shin-1さんの日記

○感動の朝日に出会いました

 朝4時に起床する長年の癖は旅先でも健在で、大分県佐伯市内のホテルの一室で目を覚ましました。発達した低気圧の影響で昨日から北西の季節風が強く、冬が逆戻りした感じでしたが、昨晩の交流会で「早朝6時20分に出発して、上浦町の朝日を見に行くこと」を約束していたため、身支度を整えてホテルロビーに降りて行きました。ロビーには既に中島の豊田君がいて、まもなく新藤さんと岡崎さんが降りてきて、4人で出発しました。

 この頃は夜明けが随分早くなって、もう東の空は薄明るくなっていました。昨日からの季節風は一向にやむ気配が無く、突風に加え雪までちらつくあいにくの天気です。この分では朝日など拝めないだろうなあと思いつつ、新藤さんの運転する車で、見慣れた光景のように見える海岸沿いの道を20分も走らせると、何年か前に訪れた懐かしい風景が目に飛び込んできました。そうあれは確か上浦町の成人式に招かれ講演に来てこの辺りを確かに通ったのです。これも定かではない記憶ですが、上浦町は海洋牧場構想が既に推進されていて、沖合いに浮かぶブイから定期的な時間に餌が投与され、鯛等の魚を囲いもせずに餌付けする日本で初めての試みがされていました。懐かしいそのブイも今は公園の隅に記念品的に設置されて、当時を物語っているようでした。

 昨晩は当時上浦町の教育委員会にいた岡崎税さんと菅正晴さんがわざわざ交流会に参加してくれ、10数年ぶりの再会を果たしたのです。彼らも合併して今は佐伯市役所の職員となって立派な活躍をしていましたが、飲むほどに酔うほどにボルテージが上がり、私の夕日に対抗して上浦町の夫婦岩に昇る朝日も日本一だと自慢しあったのです。それならその自慢の朝日を見ようという話になって出かけたという訳です。

 今朝の日の出の時刻は6時26分だそうで、35分頃現地に着いたのですが岡崎さんは既に見学スポット付近に到着して私たち一行を待っていてくれていました。相次いで菅さんも現れ寒さの中で自慢の日の出を待ちました。スポットとなる橋の上には誰が書いたのかまるで落書きのように数字が書かれていて、2月24日頃のポイントが容易に予想できました。

(しめ縄の真ん中に昇り始めた朝日)
(滅多に尾を引かない朝日への黄金の道)
(夫岩にまるでローソクの灯火のように光朝日)

 朝日が昇るであろう方向には黒い雲がまるで雪すだれのように立ち込めていましたが、水平線付近はオレンジ色が刻々と濃くなって、やがて朝日が昇り始めたのです。私たち一行は予期せぬ日の出に歓声を上げながら盛んにデジカメのシャッターを押し続けました。凄いです。岡崎さんも菅さんも今まで生きてきて一番美しい朝日だと自慢するほど、大きくて立派な朝日が夫婦岩に張り巡らされた大しめ縄の真ん中にスッポリ入って、じわじわと登ってゆきました。私は思わず太陽に向かって手を合わせました。岡崎さんも愛媛の仲間もそんな仕草をしているように見えました。あれほどきつかった北風が一瞬止んだようになり朝日の真赤な帯が見えました。

 まるで天体ショーを見ているような錯覚から我に返った時、太陽は上に垂れ込めた雲の中へ姿を消して行きました。

(冬の海にシルエットを映す夫婦岩戸大しめ縄)

 私たちは道沿いに止めてあった車に乗り込み東雲中学校の裏手に出て夫婦岩の近くまでやって来ました。夫婦岩にかかった大しめ縄を見るためです。300人もの人がまる1日かかってつくり上げて海上の夫婦岩に橋渡す大しめ縄の話を二人から聞きながら、思いを馳せていました。

 菅さんは久しぶりに会った私のために奥さんが早起きをして作ってくれたチーズケーキをお土産にくれました。涙が出るくらい嬉しい出来事でした。大事小事に持ち帰ったチーズケーキを今晩妻に渡し、菅さんのこと、岡崎さんのことを話しながら少しだけ食べました。残りは孫たちにおすそ分けする予定です。

 旅先で思いがけず出会った旧友たちとの心温まる出会いは、私の長い人生の大きな大きな宝物だとあらためて実感したのです。

 感動の心で出会った上浦町の朝日はやがて今晩は双海の夕日になったに違いありません。多分これからもそうなることでしょうが、夕日を見る度に上浦町の朝日やそれにつながる岡崎さん、菅さんの事を思い出すことでしょう。岡崎さん、菅さん美しい日本一の朝日を見せてもらってありがとう。早起きは三文の得でした。

  「夕日より 朝日が一番 自慢する 友の顔立て 今日は負けふり」

  「日本一 思わずかけたい 掛け声を じっと堪えて 手合わせ拝む」

  「この朝日 今夕双海の 夕日なる 不思議なことよ 天動説は」

  「夕日見る 度に思いを 上浦に 馳せて見るだろ それ程感激」



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