人間牧場

〇愛媛大学農学部での講義

 今日は愛媛大学農学部で、地域マネジメントスキル修得講座と地域活性化論の合同講座が開かれました。修得講座は21名、地域活性化論復修は農学部16名、他学部22名計38名ですから50人程度への講義です。地域マネジメントスキル修得講座は毎年人間牧場で開講していましたが、今年は農学部や他学部の学生と合同の講座なので、大学の多目的ホールを使って行なわれました。

DSCN1111 DSCN1109 農学部のある松山市樽味へは自宅から車で約1時間ほどかかるので、7時30分に自宅を出て自家用車で向いましたが、日曜日の朝は道も空いていて、8時30分には到着しました。大学構内は数年前農学部客員教授をしていたころ、毎日のように出勤していたので、迷うことなく3階の多目的ホールへ入り、担当の笠松先生が私の前もって提出していたレジメのプリントアウトと、パワーポイント起動もしてくれていて大助かりでした。

 私に与えられたテーマは「地域活性化論」と「双海町での地域づくり」についてで、午前中いっぱいかけて3時間じっくりとお話をしました。受講生や学生の反応も良く、私もかなり落ち着いて話をしたので、まあ80点くらいの出来だったと思います。講義が終わり修得講座の受講生と名刺交換をしたり、記念撮影をせがまれたりしましたが、帰宅後何人もの受講生から、感想やお礼のメールが入り、嬉しい限りでした。

 私は正直なところ、大学とか行政職員への講義や講演は余り好きではありません。同じ話をしても社会人は良く笑いながら聞いてくれますが、大学生や行政職員は笑ったいけないと思っているのでしょうか、余り乗ってこないのです。話す側にとってこれは致命傷で、「私は間違った話をしているのでは?」と思ったりすることもしばしばです。相槌を打ったり、興が乗れば笑ってくれると、それだけで心が和むのです。その点今日の受講生や学生は阿吽の呼吸とでもいうのでしょうか、とても印象に残る集会でした。

  「大学の 教壇に立ち 3時間 講義をしたが 雰囲気もよく」

  「帰宅して メール開けりゃ 書き込みが これぞまさしく 阿吽の呼吸」

  「乗りがいい 会ほどこちら やり易い 今日は満点 嬉しい一日」

  「利口ぶる 人ほど笑い 少なくて こちらも何か 裃を着て」 

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人間牧場

〇台風が気になる

 秋も少しずつ深まって来ました。昨日はあいにくの雨を予想していましたが、時折日の差す天気に恵まれ、別府から九州横断道路を走って九重長者原から阿蘇山の牧ノ戸まで遠出をして、一足早く高原のススキの風景を堪能しました。佐賀関で親友の渡邊さんや阿部さんに見送られ、フェリーで豊予海峡を渡りましたが、台風の影響でしょうか、海が少し荒れていました。三崎から頂上線を走り、佐田三崎半島付け根を貫通するゴゼ峠の長いトンネルを抜けて、2日ぶりに瀬戸内海側に帰って来ましたが、長浜~双海と自宅が近くなるにつれてかなり激しい雨に見舞われましたが、何とか家にたどり着きました。今日から鳥取ですが台風の行方が気になります。

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人間牧場

○三人との出会い

 昨日は仲間と別府温泉へ三崎港発臨時便13時30分のフェリーに乗るため、自宅を11時に出て海岸国道378号夕やけこやけラインと国道197号潮風メロディラインを走りました。シルバーウィーク最終日だったので、もしや渋滞に巻き込まれるかもしれないと思い先を急ぎましたが、取り越し苦労だったようで、三崎の入口付近で時計を見るとまだ一時間も余裕があるので、急な思いつきで二名津の田村菓子店に立ち寄ることにしました。運よく田村さんは在宅中で、お店のカウンターに座って、接待のために出していただいたお茶とお菓子をいただきながら、積もる話をさせてもらいましたが、いつものことながらしっかりした考えと行動をしていることに感心させられました。

