shin-1さんの日記

○これからどうする

 今日の夕方食事をしていると仲間から電話がかかってきました。彼は今年の春、そう後10日で40年にも及ぶ公務員生活にピリオド打って退職だそうです。開口一番「あんたは何しよるん」でした。私が退職して忙しく振舞っていることは知ってるようでしたが、どんな仕事をしているのか詳しく知らなかったそうです。「俺は自由人、大学へ毎週一回非常勤講師で教えに行っている。地元の自治会長もしている。観光カリスマ百選に選ばれているので全国行脚で講演活動をしている」などなど近況を報告すると、「そうか、私もあんたみたいな生き方ができたらいいけど、当分は少し骨休めしたい」と言うのです。

 彼は人生の訳ありで世に言うバツイチです。でもかつての連れ添いや子どもの将来への責任を果たす手立てをしっかりしており、今は一人の暮らしを慎ましやかに営んでいます。時折わが家へも訪ねて来てわが父や私とのとの交友もあります。私から見れば家族の煩わしさもないわがままな生き方は少し羨ましくも思いましたが、人生の転機を迎えるとさすがに彼も逆に私の生き方が羨ましいというのです。

 電話での話しなので込み入ったことは分りませんが、「当分は骨を休める。住処を探す。再就職を探す」という彼の断片的な言葉に、少し忠告をしました。「骨を休めるのも結構だが、次に何をするのかしっかり考えておかないと再びのフライトはできない。住処は賃貸マンションをというが人生の碇を下ろす場所だからしっかりと考えろ。年金受給までまだ間があるからできるだけ早く再就職の水戸を考えろ」でした。「人のことだ。放っとけ」と言われそうでしたが、彼から夜10時ころ再び電話がかかってきて、「近々暇は取れないか。会って相談したいことがる」とのことでした。

 ふと気がつくと私たちの周りには働き蜂だった退職若しくは退職間近の人がたくさんいる事に気がつきます。その人たちの殆どは再就職をする人、家業である農業などをやる人、当分の間休む人、何もしない人、地域のお手伝いをする人、趣味の世界へ進む人などに分類されますが、さて人それぞれどれが正しいという結論もありません。ただ何もしない人だけにはなって欲しくないものです。

 彼のように退職を後10日に迫ってもなお自分の人生のいき方を考えていない人は正直言って危ないです。何が危ないかは定かではありませんがニコニコ・ピンピンと生きがいを持って健康的に生きるには、どう生きようとしているのかが大切なのです。団塊の世代といわれる年金暮らしの若年寄りが世の中に蔓延するこれからの社会は、この人たちの社会参加こそ地域の活力の原動力になることを、団塊世代自身も、勿論社会も考えてゆかねばならない大きな社会問題といえましょう。

  「十日すりゃ 退職言うのに わし何処へ 行くのか分らず 困ったお人だ」

  「若い頃 気ままなツケが 今頃に なって気がつく これから寂し」

  「団塊の 世代世の中 なだれ込む 年金生活 国も破綻だ」

  「働かず 国から年金 頂いて こんな世の中 まるで天国」

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shin-1さんの日記

○二次会は楽しい

 昨晩は送別会の後、久しぶりに二次会に繰り出しました。酒を飲まなくなったこともあって、このところトンとご無沙汰の二次会でしたが、この二年間お世話になった鵜野さんの送別会とあって同行しました。昔は二次会と称して深夜まで飲み屋街を徘徊していましたが、今はそんな馬力もないため飲み屋街のお店の位置がまったくといってよいほどつかめないのです。それでも四六十という全国の日本酒なら何でもあるというかつて行きつけの店へ行きました。昔は三日に上げずの表現ぐらいやって来ていたこの店もすっかり様変わりしていました。私が紹介した店にもかかわらず今ではすっかり乗っ取られた感じで、仲間たちは酒の話に花を咲かせながら通ぶりを発揮して盃を傾けていました。

 私はこの店が日本酒専門の店でありながら、この店で酒を飲んだことがありません。私がこの店に入ると女将さんも大将も「はい若松さんには大吟醸キリンビール」などといってビールを出してくれたものでした。そのビールさえも止めたのですから、「はい若松さんには泡の立たない大吟醸ウーロン茶」などと冷やかされました。

