人間牧場

〇上灘四国88ケ所の踏査(その2)

 上灘四国88ケ所の石仏は、上灘川沿いに設置されていますが、上灘川には本流や支流が幾つもあり、急な山坂や狭い場所もあって、また道路の改修や拡張工事の度に場所が移動したと思われる順不同が幾つもあって、感と記憶だけでは分からないところが多いのです。上灘川の支流である両谷に入ると、まず東谷から始まります。丘の上の墓地にある東屋付近の丘の上に2カ所石仏が置かれています。私が役場に入った頃町長だった仲野和さんの墓標もあって、懇ろに手を合わせて祈りながら、お世話になった人に思いを寄せました。

両谷の丘の上の石仏
宮田さん宅横の崖の上にある石仏
永井さん宅前の小川に架かった一本橋を渡ったところにある石仏

その後、東谷の奥まった宮田さんの家の裏の3体は、道が崩れかなり急な場所にあるため、すぐ下までしか行けず、仰ぎ見ての調査となりました。3体とも苔むして時の流れを感じました。その後西谷の川沿いに奥へと進みました、恐らくこの奥にあった今は廃集落となっている、宮の滝集落との関係で設置されたのではないかと思わせるような場所でした。その後双海中学裏の池田さん宅(無住)横の石仏は、雑木や苦竹をかき分けての踏査となりました。その後永井さん宅前の石仏を終え両谷を終わりました。

石仏の安置されている場所は、陽の当らない場所が多く、石仏も表面の番号や寺名、本尊仏、それに本四国のお寺の所在を示す阿州・土州・予州・讃州という昔の国の名前は風化が激しくコケに覆われ、判読さえも難しい状態の石仏もありました。多分この状態はこれからも長く続くものと思われますが、再興の機運は未だ聞こえてこないのが少し心残りです。

「崖の上、雨上がりゆえ 上がられず 下から見上げ 手合わせ祈る」

「よくもまあ こんなところに 設置した 感心しつつ 先を急いで」

「その昔 この奥辺り 宮の滝 集落あった 訪ねてみたい」

「時流れ このままいくと 幾つかは 埋もれてしまい 忘れ廃れて」

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