人間牧場

〇聖カタリナ大学の非常勤講師をしています

 毎週水曜日は聖カタリナ大学の非常勤講師をしているため午前中は講義日となっていて、30分前の午前10時に大学へ到着するよう8時過ぎに家を出ます。この時間は朝の通勤ラッシュも終わりに近づいていますが、松山市内環状線は車の流れが悪く多少時間がかかるものの、堀江辺りを過ぎると車の流れもスムースで、ほぼ100分(1時間40分)程度で到着します。

大学の正門には守衛室があって、守衛さんが出入りの車をチェックして、名前や用件を書き込むようになっていますが、講師陣には駐車許可証が交付されていて、この許可証を見せるだけで校内へ入って所定の場所へ駐車すれば、許可証を車の見える場所に置き、2回の講師室へ入ります。出勤簿に押印し私書箱を開け、ネームカードを取り出したり、連絡文書や頼んでいた印刷物を取り出し、授業始まりのチャイムが鳴るまで、他の講師の先生たちと雑談しながら、無料自販機で取り出したお茶を飲むのです。

大学は今年度から授業への出席がデジタル化され、入室の際に自分の学生身分証明書をかざせば、自動的に出席が教務課でカウントされるようになりました。そのため既に6回も講義をしているのに、30人ほどの学生の顔と名前は一致せず、これでいいのだろうか?と思いつつ、毎回90分の講義を繰り返しています。私の講義科目は「地方行政学」という、かなりお堅い学問です。35年間行政に携わっていたとはいいながら、学生に15コマも理解できるような話ができるか疑問を感じながら、2年目ゆえ昨年度のような緊張感もなく、楽しくやっています。授業が終わればまた1時間30分もかけて自宅へと向かいます。往復3時間は中々ですが・・・・。

「大学の 非常勤講師 引き受けて 毎週水曜 往復3時間」

「大学の 正門守衛に 許可証を 見せて校内 所定に駐車」

「出席を 確認する手間 省けたが 顔と名前が 一致もせずに」

「大学を 出てない私 大学で 講義するとは これまた可笑し」

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人間牧場

〇柿の収穫

 わが家の裏の急斜面に4~5本の柿の木が植えられています。土砂崩れしないように植えたと思われるこの柿の木は、野良(役立たず)の代名詞のようなもので、殆ど実を付けないばかりか、秋に紅葉した葉っぱが落ちて、庭の掃除が大変なのです。

今年は柿が沢山実を付けました

 

私の作った鉤棒
こんなに沢山収穫しました

ところが今年はどういう訳か、多分気象条件によるものと思われますが、実が沢山なり食べごろとなったのです。息子は危ないから専用の竿に鋏がついた道具を買ったらと提案しましたが、当然購入の費用は私持ちなので、「そんなことしなくても枝で鉤竿を作ればいい」と突っぱねました。

 昨日は好天に恵まれたので、「危ないから止めた方がいい」と言う家族の反対を押し切って、柿の実の収穫を思いつきました。私は子どもの頃から悪ガキで、近所の柿の実まで盗んで食べた経験もあるくらいですからどうってことはなく、自作の鉤棒を使い20分ほどですべての収穫を終えました。収穫量は25キロ程度でした。

 昨夜は収穫した柿の実を妻は皮を剥き食後のデザートに出してくれましたが、外観の見場は悪かったものの味は抜群に甘く、これからしばらくの間楽しみです。柿の実を食べながら若い頃流行った歌手三浦浩一の「柿の木坂の家」を口ずさんでみました。私もこんな歌を歌うのですから古くなったものです。

 

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〇古岩屋の紅葉(その4)
 面河渓谷からの帰り道は美川軍艦を通り道と、四国霊場88ケ所の札所岩屋寺を通る道がありますが、私たちは帰りの道は岩屋寺に通じる道を選び、国民宿舎古岩屋荘前の紅葉を見ることにしました。時刻は午後3時を過ぎていて、秋の日差しは既に山の端に隠れ、少し日陰になっていましたが駐車場に車を止め、道の下の紅葉の林の中を歩きました。

上から見下ろし、下から見上げるモミジの紅葉、それにカサカサと音のする落ち葉を踏みしめての散策は、何とも言えない秋の風情でした。帰路につく車の中から窓越しに、民宿狩場苑の看板を見ながら「親友浅井さんは元気だろうか?」とか、久万の山道を走ると「親友宇都宮さんや渡辺さんは元気だろうか?」とか顔々が浮かび、かつて一緒に活動した過ぎし日の思い出が交錯しました。
 帰宅して、妻とテレビを観ながら妻と孫たちに、タブレットで撮った写真を見せながら、一日巡った高原の紅葉の思い出を話してやりました。滅多に行くことのない束の間の紅葉狩りに妻も大満足の手合いでしたが、それなりにしか写っていない自分の写真を、「あまりまるでモデル撮影会のようにブログに載せないようにしてね。恥ずかしいから・・・」と釘を刺されました。知ったことかと・・・・。

