shin-1さんの日記

○人間牧場そろそろオープンか

 普通、施設が出来ると落成式やオープンセレモニーをするのですが、人間牧場は第1期工事の水平線の家本体ができただけなのでオープンはまだまだだと思っていましたが、気の早い連中から早くオープンしろとしつこく言われるものですから、そろそろオープンせねばとと思っています。3日前は地域政策センターの職員二人が取材に、一昨日は親友沖さんの仲間が4人昼食にやって来ました。天気がよかったこともあって皆さん一応に眺望や私の人間牧場に対する取り組み構想について熱心に耳を傾けていました。

 今はオープンもしていないので、マンションでいえば見学会のようなものだと思って、請われるままに受け入れていますが、いずれオープンの区切りをつけねばと思っています。建築に携わった方々、地元の方々などを招待しなければなりませんので、それを寒くならないうちにと考えていますが、私の日程と原稿締め切りが今月は詰まっており、気を揉む日々が続いています。

 それから、宮本常一に焦点を当てたミニフォーラムも人間牧場で開く公約をしており、宮本常一の書いた本の読書もまだ進んでおりません。あせるなと自分に言い聞かせてもあせる今日この頃です。

 「人間牧場」のテーマで書き始めたブログ日記も、気が付いてみると思わぬ方向へ向かっていて、折々の想いを書くような方向に向かっています。まあこれはこれとして当分続けてみたいと思っています。メモのつもりで書き始めたブログ日記も読者が増えて、日記ランキングがアップ・ダウンを繰り返しながらうなぎ上りとなっています。知らず知らずのうちに読者を意識している自分を発見したりもしてますが、少し肩を張り背伸びをした自分を少しだけ修正します。でも読者がいるという現実は肝に命じなければなりません。

 3日前ブログで「人間牧場」の存在を知ったという岡山県の女性が2人、何の前触れもアポイントもなしにやって来ました。折悪しく日程が詰まっていましたが、請われるままに短時間「人間牧場」に案内しました。ブログの底力を知りました。

 今日は久しぶりの雨、晴耕雨読の雨読の日にしようと心に決め、外の雨音を聞きながらパソコンに向かっています。少し風が出てきたようです。早朝6時半、人間牧場の鍵をつけに息子は雨の中を人間牧場に上がりました。

 

 

 

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shin-1さんの日記

○不足の不足

 今の世の中は物があり余るほど豊富にあって、人々の暮らしも豊かになりました。私たちのように戦後の物のない時代を経験した世代にとっては、何とも幸せな時代です。でも人間は満ち足り過ぎるとかえって幸せの実感がわきにくいものです。日ごろは麦飯に沢庵でも盆や正月にご馳走を食べた嬉しさは記憶に残っていても、肉も魚も毎日食べてる日々の暮らしでは、何を食べたのかはっきり覚えていません。

 現代は「不足が不足する時代」だと思います。現在は世界的な原油高騰で油の値段が多少高くなっていますが、それでもお金を出せば油が手に入らないということは余程の事がない限りありません。ひと頃トイレットペーパーやお米が不足したことがありますが、それでも明日の暮らしに困るということはありませんでした。日本人は栄養が行き届き、肥満が元で糖尿病などの成人病が問題になっています。まさに不足が不足していると思うのです。

 不足が不足といえば、お金に関してみんな不足だと思っています。もっとお金持ちになりたいし、歳をとると年金も不足だと嘆いています。でも本当に不足なのかというと、それなりの貯蓄もあるし決して不足ではないはずですが、大金持ちの誰かと比較して不足だといっているのであって、慎ましやかな暮らしをするのにはそんなに困ることはないはずです。また自分の能力についてもみんな不足だと思っていますが、五体満足な体を持ちながらなんで不足といえるでしょう。体にハンディを持つ人たちが明るくも逞しく必死に生きてる姿を見るにつけ、私たちは不足が不足していると思うのです。

