shin-1さんの日記

○ビデオテープがCDに

 私の書斎の書棚からいつの間にか本が消え、ビデオテープが消えました。本は人間牧場「水平線の家」のどでかい作り付けの書棚にインテリアとして移動し、来訪者の目と心を奪っていますが、さてビデオテープは何処へ行ったのか?と思って思い出してみると、ダンボール箱に入れられ煙会所の倉庫に眠っているのです。役場を退職する際に身の回りを片付けた折からですから2年9ヶ月も前のことなのですが、もう10年も前の出来事のような気がしています。それは私の人生がアナログからデジタルへ変化した証でもあるのです。

 妻が言うように、私は20年間のまちづくりとの出会いの中でテレビやラジオ、それに新聞や雑誌にこれでもかというほど取り上げられてきました。昨晩妻と話しをしていて、「もしも私が今日亡くなっても、通夜の晩に24時間連続で見ても見飽きないだけの物は残っている」と話したら、「縁起でもない話をしないで」と怒られましたが、そのくらいあるのです。一度ゆっくり暇を見て整理をしたいと退職時には思ったものの、その後の日々が余りにも忙し過ぎて、まだそんな余裕はないのです。

 最近私の書棚の一角に少しずつ領域を広げて存在感を誇示しようとしているのがデジタル部門です。ブログをプリントアウトして毎月一冊にまとめた綴りももう27冊になりましたし、CDやフロッピー、インク、印画紙、用紙、パソコン用品なども沢山増えて、今は整理がつかないほどになっています。これが私のデジタル進化なのだと、納得しながら眺めています。

 先日えひめ政策研究センターの清水研究員から3枚のDVDが送られてきました。2枚は11月にデビューした落伍家「夕日亭大根心」の出囃子です。DVDは2枚セットなっていて出囃子と入囃子です。私にはできない芸当で、DVDの表面には私が人間牧場水平線の家で落伍をやっている写真を焼き付けているのです。

 もう1枚はその折ビデオカメラで撮影したものをダビングしている音声付なのです。まだ人には見せていませんが、妻だけには見せました。3つのネタを約40分で喋っている当日の模様をノーカットで収録していますが、当の本人は恥かしくて全てを見ていないのです。清水さんにはこれまでも、昨年開いた「地域の自立を考えるシンポ」の際のプロモーションビデオも作ってもらっていて、これらをひっくるめると、若松進一ワールド?へ迷い込むような代物なのです。

 先日これら一連の清水さんの口添えに乗った商品?は来年への発展の糸口として、期待が膨らんでいます。もう一つ正月休みにやりたいことがあります。勿論ブログも一日三枚のハガキも辞めるわけには行かないのでそれらをこなしながらの作業になるのですが、ワープロ時代に一日365日一枚のハガキ文が印刷もされずにフロッピーに残っているのです。それを印画紙に印字して、原稿に仕上げたいと思っています。このまま死んだら心残りで天国にも地獄にも行けないので何としても仕上げておきたいのです。そして金が出来たらそれを一冊の本に仕上げたいものだと思っています。

 妻は「もうそろそろ本当の意味でのリタイアをして欲しいし自由人になって欲しい」と言うのですが、セミリタイア、セミ自由人としてもう少し遊び心で生きたいと思っています。

  「いつの間に 俺の書棚が デジタルに このまま行くと アナログ無くす」

  「来年の 種は蒔いたよ 色々な 芽と葉が出るかも 少し期待を」

  「あの人が 私と同じ 歳だとは そんなに見えるか 俺の姿は」

  「まだ死ねぬ やりたいことが あり過ぎて 今日もパソコン 前に座りて」  


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shin-1さんの日記

○二人だけでないクリスマス

 最近は日本もすっかり洋風になって、11月初めから昨日までの約2ヶ月間、特に12月は巷にクリスマス気分が溢れ、夜ともなるとイルミネーションで飾られた家々が目立つようになりました。私が深く関わって造ったふたみシーサイド公園にクリスマスのイルミネーションを飾った頃は、田舎の双海町ではまだそんな電飾が珍しく、あちこちから見学者が訪れ話題になったものでした。しかも「サンタが空からやって来る」というイベントは、パラグライダーに乗ったサンタクロースが空から降りてくるという奇抜なアイディアが受けて、今もかなりの集客を誇るイベントとしてすっかり定着しています。

