人間牧場

〇クヌギの木の苗床植え替え

 一昨年の晩秋、プランターに蒔いたドングリがほぼ100%芽を出し、その後順調に育って20㎝ほどの大きさに成長しました。そろそろ根も詰まってきたようなので一週間前から、植え替えに挑戦しこのほど終わりました。まず植える畑に豆トラを入れて中耕して準備をしました。早速プランターから苗木を抜こうとしましたが、ドングリから出た根は長く伸びて絡み合っていました。一つ一つ根を解したり、長く伸び過ぎた根は剪定ばさみにで切って短く詰めました。

クヌギの木の苗植え替え

 プランター4つとパン箱1つの根を解すのにかなりの時間がかかりましたが、中耕した畑に目印の溝を掘り、一本一本丁寧に手スコップで穴を掘って植えて行きました。一列に20本程度を6列植えたので目標だった100本を超える成果です。今年は肥料を施したり除草をしたりしながら大事に育てて、来年の春には50㎝ほどの苗木にして、豊田漁港の見える丘のあちこちに植林する計画です。既に予定地の伐開も終えていますが、今年は柔らかい草が生えると思われるので、年に2~3回は草刈りをしたり片付けて準備をしたいと思っています。

1週間ほど前、この作業中に無理がたたったのかぎっくり腰になってしまいました。体調を崩せば元もこもなくなるのでしっかりと体調を整え、計画している里山運動を何としても成就したいと思っています。今回植え替えたクヌギの木の苗が順調に育ち、来年植林して順調に生育すれば10年間でクヌギの森が出来る予定です。ドングリの種が芽を出し、小さな苗になりました。気の遠くなるような10年の一大プロジェクトはまだ緒に着いたばかりです。10年後私は85歳の予定です。楽しみです。

「なんぼまで 生きるつもりと 妻が聞く 死ぬまで生きると 大笑いしながら」

「ドングリの 種を蒔いたら 芽を出して やっと苗木の 片鱗見える」

「中耕の 終わった畑 穴を掘り 植え替え完了 大きく育て」

「金かけず 1から始める プロジェクト 10年先を 夢見黙々」

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人間牧場

〇書いた記憶のない文章

 先日青少年教育施設に勤めているAさんという女性から、「私の書いた文章をパンフレットに使いたいので承諾して欲しい」旨の電話が入りました。「どんな文章でしたか?」と尋ねると、「子どもは創造的な遊びで大きく育つ」というタイトルの文章のようでした。藪から棒のような話でしたが断る理由もなく、「どうぞご自由にお使いください」と承諾し、「すみませんがその文章を、メールででも私の所へ送っておいてください」と頼みました。

Aさんから送られてきた、私がかつて書いたと思われる文章

 私は毎日少し長めのブログを2本書いたり、自著本を数冊出したり、色々な雑誌などに頼まれて四六時中文章を書いているので、これまでに書いた文章の全てを覚えている訳でもないので、Aさんからメールで届いた文章を見ても、「いつ頃書いたのだろう?」と記憶の糸を手繰るものの、傷んだ私の体内記憶装置はびくとも作動しませんでした。それでも読むほどに私でしか書けない独特のものがあって、これは自分の書いた文章に間違いないと納得することができました。

人間は口で物事を喋ったり、脳を働かせて文章を書いたりして、自分の想いを相手に伝えようとします。その根底にあるのはこれまでの経験と様々な学びで蓄積したものが、言葉や文章となって表現されますが、毎日の様にそうした学びで得たことを蓄積する一方、忘れるという人間独特の手法によって廃棄処分されるのです。未来は未知ですが私の考えだと人間は、過去の体験を基にした「なつかしい未来」を創ろうとしているのかも知れません。ふと気が付いて考えれば、かつて私が子どもの頃から今日までに経験した創造的な遊びが、未来の自分の目指す方向なのかも・・・。そういえば人間牧場も里山運動も「なつかしい未来」を創る活動や運動のようです。

「電話にて 私の書いた 文章を 使いたいので 承諾してと」

「はてそんな 文章書いた 記憶なく それでも断る 理由もなしに」

「メールにて 届いた文章 読んでみる 確かに私の 書いた足跡」

「体内の 記憶装置は 傷んでる 認知兆候 既に始まる」

 

