人間牧場

〇壊れたかまど小屋のガラス戸
 安上がりな最近の建物は耐用年数が20年と言われています。私の人間牧場に建てている建築物もその類で、あちらこちらが傷み始めています。ガラス戸は劣化しないと思いきや、先日の大風で木が倒れ、その弾みでかまど小屋のガラス戸が全壊しました。どうしたものかと傷心の面持ちでしたが、自分で何とか修理してみようと思い立ち、ガラス戸を板戸にする案を思いつきました。

壊れたガラス戸を修復し板戸にしました

 壊れた窓枠を拾い集めて持ち帰り、庭先で修理をして倉庫の端材板を取り出して打ち付けました。不器用を自認する自称「不器用男」ゆえ、決して上手いとは言えませんが、それなりに設えに出来上がりました。昨日は人間牧場へ農作業に出かけたついでに、その板戸を取り付けることにしました。先日息子のリクエストに応え私がお金を出して、1万3千円もするインパクトをアマゾンで買ったので、そのインパクトを使ってみましたが、中々の優れものででした。

取り付けを終え防腐剤を塗り一件落着です

 ちょうつがい取っ手、それに内鍵をねじ釘で止めて復旧を終え、外側に防腐剤を塗って一件落着となりました。プロの大工さんに頼めば多分窓枠を含めガラスは新品になって見栄えがしますが、制作費や取り付け費を含めると、素人見積もりながら3~4万はするに違いありません。年金暮らしゆえそれほどの臨時出費は極力抑えなければなりません。それなりの仕上がりに大満足の一日でした。

「かまど小屋 ガラス戸粉々 無残です 不器用自認 日曜大工で」
「持ち帰り ガラス戸板戸に 替えようと 早速作業 何とかできた」
「取り付けは 新しく買った インパクト 使い取り付け 難産の末」
「無駄出費 年金暮らしにゃ 堪えます 知恵と力で 乗り切りました」

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人間牧場

〇梅雨の晴れ間の草刈り作業
 昨日の朝は雨が降っていて、長靴を履き傘を差してウォーキングに出かけました。このところウォーキングの途中県道付近で、通勤途中の中尾先生によく出会います。先生は車を止めて窓ガラスを開け、「おはようございます」とあいさつをして、勤務先の佐礼谷小学校へ向かいます。私はまだ朝食も食べていない6時ころの時間だというに、中尾先生はもう職場に向かっているのでから驚きです。

 私は毎朝のウォーキングは50分ばかりかけて楽しみますが、その同じ時間を使って中尾先生は毎朝通勤していることを思えば、私は何てお気楽で幸せな時間を過ごせているのだろうと、思ったりしながら歩いています。さりとてサンデー毎日と言えど、私の日課もそれなりに忙しく、まあ充実しているようで、少し心にゆとりができ、昨日は午前中締め切りの迫った原稿を3本書き終え、メール便で送ってホッと一息つきました。

 昨日はお昼頃になると雨も上がり、時折薄日が差してき始めました。「そうだ草刈りをしよう!!」と急に思い立ち準備をして畑に出ました。畦畔の夏草は既に1回刈り終えていて、今回が2回目です。長~い150mの畦畔や畑の草を、草刈り機をブンブン回しながら刈りました。気温も湿度も高く、大汗をかいてしまいましたが、居合わせた孫希心にお茶のサービスをしてもらい一休みし、一気に草刈りを終えました。お風呂に入り腰のケアーをしたお陰で、今朝は元気を回復しています。

「ウォーキング 途中友人 通勤中 最近毎日 出会い挨拶」
「お互いが 同じ時間に 別々の 目的もって あっちこっちと」
「梅雨晴れ間 そうだ草刈り やろうかと それから半日 草刈りブンブン」
「二番草 梅雨雨吸って 元気良い 昨日は充実 体調も回復」 