 それにしても若い人は元気です。一次会で2時間半、日本酒とビールと焼酎をまるで三種混合のように鱈腹飲みながら、二次会では冷酒をコップに並々ついで飲むのですから、羨ましい限りです。ある人から聞いた話ですが、受け皿の上に乗せたコップに表面張力で盛り上がったように注がれた酒を飲む姿で酒飲みかどうか分るそうです。コップに口を持っていって飲む人はまず酒飲み、コップを手で持って口に運ぶ人はそれほどではないそうです。受け皿に零れた酒を飲むのもまた通の飲み方でしょう。この店の女将さんや大将は酒の注ぎ方が実に上手く、神業かと思わせるほど零さず表面張力いっぱいに注ぎ分けてゆくのです。

 酒に酔った人と私のように飲めない人とでは話の歯車が合うはずがなく、もう一次会で同じことを繰り返し言う人がいます。「ああこの人は酔ってるな」と思っても、それを言っちゃあお終いよ」なんてところで適当に話を合わせるのですが、女性も参加しているのでそろそろおいとまをと二次会2時間のコースは割り勘を払い店を後にしました。そういえば最近はやたらと100円パーキングが増えて何かと便利です。2時間で600円ですから手ごろな値段です。同じ方向へ帰る事もあって主任さんを助手席に乗せ、途中で降ろして11時30分に無事帰宅したのです。少々料理の食べ過ぎ、ウーロン茶の飲み過ぎで腹が張っていましたが、これも大切な付き合いだと楽しい語らいの時間を思い出しつつ、今日届いた手紙やメールに目を通しながら、長かった一日が終わりました。

  「久々の 二次会楽し ウーロン茶 酔った気持ちで 歌まで歌う」

  「受け皿の 上のコップに 並とつぐ 手より口先 グイと飲み干す」

  「酒下火 言うけど酒が こんなにも あるのか棚の 銘柄感心」

  「若松さん 隣の席の 女から 突然声を かけられドキドキ」

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○涙の訳

 今日は私が代表運営委員を務める「えひめ地域づくり研究会議」の2ヶ月に一回の定例運営委員会がありました。結成以来19年も続いている地域づくりでは県内では老舗のような団体ですが、近年の社会環境の変化とりわけ市町村合併によって取り巻く環境も様変わりして、もうそろそろ私たち老兵は去らねばならない時期にきていることを実感しています。今日の会合は今年度の総括と20周年を迎える来年度の取り組みの道筋をつける大切な会と位置づけて終始熱心な議論がなされました。

 今日の会合のもう一つの目的は、えひめ政策研究センターに四国中央市から出向して研究員をしている鵜野さんの研究発表と送別会が予定されていて、いつもの運営委員会とは少し違った雰囲気でした。私の司会進行で運営委員会を終わったのは17時30分、いよいよ鵜野研究員の発表です。鵜野研究員はこの2年間センター研究員として県内外の先進地やまちづくり人の所を回って様々な勉強をしてきましたし、最後の一年は研究会議の事務局としてお世話をしてくれました

 彼の発表は予定された通り20分の時間でしたが、さすが2年間の研修を積んだだけあって、要領を得たものでした。まち・町・街・地域などで表現される「まちづくりとは一体何か」という基本を探して彼が見つけたものは「まちづくりとはまちと向かい合う姿勢」でした。「ややもすると頭では理解でき、口では分ったようなことを言うけれど、それは単なる評論家に過ぎない。本当のまちづくり人は両論家ではなく実践家である。今日から自分は実践家としての道を歩むことを宣言する」と最後は力強く結ばれました。

 今日の彼の発表を聞いて感動したのは、彼の20分の発表の締めくくりの頃には感極まってウルウルになったことです。多分発表の過程で様々な思い出が去来したのでしょうが、参加した運営委員も思わず貰いウルウルでした。涙を流すほど感動した彼の松山での2年間は、これまでの自分の人生ににはなかった体験だったかも知れません。またひょっとしたら彼の人生にとってこの2年間の松山の暮らしは遠回りだったかも知れません。でもこの体験、この遠回りが本当の宝物になるのです。

