shin-1さんの日記

○四国中央市川滝地区女性の集いに参加しました

 今朝は前の晩に今治市の旧友河上和夫さん宅に宿泊していたものですから、余り朝早く起きてガタガタするのも失礼と思い、家族の方が敷いてくれた布団の中で夜が明けるのを待ち、ご当主やご家族に挨拶もしないまま朝7時に河上さん宅をそっと抜け出して、勝手知ったる朝倉経由の道をクネクネ走って今治湯浦から高速に乗り、四国中央市までひたすら走りました。9時までに川滝公民館まで着かねばならないため「中年暴走族」どころか「初老暴走族」と言われそうな身分で法定速度ギリギリまで少々スピードを上げひた走りました。お陰様で川滝に着いたのは8時半、少々時間があるので、直ぐ側にある椿堂というお寺さんにお参りする事にしました。この日は日本列島全体がまるで冷蔵庫に入ったように冷え込んでいて、時折雪のちらつくあいにくの寒さで、椿堂は訪ねる人も殆どなくひっそりと静まりかえっていました。庭の寒椿が寒さに震えながらも一際美しく咲いて出迎えてくれたのは何よりも救いでした。



 今朝は少し縁起を担いで賽銭を115円投げ入れました。「100パーセント10分5円がありますように」との思いです。いつもの事ながら願い事はせず、ただ無心に両手を合わせて祈るだけなのです。参拝が終わった頃寒さに震えるように夫婦連れの参拝客が現れました。88ケ所参りをする途中で立ち寄ったとの事、これから土佐へ行くそうで、ちらつく雪を見て行く手の道路状況を案じたいたようです。

 女性の集いの会場となる川滝公民館は国道を挟んだ椿堂の直ぐ下にありました。カーナビのご厄介になるでもなく直ぐに見つかりましたが、この日公民館近くの国道は舗装のし直しのため、大きな工事作業車が轟音をたてて舗装を剥ぎ取っていました。「何も今日のような地元で催しをする日に限ってしなくても」と、お上のやる事に不満を感じつつ事務所へ入りました。入り口には既に受付も出来ていて、かなりの人が集まっていました。

 私に続いて井原市長さんが見えられました。市長さんは数日前の新聞で再選を目指して市長選に出馬を表明していて、まだ44歳と若いのですが、県会議員を経験して魅力ある政治家の階段を確実に登っているように見えました。

 やがて30分の開会セレモニーも終りいよいよ私の登場です。長閑な山村の川滝地区ですが、市長さんが自慢するほど盛況で、100人を超すほどの参加者が集まっていました。この日の演題は「女性が輝くときまちが輝く」でしたが、会場の年齢構成を見て、女性の集いといいながら余りまちづくりや活性化の話に特化しない方がいいとの判断から、世間一般の変化を話題を交え面白おかしく話させてもらいました。

 冒頭私を紹介した人が、ハーモニカで160曲吹けると紹介してくれたものですから、ついついその気になって最後はハーモニカの音色で閉めてしまいました。謝辞も身に余る光栄で、穴があったら入りたくなるような賛辞を送ってもらい、鳴り止まぬ拍手の中会場を後にしました。

 それにしても事務所の応接室でお茶受けに出された干し柿の美味しかったこと、早い旅立ちで朝食を取っていなかったためもあるのですが、思わず2個も食べてしまいました。普通は地元の菓子屋さんの饅頭などが並ぶのですが、今日の干し柿は粉吹きも抜群で、見た目も食べた味も申し分のない一級品で、出された少し濃い目のお茶に合っていました。

 素直な気持ちで干し柿を褒めたところ、作られた人がいて二パックもお土産にいただき嬉しい限りです。人をもてなすためには何もお金をかける必要はなく、このように真心のこもった手づくりはその土地や作り手の気持ちが伝わって、とても嬉しく感じました。

 若い公民館主事さんの爽やかさ、館長さんのさりげない気配り、そしてこの日司会をした宇和島出身で県連青年団副会長経験者の女性の思い出話などなど、今思い出しても心に残る舞台裏のエピソードでした。

  「旅先の 友人宅を 抜け出して 粉雪舞い散る 高速走る」

  「お茶受けに 出され干し柿 つまみ食い お茶にマッチし 気持ち落ち着く」

  「賽銭を はりこみ参る 寺の庭 寒の椿が 一際栄えて」

  「今日もまた いい人出会う 研修会 西に東に 動き回りて」  

 