 恵まれ過ぎた人間の不足は不満だと思います。不が付く言葉でも足と満では意味が大分違うのです。本当に足らない人は手の届きうる身近な目標を手に入れようとします。ところが足りた人の思い上がりの不足は、夢のような目標を手に入れようとします。そこが違うのです。

 恵まれない国には学校が不足しています。戦争や飢餓に苦しむこれらの国では学校へ行きたくても学校に行けません。遠い国の話だけではなく、私の父親が小さかった頃の日本は貧しくて学校へも行けませんでした。今の日本はどうでしょう。学校がいっぱいあるのに学校へ行きたくない子どもがいっぱいいて、大きな社会問題となっています。何かが足らないのではなく何かが過ぎるのです。

 言葉上は不足の不足なんて無いのかもしれませんが、私が常日頃から思っている「不足の不足」という意味を、一度ゆっくり考えてみては如何でしょう。

 私も実は不足が不足しているようです。

 

 

 

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shin-1さんの日記

○エッチなコメントにドキドキ・・・・・

 「あなたの記事にコメントがつきました」と運営局からメールが入ったものですから、ついつい嬉しくなって開けて見ると、何と何と、エッチな写真が沢山出てくるではありませんか。知らない私はドキドキしながらそれを見てしまいました。そう61歳の私がドキドキしたのですから、若い人や少年たちにとっては刺激が多過ぎると思いました。だってブログはまともな日記だとばかし思っていたものですから当然でしょう。このことを息子に話したら「ああ、別に珍しいことではないよ」といとも簡単に片付けられました。ということは、息子もこういうメールをしょっちゅう見ているのかと勘ぐりたくなります。

 実は種を明かせば、私にブログを紹介した息子は私のブログを申し込み、トップ画面を作ってくれました。だから私のブログに刻々と入るショートコメントの良し悪しを判断し、エッチなコメントなどは取り除いてくれていたのです。たまたま2~3日東京へ出張していて、その間に私がコメントを見てしまったという分けです。私も軽はずみでした。コメントには表題がつけられているのですから、開ける前に見ればよかったのです。これからはそうしたいと思っていますが、私も男ですから覗いて見たくなるような好奇心を持っていることも事実です。

 思うに、こんなエッチな写真を見せられた青少年は一体どんなことを考えるのでしょう。息子いわく「どおってことないよ」と言うのです。

 私たちの時代には、こんな刺激が少ない時代に育ちました。ところが今の青少年はこんな刺激が氾濫する社会に住んでいます。ちょっとやそっとでは驚かないようになっているのかも知れません。

 2年前、私の町の入り口にポルノ雑誌の自動販売機が出来て町中が大騒ぎしたことがあります。教育に携わる私は、町民からの通報に一喜一憂し、青少年育成関係者の総意として撤去運動が起こり、町民の数に匹敵する署名簿を県と業者と地権者に手渡しました。結局条例違反ではないということで撤去されませんでした。その時私たちの運動を見て冷ややかな意見を述べる人もいました。「この世の中から社会悪を全て取り除き、無菌の中で子どもを育てることは不可能だから、ポルノ雑誌を買わなかったりそれを見ても何ともないような逞しい少年を育てたほうがいい」と言うのです。一理あるご意見でした。

 その後2年間、そんなに問題もなく販売機は営業を続けていましたが、先日突然撤去されたのです。多分国道沿いの暗がりとはいえ、こんな田舎では珍しい間だけ売れて、今は売れず土地代や電気代などを差し引いて、採算が合わず撤去の羽目になったのだと思うのです。でも運動を起こした結城ある行動をした人たち(私を含めて)は運動の成果だと、電話をかけあい喜びました。一件落着です。

 今は進んだ時代、私のように世の中には知らないことがいっぱいあります。パソコンという極めて便利な道具も、使い方を誤ると大変な悪具になることは事実です。要は無知によって生ずる不幸は知ることによって避けられるのですから、もっともっと勉強しなければなりません。

