列車の時間が近づいたので、急いで中華街を歩きました。買い物や食べ歩きは今度妻を連れてきた時に取って置きたいと思いつつ急ぎ足で歩き、長崎駅から佐世保行きの快速列車に乗り込み、旅の目的地である大村駅を目指しました。

  「急ぎ足 長崎の街 ぶらぶらと 異国情緒を カメラに収め」

  「念願の 眼鏡の橋を 見るために 左右上下へ 自分が動き」

  「入梅を 間近に感じ 汗を拭く 休んで行けと 古老声かけ」

  「旅先で 声をかけられ 話し込む リタイアしたと 初々しくも」 

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shin-1さんの日記

○長崎から帰って一日遅れの新聞を読む

 急ぐ旅でもないので、ゆっくりのんびりを決め込み、日曜日の夜急な思いつきで松山~小倉航路を選び博多経由で長崎入りし、講演会場となった大村まで引き返し、再び諫早~博多を経て再び小倉~松山航路で帰ったため、研修施設一泊、船内二泊の長旅となってしまいました。それでものんびりゆっくり駅弁を食べながら過ごすひとり旅に満足して五月を締めくくれそうです。

 今回は旅をする前に立ち寄った娘の家で孫朋樹君が「おじいちゃん、旅行に行くんだったら雨が降らんように照る照る坊主を持っていったら」とティッシュをゴム輪で丸め、ボールペンで顔を書いただけの簡単な人形を手渡されました。孫のそのおまじないが当ったのかこの二日間は快晴で、汗を拭きながらの旅となりました。

 その旅すがら諫早を通り越して長崎に着き、街中を歩いていて偶然にも長崎地裁の前を通りかかったのです。何やら物々しい報道陣の多さに一瞬驚きましたが、「ああ今日は長崎市長射殺事件の判決の日か」と、改めて事件のことを思い出しました。昨年4月17日午後8時前、JR長崎駅前で選挙運動中だった同市の伊藤一長市長が暴力団幹部城尾哲弥被告に射殺された事件は銃犯罪の恐怖を社会に震撼させました。特に原爆被爆地長崎の代表として、国内外で平和を訴えてきた現職市長が銃撃された事件は社会に大きな衝撃を与え、暴力団による銃犯罪の厳罰化を求める世論の注目する判決でした。

 私はその後、諫早を経由して大村市に入り、長崎県教育センターで講演に臨んで一泊したため、新聞もテレビもシャットアウトされた生活をしていたので、裁判の行方が気になりながら、今朝まで被告に死刑が言い渡されたことを知らなかったのです。

 今朝、一日遅れの地元紙愛媛新聞に目を通しました。偶然にも通りかかった長崎地裁での判決が一面、五面、七面に詳しく載っていました。

 新聞によると判決骨子はおおよそ次の5つだったようです。

 ①被告を死刑に処する

 ②被害者の当選を阻止して力を誇示しようと犯行に及び、計画的で殺意は強固

 ③行政対象暴力として類例がなく極めて悪質

 ④暴力で選挙の自由を著しく妨害し、民主主義社会において許し難い

 ⑤刑事責任は重大で、被害者が1人だとしても極刑を科すことはやむを得ない

 たった一日なのに、国内外では様々な出来事があったようです。特に地震による死者の数が6万5千人を上回った四川大地震では川の上流にできた土砂ダムが決壊する恐れがあり、ダムから排水するため、重機や爆薬で土砂を取り除く緊急作業に着手したことを新華社が伝えており、決壊なら130万人が避難しなければならないというのです。降って湧いた四川大地震は、北京オリンピックの開催を目前に控えた時期だけに頭の痛い話のようです。既に日本でも赤十字を通じて様々な救援の手が差し伸べられていますが、救援物資に対して疑惑が次々出ているのも中国らしいと思いました

 今朝からまた元の暮しに戻りますが、長崎での時差ぼけは今日一日続きそうです。

  「偶然に 通りかかった 地裁前 死刑判決 知らずに通過」

  「新聞も テレビもなくて のんびりと 過ごしたつもり 実は大ボケ」

  「孫くれた 照る照る坊主の 人形が 効いたか天気 汗ばむ陽気」

  「のんびりと 駅弁広げ 窓越しに 諫早湾の 潮の満ち引き」 



 

 

