shin-1さんの日記

○懐かしい友との出会い

 昨晩は不思議な、それでいて懐かしい出会いがありました。わが家で今でも使っているマナ板は本匠村の高橋美和さんから貰ったものです。わが家の海の資料館海舟館にに飾っている能面は同じく本匠村の川野義和さんから貰ったものです。本匠村は佐伯市からさらに奥まった番匠川の上流に位置する村でした。今は平成の大合併で佐伯市になりましたが、何年か前まで私が何度か訪ねた懐かしい村なのです。

 私が本匠村に興味を持つようになったのは、大分県が主催する青年指導者研修会が国立大洲青年の家で開催された折、その研修会に参加していた高橋美和さんとその講師で招かれた私が出会ってから始まりました。底抜けに明るい高橋美和さんはその後勤務していた教育委員会の上司であった川野義和さんに私の存在を告げ、成人式の講演に招かれたり、様々な社会教育の研修会に講師として出かけるようになったのです。さらに川野義和さんや高橋美和さんの紹介で南部郡の社会教育関係者に広まり、あっという間に大分県の市町村を制覇する羽目となったのです。

 私は自称変わり者でその地域へ行ったら必ず何がしかのお金を落す事を肝に銘じています。例えば車で行けばその地域のガソリンスタンドでガソリンを入れるとか、お土産を買うなどしていました。高橋美和さんのお家は理容業を営んでいて、サッカーのオフト監督に似た今は亡きお父さんに、村へ行く度に散髪をしてもらっていました。散髪をしながら村の四方山話をするのが楽しみだったのです。さらに美和さんのお母さんが考案した雪ん子寿司は絶品で、今では大分県の人気商品になっていて、随分ご馳走になったものです。

(酒が飲めなくなった私と酒が強くなった川野義和さん)

 一方川野義和さんは私が若い頃と同じように社会教育に熱心に取り組んでいて、村を訪ねる度にご自宅へ泊めてもらいました。あの頃生まれて間もなかった娘さんは既に高校二年生と聞きました。時の流れの早さを感じます。また2年前に亡くなったお父さんが彫った立派な能面をいただいたことがあって、その面を見る度に懐かしさがこみ上げてくるのです。

 昨日の交流会には川野義和さんが参加してくれました。聞けば商工観光課の係長として迫り来る国体や高速道路の延伸などに対応した新しい時代の観光振興に情熱を燃やしているとの事でした。

 昨晩は久しぶりにお会いし懐かしい思い出話を随分しました。愛媛県の私を含めた12人が2次会に繰り出しましたが、河野さんの紹介で「裕ちゃん」という居酒屋に立ち寄りました。川野さんはその夜小倉の駅で行われる物産展に出席するため夜行列車に乗るらしく、飲むほどに酔うほどに仲間たちと楽しいお喋りに話が弾みました。

 途中川野さんの携帯電話で高橋美和さんとつながり、遠い夜道をわざわざお店まで出かけてくれ、笑顔の再会を果たしました。美和さんは3人の子どもの母親として明るく逞しく生きているようで、特に「ごまだし」うどんなどお母さんと一緒に加工にも加わっているようでした。それにしても始めて食べたごまだしうどんの味は絶品でした。

 いつになるか分りませんが、少し暇になったら旧本匠村を訪ねたいと思っています。本匠村からは私の町の慶徳寺へ住職で来られている山口住職さんの存在もこれまた不思議な縁ですし、当時は日本一大きな水車と言われていた本匠村の20メートルを越すお化け水車の存在も記憶の片隅で蘇えってきました。

 こうして自分の人生の端々に深く関わってきた日本全国の地域や人々の存在を思うと、もう一度フィルムを巻き戻してみたい心境になるのです。急激な時代の変化のうねりの中に埋没している思い出は私の大切な宝物なのに・・・・・。

  「美和ちゃんの 笑顔懐かし 指折りて 足らぬ指ほど 疎遠驚き」

  「えっ佐伯? 村の名変わり 戸惑って 礼状書くも 宛先分らず」

  「それぞれに 時を過ごして 出会う人 懐かし人は 既に亡くなり」

  「お互いに 昔のままの 若さにて 思い出話す それは錯覚」

 

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shin-1さんの日記

○感動の朝日に出会いました

 朝4時に起床する長年の癖は旅先でも健在で、大分県佐伯市内のホテルの一室で目を覚ましました。発達した低気圧の影響で昨日から北西の季節風が強く、冬が逆戻りした感じでしたが、昨晩の交流会で「早朝6時20分に出発して、上浦町の朝日を見に行くこと」を約束していたため、身支度を整えてホテルロビーに降りて行きました。ロビーには既に中島の豊田君がいて、まもなく新藤さんと岡崎さんが降りてきて、4人で出発しました。

