shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年11月30日

○知っているようで知らない松山市道後という街

 愛媛県の県庁所在地は松山市です。熊本県に熊本市、大分県に大分市と県と県庁所在地の名前がダブっている地名は比較的覚えやすいのですが、島根県の松江市や香川県の高松市のようにまるで違った名前だと、中々覚えられなかった社会科の授業が思い出されます。私たち松山市の周辺に住む者にとっては、行政・教育・文化・商業・医療・交通のどれをとっても松山市抜きの暮しは考えられませんし、その恩恵に浴しながら今日まで暮らしてきました。特に役所に勤めるようになってからは次第に松山市の占める割合が増えるようになって、リタイアした最近でも松山市から通っているのと言われるほど深くて広い結びつきです。ところが少し離れた地点で冷静に考えてみると、私と松山市の関係は同じような点を同じような線で結んで行ったり来たりしているだけであることがよく分るのです。例えば松山市の道後だって今まで数えられないくらい行ったり来たりしているのに、温泉や旅館といった場所で会合したり泊まったり、食事をしたり出会ったりするだけで、裏にある桜の名所常信寺の存在を知ったのは最近だし、近くにある松山神社の立派な造りも孫を迎えに行ったほんの少しの街歩きで発見したものでした。

 先日の日曜日、えひめ地域づくり研究会議が開いたリレーシンポジウムの会場となった宝厳寺も一遍上人さんの寺として知ってはいましたが、恥ずかしながら訪ねたのは今回が初めてなのです。

 この日はあいにくの雨の一日となりましたが、かつての色町といわれるネオン坂を登り、山門をくぐると目の覚めるような黄金色に紅葉したイチョウの大木が雨にしっとり濡れて二本、威風堂々と立って私たちを出迎えてくれました。

 私のカメラで出来るだけアップでと近づけて撮ったため頭は切れてしまいましたが、いい色は何とか表現できたようです。平和通や勝山通りのイチョウなど松山市には名だたるイチョウがありますが、このイチョウも立派で、葉の落ちた境内の姿も見てみたいと勝手に想像をしてしまいました。

 シンポジウムのプロローグはお寺の秋を演出しようと心憎いばかりの企画が盛り込まれ、森原さんの詩の朗読と竹山さんの尺八、それに三好さんの創作舞踊のコラボレーションが見事に表現されて、これだけで言葉は要らないような世界を感じ取ることが出来ました。


 一遍さんの木像が側に安置された本堂はまさに極楽浄土の世界です。残念ながら余りの見事さに見とれてしまい、一遍さんの写真を撮るのを忘れてしまいました。

 この会の企画や全体進行を担当された門田さんや森原さんはやはり文化人だとしみじみ思いました。私が企画したらこんな素敵な顔ぶれを集めれたかと思うと、少し後ずさりしそうな感じでした。中島や堀江の事例発表や犬伏先生をコーディネーターに据えたディスカッションも文化に彩られ、はり松山は凄いと、改めて文化的奥の深さに感心しました。

 私も内子で来春行われる予定の20周年記念シンポの予告のためチョイ役で出ましたが、その頃には雨も上がり、格子戸の向こうに夕焼けがあるのか格子戸を通して夕日が幻想的に差し込んで、何ともいえない深い味わいでした。私は厳を(げん)か(ごん)か隣の席に人に聞かれたので、あえて失礼ながら備え付けられた住職しか叩くことを許されないであろう鐘を、住職さんのお許しを得て叩かせていただきました。はいこのお寺の名前は(ほうげんじ)ではなく、鐘の音のとおり(ほうごんじ)と読むのです。

こんな文化的シンポなのに私の遊び心が夢の世界から現世に逆戻りして(しまった)感じがして(しまった)でした。

 それにしてもこの時間帯は、道後の街に全国から沢山の人が泊まりに来てお湯を楽しみ食事も始まるのであろうが、湯上りに湯篭を下げて下駄の音をカランコロンとさせながら、ネオン坂を登ってこのイチョウの紅葉を見に来させる、いきな計らいをするホテルや旅館はないのだろうかと、行く秋を惜しみながら車でネオン坂を下り、懇親会に出席できない後ろ髪を引かれて、松山インター口のバス乗り場へ車を走らせ、東京行きの夜行高速バスに乗り込みました。

  「今年ほど 紅葉見たのは 初めてだ 紅葉元年 美しい国」

  「文化人 なれぬ私が 恥かしい 修行が足らぬと 一遍お怒り」

  「お寺にて 会議する度 思うのは 昔はみんな こうだっただろに」

  「住職が 変わればお寺の 雨漏りも 直り人々 集まる場所に」

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