shin-1さんの日記

○親子はよく似るもの

 血筋とは恐ろしく親子はよく似るもので、年を経るごとに仕草や声まで同じになってきます。若いころはそれが嫌で、何かと親父に反感反目したものですが、自分が結婚して子どもができるとその反感反目の心が次第に薄れて、いつの間にか自分の分身のような子ども姿に目を細めるのです。

 私と親父は骨董が好きという趣味の面がよく似ています。二人が元漁師だった経歴がそうするのか、人から見ればガラクタと思えるようなものを丹念に磨き上げ、家の倉庫を改造して海の資料館「海舟館」まで作っているのですから、変わり者親子といわれても仕方がないのです。

 私は年老いた親父のたしなみを作るため、時々馴染みの骨董屋を覗きます。金もないので高いものなど買えませんが、骨董屋の倉庫に眠っている見捨てられたように埃を被った物の中から幾つか選んで分けてもらい、新聞紙に来るんで無造作に持ち帰ったこれらの品々は、親父の手によって洗ったり拭かれ見事なお宝に変身するのです。そのプロセスを共有することで日常の会話も弾み、親子の絆が深くなるのです。

 昨日親父は隠居の座敷で刀箱を取り出して刀類の手入れをしていました。空気の澄んだこの時期に打ち粉で一年間の目に見えない錆を落とし、薄っすらと油を塗って再び刀箱へ収めるのです。この手入れを怠ると刀や槍などは錆が出て研ぎに出すととんでもないお金が要るのです。

 親父は孫である私の息子に刀の手入れに使う油を研ぎ屋さんから買い求めて来るよう依頼していたようですが、残念ながらその刀研ぎ屋も潰れて今はなく、インターネットで注文したようで先日その油が届いて親父を喜ばせていました。

 親父は毎年刀や骨董類の手入れを私に受け継がせようとしていますが、親父の生きがいを取っては悪いとこれまで理由をつけて渋っていましたが、92歳の高齢になり歩くことも耳も目も不自由になるといよいよ息子である私の出番が来たようにも思うのです。

 私の息子がこの春から同居するため間もなく引越しして帰ってきます。この際私によく似た息子の力を借りて私への代替わりをしなければなるまいと思っています。

shin-1さんの日記
(親によく似た浅野先生の息子さん)

 先日伊方町三崎平磯の喜久家プロジェクトを訪れた時、浅野先生親子に会いました。私「将来は学校の先生になるの?」浅野先生の息子さん「ならない」、私「どうして?」、浅野先生の息子さん「うーん」とやり取りをしました。まだ中学生なので親への反感反目が芽生える反抗期なのでしょう。私と私の息子の関係もそんな時代があったなと、思わず心の中で微笑んでいました。

 息子を独り立ちさせることは容易なことではありません。私は私の仲間たちとの活動の輪の中に息子を入れたり、自宅へ人を引き入れて色々な人に意識的に出会わせました。その結果社会性のある人間に育ったような気がするのです。浅野先生も同じようなことをしていると少しだけ嬉しくなりました。子どもは親の鏡、親は子どもの鏡です。まずいい親の鏡を持ちたいものです。

  「親子とは どうしてこんなに 似るものか いつの間にやら 親にそっくり」

  「反感や 反目したが 雪解けて 親子仲良く 骨董磨く」

  「わが息子 そっくりだねと 他人から 言われどっきり 嬉しくなりて」

  「いいとこが 似ればいいのに 欠点も 譲ってしまう これも親子だ」

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“shin-1さんの日記” への2件の返信

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    岬人 浅野長武さん
    余り自分の子どもを親の活動に強要し過ぎると、親や大人の嫌な部分が目に付きます。
    まあつかず離れず、おっしゃるとおり親の背中を見せればいいと思います。
    子どもは親には反目しますが、親の友だちの話はよく聞くものです。
    優秀な子どもを育てるのではなく、普通の心根の優しい子どもに育てた方が将来は役に立ちますよ。私は4人とも普通の子どもに育てたために、子どもも親も幸せです。
    人間牧場主 若松進一

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     若松さんの言われるとおりです。
    できるだけ多くの様々な人との出会いをとおして、人間味豊かな子どもに育ってほしいと考えています。
     できるだけ、私の活動などにかかわりを持たせたいと考えています。
     でも、本人の気持ちはいかに?
     少なくとも息子には、父の後ろ姿だけは見せておきたいものです。

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