shin-1さんの日記

○「ありがとう」はどっちのセリフ

 私たちは毎日自分以外の沢山の人間と暮らしています。日々の暮らしはよほどのことがない限りは平凡で、意識もせずに流れて行きます。平凡が故に昨日のことなど余り覚えていません。昨日何時に起きて何をしたか、極端に言えば何を食ってどんな大便や小便をしたかまでは覚えていないでしょう。ところが仮にこの一週間便秘ぎみの人が、便通があったらそれは大きな喜び事として覚えているでしょう。

 毎日の暮らしの中で人から「ありがとう」と言われたこと、自分が人に「ありがとう」と言ったことを思い出してみると以外と多くの人に「ありがとう」と言われながら無視してきたことは多いのではないかと思い返すのです。

 先日所用で北海道へ行きました。遠路なので飛行機を使いましたが飛行機の搭乗員スチュワーデスさんは、さすがに社員教育が行き届いていて、至れり尽くせりのサービスをしてくれますが、飛行機が目的地に着くと乗客は直ぐに先を争うように降りてゆきますが、スチュワーデスさんはその一人一人の乗客に「ありがとうございました」と丁寧な言葉を掛けるのですが、殆どの乗客はまるで無視するように無造作に進んでゆくのです。そんな時「ありがと」の言葉を返したらどんなにか気持ちがいいだろうなあと、私はいつも「ありがとうございました」と言葉を返しています。北海道帯広空港でも、東京羽田空港でも、愛媛松山空港でも「ありがとう」を言って飛行機から降りました。ところがそれまで無口だった前列の人の次に降りようとした私が大きな声で「ありがとうございました」といったものですから、私の後ろに続いた乗客までもが私につられて「ありがとう」を言っているのです。嬉しい出来事でした。

 洋服を買う、店で食事をする。いつも店員さんは「ありがとう」の言葉を投げかけます。そんな折「ありがとう」を言いますかと尋ねたら、「何を言うか、こちらはお客で買ってやったのだから、『ありがとう』と言うのは

当たり前だろう」と叱られるかもしれません。「金を出しているから当たり前」という心を「飛行機に乗せてもらっている」「洋服を交わせてもらっている」「食事をさせてもらえる」なんて考えれば「ありがとう」の言葉は自然と出るはずなのですが・・・・・・・。

 先日友人の家の完成式に招かれました。その席で家主の友人は「この家を建てたのは自分の力だと最近まで思っていました。しかし毎日家の建築現場に足を運んでいるうちに、自分の考えが変わってゆきました。設計図を作る、土台を練り込む、柱を削る、壁を塗る、屋根を葺く、この家の完成までにどれ程の人が関わってくれたでしょう。瓦など私の知らない場所で作られているのですから。私は棟梁はじめそんな多くの方々に心から『ありがとう』と感謝の言葉を言います」とあいさつされました。いい言葉だったと思いました。

 お互いが感謝しあって生きる。わが家でも「ありがと」の言葉を自然な形で言おうと自分自身の心に決めていると、毎日の暮らしが何故か明るくなります。それは妻へのいたわりでもあり、息子への有言の教育でもあるのです。息子も最近「ありがとう」の言葉を言うようになりました。言葉は結局オーム鳥と一緒で、「ありがとう」と言えば「ありがとう」と返ってくるのです。

  「ありがとう そのくらいなら 言えるはず その一言で 家庭明るく」

  「生かされて 生きてることへの 感謝です ありがとうとは ありがたきかな」

  「スチュワーデス 俺に気がある そぶりする 何てことない みんな一緒だ」

  「ありがとう 言ったお陰で 得をした これおまけです 飴玉五つ」

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shin-1さんの日記

○随分陽が長くなりました

 5月も半ばになると随分陽が長くなって早起きの私としましては夜10時過ぎになるとブログを書きながらあくびが出るようになりました。それもそのはず、今日は朝4時過ぎに起きてブログや朝読書などをやって7時前から食事を取り、新聞に目を通した後、もう8時には人間牧場へ着いて、何やかにやと雑事に追われ、夕方6時半まで働きづめに働きました。今日は嬉しい日です。人間牧場に隣接した梅畑を地主さんから譲ってもらったのです。僅か145坪余りの狭い畑ですがそれでも梅の木が10本もある優れものなのです。今日は地主さんと契約を交わし代金を支払ってマイ畑となったので、下草を刈ったり自生のフキを収穫したりウキウキで作業をしました。時折電話が鳴ったり来客が来たりでその都度作業は中断しましたが、それでもジャガイモ畑の草むしりや3~4日前に蒔いた枝豆大豆の芽が出ているのを発見したり、やっぱり儲け度外視の百姓は楽しいものです。

