shin-1さんの日記

○奥多摩町を訪ねて②

 奥多摩町福祉会館は鈴木さんの料亭「寿々喜家」の直ぐ裏側にありました。「奥多摩の明るい未来を創る会」が主催した会なので、そのメンバーに会うため会館の中にある障害者が運営する「タンポポの家」の和室でお茶をいただきながら名刺交換しました。参加者の中には双海町へ来られた議員さんたちもいて、NPO法人タンポポの会のメンバーを交えた賑やかな交流となりました。

 

 私に与えられたテーマは「観光振興と意識改革」でした。この町のように東京に近いという地の利と、少し不便という古きものが残る場所、しかもこれといった基幹産業がない地域は、あり余る自然や暮しを生かした観光を目指すのが一番だと誰もが思います。しかし観光の何をどのように誰がいつ売るのかとなると、中々回答が出てこないのが実態だと思うのです。これまでの観光はどちらかというと東京にすり寄る姿勢があり、行政主導でハードやハコモノを作るないものねだりの観光であったように思います。しかし都会の人が本当に求めているのはそんな都会の物真似をしたハードではなく、人々の暮しや文化といったソフトなのです。そのためには民間も行政ももう一度その事を意識して、これからの観光振興を立ち上げなければなりません。そして暮しや文化を物語にしてまちづくりという手法で情報発信して行けば、必ず奥多摩らしい、奥多摩にしかないオンリーワンが出来るはずなのです。

 観光の難しさは観光を経済的に潤う人の占有物だと観光に携わる人は思い、携わらない人は人のことだと投げやりになることです。まちづくりが出来ていない町は観光を語る資格がないのです。観光で成功している地域には三つの条件があります。一つは時間が守れてあいさつが出来て、人が集まります。二つ目は公衆トイレが綺麗です。三つ目はその町の入り口から出口まで花が咲いています。

 観光客が来た時、優しい声が掛けれるような町、公衆トイレが綺麗な町、花が咲く素敵な町へは、また来たいと思うに違いないのです。つまり観光は人々の心が出来ていないとリピーターは来ないのです。リピーターが来ないと経済は潤わないのです。物を作っても心ある人が来ない町は経済どころかゴミと糞とション便だけが落ちるのです。

 
(お茶会は賑やかに夢を語り合いました)

(右端が今回の仕掛け人の鈴木賢一さんです)

 会議は大勢の人が集まりました。講演に熱中し残念ながら皆さんの写真を取るのを忘れてしまいましたが、集会後寿々喜家の二階で座談会をしました。議員さんやリーダーの方々に私が話したのは、一人一人が自分の住んでいる地域をよくして行こうということでした。議員なると議員病という評論家になりがちですが、自分の住んでる地域も自慢できず、自分の地域を守れないのに全町のことをいくらいっても、人は信じてくれないのです。色々な意見が出ました。ローバイを100本植えたという話や、イルミネーションで地域を飾っている話も出ました。故郷自慢が出来る地域は素晴らしくなり、それがやがては観光となるのです。

 その夜宿泊場所となった前田副議長さんの経営する玉翆荘へ筋木賢一さんが訪ねてきて、夜遅くまで二人でまちづくりについて四方山話をしました。酒を飲まない二人ですが、話に酔い知れました。

 明くる朝、玉翆荘のおばあちゃんがハヤトウリなどの珍しい漬物を朝食に出してくれました。これが絶品でこれを玉翆荘の売り物にしたらどうかとおばあちゃんに言ったらおばあちゃんは笑っていましたが、愛媛県宇和町には漬物だけで40種類もそろえた糠床だけでお客を集めているお店があります。結構有名で著名人がやって来るのです。普通は何でもないと思っているこうした生活文化や暮しが都会の人には求められているのです。寿々喜家で食べた川魚の生燻製も絶品でした。いい物を持ちながらこれが湧きに追いやられたり、気付いていないのは何とも勿体ない話です。高齢化する中で老人が持っている暮しの技はこれからの観光を支えること受けあいです。ついでの話で恐縮ですが役場職員の意識も少し改革する必要あると感じました。

  「おばちゃんの 技が生きてる 漬物を 情報載せれば 有名旅館に」

  「当選を すると何故なの 議員病 評論するも 手足動かず」

  「このままで 追々細り する地域 足腰立つうち 何とかせねば」

  「人のこと 思っている人 役場人 これでは人が ついて来ないよ」   

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shin-1さんの日記

○終着駅は始発駅・東京都奥多摩町を訪ねる①

(東京都庁のある新宿に建つビル群、ここから奥多摩町への旅は始まりました。落差を感じながら・・・・)
(朝の新宿は黄色いイチョウの葉っぱが風に舞って詩情豊かに落ちていました)

 「♭函館止まりの連絡船は 青森行きの船になる♯」なんて北島三郎さんの演歌があって、よく酒を飲むと調子に乗ってカラオケで歌ったものです。そんな懐かしい歌を思い出しながら、新宿発青梅行きの快速電車に乗り込みました。中央本線は山梨へ行く途中何度も通っているし、10月にも木曽福島へのルートとして選びましたが、青梅線は初めてだし、青梅から乗り継いで奥多摩までの列車はまだ一度も乗ったことがないので、奥多摩の渓谷沿いに登って行く列車の窓辺に見える初冬の奥多摩路を興味深く眺めながら、終点奥多摩駅に到着しました。待ち合わせ時間を含めても2時間ほどの短い時間でしたが、これでやっと念願叶って南に地位置する三宅島と東京都の一番奥まった場所へ来れたのです。日本の中心地で世界に冠たる東京都なのですが、中には三宅島のような離島もあればこんな田舎もあるのですから驚きです。

