shin-1さんの日記

投稿者: | 2010年2月2日

○広島県三次市川西地区を訪ねる①

 先週の土曜日といっても3日前、しまなみ海道を渡って広島県三次市川西地区へ出かけました。広島県でも奥まった所にある三次市へ行くのには、普通松山観光港から船で宇品に渡り、電車で紙屋町まで出て、バスセンターから出る高速バスで出かけることが多いのですが、この日は土曜日ということもあって高速料金が割引されること、川西地区が三次市内から少し離れていることなどのため、思い切ってマイカーで行きました。

 早朝に出発したため行きは今治北インターまで地道を行き、しまなみ海道を過ぎると尾道~世羅~三次川西のルートをあらかじめカーナビにセットした道順に沿って出かけました。国道184号線を通る世羅までは何度も通っている道なので安心して、途中トイレ休憩を道の駅などで2度しながら、逆算した時間通りに走りました。


 やがて三次と世羅の道路標識が入り混じる目的地近くになったので、福永館長さんから送られてきた資料の中にあった、既に廃校になって地域づくりに活用している木造校舎に立ち寄ることにしました。有名な平田農園入り口とは反対側の道を行くと、「ほしはら山の学校」は直ぐに見つかりました。長閑な山村のたたずまいの中にある木造校舎は、ふるさと体験塾や日帰り・宿泊体験などができる施設として活用されているようで、運動場の真ん中に立つと子どもたちの歓声が聞こえてきそうな気がしました。

 パンフレットには、滝遊び、昔の生活道での木のブランコ、虫取り、棚田での米づくり、キャンプやキャンプファイヤー、柏餅づくり、ドラム缶風呂、蕎麦収穫、蕎麦打ち、農家民泊などのメニューに興じる子どもたちの生き生きとした活動ぶりが紹介されていました。

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(運動場から見た学校)
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(道沿いから見える木造校舎)
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(開校100年の記念碑は建つ学校の正門
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(玄関には薪が沢山積んでありました)

 予定の時間より早く目的地である川西自治会館へ到着して福永館長さんと地区の概要について懇談しました。川西地区の人口は三次市全体の人口58,040人に対して1,257人ですが、高齢化率は43.3パーセントだそうで、三若、海渡、石原、上田、有原の5地区の中でほしはら山の学校のある上田地区は高齢化率が56.4パーセントになっていて、山村の過疎や高齢化の深刻さを垣間見ることができました。

 それでも、山間地を除けばどこも圃場整備が終り、特に福永館長さんの地域では、圃場整備を終えたのを機に農事組合法人「海渡」(うと)を設立して、農業の近代化を進めているのです。地域の自立を目指した先進的な取り組みは、過疎や高齢化という避けて通れない問題を真正面から見据えた、素晴らし自立への行動だと思うのです。

 私も色々な山村を見てきましたが、この日は平田農園といい、農事組合法人「海渡」といい、いい取り組みを見せていただきました。


  「分け入りて 見えぬ子どもの 姿追う 見えるは爺婆 それに猪除け」

  「この学校 多いころには 百人も 寂し聞える 昔の話」

  「高齢化 聞けば五十を 越える言う 二人に一人 七十前後」

  「逞しく 生きる人あり 法人を 作りて守る 山里栄え」

 

shin-1さんの日記

投稿者: | 2010年2月1日

○欠席して見えてくるもの

 「あなたが参加していると思って参加したのに顔が見えず寂しく思いました」と、昨日何人かの人からメールをいただきました。そうなんです。実はこの20年余り、必ず出席していたえひめ地域づくり研究会議主催の年次フォーラムに初めて欠席しました。というのも例年この年次フォーラムは、20日前後に開かれるため1月23日の予定をを空けていました。ところが12月私に届いたフォーラムの案内状には、一週間後の1月30日となっていました。1月23日にフロンティアグループの総会を入れ、1月30日は広島県三次市川西地区への講演が入っていたので、断ることもできずやむなく欠席してしまいました。

