人間牧場

〇ゴールデンウイークどこへ行こうか?(その2)

 年金暮らしゆえ、人様のように海外旅行や国内の「高・遠・長」ではなく、「安・近・短」で済まそうと、思いつきバッタリで南予へ向かいました。とりあえずの目的地は宇和島市津島町の日本庭園南楽園です。昨年足摺岬へ出かけた帰り道立ち寄った時の印象がとてもよかったらしく、妻から「南楽園へ連れて行って欲しい」とリクエストがありました。「よっしゃー!任せておけ」とばかりに長浜から大洲経由で西予市宇和町まで地道を、西予インターから無料区間の高速道路を津島町まで走り、10時前に南の楽園=南楽園へ到着しました。入園料はシルバー割引きで一人半額の150円でした。

南楽園案内看板
南楽園の長閑な風景
南楽園の広さは別格です
買い求めたオオデマリの花
橋のたもとの九島大橋の記念碑
九島大橋をバックに

 園内はまだ人影もまばらで、抜けるような青空や目の覚めるような緑の中をのんびりと歩いて散策しましたが、南楽園は梅、桜、ツツ、ショウブとそれぞれの季節の顔があり楽しみ方があるようです。園内の茅葺休憩所で抹茶やお団子を注文して、食欲と風流を楽しみましたが、そのうち家族連れも来援し、園内のチェックポイントを回るスタンプラリーも始まって、子どもたちが賑やかに走り回っていました。園内ではバラや花木の即売もあって、妻は欲しかった白いオオデマリとブーゲンビリアの赤い花を買い求めていました。南楽園はいつ訪ねても綺麗に手入れがされていて、気持ちの良い公園でした。

 その後高速道路無料区間を宇和島南インターまで引き返し、私の母校愛媛県立宇和島水産高校を右横に見ながら石応方面に行く道から、九島に架かった大橋を見に行きました。二年前に開通した九島大橋を渡るのはこれで4度目ですが、妻は初めてらしく九島の家並みや養殖いかだの浮かぶ風景に見入っていました。九島へは何度かフェリーで講演にも出かけた経験がありますが、離島だった島に夢の大橋が架かり、人々の暮らしも一変したようですが、橋がもたらす便利さと引き換えに、島の人々が長年培ってきた文化が薄れることのないよう、みんなで頑張って欲しいものです。九島の知人友人の顔が浮かびました。

 「津島町 日本庭園 南楽園 妻と二人で のんびり散策」

 「ああそうか 私も妻も シルバーの 割引対象 そんな年齢」

 「オオデマリ 花買い求め 嬉しそう そんな姿を 写真に一枚」

 「宇和島は かつて3年 住んだ街 かすかな記憶 妻に聞かせる」

 

 

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人間牧場

〇キューリの垣づくり

 家庭菜園に野菜の苗を植え付けて1週間ほどが経ちました。今のところ順調に育っていますが、少し大きめの苗だったキューリは、早くも伸びて地上を這い始めたので、垣を作ろうと畑に出ました。昨日は土曜日半ドンだった妻も仕事から帰って昼食を済ませ、少しの時間でしたが網を張ったり横竹を縛る作業を手伝ってくれ、大助かりでした。

漁網を利用したキューリの垣

 これまでキューリは竹垣のみで作っていましたが、今年は漁師さんから頂いた少し粗目の流し網の漁網を使ってみることにしました。網目の端を拾って竹に入れ、広げて縛る算段ですが、上手く行くかどうか半信半疑といったところです。キューリは実がなり始めるとかなりの量がぶら下がります。今年も昨年に引き続き5本植えましたが、最盛期には毎日収穫しても食べるのが追い付かないほどよくできるのです。

 傍に自然に落ちた山芋のムカゴが芽を出し、ツルを伸ばし始めました。昨年もムカゴが沢山なって、その重みで支柱が倒れた苦い経験があるので、冬の間に大きな鉄パイプを2本両側に埋め込んで用意をしていたので、横棒を縛り、枝の付いた竹を立てて一丁上がりです。最近は竹切りが面倒くさいので、100円ショップダイソーで、1本100円の偽竹を10本単位で買い求め、使っていますが、今のところ何の問題もなく便利です。そろそろトマトやつるありインゲンの垣も作らねばなりません。忙しくなりそうです。