 少しだけパソコンが怖くなりました。でも少しだけ私のコンテンツが広がり高まりました。

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shin-1さんの日記

○あんた「ガンじゃとなあー」

 2年前、早朝の浜辺で掃除をしていると、ある顔見知りの人が唐突に「あんたガンじゃとなー」と私に言うのです。驚いた私は「えっ」とわが耳を疑いました。その頃の私は健康診断の結果胆嚢にポリープが見つかり摘出手術の結果、1減りも減ったり13キロも体重が減っていたので、自分でも「ひょっとしたら」と思っていた矢先のことだったので驚きました。『私がガンだと誰から聞いたの」と問い返すと『集落ではもっぱらの噂」だというのです。その人の話によると「若松の進ちゃんは堪能の手術をして痩せてしまった。あれは多分ガンに違いないし、長くはないかも知れない。よく働いた人だし、若いのに奥さんも可愛そうに」なんて噂話が、私の知らないところでひそひそと話されていたのを聞いたその人は、うっかり本人に口を滑らせてしまったのです。でもうっかりとも思えないほど次の言葉は私を傷つけました。「ところで進ちゃん、どこのガンぞな」と言われたから頭にきて、「ええ近眼(キンガン)です」と答えてしまいました。しかし本人を前にこの言葉はいただけない。私のように少々ではへこたれない性格だからよいのですが、気の弱い人なら気にして飯も喉に通らなくなるかも知れません。

 私の家は親父が鼻ガン、叔父が胃ガンなどガン家系なので、ガン検診の問診の度に、「あなたの身近な人でガンになった人はいますか」の質問に何時も暗い気持ちになります。これまでは何とかクリアできたものの検診は「もしや」の気もめが何時も頭を悩ませるのです。

 61歳になると健康は特に気にかかるし、健康を手に入れるための努力も快食・快眠・快便と惜しまずしていますが、ガンという目に見えない病気だけは早期発見・早期治療以外どうすることも出来ないのです。

 姉の旦那も前立腺に異常が見つかり、今月中旬に入院手術が決まりました。姉の落胆も気になるし、義理の兄の一日も早い回復を祈っていますが、孫との同居で先日まで蜂の巣をつついたように賑やかだった姉の家も、少々ふさぎこんでいるように見えます。「健康以外金も名誉もい要らない」とは姉の言葉です。私もそう思って同情します。

 いよいよ人生の曲がり角、今まではやれ仕事だ、やれ地域の活性化だとグローバルなことに何のためらいもなく励んでいましたが、これまで気にならなかったローカルで身近な問題が問題となってきた分、それだけ歳を取ったということかも知れません。

 「アー嫌だ、嫌だ」もっと前向きに生きて行こう。

 「ガンガンと働くうちは人のことわがガン気になる歳を重ねて」

 

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shin-1さんの日記

○お墓参り

 妻の兄の息子が近々結婚するというので、大安吉日を選び昨日お歓びを届けに妻の実家へ妻と二人で出かけました。この息子、今は新潟に住んでいるようですが、結婚式は何とアメリカ・ラスベガスで挙げるのだそうです。地球も狭くなったし、世の中も随分変わったと思いました。私たちが結婚したとき、披露宴は近くの農協でしたし挙式は家の床の間でした。今は結婚式は洋式の教会、披露宴では和服とまるでチグハグな日本人の姿が垣間見え、考えてみれば奇妙に感じずにはいられません。そして日本に住んでいるのにわざわざラスベガスの教会も奇妙だと、妻は首をかしげています。でもまあ結婚する二人が決めたことですから、それもよしと考えなければ次には進めません。

 ラスベガスで結婚するということは、両家の両親や親族にとってラスベガスへの海外旅行を意味します。義兄の部屋には渡米までまだ20日間もあるというのに、大きな海外旅行用のバックや中身が所狭しと置かれ、事の重大さを物語っているようでした。私たち親族にとっても行くべきか行かざるべきか迷うところですが、義兄からごく内輪の親と兄弟だけで挙式する旨の回答があり、妻も先日のカナダ旅行の時差ぼけを思い出して、ほっと胸を撫でていました。