 お店を出て船着場に着き、塩崎さんご夫妻と芝さんご夫妻と合流しましたが、その頃急にかなり強い雨が降り出しました。切符売り場で往復切符を買い求め、雨を予測した私は車のトランクに積んでいた傘を持参することにしました。三崎から大分佐賀関までは僅か50分の船旅です。ニ夫婦と四方山話をしていると、あっという間に東洋一の高い煙突が目印の佐賀関に到着しました。佐賀関の船着場で渡邊さんと奥さん、それに見知らぬ男性一人に出迎えてくれました。とりあえずチャーターしたジャンボタクシーに乗り込み、鶴崎海岸を走るバイパス道を通って、高崎山や水族館を横目にやり過ごしながら、別府タワー近くのホテル望海へ入りました。その名のとおりホテルの横にはふたみシーサイド公園に似た人工砂浜や、別府湾が一望できました。

 昨晩は別府温泉ホテル望海で楽しい交流の一夜を過ごしました。塩崎ご夫妻、芝ご夫妻、佐賀関の渡邉さんと私に加え、今回は渡邉さんの友人安部助さんも就く別参加してくれました。安部さんは40数年水先案内人を勤めたというシップキャプテンです。楽しい方でいっぺんにファンになりました。私は折角別府にやって来たので、おんせん県大分別府に住む縄田さんに電話を入れました。縄田さんは連休なのに来年度の予算編成作業のため出勤していたようで、懐かしい声が聞こえ安心しました。ところが私が電話をしたことを気にした縄田さんは、今朝出勤前の忙しい中、自宅の庭で雨の中採集した大分県特産のカボスを持参し、わざわざホテルまで私を訪ねて来られ、恐縮してしまいました。12月に国立大洲青少年交流の家で開く予定の、社会教育実践交流集会に参加予定だそうで、再開を約束して分かれました。

  「三人に 出会って嬉し 又一つ 思い出重ね 次が楽しみ」

  「両県の 間流れる 潮早く 豊後水道 心を結ぶ」

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人間牧場

〇人間牧場の蚊帳つり実験

 人間牧場開設10周年と、年輪塾公開セミナーの一大イベントを来週末に控え、何かと準備で忙しい気分になってきました。中心的に役割を受け持っている清水塾頭、松本小番頭、浜田塾生はそれぞれがそれぞれの思惑で動いてくれていますが、昨日は浜田さんと息子が相談して、会場となる人間牧場のウッドデッキに、蚊帳を張る実験をするというので、家の大掃除を中断して出かけました。子守りも兼て孫たちも連れて行ったので、終始賑やかでした。

ウッドデッキ蚊帳吊り実験
ウッドデッキ蚊帳吊り実験
蚊帳の中には入り孫たちも大はしゃぎ
蚊帳の中に入り孫たちも大はしゃぎでした

 人間牧場には10年前の開設時に、こんなこともあろうかと、防虫ネットを一巻き買ってミシンを持ち込み、ウッドデッキに張る大型蚊帳を作っています。その後余り使わず倉庫に終ったままになっていましたが、昨日はビニール袋に入った蚊帳を納戸から取り出し、ウッドデッキに広げてみました。心配された虫やネズミの被害もなく、蚊帳は新品のままでした。早速ウッドデッキ下に差し込んで終っていたステンレス棒を取り出し、雑巾で拭いて脚立を立ててボルトで組み立てました。その上に蚊帳を被せましたが、ものの20分ほどで作業は終りましたが、とてもいい感じで、少し手を加えて当日使いたいと思っています。

 白い蚊帳を張ったウッドデッキは幻想的で、中に入るとことさら趣がありますが、約10日後に控えた10月3日の天気が気になるところです。昨日はまだ気温の高い状態が続いていて、上がり藪蚊が少し多いようですが、順調に気温が下がれば藪蚊も蚊取り線香で充分対応できるかも知れません。聞けば10月3日のイベントには、既に50人を越える人が申し込みをしているようで、多分満席の状態のようです。50人分の靴だけでも、また50人の口だけでも半端ではなく、気を引き締めて怪我のないよう安全に気を配り、それでいて実り多いものにしなければなりません。