 午前中はウッドデッキに虫除けの蚊帳を吊るす算段のため息子の友人の鉄工所がやって来て盛んに工事をしていましたが、寸法が間違っていたと早々に引き上げて帰りました。

 6時過ぎになったので草刈機を片付けて帰り私宅をしている所へフロンティアの日浅棟梁がツリーハウス用の木材搬入のため奥さんと登ってきました。立派な桧材を使った木材に目を白黒させながらウッドデッキに積んで雨避け用のシートを被せて、日曜日の建前を予告して早々に立ち去りました。

 家へ着くと息子から鉄工所と一緒に冷蔵庫の取り付けと寸法違いの手直しのため人間牧場へ行くが行かないか誘われましたが、さすがに今日は疲れたので断りました。

 2時間くらいすると息子が山から帰って来ました。『お父さんデジカメの写真をお父さんのパソコンに入れとくよ」といっていとも簡単に入力して自宅へ帰って行きました。その写真が本邦初公開、夜の水平線の家です。私はまだ電灯を付けた夜の水平線の家は見たことがないのでその美しさは凄いと思いました。

 

 西明かりの残る空にくっきりと水平線の家がまるで浮かんだようにも見えるのです。沖合いを通る船から見るとまた格別な姿でしょうね。

 この写真i以外にも意外な写真が息子の入力したアルバムに入っていました。出し惜しみではありませんが、写真の撮り方まで親子ながらまるで違う息子のセンスは、カメラが高いだけでは決してないようです。

 今日も長い一日が終わり、明日もフロンティアグループの例会が松山で予定されているなど長い一日となりそうです。今日はこのブログを書き終わったらゆっくり風呂に入り、早めに床についてゆっくり休みたいと、足や腰に仕事疲れを感じながら思っています。そこへ次男が帰って来ました。「今日はしんどい農作業をした」と言うと次男は布団の上の私をうつ伏せにしてマッサージをしてくれました。次男は時々こうしたタダで出来る親孝行をしてくれるのです。やはり同居人のプー太郎は親に気を使っているのでしょうか。妻までもマッサージのご相伴に預かりました。お陰で体が随分楽になりました。

  「昼もまた 夜もまたよし 山の家 明かり光々 空はほんのり」

  「蒔きし種 雨水吸って 生えました 雑草もまた 蒔かぬが生えぬ」

  「灯り点き 人の気配の 夕間暮れ 空にぼんやり 小さな星が」

  「わが息子 同じ写真を 撮ったけど 何処か違うな これがセンスか」  

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shin-1さんの日記

○なくなった名刺入れ

 「歳をとるとろくなことはありません。物忘れがひどくて、先日も作業をしていて眼鏡をどこかに置き忘れ一生懸命探していました。それを見ていた妻が『お父さん何を探し取るの』と言うのです。『眼鏡を探しとるんじゃが、わしの眼鏡を知らんか』と言ったところ、『何言よるん、眼鏡だったらほら自分の頭の上にあるでしょうが。あんたボケたんと違うん』と言うのです。私も耄碌したものよと自分自身がホトホト情けなくなりました」とは私の話ではなく、はい先日退職をしたばかりの私の友人の嘆き節なのであります。私にそんな話をした後、「あんたはそんなことなかろうなあ」と同調を促すような話でしたので、「ええ、お互い歳ですから忘れることが多いですなあ。忘れんと勉強したことを全部覚えよったら偉くなり過ぎて大学へでも教えに行かなならんようになったり、頭が爆発しますけん、忘れるぐらいが丁度ええのかも知れませんなあ」と冷やかし半分に笑いながら話しました。彼との前置きの話で「あんた自由人になったそうなが、日ごろは何をし過ごしよるん。わしは家が百姓でもないし毎日お休みで何もすることがありませ」。(私)「はい毎週愛媛大学へ教えに行っとります」と会話を返していたので「しもた」と思ったのですが後の祭りでした。