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shin-1さんの日記

○長崎県大村市に来ています

 本当は今朝広島経由で長崎に行く予定だったのですが、昨日急な思いつきで夜9時55分松山観光港発小倉行きのフェリーに乗り込みました。昨日のPTAの会議の後あれやこれやをしていたら、わが家へ寝に帰るだけだと気づいたからです。

 昨夜はフェリーの中でぐっすり寝込み、早朝4時に起床して小倉港へ5時に着きました。5時だというのに外はもう明るく、見慣れた光景、歩きそめた道を歩いて小倉駅に到着しました。緑の窓口で切符を買うと駅員さんが、「諫早だったら,長崎行きの往復切符を買った方が断然お得です」というので,口車に乗って長崎行き往復の切符を買ってしまいました。急げば間に合いますという特急に飛び乗り、博多からかもめ3号という特急にまた乗って、諫早へ降りるつもりでしたが、切符があることだし、念願の眼鏡橋に会いに行こうと乗り過ごし、何と何と長崎へ9時前に到着してしまったのです。

 今日の長崎は温度も湿度も高く、汗ばむ夏の陽気でした。講演のために背広を着用していましたし、今晩宿泊するため着がえ用のバックも持っていたので、電車で移動し,100円という安さ(松山の市電は150円)に感心しながら駅前から公会堂前まで移動しました。電車を降りたところに運良く警察官がいて、「眼鏡橋へ行きたいのですが教えてください」と尋ねると、「ここをまっすぐ行くと川に出ます。その川を右に曲がるとすぐそこです」と指さしながら教えてくれました。忘れていましたが今日は日曜日ではなく月曜日です。でもやはり天下の観光地長崎です。たくさんの観光客がデジタルカメラや携帯電話のカメラで写真を写しながらぞろぞろ歩いていました。私も偶然声を掛けた外人さんと片言の英語と日本語混じりで散策です。眼鏡橋が見えてきましたが,朝なので水面に眼鏡を写している姿は見えませんでした。早速川底の両岸に作られた遊歩道まで降りて、下流の法へ下ってゆきました。修学旅行の生徒でしょうか、川の真ん中に置かれた踏み石の上でふざけていて、川にザブーンと落っこちてしまいました。見ていた友人は大喝采でしたが、売れた生徒は水も滴るいい男、ぬれねずみのようになりながら,それでも格好良く振る舞っていました。

 眼鏡橋から電車に乗って石橋という終点まで行き、浦上天主堂へと続く坂道を上ってゆきました。両側にはおみやげ屋さんが軒を連ね、長崎特産のカステラやチャンポンを売っていました。露天では早くも長崎特産茂木ビワが売られていたり,ビワアイスを食べながら歩く観光客がたくさん見受けられました。有名な浦上天主堂と目と鼻の先にはこれも長崎を代表するグラバー邸があって、胸にワッペンを付けたツアー客がバスから降りて、旗を持ったガイドさんの後ろを汗をかきながら説明を聞きつつ上っていました。

 駅までの道すがら中華街に立ち寄りました。通りの両側には中華万や餃子、長崎ちゃんぽんのお店が立ち並んでいて、それらの匂いが鼻につき、呼び込みのおばちゃんに誘われて中華万を一個ほおばり、またビワソフトをなめながら温めたり冷したり変な気分でした。

 所用でおっつけかかってきた妻からの携帯電話で長崎ブラブラのそぞろ歩きを話すと、羨ましがられてしまいました。

  「早く出て 長崎ぶらり ひとり旅 長閑な初夏を 楽しみながら」

  「外人と 訳の分らぬ 会話しつ 念願眼鏡 橋見満足」

  「この橋が 壊れた頃に 俺たちは 無人の島で 生きるか死ぬか?」

  「冷したり 温めたりしつ 中華街 おばちゃん声に 活気いただき」   


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shin-1さんの日記

○雨の中のサツマイモ植え・その②

 本当は草を取って畑を耕す作業から子どもたちにやらせたかったのですが、雨の影響で3時間のプログラムでは無理なので、数日前耕運機で耕し、昨日畝立てを事務局職員がやってくれていました。予想通り雨が降ったためお陰で大助かりです。

 子どもたちはイノシシ除けの空き缶作りと畑へマルチシートを被せる2班に分かれて作業をしました。ロケ風呂の下の畑に集まった子どもたちは一班2畝の割り当てで作業をしました。その頃から濃い霧が出て畑の隅に立っている杉の木さえも霧に隠れるほども、まさに五里霧中といったところです。

