人間牧場

〇5月最後の夕日

 四国地方は昨年より20日以上も早く梅雨に入りました。雨は大切な命の水なので、暑い夏までに十分降って水を貯えなければならないことは頭で理解しているのに、毎日ジメジメ・蒸し蒸しすると、気分が何となく憂鬱になるのも事実です。妻や若嫁は洗濯物が乾かない、私は畑仕事ができない、孫たちは外で遊べないと、それぞれ天に向かってブツブツ言いますが、私はどちらかというと雨や曇りで自慢の夕日が見れないのが一番の不満です。

わが家から見える美しい5月の夕日

 梅雨の晴れ間の夕日を期待しながら、多分わが家から見える5月最後の夕日かも知れないと思い、わが家の裏庭からタブレットで夕日を撮ってみました。本当は一眼レフのカメラで撮りたいところですが、カメラを用意するのが面倒で、最近は一眼レフどころかデジカメも使わず、タブレット内蔵のカメラであれやこれやを撮りまくっていますが、夕日夕景に限って言えばタブレットは、夕日を綺麗に撮ることは、自身の腕の非力さもあって不可能なようです。

 まだ初夏だというのに、後1ヵ月もすれば一年中で一番昼の時間が長い夏至を迎えます。6月21日の夏至の日を境に暦の上では陽が短くなるのですから、うかうかと日々を過ごすことはできません。残照を海に伸ばして青島の北辺りに沈む夕日を見ながら、「あと何年このころの夕日を見れるのだろう?」と、人間の長いようで短い人生のはかなさをしみじみと思うのです。今日も朝から曇り空です。でもカメラという優れモノのお陰でこうして記録し、虚像ながら何度でも目にすることができるのです。

「梅雨入りし 自慢の夕日 わが家から 見れない少し 寂しくもあり」

 「車庫上の 発電風車 シルエット 少し絵になる タブレットにて」

 「今年は 5月の夕日 見納めと 思って一人 裏庭座る」

 「悠久の 時超え沈む 夕日見て 人生はかなき 短さ思う」

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人間牧場

〇放課後子ども教室指導者研修会

 私は先生ではなくただの自由人です。だのに昨日愛媛県生涯学習センターで開かれた「放課後子ども教室指導者研修会の資料には、「双海町行政職員として、社会教育主事や地域振興を担当。平成15年から、旧双海町の教育長として教育行政に携わり、その後継続して、双海町の『ふるさと子ども体験塾』や通学合宿『夕やけ村』にも関わるなど、地域ぐるみの青少年健全育成に関して深い造詣をお持ちです。また、『人・家族・地域の再生』をテーマに私塾『人間牧場』を開き、地域づくりに取り組んでいる関係者の学びの場や、子どもたちの農業体験の拠点として人材育成にも取り組んでおられます。」と、私の似顔絵入りで面映ゆい紹介がされていて、すっかり恐縮してしまいました。

研修会風景
研修会風景

 はてさて60分の講演で何を話そうか色々考えましたが、会場満席の参加者の熱気に押されて、いつものようにアドリブな話に終始して思っていたことの半分も話せず、多少悔いの残る講演となってしまいました。私は現在大まかにいうと①愛媛県警察少年サポーター、②21世紀えひめニューフロンティアグループ代表、③双海町子ども教室実行委員長、④人間牧場主+育爺と、4足の草鞋を履いて、青少年に深く関わっています。少年サポーターは非行を犯した少年の更生を促す活動なので、青少年を取り巻く社会の裏側から子どもたちの状況を見ていますが、他はどちらかというと日の当たる部分で子どもたちを見ています。

 私の心の基底にはかつて青年団活動で手に入れた①仲間、②主張、③ふるさと、④感動、⑤学ぶ心、⑥社会の役に立つという6つの道具がありますが、先日観光列車「伊予灘ものがたり」に乗車した女性から知人を介してプレゼントしてもらった、坂本龍馬記念館で購入したという司馬遼太郎の「21世紀に生きる君たちへ」という本を読みながら、これこそ青少年の健全育成の基本であると思い、概略を紹介しました。司馬遼太郎のメッセージは要約すると次の2つです。

①世の中には昔も今も未来においても変わらないことがある。(人間は自然によって生かされてきた。歴史の中の人々は自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身を慎んできたが、現代に入って少し揺らいでいる。人間が偉い存在と思いあがった考えが頭を持ち上げている。人間は自然の一部にしか過ぎない)。