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shin-1さんの日記

○希望の島にやって来ました

 今治沖というよりは尾道よりという表現がぴったりの、越智郡上島町弓削島にやって来ています。今日午後から開催されるシンポジウム「希望の島へ」という集会に出席するため、今治を高速船で出発しました。門田さん、岡崎さん、米湊さんを伊予市で拾い、一路今治へ向かったのですが、早朝でしかも土曜日とあって車がスムースに流れ、一便早く9時の船に飛び乗りで間に合ったのです。

 久しぶりの越智郡島嶼部への船旅は快適で、先に乗っていた豊田さんと合流しましたが、豊田さんは伯方島で下船して散策するとかで分かれました。

 弓削島へは合併して上島町になってから始めての上陸で、村上律子さんはじめ多くの仲間に会うのも楽しみの一つです。

 島の船着場には兼頭さんが迎えに来てくれていました。風邪気味とかいって声が少し変わっていましたが、それでもこの日の仕掛け人なので不安と期待を垣間見るような気がしました。

 会場は船着場から歩いてすぐそこの「せとうち交流館」という場所ですが、図書館や実習室を兼ね備えた驚くほど立派な建物で、図書館のパソコンでこうしてブログを書いて情報発信できるのも有難いことなのです。

 今回の「希望の島フォーラム」、~ボクらの地域の未来はボクらが創る」は、財団法人松下政経塾生である兼頭一司さんが地元の人たちと仕掛けたものです。兼頭三は松下政経塾26期生です。西条市丹原町出身で東京大学を出た後、東京暮らしをしていましたが塾生になり、本年4月より上島町に家族三人で移住して地域づくり活動に取り組む予定だそうです。彼と私の出会いは一年前に遡りますが、えひめ地域政策研究センターで一ヶ月間研修したことがきっかけで深いご縁をいただきました。

 今日は私の出番も予定されていて、何と落伍をやるのです。基調講演が「地域と人間の回復」という演題で、東京大学の神野直彦先生ですから、その後に出る私などはまるで入門前のド素人のようなものですが、兼頭さんの門出にふさわしい話をしながら『笑いの夕日寄席」ということで、参加者を笑いの渦に巻き込みたいものだと思っています。

 先日茨城県水戸市で行われた全国地域づくり団体交流会にご一緒した村上律子さんが、「弓削島に来たらお好み焼きを食べに行こう」と誘われていたので、早速連れて行ってもらいました。噂にたがわず美味しいお好み焼きをご馳走になり、準備していただいた昼食をキャンセルしてしまいました。

来月4日には弓削高専へ講演に来る予定で、月末には今治2箇所と、不思議なまちづくりの連鎖反応が起こりつつあります。

 家を出る時、「弓削島へ行ってきます」と予告をしてでたのですが、こうして寸暇を惜しんでブログを書き、弓削島から情報発信出来ることは嬉しい限りです。

  「いい島だ 聞いた女性が 住みますか 思わず私 すみませんです」

  「生き生きと 輝き生きる 島女性 頑張ってねと 支援の拍手」

  「湯気が出る 弓削での話し ホットだね 何かいいこと ありそな予感」

  「しまなみの 橋もかからぬ 島だけど 文化ほのぼの いい島ですね」

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shin-1さんの日記

○ひっきりなしのお客様

 今日は私が在宅を知ってか知らずでか、朝から10組もの人が入れ替わり立ち代りにわが家を訪ねて来るのです。やっと帰ったと思いきや玄関のチャイムが鳴らされ、また対応です。今日は冬型の季節風が強まり、今朝はこの冬一番の冷え込みだそうで松山で氷点下を記録したとテレビで報じられていました。私も朝から書斎に石油ストーブを焚いて暖を取りながら頼まれた原稿を書こうとするのですが、ひっきりなしの来客に中々構想がまとまらず、読書に切り替えて時を過ごしました。

 そういえば、外は冷たく風は強いものの好天で、少し遅めの下浜の水仙と少し早めの閏住の菜の花を目当てにやって来た人たちがわが家へ流れてくるのだと、皆さんの話を聞いて納得しました。つまりわが家訪問は「水仙や菜の花のついで」なのです。

