shin-1さんの日記

○久しぶりに孫たちとドライブ

 9月中旬から北海道や昨日までの埼玉県へと県外出張が続き、またフィールドワークの授業でわが家へ学生が沢山やってきたため、またかまど小屋の建築など忙しくも充実した日々を過ごしてきたので、久しぶりに気分一新をと考え、週末やってきていた孫たちを誘い宇和島へ行きました。というのも昨日は愛媛県栄養士会宇和島支部の研修会が宇和島市保健センターであって、その講演を頼まれていたからです。

 この一ヶ月私の留守がちと学生始め来客が多くあって孫たちも殆ど顔を見せていなかったため、新しい車を手に入れたこともあって罪滅ぼしのつもりでのドライブとなったのです。

 私が宇和島市祝森にある保健センターで午後1時近くまで講演している間、孫や娘たちは近くの旧内海村の自然公園へ遊びに出かけ、公園が終わるころ迎えに来てもらい合流する算段でした。昨日は日中絶好の日和で車中は汗をかくほどの温かさでしたが、戸外はとても気持ちのいい秋風が爽やかに頬を撫でてくれました。

 支部長さんの話によると、私はすっかり忘れていましたが支部の研修会でお話しするのは2度目だそうで、現職の頃無人島に挑む少年の集いなどの話をしたそうで、はっきりと覚えておられました。今回の話は「心豊かに生きる」と題したライフプランの話でした。参加者は若い栄養士の女性たちが殆どでしたが熱心に聞いていただきました。市役所の和田さんの紹介によるのでしょうが偶然にも愛大農学部の小田先生講演が私の前にあって、控え室で再開しました。

 遅い昼食をとるため私の母校である水産高校のすぐ前の東洋軒というお店へ入りました。入るなり中年の店員さんが「あなたはテレビで時々お見受けする双海町の若松さんですよね」と、唐突に話しかけてきました。いやあ驚きました。田舎のくたびれた親父を自認している私を覚えてくれていたのです。連れもいて詳しい話はしませんでしたが、声をかけていただくなんて有り難いことです。

 早速お寿司などを注文し久しぶりに美味しいご馳走を孫たちと一緒に食べました。小学校1年の孫朋樹と2歳になった孫尚樹もすっかり大きくなって随分会話が交わせるようになりました。

若松進一ブログ

 帰りに八幡浜経由で伊方町にある亀が池温泉に立ち寄りました。私は小学校1年の朋樹と一緒に入りましたが、サウナや塩サウナなどを楽しんだ後夕闇せまる夕やけこやけラインを沈み行く夕日を見ながら走りました。長浜出海の特産品センターの前に車を止めて夕日の写真を撮っていると、「あなたは双海の若松さんでしょう」とまたまた特産品センターの方に声をかけていただきました。「景気や売り上げの方はいかがですか」「いやあ中々厳しくて」とこれまた立ち話で色々なことをお話ししました。

 「お父さんも顔が広いのね。おちおち歩けやしないね」と妻にからかわれましたが、世の中狭いものだと感じながら、久しぶりの南予路へのドライブでした。


  「若松さん? はいそうですと 返事する あちらこちらに この顔売れて」

  「賑やかな 孫の笑いを 積み走る ドライブ楽し 日ごろを忘れ」

  「じいちゃんと ばあちゃん二人 マゴマゴと 孫と一緒に お手てつないで」

  「この孫が 大きくなるまで 頑張らにゃ 妻とヒソヒソ 決意を語る」

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shin-1さんの日記

○目出度く高齢者になりました

 昭和19年10月3日生まれの私は、この度の誕生日で目出度く高齢者となりました。「目出度く」という表現は、加齢を嫌がる風潮がある中で、避けて通れないこの人生の関門をあえて夢や希望を持って反骨たくましく生きてやろうと思ったからです。

 ゆえに今回の誕生日はあえて旅先で迎えることにしました。埼玉県寄居町のかんぽの宿で65歳の初日の出をたった一人で迎えました。宿となったかんぽの宿からは、前日の雨が嘘のように私の前途を祝福して晴れ渡った田舎の原風景がまばゆいほどに美しく見え、自分の将来を祝福しているようでした。

 妻から朝一番の携帯電話が入り、「おめでとう」と言われ、更には自宅へ花束やメッセージが届いているとのことでした。四国の田舎に住む何の変哲もない私にでも、こうして祝福してくださる人が沢山いることを思うと、これからもうかうかすることなく、力強く生きて行こうと決意をせざるを得ず、心を新たにしたところです。

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(これまで一番のお気に入り自画像似顔絵)

 旅先での10月3日は忙しい一日となりました。朝こそゆっくりしたものの午後からは親学講演会で浅学非才を披歴し、その後寄居の駅を旅立って自宅へ帰る帰路途中にも東京で人に会うなど忙しくも充実した65歳高齢者となった第一日は、今までの度の誕生日よりも素晴らしい人生の旅立ちの一日となったようです。

 帰宅すると妻が自宅に届いた花束をほどいて花瓶に美しく活けてくれていました。毎年毎年いつものことながら決まったように届く西岡真由美さんと緒方二三子さんお二人からの誕生日花束プレゼントなのです。もう10年も前のことでした、毎年12年間にわたって続けていたシーサイド公園の砂浜清掃や水槽掃除が終わってドロドロになった私の元へ、どこでどう調べたのか誕生日のプレゼントだといって花束を持ってきてくれたのでした。汚い作業中の格好をしていたゆえに少々赤面やたじろいだことを今でもはっきりと覚えているのです。

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(今年一番のお気に入り自画像写真)

 一昨日は65歳の誕生日ゆえにことさら重い気持ちで迎えました。これからが人生だと思えば目いっぱい楽しまなければなりません。さすがに体力の衰えは日を追うでしょうが、気力と知力はまだまだ衰えるつもりはありませんし、弱気になることもないのです。わが家では親父が92歳でまだかくしゃくとしていて、生きる見本があるのですから頑張らなければなりません。むしろ引っ張る機関車から後押し機関車になって、人にしてあげる幸せ人でありたいものです。

 人はどうであれ私は私の道を行こうと決意した今年の誕生日でした。メールやハガキ、そして花束やプレゼントをいただいたみなさんありがとうございました。


  「やっと来た ついに来たかと 高齢者 なってしまえば 気分サバサバ」

  「これからが わが世の春と 大威張り へつらうことなく 生きてやろうと」

  「わが家には 立派な見本の 親父いる 似ないようにと 似たいものだと」

  「まだ若い 私若松 老いてなお 気分まだまだ 負けてなるかと」

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