人間牧場

〇JR下灘駅は相変わらず賑やかです

 3日前、埼玉県深谷市からの来客を案内して、半日ほど町内を巡りました。シーサイド公園、閏住の菜の花畑、翠小学校、わが家の煙会所と海の資料館海舟館に加え、JR下灘駅へも立ち寄りました。この日は平日水曜日の午後でしたが、特に若い人が沢山訪れ駅の構内は賑わっていました。下灘駅はプラットホームに自由に出られる構造になっていることから、待合室やプラットホームのベンチに座ったり、周辺を散策してインスタ映えのする場所を見つけて何人もの人が写真を撮っていました。

平日だというに若者がこんなに・・・

駅舎の壁にはこんな写真も・・・

 私たち地元の人が考えると、「何でもない」と思える風景も訪れる人の目には価値があるのか、相変わらずの人気ぶりに驚きながら、暫くお客さんと同じ目線であれやこれやを見てひと時を過ごしました。「どちらから来られましたか?」と訪ねるのも愛嬌で、「東京から」とか、「台湾から来ました」と話す人も多くいて、改めてネット時代のバーチャル情報の凄さに驚きを隠せませんでした。この日は若者から「地元の人ですか?、この駅は・・・」と逆質問までされて、あれこれ説明までしてあげました。

 駅舎の管理も地元の人の熱意が行き届いていて、待合室の壁面には沢山の写真などが貼られ、活けた花がどことなくお洒落に感じました。駅の魅力はこうした見返りを求めない地元の人の心配りにあるのかも知れないと思い、空いた隙にプラットホームのベンチに座って、穏やかに凪いだ長閑な春の海を遠望しながら、30数年前この駅のプラットホームで初めて夕焼けコンサートをやった日のことを思い出しました。「あれから30数年」です。あの頃の私は若かった・・・です。

「久方に 来客案内 下灘の 駅を訪ねて あれこれ思う」

「どちらから? 台湾ですと 返されて えっ?と驚く 今じゃ日常」

「有名に なったもんです 下灘の 駅は平日 沢山の人」

「30余年 前に夕焼け コンサート あの頃のこと 今は神話に」

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人間牧場

〇榎の大木伐採大作戦(その2)

 色々な作業をしながら思うことは、1+1+1=は3、1×1×1=3という算数です。1人で作業すると中々はかどりませんが、これが2人になると作業効率は1+1=2~3人力、3人になると1+1+1=3~5人力になり、時には1×1×1=5~8人力にもなるのですから驚きです。

小切りした榎の原木

 昨日の榎の大木伐採大作戦の作業効率はその典型で、井上さん=チェンソー、私=チェンソー+鋸切り、井上さんの友だち=枝の片付け処分という、それぞれの能力に応じた役割に徹し、しかも切り落とした大枝を急斜面から上の市道まで綱で縛って引き揚げる作業は3人全員がやりました。

 お陰で2時間半の作業でヒラタケやキクラゲの植菌をする原木をかなりの量確保することができました。切った原木は根元近くの広場にとりあえず山積みして乾燥させた後、専用ドリルで穴を開け、ヒラタケやキクラゲの種ゴマを打ち込み、ホダ場へ移動させて、菌の廻るのを待つのです。

 キノコが出るのは早くても1年後という気の長~い話ですが、出始めると4~5年は春と秋にキノコの収穫、キノコの料理が存分に楽しめるのです。スーパーなどで売っているキノコ類の殆どは、原木栽培ではなく菌床栽培のようで、味も香りも抜群の原木キノコの味を存分に楽しみたいと思っています。今からとても楽しみです。

「1+1は 2でなくて 3や4になる 力学計算」

「1×1 答えは算数 1だけど 作業効率 大きな力」

「原木を 乾燥させて 穴を開け キノコ植菌 地道な作業」

「1年後 キノコ出るのも 食べるのも 今から楽しみ 元気で迎え」

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人間牧場

〇史談会の方言学習は面白い

 都合で1週間遅れた一昨日の火曜日、双海町史談会の定例会が行われました。この1年ほど双海の方言についてみんなで座談しながらまとめています。方言は時代の進展とともに廃れていく運命にある言葉だけに、出来れば冊子にしてまちづくりに活用したいと思っていますが、先立つのは資金で、資金を用意するのは上に立つ人の力量だと、昔から言われているので、その気になって取り組まなければなるまいと思い、本格的に当てを探し始めました。