 透かさず私は「私も最近忘れ状がよくなって、3日前にも名刺入れがなくなりまして、大事な名刺が入っていたので随分心当たりを探しましたが結局見つかりませんでした。特に家を掃除する妻に『お前が何処かへ片付け忘れたのでは』などとあらぬ詮索で疑ったりもしました。ところが朝の目覚めのとき急に思い出し、夜が明けるのを待ってその場所に行ってみると、何と私の名刺入れがあるではありませんか。しかもあの沢山の来訪者が来るシーサイド公園の石の上に、誰も築かなかったのか、気付いてもつまらぬ物だと敬遠したのか分りませんがよくもまあご無事で」と話しました。彼と同じように私も物を忘れることが多く、最近は出かける時に「ハトがマメ喰ってパーパー」などと確認して出かけるのです。「ハンカチ・時計・万年筆・名刺入れ・免許証・携帯電話」と触りながら確認するのです。

 私の名刺入れはコカコーラから『環境教育賞」なるものを頂いた折、記念品で貰ったものです。品がよいのか相当使っているのですが色あせることもなく重宝しています。名刺入れには一週間分くらいの頂いた名刺も入っているので、名刺入れの紛失はそれらの紛失にもなって迷惑をかけてはいけないと思って探したのです。

 でも物忘れして紛失した物を発見した時の嬉しさは言葉に代えがたいものです。疑った妻に「やっぱり思った通りシーサイド公園にあった」と見せると、「やっぱりを思い出すのが遅すぎる。何よ、私を疑ったりして、あんたも歳ねえ」で一応幕引きとなりました。しかし名刺を探していて新しい発見もありました。なくなって諦めていた木製の名刺入れが車の座席下から出てきたのです。もう1年間も行方を追っていたお尋ね物を探し当て、私の名刺入れは代替品として後に購入した木製名刺入れを含めると三つになったのです。目出度し目出度しです。

  「忘れ状 歳のせいでは ありません 注意をすれば 何てことない」

  「忘れ物 したきっかけで 別の物 見つかり喜ぶ たまにいいこと」

  「三日間 よくもご無事と 名刺入れ 探し当てたる 公園の隅」

  「言うた後 しもたと思う こともある 口は災い つつしみ深く」

   

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shin-1さんの日記

○雨のち曇少し晴れ

長期予報だと今週は全て雨でした。四国地方は大雨で特に高知県では雨が降り過ぎて列車の運転を見合わせたり、野村ダムや肱川ダムでは放流するというので下流域へ注意を促す放送までテレビやラジオでしていました。私たちの町の中心を流れる上灘川もかなり増水して白い花をつけたクレソンが無残にも水流に洗われていました。

 今日は五右衛門風呂脱衣場の板張り壁面や天井、それに床にワックスを塗る作業をしようと人間牧場へ向かいました。今日は多分雨だろうと思い込んで脱衣場の壁、天井、床にワックスを塗り始めたのです。ワックスの匂いは強烈で少し頭が痛くなるような感じでしたが、10時から昼間での2時間ほどで作業を終えました。今日は妻が民生委員からみの集会があるとかで、めかして外出するため弁当が間に合わず、パンと麦茶、バナナと清美みかんなど手当たり次第に袋に詰めていましたので、簡単な昼食となりました。昼飯をを終えたごろにはどういう訳か曇りながら西の方から天気が回復してきたので、先日に続いて小さい畑の草取りをやりました。何せ来週の土曜日が芋植えなので急がなければならないのです。この畑は小石がゴロゴロしており、テミで5杯くらいは石ころを集めました。

 そのうち息子から電話が入り、注文していた水平線の家の冷蔵庫が荷送りされたので取りに来るよう言われましたが、丁度次男が夕方まで休みとかで、親類のトラックを借りて松山まで積みに行ってくれました。

 この冷蔵庫は普通だとかなり高価なものだそうなのですが、かなり安く買えたと鼻高々でした。午後3時過ぎに荷物が到着し水平線の家に二人で担ぎ込みました。荷物を開けるのは息子がするそうなので明日までお預けです。

 次男が帰った後、草をむしりながらふと沖を眺めると、雨上がりの海は穏やかで、まるで水墨画を見てい

るような風景が目に止まり、デジカメで2~3枚撮りました。


 この写真は沖合いに浮かぶ大洲市長浜町の青島で、私たちは子どもの頃からこの島の遠望を見ながら育ちました。青島の向こうにかすんで見えるのが周防大島、かつての山口県東和町辺りです。

