人間牧場

〇家をつくって子を失う

 10畳ほどの広さの私の書斎には、壁面一面を使って書棚を作っています。この書棚は半分が私のもの、半分は息子のもので、共用して使いっていますが、リタイアした私と現職の息子では、本の量もジャンルも違うため、水と油のように相容れない部分がるようです。建築設計の仕事をしている息子はいつの間にか本の量も増えて、私の領域まで侵し始めています。時々注意をするのですが馬耳東風とばかりに聞き流され、この分だと主の私はいつまで経っても、肩身の狭い気持ちで過ごさなければならないようです。
 最近パソコンを打つ手を休めてしばし物思いにふける時、息子の読んでいる本の幾つかに目を通しています。その中に「家をつくって子を失う」というショッキングな題名の本があり、興味を誘われてページをめくりました。息子はこの本に共鳴したのか、付箋をかなりの数挟み込んでいるようでしたが、著者の松田妙子さんという人の本心が知りたくて、前書きをざっと読ませてもらいました。

 著者が立派な家から出てきた半ズボンの子どもの姿を見て、ズボンの前のジッパーが開いたままになっているのに気付き、「僕、ズボンのジッパーが開いているよ」と注意をすると、何を思ったのかこの子どもは著者に対して、「この助べえ女」と一蹴したようです。こんな立派な家に住みながら、何故にこんな粗雑な言葉しか言えないのか、衝撃を受けた建築関係の仕事に携わる著者の物語はここから始まるのです。
 日本は戦後の混乱期から抜け出し、高度成長の追い風に乗って日本人の殆どが、自分の家を持ちました。それらの家は機密断熱工事が施され、空調施設も完備した夢のマイホームで、家族それぞれにプライバシーが守れる個室が用意され、特に子ども部屋はどの家にもあるのです。かつて障子やフスマの文化だった日本の家屋は、いつの間にかドアの文化に様変わりして、同じ屋根の下に住み親子だと言うのに、まるで孤独な人間のの集合体で、家族の穏やかな人間関係で育まれるはずの、家庭教育がなされぬまま子どもは成長しているのです。

 言われて見れば日本の子どもの教育、とりわけ家庭教育は誰からも束縛されることもなく、また指摘されぬまま放置され、子ども部屋の危険は今もなおざりにされたままになっているのです。
 私の住んでいる田舎では、古民家の立派なお屋敷があるのに子どもが都会に出て、年老いた親がひっそりと暮らしていたり、空き家になっているのをよく見かけますが、住む人のいない家は部屋の中に空気が停滞し、そのうち雨漏りし始め哀れな末路を辿るのです。
 わが家は貧乏はしていますが幸せなことに、いずれも長男である親父、私、息子、孫の四代が同一敷地内に住んで、それなりに幸せな日々を過ごしているため、「家をつくって子を失う」様なことはないと思いますが、息子のお陰でいい本に巡り合うことができました。これからも折に触れ息子の本から何かを学びたいと思っています。

  「半々の 書棚息子に 占拠され 行き場失う 私の書籍」

  「目に留まり 読んだ本には なるほどと 思うことあり さすが息子だ」

  「これからも 時々息子 いない間に 読んでやろうと 心に決める」

  「年齢に よって読む本 違うため 私の六感 くすぐり始め」

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