人間牧場

投稿者: | 2020年2月25日

〇新鮮なお魚が届きました

 このところ春が近づいていることを実感するように、お天気が一日おきに目まぐるしく替わって、アップダウンの大きい気温寒暖の差は老いの身?にとって、体温調整が難しく体に堪えるようになりました。それでも妻の、終盤に入った冬野菜を使った手作り料理のお陰で、風邪も引かず心配なコロナウイルス肺炎にもかからず、ぎっくり腰になった以外は今のところ元気に日々を暮らしています

懇意な漁師さんから届いたお魚

先日漁師をしている懇意な友人から、カナガシラやホウボウ、アジなどの小魚がトロ箱に一箱届きました。カナガシラもホウボウもあちこちにトゲがあるので、専用の軍手をはめ、鱗を引いたり頭を出刃包丁で取ったりの粗調理を私がしました。現職の頃は見向きをする暇もないほど忙しく、家事に手を出す余裕などありませんでした。退職してから魚の粗調理だけは私の仕事に位置付けてやっていますが、今では包丁さばきもすっかり板につき、妻に重宝がられています。

 瀬戸内の小魚は粗調理するのに手間暇がかかりますが、生でも煮ても焼いても味は抜群で、魚の大好きな私にとってはこの上ないご馳走となっています。わが家はその昔漁業を生業にしていました。故に漁師さんの親戚も多いのですが、殆どの人が高齢で廃業し、魚を貰うことが殆どなくなり寂しい思いをしています。しかし長男息子の漁師をしている同級生や新たに懇意な漁師さんも出来て、こうして時々お魚が届くのです。これもまた幸せです。

「新鮮な 瀬戸内小魚 届きたる 早速私 粗調理する」

「小魚は 少々手間だが これもまた 楽しみながら ひと手間かけて」

「一匹の ウマヅラ皮を 剥いた後 肝を取り出し 三枚おろす」

「食卓に カワハギ刺身 肝つきで カナガシラ煮つけ 味は南蛮」

 

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人間牧場

投稿者: | 2020年2月24日

〇社会教育主事講習の現地演習

 2月19日の午後、社会教育主事講習の現地演習が人間牧場であり、この時期は暖冬といっても少し肌寒いので早目に出かけ、掃除をしたり薪ストーブに火を焚いて準備を進めました。1月10日に現地で打ち合わせを行っているため人間牧場へは迷わず、難なく来るものと思っていましたが、担当の先生はその後不安で再度下見に来られたそうですが、結局道に迷ってしまい来ることが出来なかったそうなので、準備ができた所で下浜ルートで一旦迎えに下り、下灘コミセン前で落ち合い奥西ルートで到着しました。

 少し時間を押していましたが、許しを得て90分間、「社会教育の意義と社会教育主事の役割」について持論の蘊蓄を喋りました。社会教育主事講習と言えば、私が香川大学で講習を受けた45年も前の時代は、大学が夏休みになった8月に約1ヶ月間ホテルに寝泊まりして大学に通い受講しましたが、今は周年で受講できる方法もあり、便利な世の中になりました。この日受講に訪れたのは8人程でしたが、演習はこの程度の人数が最適なようでした。

 私は過去に社会教育という仕事に15年間携わり、その後も公私ともにずっと社会教育と関わって生きてきました。多分これからも関わって生きるつもりですが、少し気になるのは、社会教育に携わった人でも社会教育から一旦離れると、殆どの人が社会教育や地域づくりに無関心になることです。社会教育に携わった人こそ生涯にわたって関わらなければならないと思うのです。まあ人はどうであれ、私は私として出来る活動や運動をこれからも続けたいと思っています。

「社教主事 講習講師 頼まれて 人間牧場 薀蓄語る」

「ストーブを 焚いてお客の 来るを待つ 少し遅れて 牧場到着」

「若き頃 一ヶ月間 大学に ホテル泊まって 受講しました」

「早いなあ あれから光陰 矢の如し あっという間に 半世紀過ぎ」

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人間牧場

投稿者: | 2020年2月23日

〇上灘四国88ケ所踏査(その7)