 前日大洲市田処の亀本さんから、亀本さんの指導で植菌し、人間牧場のホダ場に置いているクヌギの木の原木に、椎茸が芽吹いていないか連絡がありました。ホダ場に下りてよく見ると、既にジャンボなしいたけが10個ほど生えていたので収獲して持ち帰りました。原木のあちこちには椎茸の白い芽吹きも見られ、10月の収穫祭に間に合うかも知れません。極早生みかんも少しずつ色づき始め、秋は次第に深まりつつあります。孫たちは蚊帳の中には入って大はしゃぎでした。

  「10年も 前に作った 蚊帳納戸 出して広げて 吊って調子見る」

  「まだ藪蚊 ブンブン飛んで 人を刺す 蚊取り線香 しっかり用意」

  「10日後に 迫った記念の イベントの 準備おさおさ 怠りなきよう」

  「椎茸の 原木やっと 白い芽を 吹いて深まる 秋を迎える」

 

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人間牧場

〇翠小学校の運動会

 シルバーウイーク期間中の9月20日、立ち寄った親友の浜田さんと一緒に、急な思いつきで翠小学校の運動会を見に行きました。これまでにも何度か運動会のご案内を受けていましたが、県内外への出張で見る機会を逸していました。先日町内の有線放送で、「翠小学校のギンモクセイの花が咲き始めました。見に来ませんか」と紹介されていたし、先日校長先生に双海中学校の運動会で出会った折、「連休中がギンモクセイの満開のようなので見に来てください」とご案内を受けていたので、楽しみにして出かけました。

秋晴れの翠小学校運動会
秋晴れの翠小学校運動会
周囲一キロに香りを放つ満開のギンモクセイ
周囲一キロに香りを放つ満開のギンモクセイ

 児童の数が僅か16人の小さな小学校の運動会ですが、毎年のことながら校区総出でやっている運動会だけに、県道沿いには沢山の車が駐車していて、私を降ろした浜田さん運転の車は石、窯香房みどり付近まで駐車に持って行きました。校門に入ると校長先生が言っていたギンモクセイが満開で、甘い香りが学校全体を優しく包み、香りを写真に撮れないのが残念!!って感じでした。翠小学校では運動場の白線トラックに杉葉を差し込むユニークさで、入場門も杉葉で出来ています。多分PTAや地区ぐるみで手間暇かけて作ったことでしょう。

 この杉葉がまた木造校舎やギンモクセイの大木と見事に調和し、これぞオンリーワンといったところです。翠小学校も校区外通学や移住促進などを推進しているお蔭で、地元の子どもの数は少ないものの、児童の数は上向きだそうで、何はともあれ一安心といったところです。学校という字を分解すると「木が交わって学ぶ」と書きます。珍しい木造校舎や、市指定天然記念物ギンモクセイの大木を見ながら、子どもに及ぼす無形の恩恵を感じましたが、子どもの数だけで、コミュニティを無視した学校統廃合を進めるご都合主義的な現代のやり方に、一石投じる翠小学校の教育に大きな拍手を送りたいと思います。

  「ギンモクセイ 周囲一キロ 香しい 匂い振り撒き 存在感を」

  「児童数 たった16 だが凄い 地域総出で 杉葉トラック」

  「少しだけ 今年は早く ギンモクセイ 運動会に 花を沿え咲く」

  「来年も 来たいと思う 運動会 オンリーワンと 自慢がしたい」

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人間牧場

〇人間牧場10周年(その3)

 「えっ、もうそんなに経ったの?」と時の流れの早さに自分自身驚いています。人間牧場構想を描き、「鮮やかに想像し、熱烈に望み、心から信じ、魂を込めた熱意を持って行動すれば、何事も実現する」というポール・J・マイヤーの言葉を信じて、50代の10年間で無謀と思えながら目標であった1千万円の資金を貯め、60歳の定年を機に人間牧場を造りました。退職のあれから10年があっという間に過ぎ去りました。私にとってこの10年間は第二の人生とでも言うべき実り多い日々でした。構想の10年を第一ステージ「始める前の活動」とするなら、活動の10年は第二ステージ「始める活動・高める活動」でした。そしてこれからの10年は第三ステージ「続ける活動・さらに高める活動なのです。第三ステージの問題点は色々ありますが、何といっても私の加齢による気力体力の衰えはいかんともし難く、基礎体力を維持するための日常的努力は怠っていませんが、10年後の第四ステージ「止める活動」に向けて、どういう準備を進めるか、今から考えなければなりません。10周年は振り返りと同時に未来への挑戦を宣言する日でもあるのです。10周年記念行事の日は私の71歳の誕生日でもあり、感慨深い日になりそうですが幸い心許せ夢を語り合える愉快な仲間たちがこの10年間で沢山増えました。

