shin-1さんの日記

○10年間のライフデザイン②

(私がコーディネーターを務めた「色々な種を知ろう」というパネルディスカッションでのパネラーの話)
(パネラーの話を聞く参加者)
(四つのブースに分かれての討論)

 確か一昨年も昨年も「大人を考えるフォーラム」に実行委員として参加して、八幡浜高校の堀田校長先生の指導を受けて、十年後の自分へと十年後の自分から手紙を書いたような覚えがあります。というのも、いきなりこのフォーラムに参加している高校生や大学生、勤労青少年に十年後の自分へと十年後の自分から手紙を書きなさいといってもそれは藪から棒だと思った堀田校長先生は、サンプルのつもりで私に簡単な手紙を書いて発表するようその場で依頼を受けました。その手紙を参加者の前で例題として読んで聞かせて作文作業に入ったのですが、フォーラムの最終ラウンドなのでみんな真剣に書いていましたし、素晴らしい発表で感心しました。

 昨年の手紙は既にブログで書いていると思われるのですが、一昨年の手紙を思い起こしながら私は十年後から今の自分に手紙を書きました。

(フリートーク「私たちの種って?」。ワークショップ「種を見つけよう」。ワークショップ「種を育てよう」の熱心な議論)
(十年後の「私から今のあなたへ」手紙を書き発表する参加者)

 「大洲青少年交流の家で自分に手紙を書いたあれから早11年が経ちました。リタイヤして間もなかった私も今では73歳のおじいさんと呼ばれる年齢になっています。でも10年前のあの日数学者の秋山先生が「青春とは心の若さだ」と強調されたように、今も「今やれる青春」を謳歌しているこの頃です。

 私は11年前三つの事を十年後まで続けようと心に決めていました。その時若者たちは公認会計士や学校の先生や設計士になりたいなどと具体的な目標を書いていたようですが、私は十年後の大それた夢でなく、まるで尺取虫のように「ただひたすら続ける」ことを目標にしていたようです。それは一年前の11年前から考えていた目標だったのです。でも不思議な事に考えた一年後には三つの続けることのことごとくを既に手に入れていたのですから驚きです。つまり一つ目の人間牧場(水平線の家・ロケーション風呂・ツリーハウス{は既に一年後には完成していましたし、十年経った今も年年歳歳素晴らしい成果を上げているのです。二つ目の本を出版する目標も一年後既に落伍高座本地の書が出来上がっていましたし、目標だった水の書・火の書・風の書・空の書という五部作も全て完成し、一日2本のブログも拙文ながら未だに続いており、130冊余りの月別にプリントアウトされ、人間牧場の書棚に並んで来訪の友人たちが楽しそうに読みながら当時を振り返って読みふけっているようです。

 またあの時20年目だった一日3枚のハガキを書くという日課も、今年で三十年の節目を迎えるのです。

 凡人ゆえ私にはもう富士山のような高い望みは持ちようがなく、せめてアリのような人生を過ごすことくらいは出来るかも知れないと、これからも今を通過地点と思っているのです。こんな小さなことながら続けてきたしこれからも続けられる私は素晴らしいし、私は馬鹿な天才だと思っています。十年前の自分へ 若松進一より」

 堀田先生の求めに応じて即興で今日短時間で書いて読んだ手紙でしたが、私の進化論は「ただひたすら毎日続ける」というささやかな目標を、もう少し頑張ってみようと思いました。人間はどこかで立ち止まったり、何かのきっかけがなければ自分の生き方や将来について考えないものです。今回の「大人を考えるフォーラム」では、そんな立ち止まりや気付きのきっかけだったと、日頃あくせく働く自分自身にとっても充実した二日間になりました。

「種」という今回のキーワードもいいテーマだったようで、それぞれの人の話を聞いて、自分の体内にある種について整理できたことは大きな収穫だったようです。

  「私には 幾つあるのか 種の類 蒔いて生やそう 新たな決意」

  「天職と 思ってやって きた仕事 自分にだけしか 出来なかったな」

  「失敗を こうして乗り越え 夢掴む 語る言葉に 人の努力が」

  「立ち止まる 自分というなの 人間に 語りかけるも 悪くはないな」 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○大人を考えるフォーラム①