 ②21世紀に生きる君たちは自己を確立しなかればならない。(自己に厳しく相手にやさしくという自己を。自己といっても自己中心になってはならない。人間は助け合って生きているのである。助け合うという気持ちや行動の元はいたわりという感情である。「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」の三つの言葉は元々一つの根から出ている。根といっても本能ではない。だから私たちは訓練してそれを身につけなければならない。この根っこの感情が自己の中でしっかり根づいていけば、21世紀は人類が仲良く暮らせるに違いない)。

 司馬遼太郎が21世紀に生きる私たちに述べている、メッセージの根っこの感情を子どもたちの心の中に根付かせるための活動が、青少年の健全育成運動の基本であると思いました。そんな話をしたつもりですが、参加者の心に響いたかどうかは疑問ながら、いい雰囲気の研修会でした。

「ある女性 小さな本をプレゼント 司馬遼太郎作 メッセージ感動」

 「何のため どうしてするの 問いかける もちろん自分 心開けて」

 「どこ行くの いつまでするの 妻が問う 死ぬまですると 平気で答え」

 「沢山ん 人が集まる 研修会 知人友人 沢山会釈」

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人間牧場

〇子ども体験塾の集合写真が届きました

 公民館の隅田主事さんからメールで、先週土曜日に人間牧場で行なわれた子ども体験塾の集合写真が送れれてきました。これまでも毎年のようにやっているプログラムですが、今年の集合写真程美しい仕上がりはありませんでした。

アジサイの花に囲まれた子ども体験塾の集合写真

 というのも、私が毎年せっせと挿し木をして増やしてきたアジサイの花がウッドデッキ下で咲き始め、ウッドデッキを見上げるようにロケ風呂前の広場から狙った写真には、参加者は勿論のこと、咲き始めたアジサイが見事に彩を添えてくれていました。

ウッドデッキでジャガバターを食べる子どもたち

もう一枚の写真は、この日の昼食メニューのひとつであるジャガバターを、ツワブキの葉っぱで作ったにわか食器に入れて、ウッドデッキで美味しそうに食べている写真でした。アジサイの花は見る人の心を和ませてくれます。昨日四国は梅雨入りです。梅雨にアジサイはよく似合います。これから1ヵ月は人間牧場へ行くのがとても楽しみです。花見に来ませんか。

「毎年の ようにコツコツ 挿し木して 増やしたアジサイ 咲き始めたり」

 「四国では 昨日梅雨入り した模様 梅雨空似合う アジサイの花」

 「今年は 花に囲まれ いい写真 みんなの顔も どこか余所行き」

 「今年も 花後剪定 したならば 挿し木しようと 作戦練って」 

 

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人間牧場

〇トマトの初収穫

 家庭菜園と果樹園の中ほどに、夢だった小さなビニールハウスを造って3年目の夏を迎えました。ビニールハウスの側面窓を開け忘れ、植えた作物を太陽の熱射で焼いたりしたこともありましたが、屋外温度の上がった最近は側面窓も開き放しで済むし、水遣りも谷間灌水で水を流せば済むので随分楽にはなりましたが、4~5日ほおっておくと脇芽が伸びて、中々目が離せません。

今年初収穫したビニールハウスのトマト

 ハウスミカンを栽培している親友の小西千鶴子さんからいただいて、ビニールハウスの上にかけた寒冷紗のお陰で室内温度はそれほど高くなりませんが、骨組みそのもの高さが低いため、温度管理には気を付けています。ビニールハウスを造る時小西さんが、「ハウスの管理は中々大変よ」と注意してくれたことの本当の意味が、今頃になってやっと分かるお粗末さです。それでも私としてはビニールハウスを造って良かったと思うこの頃です。

 昨日は下葉付近のトマトが幾つか赤く色づいて、食べごろサインが出いるのを見つけ、背をかがめて畝間に入り10個ほどでしたが収穫しました。嬉しい今年初めてのトマト収穫です。勿論無農薬なので採って直ぐに1個だけ味見をしましたが甘さも抜群でした。梅雨入りした九州南部に続いて、もう間もなく四国は梅雨に入ります。雨が大敵のトマトなので、屋根をかけたビニールハウスのトマトは、順調に行けば昨年同様わが家の食卓を賑わせてくれる予定で、家族みんなの笑顔が楽しみです。