 この写真は私たちが熱い思いを寄せた「ひょうたん型由利島共和国」こと、松山市中島の由利島です。私は今でもこの共和国の大統領です。但し島は別の人のものなのです。

 この島は伊予の小富士と呼ばれる松山市のごご島です。写真に撮るとこんな色にしか見えませんが凄いロケーションでした。最近はブログに写真を取り込むことが出来るようになったため、いつもデジカメを持参しています。今日をもカメラを持参してよかったとしみじみ思いました。

  「墨絵でも 見ているような 風景に 草取り休み しばしたたずむ」

  「あの島に 想いを寄せる 人がいる 今は文のみ 元気でいるやら」

  「雨ですよ 出掛けに妻の 声背なで 聞いたけれども ボロねじ今は」

  「海もいい 島もいいけど 雲もいい おれのセンスも それなりいいね」

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shin-1さんの日記

○大学の授業始まる

 早いもので愛媛大学法文学部の非常勤講師を引き受けて4年目を迎えました。五里霧中の1年目に比べれば月とスッポンという感じの4年目です。4月のガイダンスを経て私の教室を選んだゼミ生は22人です。今日大学の事務局へ立ち寄って名簿や教室の打ち合わせを行った折、事務局の職員が「先生の教室は沢山の申し込みがあって中々の人気でしたよ」と言うのです。私には分りませんが私の教室を選んだ人は多かったようですが、担当教官の第一希望を考えて上手く振り分けたようです。3年前は事務局職員や学生から「先生」と呼ばれても他人事のようでしたし、今でも違和感がないわけではありません。でも大学内だけだったら「まあいいか」と思いつつ「先生」という呼び名に甘んじることにしました。今日は初講義ということもあって、一年間のガイダンスと今日のテーマである「地域振興・まちづくり概論」を話しました。今年の学生も見るからに真面目で好感の持てる学生が多いようで安心しました。

 私の担当は夜間主です。夜間主といえば何か暗いイメージがありますが学生は明るく、黙々と勉強しており午後6時から始まる授業も全員出席ですし、90分間私語ももなく熱心にメモを取っていました。私は普通講義日は大学へ午後4時30分に自宅を出ます。午後5時20分くらいに大学構内車を乗り入れます。守衛さんともこの3年間ですっかり顔見知りになって、時折新人の守衛さんに呼び止められますが、大学から交付された駐車証を見せるとかしこまって敬礼をしてくれます。駐車場は何時もいっぱいでスペースを探すのに一苦労です。誰しも少しでも近い所を選ぶのでしょう。それから出勤簿に印を押し資料のコピーを行います。午後5時40分には講義のスタンバイを完了し、娘婿の岡本助教授の部屋を覗きます。義理にせよ親子といえども大学での娘婿は遠い雲の上の助教授先生ですから、出来るだけ「先生」と呼ぶようにしていますが、この呼び方も最初は何か抵抗がありました。今は割り切っています。助教授の部屋はどの部屋も煩雑で足の踏み込む場所もないほど本で溢れています。外目には格好いい仕事のように見える大学の先生もこんな沢山の本を読んで日々研究をしているのかと思うと、ついつい頭が下がります。でも僅か10分ほどですが助教授の部屋で空気を吸うだけで何となく落ち着いてきます。

 私に与えられた年間講義時間は60時間です。毎週水曜日が講義日なので、余程のことがない限り毎週水曜日は大学へ行かなければなりません。サンデー毎日の自由人とはいいながら一週間が来るのがとても早く感じます。でも講義日が近づくと何かワクワクするから不思議です。多分若い学生のエネルギッシュなパワーをいただく嬉しさでしょう。