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人間牧場

〇雨の中の農作業
 小さいながらも家庭菜園で野菜を作っていると、天気予報が何かと気になります。60歳でリタイヤして一応自由人となって17年目を迎えていますが、今も自由人とは名ばかりで、新型コロナの影響で減ったとはいいながら講演活動や、ボランティア活動に忙しく、その分畑のことが気になって仕方がありません。

雨の中作ったピーマン垣
被害にあったトウモロコシ

 昨日は久しぶりに一日中雨でした。ハメハメ大王ではありませんが、農作業は雨が降ったら一応お休みです。それでも家庭菜園が家の横に隣接しているので、気分転換で傘をさして見回ったりしていますが、ピーマンとシシトウへの支柱立てが遅れていたせいで、雨に濡れて重くなった苗が傾き始めていました。

これは大変とばかりに、雨が小康状態になったのを見計らって、杭を打ち、横竹をそわし支柱を立てて40本の苗を何とか元に戻しました。ところがところがです、その横に植えている20本のトウモロコシの4~5本が何やら倒れているのです。中には稔り始めたサヤが無残にも喰いちぎられているのです。

 「しまった」「やられた」と思いながら、とりあえずカラス除けのビニールテープを張り巡らせました。思うにこの仕業はカラスかハクビシンの悪さに違いありません。せっかく順調に育っていたのに「あ~あ~」です。また雨が降り始めたので作業を終えましたが、今朝の見回りではかろうじて被害の拡大は見られませんでした。

「一日中 雨降り続き 農作業 一応お休み それでも気になる」
「傘さして 畑見回り した結果 ピーマン・シシトウ 重さで倒れ」
「よく見ると トウモロコシが 無残にも 喰いちぎられて 残念至極」
「雨の中 農作業する 情けなや よくある話 家族に話す」

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人間牧場

〇捨てない生き方
 先日愛媛大学名誉教授の堺先生がわが家へやって来た折、一冊の本をいただきました。私の住んでいる地域に本屋さんはなく、図書館も遠いので、読みたい本は息子に頼んでネットアマゾンで買って読んでいますが、最近はその回数も徐々に少なくなって、1・10・100・1000・10000・100000・1000000・10000000・1000000000運動を提唱推進している私ながら、1000文字読むことの主流はもっぱら毎日目を通す新聞が主流となって、活字離れが進んでいるようです。

 堺先生が私にプレゼントしてくれた1冊は五木寛之の「捨てない生きかた」という本でした。「捨てなくていい」「愛着ある『ガラクタ』は人生の宝物である」という表紙のコピー言葉に納得しつつ、一気に読んでしまいましたが、納得納得、同感同感でした。
 人生百年時代に「捨てない生活」のすすめ
 ・消えゆくモノたちとどう暮らしていくか
 ・シンプルライフにひそむ「空虚さ」
 ・モノは「記憶を呼び覚ます装置である
 ・「ガラクタ」は孤独な私たちの友
 ・生き生きと置いていく
 ・人づきあいは浅く、そして長く
 ・法然と親鸞が捨てようとしたもの
 ・過去を振り返ってこそ、文明は成熟する

貰った一冊の本

 P141 の「日本各地で失われていく時代の記憶」で五木さんは、「日本のいたるところで、時代の記憶がどんどん消えつつあるように思います。記憶を蘇らせるよすがとなる、立て札だったり建物だったり橋の名前だったり・・・・。そういったモノ捨てずにおくことはやはり大事ではないか」と書いていますが、じゃあどうすると考えたとき、提案はいくらでもできますが、実際庶民の私たちには手も足も出ないのです。昨年わが家の海の資料館「海舟館」に古い標柱、看板、丸木舟の先端が展示品となりました。千本桜の森づくり事業の標柱は風雨にさらされ倒れたものを持ち帰り奇麗に洗って汚れを落とし、消えかけた文字をなぞって修復しました。シーサイド公園に展示していた丸木舟を処分する際要らなくなった看板を持ち帰りました。また丸木舟も舳先2mほどを切り取り持ち帰りました。いずれのものも記憶に留めたい一品ながら風化が激しく消える運命にありました。本を読みながら、私の考えや行動も間違いではなかったと、納得の手合いでした。