 上灘四国88ケ所の出発と終わりは久保集落の正光寺ですが、踏査の実態を最終章報告(その7)は大栄集落です。雪に埋もった奥大栄から大栄に入ると、県道沿いの剣な斜面に1体の石仏がありました。登ることさえ不可能と思える4mを超える高さなのに石仏の横には、恐らく地元の人が供えたであろうシキビが置いてありました。その後大栄の人たちが作って畑の畔に展示しているチコちゃん人形などの案山子を横目で見ながら、順次石仏を巡りました。

 大栄公民館の裏道沿いには石仏の後ろに隠れるようにもう一体の石仏が安置されている珍しい場所もあって、中々見応えがありました。正光寺の1番から午前10時ころに始めた上灘四国88ケ所の踏査が終わったのは、陽も西に傾いた午後5時ころでした。おたふくでの昼食を挟んで、急ぎ足ではありましたが行方不明の60番を除けば全ての石仏を踏査することができました。途中土砂崩れや積もる雪に行く手を阻まれましたが、これまでで一番短時間での踏査となったようです。

踏査を振り返って思うことはいっぱいありました。中でも石仏の置かれている場所がかなり傷んでいて、このままでは存続が不可能ではないかと危惧しています。石仏への信仰伝承は石仏周辺に暮らす人々の自主性に委ねられていますが、その人々も高齢化や過疎の進む中では中々といったところのようでした。差し当たり一度希望者を募り上灘四国88ケ所ツアーでも計画して、町民にこの実態を知ってもらうことから始めようかと、3人で相談しました。上灘四国88ケ所はわが町が遺し伝えなければならない貴重な文化的歴史遺産です。行方不明の60番石仏を探すこともとりあえずです。

「急ぎ足 たった一日 わが町の 88カ所 車で踏査」

「このままじゃ 88ケ所 草埋もれ 分からなくなる 何とかせねば」

「とりあえず 行方不明の 60番 石仏探す ツアーを計画」

「過疎高齢 生活文化 守るには 余りに難題 多過ぎ困る」

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人間牧場

投稿者: | 2020年2月22日

〇上灘四国88ケ所踏査(その6)

 東峰には国道56号沿いにおきよの池というこじんまりした池があり、この近くに石仏があります。間もなく開通するスマートインターチェンジを過ぎて信号を右折すると、高見集落に出ます。公民館上の小高い丘にも石仏が何対かあり、お参りをしていよいよ上灘川の源流域奥大栄と進みます。県道の途中から通行止めのゲートが開いていたので奥へ進むと、西日本豪雨で大規模な土砂崩れが起きていて、先へ進むことができませんでした。

高見の石仏

大規模な土砂崩れの起きた奥大栄の道

元の道を引き返し県道に出て、大栄から細い道を通ってアタックしました。一昨年孫希心の夏休みの自由研究で「上灘川の源流」を取り組んだ時、息子と孫の3人で踏み入れたことのある道ですが、災害復旧工事の終わった場所もあり、何とか奥大栄集会所付近に辿り着き2カ所の石仏の調査をすることができました。奥大栄集会所前の坂道には雪が白く積もって、平地との寒暖の差を感じるほど気温が下がっていました。私が公民館主事をしていた若い頃はこの集落にもそれほど多くはありませんでしたが、集会所に集まって色々なが集会をやりましたが、恐らくこの集会所は使われなくなって久しい感じがしました。

雪の積もった奥大栄集落

私たちの足跡

使われなくなって久しい奥大栄集会所

双海町には30ほどの集落がありますが、その殆どは65歳以上の人が50%以上を占める限界集落だし、10年後に限界集落になるであろう準限界集落を含めると、半数以上の集落が集落機能を維持できない厳しい状態となっています。この状態を知ってか知らずでか、その解決策の妙案もないまま放置されていますが、中央にに立派な庁舎や文化施設がいくら出来ても、住民の暮らしは置き去りの感をぬぐい去ることはできません。この日はそんな地域学を学ぶよき一日となりました。

「大規模な 土砂崩れ跡 目の当たり 進めず迂回 別の道行く」

「山奥は 積雪ありて 別世界 同じ町とは 思えぬ光景」

「若い頃 映写機積んで よく来たな 使う人なく 今はひっそり」

「限界と 準限界を 加えれば この町 今に 消滅するぞ」

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人間牧場

投稿者: | 2020年2月21日

〇上灘四国88ケ所踏査(その4)