「菜園と 果樹園間 設置した ビニールハウス トマト色づく」

 「無農薬 ゆえに取り立て 試食する 味も抜群 これから楽しみ」

 「やってみて 初めて分かる ことだらけ 大変ですよと 言われた意味が」

 「梅雨間近か 屋根掛けお陰 今年も 美味しいトマト 存分楽しみ」

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人間牧場

〇子ども体験塾(その2)

 私が代表を務めている21世紀えひめニューフロンティアグループで、沖合に浮かぶ由利島で20年間にわたって実施した、無人島に挑む少年のつどいなどのノウハウを生かして、人間牧場では様々な活動を展開しています。子ども体験塾もその一つで、人間牧場の小さな畑にジャガイモとサツマイモを二毛作していますが、昨日は2月に植えたジャガイモの収穫体験でした。瀬戸内海を見下ろす標高130mの人間牧場からのロケーションは最高で、挿し木をして少しずつ増やしてきたアジサイも咲き始め、心配された雨も降らず絶好の活動日和でした。

咲き始めた人間牧場のアジサイ園

 人間牧場の諸施設は設計の仕事をしている息子が、私の希望を取り入れて設計をしているので思い入れも一入で、昨日はスタッフとして手伝ってくれるかたわら、風呂を沸かしてくれました。風呂はロケーション風呂と呼んでいる五右衛門風呂で、お湯は薪と灯油ボーラーの兼用ですが、息子は薪を焚いて風呂を沸かしていたようです。煙突のない一風変わった薪風呂なので、最初は室内に煙がもうもうと立ち込め、火事ではないかと見まがうほどしたが、程よく湧いて農作業の終わった子どもたちは足湯を楽しんだようです。

火事と思われそうな地下から出る煙

 大釜で茹でた堀りたてのジャガイモは、水洗いして湯がき、バターで転がしてジャガバターを作りました。ジャガバターを入れる容器はそこら辺に自生しているツワブキの葉っぱです。私たちが子どもの頃はツワブキの葉っぱを小枝で止め、その中に野イチゴや桑の実を沢山採って食べました。子どもたちの暮らしでは使い捨ての紙容器やプラスチックを使いますが、これもエコに配慮したアイディアです。また今回は紙の牛乳パックでホットドックを作ってみましたが、これも大好評のようでした。

「アジサイの 花咲きはじめ 牧場は 一気に初夏の 装いなりぬ」

 「わが息子 薪風呂沸かし 子どもらに 足湯サービス みんな喜ぶ」

 「ジャガバター 入れる容器は ツワブキの 葉っぱ使って 野趣に満足」

 「牛乳の パック利用し ホットドッグ まるで防災 味も抜群」

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人間牧場

〇旧瀬戸町魚成小学校を訪ねる(その2)

 昨日の昼過ぎ、サツマイモの苗を取りに旧瀬戸町魚成の旧友宅木嶋水産を訪ねました。潮風メロディラインと呼ばれる197国道頂上線を走り、瀬戸の道の駅で左折し、堀切の道を下りました。この場所は13里もある日本一細長い佐田岬半島の中ほどにありますが、かつてはここを掘り切って運河を作る計画が持ち上がった経緯があり、堀切大橋を見上げながら右三机(瀬戸内海側)、左魚成(宇和海側)の道路標識に沿って、魚成へ向かいました。

時間の止まった大きな柱解け
乗り手がいなくなった運動場のブランコ
学校の校門
学校の校舎
コンクリート壁に架かれた校歌

 つづら折りの道を下ると魚成地区に出ますが、静かな漁村の真ん中に細長い瓦葺の屋根を見つけました。何年か前今は亡き小学校の校長先生から、昔魚成小学校に校長として赴任していた話を聞いていたので、いつかは訪ねてみたいと思っていたので、木嶋さんがまだ自宅に帰っていなかったので、持参のタブレットを持って魚成の集落内を歩きながら横切りました。小学校は閉校して長い年月を経ているため、運動場も草に覆われ、歩くのもやっとでした。

 閉校の前年に葺き替えたという屋根だけが立派でしたが、校舎は周りを板戸で覆われ人の気配は全くなく、所々破れた隙間から昔の教室の姿を覗き見ることができましたが、多い時は200人を超えた児童が在籍したとも思えぬちょう落ぶりに心が痛みました。聞けばこの地区の子どもは現在3人だそうで、別の小学校へ通っているそうです。魚成に限らず地方の集落ではまるで時間が止まっているような寂しさで、日本の政治の貧困を嘆かざるを得ませんでした。