「紅葉を 見下ろし見上げ 場所を変え 妻と二人で 心ゆくまで」

「友人の 消息途絶え 久しくて 付近通る度 思い出される」

「紅葉の 前に嫌がる 妻立たせ 写真数枚 パチリパチリと」

「お土産を 買う暇買う場所 そういえば 孫に言われて 初めて気づく」 

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〇小田深山へ紅葉狩り(その2)

 小田の里から小田深山まではつづら折りの狭い道です。私たちと同じように紅葉を見に行くと思われる車が何台も前と後ろを、まるで数珠つなぎのように走りました。峠辺りに小田深山スキー場のゲレンデがありますが、どの車も先を急ぎ、私たちの車もつられて、見えて来た紅葉林を左右に観ながら車を止めて紅葉を観る場所を探しました。

「金・暇・好奇心」の3つを持ち合わせていると思われる熟年女性の集団が、両手にスティック背中にリックの出で立ちで山道を何人も歩いていました。そのうち奥に進むにつれて離合もままならぬほど道が狭くなり、引き返す車の回転場も見当たらず、カーナビで調べると、この道の先はどうやら旧柳谷村に通じるようなので、小田深山散策を諦め、何と目的地の小田深山では車から一度も下りず、一枚の写真も撮らず先に進みました。

草深い山村の山道をカーナビを頼りに進み、やっとの思いで高知と愛媛を結ぶ国道33号線に出ました。さてどうする?と思案した結果まだ昼前ということもあって、旧美川村の軍艦を経て紅葉の名勝面河渓谷へ行くことにしました。丁度この日は旧美川村の秋祭りらしく辻々には幟が立って、沿道に植えられた真っ赤に色づいた紅葉が見事な風情を醸していました。

山岳博物館の前の駐車場に車を止め、川沿いの遊歩道を関門まで紅葉を愛でながら片道30分歩き、名勝面河渓谷の河原まで歩きました。近くの茶屋で少し遅い昼食を取り、河原に出て観光客とともにのんびり過ごしました。

「小田深山 訪ねたけれど 車内から 紅葉観ただけ 写真も撮らず」

「金と暇 好奇心ある 熟年の 女性の集団 リック・スティック」

「カーナビを 頼りに狭い 山道を 縫うよう走り 思わぬ場所へ」

「面河渓 紅葉の名勝 訪ねけり のんびり散策 秋の一日」

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〇黒山神社の再建

 何年か前、子ども体験塾のハイキングで、子どもたちと一緒にふるさとの名山黒山に登りました。黒山の山頂には中世の山城跡があり、今ものろし場や廓の石垣跡が残っています。また黒山山頂に通じる仏峠には隠れキリシタン時代のものと思われる石仏もあって、史跡的には貴重なものですが人里からかなり離れていることもあって、雑木雑草に覆われ人の進入を拒みつつある状態です。

 黒山の中腹に黒山神社がありますが、私たちが訪ねた後、倒木が社殿を直撃して倒壊してしまいました。私たちが子どもの頃は毎年春の祭礼は賑やかで、私も麓に親類があったため親類の人と一緒に何度か祭礼に出かけたことがあり、また若い頃テントを持って何度か黒山に登山して、境内で野宿をした経験があるので、殊の外思い出の多い地なのです。

 昨日の愛媛新聞朝刊5面社会欄に、黒山神社のことが紹介されていました。歩いて約40分もかかる現場社殿の再興を断念し、日喰集落内への移転を計画し再建委員会が立ち上がり、準備を進めた結果氏子らから約500万円の寄付が集まり、このほど社殿の建築の運びとなりました。久々の嬉しいニュースに心がときめきました。私の従兄弟の西下芳雄さんが生きていたらどんなに喜ぶだろうと思いを巡らせました。

 今日本中の神社やお寺が、過疎化や高齢化、氏子や檀家の減少などで存続が危ぶまれていて、特に神社は不活動神社が多いと聞いています。地域のコミュニティ活動と密接な関りを持っているだけに、宗教と文化活動のはざまで揺らぐその実態に心が痛みます。

「中腹の 神社が里に お引越し 新聞報道 嬉しいニュース」

「若い頃 神社境内 テント張り 何度か野宿 思い出の場所」

「神社・寺 維持や管理も ままならず 存亡の危機 心が痛む」

「宗教か 文化なのかと 水かけで いつも一抜け 二抜けもあって」

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〇子ども体験塾伊予市灘町ハイキング(その2)