 昨年度末でえひめ値域づくり研究会議の代表運営委員も降りたため、強制的に行く理由もなくなりましたが、少し気になりながらの欠席でした。案の定常連として名前と顔を連ねていた私でも、何人かの人は寂しく思っていてくれたのです。まあこれも時代の流れと諦めて、新しい生き方をするのが私の運命の切り開き方なので、その辺について考えをメールをいただいた人に返信しておきました。

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 今回のフォーラムには事例発表があって、わが年輪塾も発表依頼がありましたが、論客である塾頭の清水さんにお願いして何とかなりました。フォーラムの模様は昨日の愛媛新聞で、発表の様子は明くる日清水さんからそれぞれ報告がありましたが、モノレールに挟まれて足を大怪我した伊方町三崎の塩崎さんも欠席したようで、年輪塾生兼頭一司さんの発表が聞けなかったのだけが少し心残りでした。

 えひめ値域づくり研究会議の代表を降りてホッとしたことがあります。それは組織の若返りです。請われるままに代表を続けて20年、組織はいつの間にか私やその人たちの色に染まっていました。何度かそのことを訴え辞任の意向を示しても組織は楽な安心と安全を選ぶのです。辞めて見えてくるものはいっぱいありますが、やはり組織に新しい風を起さねばなりません。むしろこれからも未練がましく顔を出すのは止めた方がいいのではないかとも思っています。そうすることが次を育て新しい風起こしにつながるのです。


 私が気がかりな組織に21世紀えひめニューフロンティアグループという小さなグループがあります。結成以来25年も経っているのに壊れもせず残っています。かつては愛媛県で最も輝いていた時期がありました。私が仲間とともに作った団体ですから、自分が代表となって20年間ありとあらゆる知恵を使って一生懸命リードしてきました。町の教育長に就任したため2年余り代表を辞していましたが、フリーになったのを機に再び代表に返り咲きました。私は無人島キャンプなどのプログラムを人間牧場へ置き替えてそれなりに輝いているのですが、グループのメンバーと代表の私の温度差があり過ぎて多少の戸惑いと不安を抱えているのです。

 フロンティアグループの精神は人間牧場にしっかりと根付いているのですから、どういうことはないのですが、少しだけ首をひねりながら将来のあるべき姿を摸索しているのです。


  「欠席を  して見えてくる ことありて 拳拳服膺 肝に銘じる」

  「欠席し 顔が見えぬと メール来る 欠席しても かえって目立ち」

  「川島が 歌った歌を 思い出す ♭時代遅れの♪ 口ずさみつつ」

  「人は皆 同じ運命 辿るもの どこかで気づき  どこかで終る」

 


 

 

shin-1さんの日記

投稿者: | 2010年2月1日

○外に出てわが町を知る

 自分の町から外に出て旅の途中に、何気なく手にしたパンフレットや、壁に貼ってあるポスターを見て驚いたことが何度かあります。パンフレットやポスターの写真に見覚えがあるからです。先日環境省の仕事で三重県御浜町へ行く途中、トイレ休憩と昼食のために立ち寄った高速道路のサービスエリアで、同行した環境省の職員が一枚のチラシを見つけ、私に「双海町の恋人岬が載っています」と渡してくれました。

 そのタブロイド版8ページ立てのチラシは恋人の聖地を特集したもので、全国の恋人の聖地が紹介されていて、恋人の聖地の選定にかかわった桂由美さんと假屋崎省吾さんからのメッセージが特集されていました。さすがに首都圏にある街でもない田舎町の双海町は、写真の隅に百選に選ばれている伊予灘サービスエリアとともに言い訳程度の掲載なのですが、特にシーサイド公園の写真は手前味噌ながら、「行ってみたい」と思うような一枚で、その存在感を示していました。

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(左隅に小さな写真が載っているだけなのに・・・・)