毎回楽しい学習会が続いている双海史談会

 私たちが子どもの頃は、人の往来もそれほどなかったため、 日常的会話は方言で話していました。しかし学校教育ではむしろ方言を古いと否定して、標準語で話すよう指導されました。自分の言葉が普通の人の話し方と少し違うようだと意識したのは、私が高校生になり地元を離れて宇和島へ遊学した時でした。方言丸出しで話す私の言葉を学友は、笑いの対象にしておどけて見せました。逆に独特の方言と思える宇和島の人の言葉も可笑しくて、多勢に無勢なので思い出しては一人笑っていました。

青年団に入り東京で開かれた青年問題研究集会に参加した時、青森県の人と鹿児島県の人が話す方言丸出しの言葉を聞いて意味が分からず、「これ日本語?」と思ったのも無理からぬことでしたが、その後義務教育の力やテレビの影響によって、日本中が標準語となった今では、むしろ民俗学上は味気ない言葉となり、最近はむしろ方言を日本の文化として見直したり喋ろうとする動きがあることは喜ばしいことだと思っています。この1年をめどにまとめ上げ、一冊の本に出来るよう努力したいと小さな夢を目標に掲げました。夢はドリームではなくターゲットです。

「史談会 方言学習 大笑い いなげな言葉 みんな持ち寄り」

「この中じゃ 私も既に ロートルに あげなそげなと 言って笑われ」

「例会で、残しておきたい ベストテン 手を挙げ投票 大体一緒」

「方言を 本にまとめて 出版を 金の工面は 上に立つ人」

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人間牧場

〇ジャガイモ植えの準備

 人間牧場には小さいながら子どもたちのための畑があります。初夏に植えて秋に収穫するサツマイモと、春に植えて初夏に収穫するジャガイモの二毛作をしています。サツマイモを掘った後の秋から冬にかけて4ヶ月ほどは畑を休ませていますが、2月の中旬になると草を取り、耕運機が入らないため手鍬で中耕して畝を立てます。本当はそれらすべての作業を子どもたちに体験させたいのですが、今の子どもたちは何かと忙しく、毎月一回程度の子ども体験塾のプログラムも参加させなければならないため、まるでキセルのように、植え付けと収穫だけでお茶を濁しています。

畝を立てる館長さん
畝を立てる主事さん
植え付けの準備ができた子どもの農園

 昨日は、人間牧場の近くに住んでいる西嶋さんや新さんからいつも美味しいみかん類をいただくので、そのお礼にコーヒーと茶菓子を届けに出かけたついでに、人間牧場へ立ち寄りコンニャク畑の草取りをしました。そのうち公民館の館長さんや主事さん3人が前触れもなく、今週末に迫ったジャガイモ植えのために、子ども用畑の畝立てにやって来ました。この畑の草取りと中耕は2週間前私一人が半日をかけてやっていたので、3人の畝立て作業も1時間ほどで順調に進み、引き揚げて行きましたが、種芋もマルチも肥料も既に用意されていて嬉しい作業に目を細めました。

 週末のジャガイモ植えの後に、先日切り出したクヌギの木にシイタケの菌を植え付ける予定ですが、子どもたちの作業は午前中で終わるし、息子もヘリテージマネージャー研修に出かける予定だそうで、結局のところ私一人の作業になりそうな雲行きです。せかしい性分の私ゆえ、何かにつけて区切りをつけたいのは山々ですが、まあ急ぐ作業でもないのでのんびりと汗をかきたいと思っています。私には沢山のサンデー毎日を自認する自由人の仲間がいます。時々声をかけて手伝ってもらっていますが、その人たちも何かにつけて誘ってくれと言う割には、忙しいようで中々波長が合いません。(笑い)

「前触れも なく牧場へ やって来て 週末予定 畝立て作業」

「耕運機 はいらないので 鍬中耕 していたお陰 あっという間に」

「子どもらに 難儀な作業 させたいが 残念ながら その暇もなく」

「自由人 何かあったら 声かけて 言ってるけれど 中々来ない」

 

 

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人間牧場

〇えひめ丸沈没事故から18年

 今年も2月10日を特別な気持ちで迎えました。今から18年前の2001年2月10日は、私が自費出版した「昇る夕日でまちづくり」の出版記念パーティを、松山西堀端の南海放送本町会館7階テルスターホールで行うため、その会場を菜の花で飾るべく、特別老人ホーム夕なぎ荘の周辺で菜の花を摘んで自宅へ持ち帰り、青竹筒に指し込む作業をしていました。そこへ近くに住む姉悦子がやって来て、「あんたの母校である宇和島水産高校の実習船えひめ丸がハワイ沖でアメリカの原子力潜水艦と衝突して沈没したとテレビのニュースが流れている」と教えてくれました。