灘町の踏査を済ませた私たちは、上灘川の上流沿線に設置された石仏を訪ね歩きました。中の宮、翠小学校横、三島公民館横、川本さん宅周辺から岡の地蔵寺へと進みました。地蔵寺には近隣から寄せ集めたと思われる7体もの石仏が整然と並べられていました。

今朝ウォーキングから帰りここまで書いて、今日はわが家に祀られているお地蔵さんの縁日なので、妻と二人で赤飯を炊いたり、その赤飯をお接待として配ったりしました。私は親類知人に15軒ばかり配りました。天気がすこぶるよかったので帰宅して畑に入り、昨日植え残ったクヌギの苗木の仮植えをし始まると、昨日と多少の無理がたたったのか、腰にぎっくり腰のような違和感を覚えました。あ~あです。動けなくなり、ブログを書くことも、ウォーキングをすることも出来なくなってしまいました。早速無理を言って伊予市の郊外にある玉井整骨院に電話をして診てもらいましたが、今のところ治る気配はありません。明日は友人の息子さんの結婚式に出席せねばならず、今夜の様子見といったところです。

 

 

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人間牧場

投稿者: | 2020年2月20日

〇上灘四国88ケ所の踏査(その2)

 上灘四国88ケ所の石仏は、上灘川沿いに設置されていますが、上灘川には本流や支流が幾つもあり、急な山坂や狭い場所もあって、また道路の改修や拡張工事の度に場所が移動したと思われる順不同が幾つもあって、感と記憶だけでは分からないところが多いのです。上灘川の支流である両谷に入ると、まず東谷から始まります。丘の上の墓地にある東屋付近の丘の上に2カ所石仏が置かれています。私が役場に入った頃町長だった仲野和さんの墓標もあって、懇ろに手を合わせて祈りながら、お世話になった人に思いを寄せました。

両谷の丘の上の石仏

宮田さん宅横の崖の上にある石仏

永井さん宅前の小川に架かった一本橋を渡ったところにある石仏

その後、東谷の奥まった宮田さんの家の裏の3体は、道が崩れかなり急な場所にあるため、すぐ下までしか行けず、仰ぎ見ての調査となりました。3体とも苔むして時の流れを感じました。その後西谷の川沿いに奥へと進みました、恐らくこの奥にあった今は廃集落となっている、宮の滝集落との関係で設置されたのではないかと思わせるような場所でした。その後双海中学裏の池田さん宅(無住)横の石仏は、雑木や苦竹をかき分けての踏査となりました。その後永井さん宅前の石仏を終え両谷を終わりました。

石仏の安置されている場所は、陽の当らない場所が多く、石仏も表面の番号や寺名、本尊仏、それに本四国のお寺の所在を示す阿州・土州・予州・讃州という昔の国の名前は風化が激しくコケに覆われ、判読さえも難しい状態の石仏もありました。多分この状態はこれからも長く続くものと思われますが、再興の機運は未だ聞こえてこないのが少し心残りです。

「崖の上、雨上がりゆえ 上がられず 下から見上げ 手合わせ祈る」

「よくもまあ こんなところに 設置した 感心しつつ 先を急いで」

「その昔 この奥辺り 宮の滝 集落あった 訪ねてみたい」

「時流れ このままいくと 幾つかは 埋もれてしまい 忘れ廃れて」

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人間牧場

投稿者: | 2020年2月19日

〇坂のある漁村小網集落(その2)

 昨日は、小網集落の上の小高い丘の上にあった堂の峰魚見小屋へ調査に出かけました。調査と言っても目視程度なので、私と同行の2人もカメラ程度の軽装で出かけました。残念ながら使わなくり放置されて久しい魚見小屋は雑木雑草に覆われて往時の姿をとどめていませんでした。

集落の上から海を見下ろす

まるでお城のような高い擁壁は見事です

川にトンネルがありました(新しい発見)