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人間牧場

〇夕暮れ時のウォーキング

 今日の夕暮れ時、ちょっと時間が取れたので、タブレットを持って上灘川沿いをウォーキングしました。いつもは午前5時から午前6時頃通る暗い道も、小川のせせらぎの音やウグイスの初鳴きを聴きながら、目に映るそこそこの風景を写真に撮ったりしながら歩くと結構楽しいものです。

夕日とジェット機の飛行機雲

一本橋付近まで来ると西の空の夕日夕やけがとても綺麗に見えました。夕日のすぐ横に白い一筋の雲が現れました。航跡の先端をジェット機が速いスピードで飛んでいました。双海町上灘上空は沢山の飛行機が毎日の様に飛んでいて、特に夜になると飛行機の点滅ライトが西に東に北に南に飛び交っています。

野生の黄色い菜の花が道端に沢山咲いていました

 この時期は春の花の代表選手である黄色い菜の花が至る所に咲いています。種を蒔いた訳でもないのに自然に種が落ちて発芽し、自然に花を咲かせるのです。菜の花は黄色と緑のコントラストもよく、やはり春には欠かせない花の一つです。

あぜ道に咲き始めたレンゲソウの花

 鉄橋の下あたりまで来ると、田んぼのあぜ道に早くもレンゲソウが咲いていました。例年だとこの辺りでは3月中旬に咲くようですが、やはり暖冬の影響でしょうか?。レンゲの花の咲くのが年々早くなるようです。子どもの頃は月遅れの節句(4月4日)に、弁当を作ってもらいレンゲ畑の真ん中で弁当を食べながら、遊んだことを思い出しました。

上灘川に架かる長~い鉄橋

 上灘川に架かる長い鉄橋を山側、真下、海側から見るのも迫力があります。コンクリート造の太い橋脚や鉄製の橋は、夕暮れ時だったので郷愁を覚えながら見とれてしまいました。日ごろ何気なく見慣れている景色も中々いいものです。

「暇見つけ 一人夕暮れ 散歩する 幾つか写真 撮りつつのんびり」

「ジェット機の 後ろに白い 雲の帯 夕日に映えて 絵になる光景」

「菜の花や レンゲの花が 咲き揃い ウグイス初鳴き 春が来たぞと」

「コンクリの 太い橋脚 鉄橋を 角度を変えて 口開け見上げ」

 

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人間牧場

〇ヒジキの加工

 昨日は旧暦の2月2日大潮でした。本当は前日の新月の日に磯に出てヒジキを刈りたかったのですが、不運にも4~5日前からぎっくり腰を患っていて、それどころではなかったのです。昨日はそのぎっくり腰も随分よくなり、伊予市街の整骨院で朝一番再度診療してもらって帰宅しました。昼食を終えて仕事に出かける妻からは、「再発したら大変だからじっと養生するように」と釘を刺されていましたが、午後2時過ぎ手持ち無沙汰なため、軽い気持ちで鎌などの七つ道具を軽四トラックに積み込んで、とっておきの磯に出かけました。

大釜でヒジキを茹でる
薪を割るのも一苦労でした

 まだ潮の引くのが不十分でしたが、腰に負担をかけない程度ヒジキを刈りました。今年は暖冬の影響でヒジキの根元に別の海草が付着しているので、先の方を刈り車に積んで持ち帰りました。ヒジキをポリ桶に水を張って入れ、綺麗に水洗いして数日前からこの日のために用意していた大釜に入れながら、軒先の置いている薪を割ってかまどに火をつけ、茹でる作業開始です。ヒジキの加工は手間のいる作業です。薪に火をつけてから延々4時間も火を切らさないよう焚き続けなければなりません。