母校である愛媛県立宇和島水産高等学校
正面玄関横のえひめ丸慰霊碑
慰霊碑碑文
500mの海底から引き揚げられたえひめ丸の錨
記念碑に祈りを捧げてくれた妻
元校長安藤先生の碑文

 急いで部屋に入りテレビをつけると、生々しい現場の惨状が画面に映し出され、立っていられないほどの衝撃を受けました。沈没したえひめ丸は4代目の船ですが、船こそ違え私は初代の愛媛丸(後のえひめ丸)に乗って赤道を越え、オーストラリアにほど近い珊瑚海へ、高校3年生の時遠洋航海に出かけていて、ある意味愛媛丸は私の人生の原点でもあるのです。尊い9人の人命が奪われ、私の出版記念パーティに出席予定だった報道関係の多くの人は急遽キャンセルとなりましたが、出版記念パーティは予定通り行われ盛会に終わり、その後1年間で3千部の自著本は完売しました。

私の自著本には、早いページに愛媛丸での青春時代の思い出として、当時の模様をリアルに書いています。故に余計心が痛み、18年経った今も2月10日という日は忘れることができないのです。そんなこともあって2月10日前後には毎年のように母校である宇和島水産高校を訪ね、正面玄関横の慰霊碑に手を合わせています。昨日も仕事が休みだった妻を誘い出かけました。学校行事として慰霊祭が行われた後だったので、記念碑の前には沢山の花が飾られていて涙を新たにしましたが、私にとってこれまでもこれからも2月10日は特別な日です。

「18年 光陰過ぎて 矢の如し えひめ丸事故 今も忘れじ」

「自著本の 出版記念 パーティーと 偶然重なり 右往左往で」

「今年も 妻を誘って 慰霊碑を 訪ね両手を 合わせ懇ろ」

「愛媛丸 わが人生の 原点と 思いこれから 強く生きよう」

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人間牧場

〇第3回地域教育実践南予ブロック交流集会

 先週は2月3日に西条市で東予ブロック、今週は2月9日に西予市で南予ブロック、来週2月16日には松山市で中予ブロックと、このところ毎週のように地域教区実践に関する交流集会が持たれています。私も地域教育実践ネットワークえひめの代表でもあるので、責任もあることから出来る限り参加するようにしていますが、来週は前年同様子ども体験塾のジャガイモ植えやシイタケの植菌作業と重なっていて、参加が危ぶまれています。

オープニングイベント津島太鼓雅キッズの演奏
活発な議論のあった4つの分散会
インタビューダイアローグ
当日のプログラム

 一昨日の南予ブロック研修会は西予市にある愛媛県歴史文化博物館で行われました。高校生に焦点を合わせた東予ブロックと違い南予ブロックは、4つの分散会はどちらかというと地域活動に重きを置いた発表が中心で、地域とともに防災教育、俳句を切り口にしたまちづくり、宇和島のまち歩き、太鼓を中大地にした人づくり・まちづくり、自然体験活動、八幡浜港拓による子どもガイド育成、中高生チャレンジプログラム、愛媛県歴史文化博物館などの活動発表をもとに、議論が交わされました。

 津島太鼓雅キッズのオープニングイベントに始まり、分散会を挟み、浅野先生が聞き手となった、「小中高生と地域のつながり」というテーマのインタビューダイアローグも、3人の語り部が熱く語ってくれ、聞き応えがある集会となりました。来週の中予ブロックは大学生が登場する予定で、今年で第3回目を迎えた3つのブロック集会が終われば、3月3月9日の反省会で総括し、次年度への準備を進めなければなりません。

私が今年度の交流集会を開くに当たり文章表現した、「何故『かかわりをチカラに』する必要があるのか、それを拒むものは何かを考え、どうすれば『つながりをカタチに』できるのか、人と人、こころと心、個人と集団、施設と団体、学校と地域など、様々な関係の在り方について大いに議論し、それぞれの所に持ち帰り、地域教育の実践のヒントにして欲しいと願っています」を、総括したいと思っています。

「毎週の ようにブロック 集会を 積み重ねつつ これから先も」

「ダイニング 壁にかかった カレンダー サンデー毎日 自慢もできず」

「もう少し 余裕人生 欲しいけど いつとはなしに 予定ぎっしり」

「もう若く ないのだからと 妻注意 自覚症状 ないまま過ごす」

 

 