 大学の殺伐とした構内もケヤキ並木に緑が日増しに濃くなり、無造作に置かれた学生の自転車が寂しく雨にぬれ、外灯が照らしていました。

  「出席簿 見ながら名前 はいと言う 再度促す 小さな返事」

  「202 書いた教室 こじんまり 黒板背にして チーパッパ」

  「眠らずに 聞かせる講義 自信あり 気構えだけは 教授並みだね」

  「先生と 呼ばれ一瞬 俺のこと 辺り見渡し やっぱり俺か」

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shin-1さんの日記

○離婚の危機・子どものことを考えれば

 世の中は深刻な少子化です。学校の子どもの数も年々減少し、田舎の学校では複式学級は当たり前という感じで、私たちが子どもの頃のような教室いっぱいに子どもの元気な声が聞こえた時代は終わって、空き教室が目立つようになりました。その原因は子どもを生まなくなったこともさることながら、未婚の女性が増えたことにもあるようです。さらに追い討ちをかけるように私たちの身の回りには特に若い人で離婚した人も目立つようになりました。何らかの理由で夫婦の関係を解消して子どもを母親が引き取り、田舎の親と同居するのですから子どもの数は増えるのですが、孫と同居できるおじいちゃんやおばあちゃんの気苦労も喜び以上に大きいのではないかと思われます。女手一つで子どもを育てることは容易なことではありません。両親はそれを察して娘の働きを援助するのですが、孫の面倒は中々気を使い骨が折れるものなのです。

 最近の若い女性は男女間で直ぐに仲良くなり、出来ちゃった結婚なんて言葉が流行するように直ぐに結婚したがります。それは自然の成り行きですから誰にも止められないことなのでしょうが、結婚が早かった分思慮の足りなさか直ぐに別れてしまうのです。二人は別れようがどうしようがいいのですが、出来た子どものことを思うともう一度考え直して欲しいと思うのです。私も仕事柄離婚騒動の仲裁に入ることがありますが、今の親の言い分は「一生に一度の人生だから思ったように生きる」なんて言葉を盛んに言います。もちろんそれも大事ですが、それは結婚するまでにとことん話し合って確認すべき事柄なのです。

 「再婚は男女によって差がある」ことをご存知でしょうか。男の場合離婚すれば明くる日でも再婚できるのですが、何と女性は6ヶ月しないと再婚は出来ないということが民法第733条の「再婚禁止期間」で定められているのです。同じ人間なのに、ましてや男女同権なんて口うるさい時代にこんな時代遅れの法律があるのかと誰もが信じてはくれないと思うのです。実は女性が再婚後に子どもを生んだ場合はその子が前夫の子なのか現夫の子なのかはっきりさせ、もめることがないようさせるための決まりなのです。ではどんな理由があろうと6ヶ月を経たないと再婚できないか調べてみると例外はあるようで、前夫の子どもを出産した後と、妊娠していない証明があれば出来るのです。

 現代は離婚流行、特に結婚していても違う相手と不倫の果てに離婚というケースも多く、芸能界は人気がなくなると離婚と再婚を繰り返して話題を作るとまで揶揄される世界です。でも民法は弱い立場の女性を思っての男女区別をしているのですから、男性はせめて女性と同じ6ヶ月くらいは再婚を見合わせてもバチは当らないと思うのです。

 わが奥さんに比べ人の奥さんは綺麗に見えます。でもこの歳になってわが体をいたわってくれたりしてくれる物好きな人は世界中何処を探してもいないのですから、腹が立ってももう一度ぐっと堪えて夫婦の絆を深めるようにして欲しい、いやしたいものです。いやします。

  「妻のこと ブログに書くなと 友注意 だけど私は 面白がって」

  「この歳に なると妻の 有難さ 身に染み思う 日々の暮らしに」

  「離婚危機 何度かそれを 乗り越えて 今ある思う よくぞ我慢を」

  「離婚すりゃ 明日でも男 再婚す ところが女 六ヶ月待ち」

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shin-1さんの日記

○お金は日ごろの積み重ね

 昨日日本全国では相次いで4件、銀行や郵便局に強盗が入ったとテレビが報じていました。年の暮れなら資金繰りに疲れた人が・・・・と同情もするのですが、連休明けの今の時期に何故と思うのです。強盗をした人の肩を持つわけではありませんが、強盗に入った人にも色々事情があってのことと思うのですが、金のあるうちは使って、金がなくなったら人様のお金に手をつける話は今も昔も変わったことではありません。今日は雨ですから国道沿いのパチンコ店は「晴パチ雨パチ」の人たち(晴パチ雨パチとは私が考え出した言葉で、田舎の若者が晴れた日にはパチンコ雨の日にはパチンコをする姿)数多く集まっているのでしょうが、パチンコに負けて金がなくなれば必ず身近な順に金の工面をするそうです。自分のお金⇒家族のお金⇒サラ金のお金⇒仲間のお金⇒知っている人に嘘を付くお金⇒知らない人をだましたお金⇒強盗と、まあ強盗に行き着くまでには相当の順番を経ているのですから、強盗の気持ちも分るのです。