「先生に 貰った本を  一気読み 捨てない生き方 わが意を得たり」
「身の周り 何もしないと 捨てられて 記憶されずに 消える運命」 
「終活や 断捨離名のもと 捨て過ぎて シンプルライフ 少し寂しい」
「私なり 人がどうこう 言おうとも 生き方変えず それなり生きる」  

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人間牧場

〇知らなかった朝顔たち
 私はこれまで自分の書斎の窓辺に緑陰として朝顔を育ててきましたが、息子が昨年から朝顔の鉢植えを育てるようになってからは、それも止め遠く近くでその成り行きを見守っています。この時期になると鉢植えの朝顔が咲き始めたため、花の咲いた鉢植えを玄関先に飾って楽しんでいます。

 昨日の夕方、少し小型の花の咲いた鉢を置いていたので、「これは夕顔?」と息子に聞くと、「これは夕顔でなく夜顔だ」と言うのです。「えっ?、ユウガオは聞いたことがるが、夜顔なんてあるの?」聞き直しました。息子は図鑑を見せて、「朝顔・昼顔・ユウガオ・夜顔」の違いを教えてくれました。

一目で分かる花の違い
わが家に咲いた夜顔の花

 なるほど納得でした。私は77年間も生きているのに、わずか49年しか生きていない息子に教えてもらわなければならない、悲しき老人であることを自覚しました。花は息子、スマホは孫、生きるすべは妻や若嫁にです。それにしてもみんな知っているふりして生きているから不思議です。「知っていましたか?」

「朝顔に よく似た花が あることを 知ってはいたが 夜顔あるとは」
「図鑑見て これが夜顔 な~るほど 一目瞭然 やっと納得」
「喜寿までも 生きているのに 知らなんだ 恥ずかしながら 悲しき老人」
「あさがおは 夜はしぼむが 夜がおわは 朝にしぼんで 私のようだ」

 

 

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人間牧場

〇朝顔の咲く夏となりました
 この2~3日は梅雨の晴れ間の天気で蒸し暑く、松山も日中の最高気温が30度を超す真夏日が続いています。息子は昨年に引き続き今年も庭で、大量の朝顔とホウズキを育てていて、毎朝5時ころから外に出て、水遣りや支柱立てに余念がありません。

咲き始めた朝顔

 息子の話だと今年も伊予市街の交流施設町家の店頭に、これらの朝顔を運び展示をするようですが、用土や植木鉢などなどの購入費用は全ての息子のポケットマネーだけに、わが息子ながら少し馬鹿げたことをよくやるものだと、呆れたり感心したりしながら見ています

 その朝顔が一昨日ころから咲き始めました。色々な種類を植えていますが、息子は咲き始めた朝顔の鉢植えを玄関先に並べて、誇らしげに蘊蓄を語っています。ホオズキもピーマンやシシトウの花と同じような白い花が咲き始め、早いものは紙袋のような実をつけ始めています。

 今朝は朝早く起きて朝顔の世話をしていましたが、今日は中山町十彩会が植えているヒマワリ畑の草刈り作業があるらしく、軽四トラックに草刈り機と混合油を積み込んで出かけて行きました。私にとっても息子にとっても夏場の活動期は、楽しくも忙しい日々となるようです。

「梅雨晴れ間 ムシムシ気温 真夏日に 朝夕作業 さえも汗だく」
「わが息子 早起きをして 朝顔や ホオズキ世話に 汗を流して」
「3日前 ころから朝顔 咲き始め 咲いた咲いたと 息子自慢す」
「町家にて 今年も朝顔 展示会 まもなく始まる 準備おさおさ」

