shin-1さんの日記

投稿者: | 2008年2月11日

○何と40周年・あっぱれ豊友会

 「40年前、私は一体何をしていたのだろう」。ふと思いました。63歳から40年を引き算すると23歳です。そう、私は40年前双海町の青年団長でした。家業である漁師をしながら青年団活動にうつつを抜かし、その年には第14回NHK青年の主張の県代表にも選ばれるなど、それなりの活躍をしていたようです。そしてこの年の秋、青年学級で「青年の生活設計」という学びから自分の目標をしっかりと立てたのでした。私にとって40年前は旅立ちの記念する年だったのです。

 その頃、昨日招かれた大洲市長浜町豊茂では、青年団OB有志によって「豊友会」なる集団が誕生していました。そして今日までの40年間時には輝くように、時には牛歩の如くひたすらバトンを受け継いで活動してきたのです。全国の事例は別として愛媛県内では地域に特化してこれほど長く有志が集団を組んで活動を続けている事例は聞いたことがないのです。「いやああっぱれ」と豊友会の皆さんに心からなる賞賛の拍手を送ります。

 この40年間、日本の山村地域は大きく様変わりをしました。過疎、少子高齢化、農林業の疲弊など指を折っても余りないほどマイナス面が襲いかかり、10年後という近い将来さえも分らないほど五里夢中の暗いトンネルの中に入ってしまっているのです。トンネルの向こうに出る一筋の光さえも見えてこないままに・・・・・。

 それでも人々は歩みを止めるどころか、その糸口を探ろうと、記念大会を催しました。地元の人たちが約80人ほど集まっていました。勿論記念大会ですから市長さんや地元選出の市会議員さんたちも顔を連ね厳かな式典と地域づくりフォーラム、それに祝賀交流会が持たれました。

 私の役割は「まちづくりの新しい風」と題した基調講演と、「地域の特性を活かした魅力あるふるさとづくりをどう進めるか」というテーマでのパネル討論コーディネーターでした。講演は50分、パネル討議は2時間でした。

 講演では私の知りえた豊友会の活動の問題点を経済という視点、活性化という視点、未来という視点で話させてもらいましたが、意識も知識も高い豊友会の皆さんにとっては馬耳東風でしょうが、新たな旅立ちへの応援歌とでも理解して欲しかったのです。特に居並ぶ市会議員さんへ、腰の引けた行政への橋渡しとして聞いて欲しかったのです。

郷土史研究家米岡幸市さんの歴史というタテ軸からの話は中々興味をそそる薀蓄のある話でした。地域ボランティアの鎌田清美さんの活動や交流というヨコ軸からの話は棚田や統合後の学校利用という提案もあって、おもしろ発想でした。柳沢から駆けつけた木林森クラブ会長の平谷和夫さんはジャンボ門松・ほたる祭り・雲海展望公園などを手掛けた実績を楽しく話されました。豊友会会長の菊岡禎巳さんは日頃の活動を紹介しながら見えてくる問題点を披瀝しながら話されました。

 討論はフロアーも巻き込んで進めましたが、やはり感心事は3年後に廃校になる予定の小学校跡地の活用でした。私も翠小学校の事例を引き合いに出しながら、学校の持つ目に見えない影響について話しました。学校がなくなれば次は限界集落です。襲い繰る不安の中でどう生きてゆくのか、いよいよ豊茂にも正念場がやって来るようです。

 祝賀の交流会を終え松本さんとふたりで帰路に着きましたが、余韻や興奮冷めやらず二人で潮路という店に立ち寄って二次会をやりました。飲むほどに饒舌になるはずの松本さんも昨夜ばかりは飲むほどに気持ちが冴え、これからどうするのか、お互いの腹を割って話し合いました。私は引き時の潮時、松本さんは上げ潮時と潮時立場が違うため、次へのステップアップに向けたアプローチの仕方もまちまちですが、旧友知人にも会え、将来を考える考える上ではいい一日でした。

  「元気かね 声かけくれる 人ありて 体の変化 少し気になり」

  「偉いねえ 四十年間 続けてる 俺にはちょっと 真似が出来ぬわ」

  「帰らない 褒めた言葉に 帰れない 言うんじゃなかった 言ってよかった」

  「参加者は 全員四十 歳とりて 十年後には みんなプラス十(とう)」  


 

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