 お金は自分で工面してみて分るのですが、使うことは簡単でも貯めることは中々難しいものです。まとまったお金の基準に10万円と100万円があります。10万円貯めるのは毎月1万円弱ですからその気になって貯めようと思えば何とか貯まります。でも100万円のお金となると毎年8万円以上貯めて10年もかかるのです。金利の安い現代ですからお金なんか貯めたって目減りするだけだと鷹を食って貯めないと、まさかの時にサラ金か強盗にでも入る以外はないのです。

 私たち貧乏人はお金持ちを見ると誰でも羨ましく思います。でも最初からお金持ちはごく一部で、世界中からみればお金持ちといわれる人は5パーセントにも満たないといわれています。格差社会が問題になっていますが社会の殆どの人は私たちと同じ貧乏人仲間なのだと思えば気も楽だし、子どもの頃いろはカルタで「稼ぎに追いつく貧乏なし」とはよく言ったもので、日々の努力、日々の積み重ねこそ大切なのです。

 今の社会は給料は月給制が殆どですから日給や時給で暮らしている人以外は稼ぎの重みが分りにくくなっています。でも日給や時給の世界に身を置くと稼ぎと暮らしの重みがずしり肩に響くのです。

 人間牧場もいよいよ金策尽きかけました。強盗に入るまで切羽詰ってはいませんが、よくぞサムマネーがあったと、通帳の出し入れ記録や帳尻を眺めては安堵とため息です。電気工事と屋根工事の残金を今日払う予定です。あー金よお前は何処へ行く。

  「サムマネー 日々の暮らしの 積み重ね これがなければ 牧場なんて」

  「これくらい 妻に内緒で いいだろう 小遣い貯金で 家が建ったよ」

  「オーナーの 私に電話 息子から 金を出しとけ 知恵を出すから」

  「世の中は みんな金持ち 見えるけど 俺と同じ 人も沢山」

  


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shin-1さんの日記

○人間牧場は何合目にあるの?

 友だちから「人間牧場へ行きたいのですがどの道を行ったら行けますか。ご迷惑をかけてもいけませんので地図を送ってください」とか、「人間牧場は山の中腹にあると聞きましたが、何と言う山の何合目くらいにあるのでしょう」などと問い合わせがあります。私ならある程度の説明が出来るのですが、私が代表を務める「えひめ地域づくり研究会議」の事務局がある「えひめ地域政策センター」などに問い合わせるともうお手上げで、「分ってはいますが説明が出来ません」としか言いようがないのです。

 そんな質問の中で「何合目?」と聞かれて、はて人間牧場は何という山の何合目だったのだろうと考えてみましたが、場所は「池久保」という地名なのですが説明できる主峰たる山はないのです。ですから「何合目」という問いにも答えられません。

 私は昔、「日本一のまちで日本一を体験する人を日本一多くつくる」「人づくり10年計画」に沿って、日本一南の島、日本一コミュニティの町、日本一北の広い町、日本一高い山などを選んで毎年10人の若者と一緒に旅をしました。その中で日本一高い富士山に登ることを計画しました。拠点を御殿場にある国立中央青年の家に置いて準備万端、勿論青年の家の職員にお願いして案内までしてもらい頂上を目指したのです。

 富士山は日本一高い山、一生に一度は登りたいと思っている人は多いことと思いますが、新幹線や伊豆半島から見たなだらかな美しい山も分け入ってみると樹海や石ころだらけで偉いなんぎをしたものです。富士山にはこれまた大きな山だけあって河口湖口、御殿場口、須走口、富士宮口、吉田口と五つの登山ルートがあるのですが、行く先々で2合目から頂上まで、「○○合目」という看板が建っていて、登る度に「ああモウここまで来た」とか、「あと少しだ」と励まされたりするのです。私たちが常識的に考えれば、富士山の高さは3776mですから五合目といえばその半分の888mだろと思うのですが、実はそうではないのです。