五色浜公園内にある彩浜館横にある珍しい、潮の干満を調べるために作られたサザエ掘りを見学した後、私たちは浜通りから灘町商店街に入り、浄土宗の名刹栄養寺の山門をくぐり、境内で観光ボランティアガイド向井さんの説明を聞きました。山門近くに建っているわが国栄養学の祖と言われている佐伯矩博士の顕彰碑や、境内にある双海町上灘出身で灘町のまちづくりを行った宮内小三郎など宮内家のお墓についても教えてもらいました。あいにく催し物が開催されていて、宮内家内部を見学することはできませんでしたが、県下で最も格調の高いと言われる屋根のうだつなど伝統的建造物の説明を受けました。

さざえ掘
栄養寺山門
宮内邸
ポケットパークにて
IYO夢みらい館

施設の説明
ラウンジで妻手作りの弁当を子どもたちと一緒に食べました
予讃線海岸周りの乗車券
復路の車内

宮内家横のポケットパークで休憩した後、IYO夢みらい館に入り、担当の方の案内で文化ホールや図書館などを見て回り、それぞれが持参した弁当をラウンジで食べ、感想文を書いたり図書館で少しの間本を読んだりして過ごし、伊予市駅13時23分発の列車で無事帰って来ました。参加した子どもたちにとっても、初めてのことばかりだったので、多少戸惑ったようでしたが、いいハイキングとなりました。

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〇わら束が届きました

人間牧場では、子どもたちのプログラム開発のため、様々な実験事業を行っています。クヌギの木の原木にシイタケ菌を植菌したり、コンニャク芋を育てたり、クヌギの木の苗木を植えてどのくらい育つのか観察したり、落ち葉ストッカーに落ち葉や豚糞を入れて腐葉土を作ってカブト虫を飼育したり様々です。そのため色々な素材を八方手を尽くして集めなければなりません。時には軽四トラックで大洲市の養豚舎へ豚糞を取りに行くこともあります。先日大洲市田処に住む親友の亀本さんが、稲わらを沢山持参してくれました。先日人間牧場へ行ってみると、落ち葉ストッカーの横に稲わらが運ばれていて、雨露をしのぐためビニールシートを被せてくれていました。有難いことです。

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人間牧場

〇「今JR下灘駅にいます。人間牧場へ行きたいのですが・・・」

 昨日の午後、豊田漁港の見える丘で下刈り作業をしていると、ズボンのポケットに入れている携帯電話の着信バイブレーションが太ももに響きました。急いで草刈り機のエンジンを止めて電話に出ると、「私は横浜から来た〇〇と言います。今下灘駅にいます。先日ある雑誌で双海町のことを読みました。訪ねたくなって休みを利用してJRで下灘駅まで来ました。その記事の中で人間牧場と若松さんのことが書かれていて興味を持ち、どうしても訪ねたくて、駅前の人に若松さんのことを尋ねると、自宅の電話番号を教えてくれました。自宅に電話すると奥さんがあなたの携帯電話に掛けるよう教えてくれました。是非人間牧場を訪ねてあなたの話を聞きたいのですが・・・」と、唐突な話でした。

横浜から来た二人が驚きの目を見開いた標高130mのオーシャンビューの瀬戸内海眺望

 時々ある話だし、急ぎの作業でもないので下刈り作業を一時中断してJR下灘駅まで迎えに行き、下浜ルートの山道をトラックの助手席に乗せて人間牧場へ案内してあげました。実は電話では聞いていなかったのですが、男性にはもう一人同行の女性がいて、定員二人の軽四トラックなので、どうしても乗せることができないと断ると、「私は荷台でいいですからお願いします」と言ってさっさと乗り込んでしまいました。どうしよう?と思いましたが無理に断ることもできず、国道を走らず上浜下浜の旧道を通り抜けて人間牧場へ連れて行きました。横浜から来たという明らかに夫婦でないと見まがう、中年二人の仲を詮索することもできず、結局記念写真も撮れず、一通り案内したりまちづくりにまつわるお話を聞かれるままに1時間ばかりして、元来た道をJR下灘駅まで送り届けました。

「今シーサイド公園に来ています。人間牧場へ行きたいのですが・・・」という思いつきのような話は度々時々あります。「今は手が離せないので」と言うと、「場所を教えてください。カーナビがありますので勝手に出かけますから」と食い下がられることもあります。「カーナビでは出ないし、勝手に行くと道に迷い、携帯電話も通じにくく帰れなくなるかも知れません。シーサイド公園からは10㎞も離れているので次の機会に」と断ることもしばしばです。新聞やテレビで紹介される度に、こんな降って湧いた連絡がよく届きます。きっぱり断るべきか?、お人好しに徹するべきか?、はたまた好出会いを重ねるべきか?、判断の難しい私です。

