shin-1さんの日記

○小さな小石

 小さいから小石というのであって、「小さな小石」という表現は余り適切ではありませんが、先日地域づくり団体全国大会の分科会に参加して、ひたちなか市へ出かけた折、太平洋に面した白亜紀というホテルに宿泊しました。朝日の見学を兼ねて朝の散歩を楽しもうと灯台のある場所から急峻な階段を下りて石ころだらけの海岸に一人下りて行きました。下から見上げる白亜の灯台は威風堂々として、沖合いを通る船舶に行く手を知らせているようでした。ふと子どもの頃に見た「喜びも悲しみも幾年月」という映画を思い出しました。そしてポケットに忍ばせたハーモニカを取り出して、すっかりナツメロとなった歌を吹いてみたのです。太平洋に向って吹くハーモニカの音色は実に清々しく、燈台守の苦闘を描いた映画のシーンが蘇えり、少しセンチメンタルになりました。デジタルや人工衛星を使ったGPSが普及し舟の航海術も随分様変わりしましたが、日本中にはまだまだ沢山の灯台が人知れず活躍しているのです。

 足元には、白亜紀というホテルの名前が連想するように、足元を見やれば無数に穴の開いた石が歩きにくいくらいゴロゴロ転がっているのです。形のよさそうな孫の拳ほどにも満たない小石を一個拾い手の平に乗せてみました。中々味のある格好をしています。本当はもっと大きな気に入った石を採って帰りたかったのですが、泥棒にもなるし、飛行機までの道中が重くて大変だからと小さめに形の良い小石を選んだのです。

 私はよく旅に出ますが、その先々でその都度拳以下の小さい石を拾って持ち帰るのです。そして帰ると90歳になる親父に旅の思い出を話しながら小石をお土産に渡すのです。砂浜や瓦に沢山ある石はそんなに思わないのですが、気に入って一個だけ持ち帰り、座敷の隅の石を置いている場所に置くと何か宝物のように石それぞれが主張し始めるのです。

 私のように毎日旅をしていると、出かけた先々で土産を買うことは余程のことがない限りないのです。親父が妻に「息子がお土産を買ってきたことは殆どない」というほどですから想像通り無駄なことはしないのです。ましてやこのお金をかけないお土産という徹底ぶりは「ケチ」といわれても仕方がないのです。

 名も知らぬ海岸で拾ったこの石は、島崎藤村の「椰子の実」に似たように太平洋に面したひたちなか市の海岸に転がっていました。多分大きな石が波に洗われ他の石に擦られて丸くなり、柔らかい部分がまた波に洗われ無数の穴を開けたのではないかと思われます。これも私の旅の思い出として大切に保管したいと思っています。

 旅に行けば人にはそれぞれ思い出があります。昨日今日は覚えていてもその思い出はいつの間にか記憶の外に消えてゆくことでしょうが、この石を見る度にひたちなか市や茨城県を思い出すことでしょう。

 そうそう、私は63年間生きてきて、茨城県を「いばらきけん」と読むんだという事を全く知りませんでした。無知な人間の不幸は知る事によって避けられるのですから、それを知っただけでもいい旅でした。

  「茨城を いばらぎと読む 愚かさよ 点で駄目だと ギャグいい笑う」

  「虫が食う ような小石を ポケットに しのばせ帰る これが土産だ」

  「石一個 旅の思い出 凝縮し はるかに遠い 茨城思う」

  「また石か 親父不満の 一言を 聞きつつ隠居 座敷に飾る」 

  

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shin-1さんの日記

○久しぶりに夕日パークを訪ねる

 雪に見舞われた昨日とはうって変わって、今朝は穏やかな朝日が眩しく感じられる島根県益田駅裏のホテルで朝を迎えました。寺戸一朗さんの迎えの車が9時という約束だったので、朝シャンならぬ朝風呂に入ったりテレビを見たりして、久しぶりにゆったりとした朝の」時の流れの中で迎えを待ちました。

 やがて館長さんも一緒に広島まで送ってくれるといって、二人があの超豪華なジープタイプの外車に乗ってホテルの玄関までやってきました。

 昨日来る時に通った道は、7人のスキー客が遭難している恐羅漢周りの峠道のため、帰りは別の道を通ろうと、浜田市経由を選びました。浜田に通じる道沿いには私の町と同じように日本水仙の花があちらこちらに、今を盛りと咲いていました。「弁当を忘れても傘を忘れるな」と言われるとおり、浜田に差し掛かった頃には小雪交じりの雨が降り出し始めました。

 途中トイレ休憩のため道の駅の浜田パークへ立ち寄りました。この道の駅関係者とは昔、夕日が縁で何度か行ったり来たりしていましたが、その後は途絶えて何となく気になっていました。赤字が膨らんで経営が立ち行かなくなったというニュースを風の便りに聞いていたためどうしても立ち寄りたかったのです。道の駅はかつての面影は殆どないほどにリニュアールされ、海沿いに面した場所は若者向きのファーストフードの店になり、外観もまるで中国系のお店と見紛うほどど派手な朱塗りに変身していました。

 村おこしやまちづくりという目的で始めた全国の道の駅も、個性を見い出せないまま経営不振に陥ったり、指定管理者制度という訳の分らない法律で迷走を繰り返しています。どの道の駅も出来て10年から15年が過ぎると施設そのものが老朽化し、ましてや市町村合併という大きなうねりの中で人の思いも消え失せて、このままだと道の駅の半分以上が倒産や消える運命にあるようです。

 夕日パークは浜田の港町が一望できる絶好の位置にあり、道路も整備されているのに経営が苦しいとは、一般人から見れば不思議な話のようです。やがて高速道路が西に延伸して行くと、ここも単なる通過地点となる運命にあるのかも知れません。

 寺戸一朗さんの車は優れもので衛星放送テレビが受信できるようで、私の車などはカーナビについているテレビは見れたものではありませんが、凄く鮮明な画像が見えました。その画像に突然、行方不明になっていた7人のスキー客が恐羅漢の反対側である益田の林道で、全員生存が確認されたという朗報が飛び込んできました。2日間の捜索も空しく過ぎ、冬山の厳しい寒さを考えると諦めかけていただけに、わがことのように嬉しくなり、思わず車の中で拍手を送りました。昨日の昼過ぎ広島まで迎えに来てもらった寺戸一朗さんの車でその恐羅漢スキー場の横を通っただけに、気になって仕方がありませんでした。

 益田のホテルを出発してから3時間で高速道路を走り、無事船着場まで到着し、山陰の寒さと違った山陽の穏やかな日差しを三人で楽しみ、別れを惜しみつつ12時30分の高速船に乗り込みました。今日の海は強風波浪注意報の出ていた昨日とはうって変わって穏やかで、立春を過ぎた束の間の春を感じさせました。

 島根への旅も随分重ね、殆どの町や村にお邪魔し、多くの知人友人がいますが、遠い地でありながら思いが深いだけに近く感じています。近いうち益田市真砂地区の人たちが双海町へ遊びにやって来るようです。その日を楽しみにしながら、春を待ちたいものです。

  「雪山で 二日も過ごし 無事帰還 幸運不屈 ただただ驚く」

  「久しぶり 訪ねし陰の 道の駅 まるで中国 ここは中国」

  「その昔 夕日競った 間柄 今は出会いも 途絶えてしまい」

  「港まで 送りし友の あり難さ 山と海とへ 分かれて去りぬ」


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