昨日の午後は良い天気でしたが、夕方から雨模様になるという天気予報通り、周りが暗くなる午後7時ころになると大粒の雨が降り出しました。大型の懐中電灯を点け、傘を差しながら20分おきに薪をくべ、8時30分頃に最後の薪をくべて火止めしました。昨晩大釜の中で一晩蒸されたヒジキは、今朝一番で蓋を取ってみると、程よい柔らかさに仕上がっていました。今日はこの茹で上がったばかりのヒジキを小袋に小分けして、親類や仲間にお裾分けしようと思っています。腰の具合も何とか持ち直してきました。早く治さないと農作業も待っています。

「このところ ぎっくり腰を 発症し おとなしくしろと 妻に言われて」

「新月は 大潮時と なりにけり いてもたっても いられず行動」

「磯に出て 少しだけれど ヒジキ刈る 釜で茹で揚げ 昨晩蒸して」

「加工した ヒジキみんなに お裾分け 腰の痛みも 忘れあれこれ」

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人間牧場

〇新鮮なお魚が届きました

 このところ春が近づいていることを実感するように、お天気が一日おきに目まぐるしく替わって、アップダウンの大きい気温寒暖の差は老いの身?にとって、体温調整が難しく体に堪えるようになりました。それでも妻の、終盤に入った冬野菜を使った手作り料理のお陰で、風邪も引かず心配なコロナウイルス肺炎にもかからず、ぎっくり腰になった以外は今のところ元気に日々を暮らしています

懇意な漁師さんから届いたお魚

先日漁師をしている懇意な友人から、カナガシラやホウボウ、アジなどの小魚がトロ箱に一箱届きました。カナガシラもホウボウもあちこちにトゲがあるので、専用の軍手をはめ、鱗を引いたり頭を出刃包丁で取ったりの粗調理を私がしました。現職の頃は見向きをする暇もないほど忙しく、家事に手を出す余裕などありませんでした。退職してから魚の粗調理だけは私の仕事に位置付けてやっていますが、今では包丁さばきもすっかり板につき、妻に重宝がられています。

 瀬戸内の小魚は粗調理するのに手間暇がかかりますが、生でも煮ても焼いても味は抜群で、魚の大好きな私にとってはこの上ないご馳走となっています。わが家はその昔漁業を生業にしていました。故に漁師さんの親戚も多いのですが、殆どの人が高齢で廃業し、魚を貰うことが殆どなくなり寂しい思いをしています。しかし長男息子の漁師をしている同級生や新たに懇意な漁師さんも出来て、こうして時々お魚が届くのです。これもまた幸せです。

「新鮮な 瀬戸内小魚 届きたる 早速私 粗調理する」

「小魚は 少々手間だが これもまた 楽しみながら ひと手間かけて」

「一匹の ウマヅラ皮を 剥いた後 肝を取り出し 三枚おろす」

「食卓に カワハギ刺身 肝つきで カナガシラ煮つけ 味は南蛮」

 

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人間牧場

〇社会教育主事講習の現地演習

 2月19日の午後、社会教育主事講習の現地演習が人間牧場であり、この時期は暖冬といっても少し肌寒いので早目に出かけ、掃除をしたり薪ストーブに火を焚いて準備を進めました。1月10日に現地で打ち合わせを行っているため人間牧場へは迷わず、難なく来るものと思っていましたが、担当の先生はその後不安で再度下見に来られたそうですが、結局道に迷ってしまい来ることが出来なかったそうなので、準備ができた所で下浜ルートで一旦迎えに下り、下灘コミセン前で落ち合い奥西ルートで到着しました。

 少し時間を押していましたが、許しを得て90分間、「社会教育の意義と社会教育主事の役割」について持論の蘊蓄を喋りました。社会教育主事講習と言えば、私が香川大学で講習を受けた45年も前の時代は、大学が夏休みになった8月に約1ヶ月間ホテルに寝泊まりして大学に通い受講しましたが、今は周年で受講できる方法もあり、便利な世の中になりました。この日受講に訪れたのは8人程でしたが、演習はこの程度の人数が最適なようでした。

 私は過去に社会教育という仕事に15年間携わり、その後も公私ともにずっと社会教育と関わって生きてきました。多分これからも関わって生きるつもりですが、少し気になるのは、社会教育に携わった人でも社会教育から一旦離れると、殆どの人が社会教育や地域づくりに無関心になることです。社会教育に携わった人こそ生涯にわたって関わらなければならないと思うのです。まあ人はどうであれ、私は私として出来る活動や運動をこれからも続けたいと思っています。