 「菜園の 植えた野菜の 苗伸びて そろそろ垣を 作る作業を」

 「最近は 竹切り面倒 ダイソーで 1本100円 買って偽竹で」

 「今年は 貰い受けたる 網使い 半信半疑 やってみました」

 「山芋の ムカゴ芽を出し つる伸ばす 垣の小道具 調達苦労」

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人間牧場

〇親友の送別会

 昨夕JR松山駅近くにある北斗というレストランで、この春60歳で県庁を定年退職した親友山本司さんの送別会が行われました。送別会は普通退職直前に行うものなのでしょうが、山本さん自身が夢工房というグループの事務局としてお世話をしていただけに、その世話をする人も年度末や新年度で慌ただしく、馬越さんがその役目を買って出てくれて、何とか4月中の送別会となりましたが、今まで沢山の仲間が送別会をしてもらっているだけに、山本さんの送別会を早くしてあげたいと思いながら遅れてしまい、申し訳なく思っていました。

送別会の主賓山本司さん

 昨日は山本さんの明るい性格や深い親交の人柄をしのばせるように、沢山の仲間が集まり、大いに盛り上がった送別会となりました。私も山本さんの子どもさんを無人島キャンプに連れて行ったり、山本さんの奥さんの赤ちゃんを助産婦の娘が取り上げたりと、公私にわたって深い親交をしていますが、山本さんの最後の職場が、これまた私が長年にわたって深いかかわりを持っているえひめ地域政策研究センター所長だったので、感慨深げに皆さんの送る言葉に聴き入りました。

 退職後は県の用意した測量関係協会の事務局長として再出発をしていますが、まちづくりに関わった経験を生かして、えひめ地域づくり研究会議の代表運営委員として、その重責を担うようで、何はともあれ元気に第二の人生のスタートが切れたことを嬉しく思っています。それにしても夢工房という小さなグループもリタイアした自由人が増え、また聞けばその後成人病などにかかり体調を崩している人も多く、「健康が何より」を再認識して午後8時半に再会を約束し散会、高岡さんを松前の自宅近くまで送って帰宅しました。

 「一ヶ月 遅れて友の 送別会 再就職も 決まってホッと」

 「何かしら 公私にわたり 親交が 深くて広い 仲間60歳」

 「あの実は・・・ 次々飛び出す 病歴の 話に驚き 年齢納得」

 「健康が 一番ですと 言う私 今のところは 問題もなく」

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〇通りすがりの藤棚

 海岸国道378号は通称夕やけこやけラインと呼ばれています。最近は国道沿いに花を育てる人が増えています。富貴の尾崎さんがたった一人で育てている藤棚などもすっかり有名になって、観光列車伊予灘ものがたりを入れたインスタ映えした写真を撮る人も結構多いようです。

見事に咲いたくじらの藤の花

 昨日人間牧場の草刈りをして帰る時、採取した山フキを、私の妹が経営しているくじらというお店に立寄り、お裾分けしてやりました。親友の稲葉さんも立ち寄っていてみんなで世間話に花を咲かせましたが、お店の横の空き地休憩所の藤棚も結構綺麗な紫色のフジが咲いていました。

 この藤棚も富貴の尾崎さんのご指導を得て世話をしているようですが、蜜蜂やチョウチョも蜜を吸いに集まりますが、人間もまた花には寄ってくるようで、初夏と思える日差しを遮るように頭上に咲く見事な藤色の花を愛でながら、何人もの人が憩っていました。