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人間牧場

〇夕日徒然草「心の書」半完成(その2)

 私は「夕日徒然草」という小さなポケットサイズの本をこれまでに5冊自費出版しています。五輪の書にあやかり、1冊に30話の小話を地の書、水の書、火の書、風の書、空の書と続け、今では150話まで積み上げてきました。最初は150話で完結予定でしたが、その後少し心境の変化が起こり、とりあえず30話を書き、心の書として夕日徒然草リレーを続けることにしました。この程原稿を書き上げましたが印刷が間に合わず、とりあえずプリントして製本することにしました。何日か前、筆頭塾生の浜田さんが手伝いにやって来て、プリントした30話をホッチキス止めを手伝ってくれました。明くる日私は、黒い製本テープをA4サイズにハサミで切り、背表紙をつけたり参加予定の70人分の表紙に、サインペンで言葉と名前を書きました。友人が篆刻してくれた落款用の印を押してデザインに工夫する等、なかなか手間のいる作業でしたが、字のまずさは相変わらずながらひとまず作業を終えました。

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人間牧場

〇近づく人間牧場10周年と年輪塾公開セミナーの準備(その1)

 春先の年輪塾役員会で、人間牧場10周年と年輪塾公開セミナーをドッキングして、10月3日にやることが決っていましが、まだまだ先のことだと思っていたのに、早くも2週間後に迫って来ました。清水塾頭は企画や渉外を担当し、松本小番頭は企画と準備を担当、浜田筆頭塾生は人間牧場の掃除や当日配布する「夕日徒然草」の製本をそれぞれが担当し、ぬかりなく準備が進められています。いつものことながら塾長の私は人間牧場の草刈や内外回りの掃除や、当日の天気を心配する程度でお茶を濁しています。今回の気炎行事の私の出番は、講師二人を交えた一時間30分の鼎談進行と、夕日亭大根心の芸名を持つ私の40分落伍ですが、この二つはまだ私のスキルがアップしていないので、これからの作業となります。

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人間牧場

〇九死に一生を得る(その2)

 車を止めてパンク修理のため、運転席のシート下にしまっているジャッキなどの小道具を取り出そうとしましたが、この軽四トラックを購入してからまだ一度も、自分でパンク修理をしたことがないので、どこに何がるのかさえも分らず右往左往しました。現場は昼なお暗い杉林の中だし、秋の陽が西に傾きヒグラシの鳴く声がやたらと不安をかき立てました。結局ジャッキだけは見つかったものの、ボルトを外す工具も見当たらず、とっさに親友稲葉さんの顔を思い出しました。

パンク修理に駆けつけてくれた親友の稲葉さん)
パンク修理に駆けつけてくれた親友の稲葉さん)

 稲葉さんは車の修理工場を営んでいますが、最近はその仕事を息子さんに譲って双海町で農業をしています。電話がつながり運よくというのでしょうか、石久保の畑にいることが分り、早速助け船に来てくれることになりました。それまでに忘れ物を取りに行こうと歩いて人間牧場まで車道や近道の、急な山道を大汗をかきながら登り、カゴを持って現場に戻ると、稲葉さんは既に到着して、自分の車のジャッキを使って作業を始めていました。まあ手早いこと、さすが車屋さんです。