 それでも役場に立ち寄って人間牧場やわが家の位置を訪ねての来訪ですから、丁寧に対応しなければならないのです。殆どの人は友人や家族連れなので応接間へは通さず私の書斎の掃き出し窓から上がり込み、お茶を飲みながらの雑談の後、私設公民館煙会所と海の資料館海舟館を見学して一時間弱で帰って行くのですが、中には人間牧場へ連れて行って欲しいとせがむ人もいます。今日は予定があるからと丁重にお断りをしても、「それなら自分たちで行くから道を教えて欲しい」と食い下がります。残念ながら案内がなけれ道に迷うし、地図も書けないと断るのですが、「あんたは不親切だな」という不満な表情を顔に出し、態度に表せてしぶしぶ帰って行くのです。それでも一つのご一行様に小一時間かかるのです。

 今朝は午前10時に予約の人が松前から訪ねてきました。先日ある人の紹介で電話がかかり講演依頼に伺いたいというのです。聞けばその学習グループの今年のテーマは「団塊の世代」だそうで、最近団塊の世代、つまり戦後生まれの方々がリタイアするようになって、生き方が分らない人が世の中に増えてきているというのです。このグループの狙いはそういった方々を再教育してボランティアとして活用する方策を探っているようなのですが、果たして目論みどおりその人たちがボランティアの戦士になれるかどうかは意見の分かれるところです。これまで家庭も地域も顧みずがむしゃらに働いてきた人にとってボランティア活動などという世界はまったく別の世界なのです。

 リタイア後の人生を有意義に生きてゆくためには大きく分けて3つの視点が考えられます。まず自分の人生をどう設計するかでしょう。残された人生は長いようで短く、短いようで長いものです。これまで生きて得た知識と資金でどう自分らしく生きれるかということを考えなければなりません。自分を見つめ自分の人生を考えるこのことが多分一番難しいことなのです。

 次に大切なことは家族との暮しです。一つ屋根の下で暮らしているというけれどみんなバラバラな考えと行動で生きているのが今の日本の家庭です。例えばわが家のように年老いた親がいればその介護も、また無限大的に広がっていた暮しをどうコンパクトに縮小したりまとめて身を寄せ合うように生きて行けるかです。

 もう一つ大切なことは地域活動やボランティア活動を通して役立ち感を持つのです。いきなりボランティアというところまでスキルアップするのは無理なような気がするのです。

 人間の生き方にはステップアップの手順があって、それを無視していきなりそれを求めると元も子もなくなる恐れがあるのです。

 そんはアドバイスをした二人は納得して帰って行きました。参考になれば幸せです。

  「菜の花と 水仙ついでに わが家来る おまけ人間 牧場強請って」

  「寒さゆえ 書斎の窓から 侵入し 暖を取りつつ 世間話を」

  「団塊の 世代集めて ボランティア 世の中そんなに 甘くはないぞ」

  「寒いのに 今年最初の 冬日とは 温暖せいか 寒さもピーク」


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shin-1さんの日記

○むらづくりコンクール

 「宮崎県むらづくりコンクール表彰式・むらづくり講演会」に招かれ、今をときめく宮崎県へ行ってきました。ノミネートされた7つの事例のうちで、むらづくり大賞に選ばれた銀鏡むらづくり推進会の事例発表を聞きました。壇上に上がって発表した5人全員が浜砂さんという何とも面白い顔合わせでした。西都市の北、東米良地区に位置する銀鏡(しろみ)はゆずの生産が盛んなところで、ユズを中心にした東米良ユズ生産組合や農産物加工施設を利用した活動によって雇用拡大や所得の向上が図られ、これが地域づくりの拠点施設となって重要な基盤整備となったそうです。地域存続に欠かせないものに学校の存在があり、最近は少子化の影響でどこも学校の統廃合に揺れていますが、ここではいち早く山村留学制度に取組み、これまで169人の子どもたちを迎えているそうです。里親制度による受け入れも効果を挙げてるようでした。また銀鏡神楽の保存活動やグリーンツーリズムによる都市住民との交流によって交流人口が拡大している様子がパワーポイントを使って詳しく発表されました。

 発表した5人の浜砂さんと昼食を挟んで懇談しましたが、素朴でそれでいてしたたかに生きている様子が伺え、一度訪れたいような気持ちになりました。ちなみに昼食は会場の近くのお寿司屋さんで850円のお寿司を食べましたが、とても美味しくいただきました。