 私たちの地域にも、かつて田舎の学校に赴任した経験のある先生たちが何人もいますが、死ぬまでに一度だけでも学校を訪ねて欲しいと思いました。止まったままの大きな時計、乗り手のいなくなったブランコ、手洗い場、板戸が壊れた便所、色々な張り紙が去れたであろう掲示板などなど、見るもの全てに目を奪われました。運動場の隅のコンクリートの壁に書かれた校歌が印象的でした。

「堀切の 橋を見上げつ 左折する 魚成集落 今年二度目」

 「長い屋根 あれは閉校 小学校 訪ねてみたく 一人散策」

 「そこここに 歴史刻まれ 懐かしい 時計・ブランコ 往時を偲ぶ」

 「日本の 田舎朽ち果て しまうのか 政治の貧困 嘆かざる得ず」

 

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人間牧場

〇失われた記録

 国会や世間では記録や記憶が話題なっていて、記憶と記憶のバランスが崩れています。些細な個人のことながら、私も3日前不注意で携帯電話を洗濯機に入れてしまい、水没の憂き目に遭いました。水に弱いデジタル機能ゆえ、携帯電話に内蔵された電話番号や様々な情報は全て闇に消えてしまいました。何人かの友人から「バックアップ」していなかったセキュリティーの甘さを指摘されましたが、まあこれも一つの思い出として取っておきたいと思います。

新しくなった携帯電話

 寝ても覚めてもスマホを愛用している人のような、携帯依存症ではありませんがこの3日間、ズボンのポケットに携帯電話がない生活をしてみて、私もいつの間にか携帯電話に依存して生きていたことが分かりました。それでも携帯電話を止めるつもりはなく、早速NTTドコモショップの店に行き、色々な手続きを終えました。店内では女性職員さんが、今時ガラケーを買い替えようとする私を見て、この際スマホにしたらどうかと勧められましたが、タブレットを愛用しているのでと断りました。

 店員さんの話では手続きをして注文すると、明くる日の午後3時30分に店頭受け取りできると言うのです。早速昨日出かけて受け取りましたが、水没した前の携帯電話の内臓情報は結局バックアップされませんでした。早速帰宅してから新しい携帯電話に少しずつ電話番号を入力し始めましたが、ゼロに戻る訓練の出来ていない私には戸惑うことばかりです。携帯に内蔵されている毎日のウォーキング記録も、メール記録も、写真も一からやり直しですが、携帯電話の情報断捨離ができたと思えば一歩前進です。

「いつの間に 私も携帯 依存症? 失くし始めて 分かる貴重さ」

 「友人に バックアップは してないの? 聞かれ甘さを 笑われました」

 「洗濯機 中で携帯 泳いでた 溺れて中の デジタルパーに」

 「買い替えを 誘導されても また同じ 機種に乗り換え 頑固一徹」 

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人間牧場

〇何と草刈り機でツツジの剪定?

 わが家の家庭菜園果樹園は細長く200mもあります。ゆえに畦畔の草刈りも大変で、大汗をかいてやる気になれば1日で終わるのですが、さすがにこの歳になるときつい作業はご法度なので、のんびりゆっくりやっています。その畦畔に自分が挿し木して植えたヒラドツツジが4月下旬には綺麗に咲き、道行く人の目を楽しませてくれましたが、花の終わったこの時期は剪定の季節です。

 本当は一本一本丁寧に鋏を入れればいいのでしょうが、そんな暇はなく、最近は草刈り機の刃を新品のチップソーに付け直し、よく切れることをいいことに、まるで散髪屋さんのバリカンのように下草とともに刈りました。菜園横のツツジは一本一本を丸刈りしますが、果樹園横は田植えの終わった下の田んぼに、剪定した小枝が落ちないよう注意を払いながら、垂直に壁切り・天井切りをしましたが、背の高さほどもあるのこれまた大変です。

 花の終わった後の草刈り機による荒々しい剪定と、冬に一回マシン油の散布程度でお茶を濁していますが、いずれは果樹園横も丸がる剪定をしたいと思っています。自然が豊かでのんびりしている庭付き一戸建ての家に住む良さは、誰もが認めるところです。しかしそれにも限度というものがあって、わが家のように660坪もあると、この手入は将来誰がするのか?と思うと、気が遠くなります。幸い長男息子が同居しているので、私が親父から受け継いだように、息子もまた私から受け継ぐものと思われるものの、果たしてうまく行くかどうか疑問です。