「草刈りの 帰り立寄る 妹の 店先藤の 花が満開」

「藤の花 甘い香りに 包まれて 蜜蜂数匹 静かな羽音」

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〇親友3人の相次ぐ来訪

 一昨日は午前中2人、午後1人の親友3人が相次いで来訪しました。まず1人目は砥部町の稲葉さんです。稲葉さんは砥部町で車ハウスという車の修理工場を経営していますが、数年前からその経営を息子に譲り、双海町の畑を買い取って砥部から通って農業をしている、失礼ながら変わり者です。いつものことながら、電話で稲葉さん「今どこですか?」、私「自宅にいる」、稲葉さん「じゃあちょっとお邪魔していいですか?」、私「どうぞ」てな調子で、電話を切ると5分以内にやって来るのです。これもアポイントの方法だと納得しながら、縁側に座ったり菜園を案内しながら、四方山話に花を咲かせるのです。「遊びの農業は楽しいがご飯を食べる農業は苦しい」と、私は口癖のように稲葉さんに話していますが、どうやら無農薬によるこだわりの農業も板についたようで、経営的にはまだまだの感じには見受けられますが、目を輝かせて話す姿に納得しています。

野菜の苗植え手伝いながら

 一昨日の朝、南宇和郡愛南町内海の北原さんから電話がかかってきました。北原さんとはもう40年も前の若い頃、一緒に青年の船に乗ってアメリカやメキシコに行った親友です。松野町の役場を辞めて青年の船に乗り、帰国後教員採用試験を受けて教員になりましたが、諸々が縁で私が主宰する21世紀えひめニューフロンティアグループに加わり、無人島キャンプや丸木舟航海などなどの活動を、一緒に今もやっている仲間です。思うところがあって55歳で教員を辞め、牛やヤギを買うなどアウトドア―三昧の暮らしをしていましたが、2年前群馬の大学に入学し、この春2年間の一人暮らしや学業を無事終えた、失礼ながら変わり者です。北原さん「今日いますか?」、私「午前中ならいます」、北原さん「これから行きます」てな調子で、2時間かけて軽四トラックで11時にわが家へやって来ました。これまでの学生生活や、これからどう生きるか、深い話をしましたが、反対しても目を輝かせてやる行動力にはいつも脱帽しています。

 一昨日の朝、親友の浜田さんから「今日の午後空いていますか?」と電話がかかってきました。私「午後は野菜の植え付けを予定していますが、自宅にいます」。浜田さん「じゃあお手伝いしましょう。午後3時ころに伺います」。私「じゃあお願いします」。てな調子でやって来る浜田さんの変わり者の一人ですま。晴れのち夕方から雨の天気予報だったので、急がねばと思い、前もって畝立てしていた畑に、それぞれの苗を定規で測って置きました。その内やって来た浜田さんは作業着に着替えてせっせと植えてくれました。浜田さんは人間牧場を造った時の新聞記事を見て、年輪塾に入塾したいと申込書を持って来た人で、まちづくり学校双海人の校長を務めている人でもあり、何かにつけて深い話をする読書が趣味の人なのです。農作業を終え一段落したところで、親父の隠居で四方山話に花を咲かせました。この春から愛媛大学の社会人講座も受講するし、私も講義を頼まれているので、またまた今年度も新しい関りがあるようです。三人三様それぞれがそれぞれに生きているようで、私とのご縁も益々深まりそうです。

 「私には 深い関り 持った人 沢山ありて 学びも多く」

 「空いてます? 電話でアポの すぐ後に 行動するとこ 私に似てる」

 「会った人 三人三様 それぞれに これからどうする まさぐりながら」

 「実践の 中で学んだ 論理だが 年上ゆえに 助言なるかも」

 

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人間牧場

〇福撒きで大当たり

 先日22日の日曜日は、氏神様である天一稲荷神社の春のお祭りでした。私たちは牡丹茶会と親類の初節句祝いに招かれ日中は留守でした。息子たち家族も親類へ出かけていましたが、夕方氏神様である天一稲荷神社の春祭りで福撒きがあるというので、孫たちは私たちより一足先に帰って餅を拾いに出かけたようでした。3年生と5年生の孫なので、最近はかなりすばしっこくなって餅拾いの要領を掴んだようで、毎回お餅に加えあれこれの景品を貰って帰り得意になっているようです。