 義兄の家を出て妻の先祖の墓参りをしました。八幡浜のお寺さんの裏山から見える晩秋の宇和海は絶景で、日本一といわれるみかん畑が耕して天に至るの表現どおり何処までも続いていました。

 お墓に水とシキビ、飴などを供え、線香に火をつけ敬虔な祈りを捧げました。妻の両親はもう10年前に他界していますので、感慨も一入の面持ちで、思い出話をしました。

 人間はたかだか80年しか生きられません。長生きしたとしても100歳ですから短いものです。妻にも私にも両親がいて、その両親に又両親とねずみ算式に数えて行くと、私には10代前まで遡ると何と1024人の先祖がいることになります。妻も同じ1024人ですから合計2048人の血肉を受け継いでわが息子たちは生まれているのです。その2048個のパズルのどれひとつがなくても、若松ジュニアのパズル絵は完成しないのですから驚きです。しかしこうしてお墓参りしても、以外や以外、私の記憶、妻の記憶にある先祖はたかだか2~3代前くらいしか思い出せないのです。民俗学のルーツがこうも浅いことを、うやむやにする民族も少ないのではと、自分の探究心の浅さに呆れています。

 嘉永といえばペルーが日本に来た頃の墓など、百年以上の風雪に耐えた墓標に線香を手向けながら、先祖を空想してみました。妻の実家は二宮という姓ですから、日本の飛行機王二宮忠八とも関係があると聞き及んでいた物語が広がってきました。墓地の裏山にははぜが真赤に紅葉して秋風が爽やかに通り過ぎて行きました。

 私もまた、場所こそ違え墓に入る運命を不思議に思いつつ急な石段を降りて行きました。

 「人生ははかないけれど墓はある いつか私もこの墓の土」

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shin-1さんの日記

○よい子・悪い子・普通の子

 昔テレビの番組でよい子・悪い子・普通の子という言葉が流行りました。昨日夕方妻と二人で食事をしながらテレビを見ていたら、「自分の親に毒を・・・・・」というショッキングなニュースが飛び込んできました。さらにブログにこのことが掲載されているというので二度びっくりしました。妻いわく「うちの子供は普通じゃねえ、普通・普通・普通が一番」というのです。妻が言うまでもなく私には女・男・男・男と4人の子どもがいますが、特に勉強が出来るわけでもなく、取り立てて才能があるでもなくふつうの子として育ち、今は大人の仲間入りをしています。

 長女は助産師として普通の?男子と結婚し一人の子どもを働きながら育てる普通の奥さんです。長男は設計士を志しながら設計事務所に通い、先日結婚したばかりの普通の男です。次男は8年間勤めた会社を辞め看護師になるため看護学校に通いながら演劇にのめり込む普通の学生です。3男は4年間勤めた会社を辞めプー太郎をしながら公務員試験にトライ、やっと念願の合格をした普通の青年です。こうしてみると、勉強もスポーツも普通だったため東京には行かず、手の届きうる近くに住んで普通の生活をしているのです。

 普通の子どもに育つのには大きく分けて二つの条件があると思います。まずひとつは親が自分の能力がオール5ではないという認識でしょう。今は私のように子ども沢山生む時代ではないから、少なく生んだ子どもに過期待をします。私など4人も子どもがいるものですから余り優秀だと安月給のサラリーマンゆえに教育費がかさむので適当でよいと思っていました。また私も妻もオール3程度の普通の子どもでしたから、二人をたして2で割ると丁度普通になるので、親以上は無理と内心思っていましたので、普通の子どもに育ちました。もうひとつは自分の子どもは出来るだけ多くの人の中で普通の人間になるよう育てました。勉強よりも人間としての優しさを求めたから無人島キャンプにも連れてゆきました。だから友達や私の仲間が普通の子に育ててくれました。(教育ではなく共に育つ共育)

 私の誕生日に4人の子どもが小遣いを出し合ってビールのつまみである柿の種を新聞に包んでプレゼントしてくれたことや、結婚記念日に小遣いがないので二人の肩を100回づつ叩いてくれたことも記憶に残っている普通の子どものやることです。