 世の中が狭くなったのか私の行動範囲が広くなったのか、はたまた私の知名度が上がったのか?(それはないかも)、会場には知人が何人か来ていて、思い出すのに苦労しましたが一瞬驚きました。

 私の講演題は「地域資源を生かしたオンリーワンのまちづくり」でした。この集会には宮崎大学教育文化学部教授戸島教授を始め宮崎県むらづくりコンクール審査委員の方々も6人参加していて、そちらへのアピールしなければならないので、少し内容を変えてお話しました。しかし残念なことに私の持ち時間が1時間10分と少なく、担当者の要望でDVDまで紹介するとなると余りにも時間が少なく、尻切れトンボのようになってしまいました。いつも思うことながら、僅か70分のために陸路往復500キロの走行と24時間もの大移動とはこれまた大変な労力です。でも宮崎で新しい出会いの輪が広がって、新しい何かが起こりそうな予感がしています。

 今回の研修会に招かれたきっかけは、何年か前宮崎県椎葉村で行われたグリーンツーリズムの勉強会に講演を頼まれて出かけたことがきっかけでした。あの時出合った古谷さん夫婦とはその後沖縄県石垣島で行われた全国地域づくり団体交流大会で再会したりしましたが、宮崎でペンションポケットを営んでいて先日も奥さんは全国民宿のお母さん百選に選ばれるなど、新しい情報を発信しています。

 今回のむらづくりコンクールの審査講評で戸島先生は「私は限界集落という言葉は余り好きでない」とお話されました。確かにいい言葉ではないし、65歳以上を高齢者と呼び、高齢化率50パーセント以上というけれど、何を持って高齢化というのか、何を持って限界集落というのか意味不明のまま限界集落という言葉が独り歩きしています。でも学者や部外者は「こう有るべきだと」と「あるべきだ論」を声高にいっても、何も助けてくれないのです。限界集落も持った地域に住んでいる私たちは、結局世の中の流れに翻弄されながらも「人間としていかに生きるか」という開き直った考えで力強く生きるしかないのです。

 美味い水を飲んで、美味い空気を吸って、美味いもの(安心で安全な地のもの)を食べて長生きをする。何でもないことですが、これが田舎に生きる人間の特権だと思えばいいのです。そんなメッセージを伝えに宮崎まで出かけました。私の考えや生き方は間違いでしょうか。

  「往復で 五百キロもの 道程を 宮崎くんだり よくぞ行ったり」

  「発表で 銀鏡(みしろ)の話 聞きました よくぞここまで 大きな拍手」

  「逆境を 力に生きる 人がいる ジーンと胸が 熱くなります」

  「高速で 行けない宮崎 だからいい 特定財源 賛成ですか」


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shin-1さんの日記

○一人の人間でこうも変わるものなのか

 「お前がいなかったら双海町の夕日もなかっただろうが、一人の人間で町はこうもが変わるのか」と、町の余りの変貌に戸惑いの言葉をかけられた数年前のことを思い出しました。事実夕日でまちづくりを始めた20年前と今を比較してみると双海町は大きな変貌を遂げました。それは町長さんはじめ多くの人の力でなし得たことで私一人の力ではありませんが、今の変化が悪い変化に変わった時は多分「あいつさえいなかったらこんなことにはならなかった」と批判の矢面に立たされるのは自分であると、覚悟を決めて暮らしている今日この頃です。

 昨日村づくりコンクール表彰式の記念講演に招かれ宮崎県宮崎市を訪れました。会場となる県源ホールが県庁の近くだったものですから、今話題の東国原知事の居城宮崎県庁を訪問しました。先日訪ねた和歌山県庁や愛媛県庁と同じく歴史を感じさせる県庁本館を前に度肝を抜かれたのはまず県庁の設えです。シックな県庁本館は玄関にサボテンや花、それに噴水と、まるでテーマパークのようなのです。そしてひっきりなしに入ってくる観光バスからは胸に観光ツアーのバッチをつけたおじさんやおばさんが下りてきて、盛んにカメラで撮影しているのです。聞けば知事がテレビに出て「どげんかせんといかん」などと流行語をいい、マスコミに登場するものですから、それが社会現象となって、今では県庁はれっきとした観光スポットに変身しているのです。折りしもプロ野球が春のキャンプに入っていて、旅行業者はちゃっかり東国原知事の人気にあやかって県庁とキャンプの二枚看板で宮崎を売りまくっているのだそうです。