 稲葉さんは私の落石に遭った状況説明を聞きながら、「もしこの石が車の運転席を直撃していたら、あなたも車も危なかった。パンクは仕方がありませんが、運が良かったというほかはありません」と、自損事故をむしろポジティブに捉えて幸運だったと喜んでくれました。考えてみればそのとおりだと自分でも納得し、助け船ならぬ助け車に来てくれた稲葉さんに大感謝し、二人で山を降り家路に着きました。帰宅して若嫁や妻にそのことを話すと、やはり稲葉さんと同じように、身の安全を喜んでくれました。

 田舎の山道で時折、「落石注意」という看板を見かけます。落ちた石に注意するのか、落ちてくる石に注意をするのか分りませんが、私は偶然にも落ちてきた石に当たってしまいました。落石は一昨日まで降った雨で地盤が緩んだからからなのか、4日前に起こったチリ沖地震の影響なのか、石に聞くすべもなく分りませんが、必然にも似た偶然に遭遇するとは、私もよくよく強運の持ち主のようです。稲葉さんが言うように、家族が言うように昨日は九死に一生を得た」心境でした。

  「急な崖 いきなり石が 落ちて来て ドーンと大きな 音してパンク」

  「助け船 運よく親友 やって来て いとも簡単 タイヤスペアに」

  「不運だと 思っていたが 幸運と 思いなさいと 諭されその気」

  「また一つ 伝説増えて 物語 人間牧場 次から次へ」

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人間牧場

〇今年の蜂蜜採集終る

 春たけなわの4月始めに巣箱の掃除をしたり、巣箱にバーナーで温めながら溶かした蜜蝋を塗って準備をし始めてから、あっという間に6ヶ月が過ぎました。今年は天候異変らしく、例年より入居が遅れたり少なかったと、養蜂仲間から風の噂が聞こえる中、私にとってもいつになく不安なシーズンでした。それでも蜜蜂の師匠である西予市野村町の井上登さんの、変らぬ暖かいご指導や日本ラン・キンリョウヘンの切り花提供を受けたお蔭で、人間牧場2箱、わが家の裏山6箱の巣箱に蜜蜂が入居し、7月28日と8月16日、9月2日に採蜜作業を行なった結果、1升瓶16本の収獲がありました。

 3日前箱が軽く期待薄の最期の1箱を思い切って採蜜しましたが、それでも1升3合ほどの収獲がありました。何だかんだといいながら結果的には10升の目標に対し、17升もの収獲があり、満足なシーズンで幕を閉じました。私の採蜜方法は巣の一部を残さず総取りするため、これまでは採蜜後蜜蜂が逃げてしまっていました。今年は少し方法を変えたためでしょうか、今のところ5つの巣に蜜蜂が残っていて、このまま行くと来年の春まで越冬する期待も持てそうです。最初採蜜をする方法は、巣箱の下から二本の鉄製の長い突きノミで天井から巣を外していましたが、今は天板のネジを電動ねじ回しで外し、ステンレス製の包丁を天板と側板の隙間に差し込んで、巣を外す方法を考え付きました。

 こうすることで巣を素早く採集することができるのです。採集した蜂蜜滴る巣に群がっている蜜蜂を丁寧に刷毛で巣箱の中へ落とし、プラスチック容器の中へ巣を入れます。こうすることでこれまで巣と一緒にプラスチック容器の中へ入って身動きが取れなくなっていた蜜蜂の犠牲蜂数が大幅に減り、今では数えるくらいになりました。今年は念願だった採蜜後の残存と、蜜蜂の犠牲という二つの懸案事項に進化の後が見られたことは、何よりも嬉しい出来事です。蜜蜂入居誘引のための日本ラン・キンリョウヘンはまだもう少し師匠の手助けが必要ですが、ここに来てやっと入門の域を脱しつつあるような気がしています。何はともあれ今年の養蜂はいい一年でした。来年もさらに進化を目指して頑張ります。

  4月から 9月中まで 6ヶ月 蜜蜂飼って それなり成果」

  「目標は 10升でした 努力して 17升と 予想を超えて」

  「蜜蜂の 犠牲も大幅 改善し 今では数匹 進化の後が」

  「来年も 今年以上に 進化する 自分に約束 させて終わりぬ」

今年最期の採蜜
今年最期の採蜜
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