 人は誰でもお金持ちになりたい、幸せになりたい、成功したいという3つの願望を持っていますが、お金はチャップリンのライムライトに出てくるようにサムマネー(少々の蓄え)でいいし、幸せも自分で出来る幸せや人のためにしてあげる幸せで十分で、人にしてもらう幸せは求めるものではありません。また成功とは自分サイズの成功でよいのです。

 結局私たち普通の夫婦は普通の子どもしか育てられませんでしたが、それはとりもなおさず普通の幸せだとしみじみ実感しています。普通に生きることは自然体、でも普通に生きることは感謝の心や目標を持って生きてこそ実現するのであって、ひょっとしたら普通に生きることも難しいテーマなのかも知れません。

 (この記事はパソコンのトラブルでブログに登録することが出来ず、2回書きました。2回書いて書き直してもこの程度の文章しか書けませんでした。ほんの10分前に書いたことをブログ上で再現することが出来ないくらい、今は過去へと去って行きます。今が過去になる前に普通に生きるためのトレーニングをしたいものです。)

 

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shin-1さんの日記

○妻と私のバイオリズム

 私と妻が結婚したのは今から35年前です。たった5分の見合いで結婚を決意しました。戦時中ならいざ知らず、古い時代といっても昭和46年ですから電撃結婚と言わざるを得ません。今振り返ってみると私の「ひと目ぼれ」だったのです。「ひと目ぼれ」ってお米の銘柄ではないんです。ひと目会ったその時結婚を決意したのです。「あばたもえくぼ」といいますが、その時は妻が地球上で一番素敵な人に見えました。

 綾小路公麻呂ではありませんが、あれから35年経って自分は何故この女性を好きになったのだろうと、冷静に考えるのですが意外と性格やバイオリズムが違うことに、時遅し今頃になって気付くのです。

 例えば、コーヒーが飲めない私、妻はコーヒーが大好き。朝早起きの私、妻は朝寝坊。カラスの行水の私、長湯の妻。せっかちの私、のんびり屋の妻などなど、どう考えても上手くいきそうにない性格の不一致です。しかし世に言う「性格の不一致」が原因で離婚する夫婦が多い中で、私たちは多少の波風はあっても35年間持ちこたえ、多分金婚式までは持つでしょうし、後24年と決めている私の一生を連れ添う予定です。

(妻が最近口にした話ですが、この間テレビの番組で定年離婚というのがあって、私たちもそうなるかも知れないなどと冗談を言って私を驚かせたことがありますし、外で男女共同参画社会などを言ってる私を見て、未だに改まらない私の亭主関白ぶりに、「たまには台所仕事も出来ないと私が死んだらどうするの」と自立を促します)

 35年間の生活で明らかになった「性格の不一致」は、今更ののしりあってもどうすることも出来ません。ひょっとしたら「性格の不一致」は、お互いに無いものを持ってると考えればいいのかも知れません。私は国語的だからお礼状など一切の文章を「お願い」という妻の一言で片付けます。妻は数学的だから家計一切を取り仕切り、火の車だった我が家の会計をものの見事に「財政再建」しました。外向きな私と内向きな妻、足して2で割ったら普通の人間になるかも知れません。

 今日は11月3日祝日です。家事や民生委員などに加え、近所の歯医者さんにパート勤めしている妻にとっては久々の休日です。このところ息子夫婦、娘と孫の来訪で日曜日もないような忙しい日々が続いていたので、休みがたまらなく嬉しいようで、昨晩はうきうきして楽しそうでした。本当は私が家事でもして休ませてやりたいのですが、まあ気持ちだけにしておきましょう。(退職によってこんな気持ちの余裕が出来た私を自分で褒めてやりたい心境です)