 私は時間があるので県庁本館を見学しました。まず本館入口には知事の等身大の人形写真パネルが立てられていました。これはアイディアで知事がいなくてもちゃんとPRできるのです。

 本館は重厚な造りになっていて知事室に通じる階段や廊下、それにドアなどは「県庁」という雰囲気でした。




 「お客さん一枚撮りましょうか」、いきなり観光客に声を掛けられ、恥ずかしながら知事さんとツーショットです。さて「男前はどっちでしょう」。はい知事さんの知名度を考えて私は一歩下がって写真に写りましたので「男前は知事さん」でした



 前県知事が逮捕された不祥事の頃県庁を訪ねましたが、そこ頃の県庁は硬く門を閉ざしているような、火の消えた存在でしかありませんでした。ところがどうでしょう。県庁の横にある物産館はツアーのコースに入っていることもあって連日満員で、私が訪ねたまだ早い午前中の時間になのに沢山の観光客が列をなしていました。

 「今日は平日でお客の数が少ない」と店員さんは言っていましたが、まるで都会のお店のようでした。観光客のお目当ては東国原知事の似顔絵シールが貼ってる焼酎や地鶏の燻製など様々ですが、ここにも知事の顔がブームとして反映されていて、知事さんの似顔絵シールがあるだけで中身は別として売れるのだそうです。

 それにしてもブームとは恐ろしいものです。宮崎の人に聞けば今の段階では知事さんの功績は誰もが認めていますが、「今の宮崎は知事の人気に助けられています。これは地震のようなもので、いずれ人気が下火になると必ず揺り戻しが来るでしょう。それまでに本当の実力をつけないと」と気を引き締めていました。

 県庁に通じる楠木の並木も、県庁の敷地内にある大きなガジュマルの木も、東国原知事の人気に浮かれて誰も見向きもしませんが、私はその木の存在が県庁という景観を形成しているような気がするのです。砂漠に建つ楼閣県庁にならないようくれぐれもご用心あれ。

  「行ってみて 始めて分る 大ブーム 今や県庁 観光スポット」

  「東国原と いう名の知事が いたっけな どぎゃんいわれる 二十年後は」

  「似顔絵を 書いた名刺を 手渡すと 知事に似てると 笑われました」

  「特産品 知事の似顔絵 似つかぬに 便乗儲け 狙ってどれも」

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shin-1さんの日記

○宮崎県の朝日が見たくて

 私の町は日本一夕日が美しい町と自認していますが、西瀬戸の水平線の彼方にしずんだ夕日はどこかの朝日になって昇るのですから不思議です。その不思議さからか夕日に深い思い入れを持っているのに朝日にも憧れているのです。そんな思いもあって、豊後水道から太平洋に面した宮崎県の海から昇る朝日を見てみたいという思いに駆られ、二日前の夜わが家を車で出発しました。車の中で日替わりとなり午前1時20分八幡浜発の臼杵行きフェリーに乗船しました。さすがにこの時間の乗船はトラック便が殆どで、上昇者は僅か3台で、船室はまるで貸切のような状態で散閑としていました。所要時間は2時間20分なのですることもなく横になってうとうとと眠り、気がつけばもう豊後水道を横切って臼杵の港です。この港は本匠村へ行ったり息子の遊学地を訪ねたり、何かとよく使った場所なので、道筋は知っているつもりでしたが、夜のことでもあるのでカーナビに目的地である宮崎県庁を入力し、その支持に沿って走りました。カーナビは山道を越えて国道10号線に入って間もなく山周りのコースを選んいて、驚きつつも10号線を外れて大分県境を越え延岡まで出ました。

 カーラジオは周波数の混乱で電波をうまく拾うことが出来ずガーガーいっていましたが、そのうち左手に太平洋が黎明の中に見えてきて、懐かしい海の香りが漂ってきました。

 さあ今回の旅のお目当てである朝日をどの場所で見ようか、思案しながら走りました。夕日に比べ朝日は一瞬の出来事なのでシャッターチャンスはを逃すと上手くゆきません。途中ランドマークで朝日の美しい場所を示す道路標識を見つけましたが、時間が早く思い切って南下しました。ここが限界と水平線辺りが明るくなったので、海からは距離があるもののルミナスパークと書かれた農業公園へ入り、カメラを構えました。時計を見ると午前7時9分でした。何て美しい日本の夜明けなのでしょう。思わず体内に太陽がくれたパワーのような気力がみなぎるのを覚えました。