昔の写真を見るとこころ辺にもイワシが所狭しと干されていました

ここら辺に駅を造る話が持ち上がりました

 急な坂道は前夜の雨で少し濡れていたので、滑り転げないよう慎重に山を下りながら、視界に入る小網集落の独特な姿に度々足を止め写真に収めました。小網集落は坂を利用して人家が建つ漁村です。集落内をJR予讃線海岸周りの線路と、中ほどに旧県道が走り、海沿いには海を埋め立てて造ったバイパス国道が走っています。

 巾着網が盛んだった昔は、浜で平等に分配されたイワシは、大きなザルに入れられ担いで家々に運ばれ、煮釜で茹でた煮干しは天日干しされて煮干しに加工されるのです。これらの家内製造は重労働で「小網には嫁に行かせるな」と言われるほどの重労働だったようですが、その後城ノ下に大掛かりな加工場ができ、重労働から解放されました。

 空いた土地どころか屋根の上まで天日干しされた煮干しを干した銀輪輝く秋の頃の風景は、予讃線沿線の風物としてよく紹介されましたが、今は加工場に冷風乾燥機が導入され、その姿を見ることはなくなりました。集落内の小網川に沿った、どこか懐かしい坂の路地道を歩きながら、旧県道まで下りましたが、私がまだ若かった頃共栄網会長だった上田嘉雄さんから、小網に国鉄小網駅を造りたいので絵を描いたり趣意書をや陳情書を作って欲しいと頼まれました。当時は向井原駅も高野川駅も、串駅もない頃だったので、にわかに機運が盛り上がりましたが、現在のような組み立て式のような簡易なプラットホームも出来ず、土地の狭さと急傾斜危険地域を理由に、高野川や串に遅れを取ってしまいましたが、今にして思えばほろ苦くも懐かしい思い出です。(あの当時の作成した資料がわが家のどこかに眠っていると思うのですが、残念ながら今のところ見つかりません。)

「坂だらけ 漁村集落 絵になるが お年寄りには 難儀な条件」

「よくもまあ 家を建てたと 集落の あちこちしきり 感心しつつ」

「この坂は 人の苦労が 染み込んだ 汗と涙の 物語です」

「その昔 駅を造ると 言う人に 頼まれあれこれ やった記憶が」

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人間牧場

投稿者: | 2020年2月18日

〇Facebookにアップされた自分の姿

 最近のタブレットはカメラを反転させれば、自分の写真を正面から撮ることができる優れモノなので、時々自撮りして遊んでいますが、カメラに写った自称不愛想な自分の顔にはいつも「▽▼+-×÷」と幻滅しています。「自分の顔に自信を持ちなさい」と言われても、造形的に自分の顔に自信が持てないどころか、時々嫌になってしまいます。(大笑い)

先週の土曜日、地域教育中予ブロック集会が松山市青少年センターであり参加しましたが、その折講評と称して最後に10分ほどお話をするよう頼まれ、アドリブながらお話をさせてもらいました。帰宅してタブレットの画面を観ると、上田さんと小笠原さんが、集会の模様を写真付きで書き込んで紹介していましたが、お二人の写真の中に講評をしている私の写真がそれぞれありました。

上田さんがアップしてくれた私の写真

小笠原さんがアップしてくれた私の写真

 二枚とも左手にマイクを持ち、右手を高々と上げて熱弁をふるっているようでした。最近は歳をとったからでしょうか?。研修会などには地方公務員特有のスーツにネクタイといった長年慣れ親しんだ正装姿より、目立たないカジュアルな服装で出かけることが多くなりました。髪もまるでお寺のお坊さんのように手入れの要らない丸刈りで、一見どこにでもいる田舎のおじさん的な姿です。

 でも一度人の前に立ちマイクを持って喋り出すと、まるで別人ではないかと思えるほど、活き活きとするのですから不思議と言えば不思議です。写真に写った参加者を前に話している自分の姿に、「まだまだいける」と、少し自信が湧きました。(大笑い)