 一合目という目安はちょうちんの油一合が燃え尽きる距離だとか、米を少しづつまきながら歩いていって一合分がなくなるまでの距離だとかいわれていますが、登山の辛さや疲れ具合を基準に分けたという説もあるのです。実は「合」とは登山の難易度を示す目安なのだということを、青年の家の職員が案内しながら教えてくれたのを思い出しました。頂上が近づくにつれて難易度は高くなり、空気も薄くなって疲れがピークになると距離は短いが「○合目」もうつろな意識で見るのです。

 さて人間牧場はというと、私が子どもの頃ここへ荷物を担ぎ上げ、また芋や麦を背負子で下ろした経験からすると2合目といった所でしょうか。でも車で行くと完全に1合目です。ですから人間牧場を歩く距離で換算すると2合目、車だと1合目としておきましょう。

  「牧場は 何合目だと 問われたら 歩いて二合 車一合」

  「近いうち 地図の等高 数えます 標高知らず アバウト百だ」

  「牧場も 高く見えるが 知れたもの 俺の高さの 七十七倍」

  「もう一度 登って見たい 富士の山 早くしないと 間に合わないぞ」


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shin-1さんの日記

○五右衛門風呂でうどんを茹でるって本当ですか?

 人間牧場の五右衛門風呂が完成し先日息子と二人で掃除をし、風呂を沸かして入りました。本当はその時の写真をこのブログで紹介したかったのですが、息子のデジカメで撮ったため機種の関係で私のパソコンに入力出来ず持って帰ってしまったため、発表が遅くなってしまいました。風呂の北側の押し上げ窓を全部開け、両袖の隠し戸も開けて入る五右衛門風呂はまるで空中で風呂に入ってるような錯覚すら覚えます。眼下には下灘の港が一望でき、息子の設計のセンスのよさにわが子ながらとても感激しました。このブログを書きながらふと「あの写真はメールで送ってもらったらどうだろう」と思い、息子に電話しました。早速私のメールにご覧のような写真が送られてきました。どうです。これが五右衛門風呂の入浴シーンです。モデルは美しい女性か妻とも思ったのですが間に合わず、私でご勘弁下さい。それにしても凄いでしょう。人間牧場からの眺望を独り占めするよな原風景を見ながらの入浴はまさい至福の時、至福の空間なのです。

 この写真が送られてきてから相ついで3枚の写真が送られてきました。しかしその写真は容量的にかなり重いもので、結局は圧縮しないと入らないことが分り悪戦苦闘をしました。何せメールの写真を圧縮するのは滅多にないことなので3日前から始まった大相撲夏場所のテレビ観戦も忘れてしまうほどの熱中ぶりで、ついに2枚の写真をブログに載せる事に成功したのです。しかし次の写真を見て決して笑わないで下さい。

 「げっ、これ骨皮筋衛門」なんて思われる正真正銘私の姿なのです。でもモザイクをかけなくても見れるのですから、体は見ないでかけ湯用の木の桶や草津温泉にも負けない湯もみ用の棒まで息子は用意してくれました。風呂釜を囲んだ板はウッドデッキ風でかなりお洒落です。

 おっと、このブログ記事の題名が「五右衛門風呂でうどんを茹でるって本当ですか?」というタイトルだったことをすっかり忘れていました。実はお隣の県香川県西部地方では家の新築や改築でお風呂が出来上がったら、お風呂にうどんを持ち込んで食べる風習があるというのです。うどんを釜で茹でたり湯船に浮かしてまではさすがにしないようですが、そうすると中風にもならず長生きするという言い伝えに沿ったもので、さすが日本一のうどん県だけのこはあるなと感心しました。そのため一番風呂は必ずその家の一番偉い人が入るそうです。

 この話をしていたら、面白い話しを聞きました。元々はこちらの地方でも、そういう風習はあったそうで、五右衛門風呂ができると人間が入る前に綺麗に洗った風呂釜で本当にうどんを茹で、そのうどんを取り出した汁をぬるめて野の中に入ると無病息災になるというのです。

 「えーっ、汚い」と思うでしょうが、人間の入っていない未使用の釜なら、鍋釜の新品と一緒で決して汚くはないはずです。私もしようかと思いましたが、もう使ったので出来ません。うどんはやはりハレのひに欠かせない食べ物なんですね。