 彼はもう一週間もすれば住み慣れた松山を後に四国中央市へと帰って行きます。この2年間で愛媛県内も70市町村から20市町へと大きく様変わりしました。時代の流れの早さ変革の大きさに驚くのは、自分のふるさとに帰ってからでしょうが、大きく成長したことに自信を持ちしっかりと大地に足をつけて頑張って欲しいものです。ただ謙虚さと冒険心という二つの道具を使い分ける技量だけはくれぐれも忘れないように・・・。

  「旅に出て 外からふるさと 観察し それを土産に 桜咲く中」

  「人生は 芭蕉に似たり あっちこち 回り道して 糞と小便」

  「極まって 脳裏に浮かぶ 思い出が 涙となって 流れ出てくる」

  「去る人が いると思えば 来る人も だから世の中 帳尻合って」 

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shin-1さんの日記

○帽子の行方

 私は帽子が大好きです。ですから外へ出るときは帽子を被る習慣があります。しかし帽子は家の中へ入ると脱がなければなりませんので時々忘れておいとますることがあります。昨日親類へ新彼岸の線香を手向けに行って家を出てから気がついて、再びその家へ立ち寄ってしまいました。ものを忘れるのは今始まったことではないのですが、これも歳のせいだと諦めています。

 私の帽子好きは妻も承知しており、家を出る時「お父さん帽子は」、家に帰った時「お父さん帽子は」といつも注意をしてくれるのですが、「あっ、忘れた」が何度もあるのです。その都度「帽子くらいはまあいいか」なんて諦めるものですから随分と紛失し、その都度新しい帽子を買ってもらいます。昨日数えてみましたら何と私の帽子は10個を上回り、農作業用の麦藁帽子などを入れると数え切れないほどあるのに驚きました。その殆どは無造作にあちらこちらへ置かれていますが、それでも愛用と呼ばれるよく被る帽子は帽子掛けに掛けていつでも間に合うようになっています。

 今気に入って被っている帽子は昨年カナダ旅行に行った時妻が買ってくれた野球帽です。濃紺の生地に前はCDのデザイン文字、後ろには英語でCANADAと刺繍されています。お気に入りといってもいい被り具合です。

 私にはもう一つ被らない帽子があります。帽子を整理する度に妻から「こんな古臭い帽子は捨てたら」と言われている帽子です。それは北極まで歩いていった冒険家河野兵市さんが双海に来た時に貰った見るからにみすぼらしい帽子です。何処にでも売っているような安い帽子ですが、彼のサインが入っているのでどうしても捨て切れません。旅の途中で死んでしまった彼のことを思うと胸が痛くなるのです。彼とはそんなに長い付き合いではなかったのですが晩年、シーカヤックの大会が双海町である度に出会い、夢を語った間柄だけに何故か思い出の一品として大切にしまっておきたいのです。

 酒を飲む度に忘れた帽子、船から強風にあおられて海の藻屑と消えた帽子、破けて捨ててしまった帽子、

未だに使いもしないのに箪笥の中で眠っている帽子、あなた名前を書いている帽子を下さいと言われて譲った帽子、勿体無いと捨ててた帽子を拾って洗濯して今も愛用している帽子などなど、帽子にはそれぞれの思い出がいっぱい詰まっています。私の体を直射日光から守ったり、かっこよく見せたりした帽子の数々は

今も私のよき思い出です。

  「禿白髪 隠すつもりも ない帽子 被って鏡に どうだ格好」

  「被らない 思い出帽子 家の隅 しまって六年 いつかは処分」

  「麦帽子 恋し季節に なりました 親父早くも 帽子変えてる」

  「いい帽子 褒められカナダ 持ち出して 得意満面 相手渋顔」

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shin-1さんの日記

○母ちゃんの夢を見ました

 昨日の夜母ちゃんの夢を見ました。私のような田舎育ちの人間は母のことを都会の人のようにお母さんとか母上なんて格好よく呼ぶことはせず、物心ついてから死ぬまで「母ちゃん」と愛情を込めて呼んでいました。その母ちゃんが昨晩夢に出てきたのです。夢に出てきたシーンはお節句、母ちゃんがせっせと巻き寿司を巻いたり羊羹を作っていました。多分4月3日の節句弁当を作っている光景だったと、夢から覚めて思いました。私たちが小さい頃は戦後の物の不自由な生活でしたから、盆や正月といったハレの日はご馳走が食べれるとあって何日も前から指折り数えてその日を待ちました。特に節句は格別で重箱に巻き寿司とオカズが2段重ねで自分だけの弁当が作られるのですからこれ以上の喜びはありません。