(人間牧場は完全に霧に包まれ司会は100メートルという幻想的な雰囲気でした)
(あらかじめ作っておいた畝に黒いビニールシートのマルチをかける作業をしている子どもたち)
(みんな思い思いながら一生懸命働いていました)

 こうしてマルチをかけると草が押さえられ除草の手間が省けるだでなく、余分な水分が入らないため美味しいサツマイモが出来るのです。この作業は久保さんや小谷さんといった農家のおばちゃんが意外なリーダーシップを発揮します。田舎の言葉で子どもたちの作業を指導するこの姿こそまさに生きる力の伝授なのです。

 やがてマルチの被覆もできて、みんなでツルを植える作業を始めました。マルチに穴を開けながら手スコップで穴を掘りツルを埋めるのですが、子どもにとってはツルのどの部分を土の中へ入れればいいのか分らず、逆に差し込んでおばちゃんに叱られた子どももいました。

(ロケ風呂の押し上げ窓が、まるで口を開けたマンモスのようだと子どもが表現する人間牧場の農場で作業する子どもたち)
(全員で芋ツルを植える作業風景)

 段取り八分というけれど、かなり速いペースで作業が進みました。これも事務局の皆さんの三年間の積み重ねなのでしょう。最後の仕上げはイノシシとの戦いです。知恵の網とでもいうべき漁師さんからもらった網をみんなで周りに張り巡らす作業をしました。鉄筋杭を打ち込み、網を広げて鉄筋に縛りつけ囲いをするのです。

(網張り作業)
(イノシシに壊されないようにとの願いで空き缶も随分沢山吊り下げました)


 さあ完成です。去年の経験だと多分これで大丈夫です。これから夏の暑い季節に草を刈ったり引いたりしながら肥培管理をして秋の収穫を迎えるのですが、子どもたちの頭の中にはどんな夢が広がってることでしょう。

 作業に使った道具類をまとめて片付け子どもたちに足湯のサービスです。正直泥まみれになって汚れた子どもたちには床を汚すため入って欲しくはないのですが、これも私の修行と位置づけているため、後日雑巾がけを小まめにして掃除をしようと諦めているのです。


 一組9人から10人にして五右衛門風呂で足湯のサービスです。風呂釜の周りに車座になって足を入れて座るのです。いやあ驚きました。子どもたちは大満足でVサインを出してくれました。「進ちゃん、いい湯だねえ」とか、「足がポカポカ、心もポカポカ」「今度はお風呂に入りたい」などとまるで大人のような感想を言うのです。これまで2回は足湯のサービスを行っていないため、子どもたちにとっては初めての体験だけに思い出に残ったことでしょう。家に帰ると妻に近所の人が、「今日は孫が足湯のサービスを受けてとても嬉しかった」と報告があったそうです。ロケ風呂の思わぬ反響に、今度は天気のよい豊田漁港の眺望が開ける日に是非入浴させてやりたいものです。

 今年も少年少女おもしろ教室は無事始まりました。ふるさと教育んp必要性を日頃から提唱する私はこの日、子どもたちにハーモニカで「みかんの花咲く丘」という曲を吹いてやりました。人間牧場周辺は今みかんの花の甘い香りに包まれています。

  「足湯する 幸せそうな 顔を見て こちらも嬉し 心ウキウキ」

  「一日で 牧場まるで 泥だらけ これも修行と 雑巾かけぬ」

  「この秋は イノシシに勝ち 収穫が できるだろうと 網張り万全」

  「おばちゃんが 一番力 発揮する 生きる力は 凄いものです」

 

 

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shin-1さんの日記

○雨の中のサツマイモ植え・その①

 「明日は雨のようですが、日程も詰まっていて中止にすることが出来ないので少々の雨だったら決行します。私は晴れ男なんですがねえ」と、前日少年少女おもしろ教室事務局の岡市さんから会議先へ電話がかかってきました。これまで様々な屋外事業を経験し、雨や風を心配し雨風と戦ってきた私としてはさして気にもせず、「雨は恵みの雨ですから」と強がって見せました。

 昨日の朝は起きて外へ出てみると空はどんより曇り、今にも降り出しそうな雲行きです。そのうち雨足のかなり強い雨が降り出し最悪の様相です。でも子どもたちが楽しみにしている、少年少女おもしろ教室の第一回目のプログラムなので、実行委員長の私としては決断し実行しなければならないのです。車に妻の用意した長靴、雨合羽などとともに、終われば直ぐに西予市野村町で行われる講演会に参加しなければならないので、革靴、背広、ネクタイ、木になるカバンなどの講演道具もアンバランスだと思いながら積み込み、午前7時30分にわが家を出発しました。市役所支所の前には既に子どもを乗せるマイクロバスが到着していて、小学校の校長先生初めスタッフ方々が集まっていました。

