人間牧場

〇地四国大久保八十八ヶ所調査(その2)

 来月に迫った子ども体験塾の大久保八十八ヶ所巡りの調査のため、双海町大久保地区の本谷と石久保を中心に、宮本館長、隅田主事、それに私の3人は、地図上に示された番号と写真を頼りに車に乗ったり歩いたりしながら、石仏を探しました。今回は正法寺周辺11個、石久保公民館周辺8個とかなりの石仏が集って安置されていたし、交通の便もよかったので、思ったほど難しくはありませんでした。

本谷の棚田風景
88番から見える西の海

 幸運にも農作業をしていた地元の大森さんや成岡さんに出くわし、いずれも3ヶ所ずつ場所を教えてもらったため、昼までに踏査を終えることができました。この分だと子どもの足でも午前中いっぱいで回れる可能性が出てきました。八十八ヶ所はまるでスタンプラリーのように順番に沿って歩くのが習わしですが、今回は大久保の本谷、石久保、閏住、富岡、日喰の5集落に点在しているため、それも叶わず最初の1番~16番、中を飛ばして最後の74番~88番で桔願になりそうです。

 それにしても本谷、石久保集落からの眺望は素晴らしく、眼下に瀬戸内海や遠くは芸予・周防の島々が手に取るように見え、また最近少しだけ有名になっている本谷の棚田の風景も見飽きぬ風景でした。地四国大久保八十八ヶ所がいつ頃から始まったかについては、はっきりした記録はないようですが、富岡の道祖神に文化8年未という文字があり、仏峠の道祖神の灯篭に古橋念仏講連中が文政13年寅に奉献した旨が記されていることから、大久保八十八ヶ所ができたのは、今から200年ほど前の江戸後期のようです。

 戦前まで春夏のお大師様の縁日には、多くの善男善女がお札うちに訪れ、それぞれの集落で赤飯、うどん、いり豆などでお接待をしたそうですが、もうそんな思い出を語れる人もいなくなりつつあるようです。2年前地四国上灘八十八ヵ所を巡拝しましたが、大久保の八十八ヶ所は後背のない石仏だけのものも何体かあるようでした。何はともあれ子どもたちにふるさとの歴史を伝えることは、今に生きる私たちの務めなので、しっかりとその役割を果たして行きたいと思っています。 

調査する宮本館長と隅田主事

  「ふるさとの ことは住んでる 人に聞け これが基本と 教えられたり」

  「200年 前に誰かが 安置した 八十八体 歩いてまいる」

  「地四国は 謎々多く ミステリー 暇ができたら 1人で歩こう」

  「200年 風雪耐えて ふるさとの 姿見つめる 声を聴きたい」

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