「社教主事 講習講師 頼まれて 人間牧場 薀蓄語る」

「ストーブを 焚いてお客の 来るを待つ 少し遅れて 牧場到着」

「若き頃 一ヶ月間 大学に ホテル泊まって 受講しました」

「早いなあ あれから光陰 矢の如し あっという間に 半世紀過ぎ」

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人間牧場

〇上灘四国88ケ所踏査(その7)

 上灘四国88ケ所の出発と終わりは久保集落の正光寺ですが、踏査の実態を最終章報告(その7)は大栄集落です。雪に埋もった奥大栄から大栄に入ると、県道沿いの剣な斜面に1体の石仏がありました。登ることさえ不可能と思える4mを超える高さなのに石仏の横には、恐らく地元の人が供えたであろうシキビが置いてありました。その後大栄の人たちが作って畑の畔に展示しているチコちゃん人形などの案山子を横目で見ながら、順次石仏を巡りました。

 大栄公民館の裏道沿いには石仏の後ろに隠れるようにもう一体の石仏が安置されている珍しい場所もあって、中々見応えがありました。正光寺の1番から午前10時ころに始めた上灘四国88ケ所の踏査が終わったのは、陽も西に傾いた午後5時ころでした。おたふくでの昼食を挟んで、急ぎ足ではありましたが行方不明の60番を除けば全ての石仏を踏査することができました。途中土砂崩れや積もる雪に行く手を阻まれましたが、これまでで一番短時間での踏査となったようです。

踏査を振り返って思うことはいっぱいありました。中でも石仏の置かれている場所がかなり傷んでいて、このままでは存続が不可能ではないかと危惧しています。石仏への信仰伝承は石仏周辺に暮らす人々の自主性に委ねられていますが、その人々も高齢化や過疎の進む中では中々といったところのようでした。差し当たり一度希望者を募り上灘四国88ケ所ツアーでも計画して、町民にこの実態を知ってもらうことから始めようかと、3人で相談しました。上灘四国88ケ所はわが町が遺し伝えなければならない貴重な文化的歴史遺産です。行方不明の60番石仏を探すこともとりあえずです。

「急ぎ足 たった一日 わが町の 88カ所 車で踏査」

「このままじゃ 88ケ所 草埋もれ 分からなくなる 何とかせねば」

「とりあえず 行方不明の 60番 石仏探す ツアーを計画」

「過疎高齢 生活文化 守るには 余りに難題 多過ぎ困る」

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人間牧場

〇上灘四国88ケ所踏査(その6)

 東峰には国道56号沿いにおきよの池というこじんまりした池があり、この近くに石仏があります。間もなく開通するスマートインターチェンジを過ぎて信号を右折すると、高見集落に出ます。公民館上の小高い丘にも石仏が何対かあり、お参りをしていよいよ上灘川の源流域奥大栄と進みます。県道の途中から通行止めのゲートが開いていたので奥へ進むと、西日本豪雨で大規模な土砂崩れが起きていて、先へ進むことができませんでした。

高見の石仏
大規模な土砂崩れの起きた奥大栄の道

元の道を引き返し県道に出て、大栄から細い道を通ってアタックしました。一昨年孫希心の夏休みの自由研究で「上灘川の源流」を取り組んだ時、息子と孫の3人で踏み入れたことのある道ですが、災害復旧工事の終わった場所もあり、何とか奥大栄集会所付近に辿り着き2カ所の石仏の調査をすることができました。奥大栄集会所前の坂道には雪が白く積もって、平地との寒暖の差を感じるほど気温が下がっていました。私が公民館主事をしていた若い頃はこの集落にもそれほど多くはありませんでしたが、集会所に集まって色々なが集会をやりましたが、恐らくこの集会所は使われなくなって久しい感じがしました。