「時々は 遊び半分 自撮りする 自分の顔に 毎回幻滅」  

「研修会 facebookの あちこちに 自分の写真 見え隠れする」

「左手に マイクを持って 右手上げ 熱弁ふるう 自分の雄姿」

「まだいける まだまだいける 少しだけ 自信を持って 生きよう思う」

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人間牧場

投稿者: | 2020年2月17日

〇県道を塞いだ倒木

 三男息子が隣町の警察に勤めているので、時々様子見を兼ね手料理を持って訪問しています。昨日は所用で出かけた外出先から軽四トラック横に妻を乗せての帰り道、急な思い付きで立ち寄ることにしました。息子はあいにく外勤中で留守だったため、事務所へあれこれ荷物を置いて帰り道を急ぎました。

昨日はかなり強い雨を伴った突風が吹き荒れ、中山から高見交差点を右折した高見~大栄間の県道には、突風にあおられた竹や木々が道路上に落ちて散乱していました。中間点まで戻ると、大きな杉の枯れ木が根元から倒れ道路を塞いでいました。引き返してくい野~日尾野間へ迂回しようとも思いましたが、ロープを持っていたため、倒木にロープをかけ妻と二人で持ち上げ、難儀難儀をして高さの高い軽四トラックを何とかすり抜けさせました。

そこへ若い女性が運転した軽四が通りかかりましたが、私が誘導し何とか通ることが出来ました。こんな時の通報は市役所か警察か消防署のいずれかでしょうが、昨日は日曜日で市役所支所もお休みだし、分からぬまま帰宅途中消防署まで行き、場所と状態を知らせ、対応してもらうよう頼みました。

 降って湧いたちょっとしたハプニングでしたが、幸い夜でもなく、また私たち夫婦で何とか対応できホッとしました。お陰で着ていたズボンやジャンパーは倒木の汚れで見すぼらしく汚れてしまいましたが、車や人的被害にも遭わず難を逃れることができました。

「外出の 帰りに急な 思いつき 息子訪問 あいにく留守で」

「帰り道 大荒れ天気 倒木が 道を塞いで 通れず難儀」

「持っていた ロープで倒木 持ち上げて 何とか車 すり抜けました」

「消防署 立ち寄り状況 報告し 対応するよう 連絡しました」

 

 

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人間牧場

投稿者: | 2020年2月16日

〇不具合のタブレットが治りました

 パソコンとかタブレットは、私の最も不得意な情報手段です。パソコンもタブレットも毎日の様に何気なく使っていますが、不具合が生じると自分で治すことが殆どできず、まるでお手上げの状態となります。そんな時は簡単なことなら同居の長男息子に頼んで直したり教えてもらいますが、深刻な不具合は松山に住む娘婿の力を借りねばなりません。

 娘婿は大学に勤めていて、私がパソコンやタブレットを手に入れれば、古いデーターや必要と思われるソフトをきっちり入れて使えるようにしてくれるし、不具合が生じればメールで伝え、遠隔操作による修正や修復をしてもらうのです。最近は不具合も少し少なくなっていましたが、数日前からタブレットのアメーバブログに不具合が生じ、書き込み操作が出来なくなっていました。

 3日前松山へ出かけた折娘宅へ立ち寄り、タブレットを預けて帰宅していました。昨日娘婿の留守中に再び娘宅に立寄り、タブレットを貰い受けて帰宅しました。最近のタブレットは優れもので、性能のいい内蔵のカメラもついているので、デジカメなど殆ど使わずにタブレットに頼りきりでした。ゆえに代用のつもりでこの2~3日デジカメを持ち歩いていましたが、デジカメで撮った写真をパソコンに移す作業手順をすっかり忘れている愚かさです。

 今日から再びタブレットを愛用の木になるカバンに入れて持ち歩きますが、この際デジカメや一眼レフカメラも使い方を忘れない程度に使いたいと思っています。不具合が生じる度に「〇×+-▼▽?」となる体内の情報回路の修復は、この年齢になると中々骨が折れます。その度に息子や娘婿に教えてもらわなければならない愚か者の親です。

「不具合が 生じる度に 助け舟 愚かな親の 醜態晒す」

「気がつけば 毎日机 前座り パソコンいじって あれやこれやと」

「より便利 求めて使う デジタルで 色々記録 するけどどこへ」

「タブレット 今じゃ私の 相棒に カバンに入れて 同行二人」

 

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