氏神様の春祭りで大当たりしてもらった扇風機

 日曜日には5年生の孫希心は番号の付いた福引き券を拾ったようですが、近所に住む80歳を超えた私の叔母が拾った福引券と換えてもらったところ、それが大当たり商品でリモコン操作ができる扇風機だったようです。夕方6時ころ孫2人は扇風機を持ち、得意満面な顔で意気揚々と帰ってきました。思わぬ大当たり商品にわが家は賑やかな一日となりましたが、叔母と交換したとは言いながらどこか気になって仕方がありませんでした。

 昨日ウォーキングの途中で福引券を換えたという叔母に出会いましたが、納得ずくのことだったらしく別に気にしている様子もなく、むしろ孫との会話が楽しかったと説明してくれました。孫希心「おばちゃん、僕の当たりくじとおばちゃんの当たりくじを換えてください。お願いします」。叔母「あなたはどこの子ども?」。孫希心「僕は灘町一丁目に住んでいる若松進一の孫希心です」。叔母「若松進一さんは私の親類です。おばちゃんの顔を知っているかい」。孫希心「はい、ちょっとだけ覚えています」。叔母「まあ嬉しい福引券を換えてあげる」。孫希心「ありがとうございました」と、まあてな調子だったようですが、叔母と一緒にいたお友だちのおばさん連中が、「まあはっきりして感心な子どもじゃねえ。さしが進ちゃんの孫ですね」と褒められて、叔母も「鼻高々だった。さすがあんたの孫じゃあ」と褒めてくれました。

 孫たちはその夜、福撒きで当たったリモコン操作のできる扇風機を自分たちの部屋に持ち込んで、かけたり止めたりしながら遊んでいたようですが、いい夢を見たに違いありません。なぜ孫希心が自分の当たりくじと叔母の当たりくじを換えようと思ったのか、また叔母の持っていた101番の当たりくじの景品が扇風機と知っての行動だったのかは知る由もなく、まあ触れることなくこのままそっとしておいてやろうと思っています。

 「氏神の 春祭りには 餅撒きが 景品沢山 あるので孫も」

 「大当たり 特等景品 扇風機 当たった孫は 得意満面」

 「よく聞けば 叔母に当たった 101番 孫頼み込み 交換したとは」 

 「稲荷さん 狐つままれ 孫に福 未だに解せぬ 事の顛末」 

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〇晴光院での牡丹茶会に招かれました

 一昨日の日曜日、妹宅の初節句と松前町神崎の晴光院の牡丹茶会にダブって招かれていたので、とりあえずまず先んじて晴光院の牡丹茶会に出席しました。今年は全ての花暦が1週間から10日ほど早く進んでいるようで、「ひょっとしたらもう散っているかも?」と、心配しながら夫婦で出かけましたが、境内で芳名録に名前を記入して山門をくぐると、住職さんご夫妻に温かく出迎えていただき本堂に入りました。

名残の牡丹
山門をくぐり本堂へ
双海町の籐人形作家長見さんと妻は談笑
若い和尚さんの見事なお茶作法
清楚で風流な茶花
坂村眞民さんの「念づれば花ひらく」

 本堂には毎年のことながら丹精込めたそれは見事な籐人形など、趣味の作品が並べられ、作った人たちが楽しさや苦労話を聞かせてくれました。その中に双海町くい野の長見初恵さんの作品もあり、一年ぶりに再会して思い出話に花を咲かせました。その後別棟のお茶室に案内され、緋毛氈の上席をいただいて、若い和尚さんのお茶立ての手並みを拝見しながら住職の奥さんの茶道具のこだわりを聞きました。茶器の中には柿右衛門の名器もあって、興味のあるお話でした。