(開会式で挨拶する所長さん)

 国立大洲青少年交流の家が主催する、「大人を考えるフォーラム」の実行委員長を頼まれてやっているため、昨日と今日の二日間は、交流の家へ缶詰にされて、その企画と運営に携わり、今夕やっと無罪放免になってわが家に帰って来ました。普通であれば一泊研修といえば24時間の研修会が常識ですが、昨日の11時に開会式が行われ、閉会式は15時30分、しかも終了後第4回目の実行委員会を行って反省評価をするという念の入った集会で、わが家に到着するなり妻が「こんなに遅くまで何をしていたの?」と不思議がり心配をして、途中で携帯で居場所を確認してくれました。正直長丁場で責任もあるし疲れはしましたが、それでも所期の目的を達成し爽やかな研修会であったため、長旅の疲れはなくすっきりしているようです。

(数学者秋山仁先生の記念講演、「天職を探せ-自分にしか出来ない仕事、それが天職-」に聞き入る参加者)
(秋山仁先生を囲んで実行委員会のメンバーや講師陣)

 それにしても世の中には達人という人はいるもので、昨日の初っ端の講演は度肝を抜かれるようなお話でした。テレビで御馴染みのとかいわれますが、私はそんなにテレビを見ていないので名前くらいしか知らなかったのですが、数学者の秋山仁先生の話は難しい話を分りやすく話す点では、最近10年間で聞いたどの人の話よりも心を打たれる、分り易い話だったように思うし、参加した殆どの方がそんな好感を持って帰ってくれたようです。

 プロフィールには次のような紹介文が載っていました。【1946年東京生まれ、理学博士、数学者、上智大学大学院数学科を修了後、ミシガン大学数学客員研究員、日本医大助教授、東京理科大学教授、科学技術庁参与、文部省教育課程審議会委員などを経て現在に至る】

 私が心に残ったのは次の言葉です。

   運命の風    -ウィル・コックス-

  ある舟は東に進み また他の舟は同じ風で西に進む

  ゆくべき道を決めるのは 疾風でなくて 帆のかけ方である

  海の風は 運命の風のよう

  生涯という海路を辿るとき ゴールを決めるのは

  凪か嵐ではなく 魂の構えだ

 宇和島水産高校在学中にカッターに帆を張り帆走訓練をやった経験があるが故に、この言葉の意味はよく理解が出来ました。

 帆を張った船は何もしないと帆が風を受け風下に流されるのは当然のことですが、風を上手く利用すれば風上に船を進めることが出来るのです。風上に向って右舷から帆に風を受ければ左前の方向に進みます。逆に風上に向って左舷から帆に風を受ければ右前の方向に進みます。つまり右前、左前とジグザグに舵と帆をあやつれば、向かい風であっても船は目的地へ到着するのです。風上からかざし燃え流されるのは宿命です。だが魂の構え、つまり目的地を目指すという意識と知恵ある行動さえすれば宿命は運命に変わるのです。

この話は私が解説したような経験がない人にはまるで理解できない話ですので、聞いていた高校生に夕食時食堂で箸を使って話してやると喜んでいました。

 秋山先生は発見の三大要素は①色々な角度から見ること、②全て否定してみること、③自然を観察することだと話されました。これも私にとっては納得のいく話でした。またアメリカの詩人サミュエル・ウルマンの青春について話され、アコーディオンを弾けるようになったと演奏され結ばれました。私とよく似た話に思わずニンマリしました。

  「あれ程の 数学究めた 人なのに 誰彼みんな 納得話す」

  「風上を 目指して進む 帆前船 理論分れば コックス理解」

  「魂を 揺さぶるような 話聞く 俺もあんなに 上手くなりたい」

  「俺だって ハーモニカ吹く 練習で 百六十曲が 曲がりなりにも」

[ この記事をシェアする ]