 この頃は夜明けが随分早くなって、もう東の空は薄明るくなっていました。昨日からの季節風は一向にやむ気配が無く、突風に加え雪までちらつくあいにくの天気です。この分では朝日など拝めないだろうなあと思いつつ、新藤さんの運転する車で、見慣れた光景のように見える海岸沿いの道を20分も走らせると、何年か前に訪れた懐かしい風景が目に飛び込んできました。そうあれは確か上浦町の成人式に招かれ講演に来てこの辺りを確かに通ったのです。これも定かではない記憶ですが、上浦町は海洋牧場構想が既に推進されていて、沖合いに浮かぶブイから定期的な時間に餌が投与され、鯛等の魚を囲いもせずに餌付けする日本で初めての試みがされていました。懐かしいそのブイも今は公園の隅に記念品的に設置されて、当時を物語っているようでした。

 昨晩は当時上浦町の教育委員会にいた岡崎税さんと菅正晴さんがわざわざ交流会に参加してくれ、10数年ぶりの再会を果たしたのです。彼らも合併して今は佐伯市役所の職員となって立派な活躍をしていましたが、飲むほどに酔うほどにボルテージが上がり、私の夕日に対抗して上浦町の夫婦岩に昇る朝日も日本一だと自慢しあったのです。それならその自慢の朝日を見ようという話になって出かけたという訳です。

 今朝の日の出の時刻は6時26分だそうで、35分頃現地に着いたのですが岡崎さんは既に見学スポット付近に到着して私たち一行を待っていてくれていました。相次いで菅さんも現れ寒さの中で自慢の日の出を待ちました。スポットとなる橋の上には誰が書いたのかまるで落書きのように数字が書かれていて、2月24日頃のポイントが容易に予想できました。

(しめ縄の真ん中に昇り始めた朝日)
(滅多に尾を引かない朝日への黄金の道)
(夫岩にまるでローソクの灯火のように光朝日)

 朝日が昇るであろう方向には黒い雲がまるで雪すだれのように立ち込めていましたが、水平線付近はオレンジ色が刻々と濃くなって、やがて朝日が昇り始めたのです。私たち一行は予期せぬ日の出に歓声を上げながら盛んにデジカメのシャッターを押し続けました。凄いです。岡崎さんも菅さんも今まで生きてきて一番美しい朝日だと自慢するほど、大きくて立派な朝日が夫婦岩に張り巡らされた大しめ縄の真ん中にスッポリ入って、じわじわと登ってゆきました。私は思わず太陽に向かって手を合わせました。岡崎さんも愛媛の仲間もそんな仕草をしているように見えました。あれほどきつかった北風が一瞬止んだようになり朝日の真赤な帯が見えました。

 まるで天体ショーを見ているような錯覚から我に返った時、太陽は上に垂れ込めた雲の中へ姿を消して行きました。

(冬の海にシルエットを映す夫婦岩戸大しめ縄)

 私たちは道沿いに止めてあった車に乗り込み東雲中学校の裏手に出て夫婦岩の近くまでやって来ました。夫婦岩にかかった大しめ縄を見るためです。300人もの人がまる1日かかってつくり上げて海上の夫婦岩に橋渡す大しめ縄の話を二人から聞きながら、思いを馳せていました。

 菅さんは久しぶりに会った私のために奥さんが早起きをして作ってくれたチーズケーキをお土産にくれました。涙が出るくらい嬉しい出来事でした。大事小事に持ち帰ったチーズケーキを今晩妻に渡し、菅さんのこと、岡崎さんのことを話しながら少しだけ食べました。残りは孫たちにおすそ分けする予定です。

 旅先で思いがけず出会った旧友たちとの心温まる出会いは、私の長い人生の大きな大きな宝物だとあらためて実感したのです。

 感動の心で出会った上浦町の朝日はやがて今晩は双海の夕日になったに違いありません。多分これからもそうなることでしょうが、夕日を見る度に上浦町の朝日やそれにつながる岡崎さん、菅さんの事を思い出すことでしょう。岡崎さん、菅さん美しい日本一の朝日を見せてもらってありがとう。早起きは三文の得でした。

  「夕日より 朝日が一番 自慢する 友の顔立て 今日は負けふり」

  「日本一 思わずかけたい 掛け声を じっと堪えて 手合わせ拝む」

  「この朝日 今夕双海の 夕日なる 不思議なことよ 天動説は」

  「夕日見る 度に思いを 上浦に 馳せて見るだろ それ程感激」



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