 そもそものきっかけは東京都町村議会議長会に招かれ東京都内で議員さんの前で話したことがきっかけでした。「面白い話をする人もいるものだ」と珍しがられ、おらが町に来て欲しいと三宅島にお邪魔し、奥多摩町の議員さんはわざわざ議員研修の場所としてわが双海町を選ばれ、6月4日に見えられたのです。その折義言いの一人として来られた鈴木賢一さんが代表を務める「奥多摩の未来を考える会」の招きでの訪問となったのです。

 奥多摩町では先月町議会議員選挙があって鈴木さんは勿論、双海町へ来られた他の議員さんも全員当選して、懐かしい顔々にお会いするの楽しみの一つでした。

 私が双海町を出発する日は北西の季節風が吹くあいにくの天気で、傘も用意しての旅立ちでしたが、東京都は風もなく絶好の天気に恵まれ、奥多摩までの列車にはリックを背負ったハイキングを楽しむ中年の男女が何人も乗って賑やかでした。

 地元の人は不便といいますが、30分に1本の電車が走っていて、マッチ箱のようなたった一両の列車が長閑に走る私たちの町から比べると雲泥の差があるようです。木造の駅舎も立派なもので、駅前の通りも昔から比べると寂れたそうですが、それでもバスがひっきりなしに出入りして、活気があるように見えました。

(終着駅でもあり始発駅でもある奥多摩駅)
(立派な三本杉)

 予想以上に早く着いたので、ひとりカバンを提げて周辺を散策しました。駅前に降り立った時目についた杉の木を見に行きました。多摩川に架かるモダンな橋の直ぐ側に神社があってその境内に、三本杉という東京都の天然記念物に指定されている大きな杉の木がありました。実に見事な銘木です。この町には巨樹と呼ばれるに相応しい樹木が沢山あって、その数は日本一だと自慢しているようで、暇があればその木々を訪ねたいものだと思いましたが、この日は残念ながらそんな時間も余裕もないため心残りな旅となりました。私は更に役場裏の遊歩道を通って多摩川沿いを散策しました。台風9号の被害甚大で「水の色が少し濁って」と謙遜していましたが、どうしてどうして、初冬の澄んだ水がとうとうと流れ、すっかり葉を落とした落葉樹の木々が冬近しの風情を醸していました。

(役場裏の多摩川に架かる赤い橋と川原)
(水は澄んで心が癒されました)
(この水は東京へ向って流れていました。実に美しい流れです)

 さてお目当ての鈴木賢一さんとは、東京都の町村議員研修会、奥多摩町の議員視察研修会と、これで3度目の出会いになるのですが、奥多摩町のホームページにアクセスすると先月禊を受けた選挙の様子が詳しく紹介されていて、本人は謙遜して電話打ち合わせの時には微塵も漏らさなかったのですが、どうやらトップ当選を果たされたようでした。

(鈴木賢一さんのお店の入り口に張り出されたいた私のポスター、横には議員選挙の余韻の看板がありました)

 電話では駅の近くで寿々喜家という料理屋を営んでいると聞いていたので、歩いてお店を訪ねました。昼前という仕込みの時間だったこともあって、鈴木さんも奥さんも従業員の方々も厨房で忙しく働いていて、悪い時間に訪問したと察したものの引き下がることも出来ず、カウンターでお茶をいただきながら、四方山話に花を咲かせました。お昼は鈴木さん自らが腕を振るって天ぷらをご馳走になりました。カウンター越しに見える鈴木さんのお手並みは見事なもので、あっという間に天ぷら定食が出来上がり、熱々の揚げたての天ぷらの美味しかったは格別でした。

(ダム湖です。台風の余韻でしょうか、少し濁っていました)

 食事が終わって一段落したところで、東京都の水瓶といわれる奥多摩ダムを鈴木さんの運転する車で見学に行きました。飲料水源ダムとしては最大級で、東京都民は遠く離れたこの水の恩恵を受けているようで、その見返りでしょうか、周辺の施設もかなり立派で、都民のオアシス公園となっているようでした。

(東海林太郎が歌った「湖底の故郷」という歌の歌碑です。)

 しかし、奥多摩町は何処へ行っても平地が少なく、田んぼは皆無だと聞きました。急峻な地形は私の町も同じで別に驚くことはありませんが、それでも私の町には見渡せば瀬戸内海が広がっていて、景観上での閉塞感あるようです。でもその分自然が豊かで、秋や春には季節の移ろいを愛でに大勢の観光客が押し寄せるようです。

  「東京と いいつ海あり 山ありて 人の暮しの 温もり感じ」

  「三度目の 正直なのか 奥多摩へ 人のご縁は 不思議なりけり」

  「親と子が 仲良く並ぶ 三本樹 優しき町に 足を踏み入れ」

  「この水が 流れ流れて 街人の 命育む 知る人もなし」    

 


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