 私たちが寝ている夜の間に母は台所に立って様々な料理を作っていました。朝になると気のあった友達が数人迎えに来て、風呂敷包みの弁当を提げて歌いながら山道を登り、数日前から作っておいた陣地のような所で弁当を開けるのです。一斉に開けた弁当を見てみんなの口から歓声が上がり、母ちゃんに感謝しながら美味しそうに食べたものでした。その弁当の美味かったことはこの歳になっても

忘れるものではありません。

 母ちゃんが亡くなったのは2001年10月4日のことですからもう既に5年余りが経過しています。私の人生で最も悲しかったことはと問われたらやはり母ちゃんの詩を思い出すでしょう。私の誕生日の明くる日に80歳で亡くなったのも何か因縁めいていますが、亡くなったはずの母ちゃんが時々夢に出てくるということは、私の心の中に今でもしっかりと生きているということでしょう。死んだ後に比べれば母ちゃんが夢に出てくる回数は極端に減って、最近は殆ど夢への出演がなくなっていましたが、夢から覚めた今朝は改めて仏壇に向かい線香を手向けて祈りました。

 「心が安定していないと夢を見る」のだそうです。そういえば度々夢を見た若い頃のように夢はみなくなりました。その文歳をとったのか心が安定しているのか分りませんが、次に母ちゃんが夢に出てくるときは必ずセリフを忘れないようにしたいものです。どんなセリフを用意しようかとふと思いました。「母ちゃんみんな元気だよ」「父ちゃんも母ちゃんが死んでから寂しそうだけど何とか元気だよ」「孫も元気、一心が結婚しました。いい嫁さんです」「母ちゃんがせっせと耕していた池久保のみかん畑には人間牧場を立てました」「もう直ぐお節句です。母ちゃんの巻き寿司を思い出しました」なんてセリフだろうなあ。

  「母ちゃんが 巻き寿司巻いてる 夢を見た 節句間近な 春の眠りで」

  「一言も 言葉交わさず 目が覚めて 線香手向けて 母への祈り」

  「ゴミを出す 通りかかった 野良犬も 親子仲良く 畑中ゆっくり」

  「今度見る 夢の続きは セリフ言う つもりで用意 言葉数々」

 

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shin-1さんの日記

○わが家に何とサウナ風呂

 わが家の長男は建築設計事務所に勤めています。ゆえに住宅の新築に際し、古い家の取り壊しや改造で処分に困るものもあって、捨てればゴミ、利用すればお宝的なものを知人や友人から譲り受けることがあります。先日も知人から家が狭くなったとかで畳一畳ほどのサウナ風呂は要らないか相談がありました。家の何処江置くか分らぬまま即答を避けておりましたが、息子はトラックを借りて昨日、雨の中をシートに包んで貰って来てしまいました。さてこのサウナの置き場所について妻と私と長男の意見が微妙に違ってひと騒動となりました。妻は正直な話電気代も要るし家の中には置きたくないと言っていましたが、私と息子は脱衣場前の廊下の隅に置くことで妻を押し切り、家族総出で裏の窓から入れました。結構座りもよく近いうちに火入れを行って試してみたいと思っています。何せ低音サウナですので余り効果は期待できませんが、それでも妻のダイエットには最高だと持ち上げています。

 只今温泉に凝ってる私は暇があれば時々温泉に行きます。目的は温泉にあるサウナ風呂で汗を出し水風呂で体を引き締める快感がたまらなくいいのです。したがって妻と一緒に温泉に行くとカラスの行水だと言われ僅か20分程度で湯から上がっていたのですが、今は約1時間半もたっぷり楽しむことができるようになりました。どちらかというと風呂が好きでなかった私がこの歳になって台の風呂好きとなり、えらい変身ぶりに周りの人は驚いています。もしこのサウナがサウナと呼ばれるに相応しい働きがあるなら、お金を出して温泉に行くこともあるまいと、私も妻も淡い期待を寄せていますが、まあ期待外れにならないようにします。わが家にサウナが入ったと言う話は瞬く間に近所に住む姉の所にも伝わり、早速見学に来ました。話ほどのものだったのか、あまり感心した様子もなく帰って行きました。