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人間牧場

〇故郷は遠くなりにけり
 昨日講演で出かけた愛媛県生涯学習センターの控室で、講演の出番を待っていると、松山市高浜公民館の蔭原館長さんが見えられ、3枚のプリントアウトした写真をいただきました。聞けば蔭原さんは私より3つ年下の弟忠行と、松山工業高校土木科の同級生だそうで、何年か前阪神に旅行した折、当時奈良県に住んでいた弟と出会ったとのことで、写真はその時に撮ったもののようでした。

和歌山に住む3つ違いの弟

弟は松山工業高校を卒業すると、奥村組という建設会社に就職し、主にトンネル工事を担当し、関西方面のトンネル工事現場を転々としていました。和歌山の女性と知り合い結婚し高田郡山に居を構えて暮らしていましたが、退職を機に連れ添いの実家のある和歌山県古座川町に転居し、今はそこで暮らしています。

 盆や正月などには足繫く帰省していましたが、年齢を重ねるほどに遠のき、親父の葬儀を最後にわが家へは帰って来なくなりました。いつも思うことですが、生まれたふるさとで暮らしたのは、高校を卒業するまでの僅か18年間にしか過ぎません。勿論74歳になった折々には故郷へ帰省はしていても、最早故郷は遠くなりにけりなのです。

 おそらく遠隔地ゆえ、弟が生まれ育ったこの地へ帰ることはそんなに多くはあるまいと、いただいた写真を見ながら懐かしく、一緒に遊んだり暮らした当時のことを思い出し、少し感傷的になりました。今日にでも弟に電話を入れ、同級生の蔭原さんと出会ったことを話してやろうと思っています。

「講演の 前に控えの 部屋に来る 弟同級と いう人ありて」
「弟が 写りし写真 いただいた 今頃どうして 暮らしているか?」
「弟と 一緒過ごした 年月は わずかに短い 18年しか」
「人の世は はかないものよ 弟と いえども遠く 思い出しかなく」 

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人間牧場

〇facebookつながりの出会い楽しく
 このところ、私のfacebookの記事を見て、感想や意見を盛んに書き込みしてくれる人が何人かいます。書いた記事への感想だけに、暇を見つけて返信をしていますが、大学の名誉教授であるSさんもその一人で、facebookつながりで私に会いたいと言うのです。そして昨日市内電車と列車を乗り継いでやって来ました。

人間牧場を訪ねて来られたSさん

 身障4級と聞いていましたが、足の具合が思わしくなく、迎えに行ったJRいよ上灘駅のプラットホームから駅舎までは段差が多く、手すりもないことから、少し痛々しい姿で降りてこられました。早速私の軽四トラックに乗ってもらい、木造校舎の翠小学校やわが家を案内したものの、どこに行ってもバリアフリーなど縁遠いだけに、四苦八苦でした。

 それでも人間牧場訪問も楽しみのひとつと言うので案内し、水平線の家の窓を開け、お互い椅子に座って長話となりました。Sさんは長年スポーツの世界で生きてきた有名な人ゆえ、持参した沢山の資料を基に立て板に水のような面白い話をいっぱい聞かせてもらいました。足が不自由な以外は口達者で、年齢は私より5つも若く、これからどう生きるか沢山の夢物語も聞きました。

 帰りの列車の予定を聞いていたので、13時に人間牧場の終いをして下山し、JR下灘駅にて何とか列車にギリギリ間に合いお別れしましたが、「無事帰った」「感想は・・・」と携帯電話で長々話し再開を誓い合いました。偶然Sさんの奥さんもよく知りよく出会い、一緒に活動している間柄なので、これからの出会いが楽しみです。

「毎日の ように書いてる デジタルで 知り合う奇遇 現代ゆえに」
「出会いたい じゃあおいでと 連絡を 取り合い昨日 Sさん来訪」
「足不自由 バリアフリーも ないゆえに 行く先々で 不便をかける」
「対話する 話あれこれ 面白く これから先の 出会いに期待」

