shin-1さんの日記

投稿者: | 2008年2月8日

○大三島の楠木

 今治北大三島分校での講演を終り帰路に着きましたが、途中大山砥神社の近くの道の駅へ立ち寄りました。かつて道の駅にかかわった仕事をしていたこともあって、道の駅のことが何かと気になるのです。この道の駅は旧友藤原元久さんが関わって出来た場所なので、その後の運営についてお店の人に色々聞いてみました。支配人は私の事を覚えていて、短い立ち話ながら私の誘いに乗ってさまざまな話しをしてくれました。市町村の合併によって道の駅を巡る環境も大きく変化したこと。ここの道の駅は全国超一級といわれる大山砥神社が側にあるため、客足が途絶えないこと。それでもシーズンオフの冬場は観光客が少なく、経営も大変であること。指定管理者などが採用され、ここの道の駅も将来どうなるか不安である等など、どこの道の駅でも共通している悩みを打ち明けてくれました。店の特産品も蜜柑所だけあって、そして蜜柑のシーズンだけあって品揃えも言いようでした。

 久しぶりに大山砥神社へ参拝しました。少人数の県外観光客の一団がガイドさんに連れられて観光していましたが、やはり彼らの驚きは境内にある樹齢三千年といわれる大楠の木でした。自分の年齢や人間の寿命と重ね合わせると、途方もなく長い年月をこの地で生き抜いている楠の大木には、しめ縄を張り巡らしているせいなのか、まるで神の霊が宿っているような錯覚さえ覚えました。境内中央にある大木は二千七百年、境内隅にある大木は三千年ですから驚きです。故事来歴を書いた立て札を読みながら、観光客の一人が「本当に三千年?」と異議を唱え、「誰が年輪を数えての」とひょうきんな笑いを誘っていました。側で聞いていたもう一人の観光客が、「神様が言うのだから間違いない。そんなこと言うたら罰が当る」とたしなめ、大笑いをしていました。看板によると三千年の大木は日本最古の大楠だそうです。

 私は巨木に興味があって、何処へ行った旅先でも、特にブログを書き始めたこの二年ほどは大きな木を見つけるとカメラに納めるようにしています。確かに今まで見た楠木では他に比類を見ない大きさだと実感しました。私がこの楠木を最初に見たのは小学6年生の時でした。私たちの育った時代の漁村では新造船が進水すると讃岐の金毘羅様か安芸の宮島か、伊予の大山砥神社にお参りする慣わしがありました。そんなに旅をする時代でもなかったので、その旅は子どもの私にとってはすこぶる上等な旅でした。船の定員や安全など言われなかった時代でしたから、家族や親類が沢山乗り込み大漁旗をなびかせて夏の海を爽快に走りました。船にはお酒や肴、それにお菓子が一杯積み込まれ、まるで動く豪華客船のようでした。

 宮浦港に着いた私たちは門前町の雰囲気が漂う石畳の参道を、お土産品に目を奪われながら歩いて本殿まで行き、案内された本殿で宮司の祝詞を聞きながら海の神様に敬虔な祈りを捧げました。海路訪れその時見たのがこの楠木の大木でした。子どもの目線は低いためでしょうか、その大きさに度肝を抜かれたのです。



 あれから半世紀五十年もの時を経ていますが、老木ゆえの衰えか、少し元気を失っているようにも思え、また少し小さくなったようにも思えました。

 落伍の高座に使っている150年生の高知産魚梁瀬杉の切り株でさえ驚く私にとって、三千年の楠木はまるで宇宙に輝く星の遠さに似ています。楠木は生きること、星は輝くことを私に教えてくれます。三千年のほんの一瞬に巡りあったのも何かの偶然でしょうが、もう一度「生きることの意味を教えてくれた一日でした。

  「三千年 生きた巨木に 比べれば 俺など僅か 六十路年輪」

  「木霊の 宿る巨木に 手を置いて あやかりたいと 以心伝心」

  「ちょっとそこ 足を伸ばせば いいとこが 何処にでもある ふるさと巡る」

  「手を合わせ 孫三人の 息災を 祈る向こうに 顔々浮かぶ」


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