 国道から人間牧場に通じる細い山道に入ると、霧が出てきて夏草茂る道は幻想的な雰囲気に包まれていました。人間牧場に到着して水平線の家の鍵を開け、ロケ風呂の玄関や窓を押し上げ五右衛門風呂のボイラースイッチを入れて、風呂の準備をしました。サツマイモを植えた後で足湯のサービスをしてやりたいと思ったからです。風呂の蛇口をひねってから足早にサツマイモの苗床へ向いました。岡市さんが昨日準備に来たはずなのにサツマイモの補充ツルが何処にも見当たらないので、携帯で電話連絡したところ「苗床のツルだけでやりたい」というのです。はてさて苗床のツルだけでは足りるかどうか不安になりました。それでももう間に合わないのでツルを取る作業にかかりました。31人の子どもに一人5本はないと足らないし、指導者の分も入れると200本は必要なのです。益々不安になり、取ったツルを短く切り分けて行きました。

(苗床に元気よく伸びたイモヅル)

 やがて子どもたちが元気に走って山道を下りてきました。今年の子どもたちも元気いっぱいです。雨が止み子どもたちの雨具もこの分だと必要ないかもしれないと思いつつ、荷物を置かせて室内とウッドデッキを使って開会式を行いました。

(開会式)
(子どもたちの班別会議)

(班別会議でそれぞれの役割を決めてゆきます)


 開会式の後、人間牧場主である私の話を30分ほどみんなにしました。今年のサツマイモ作りは昨年収穫した種芋を使い命のリレープロジェクトとして実施していること、あわせて行った落ち葉を集めた腐葉土作りで種芋からツルが伸びて何とか今日に間に合ったこと、このツルからどんな芋が出来るか夢があることなどを話すと同時に、馬路村産の魚梁瀬杉の切り株の話や雨が海の恵みをもたらすことなどの環境についても踏み込んだ話をしてやりました。さあ、準備も整っていよいよサツマイモのツル植え作業が始まりました。

(木曽さんの説明を聞きながら芋ツルの不思議を学びました)

 まずみんなを苗床に集め、木曽さんがサツマイモの種芋を引き抜いて芽が出るメカニズムを分りやすく説明してくれました。そして子どもたちは恐る恐るツルを一本一本切り取ってゆきました。市販のツルよりはるかに細く果して活着するかどうか不安ですが、それでもどうにか人数分200本のツルをやっと確保しました。

(切取られた芋ツル)

 「心配の 雨もどうにか 味方して 命のリレー ついに実現」

 「二百本 どうにか確保 最初から ハラハラしつつ ハサミ動かす」

 「苗床を 使ってカブト 虫を飼う 子ども注目 次の目論見」

 「私にも できる奉仕と おばさんが 集まり支援 今年も嬉し」

 

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shin-1さんの日記

○夕日が雲を押し上げる

 このところの好天で全国的には25度を越える夏日になって、いよいよ夏近しの感じがします。そういえば後一週間で衣替えの季節なのですから、当たり前といえば当たり前なのです。テレビの天気予報だとお天気が崩れるといっていて、今日は夕日が見れないとばかり思っていました。今日は妻の仕事が遅くなるといっていたので、妻から頼まれた甘夏柑を菜園の横の果樹園で5~6個摘み取りました。すると曇っていた西の空が急に明るくなって夕日が差し始めたのです。急いで部屋の中に入ってカメラを取り出し裏庭に登りました。

 夏の頃にはわが家から毎日海に沈む夕日が見えるのです。残念ながらその景色は今一で、人家や無造作な電柱が立ち並び、昔のように長い鉄橋を走る銀河鉄道も今はもう古きよき時代の思い出となり見ることが出来ないのです。それでもわが家から夕日が見えるのですから良しとしなければなりません。

 雲と雲の切れ間から僅かな時間海を真赤に染めて夕日が顔を出しました。ラッキーと思ってシャッターチャンスを待っていると、下を通る近所の子どもが「若松のおじちゃん。そこで何をしているの」と目ざとく見つけて手を口にメガホンのようにして大声で叫ぶのです。「おじちゃんは夕日を見ている」とやり返すと、「おじちゃん、そっちへ行ってもいい」との反応です。私は「ここは危ないから駄目だよ」と答えました。微笑ましい夕闇迫る頃の会話でした。