 この写真は、かつて私が恋人岬を発想し整備したモニュメントの穴に夕日がスッポリ入った印象的な一枚で、夕日夕やけフォトコンテストで特選に輝いた一枚なのです。写真一枚がどれほどの主張をするかは、広報や観光に長く携わった私には痛いほど分るので、ある意味「中々いい写真じゃない」と少し鼻を高くしました。車内では暫くはこの話で持ちきりとなり、沢山の裏話を饒舌に話しました。

 偶然でしょうか何年か前、これと同じような体験を紀州和歌山へ講演に行く途中の列車の中で体験したことがあるのです。列車に乗れば吊革付近に色々な吊り広告が目に止まります。その中に一枚列車のダイヤ改正に伴なう時刻表広告が載っていました。その横に青春18きっぷのキャンペーンポスターが貼ってありました。何とその時刻表裏表紙とポスターに見覚えのある下灘駅の写真が使われていました。

 とっさに立ち上がりそのポスターをまじまじと見ながら、傍に座っている田舎のおじさんやおばさんに、「この写真の駅は私の町の日本で一番海に近い下灘駅です」と、聞かれもしないのに自慢タラタラ話をしました。ふと我に返って赤面したことが懐かしく蘇ってきました。

 こんな風に外に出て自分の町を再発見することがたまにありますが、何となく気分がいいもので、帰りにわざわざ和歌山駅に降りて駅員さんに、「あのポスターをはがして不要になったら送ってくださいませんか」と交渉し、1ヶ月後送ってもらったポスターは、私の大切な宝物として額に入れ人間牧場へ運んで、全国から来た人に見せているのです。

 「ふるさとを輝かせたい」、そんな思いで様々な仕掛けを仕組んだ昔が懐かしく思い出される今日この頃です。


  「立ち寄った サービスエリアで 見たチラシ わが町堂々  載ってて嬉し」

  「そういえば 何年か前 列車にて わが町見つけ 興奮したっけ」

  「わが町を 輝かせたい 一心で  色々仕掛け 昔懐かし」

  「ふるさとは 遠くにありて 思うもの そうかも知れぬ 納得しつつ」


shin-1さんの日記

投稿者: | 2010年1月31日

○ガンセンターへ妻の友人を見舞う

 今日は朝から雨でした。何日か前から愛媛マラソンのニュースが流れ、あちらこちらで通行止めなどの規制があるようなので、うかつに娘や息子の所へも行けいないため、妻の同級生がガンセンターへ入院しているので見舞いに行くことにしました。ガンセンターへは妻の兄が喉頭ガン手術で入院していたのを、見舞いに行った2年前以来なので、愛大病院とガンセンターがこんがらがって、道順はカーナビのお世話になりました。

 女性の見舞いは余程注意しなければなりません。というのも女性は入院すると極端にやつれたり、お化粧もせずパジャマのままで病院生活をしていて、人に見られるのが嫌だからです。病院に着くと妻が病室へ友人を見舞っている間、私はロビーで愛媛マラソンの中継を入院患者さんや見舞客と一緒に30分余り見ていましたが、雨の降りが激しくなったので雨傘を取りに車へ引き返しました。


 やがて妻の友人から、主人にも会いたいとOKが出たらしく、8階の病室へ行きました。妻の友人は何度も顔を合わせている旧知の間柄なので病室の中でお話ししました。聞けば健康診断で病気が見つかり脾臓や膵臓を摘出したそうですがいたって元気で、病室はまるでホテルのような個室なのです。失礼な言い方ながら、自宅よりなんぼか快適だと大笑いをしました。

 丁度昼食時だったので早々にお暇しましたが、健康診断で胆のうにポリープが見つかって摘出手術をした私と同じように、自覚症状もないための手術は半信半疑な所もあるようですが、早く元気を回復して欲しいと願っています。妻も友人も私より1歳年下の64歳です。私と同じように体の変調が来る年代なのでしょうか、最近私や私の妻と同年代の人が病気になる話題がかなり多いようで、他人事とは思えないのです。