 「花終わる ヒラドツツジの 剪定を 草刈り機にて 荒々しくやる」

 「新品の チップソー刃 切れ味も 抜群あっと いう間に 剪定終える」

 「この先の ことを思うと 気が重い 家を守るは 中々大変」

 「わが息子 親父と私 やったよう 出来るかどうか 心配しきり』 

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人間牧場

〇グリーンダイヤの輝き

 今年初めて家庭菜園でエンドウ豆作りに挑戦してみました。去年の秋ホームセンターでエンドウ豆の種袋を見つけ、多分300円程度の安さだったので、他の種と一緒に買いました。畑の空いた2畝に種を蒔いた所芽が出ましたが、その後は度重なる季節風に何度も何度も吹き飛ばされ、垣を作って誘因したものの多分駄目だろうと諦めていましたが、どうしてどうして早春ころから白い花が咲き始め、沢山実をつけました。

エンドウ豆はまるでグリーンダイヤのようです

 私はグリーンピースの豆ごはんが大好きなので、今年は実ったエンドウを何度も剥いて妻に渡し、エンドウ豆ご飯を足繁く炊いてもらい食べましたが、プーンと匂う豆ごはん独特の香りは何とも言えない至福でした。エンドウの収穫も茎や葉っぱが枯れ始め、そろそろ終わりに近づいてきたので、昨日は全てを引き抜き、残った豆鞘をちぎって皮を剥きました。ボールに一杯採れたので、妻は軽く茹でて冷凍保存し料理に使うようですが、もう1~2度豆ご飯を作ってくれるようです。

 私の労働時間を考えると、それほどの成果ではありませんでしたが、それでも300円の種がこんなに家族を喜ばせてくれたのですから、これはもう大豊作と言うべきです。来年はこの経験を生かして、他の豆類も作ってみたいと密かに思っていますが、先日親友の清水さんがfacebookで、「種や苗は半作以上の値打ち」、つまり種や苗が良ければ収穫も品質も良いものが作れると書いていました。種や苗を安いからと買い求めないよう、心がけたいと思っています。それにしても皮を剥いたエンドウの豆はまるでグリーンダイヤのような輝きでした。

 「種買って 半信半疑 植えてみた 300円の 投資に勝る」

 「エンドウ豆 皮剥きピース 豆ごはん 大好物を 今年何度も」

 「種と苗 良ければ半分 豊作と 友人知恵を 教えてくれる」

 「皮剥いた エンドウ豆の 輝きは まるでグリーンの ダイヤのようだ」

 

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人間牧場

〇子どもたちはトラックの荷台が大好きです

 わが家の庭の隅にツリーハウスならぬミニハウスができてから5ヶ月が経ちました。季節は春から夏へ、更には梅雨へと向かっていますが、ミニハウスへは学校から帰った近所の子どもたちが連日のようにやって来て、大入り満員の盛況です。最近は近所の大人も噂を聞きつけて見学にやって来て、まるで観光スポットのような賑わいです。

トラックの荷台乗った子どもたち

 内孫奏心は小学校3年生になりましたが、通っている由並小学校は小規模校ゆえ生徒数が少ないばかりか、学年によっては女の子と男の子のバランスが崩れていて、3年生は男の子が僅かに3人だそうです。ゆえに遊びに来る子どもも女の子が羨ましいほど多く、昨日は女の子の賑やかな声が響いていました。

 子どもたちはトラックの荷台に乗って遊ぶのが大好きで、73歳の私を「進ちゃん」と呼んでくれていますが、「進ちゃん、トラックの荷台に乗っていい」と前置きし乗りました。私も幾分ふざけて悪乗りし、家の敷地の中を子どもを乗せて前進やバックをしてサービスしてやると大喜びでした。

 挙句の果てはトラックの荷台に乗った記念にと、写真を撮るようせがまれました。底抜けに明るいふざけた顔の子どもたちの姿はいいものです。この子どもたちの中には週末に予定されている人間牧場での子ども体験塾に参加する子もいて、今からとても楽しみです。

 「ミニハウス 昨日も大入り 満員で 子どもの笑う 声が聞こえる」

 「73 なった私を 進ちゃんと まるで友だち 親しみ込めて」

 「トラックの 荷台に乗って 子どもたち 遊ぶの大好き 一車なんぼだ」

 「女の子 生まれた時から 賑やかで 一オクターブ 高い声々」

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