shin-1さんの日記

○今日から3日間佐賀県で開かれる地域づくり団体交流全国大会へ行ってきます。帰りは土曜日です。寒い時期なので読者のみなさんご機嫌よう。

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shin-1さんの日記

○沖合に数隻の艦船

 昨日気がついたのですが、このところ双海町沖の海上に何やら黒い物体が沢山うごめいているのです。夜になると煌々と灯りをつけて海面上に浮かぶものの正体は防衛省海上自衛隊の艦船なのです。私は昭和19年生まれなので幸か不幸か戦争を知りませんが、親父のような戦争体験者はまるで戦時中では?と昔の悪夢が蘇るようだと言っていました。

 これらの艦船は沖合にある呉基地所属の艦船と思われますが、数日前から沖合の伊予灘で掃海訓練をしているのです。掃海は機雷の除去作業ですが、戦後60年以上経ったこの海に嫌いなどは存在しないはずですが、海上自衛隊では有事を想定して訓練を行っているのかも知れません。

 つい最近双海町の漁船と観戦が接触事故を起こしたことがあり、共産党などが漁船の安全について抗議をした一幕もあったようです。まあ訓練なので別に目くじら立てることもありませんが、海域が操業区域と重なるだけに安全だけには注意をして欲しいと願っています。

若松進一ブログ

 実はわが家の庭の隅に倉庫を改造して、私設の海の資料館「海舟館」を造っていますが、その展示物の中にこの沖合海域の海底から引き揚げた戦争の遺物が展示されているのです。それらは長年漁師をした親父が漁船の網にかかったものを引き上げ、丹念に磨いて展示に耐えられるようにしているものなのです。

 珍しいものとしては紫電改という戦闘機の機銃や魚雷のエンジンなどがあり、それ以外にも大砲の薬きょう、望遠鏡、ヘルメットなどが所狭しと並べられているのです。これらの展示物は戦後60年経った今も親父の行き届いた手入れのお陰で光を放っていますが、大陸に出征するなど戦争を体験した親父の生き様とダブるだけに、これからも平和への祈りを込めて、大切に保管してゆきたいと思うのです。

若松進一ブログ
(紫電改の機銃)
若松進一ブログ
(魚雷のエンジン)

 こうした類のものは、時を経て保存してこそ価値がるのですが、これまではどちらかといと戦争の悲惨さを抹消しようという風潮が強く、ましてや海から上がったものの権利は国に所属するため、貧乏な時代でもあった戦後は、古鉄として処分され何がしかのお金に換金されてきたのです。多分わが家にあるものの殆どもその運命を辿るはずでした。しかし親父は仕事の合間を縫ってせっせと磨きをかけて保存してきたのです。

 今にして思えば損得勘定に走らなかった親父の行為は立派だった気がするのです。世の中には今は何の役にも立たない鍬や鎌でさえ100年も保存すると立派な民俗資料として展示に耐えうるのですから、私たちはこれからもそのことをわきまえて、古き物を大切に保存することも肝要だと思うのです。特に戦争にまつわる史料はたった60年余りしか経っていないのに、その殆どが散逸してしまっているのです。私は少なくても親父の跡取りとしてこれらを後世に伝えて行く義務がありそうです。


  「沖合に 何やら怪し 黒い影 黒船再来? 戦争再来?」

  「わが家には 戦争遺物 数多く これは価値ある 平和の祈り」

  「えっ魚雷? えっ機銃?かと 見る人は 興味深そに 見入り感心」

  「こんなもの よくも造った 日本人 愚かな行為 戒めなくば」

  

 

 

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shin-1さんの日記

○今年も4等の切手シートばかりでした

 私はほとほとくじ運の悪い人間だと自分で思っています。これまで何度かくじを抜きましたが当たったためしがなく、くじのついた福撒きでさえいつも最低のたわしくらいしか当たりませんでした。そんなこともあって、「自分はくじは当たらない」と信じているので、他の人のような「果報は寝て待て」的な行動は余り取らない人間になっているのです。そんな信じ方をしているのでこれまで宝くじは買った経験がなく、当然当たったこともないのです。

 それに反してわが妻はセルフのガソリンスタンドで車にガソリンを入れてもティシュペーパーが一箱当たったり、大したものでもありませんが時々恩恵に浴しているのです。ゆえに毎年私に内緒で宝くじを10数枚買っているようですが、さすがに宝くじは1万円以上は当たったことがないようで、昨年も外ればかりでリベンジを誓っていたようです。妻は「お父さん、3億円当たったら世界一周旅行でも何でも好きなことをさせてあげる」と毎回夢みたいなことを私に言っていますが、宝くじは米俵一俵の中の一粒しか当たらない確立だそうですので、余り当てにせず待っているのです。

 昨日郵便局へ封書やはがきを出しに行ったついでに、窓口で今年のお年玉付き年賀状の当選番号票を貰って来ました。毎年千枚近くの年賀状をいただくのに、これまで当たったのは4等賞ばかりで、一度だけ3等賞のレターセットが当たった以外は全て切手シートなのです。もっとも切手収集をしていた時期もあって、欲しいのはお金で買えない切手シートが一番欲しいので願ったり叶ったりなのです。

 昨日その年賀状の束を机の上に置き、一枚一枚当選番号と照らし合わせましたが、1時間余りの格闘もむなしく、今年も最低4等の切手シートが20枚近くのみでした。今年の切手シートの当選番号は下2けたの番号が00と52なのですが、毎年のことながら当選番号の年賀状を送ってくれた方々にはお礼状のハガキを出すのです。たとえそれが4等という切手シートであっても、幸運をいただいた方々へ感謝の意味を込めお礼状を出せば、どこか清々しい気持ちになるのです。

 今日から佐賀県へ出張うして3日間ほど家を留守にする予定なので、当選番号の引き替えは帰ってからのお楽しみとしますが、今年の切手シートはどんなデザインなのか、これまた小さな楽しみが増えました。

 昨晩当選番号のハガキを見せながら妻に、「今年も4等ばかり」といってくじ運の悪さを愚痴りましたが、「お父さんはまだ強運の持ち主よ。だってあれだけの難関を突破して青年の船にも班長として乗船してアメリカやメキシコへ行けたし、NHK青年の主張だって県代表になったじゃないの」と持ち上げてくれました。「それは実力だ」と鼻高々言いましたが、そういえば私も年賀状や福撒きこそ当たらないものの、それなりに選ばれているのですから、まあそれなりに納得しなければならないようです。

 もうこの歳になるとくじ運など縁遠いものになりましたが、「果報は寝て待て」くらいな気楽な気持ちで、これからの人生を、「必ず当たる」と信じ込んでいる妻と一緒に二人三脚で生きて行きたいと思っているのです。


  「年賀状 あれほど届き 当たりくじ 4等だけが 二十数枚」

  「くじ運が 悪いといつも 嘆いてる だから買わない 当たらないはず」

  「おっ惜しい たったひとつの 番号が 違っただけで 前後賞なし」

  「何言うの あなた強運 妻が言う こうして元気 これも運良し」

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