 帰り道車の中で妻と色々話しました。「もし明日妻がこの友人のように病気になって家を留守にしたら、俺は渇え死ななければならん」と心情を吐露しました。「大丈夫よ、あなたもお父さんの子どもだから自活できる」と持ち上げてくれましたが、亭主関白で家事一際殆どしない私は、ご飯を炊くことも掃除をすることも、ましてや洗濯することなど限りなくゼロに近い人間なのです。

 そういえば私以上に亭主関白だった親父も、母が亡くなってから必要に駆られて何でもするようになったのです。母が亡くなってから10年近くが経ちましたが、親父の自活ぶりはもう目を見張るばかりです。「私にもしものことがあったら困るから、お父さんを真似をしてはどうか」といつも妻から言われますが、「お前が死んでから考える」と、適当にお茶を濁しているのです。今日は考えさせられた一日でした。

 それにしても「ガンセンター」という名前は何とかならないものでしょうか。


  「ガンセンター 名前どうにか ならないか ガンの宣告 された気持ちに」

  「もし明日 妻が入院 したならば 私のアゴは  干上がり死ぬぜ」

  「医者さえも 死ぬのだからと 大笑い 俺の寿命も 神様だけが」

  「ロビーにて 知り人明日は 手術だと 方を落として 病室消える」


shin-1さんの日記

投稿者: | 2010年1月31日

○束縛されない自由な時間

 結婚して家庭を持った若いころは、次々に生まれてくる子どもや仕事が中心の暮しになり、また新しく始めたボランティア活動などで、自由時間はあっても家族、仕事、活動などに束縛されて、自分の自由な時間などあってないような感じがしていました。ところがこの歳になるとリタイアして仕事も少なくなり、家庭も子どももたちがそれぞれ独立したり妻もそれほど口うるさく束縛しなくなり、加えてボランティア活動もある意味助っ人の人たちが下支えしてくれるため、束縛されない自由時間が少しずつ増えつつあるような気がするのです。


 この実感は私たちと同年代の人たちも同感のようで、「暇だ」とか、「時間を持て余している」などという言葉を時々聞くのです。その言葉通り仲間たちは持て余し気味の自由時間を、パチンコやゴルフ、温泉通いなどに使って、無意味とも思えるような日々を過ごしているようです。

 そんな人から見れば逆に、私の自由時間の過ごし方も「無意味」に映るのかも知れませんが、私は束縛されない自由時間を学習やボランティア活動、それに執筆や講演活動などに費やしているのです。

 私の学習活動はリタイアしてからかなり増えました。何よりも読書の時間が増えたこと、人の話(講演など)を聞くことが増えたこと、パソコンで調べ物をすることが増え、学習能力は格段に増えましたが、いかんせん加齢からくる学び能力が衰えているため、効率は極めて悪いようです。

 ボランティア活動も人間牧場を持ったため、その量はかなり増えましたが、こればかりは少し増え過ぎ逆に束縛されつつあるようなので、考え直さなければなるまいと思っています。さらに自由時間を束縛し続けている講演活動も同様なのです。

 唯一私の最も束縛されない自由な時間だと感じているのは、書斎で過ごすブログ書きや原稿書きで費やす時間です。どんな日も一日の始まりはブログを書き、一日の終わりはブログを書くという日課がもう5年間も続いているのです。この時間、束縛の相手である妻も朝はまだ布団の中、夜はもう布団の中なので、束縛しようがないのです。これまでブログ書きが日課や習慣となって、今では50冊もの膨大な「shin-1さんの日記」が出来上がっているのです。プリンター用のインクが高いと実感するほどプリンターを酷使していますが、日課や習慣とは恐ろしいもので、ブログを書かない日々は何となく気になって仕方がないのです。