 山の上の人間牧場に五右衛門風呂はできるわ、自宅にサウナ風呂はできるわで、わが家はちょっとした話題の震源地になっています。昨日も温泉で会った下灘の人から「黙って見るのは失礼とは思ったのですが、先日集落で恒例の歩け歩け大会があった折、みんなであなたの別荘を見学に行きました。中々いいですね。私たちもお金ができたらあんな別荘を持ちたいものです」と言われました。「別荘ではなく人間牧場です」といくら説明しても皆さんは「別荘」としか呼んでくれません。また「別荘を作るのにはお金の余裕があるから」も間違っていて、「あれはまtづくり運動の拠点です」と幾ら言ってもまったく通じません。仕方がないので「はいはい」と相槌を打っていますが、一度はびこった間違った情報は田舎では中々払拭できないものだとしみじみ思いました。

  「別荘を 建てたというが 羨まし お金持ちだと 思われらしく」

  「サウナ風呂 俺の家にも 付きました 汗を流して 妻は痩せるか」

  「山の家 人が来るのも良いけれど 啄木鳥までが コツコツ叩きぬ」

  「長男の お陰で家は 狭くなる それでも何か 違う世界が」

 

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shin-1さんの日記

○年老いた兄弟

 お彼岸になるとわが家では決まったようにお墓参りに身内の人がやって来ます。そのついでにわが家に立ち寄って談笑するのです。12人兄弟の長男である親父の基へも兄弟姉妹が集まり昔話に花を咲かせるのですが、親父にとってはこのことがたまらない喜びのようです。今日親父の直ぐ下の弟が夫婦連れで息子嫁の運転する車に乗ってやって来ました。この叔父もご多分に漏れず最近衰えが目立ち、話すのもやっとという感じで、昔話に涙をする場面の見受けられます。

 親父が弟夫婦を見てポツリと言いました。「お前はええのう。こうして二人で長生きしとるのじゃから。わしは今何一つ不自由はないが昼間など嫁も息子も働きに出てわし一人じゃあ。畑に出て草でも相手にせんと話し相手がおらん。嫁が死んでからは毎日が寂しいものよ。お前も嫁を大事にしてやれよ」としみじみです。そういえば私は定年退職しても家にはいないし、妻も昼間は働きに出ていて早寝早起きの親父の生活リズムと歯車が合わないため会話がないなあと思いました。

 人間が人間であるゆえんは会話です。人間は人の間と書くように会話がないと孤独が病気を引き起こしたりします。耳の遠くなった親父とは耳が遠いので会話は面倒くさくてこちらが先に勘を働かせ適当にあしらい会話になっていないのです。母がなくなって6年、親父の孤独を考えるともっと側にいて話を聞き、話をさせねばと思うのですが、こちらも忙しくてついつい疎遠になりがちで、深く反省しています。

 日に日に成長する孫の姿に比べ、日に日に衰えつつある親父の姿を見ながら、25年後の姿を連想しました。私も好む好まざるとにかかわらず25年後には生きていたら確実に今の親父の姿になるのです。その時わが娘や息子たちがどんな気持ちで私と接するんでしょうか。幸い私の娘や息子は優しいからと思うのは大間違い、今から自立の道を考えておかなければならないでしょう。

 親父の「夫婦で長生き」という言葉もこれからの生き方にとって大事なキーワードです。人間は自分で命を絶たない限り夫婦一緒に死ぬことは絶対と言っていいほどありません。ですから少しでも長く夫婦が元気で暮らしたいものです。特に働くこと以外何もできない私の場合は余計その意識を強く持つのです。