 冬枯れの箒を逆さにしたようなケヤキの木の小枝の向こうに朝日が昇りました。感動的な一瞬です。眠い目を擦りながら走った甲斐がありました。私の下手糞なカメラ技術でもこの2枚の写真はいいアングルな出来栄えだと自分で自分を褒めたいと思いました。

 道路沿いに設置されたデジタル温度計は外気温0度と示していました。カーラジオから流れるニュースによるとこの冬一番の冷え込みらしく各地で強風が吹き荒れ積雪も増えているとのことでした。宮崎は東に九州山脈を背負っているため晴れの日が多く、今日もラッキーだったと思いました。

 しばし幽玄の世界を堪能した私は、さらに気を引き締め直して国道10号線を南下し、宮崎市内へと入りまたが、早朝なので海岸線へ迂回してそこら辺をドライブしました。何処までも続く松並木の中にシーガイアやホテル、植物園など近代的な建物が所々に立っていて、自然にマッチしていました。経営難がささやかれた施設の運営はその後どうなっているのか気がかりなことも去来しましたが、どこも早朝のことなので入口はチェーンロックされて一般人の侵入を拒んでいました。仕方なく宮崎県庁を目指し再び走り始めました。


  「昨日見た 夕日の顔を 見たくなり 車走らせ 朝日を拝む」

  「ルミナスと 横文字書いた パーク入り 朝日写真に バッチリ撮りて」

  「朝日見て 何がそんなに 面白い 人尋ねるが われ関せずと」

  「太陽の パワーいただき 意気揚々 敵陣乗り込む そんな心境」

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shin-1さんの日記

○寒い日には戸外へ出よう

 私の住む四国双海町は、滅多に戸外の温度が氷点下以下に下がらない南国といってもそれなりに寒く、特に今年は寒さが例年になく厳しいとみんなが口を揃えていうのです。でも松山地方気象台の話だと、戸外の温度が氷点下以下の真冬日はまだないというからおかしな話です。でも最近は例年暖冬気味だったから余計そう思うのかもしれません。

 ストーブを焚いて室内にいると春を感じさせるような陽気になりますが、部屋の障子や襖を開けるとまるで冷蔵庫から風が吹き込むような肌寒さを感じ、「早く戸を閉めて」と誰もが言うのです。温かい所へ吹き込む冷たい風は余計寒く感じるものなのです。

 そんな時には思い切って戸外へ出て少し体を動かすと体の中からポカポカと温かくなるから不思議なものです。あれ程温かい場所では冷たく感じた室内の外気でさえ寒く感じるのに、戸外の寒さや冷たさが全く感じられないのは何故だろうと、その不思議さに時々疑問を持つことがあるのです。

 気温が下がるとついつい戸外へ出るのが億劫になり、運動不足になりがちで、小太り気味の妻は1キロの体重増減に一喜一憂しながら毎日暮らしています。そのため自宅から僅か500メートルの距離にある勤務先の歯科医院まで歩いてゆくよう心がけています。朝行き500メートル、昼行き帰り500×2=1,000メートル、夕方帰り500メートルの2,000メートルですが、歩かないよりましと毎日気休めに歩いているのです。短い距離の徒歩なのでそれ程効果は出ませんが、それでも偉いものでもう何年も続けているのです。

 私は年末年始に痛めた腰の具合もすっかりよくなったので、これも気休め程度、腰に余り負担がかからないように家庭菜園の草削りや人間牧場の草刈りを短い時間ながらやっています。お陰様で食欲も睡眠も充分取れて、気力の充実した日々を過ごしているのです。こうして戸外に出て外気温に体を馴らすと風邪をひくこともなく、北海道紋別で風邪を土産に貰った以外は風邪もひかずに頑張っているのです。親父も今年は寒い寒いといいながら風邪をひかず頑張っているので、まずは一安心です。

 昨日は人間牧場梅林の草削り、今日は家庭菜園にあるみかん畑の草削りと、作業時間2時間ずつながら農作業をやりました。このt頃の寒さゆえ汗もかかず日焼けもせず、喉も渇くことなく働き、畑もすっかり綺麗になりました。