 これからも増えるであろう束縛されない自由な時間を楽しみたいと思っています。

  「気がつけば 束縛されない 時間あり もっと活用 もっと有意義」

  「人の言う ことなど気にも せず生きる 自由時間が 増えた喜び」

  「ブログ書く 他愛もないと 妻は言う 無視して今日も パソコン向かう」

  「ボケ防止 これが一番 思いつつ ささやかながら 今日もボケずに」

 

shin-1さんの日記

投稿者: | 2010年1月30日

○一字違いの大間違い

 昨日友人でもあり先輩でもある玉井さんが美しい女性を連れてわが家を訪問してくれました。イケメンと自認しているのか、玉井さんの周りには女性がいつもいて、羨ましい限りです。ここだけの話ですが私だって結構持てるのにと思ったりしますが、まあ要らぬ詮索はしないことにしておきましょう。

 その玉井さんのブログに時々アクセスして読んでいますが、中々面白く時々噴き出してしまうのです。昨日読んだブログに「下ネタネギの話」が書かれていました。実は下仁田ネギと言うのが正式な名前で、下仁田ネギといえば知る人ぞ知る特産品なのです。私も現地に行って直接食べましたが格別でした。しかし考えてみれば一字違いでとんでもないものに変化するものだと思わず笑ってしまいました。「下ネタネギ」と「下仁田ネギ」は確かに良く似て聞こえるのです。

 同じような言葉遊びに「若者」と「馬鹿者」というのがあります。ひらがなで書くと「わかもの」「ばかもの」でまさに一字違いでとんでもないものになるのです。しかしこの言葉を聞く度に今年の成人式を思い出します。式典に出席した若者たちが主催者のあいさつをしている最中に壇上に駆け上がり、大きな混乱を招きました。その後主催者はみせしめのために警察に告訴して若者が逮捕されたのです。逮捕された若者は「目立ちたかった」のだそうですが、これはもう「わかもの」ではなく一字違いの「ばかもの」と罵声を浴びせられても反論できないような出来事なのです。確かに私たちのような古い人間から見れば理解に苦しむような行動をする今の若者たちですが、この子どもを産み育てた私たち大人にも責任の一端はあるとひとり苦笑するのです。まあエジプトピラミッドの壁にも「今の若者は」という落書があるそうなので、古今東西同じのようです。


 よく似た言葉に「キーパーソン」と「パーキンソン」という言葉があります。「パーキンソン病」という難病に苦しむ方々には失礼な話ですが、これを間違って話した市会議員がいるというのです。ご存知のようにパーキンソンは脳の中の黒質にある神経細胞が減ることによりドバミンが減少するため起きる病気で、ドバミンは運動を円滑に行うように脳から指令を筋肉に伝える伝達物質だそうで、これがうまく伝わらない病気です。

 一方「キーパーソン」とは鍵を握る人、重要人物、キーマンなどと訳されますが、よく似た言葉ながら全然違うのです。ある議員さんがこの言葉を議会で間違って使ったようで言葉に身を知っている人が大笑いをしたそうです。ところがその言葉をいった張本人の議員さんは「笑うとはけしからん」と怒鳴ったそうです。先日国会で加盟大臣が「うるさい」と暴言を吐き、官房長官がお詫びした一幕とどこか似ているような感じもしました。

 利口ぶって横文字を並べるのも結構ですが、もう少し勉強して欲しいと思う一字違いの大間違いを聞き感じた次第です。


  「下ネタと 下仁田ネギは 似ているね まるで落語の ネタになりそう」

  「若者を 馬鹿者思う 時もある 成人式の 姿見ていて」

  「キーパーソン パーキンソンと 間違って 使った議員  阿呆じゃないのか」

  「うるさいと 大臣思わず 口に出す 自分じゃ偉い つもりだろうが」 

shin-1さんの日記

投稿者: | 2010年1月30日

○腐葉土づくりのビニール張りをしました

 昨日は北西の季節風が吹いて、人間牧場から見下ろす豊田漁港も、漁師さんが時化て漁に出れないため、黄色い漁船が仲良く綺麗に並んで停泊していました。農園の梅林も次第に開花した花の数が多くなり、メジロが数羽嬉しそうに啼きながら飛び交って、寒さの中にも何となく「春近し」を感じるような一日でした。