 妻を人が「よく出来た嫁」と言われれば、直に見る「鬼嫁」ぶりに「二重人格」ではと思うこともありますが、いい人にめぐり会ったと内心思う今日この頃です。

 追伸 

 妻に感謝する1コマ

 同じ敷地に住む88歳の一人住まいの親父に、母が死んでからこの5年間、妻は毎日欠かさず夕食のおかずを作って運びます。勤めながらのこの作業は妻の優しさです。面と向かっては言えませんがブログ画面で「ありがとう」の言葉を言います。あー恥ずかしい。ほら私の顔がくなりました。

 お茶に菓子食べ飲み見てる番組はやせる話だ妻肥ゆる秋   我が家は只今平和です。

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shin-1さんの日記

○ハマチ3本が何と千円

 私の住んでいる双海町は瀬戸内海に面した穏やかな町です。昔漁民はいわし漁で生計を立てていましたが、今は漁法が多様で底引き網や流し網などを営んでいますから、獲れる魚も色々です。今朝さわら流し網に大量のハマチがかかりました。ご存知の通りハマチは出世魚でワカナ・ハマチ・ブリと成長するにしたがって名前が変わります。今日獲れたのはハマチの小さいもので簾が、それでも天然物が何と3本千円だそうです。町内放送があって「ハマチが3本千円です。ご入用の方は市場までお願いします」と放送したら、近所の人が多数詰め掛けました。私も単車を走らせて市場まで行ったのですが、もう残り少なくなっていました。市場で長男の友人に会い、千円出さずに6本タダで貰いました。

 それにしても、大量貧乏とはこのことで、獲れたら獲れたで安いし、獲れなかったら実入りが少ないしで、漁師さんは泣きっ面に蜂といったところでしょう。それに最近は原油の高騰で油代も馬鹿にならないと嘆いていました。サワラ流し網は夕方出漁して網を仕掛け朝方引き上げて港へ帰って来るのですが、もう夜の出漁は寒く体にこたえます。漁民にとっては何時の時代も苦労の連続だと3本千円のハマチをみて思いました。

我が家では早速夕食にハマチの刺身が食卓を飾りました。炊いてよし、焼いてよし、生でよし、天然のはまちは美味しかったです。

 耳寄りな小話をひとつ。昨年若い女性たちと食事をしていてハマチの刺身が出てきました。私が「このハマチ養殖でしょうかね」と尋ねると、その女性は何を勘違いしたのか「教育長さん、何言ってんですか。これは和食ですよ」と返事が返って来ました。私はハマチが養殖か天然か聞いたのに、彼女は洋食か和食かと勘違いしたようです。日本語は難しいとしみじみ思いました。

 今日はハマチの刺身と焼き魚でしたが、明日は我が家の家庭菜園で出来た大根でブリ大根だと、妻から予告がありました。ハマチの刺身をまな板の上でねぎと味噌を叩いて熱々のご飯に乗せても美味いし、手巻き寿司にしてもいけます。魚所だから、魚のレシピはお手の物、妻はお魚ママさんとして魚職普及にも取り組んだ経験を持っています。田舎の暮らしは美味しいなあー。

 山奥に住む友人におすそ分けしたら、みかんがどっさり、まるで物々交換です。物々は文句のブツブツではありません。くれぐれも勘違いしないように。

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shin-1さんの日記

○便利なカーナビゲーション

 2年前、私の車にカーナビゲーションが装備されました。当時は12万円もする高い買い物なのでちゅうちょしましたが、妻の財布から資金を出してもらいました。今時の車は新車の時既にカーナビゲーションが装備されているようですが、私のプラッツにはそんなものはなく、シンプル・ザ・ベストといったところです。友人の車屋さんにお願いして整備しましたが、メカに弱い私にとって操作は難しいものとの先入観があって最初は恐る恐るでしたが、テレビ内臓のカーナビゲーションは中々の優れもので、電話番号か住所、若しくは地図で検索すれば、いとも簡単にその場所までの道順が表示されるのです。

 特に電話番号での検索は便利で、私のように時間までにその場所へ付かなければならないせっかちな人間にとっては、そこまでの道順はおろか距離や時間までも逆算して表示してくれるメカ頭脳にはただただ驚くばかりです。

