shin-1さんの日記

○浅い眠りと深い眠り

 今朝親父の隠居に行くと「近頃夜が眠れない。昨晩は眠りが浅かった」と私に言うのです。そして「○○の夢を見た」とか「○○が気になる」などと寝れない原因を並べるのです。普通は気丈な人間でこれまで余り言わなかったのですが、さすがに寄る歳波には勝てないのか、少しずつ弱音を吐くのです。妻も私も日中は殆ど家におらず、自分ひとりが留守番をしていると、ついつい考える事が多くなるのでしょが、息子の私にしか吐露できないために話しているのだと思って、もっぱら聞き役に回るのです。

 親父の話しによると最近夢に10年前亡くなった母が出てくるというのです。92歳の高齢になると死への不安とこれからの生き方、この家の将来のことを色々考えるのも無理からぬことなのです。

 親父の一日は午前5時に始まります。起床するとまず顔を洗って神棚と仏様にお祈りをします。そして特老付近まで片道1キロ程度、往復2キロの散歩をします。近所の人の話では92歳とは思えないしっかりとした足取りで歩いているそうです。帰るとパンをトースターで温めてハチミツを塗り2枚食べます。食事が終わると午前中は天気が良ければ殆ど毎日畑に出て仕事をするのです。お昼になると近所に住んでいる姉や叔母が色々な物を持ってきてくれて昼食を済ませ、午睡をⅠ時間ほど取り、午後は主に自分の趣味である骨董品の手入れや大工仕事をしているようです。午後4時になるとご存知時代劇の水戸黄門を見て夕方まで過ごすのです。

 夕食はご飯以外は妻が運びます。私と同じように肉は余り食べないので魚と野菜が中心で、刺身は好物なのでほぼ毎日盛って行きます。こうして一日を終え、風呂に入って午後7時過ぎには床に就くのです。眠りに着く時間が早いので朝5時の起床まで有に9時間は寝ていて、午睡昼寝の1時間を加えると10時間は寝ている計算になるのです。これでは眠りが浅いはずなので、言われても余り心配はしていないのです。

 私の場合など12時に寝て、午前4時に起きるのですから一日の睡眠は僅か4時間です。したがって床について眠るまでは余程のことがない限り5分以内です。でも親父の浅くて長いダラダラ眠りではなく、深くて短いぐっすり睡眠なので、別に寝不足と感じたことはないのです。

 親父に「寝不足で死んだ人はいない」と、よく冗談交じりに話します。拷問などで寝させない話を聞きますが、人間は眠たくなったら脳も体も寝てしまうのですから別に心配はないのですが、重要なのは脳を悩ます心配ごとです。親父の話では私の息子、つまり「この家の跡取りが親と同居しない現状だと、今にこの家は潰れる」という心配もあるようです。また自分の老骨も忘れて私の体のことも気がかりのようです。まあ悩みの種は尽きないようで、そんな煩悩に悩まされるのは生きている証拠ですから、孤独にならぬよう出来る限り隠居へ足を運び、話し相手になるよう心がけたいと思っています。浅い眠りの親父と深い眠りの息子は今日も同じ敷地内で生きています。

 

  「寝れないと 言ってる割には よく寝てる 親父の日課 太陽と同じ」

  「浅いとか 深いとかいう 眠りだが 人それぞれに 違うものなり」

  「歳とると 何かにつけて 気がかりで 自分さておき 息子気遣う」

  「ああ歳は とりたくないと 嘆くけど 歳はとるもの 百パーセント」 

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shin-1さんの日記

○当然と必然、それに偶然を思う

 私は常々と当然と必然、それに偶然を思うことがあります。私の浅はかな知恵で、当然は当り前、必然は必ずそうなること、偶然は予期せぬことに出会うことくらいの意味しか浮かびません。当然と必然は毎日起こっていることなので別に気にも留めずやり過ごしていますが、これが偶然となるとその偶然に驚いたり、時には忘れられない思い出となったりするのです。

 

 昨日人間牧場の畑でお茶の木に無数の花が咲いていることに気がつきました。顔を近づけ花で匂いを嗅ぎましたが、お茶の花らしく控えめな香りに、何ともいえない癒された気持ちになりました。その花を見ながら「この花は秋になると毎年季節を告げるように咲くのに、私を含め誰ひとりとして見ることもなく、香りを感じることもなく咲いては散っていくのです。昨日あの時、たまたま私が見た偶然はこの花と私の関係において地球上で起こった凄い数の確率の偶然なのです。

 今朝当然的に4時に起き、いつものように自分の書斎に入って電気をつけ、パソコンスイッチを入れて毎日やっているようにまずGメールを開けて読み始めました。昨晩全てを読み終わり必要なものは処理して寝たので、未読メールの数はそんなに多くありませんでしたが、その中に知人からのコメントがありました。その友人は偶然なのか必然なのか分りませんが、私のブログを読んで感想を書き込んでくれていました。察するに時々私のぶる具を読んでいるものと思われますが、これも私や友人にとっては偶然な出来事なのです。


 数日前の日曜日、私は妻と二人で松山市内の温泉に行きました。妻と私は混浴でないため時間を打ち合わせ、男女それぞれの暖簾をくぐって温泉に入ろうとすると、「若松さんではありませんか?」とた声をかけられました。私はとっさのことゆえ失礼ながらその人の顔も名前も忘れていましたが、自己紹介をされた言葉で私の脳のカンピューター回路が動き始め、名前と顔が一致して「はい覚えていますが、こんなところで会うとは珍しいですね」と昔を懐かしんだのです。こんな偶然はしょっちゅうで偶然と言えるかどうかわかりませんが、私とこの人の関係においては凄い確率の偶然なのです。

 ある人から頼まれて私がにわか思いつきで書いた文章が、先週佳作程度の入賞を果たしたと主催者から連絡がありました。私はこれまでにもNHK青年の主張の原稿審査もパスして県代表になった経験があります。また海外派遣30周年記念論文募集では総務庁長官賞もいただきました。これも私が応募する当然も必然もないのですが、書くという作業によってのみ与えられた偶然と言えば偶然なのです。駄作ゆえ人に読んでもらうほどの文章ではなく、東京での表彰式には出ないことを決めていますが、もしあの友人の言葉を真に受けず書かなかったらと思うと、今回の受賞も偶然なのかも知れません。

 こうして当然と必然の繰り返しの毎日の中で、時々突発的にやって来る偶然は、加齢とともに数こそ減ったり思い出すことすらできなくなってくるのでしょうが、確率が高いほどその偶然は驚くのです。もし毎年妻がささやかな夢として買っている宝くじに当たって前後賞合わせて3億円を手にすることがあったとすると、これはもう青天の霹靂で、偶然としか言いようがないのです。当然そんな偶然はないと思うのですが分りませんよ・・・。まてよ、妻と出会って結婚したのは当然か必然か、いや偶然かな?。


  「この花を 今の瞬間 見てるのは 世界で私 一人なのです」

  「偶然に 見つけたブログ コメントを 書き込み意見 これも偶然」

  「わが妻と 縁結ばれ 結婚す これは当然 必然偶然」

  「偶然は いいことばかりじゃ ありません 事故に遭うの 偶然ですから」

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