 一昨日友人の玉ちゃんからメールでクリスマスカード届きました。日本語と英語が混じったメールでしたので、迷惑メールの一種ではないかと勘違いして、あわやゴミ箱へ行くところでした。玉ちゃんといえば東大卒業のお兄ちゃんで、私の友人の中では兼頭さん、えひめ地域政策研究センターの丹羽さんと三人が最も学歴の高い人で、言うこと、なすこと?全てにおいて凡人の私とは少し違っているようで、そこに魅力を感じて付き合っています。でも私も双海町に二つある東大ならぬ漁港の灯台?を二つ(豊田漁港・上灘漁港)も出たり入ったりしているのですから、ヒフティーヒフティーです。(笑)

 昨晩は妻の仕事が遅い日なので、午後7時半頃になって帰って来ました。そこへ次男から電話が入り、「夕飯でも一緒にどうか」と誘いを受けました。自動炊飯器のセットを忘れていたこともあって、早速誘いに乗り伊予市街で落ち合う約束をして出かけました。忘れていたのですが昨日はクリスマスだったのです。

 寿司が食べたいという相談になって安上がりな回転寿司へ出かけました。8時を回っていたのでお客の数はまばらで、回る寿司も殆どなく少しガッカリしましたが、それでも目当てのネタを注文し、満腹になるほど食べました。私は赤だしと8皿を平らげましたが、妻も次男もその程度で食事を終えました。「今日は僕がおごるから何でも食べて」といった割には安上がりで、次男はにこやかに支払いし闇の中へ消えて行きました。

 「さて小腹も太ったしどうする」と夫婦顔を見合わせましたが、「お父さん、たまには喫茶にでも寄らない」という妻の提案にしぶしぶ乗って、西洋料理の店へ立ち寄りました。ここはイタリア料理の美味しい店だそうで、妻は友人と何度か利用したことがあるそうですし、私も待ち合わせや座談のために2、3度立ち寄ったことがあるお洒落な店なのです。中は満員で若いカップルや夫婦がシックな雰囲気の中で、食事をしたり雑談をしていました。

 私がコーヒーを飲まないため、夫婦で喫茶店へ入ることは殆どなく、たまに行っても長男の嫁の実家が喫茶店を経営しているため、立ち寄る程度なのです。「お父さんと二人で喫茶店に来るなんて何初めてじゃあないの」と、日頃の不満ともこの日のお礼ともいえぬ言葉を聞きながら、クリスマスにこうして夫婦が過ごすことの意味をかみ締めていました。

 私達夫婦は大家族の中で暮らしてきましたし、まちづくりの世界も集団が普通で、夫婦だけでの行動は殆どありませんでした。故に余計クリスマスを二人で過ごすハプニング?が新鮮に思えたのかもしれません。妻は帰り際「お父さん、また来ようね」と、腕を組まれてしまいました。「ばか、恥かしいが」と組んだ腕を解き払い車に乗り込みました。私のような年代は手を組むことなど顔が赤くなるほど恥かしいのです。63年間生きてきて、結婚して38年間過ぎても、二人だけのささやかなクリスマスがなかったことを少し後悔しました。これまでは家庭においては子ども達中心、まちづくりという仕事においても人様中心でクリスマスを考えた尺度をもう少し見直したいものだとガラにもなく思ったりしました。

  「気がつけば 63年 生きてきて 二人で過ごす 初クリスマス」

  「来年も 元気で二人 クリスマス 心入れ替え 手などつないで」

  「夕食を おごってくれた 優しい子 妻が育てた 勲章やりたい」

  「クリスマス カード横文字 迷惑な メール間違え おっとゴミ箱」 

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