 戸外に出ると意外なことを発見します。隣のおばさんが7年間も孫を保育園に迎えに行っているが、4人の孫も保育園年長のため今年が最後だと立ち話をしたり、秋ジャガと大根、ブロッコリーを近所の奥さんにおすそ分けして喜ばれたり、長い長い鉄橋の上をマッチ箱のような列車が長閑に走ったり、双海町のシンボル本尊山を夕日が染めたり、また近所の子どもの歓声が聞こえたりなどなど、身近な人々の暮しが見えてきます。時折聞こえるカラスの鳴き声も流れる雲の行方も全て忘れていた光景です。もっとのんびりゆっくり体を動かし、大地に根を張ったように生きて行きたいと思いました。

  「寒いなど 言わずに戸外 出るといい 冷たさ馴れて 体ポカポカ」

  「鉄橋を 渡る列車の 長閑さよ 鍬を休めて しばし眺むる」

  「もうこんな 時間か時計 五時を指す 町のチャイムは 夕やけこやけ」 

  「行く人が 声掛け通る 無理するな 俺の体を 気遣いながら」

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shin-1さんの日記

○梅が満開

 昨日は息子の家族が人間牧場へやって来るというので私も少しの時間だけ穏やかな日和に誘われて出かけてみました。人間牧場界隈はもう春の農作業が始まっているのか、畑のあちこちではチェンソーの音や人の気配が感じられ、野鳥も沢山見えました。

 人間牧場の入口にある西嶋さんのお宅ではご主人が狩猟をするので4匹もの猟犬が飼われていて、春の訪れを感じているのでしょうか盛んに吠えていました。西嶋さん家族は取り入れた完熟ミカンの袋を取り除いて出荷する準備作業に追われていました。先日おじいちゃんが亡くなったものですから、お見舞いの言葉をかけるつもりで車を止めて立ち話をしましたら、はね物のみかんを一箱もいただきました。何個か食べましたが、「こんな甘いみかんがあるのか」と思われるほど美味しいみかんです。このみかんは秋の収穫時に取り残し、ヒヨなどの野鳥の食害からみかんを守るため袋掛けをして樹上越冬させた「越冬みかん」なのです。完熟ですから味は抜群です。でも冬を越すため製品率が悪く、これが農家の悩みの種のようでした。

 水をいただいていることから水事情についても話し、おいとましてから人間牧場へ上りましたが、息子と嫁、それに孫と嫁の妹さんがやって来てストーブを焚いて話し込んでいました。妹さんは人間牧場が始めてとあって、感動した様子で盛んに水平線の家やデッキからの眺望を褒め称えてくれました。

 息子はお客様のためにせっせと風呂を沸かしていました。普通は灯油ボイラーで沸かすのですが、念入りなお客様には直火で風呂を沸かすので、煙がモクモクと上がっていました。

 私はロケ風呂の下にある梅林に下り、梅の花の咲き具合を見て回りました。11本ある梅の木は種類もまちまちなので、花が一度に咲くことはありません。満開を迎えた梅の木が一本あって、メジロが沢山やって来て花を啄ばんでいましたが、花にそっと顔を近づけると何ともいえない梅の花の香りが漂って、まるで花見気分でした。

 昨年が梅の表年の豊作だったため、今年は多分裏年だろうと少し諦めていますが、花の付きはまあまあで、これから水がぬるみ始めると一気に開花しそうな雲行きで、蕾は大きさを増しているようです。

 嫁の実家が喫茶店を経営しているのでお店に梅の花を切花にして持って帰るよう、まだ蕾の枝振りの良い何本かの枝を切り落とし束ねました。

 

 春の日差しを浴びて腐葉土作りのために作った囲いの中も、落ち葉の分解が順調に進んでいるようです。来月に入るといよいよ農作業を始めて、この腐葉土の上に土を乗せて種芋を伏せ、ビニールで被覆して芽を出させるる計画です。順調に行くかどうか半信半疑ですが、成果を期待したいと思っています。

(ツリーハウス)

 

 ツリーハウスは息子の手で押し上げ窓が開けられ外の風が入れられています。間もなく町内のこども達がやってきて、歓声が聞こえることでしょう。今年はこのツリーハウスの横の木に新たな本物のツリーハウスを計画していますが。さてどんな夢が実現するのでしょうか。息子の話だと露天風呂も既に頭の中では計画されていて、問題はオーナーたる私の資金力が頼りのようです。甘い顔は出来ないし、さりとて夢は大事にしたいし、まあぼちぼちやりましょう。