雪の積もった奥大栄集落
私たちの足跡
使われなくなって久しい奥大栄集会所

双海町には30ほどの集落がありますが、その殆どは65歳以上の人が50%以上を占める限界集落だし、10年後に限界集落になるであろう準限界集落を含めると、半数以上の集落が集落機能を維持できない厳しい状態となっています。この状態を知ってか知らずでか、その解決策の妙案もないまま放置されていますが、中央にに立派な庁舎や文化施設がいくら出来ても、住民の暮らしは置き去りの感をぬぐい去ることはできません。この日はそんな地域学を学ぶよき一日となりました。

「大規模な 土砂崩れ跡 目の当たり 進めず迂回 別の道行く」

「山奥は 積雪ありて 別世界 同じ町とは 思えぬ光景」

「若い頃 映写機積んで よく来たな 使う人なく 今はひっそり」

「限界と 準限界を 加えれば この町 今に 消滅するぞ」

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人間牧場

〇上灘四国88ケ所踏査(その4)

灘町の踏査を済ませた私たちは、上灘川の上流沿線に設置された石仏を訪ね歩きました。中の宮、翠小学校横、三島公民館横、川本さん宅周辺から岡の地蔵寺へと進みました。地蔵寺には近隣から寄せ集めたと思われる7体もの石仏が整然と並べられていました。

今朝ウォーキングから帰りここまで書いて、今日はわが家に祀られているお地蔵さんの縁日なので、妻と二人で赤飯を炊いたり、その赤飯をお接待として配ったりしました。私は親類知人に15軒ばかり配りました。天気がすこぶるよかったので帰宅して畑に入り、昨日植え残ったクヌギの苗木の仮植えをし始まると、昨日と多少の無理がたたったのか、腰にぎっくり腰のような違和感を覚えました。あ~あです。動けなくなり、ブログを書くことも、ウォーキングをすることも出来なくなってしまいました。早速無理を言って伊予市の郊外にある玉井整骨院に電話をして診てもらいましたが、今のところ治る気配はありません。明日は友人の息子さんの結婚式に出席せねばならず、今夜の様子見といったところです。

 

 

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〇上灘四国88ケ所の踏査(その2)

 上灘四国88ケ所の石仏は、上灘川沿いに設置されていますが、上灘川には本流や支流が幾つもあり、急な山坂や狭い場所もあって、また道路の改修や拡張工事の度に場所が移動したと思われる順不同が幾つもあって、感と記憶だけでは分からないところが多いのです。上灘川の支流である両谷に入ると、まず東谷から始まります。丘の上の墓地にある東屋付近の丘の上に2カ所石仏が置かれています。私が役場に入った頃町長だった仲野和さんの墓標もあって、懇ろに手を合わせて祈りながら、お世話になった人に思いを寄せました。

両谷の丘の上の石仏
宮田さん宅横の崖の上にある石仏
永井さん宅前の小川に架かった一本橋を渡ったところにある石仏

その後、東谷の奥まった宮田さんの家の裏の3体は、道が崩れかなり急な場所にあるため、すぐ下までしか行けず、仰ぎ見ての調査となりました。3体とも苔むして時の流れを感じました。その後西谷の川沿いに奥へと進みました、恐らくこの奥にあった今は廃集落となっている、宮の滝集落との関係で設置されたのではないかと思わせるような場所でした。その後双海中学裏の池田さん宅(無住)横の石仏は、雑木や苦竹をかき分けての踏査となりました。その後永井さん宅前の石仏を終え両谷を終わりました。

石仏の安置されている場所は、陽の当らない場所が多く、石仏も表面の番号や寺名、本尊仏、それに本四国のお寺の所在を示す阿州・土州・予州・讃州という昔の国の名前は風化が激しくコケに覆われ、判読さえも難しい状態の石仏もありました。多分この状態はこれからも長く続くものと思われますが、再興の機運は未だ聞こえてこないのが少し心残りです。

「崖の上、雨上がりゆえ 上がられず 下から見上げ 手合わせ祈る」

「よくもまあ こんなところに 設置した 感心しつつ 先を急いで」

「その昔 この奥辺り 宮の滝 集落あった 訪ねてみたい」

「時流れ このままいくと 幾つかは 埋もれてしまい 忘れ廃れて」

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