人間牧場

〇ゼロをテーマに思いつくまま

 一ヶ月ほど前、地域おこし協力隊の富田さんから口頭で、ほたる祭りの明くる日県外からお客さんが来るので午前中1時間ほどまちづくりについて話してくれませんか」と言われました。「どんな人が来るの?」と聞き返せば、小さな名刺ほどのメモ用紙を手渡されました。用紙には「ほたるまつりの翌日6月2日(日)AM研修、一国多制度推進ネットワーク、トミタ」と書かれていました。「どんな話をどの程度」と矢継ぎ早に質問しましたが、日時以外は会議の名前も来る人も10人程度とアバウトで、結局の見込めないまま予定表に書き込みました。前日ほたる祭りに孫たちと出かけた折、それらしき10人ほどの人に会いあいさつを交わしましたが、富田さんから「明日の朝9時に潮風ふれあいの館に泊まっているのでお願いします」だけで、結局は内容も分らず朝を迎えました。

P1030022P1030023 さて何を話せばいいのか、「まあいいか!!」と思い潮風ふれあいの館に出向き、昨晩遅くまでやったであろう交流会の名残を感じながら、研修室で10人ほどの前で一時間も、思いつくままお話をさせてもらいました。昨日の私の話のキーワードは「ゼロ」でした。ゼロから始めた双海町の夕日によるまちづくりの話や、私がゼロに戻った退職後の生き方、更には人間はゼロから始まり限りなくゼロに戻っていく人生について話をしました。日本人は積み重ねの好きな人種で、ゼロに戻る訓練ができていないようで、いつも過ぎ越し過去の上に胡坐をかき、急激な変化を望まないのです。しかしどこかで自分の考えや生き方をゼロに戻したりしないと、「何のために」という焦点がボケてマンネりになってしまうのです。私の話の後の2時間近くの議論討論もそのことが話題になりました。

 「行政はどういう立ち位置で住民と接しなければならないのか?」、とてもいい話でした。長年やっているからやる、補助金があるからやる、役所の職員が書いた原案で物事が進んで行く、世の中にはこうしたことに多少不満があっても、ゼロに戻す意見など言おうものなら、たちまち地域のバッシングに会ってしまうのです。絶滅したほたるを復活しようと始めたホタル保護活動も、環境問題への意識啓発のために始めたほたる祭りもいつの間にか、「何のために」という基本コンセプトが忘れがちとなり、行政の手厚い主演で進んでいくのです。行政が手を引けば、補助金を打ち切れば、たちまち潰れる田舎のイベントの実態を思えば、現在の勧め方も仕方がないことなのかも知れませんが、どこか気になるとみんなが話しました。
 今朝京都から参加していた方から、昨日の私の話に対するお礼のメールが届きました。束の間の出会いでしたが、こうして文明の利器を使って情報交流できることはとても嬉しいことです。早速お礼の返信をしようと思っていますが、世の中には私より一枚も二枚も上の人がいて、そういう人に出会っただけでも昨日の日曜日は、とてもハッピーな一日でした。富田さんありがとうございました。

  「お話を 頼まれ肌で 感じたこと 即興話す 一時間ほど」

  「人間は ゼロに始まり ゼロ目指す 六十定年 これもゼロなり」

  「リセットが できないようじゃ 進化せず ダラダラ生きて ダラダラ終る」

  「一枚も 二枚も上の 人に会う 昨日のサンデー ハッピーでした」

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