 最近親父の居間に沢山の写真が飾られるようになりました。家族の写真とともに生前の母の写真が何枚かあります。長男に頼んで大写しにしたそうですが、これらの回顧はまさに自分の生きた証を確認する姿のような気がします。人は悲しいかな誰でも歳をとります。歳をとることは楽しいことと思いなさいと人には容易く話しますが、いざ自分のこととなると話は別だと、小さくなりつつある父の背中を見て思いました。

  「彼岸来る 兄弟来るが あの世来る そう言う父の 口癖増えて」

  「自転車で 未だに医者へ 通う父 危ない止めろ 言っても聞かず」

  「おはようと 言うて返るは 『何』とだけ 再び顔見て 同じ言葉を」

  「子作りの うまいばあちゃん 十二人 産みも産んだり 大したものよ」 

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shin-1さんの日記

○商品開発

物の豊かさを実感するように、どのお店を覗いても様々な商品が所狭しと並べられています。たった一つのテーマなのにこんなにも種類があるのかと思うほど種類が多く、選択するこちらの方が迷ってしまいます。でもそんな中から売れ筋として消費者に認知されロングセラーになるものはごく小数で、その殆どは売れることもなく廃棄されるのですから厳しいと言わざるを得ません。

 私も現職時は公務員でありながら食べ物を加工する商品開発に携わった苦い経験があります。どんなに自信を持って作ったものでも、売れないとただの製品で商品ではありません。製品を商品にするには食材の品質と食材を加工する技術が必要で、これが本物であるということが最低条件となります。もしこの段階で品質を落としいい加減な技術だと門前払いが落ちでしょう。次にこの製品をどのように美しくしかも目を引くようにするのか、パッケージやラッピングといったお化粧が必要です。品質や技術それに容器への先行投資は売れなかったらどぶ川に捨てるようなものですから、余程売れる自信がないと勇気のいる決断です。

ここから始まるマーケティングはまさに奥の深い、それでいて重要な「売る」ことへの挑戦なのです。

 私はこれまでズブの素人といわれる漁協のおばさんと一緒にじゃこ天の商品化に取り組みました。結果的には5500万円のヒット商品に育てる事に成功しましたが、本物と真心だけでラッピングやパッケージといったお化粧を省きましたし、マーケティングもシーサイド公園に来ないと食べれないという差別化によって行列のできるお店を作り上げました。しかしこの場合マーケティングで難しかったのはどのようにしてお客に食べさせるかという難題でした。私はふと今の若者がハンバーグを食べる姿を思い浮かべました。これまでの常識は「歩きながら食べたらお行儀が悪い」でしたが、「じゃこ天を串に刺し歩き名が食べる」という非常識を考えこれを若者の食文化、ファッションに変えたのです。不思議なもので今まで売れなかったじゃこ天が売れ始めたのです。おばさんの作る本物と、おばさんの方言丸出しの真心に私の常識を非常識に変えた歩きながら食べるをプラスし、しかもここだけしか買えないという差別化が夕日で集客した人々に定着していったのです。私は夕焼けソフトクリーム、夕日の望遠鏡、夕日日コーヒーなど常識では考えられないアイディアで商品開発を行いそれなりの成果を収めることができました。

 昨日風呂屋で、味噌屋の若い社長さんに会いました。ギノー味噌といって地元では有名な会社の2代目社長さんです。この会社は創業者の先代が苦労して育てた会社ですが、先代が出版した本によるとまるで世界の松下電器をを作られた松下幸之助さんを髣髴するような厳しい苦労をさえたようです。その頃の田舎では私の家がそうであったようにどの家も味噌は祖母から母へ、母から嫁へと伝承されて各家庭で作られていました。先代には先見的な読みがありました。「やがて味噌のような手間暇かけるものは各家庭では作らなくなる」と。その読みは的中しギノー味噌は今の隆盛を見る事になったのです。でも普通はここまで、底から先は甘やかされて育った2代目が身代を潰すのです。でもギノー味噌は優秀なやる気のある若い経営者に引き継がれ、味噌を使った郷土料理「さつま汁」を世に出しヒットしました。昔お湯をかけたらできる味噌汁を永谷園が出した時、世の中はアッと驚きました。パンとコーヒーが主流の若い世代は、味噌汁を飲みたくてもだしをとって味噌をこす面倒な味噌汁など作らない風潮を逆手にとって大流行したのです。