 農園もいよいよ春の農作業をしなければならない時期になってきました。これまで溜まった枯れ木や枯れ枝はその都度焼却処分しているし、草刈りも万全なのですが気がかりはやはり梅林の剪定です。剪定は技術がいるため一度専門の人を雇いたいと思っていますが、中々手をつけることができなく今日の日を迎えているのです。


 昨日はとりあえずの作業として、1月8日に落ち葉を集めて踏み込んでいた腐葉土づくりの苗床に発酵促進を促すためのビニール張りををすることにしました。家を出るのが早朝だったため、頼んでおいたビニールが間に合わず、結局は中央公民館の赤石さんに代わって宮栄館長さんがわざわざ牧場までビニールを持参してくれました。苗床の外壁はコンパネを使っていますが、もう今年で4年目を迎えたこともあって少しくたびれ、今年いっぱいで取り変えなければなりませんが、とりあえず補修をしてビニールを張るためのサン打ちをしました。

 サンは水平線の家や倉庫の建築などに使った残りの端材を保管している中から選んで使うのです。

 乾いた落ち葉と、前もって振りまいていた油粕や米ぬか、それに牛糞堆肥を鍬で丹念に混ぜ、ジョロで水を与えるのです。それが終わると骨組みの上にビニールを張る作業をしました。風が少し強くて一人で作業するのは難しかったのですが、何とか30分ほどの作業でちょっとしたハウスが出来上がりました。

 作業中にも電話が鳴りっぱなしで、その都度手を休めて電話の対応をしましたが、結局県外の方がシーサイドで出会いたいという急な依頼もあって、作業を手早く片づけ山を下りました。

 友人からの話によると伊方町三崎の旧友塩崎さんがモノレールに足を挟まれ怪我をしたというのです。電話見舞いでもと人間牧場から電話をかけました。本人はいたって元気で、足指骨折、かかとは骨が欠けるかなり重症のようでしたが、ギブスを入れて静養しているとのこと、とりあえず安心しました。

 塩崎さんは定年退職でリタイアして2年になります。家業の農業をやっていますが、清見タンゴールやポンカンの取り入れで忙しい農繁期の事故だけに、かなり痛手のようでしたが、気力と体力のズレるこの年齢の時期は気をつけないと取り返しのつかないことになるので、お互い気をつけようと励まし合い電話を切りました。

 昨日の新聞に載っていた三セクの民営化の問題で意見が聞きたいという支所を訪ねたり、届いた学校評価委員会の所見に目を通したり、人が訪ねてきたり、相変わらず忙しい一日でした。


  「腐葉土を 作るビニール 張る作業 風が悪さし 難義しながら」

  「寒くても 春が近いと 予感する メジロ忙しく 梅林飛んで」

  「イノシシが 積み上げ薪に 体当たり 不満タラタラ 猪に聞こえず」

  「友足を レールに挟み 大怪我と 風の便りに 電話で見舞う」

shin-1さんの日記

投稿者: | 2010年1月29日

○漏水認定と還付金

 昨日市役所水道課から一通の手紙が届きました。普通わが家の手紙は二つに分類されます。私宛のものでも家計に関するものは妻の役割として妻が目を通すのですが、時々関心のあるものは私も見ます。水道課からの一通も関心があったのです。というのも昨年わが家の水道に2ヶ所も漏水ヶ所が発見され、地下水道を掘り返して修理をしたのです。修理代は風呂のシャワーを引き替えたこともあって10万円近くになりました。家計を預かる妻にとっては予期せぬ臨時出費がかさみ、叔父の葬儀などの出費も加わり頭の痛い年末だったようです。

 漏水工事をした水道屋さんから耳寄りな話を聞きました。漏水が見つかって修理をすると、これまでの漏水によると思われる水道料は申請すると還付してくれるというのです。この話を聞いた妻はとっさに頭のカンピューターが働いたようですが、私は「それほど行政は甘くない。取れるものは取るがくれるものは少ない。住民の間違いには厳しいが、自分の間違いなど断れば済む」と思っていたので、「それほど甘くないんじゃないの」と笑っていたのです。