  「五右衛門の 風呂に入って 見渡せば まるで宇宙を 遊泳気分だ」

  「五右衛門の 風呂でうどんを 食い忘れ 俺もそろそろ 寿命なのかも」

  「このモデル まるで骨皮 筋衛門 もっといいのを 撮ればいいのに」

  「五右衛門に 裸で入る 姿おば 下界双眼 眺めて見たい」

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shin-1さんの日記

○わが家の敷地は660坪

 都会の人が聞くと信じ難いような坪数660坪、はいこれがわが家の敷地面積なのです。この坪数を聞くといかにも金持ちみたいに思うでしょうが、わが家は先祖代々誇りある貧乏なのです。貧乏は決して悪いことではありません。昔貧乏だった成り上がりの芸能人が体一杯に光ものを身に付け、何億円もする豪邸に住んでいるのをよく見かけますが、結果的には遺産相続や苦労を知らない子どもが事件を起すのを見る度に、「ああ貧乏人に生まれて良かった」と胸をなでおろすのです。

 敷地が広いことは家の周りでいっぱい安全な野菜や果物を作ることが出来るし、作る喜びもあるのです。ところが困ったことが一つだけあります。それは何処へでも辺り構わず生えてくる雑草の処理なのです。ビオトープだと思えばいいのでしょうが、人間様が住んでいるので草を生やし放題というのも外目もあるので引いたり削ったり、時には草刈機で刈ったりもしますが、草の成長は早く追いつかないというのが正直な話です。

 わが家で草を引く人の第一人者は88歳の親父です。朝も早くから夕方まで草に文句を言いながら引いています。もし親父がいなくなったらわが家は草だらけになることは私が保証します。そのくらい親父の草に対する執念は強く、来訪者が菜園畑を見て「ここの畑は綺麗にしていますが草が生えないのですか」と冗談交じりに言うほど綺麗にしています。

 今朝は書いたブログの入力の調子が悪く思わぬ時間がかかってしまいましたので、隠居へ行く時間が少し遅れてしまいました。そのためでもないのでしょうが、私の部屋の窓から「毎日草の手入れに疲れた。お前も少し手伝わんとこの家は草だらけになる」と何時になく弱音を吐くのです。今日は原稿の締め切りで忙しいのにと思ったのですが、「午前中だけでも手伝うから」と約束をして食事を済ませ外庭に出ました。確かに親父の言う通り庭の隅々には数週間前まで綺麗だったのに草が目立って生えています。それから3時間ただひたすら中腰で草を引き、身頃を迎えているつつじの裏庭は草削りで削って行きました。近くに住む姉が父の昼食のおかずを届けに来てくれ雑談をしながら姉も草を引いてくれました。途中から親父はいなくなりました。そうです。テレビの番組に時代劇があるものですから中に入ってちゃっかり一人で見ているのです。私は午後から講演の打ち合わせに岡山県から担当者がやって来るので、何としてもそれまでにはと馬力をかけてやりました。お陰さまですっかり綺麗になり親父も嬉しそうでした。

 祖母が元気な頃この除草は主に祖母の仕事でした。祖母は草を引きながら「私が死んだらこの草は誰が引くのだろう」と言っていました。いま親父が同じようなことを暗に頼りない息子の私に向かって言っています。多分私も同じようなことを3代に渡って言い続ける事に違いありません。

 でもふと思うのです。私は祖母や親父のようにマメに草引きなど出来そうもなく、まったく自信がないのです。「お父さんなら大丈夫」と妻は自分のやらない分だけ私を褒め殺しして使おうとするのですが、そうは問屋が卸しません。数年前に亡くなった近所のおじいさんの庭は、私の親父と同じように草もはやさず綺麗に手入れをしていましたが、今は住む人もなく雑草に覆われています。昨日その庭の前を通って雑草に覆われている中でもつつじが咲いていました。見る人もなく咲く花も哀れなものです。あんな花にはならせてはならないと心に誓いました。

  「雑草と 家族の戦い エンドレス 何時まで続く 死ぬまで続く」

  「雨上がり 気持ちよさそに 草伸びる 悪いのですが 引かせてください」

  「祖母守る 庭で親父が 後を次ぐ 次を次ぐのは 私でしょうか」

  「草のよに 植えたものも 出来たらと 草の勢い 羨ましけり」

 

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