人間牧場

〇早生みかんの収穫

 わが家は4代続いた漁師の家でしたが、4代目の私が後を継ぐべく7年間漁師をしたものの、病気になって漁師を断念し転職を余儀なくされたため、3代目で漁師を廃業してしまいました。初代・2代は漁船のエンジンすら導入されていない人力櫓漕ぎの古い時代ですから、漁業=貧乏のトロ底だったようです。3代目の親父は若いころの一時期戦争のため大陸に出兵し、戦中戦後は日本全国の家庭がそうであったように、かなり苦しい生活を強いられたようでしたが、それでも漁船、エンジン、漁具、漁法それぞれの近代化をいち早く取り入れて、それなりの暮らしが出来るようになり、親父は親父としてわが家のしっかりとした基礎を築いてくれたのです。親父のそんな頑張りの上に私も胡坐をかくことなく、私流の頑張りをしたつもりでいますが、ある部分は評価されても、はてさて親父の頑張りに比べたら見劣りがするのです。

 見劣りの一つは財産の保全です。わが家は半農半漁でした。母は女性ながら漁船に乗組員として長年乗船し、双海町下灘名物夫婦舟の走りでした。当時は珍しい小型船操縦士の国家試験を取得したり、漁協婦人部長として東京まで発表に出かけたりする傍ら、5反近くもの畑を殆んど一人で耕し、まるでロボットのように働きました。今私が人間牧場として使っている場所もそのひとつですが、転職して私が地元の役場に勤めるようになったため、母の死後は荒れるに任せて一時期は放任園になってしまい、母親が大事に育てていたみかんの木は、全て枯らしてしまったのです。そのことは亡き母にすまないと今でも心が痛みますが、それでも人間牧場を造って、いささかな活動をしているのが救いだと、自画自賛しているのです。

 家の横には1反余りの家庭菜園に隣接して甘夏みかんの果樹園がありますが、甘夏みかんに混じってみかん類が母親の手によって植えられていますが、その中に早生系のみかんの木が1本あって、働き手だった母親に似てこの木は、毎年休むことなく沢山の実をつけてくれるのです。
 昨日の朝親父が、「そろそろ熟れたみかんを収穫しないといけないので手伝って欲しい」と言いました。午前中は薄曇りながらも穏やかな天気だったので、原稿書きが一段落した10時ころから親父と二人で取入れを始めました。

鈴なりといった表現がぴったりの早生みかん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鈴なりといっても私の背丈ほどの木なので、93歳の親父と二人で採果鋏で30分ほどで終りましたが、何とキャリー3箱も収穫しました。大豊作です。早生みかんは完熟しているのでとても甘く、口に入れるととろけるようですが、その分追熟も早いので、早く食べたり処分しないと腐ってしまうのです。生食は勿論今日から妻が生ジュースにして、朝食に出してくれるのを楽しみにしています。
 みかんを食めば今は亡き母を思うこのごろですが、今年の秋は一度寒波が来たもののその後は暖かく、過ごし易い日が続いていますが、もう間もなく寒い冬がやって来ます。冬支度をしなければと思うこのごろです。

収穫した早生みかん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  「母植えし 早生のみかんを 収穫す 親父と二人 母思い出し」
 
  「一本の 木から三箱 豊作の みかん摘み取る 秋の一日」
 
  「早生みかん 皮剥き口に 頬張りぬ 甘き自然の 恵み味わう」
 
  「わが家でも みかん収穫 冬支度 間もなく寒さ 山と海から」
 
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