shin-1さんの日記

○風評被害と風評効果

 私は役場に勤めた晩年は公務員でありながら第三セクターの経営を任され商売をしました。商売にとって数字は結果なので、随分そのことには頭を悩まし経営努力もしました。「100を目標にすると90で終わる。110を目標にすると100に到達できる」と自分自身の勝手な思い込みで経営哲学?をつくりその実践をした結果、世の第三セクターの殆どが苦戦を強いられる中で、創業以来13年間一回も赤字になることなく黒字を続けたり、出資者に5%の配当を続けているのです。

 私は経済学を勉強したわけでもないのに経営に携わりました。お天気に左右されやすい、しかも冬と夏の落差がひどいなど幾つ物弱点を持つ「道の駅」をどう経営するか、10年間は寝ても起きてもその事を考えていました。冬になると来客が少なくなる弱点をカバーするために他の地域では咲かないスイセンや菜の花を冬の花として取り上げ見事に冬の観光客を倍増しました。でもお天気に左右される悩みは多少改善されてはいるものの今も抜本的な解消にはなっていないのです。

 私は道の駅に来るお客を4つに分類していました。お客さん100人をパーセントで表すと、まずいい消費者は5.5パーセントです。この人たちは価値が分っていていつも買ってくれる固定客です。次に健康志向型消費者は16.5パーセントです。この人たちは学習旺盛で裏面の表示を見たり消費期限を気にしたりしながら価値が分れば買ってくれる人です。次に最も多いのが分裂型消費者52.5パーセントです。この人たちは見た目と安さがで商品を買います。後の残りはどうしようもない無意識消費者25.5パーセントです。この人たちはいくらチラシを撒こうと看板を立てようと無関心で、道の駅などには来ないのです。

 最初私はいい消費者と健康志向型消費者を相手に商売をしていました。確かに22パーセントの手ごたえはあるのですが、売り上げの数字が伸びないのです。そこで思い切って22パーセントプラス52,5パーセントの品揃えにして見ました。それ以来売り上げも来客数もいい消費者や県句指向型消費者が多少減ったものの、うなぎ上りとなったのです。しかし問題点も出て来ました。分裂型消費者は少しでも問題点が見つかると風評被害を撒き散らすのです。これは恐ろしい消費者行動で、一夜のうちに口コミで広がるのです。それは商品だけではありません。例えばトイレが汚かったりするともう大変です。新聞にまで投書して風評はまたたく間に広がって客足がピタッと遠のき、売り上げは大幅にダウンするのです。

 私はその実態を見ながら、この風評被害を撒き散らす分裂型消費者を風評被害から風評効果に転換できないか考え始めました。そのために人工砂浜の掃除を毎日毎朝3時間ボランティア活動として自らにノルマを課して頑張りました。また声賭け運動を行い誰彼となく道の駅で話しかけました。結果的には砂浜が美しい、夕日の美しい、じゃこ天が美味い、夕焼けソフトクリームが美味しいという風評が口伝えとなって、またたく間にシーサイド公園は県内観光地のスターダムにのし上がってきたのです。風評効果を作る物語は枚挙に暇のないほど作り、その結果が年間55万人の観光客となったのです。

 風評被害をばら撒く人は、やり方一つで風評効果をばら撒く人になるのだということを考え、「真心と本物」の感動商法をこれからも続けていけば、シーサイド公園は不滅なのですが・・・・・。

  「風評は 被害と効果 裏表 どちらに回すか 知恵でどうでも」

  「五十二の 分裂型を 引きこんで 見方にできりゃ 占めたものです」

  「結局は 人の良し悪し 決まるもの いい人いれば 経営上手く」

  「本物と 真心だけで 勝負する 感動商法 今も昔も」

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shin-1さんの日記

○やっと書き終えた年賀状

 毎年恒例のことながら、年の瀬も押し迫ると何かと慌しく、予定しているはずなのに年賀状を書く作業が遅れに遅れて、昨日やっと700枚ほどの年賀状を書き終えました。年賀状の裏書は印刷屋にお願いし、表の宛名書きはパソコンでプリントするのですから「書き終えた」という表現が当っているかどうかは分りません。むしろ「年賀状をプリントアウトし終えた」という方が正しいのかも知れません。それでもパソコンに入力しているこれまでの宛名を呼び出して整理し、新たな宛名を入力する作業はかなりの作業で、今年一年に貰った名刺を繰りながら、どうしても出さなければならない恩義をいただいている人を選んでは打ち込むのですが、途中で来客や電話があったりするものですから、途中で投げ出したりして中々前へ進まないのです。私のように広域的に歩く人間にとっては、たった一度の出会いの人が圧倒的に多いため、その名前と顔さえ一致しないのです。それでもブログと予定表を付け合せながら、訪ねた町や出会った人の顔を必死にめくりながら作業をするのです。

 今年妻が買ってくれた年賀状は700枚、3万5千円もの出費です。でも私のダイレクトメールだと思えば元手なしで仕事が出来る私にとっては大切な顧客サービスなのです。その700枚にどう治めるかも苦労なのですが、公的仕事についていない自由人の私ですから、不義理はご容赦とばかりに700枚に納めました。

 プリントアウトはエプソンのPM-A980という最新鋭のプリンターに変えているのでかなり速度が速くなりました。お陰様で今までのようなためし刷りや失敗もなく、700枚が全て印刷され、小脇に抱えて地元郵便局の窓口まで持って行き手渡し投函をしました。個人では多いほうなのか郵便局の女性職員も笑顔で受け取ってくれました。さてこの中に迷い子となって帰って来るものが何通あるのでしょう。昨年は5枚程度ありましたので、今年もその程度は覚悟しなければなりません。迷い子郵便の主な原因は住所を正しく書かなかったこちらにも責任があるのですが、年賀状の配達人がアルバイトという事情もあって、大まかな住所など探すこともなく「訪ね人不詳」のレッテルを貼られて帰って来るのです。

 さて今年の年賀状に何を書いたかは貰った人しか分らないので貰った人のお楽しみなのですが、私は毎年その年に起こった自分の10大ニュースを「青春の履歴書」として書いています。今年も色々なことがありましたが、どうにか無事に終わりそうです。

 わが家にとって今年は、二人の孫が誕生したことが何よりの朗報でした。世の中は少子化だと言われていますが、5月18日に長女夫婦に次男尚樹が、8月31日に長男夫婦に長男希心がそれぞれ生まれ、孫の数は一気に3倍にふくれ上がりました。それぞれ順調な成長を続けており、正月には長男夫婦も帰ってきて賑やかな正月になりそうです。しかし一方では昨日の義兄のガン手術や卒寿を迎えた親父の加齢など、叔父や叔母に当る親父の兄弟の加齢も気になっています。親父のすぐ下の叔父は少々認知症が認められ、老いの身を心配していますが、息子夫婦と同居してるため少しは安心しています。一方で命の誕生や成長を喜び、一方では加齢による衰退を気遣うという、いつまでたっても人間には喜びや不安が付きまとうものだと思います。

 他人事ではなく自分達夫婦にも老いはこっそり忍び寄っています。今を楽しみ、今の連続を充実して生きることが人生だと、胸を張って生きていますが、さて来年はどんな一年になるのでしょう。

  「年賀状 七百枚を 書き終えて ホッと一息 今年も色々」

  「来年は 早く書こうと 心決め やってはみるが 終われば同じ」

  「書くことが あるだけ良しと 思う年 来年こそと 進化を誓う」

  「一枚も 書き損じなく 偉いぞと プリンター褒め 自分も褒める」


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