「ポケットに 入れた携帯 肌感知 見ず知らず人 牧場要望」

「農作業 止めて案内 することに よくある話 安請け合いで」

「軽四の 荷台ちゃっかり どうしよう? 迷う間もなく 言われるままに」

「新聞や テレビで紹介 される度 連れて行ってと オファーがかかる」

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人間牧場

〇早くも来年度の計画作成

 まだ本年度が5ヶ月も残っているというのに、早くも来年度の計画作成が始まりました。愛媛県公民館研究大会の全体会にインタビューダイアローグという討議方法を、昨年度と今年度取り入れました。愛媛県公民館連合会の専門委員長をしていることもあって、私がそのインタビューアーに指名され昨年も今年もその大役を終えました。しかも来年度は愛媛県で公民館の全国大会が開かれるので、3年連続してその大任に挑戦しています。

かつて私は若い頃公民館に13年間主事として勤務し、伊予郡の代表主事として県公連の主事部会長を6年間も務め、公民館の全国大会でも分科会の司会など6年連続でやった経験を持っていますが、当時と今とでは公民館を巡る情勢も随分違っていて、インタビュアーに指名された折多少迷ったものの、年齢も浅学も顧みず引き受けてしまいました。やるからにはと去年も今年も登壇した県内の発表者を、中尾担当係長さんと事前にくまなく回り、しっかりと準備を進めました。

その結果参加者のアンケートでもそれなりの評価をいただき、来年度の企画にも熱意を持ってこの時期から取り組んでいる所です。昨日は聖カタリナ大学の授業日でした。約90分の講義を終え、県公連の事務局のある愛媛県生涯学習センターへ帰り道立寄り、近藤事務局長さんと中尾担当係長さんの3人で、インタビューダイアローグの進め方について大いに語り合いました。これから何度か相談を重ねよりよい全国大会の全体会になるよう頑張りたいと思っています。

近藤事務局長さん

「来年の 全国大会 全体会 早くも準備 怠りなきよう」

「若い頃 全国大会 司会した 懐かし思い出 蘇りつつ」

「3年間 ホップ・ステップ ジャンプです 浅学ながら ラストチャンスだ」

「一年後 あっという間に やって来る 健康管理 スキルアップも」 

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人間牧場

〇6年前の裸体写真が出てきました

 私は加齢とともに衰えるであろう体力維持のため、色々なことをやっています。毎日1万歩を目指してウォーキングするのもその一つですが、人間は怠け癖があって朝雨が降っていたり、真冬の外が真っ暗な寒い日などは、ついついサボりたくなるものですが、老いのスピードを緩めるため意を強くして励行しています。妻はそんな私に「歳をとって何でそこまで・・・」と言いますがわれ関せずで、私と常に同行している万歩計内蔵の携帯電話に歩数記録履歴が残るので、嘘をつかず正直に歩数を積み重ねています。

人間牧場のロケ風呂にて
6年前の私の後ろ姿(わいせつではなく芸術です)
ウッドデッキにて
憩いのひと時

 私の体力は、歩いたり走ったりする以外は殊更なことはしていませんが、農作業をしたりすると自然に体力が蓄えられて、75歳にしては肥満でもなく10年前の体系を維持できています。昨日パソコン画面のfacebookに、6年前の私の裸像が何の前触れもなくいきなり出て来て驚きました。どうやら私が6年前facebookにアップした写真のようでした。6年前と言えば今私は75歳ですから60代最後の写真です。後ろ向きながら恥ずかしい裸体写真を、自動シャッターでよくもまあ自撮りしたものだと、多少赤面しました。

 自分の体調を測る方法の一つに体重があります。若い頃65㎏あった体重は、20年ほど前胆のう摘出手術以後55㎏前後に激痩せしましたが、今もその体重を維持しています。体重を維持できているということは、運動と食事のバランスがいいことなので、脂肪分・塩分・糖分を極力少なくして、健康に良い魚と野菜を中心にした食事を作って、食べさせてくれる妻に何よりも感謝しなければなりません。体力維持はこれからの私の人生の最重要課題の一つであることを自覚して、今日も頑張り過ぎない程度に頑張ります。

「6年も 前に自撮りの 写真出て ビックリ仰天 驚き桃の木」

「体重や 体形全て 6年間 変わらず私 元気そのもの」

「人間は 何故か楽道 進みたい 自分に勝つは かなり難し」

「近いうち 同じアングル 自撮りして 6年後にも 比較しようか?」

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