 お茶をいただいた後境内の庭に出て、すっかり散ってしまった牡丹の花の中に残った名残花を見学しました。残念ながら牡丹の花の前で、「立てば芍薬座れば牡丹」の妻?の写真を撮りたかったのですが、来年までお預けとなってしまいました。今年は殊の外寒かった冬を越しただけに待ちに待ったけれど、春は急ぎ足で過ぎようとしています。わが家の100mもある長いツツジの生け垣も、今日あたりが満開のようですが、残念ながら雨に濡れています。

 「晴光院 今年も牡丹 お茶会の 案内受けて 妻と出かける」

 「境内の 牡丹の花も 今年は 散ってしまって ビデオで花見」

 「緋毛氈 上席いただき 和尚さん お茶のお手並み 拝見しつつ」

 「本堂に 展示している 籐人形 知人加わり 見事出来栄え」

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〇妙見山と慶徳寺

 双海史談会の総会を兼ねたエクスカーションで、松尾集落にある妙見山を訪ねました。妙見山へは小学校の時の遠足で、また公民館主事をしていたころ、松尾地区の花見に招かれ何度か訪ねたことがありますが、多分もう20年間も訪れたことがなく、おぼろげながらの記憶ですが、妙見山の小高い丘は公園になっていて、中央に妙見神社があり、その周囲には水戸黄門さんが持ち歩いているような根元がコブコブした妙見竹が生い茂っていました。遠足に訪れた時にその竹が欲しくて、地元の人がお土産に掘ってくれたこともかすかなよき思い出です。

モミジの新緑の下で
満開の自生ミツバツツジ
妙見神社
堀切空堀の跡
慶徳寺での座禅体験
座禅体験
慶徳寺の前庭から見える伊予灘の海

 車3台に分乗した一行は、細くて曲がりくねった富貴からの道を通って妙見山に到着すると、早速広場へ竹田さんが用意してくれたブルーシートを広げ、ぴちぴち市に頼んで作ってもらった弁当を広げて昼食を取りました。雲一つない絶好の行楽日和で、紅葉の新緑も鮮やかな緑陰で舌鼓を打ちました。この周辺は桜の名所ですが既に散っていて、野生の鮮やかなミツバツツジが満開に咲いていました。この一帯は中世の城郭滝山城の郭の一部となっていて、空堀の跡が今もきちんと残っていて、竹田さんや磯田さんの説明を興味深く聞きました。

 総会の後慶徳寺まで下山し、山口住職さんの指導で座禅体験をしました。座禅体験も住職さんの法話も興味深く、また寺宝の古い袈裟も見せていただきました。高齢のため史談会の例会には来られませんが、近所に住む西岡さんもお饅頭を持って元気な姿で見えられました。慶徳寺の前庭からは穏やかな春の伊予灘の景色が見え何とも言えない清々しさで、大満足の一日でした。

 「過疎地ゆえ 空き家が目立つ 集落に 足を踏み入れ 出会う人なく」

 「広場にて 弁当広げ 雑談し まるで遠足 昔懐かし」

 「妙見山 小学校の 遠足で 訪ねた昔 思い出される」

 「慶徳寺 住職さんの ご指導で 座禅体験 無の境地なる」

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〇コブダイににらまれました

 昨日は21日は、わが家の入り口にお祀りしているお地蔵さんの縁日でした。妻は昨夜遅くに小豆を炊き、もち米を研いでお接待用の赤飯を作る準備をしていました。朝6時にウォーキングから帰ると、妻に頼まれて屋外炊事場のガス台へガス釜をセットし、ガスの元栓をONにして点火しました。やがて朝食をしながら20分ほど待つとどこからともなくご飯の匂いが鼻に届きました。

噛みつきそうなコブダイににらまれました
トロ箱からはみ出した8キロもあるコブダイ

 早速妻は持ち込んだガス釜の赤飯を、仏様・神様・お地蔵様のカワラケによそってそれぞれに、お祈りしながら私が供えました。その後妻はポリ容器に盛り付けて余熱を取りました。私は冷めた赤飯の蓋を閉めてゴムバンドで止め、荷造り紐で編んだ手提げカゴに5個入れて近所へ配りましたが、毎月の恒例行事なので皆さん心待ちにしているようで喜んでくれました。