 「次の信号を右折してください」と、道順を間違えそうな要所要所では女性の声で案内をしてくれるのですが、いったん間違うと「ルートが変わりました」と間違いを指摘され、回り道や引き返すことをしつこく言うのです。分からない道ならいざ知らず、知っている道を走って場所だけ探す場合などうんざりして、「うるさい」とカーナビに八つ当たりする場合も時々あって思わず苦笑いします。

 私たち夫婦がカーナビゲーションを買った本当の目的は、10数年前から二人で始めた四国88箇所遍路の旅を便利にするためでした。10年以上も経つのに未だにその旅は完結していませんが、次のお寺さんを探すのに、せっかちな私とのんびり屋の妻とでいつも喧嘩になり、不仲の原因になるものですから妻が友達からカーナビの便利さを聞いて投資する決意をしたのです。でもその後の私の忙しさもあって、本来の目的であるお寺さんを探すことはしていませんので、早く遍路旅を簡潔したいものです。

 このカーナビの欠点は人間牧場までの道がないことです。画面に表示された地図上では道のない所に車の通ったと思われる白い足跡が表示されますので、帰りにはその表示を帰ると元の道に出る仕組みになっています。先日鳥取県米子まで往復600キロの旅を一人で敢行しました。高速道路を使わずのんびり走るため一般国道を選択して走りましたが、夜だったため瀬戸大橋を渡る高速道路ルートに比べ1時間余り多く走っただけで、高速道路の料金も節約できて大助かりでした。勿論帰りも早立ちでその道を選びましたので、約1万円の節約になりました。

 便利=お金の時代ですが、節約は心がけ次第で幾らでも出来ます。「買えないのではなく買わない」の精神で望みたいものです。私は便利のためにカーナビに投資しました。でも便利は人生を豊かにしてくれることだってあるのです。

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shin-1さんの日記

○私の呼び名は何?

 私は若松進一、小さいころから「進ちゃん」と呼ばれ、丁寧な人は「若松の進ちゃん」と呼んでくれます。しかし我が家では、私の呼び名が随分変遷してきました。結婚したごろ妻は「あなた」と呼んでいました。「あなた」という声の響きはいいもので、すっかり気に入っていました。最近の若者は結婚しても名前や愛称で呼び合い、まるでお友達といった感じです。

 長女・長男が生まれ、子どもが言葉を喋れるようになった頃から妻は私のことを「お父さん」と呼ぶようになりました。「お前のお父さんではない」と何時も言ってやるのですが、未だに私のことを「お父さん」と読んでいます。ところが孫が出来た最近では私のことを「じいちゃん」と呼ぶのです。我が家にはじいちゃんが二人おるので、物心付いた孫から「どっちがじいちゃん」と先日指摘を受けました。「あっちはおおじいちゃん。こっちはじいちゃん」と説明しましたが、2歳の孫には理解し難いようです。

 我が家には池があってじいちゃん自慢の立派な鯉が8匹泳いでいます。実は孫にとってこれも「じいじ」なのです。結局我が家には「じいじ」が3匹いや2人と1匹、合計3つもいるのです。それでも孫の呼ぶ「じいちゃん」という響きは何ともほのぼのとして気持ちがよいので、これからも妻には孫がいる時は「じいちゃん」と呼んでもよいと思っています。

 妻の呼び名は結婚した最初から「繁子」と偉そうに呼び捨てにしています。しかし家庭では面倒くさいこともあって、「おい」や「お母さん」などと呼んでいますが、期限が悪いときに「おい」などと呼ぼうものなら「私はおいという名前ではありません」とぴしゃり返されます。「しもうた」と思いつつ、結局は「おい」で通じる夫婦間のコミュニケーションで何とか日々を暮らしています。

 先日どういう風の吹き回しか私のことを妻が「進一さん」と呼ぶのです。何か魂胆があるのではと思ったのですが、さりげなく過ぎて行きました。

 日々の暮らしもこうしてじっくり観察してみると案外面白いものです。

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