  「満開の 梅の香匂う 畑には メジロ沢山 花見訪れ」

  「こりゃ美味い 思わずとろける 完熟の みかんいただき 農家の苦労」

  「おいちゃんと 呼ばれてはっと 我返る 自分のこととは ついぞ知らずに」

  「あの女体 沈めるつもり お湯溢れ 女性ホルモン 畑に蒔くか」

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shin-1さんの日記

○モグラの穴

双海町閏住という地区の入り口にまるでモグラの穴のようなトンネルがありました。縦に長いかまぼこのような形をして、どこかノスタルジックな雰囲気を漂わせていました。今や県下でも有名な菜の花畑の隅にあるものですから、「向こうに何があるのだろう」と花見に来た人は珍しがって通っていました。予讃線海岸周りの線路の下をくぐって向こうに出るだけのトンネルなのですが、その道を進むと20数戸の閏住という地区へ通じるのです。

 このトンネルは乗用車がやっというどちらかというと穴的存在で、消防車も救急車も通行できず、それらの車や運搬用車はこれまた細い道を踏切を迂回して行かねばならないのです。そのため閏住地区の人は長年かなりの難儀を強いられてきました。いわば地区の人の悲願はこのトンネルを大きくすることでした。

 その願いが国や県、市を動かして2年前に工事が始まりました。何せ上を毎日列車が走っているのですから、列車を通行止めにして工事をすることが出来ないため、掘っては固めるという作業を繰り返し、「何でそんなに長くかかるのだろう」と素人の私たちが思うほど長い工事でした。その間閏住の菜の花は一部柵が設けられて立ち入り禁止となり美観を損ねていましたが、昨年末にやっと工事が完成したようです。

 今はまだまるでコンクリートの塊といった違和感があってトンネルの周りに菜の花が咲いていた昔のトンネルとは似て似つかぬ風貌をしていますが、そのうち周辺の景色にマッチすることでしょう。

 寒い寒いと思っていた今年の冬も少しずつ寒さもゆるんで、閏住の菜の花は日毎に黄色い色を増しつつあり、気の早い観光客は車を止め足を止めて花見を楽しんでいるようです。私も一昨日大洲市長浜町豊茂へ行く途中そこを取り掛かりましたし、昨日も人間牧場へ行く時通りましたが、車の窓を開けるとどこか懐かしい菜の花の香りが潮風の磯の香りとマッチして、春間近かを感じさせてくれました。

 時折通るまるでマッチ箱のような一両編成のジーゼルカーもどこか懐かしい印象が感じられ、熱心なカメラマンは列車の時刻表を頼りにシャッタースポットにカメラを固定して、この寒空だというのに列車の来るのを日がな一日待っているようです。

 昨日もそうでしたが、花が咲き始めると困った事に花の中に入って写真を撮る不届き者が必ず出てきます。その人たちは鼻を踏み潰し自分さえよければいいという感じで写真に納まり帰って行くのですが、折角育てた菜の花を踏み潰されるのは何とも心が痛みます。

 私が考えた横たわる看板は当時すっかり有名になりました。この閏住地区の人から相談を受け、職員でお立ち台を作りました。そうすれば花の中へ入らなくてもすむし、撮影した写真にはさりげなく「しずむ夕日が立ちどまる町」などという町のキャッチフレーズが写る様にしたのです。これは大受けでしたし全国放送にも乗ったほど有名になったものです。もう間もなくそのお立ち台も設置されるでしょうが、遅きに失しないようして欲しいと願っています。

 余談な話ですが、菜の花の蕾は塩漬けにすると美味しい漬物になります。折角育てた菜の花の蕾も随分盗難に会い悔しい思いを何度もしました。そんな折、相談を受けた私は「消毒中につきご注意」などと看板を作って立て、これも見事なアイディアとして褒められてものです。菜の花の思い出は沢山ありますが、これも逸話として語り継ぐべき落伍の落ちネタなのです。

  「トンネルが 出来て菜の花 すっきりと 通る列車も どこか他所行き」

  「花の中 入らないでと 注意する うそぶく女 化粧濃いくて」

  「花咲けば 隣の店が 繁盛す 目の付け所 大したものだ」

  「看板に くじらと書いた 店に入る 女店主は 目(女)(雌)くじらなのか?」 

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