 開封し内容を見て「案の定」だと思いました。還付金はたったの4,110円でした。末尾に書かれた「更生水量については、原則として過去3年間の使用水量の平均に基づき算出しています。漏水認定水量の2分の1を減額水量としています」と説明が書かれてありました。つまり過去3年間の使用実績は参考にするが、支払いは2ヶ月分だけなのです。誰が考えても納得し難い数字ですが、「漏水をしたのはあなたの過失」「還付するのだから有り難いことと思いなさい」的な感じがしました。まあ水道料でいちいち目くじらを立てることもないので、納得しなければなりませんが納得し難い裁定でした。


 このように世の中は納得し難いものが沢山あります。かといってそんなことにいちいちかまっていたら行政はストップするので、一定のルールに基づいて処理しなければなりません。税金や使用料は安い方がいいと思っている人を納得させる気苦労を思うと、物分りのいい市民になろうと思っていますが、この通知を出せば処理できたと思わず、説明が欲しいなあと、期待が大きかっただけにちょっとだけ思いました。

 2月に入るといよいよ厄介な確定申告が始まります。これも毎年のことながら納得し難いもののひとつのようです

  「一通の 還付通知に なるほどと 思わぬ俺は 悪い市民か?」

  「遡り データー基礎に するのなら 三年分を 返して欲しい」

  「世の中は 納得できぬ 事多い だけどどこかで 折り合いつけて」

  「宝くじ 還付も全て 水の泡 漏水止める 方策見えず」  

shin-1さんの日記

投稿者: | 2010年1月29日

○生き生き元気塾

 今治市玉川町の国道沿いにいきいき元気塾の会場となるAコープの店はありました。何年か前学生を連れてフィールドワークの授業に来た時、隣の玉川近代美術館を見学してその存在は知っていましたが、お店に入るのは初めてなのです。店舗の中のレジ打ちの女性職員に会場を聞いたら二階だと教えてくれました。Aコープの二階には調理室、パソコン室、ホールなど幾つも部屋があって、とりあえず控えの和室に通され、課長さんや部長さんと名刺を交換して打ち合わせを行いましたが、90分間3時まで喋ること、演題は「新しい発想で生きる」にしていたことを確認してお茶をいただきました。

 今回講演を依頼してもらった渡部部長さんは営業畑に転出していて、新任の村上福祉部長さんは伯方町の出身らしく、私の知人の赤瀬学さんと同級生だということを聞いて、世間の狭さを知りました。

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 いきいき元気塾は農家の女性の集まりで、後1回を残しこの日が4回目とか伺いました。日ごろから学んでいるだけあって反応も良く、意識の高い集団だと直感しながら色々な話をさせてもらいました。失礼な話ですが昼食を終わった午後1時30分からの集会で、しかも60歳を超えた緊張持続時間30分型の人にとっては、どちらかというと居眠りタイムの時間なのですが、どうしてどうして眠るどころか大爆笑で、賑やかな講演会となったのです。私は常々女性が輝かないと町は輝かないと思っています。特に農家の女性は昔のように夫婦で農業をすることは土日や農繁期くらいなもので、日常は兼業のため殆んどの農作業をこなさなければならないのです。これまでは女・妻・母・主婦・地域人・職業人・ボランティア人などなど、一人何役もの仕事をこなしてこうして学んでいるのです。ゆえに猫の手も借りたい超多忙人間なのですから、もっと人生を楽しむような暮しをして欲しいと思うのです。

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 今農家は一部を除いてかつてないほど疲弊をしています。市町村自治体と農協の広域合併が進み、行政サービスも営農指導も遠のいて、ましてやあちらこちらに産直市が出来、自分が動かねば儲けないようなシステムになりつつあるのです。特に車に乗れなかったりパソコンを使えない女性は生きづらい世の中なのです。