 風呂屋での出会いはお互い裸だったのですが、先日生協での私の講演会で顔を合わせていたこともあって、多いに盛り上がりました。若い社長から聞いた話ですが、新商品の県コンクールで25の応募の中からギノーが出品した「鯛めし」が堂々のグランプリに輝いたと言うのです。私は面白いビッグチャンスだといいました。私だったらコンクールグランプリの冠をつけて売り出します。ただし売り出すだけでは芸がありません。集客のある場所で新製品の普及宣伝を目的とした「ギノーエプロンクッキング教室」を県内10箇所で主婦を対象に開きます。その時はさつま汁も一緒にします。さつま汁も鯛めしもどのようにすれば上手くできるかが売れるカギなのです。その様子をアンケートして次は、「ギノークッキングコンテスト」を仕掛けます。味噌を使った料理を応募してもらうのです。優秀な作品のレシピはインターネットで流すのです。ギノーがバーチャルの世界でも話題になること間違いなしです。

 おっと、これは私のブログなのに、忘れてギノーのブログのようになってしまいました。この話はなかった事にしてください。

 追伸 私は風呂屋で面白い話と感動の光景を目にしました。面白い話し、それは自分の5人の子供を広田村へ山村留学させている話しでした。私は無人島へ4人の子どもを連れて行きました。同じような思いです。感動の光景、それは足腰の弱った先代の手を引いて風呂好きな先代を風呂に入れている2代目社長の優しさでした。

  「先代が 苦心の会社 引き継いで 隆盛保つ これぞうるわし」

  「ギノー(技能)にて 作りし商品 ヒットする 何がミソ(味噌)だろ 時代先読み」

  「じゃこ天も 元はと言えば 非常識 数年すれば これが常識」

  「鯛めしを 喰いたいけれど 作れない そんな疑問に 価値ある挑戦」

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shin-1さんの日記

○異動内示

 春は異動の季節です。そろそろあちこちから異動の便りが届き始めました。異動に縁がなくなった自由人の私としては、新聞に出ている異動内示の細かい文字を目を細めて見る程度ですが、異動内示を知らされた当の本人は今頃どんな気持ちだろうと思うと、何かしら複雑な気持ちになります。現役の頃の私は余り異動に縁のない人間でした。最初の教育委員会は13年も異動なしでした。その後産業課で4年、企画調整室で9年、地域振興課で9年、教育長として2年といずれも長い勤務で異動は35年間で4回しか経験しませんでした。しかもその異動は役場内ですから一階が2階になった程度で、トラックに積んでの大移動など経験したことはありません。しかし異動の度に短かれば短く長ければ長い心情で内示の中に自分の姿を追っていたように思います。

 異動は一部の人がその人の顕在能力を見て適当にやるのが正直なところです。私も企画調整室で人事異動の内示作りに関わったことがありますが、その人の能力の適材適所よりも勤務年数の方が優先され、1人を動かせば3人が動くといった適当な語呂合わせなのです。でもそんな語呂合わせの異動内示でもその人にとっては一生を決める一大事ですから、栄転や左遷と思う気持ちは良く分るのです。

 昨日息子から異動の内示が出たと電話連絡がありました。息子は採用試験に合格し研修のために半年間学校に入っていました。この3月24日に卒業し晴れて新任地に赴くのですが、自分の希望が受け入れられたらしく弾んだ声で「明日荷物の移動をするからトラックを用意して」というのです。単身赴任でしかも官舎暮らしですからそんなに荷物もないのですが、今日は昨晩遅く帰った息子の引越しを手伝います。

 相前後して馬路村の木下君から異動内示の電話がありました。総務課から異動して住民課のような所で村民の健康問題に取り組む部署だそうです。お酒に酔って電話してきた電話の声で彼の心情は読み取れました。村づくりに情熱を燃やしてきた彼の仕事は意思半ばで終わりそうです。異動先は高知県で一番村民一人当りの医療費が多いので、その仕事を任せられるというのですが、先々の不安や私たちとの距離が遠のくのではと心配する心の動揺は声に現れていました。「あなたは村長に雇われているのではない。村民に雇われているのだ。そのことを忘れないように」と彼を励ましました。