 

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人間牧場

〇誰に似たのか?
 私の長男は子どもが保育所に入るのをきっかけに、結婚以来住んでいた松山のマンションを引き払い、家族とともにわが家へ帰って、私たちと同居を始めました。息子が「今時親と同居するなんて余り聞いたことがなく、僕は親孝行息子だ!!」と言うように、私たち年齢を重ねた高齢者にとっては、暮らしや将来への安心感に加え、二人の孫が身近にいてこの上ない喜びなのです。

 しかし手放しで喜べないこともあります。わが息子は誰に似たのか?分かりませんが、もう50歳に手が届くというのに、カブトムシを飼って夏になると無償配布したり、昨年からは朝顔とホウズキの鉢植えを沢山育て、シーズンを間近に控えたこの頃は、庭中に広げさがして、まるで園芸店のような雲行きで、庭の草引きの邪魔にあることもあって、妻から「少し片づけて欲しい」と注文を付けますが意に関せず、馬耳東風といったところです。

 最近は私の趣味の領域にまで踏み込み、私がこの10年ほど取り組んできた蜜蜂飼育もにも手を出し、ネット学習した持論で巣箱を作ったりするため、外の東屋は長男の仕事場に占領されているのです。まあ他愛のない親子の確執ですが、趣味が同じという気安さもあって、しょっちゅうあれこれと相談会話が進んでいます。私の日曜大工道具も使い放題で、時には傷めたり、新しい道具を購入する費用を出さされたりしています。

今年は子どもたちに宇宙への関心を持ってもらおうと、かさ袋でロケットを工作する「コズミックカレッジ」まで企画するなど留まるところを知りません。2日前の愛媛新聞にもそのことが載りました。色々な人に協力を得てカレッジは盛会だったそうですが、次はどんな夢を考えているのでしょうか?。

「わが息子 誰に似たのか 知らないが 次から次へ 遊びを広げ」
「家の庭 朝顔・ホウズキ 占拠され 東屋などは カブトムシまで」
「親孝行 自認の息子 言うほどは 孝行などとは ほぼ縁遠いよう」
「えっ宇宙? 何故こんなこと までやるの 理解苦しむ ほどに広げて」

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人間牧場

〇ナウマンゾウの化石?
 先日漁師をしていた親類のおじさんから、建て網に魚がかかったので、外しに来ないかと誘いの電話がありでけました。おじさんと港に停泊している小型漁船に乗って手伝い、大きなコブダイやメジナを沢山いただき、帰宅途中何人かの知人友人にお裾分けをしてあげました。

いただいた伊野灘から引き揚げられた化石

 その折、底引き網をしていたころ網にかかったという、化石と思しきものをいただきました。このおじさんには3年前にもナウマンゾウの象牙の化石をいただいているので、わが海の資料館海舟館なら保存してもらえるとの思惑が働いたようでした。早速家に持ち帰って奇麗に水洗いをして、陰干しをしました。

昔々のことゆえ瀬戸内海が陸続きだったことなど、凡人の私には知る由もありませんが、ナウマンゾウが絶滅してからの時の長さを思えば、私たち人間の寿命など針で突いたほどにも満たない一瞬です。こうして時空を超えて私の元へ届いたのも何かのご縁だと思えば、大事にしなければなりません。

 一度町内に私設考古資料館を持っている沖野先生に見てもらい化石類の時代考証とナウマンゾウのどの部分なのか教えてもらおうと思っています。妻は「また古いものを貰ってきた」と呆れていますが、私にとっては資料がまた一つ増えたと喜んでいます。

「元漁師 網にかかった 化石類 またまた貰い 早速手入れ」
「ド素人 ゆえに何だか 分からない 一度ゆっくり 話聞きたい」
「瀬戸内海 かつては多分 陸続き 長い年月 途方もなくて」
「また一つ 展示の品が 増えました 妻は呆れて 私ホクホク」

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