 新しい発想とは今までの生き方を変えること、考え方を変えることなので容易なことではありません。でも参加していた女性の殆どが、人生の仕上げの時代に入っていることを思えば、「人間は何のために生きるのか」という遠大にして崇高なテーマを考えなければならないのです。これまでの農家の主婦はある意味陰に隠れ報われないで一生を終わっていました。これからは生きていることが実感できるような、もっと楽しい人生を送って欲しいと願っています。


  「これ以上 何をやったら いいのでしょ 一人何役? 農家の主婦は」

  「見て御覧 楽しく生きる 人もいる 私の仲間 楽しそうだよ」

  「発想を 変えて生きたら 面白い 残り僅かな 人生だから」

  「言いつつも 自分の妻は どうだろう? ドキリとしつつ 妻顔浮かぶ」

 

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投稿者: | 2010年1月28日

○二宮金次郎の銅像を探して(その2)

 二宮金次郎の銅像の行方を聞いたお年寄りが、「そこそこ」と指を指した辺りに学校らしき建物はありました。上流と下流に二本の橋が架かっていたので、上流の橋を渡って運動場へ行きました。運動場では10人ほどのお年寄りがグランドゴルフに熱中していて、「二宮金次郎の・・・・」言っただけで、グランドゴルフの手は休めず、「あっち」と指差してくれました。どうやら私と同じような物好きな先着がいたようなのです。

  ゴルフの邪魔をしないように運動場の端っこを歩いて、テレビで見覚えのある金次郎の銅像と対面しました。金次郎の銅像は意外と小さく、コンクリートで小石を積み上げた珍しい台座の上に立っていました。

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向こうに見える白い建物が10年前廃校になった小学校の校舎や体育館です)

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 台座の中ほどには「恩」という文字が刻まれていました。

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この二宮金次郎像は文化庁が登録有形文化財として登録認定されているようで、文化庁から贈られたらしい銘板には、第38-0027号「この建造物は国民の大切な財産です」と書かれていました。日本全国には二宮金次郎の銅像が沢山ありますが、この金次郎像がなぜあまた数ある中から登録有形文化財に選ばれたのか、察するに何かいわく因縁のありそうな像なのです。居合わせたお年寄りたちにその辺を聞いてみましたが、グランドゴルフに講じる体育系のお年寄りに質問はちょっと荷が重過ぎたようです。

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 それでも皆さんはゴルフの手を休めることなく、金次郎の歌を歌ってくれました。中には3番までしっかりと覚えている人もいて、自分の名前や歳さえも忘れるような年齢になりながら、昔の記憶の正確さに驚かされました。私は持っていた紙に教えてもらった歌詞を書き写しました。

   1、柴刈り縄ない 草鞋をつくり

     親の手助け 弟を世話し

     兄弟仲良く 孝行つくす

     手本は二宮金次郎

   2、骨身を惜しまず 仕事を励み

     夜なべ済まして 手習い読書

     せわし中にも たゆまず学ぶ

     手本は二宮金次郎

   3、家業大事に 費(ついえ)をはぶき

     少しの物をも 粗末にせずに

     遂に身を立て 人をもすくう

     手本は二宮金次郎


 明治44年に刊行された尋常小学唱歌第二学年用に初めて載ったこの歌を、私はおぼろげながら口ずさめるのです。多分死んだ祖母や母が歌っていたのを聞いたのだろうと思うのです。その横にかつての小学校の校訓と思しき「山も川も心も美しく」と書かれた立派な石碑が印象的に建っていました。

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  「分け入りて やっと見つけた 金次郎 神々しくも ふるさと見つめ」

  「自分の名 忘れるような 爺や婆 金次郎歌 覚えて歌う」

  「そういえば 祖母が歌いし 歌だった ハーモニカでも 何とか吹けた」

  「子の声は 聞こえぬけれど 爺と婆 昔遊んだ 運動場で」