人間牧場

〇そろそろ始めたい老い仕度

 仕度という言葉には色々な言葉があります。冬支度、嫁入り仕度、旅仕度、死に仕度などなど、それぞれの場面に応じた準備をいうのでしょうが、仕度には身の回りのことは勿論のこと、支度金も必要なのです。私は42年前の昭和46年、妻と見合い結婚をしました。その時は漁師から役場職員に転職してまだ1年ということもあって、結婚の支度金といわれる結納金は、結婚指輪も含め全て母親が用意をしてくれました。妻がその結納金をどう使って、嫁入り仕度をしたかは定かではありませんが、嫁入りの時持って来たタンスやその中身は、今も妻の手によって大切に守られ、日々の暮らしに使われているのです。多分息子や娘の嫁入り嫁取りも同じように親の財布が使われたようです。

 私は私の年齢にしてはダントツに多く、年中全国を旅しています。現代は旅する巨人といわれる民俗学者宮本常一のような、歩いて旅をする時代でもないので、もっぱら飛行機や列車、バス、船、乗用車を乗り継いで旅をしているので、動いた距離は宮本常一など足元にも及ばない距離で、先日も自宅~広島~博多~長崎~尾道~今治~自宅を動いた、たった1泊2日の講演小旅行でさえ、かなりの距離数となるのです。
 旅に出る時妻は私の旅支度をしてくれます。漢字で書くと「支度」と「仕度」という二つが言葉がありますが、どの場面でどう使い分けるかは自分でも分らないものの、嫁入仕度は仕度を、支度金は支度をと使い分ける程度の浅はかさです。
 妻は愛用のカバンに当面必要なお金を入れた財布と、下着やワイシャツ、靴下、洗面道具などを旅の日数によって計算し、入れてくれるのです。寒くなったこの時期は風邪を引かないようにと厚手の物を少し多目に入れるものですから、同行二人の二宮金次郎の銅像が衣類に埋まっている感じです。

 最近「老い仕度」という言葉がよく使われるようになりました。死に仕度の一歩手前といったところでしょうが、老域を迎えた私もこの言葉を聞く度に「老い仕度」の意味を少し考えるようになってきました。自分の書斎という限られた空間を見渡しただけでも、「これじゃいかん!!」と思うほど乱雑で、これまで遠心力的に広げていた様々な仕事や暮らしを、求心力的に片付けなければなるまいと強く思うのです。
 老いの支度金は目下のところ財布を持っている妻に委ねられています。妻にもしものこと等考えてもいないので、そのことだけは考えもせず、何の疑いもなく暮らして行けるだけでも、老い仕度はちゃんと整っているようです。
 煙会所奥の小さな部屋に、暇ができたら片付けようと思って押し込んでいる資料の数々も、息子にそろそろ片付けるよう指摘されているし、書いたもの書きたいものも世に出したいと思うし、思えども今の仕事が多過ぎて〇×▲□・・・・といった今日この頃ろです。

  「仕度には 色々ありて とりあえず そろそろやろう 老いの仕度を」

  「老い仕度 まず一番は 財布だが 妻に任せて 考えもせず」

  「指折って 老いの年数 数えると 人生はかなく 暗い気持ちに」

  「まず今日を 楽しく生きる 老い仕度 オッペケペーと 笑って暮らす」

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