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人間牧場

〇新しくなった運動靴

 私は健康寿命を伸ばすため、毎日一日1万歩を目指して歩いていますが、私の全体重を支えながら文句も言わず、毎日付き合ってくれているのは愛用の運動靴です。私は外反母趾のため、人様のような格好いいシューズは合わないため、つま先の幅が広い「運動靴」と呼ぶにふさわしい靴を履いています。

はっきり覚えてはいませんが、多分1年前のこの頃に、年賀状の当選番号を持って行き、エミフルの靴屋さんで3割引きで買ったもののようです。それでもこの1年間しっかりと役目を果たしてくれましたが、先日雨上がりの道を歩いて自宅へ帰ると、防水にもかかわらず何やら靴底が湿り靴下が濡れているような感触になりました。

早速脱いだ靴を調べてみると靴底が相当傷んでいるようなので、可哀そうですが愛用の運動靴に暇を出してやることに決めました。地面が濡れていなければまだまだ使えるので捨てきれず、庭の隅に置いていたのですが、一昨日の金曜日の朝妻は、私に相談もなくゴミの収集袋に入れて、さっさとゴミに出して処分されてしまいました。

新品の防水加工した運動靴は同じメーカーなので履き心地もよく、今朝も何の違和感もなく新品の靴を履き1万歩目指してウォーキングしました。毎日1万歩歩くと仮定して365日歩くと365日×1万歩=3,650,0000歩×0.65㎝=2,372,500mとなります。う~ん、数字が多過ぎてどのくらいの距離になるのでしょう?。地球のどこまで歩いたけいさんになるのかな?。

「靴底に 穴開き靴下 濡れてきた そろそろお暇 お礼言いつつ」

「まだまだと 思っていたが ゴミ袋 入れてあえなく 処分対象」

「わが靴は 外反母趾ゆえ 幅広い ダサいが防水 履き心地もよく」

「一万歩 目指して毎日 コツコツと お陰で健康 これから先も」 

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人間牧場

〇花を楽しむ

 花は季節の贈り物です、特に早春と言いながら寒さ厳しいこの時期に咲く花は愛おしく、愛でてやらねば可哀そうな気がするのです。私は長年まちづくりの一環として花づくりに関わってきました。ゆえに作る人の気持ちも見る人の気持ちも分かるので、自分もちょっとだけお裾分けのつもりで、人知れず花を愛でています。

閏住の菜の花も見ごろです
中矢荻風さんの句碑と水仙
藪椿の花も彩を添えています

今年は天候のせいでしょうか、水仙の花の花持ちがよく、例年だとそろそろ終わる水仙の花が、まだ十分楽しめるようです。日喰と富岡の中間近くの路側帯に小さな緑地帯があります。私が仲立ちして10年も前、俳人中矢荻風さんの小さな句碑を建てましたが、そこに双海花の会の皆さんが水仙の球根を植えてくれました。

 昨日人間牧場からの帰り道、路側帯に車を止めて一人花見を楽しみました。前日は日中15度以上になった気温も、北海道札幌で最高気温がマイナス11度というこの冬一番の寒気が西日本にも流れ込み、夕方は一気に気温が下がりました。海風に揺られて水仙も寒そうでしたが凛として、馥郁とした香りを漂わせていました。

 閏住の菜の花も満開が近づきました。今年は例年より10日も早く季節が動いているようです。恒例の菜の花祭りは3月3日、菜の花を愛でながら歩く菜の花ウォークもあるようです。双海町はこの時期花が溢れ、一年中で一番美しい季節を迎えています。曇りがちの日が続きますが、その気になれば夕日もしっかりと楽しむことができます。

「海沿いの 道端水仙 菜の花が いっぱい咲いて 今が一番」

「寒い冬 折角咲いた 花々を 見てやらねばと 連日花見」

「句碑建てた 傍に水仙 植えて世話 花の会人 心優しく」

「閏住の 菜の花畑 今見ごろ 黄色い斜面 海・空・列車」

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人間牧場

〇年輪塾の名札づくり

 私が塾長を務める年輪塾の中心的施設となっている、人間牧場・水平線の家の板壁に吊るしている塾生の名札を、その後の変更に合わせてリニュアールすることにしました。今まで使っていた名札を全て外して自宅に持ち帰り、カンナで削り直して使おうと思いましたが、これまで使っていた名札は板が薄いので、共栄木材の西下会長に訳を言って、少し赤味がかった杉板の端材を貰って来ました。

