shin-1さんの日記

○私の10大ニュース・その1

 誰にだって一年365日が平等に与えられ、一日24時間を絶え間なく刻んで日々を暮らしているのですから、その年の自分の10大ニュースくらいはあるものです。私は毎年その10大ニュースを「青春の履歴書」と称して年賀状に書いてきました。61歳になって青春なんてと言われますが、私にとっては「今やれる青春」なのです。本当は年賀状を差し上げた人のみが知る私の10大ニュースなのですが、今年から方向転換し、年賀状を極力少なくする決意をしました。何故なら私は毎日3枚のハガキを18年間

毎日書いていますし、少し変化をさせて進化したいと思っているからです。去年は私への年賀状は千枚を越えましたが、そろそろ出会いの整理も必要と思っています。

 そこで一足早い私の10大ニュースをブログで書くことを考えました。私にとってこの一年間はまさに人生の転換を意味する大きなニュースが余りにも多過ぎたことを、自戒の念をこめて書いておきます。

 3月6日  双海町最後のまちづくりフォーラムが開かれました。私がまちづくり担当になって初めて開いたのが「18時間マラソンシンポジウム」でした。あくる年には「コスモス鉄道2001年の旅」を企画し、双海町の名前が少しずつマスコミに取り上げられるようになりました。20年間もまちづくりシンポジウムを連続して開催しているまちはそんなに多く多くありません。このまちづくりシンポは双海町の隠れた功労者です。振り子時計の議論がやがて夕日というかけがえのない地域資源を生み、弾み車となって花開きました。

 この日、教育長になった私が2年間在籍のマニフェストとして掲げた「双海町誌」発刊の記念すべき日となりました。800ページに及ぶこの本は2年間の編纂委員会委員の皆さんが知恵を出し合った成果です。毎月1回の編纂委員会も終盤には校正などで大変な苦労がありましたが、多くの方々の努力で、閉町前の秒読み段階での完成でやきもきしました。でも追録から改定へ大きく舵を切っての作業だったけれど、役割を果たしてホッとしています。

 3月31日  双海町という自治体が日本から消えました。合併による再編という美談とは少し違った町の消滅はやはり寂しいものがありました。特に35年間も役場に在籍しそれぞれの時代の町の歴史に関わってきたのですから寂しさも一入です。最後の2年間は教育長として多くの仕事をこなしました。思い出に残る730日はいつか記録にして残したいと思っています。もう少し早くブログに出会っていたらと思うと残念ですが、まだ私の頭の中は痴呆が進んでいないので大丈夫だと思います。この日は私の人生にとって生涯忘れられない一日であり、退職という考えようによれば重くも軽くもなった一日でした。

 私はこの日たくさんの人から花束や餞別を貰いましたが、一番の功労者は何と言っても妻です。その妻に心からなる感謝を込めて「退職報奨金」を贈りました。つまり私が妻に贈った後にも先にもない「退職金」です。妻が涙を流して喜んでくれました。

  「今年また10大ニュースの頃となる私の一年激動でした」

  「町閉じる仕事も閉じる寂しさも明日から荷物軽くなりけり」

  「教育長役職取ったらただの人俺には何が残っているのか」

  「本当は妻が支えたわが人生古き封筒感謝を入れて」

  

 

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