 その後10個余りを軽トラに積んで少し遠い下灘まで配って歩きました。日喰いの従兄弟に渡すとヨーグルトを、下浜の従兄弟に渡すとお供え賽銭の千円をいただき、また同じ下浜では叔父が、港の生け簀に生かしている大きなコブダイを揚げてくれました。コブダイは8キロもある大きなもので、打ちカギで急所にヤラを入れてもらったものの、帰るまで計四トラックの荷台で大暴れしていました。

 自宅へ帰ると早速屋外炊事場に運んで、軍手をはめて粗調理を始めました。固くて大きい鱗を取るのも半端ではなく、また出刃包丁で捌くのも容易ではなく、難儀をしつつどうにか頭を落として3枚におろすことができました。身はその名の通り真鯛に似ていて分厚く、タッパーに入れてラップをかけ、アラとともにとりあえず専用の冷蔵庫に入れましたが、妻は食べきれないのであちらこちらにお裾分けしたようです。それにしてもコブダイの顔はとてもグロテスクで、今も脳裏に焼き付いています。昨晩は食卓に用意された刺身も煮付けも最高の味でした。

 「縁日の 接待赤飯 あちこちに 配ってみんな 手合わせ感謝」

 「赤飯の お礼あれこれ いただいて まるで私は わらしべ長者」

 「いただいた 8キロ強の コブダイを 1時間かけ 粗調理する」

 「コブダイの 顔ににらまれ 出刃包丁 躊躇はしたが それでも何とか」 

 

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人間牧場

〇小さな訪問者

 昨日の午前10時ころ、家の下の道付近が急に騒がしくなりました。公民館の隅田主事さんが自宅へ見えられ、間もなく始まるふるさと体験塾の募集要項の最終チェック打ち合わせを終えた時間だったので、外に出て長い塀越に見ると、近くの上灘保育園児たちが保母さんに連れられて散歩の途中でした。塀越に見えるわが家の鯉のぼりが気になっているようだったので、手を振って「鯉のぼりを見に来ませんか!!」と声をかけると、保母さんが「いいですか」と言って、一個連隊がゾロゾロやって来ました。

園児が鯉のぼりを見にわが家の庭へ来ました
空を見上げて鯉のぼりを数えていました

 私が「ようこそ。鯉のぼりさんたちもみんなが見に来てくれたので喜んでいます。鯉のぼりは何匹いるでしょう?」と問いかけると、年長さんがリードしてみんなで「1つ、2つ、3つ~」と、大きな声をかけて数えてくれましたが、15匹のはずなのに、15・16・17~と15匹を通り越して数える掛け声に、思わず大きな声で笑ってしまいましたが、何ともほほえましい田舎の子どもたちです。中には「当たったら何くれるん」とシビアな要求も出て、保母さんたちも思わず顔を赤らめました。

 都会では保育園に入りたくても入れない、待機子どもが多いというのに、田舎の保育園は園児の数が少なくなって、この先保育園を維持することすら難しい雲行きです。聞けば来年度の由並小学校へ入学する園児は僅か1人だそうで、巷ではもっぱらその話で持ちきりのようですが、何の増やす努力もなく推移しているようで心が痛みます。わが家ですら祖父母が12人、父母が5人、私たち夫婦が4人、長男息子夫婦が2人とそれぞれ子どもの数を減らしています。子どもの数は折り紙と一緒で、1人の子どもだと1枚、2人だと2つ折りで人口は増えません。わが家のメダカ鯉のぼりのように沢山の子どもが元気で大空を泳いで欲しいものです。

 「下の道 園児賑やか 散歩中 おいでおいでと 声かけ誘う」

 「鯉のぼり 何匹いるか 数えてね ひい・ふう・みい・よう 数越え数え」

 「当たったら 何をくれるん 要求の シビアな子ども 先生赤面」

 「来年は 入学する子 一人だけ 嘘・本当と? 聞き返す人」 

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