これまで使っていた名札を下ろしました
いただいた杉板端材で名札を作りました

 早速東屋で貰った端材にカンナをかけ寸法を測り鋸で切り、ホームセンターで買った紙やすりで丁寧に仕上げの磨きをかけました。親父が存命中はこんな手仕事は朝飯前の器用だった親父に頼めば、直ぐに用意をしてくれていましたが、今ではそれもできず不器用を自認している自分がやらなければならず、まるで日曜大工のように楽しみながらやっていますが、まだまだ修行が足らぬと納得しきりでした。

名札ができたので、塾頭の清水和繁さんに電話を入れ、先日嵐山から松山のマンションへ帰る途中立寄ってもらい、名前を書いてもらう年輪塾師範の辻先生への手配をお願いしました。辻先生の達筆は周知の事実で、わが家にも近江聖人中江藤樹の「五事を正す・貌言視聴思」や二宮尊徳の「4つの教え・至誠・勤労・分度・推譲」などの掲額をいただいています。処志検定に合格した10人の名札ができるのが楽しみです。

「不器用を 自認の私 最近は 日曜大工 何とか様に」

「従兄弟から 貰った端材 カンナかけ ペーパー磨いて 立派な名札」

「達筆な 塾の師範に 墨字にて 名前書くよう 塾頭通じて」

「あれこれと 思い巡らせ あれやこれ 暇を見つけて 楽しみながら」

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人間牧場

〇密航船天神丸

 昨日は八幡浜市真穴公民館の招きで、真穴公民館へ講演に出かけました。帰り際「公民館長さんからあなたに渡してくださいと頼まれました」と、女性職員から大野芳著「北針」という題名の本を手渡されました。知りたかった密航船天神丸のことが書かれた資料だったのでとても嬉しく、帰りの道沿いにある記念碑を見学しようと思っていると、公民館長さんが「私も一緒に」と軽四トラックで先導して、天神丸が帆を揚げアメリカ目指してて出港したという源造前の浜に案内してくれました。そのうち伊予市の教育長だった黒田さんの奥さんと兄弟というお兄さんも加わって、3人で行き交う車に気をつけながら、記念穂の見学をしました。

北針の記念碑
案内してくれた館長さんたち
アメリカ渡航した打瀬船「天神丸」
源造前の浜から見える大島
大野芳著「北針)

「大正2年5月18日午後10時、密航船『天神丸』は、こうして愛媛県西宇和郡真穴村大字真網代(現・八幡浜市真網代)の源造前の入江を出帆したのであった。この乗組員は15人だった。25歳から50歳7人、以上が真網代出身者、23歳から39歳6人、以上が川上村川名津出身者、他2人は穴井出身となっているが向灘という説もあって不明である。なぜこの時期、15人という大勢の村人たちが、小さな漁船を改造した船で、危険を覚悟でアメリカへの密航を企てなければならなかったのだろうか。また、彼らの未熟な航海技術によって、太平洋を渡ろうとした航海の模様は、どんなものだったのだろう。(北針のプロローグより)

 18歳の時、愛媛県立宇和島水産高校の実習船愛媛丸で南十字星輝く珊瑚海へ遠洋航海に行った経験のある私。50歳の時、僅か5tの若吉丸に乗って潮岬・御前崎を越え伊豆下田から伊豆諸島の三宅島まで県外出漁した親父。30歳の時、23歳で作った生活設計に基づき、昭和の咸臨丸と銘打った、第10回総理府派遣青年の船の班長として太平世を渡り、アメリカ・メキシコ・ハワイを歴訪した私。そんな自分や自分につながる過去の思い出とダブらせながら、昨晩はいただいた大野芳著の「北針」という本を、朝方までかかり一気に読みましたが、アメリカを目指した未熟にして無謀な顛末にはいやはや驚きの連続でした。

4~5年前、人間牧場で開いた私塾年輪塾のテーマ人物がジョン万次郎だったこともあり、3つ4つのの出来事をダブらせながら「北針」を読んだお陰で、消えかけていた私の心の火が再びくすぶり始めたようです。もうそんなに若くはないので太平洋を渡りたいなんてことは考えませんが、少し暇を見つけて自分や海を巡るあれやこれやを、少し書いておかなければならないとも思い始めたようです。家の横に造っている海の資料館「海舟館」にはそのキーワードが幾つもあるようです。

「館長さん 源造前の 浜案内 かつてここから 密航船が」

「海沿いに 立派な記念碑 建っていて 往時を偲び 記念撮影」

「今だから 無謀未熟と 言うけれど それでもアメリカ 打瀬船にて」

「あれやこれ 思い出すたび 血が騒ぐ 海はロマンの 塊だから」

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