 夕日はほんの数分でまた雲間に隠れてしまいました。ポケットの携帯電話が鳴ってデジタル時計を見ると丁度午後7時でした。知らず知らずのうちに猫の目ほど夕日のしずむ時間が長くなり、まだ6月の下旬の夏至までは遅くなってゆくのです。

 何度となく同じような場所から同じような夕日の光景を見続けていますが、デジタルカメラを持ち合わせていなかったつい最近までは、目と頃に焼き付けるだけで、記憶にさえも蘇えることは殆どなかったのですが、こうしてデジカメで撮り画像処理してデーター化していると、どこか安心感があって、時々データーを開いて見るのです。

 再び先ほどの近所の子どもが、下の道路から大きな声で、「若松のおじちゃん、今日の夕日はどうだった」と叫びました。わたしは「とても綺麗だったよ」と答えたら、「若松のおじちゃんの撮った夕日の写真頂戴」とえらい注文をつけられました。私は春分頃に撮影した自慢の夕日(シーサイド公園の恋人岬に沈む美しい夕日)をプリントアウトしました。明日はあの近所の子どもにハガキを書こうと思っています。小さなことですが小学校二年生のあの子への公開恋文です。

  「諦めて いたのに夕日 顔を出し 俺の顔立て 再び輝く」

  「近所の子 写真をくれと 大声で 早速夕日 あしらいハガキ」 

  「午後七時 真赤な夕日 落ちてゆく 夏の夕やけ 明日は雨か」

  「金色の 道が出来たり 海の上 昔は不思議 感じたものだ」

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shin-1さんの日記

○味生地区健康づくり講座

 講座の始まる時間を逆算し朝少し早く家を出た私は二件の用事を済ませました。一件は双海町内の女性が73歳で亡くなり、今日がお葬式ということを新聞のお悔やみ欄で見つけたため、葬式と講座がバッティングしたので香典を届けにました。11時からの葬儀だそうで葬祭センターの控え室で痩せこけた遺体に面会して線香を手向けおいとましました。続いてもう一件は道沿いにはないのですが少し遠回りして、若い頃にしょっちゅう通った龍華堂という印刷屋さんへ立ち寄りました。社長も奥さんも娘さんもいて久しぶりに旧交を温めました。社長も奥さんは高齢になられ、奥さんはこれからデイサービスに行くのだという矢先でしたが、懐かしく会話を交わしました。朝の二件は少し考えさせられる出来事でした。

 昨日は松山市味生地区健康づくり講座に行きました。松山には中学校区毎に沢山の立派な公民館があって、一つの校区が一つの市町村程もある人口を抱えていて、田舎では人口が激減して限界集落などが取りざたされる中、今更ながら地方都市への人口集中に驚いたりするのです。

 この日の講座は松山市地域保健推進協力会という、保健所関連の団体が主催でした。3月7日、秋田県能代市へ向う途中の列車の中で、味生地区理事を務める藤崎さんから依頼の電話がありました。運良く木になるカバンの中に予定表を持ち合わせていたので、まだ先のことだと思いつつ、猛吹雪を列車の窓越しに見ながら受諾していたのです。味生公民館へは2年前にも行っているので、土地勘も集まる人のレベルも幾分分っているので安心して出かけました。

 玄関で藤崎さんが待って出迎えていただき、公民館の事務所でお茶をいただきながら「東北への旅先までお電話で追いかけ恐縮しました」と詫びる藤崎さんを交え館長さん、事務員さんと楽しいおしゃべりをしました。

 会場へ入ってまず一番前の席に顔見知りの人がいるのに驚きました。元松山工業高校の校長をしていた林さんご夫妻です。奥さんには初めてお目にかかりましたが、林先生とは今も工業高校の学校評議員をしていて、年に2回はお会いするのですが。昔と殆ど変わらず笑顔を絶やさないお人柄なのです。先生が教頭、校長と同じ松山工業高校に勤務していた折、私はPTAの会長をしたため、深いご縁をいただいているのです。