 夕方私の携帯電話に着信表示、電話をかけてみると大野事務局長からフロンティアメンバーの異動内示の情報でした。佐賀山さんが武道館から今治の土地開発のような所へ異動らしいのです。彼の職場は指定管理者制度の導入によって県職員が撤退するためのやむを得ぬ異動でしょうが、今日は彼に連絡を入れたいと思っています。

 こうして行く人来る人、去る人それぞれに人生の人間模様を描きながら今年も異動の春は穏やかに過ぎてゆくのです。

  「内示出た 弾んだ声と 沈む声 人の運命 誰が決めるか」

  「息子から 任地決まった 知らせ来る 今日は車で 引越し手伝い」

  「支所縮小 機構改革 するという さらに寂れる 役場界隈」

  「お粗末な 話で内示 遅れ気味 得意な顔で 上から下へ」

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shin-1さんの日記

○中毒症状

 私の知っている人に三つのタイプの中毒症状をした人がいます。一つのタイプはお酒の中毒です。その人は毎日家で晩酌と称して練習しているためかとにかく酒が大好きで、酒がないとこの世の中は始まらないと常々口に出すほどで、日本酒、ビール、焼酎とアルコールだったら何でもこなすのです。この人は数年前酒が原因か分りませんが胃を半分ほど切りました。病院に見舞いに行った時はさすがにがっくりし、もう酒は止めたなんて殊勝なことを嫁さんや私に言っていましたが、その後病気が回復するとそのことを忘れたかのように酒を飲み始め、今では以前にもましてお酒を飲んでいるのです。酒を止めた私に向かって、「酒が飲めないなら死んだ方がまし」なんて豪語し、昨晩も酔って私に電話をかけてそんな話をしました。

 二つ目のタイプはタバコの中毒です。その人は陸蒸気と言われるほどのヘビースモーカーで一日に3箱もタバコを吸っています。最近禁煙運動が社会に認知され、学校や職場や乗り物の中ではタバコを吸う人が肩身が狭い感じがしますが、彼は常々「わしはタバコを吸って税金を納めているのにたばこを飲んではいけないとはけしからん」と豪語していますし、「タバコを止めれないのはおかしい。わしはもう7回以上止めた」とまるで落語を聞いているような話をしています。タバコが「百害あって一利なし」ということも知っているのでしょうが、先日肺がん検診でひっかかり、精密検査を受けたのですが異常なしと分って再びモクモクの煙です。

 三つ目のタイプはパチンコの中毒症状です。彼は暇さえあればパチンコへ出かけています。そのためパチンコについてはかなりの薀蓄を持っており、どの台が良く出るとかパチンコの玉が一個○円するとか、幾ら儲けたとか、何故か取られた話はせずに、夢のようなことばかりをいっています。先日もフィーバーして15万円取ったと得意顔でした。「そんなに取ったのならたまにはおごって」と言ったのですが、「つぎ込んだ元手が戻ったらな」と軽くいなされました。

 酒やタバコのように直接からだの健康に結びつく中毒は、自分の体だけでなく家族の大黒柱という責任も負っているのですから、厳に慎むべきでしょうが、パチンコは別に体が悪くなるわけではありません。しかしパチンコにはお金がついて回ります。ゆえに度が過ぎると家族の人間関係まで崩しますから、これも要注意でしょう。

 結局いずれの中毒症状も自分の心の弱さが原因としかいいようがありません。3人それぞれの奥さんから「若松さんあなたは酒もタバコもパチンコもやらないから尊敬する」と褒められています。また「若松さん、うちの主人に止めるよう言ってください」ともねだられます。その都度私は奥さんに言ってやります、「あんたが言って止めないのに、私が言って止めるはずがない」と・・・・・。しかし大事になる前に止めて欲しいものです。

  「酒たばこ パチンコなどに 手を染めて 止めれぬあんた 子どもが見てる」

  「中毒を 断ち切り生きる 方法は 死ぬしかないと 言ったが止めず」

  「俺偉い あれほど好きな 酒止めた 妻が褒めるは ただのこれだけ」

  「酒止めて 金が貯まると 思ったが 下戸に建つ蔵 ないと人言う」

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