 満席に近い会場には林先生以外にも何人か会釈や手を振っていただく顔見知りの人がいて、これはヤバイと思いましたが、後には引けず力を入れてお話しました。

 最近ライフプランの話をして欲しいという要望が強くなってきました。私もライフプランやその中心をなすライフサイクルの話には一言を持って生きてきたため、得意な分野だと思っています。夢や目標を持ってニコニコ・ピンピン・コロリンシャと生きて欲しいとお話しました。

 いやあ会場は大受けで2時間近くも話したのに寝る人もなくみんな楽しく聞いていただきました。この日の講座には保健関係の仕事をしている3人の若い女性や保健所の人もいましたが、殆どの人が熟年・実年の人で、金・暇を持って有意義に毎日を学びながら生きている人たちです。私もやがて行く道でしょうが、このように笑って人生を過ごしたいと思いました。

 講座が終り林先生は控え室まで訪ねてきてお話をしてくれました。有り難いことです。

  「朝二件 用事を済ませ 思うこと 老いは側まで 近づきつつあり」

  「お話を 聞きたいいいつ 前の席 仲良く座る 元付く校長」

  「三十分 限度の人に 二時間も しかし寝ないで みんな熱心」

  「今日もまた かくてありなん 明日もまた 行脚続けて 辻説法を」 

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shin-1さんの日記

○始まる時間と終わる時間

 友人「若松さん。その会議は何時に終わる予定ですか。会議が終わってからお会いしたのですが」。私「そうですね、午後7時からの会議で午後9時には終わる予定と書いていましたので、それから車を走らせても30分で到着しますので、午後9時30分に○○という喫茶店でお会いしましょう」と連絡を取り合い、何人かの人を集める算段をしたのです。

 やがて午後7時からの会議は予定通り始まりましたが、会議が少し混乱して前に進まず、初めての会議で、しかも発言した手前出るに出れず、ズボンのポケットに入れた携帯電話のバイブが振動しっぱなしで、イライラが募りました。会議は大幅に遅れ、次の会への参加は30分以上も遅れて午後10時10分に到着し、10人ほどの皆さんにえらい迷惑をかけてしまいました。

 私たちは始まる時間はえらい気にして会議を持ちます。最近はどの会合も随分マナーがよくなって、時間に遅れることは殆どなくなりましたが、それでも集まらない人を待ち続け「今日は天気がいいから集まらない」「今日は天気が悪いから集まらないと、集まらない理由を天気のせいにしている所も少なからずあるようです。しかし始まる時間は厳守するのに昨日の会議のように終わる時間を厳守しない会合にはうんざりすることもあるのです。

 今は市町村合併で行政区域が広域化し、伊予市内といいながら双海町満野などだと市役所本庁まで来るのに1時間近くもかかる所だってあるのです。午後7時に会合を始めると午後6時には自宅を出なければなりません。農家の人などは農繁期ゆえ夕食を食べてくるような暇はありませんから、会合が終わり自宅に帰って夕食を食べるとなると10時以降にしか夕食にありつけないのです。私の場合はそんなことは日常茶飯事ですからどおってことはないのですが、少し考えさせられる会合の結末でした。

 次回の会議を昼にするか夜にするか、これも議論になりました。ある先生の意見だと招聘する事務所の先生は夜には出張扱いにならないから午後だと主張します。私は委員になっている人のことを考えて夜にして欲しいと主張しました。どちらも正しい主張なのですが、役所が常識だと思っていることが案外住民側から見れば非常識なことが多いいことも事実です。

 会議の持ち方だけでもこのくらい意見が食い違うのですから、ましてや会議の中身となると利害関係が絡んで議論百出です。結局時間切れ持ち越しとなってしまいましたが、開会時に「今日の終わる時間は午後9時の予定です」と皆さんに周知した方がよかったのかも知れません。まあこれから葉終わる時間を守る習慣もしっかりと身につけたいものです。

 私は40分も遅刻し次の会に望みました。私が夕食を済ませていないことを知って、私が到着するまでお預けにしていた皆さんには本当にご迷惑をかけてしまいました。

 午後10時過ぎから始まった次の会は遅れて始まりましたが、11時という予定をしっかり守って閉会しました。「今夜は遅くなると妻に言って出かけていたので、妻は12時だというのに起きて待ってくれていました。

  「始まりの 時間守るが 終わる時 案外守らず イライラしきり」

  「聞くほどに 安請け合いを 恥じながら さてこれからの 忙し思う」

  「ああそうか 今頃気付く 非常識 当たり前だと 思っちゃ困る」

  「こんな俺 飯も喰わずに 待っていて くれたかみんな 悪い悪いね」

 

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