shin-1さんの日記

○諭しの言葉

 人は多かれ少なかれ人間が生きていくうえで指針となるべき言葉を座右の銘として持っています。座右の銘たる言葉は偉い歴史上の人物が言った言葉を引用したり、出会った人や本の中から自分のフィーリングに合ったものを選んだりしますが、中には家訓たるものまであって多種多様です。かくいう私も座右の銘とまではいかなくても「人でも仕事でも愛する所に集まって来る」という言葉を色々な場面で使っています。愛なんて言葉を使うのは少しキザなようにも思えますが、多分自分の人生を振り返ってみてこの言葉くらいわが人生を語るに相応しいものはないし、これからもこの言葉に意味するところをかみ締めながら生きてゆこうと思っています。

 昨日妻と二人でテレビを見ていたら全国を駆け巡って説教している尼さんが紹介されていました。ある尼さんは刑務所に牧師のような形で入っていって受刑者にもう二度と犯罪を犯さないように諭すのですが、日本はそうした陰ながらの努力にも関わらず犯罪は増え続け国内の刑務所は満杯の状態だそうです。窃盗や麻薬は初犯の人が再犯を繰り返すことの多い犯罪だそうですが、社会や人間の誘惑に負ける人たちにとって尼僧の諭しの言葉は心に響かなかったのかもしれないと、尼僧は自分の非力を嘆いていました。

 ある尼僧は楽しいお喋りで聞く人をひきつけていました。「人間は三養が肝心である。その一つは休養、毎日睡眠をしっかりとらなければならない。毎日の睡眠は8時間を基本とするが、睡眠不足した時間は睡眠不足貯蓄となってその人の体に貯まってゆく。その貯まった睡眠不足貯蓄分だ寝なければならないから最後は寝たきりになる。二つ目は栄養、食べ物で命を長らえている人間は野菜でも魚でも果物でも自分のまちで獲れたものを食べるとよい。それらの食べ物は自分と同じような環境野中で育っているから体に受け入れられやすいのだ。大体今の日本人は他所のものを食べ過ぎる。結果的に日本人は太り過ぎとなり成人病が増えている。三つ目は修養、今の自分より格上の人間を目指して日々修養をしなければならない。そのためには六根を使うことである。一根は目、何故目は二つある。目が利く、目は口ほどにものを言う、目分量など複眼を生かすことを考えねばならない。二根は耳、耳も左と右と二つあって体の外についている。沢山の音や声を聞けということだ。三根は鼻、息をする、匂いを嗅ぐことによって目で見たことを確かめることが出来る。いい香にはいい心が宿っている。四根は口、口は何故か他のものに比べて一つしかない。喋るとき食べれないし、食べているときは喋れない。ところが最近は口が二つのことを同時にやろうとしてるから無理がある。口で話したことが聞こえる範囲は限られているのにマスコミに乗って口で言ったことが広がりすぎる。口は災いの元なのだ。五根は手、今の世の中は手を使わなくなった。手仕事をしなければならない。手で触ると人の温もりを伝わってくるし両手で抱き合うことも出来る。六根は足、足も車の普及で手と同じように使わなくなった。歩くことから始めなければ走ることも出来ない。今の世の中足かせが多過ぎて歩くこと足りない。足りる足にならなければならない。日々の暮しで心がけて欲しいことは笑顔、あいさつ、返事、後片付け。笑顔がどんなに人の心を和ませてくれるか計り知れない。元気よくあいさつをしよう。日々の暮しはあいさつでコミュニケーションができる。ところがあいさつしても返事が返ってこない。後片づけが出来ないといるものといらないものとの区別がつかない。玄関には今日履く靴で沢山なのに何故に何足も靴が並べているのか、廊下は人が歩く所なのに歩けないほど置いている」。

 風呂の湯加減を見たり電話がかかってきたりでテレビを断片的にしか見なかったので全ては読み取れなかったので、自分流に整理をしてみました。読む度に味わい深い諭しの言葉であると思いました。

 最後に「咲いた花見て喜ぶならば、花の根を見て恩を知れ」と言われました。根は土の中にあって花を咲かせるための栄養や水分を絶えず花に送っている。根が元気でないと美しい花は咲かないのです。私はこの言葉をパソコンのキーボードで叩くと意外や意外、根より先に値段の値が出てきました。値を値段で見るとしたらこれは大変な間違いですが、現代はいい花は値段のいい花と勘違いしている節もあって中々面白いと思いました。

 聞く耳を持ってテレビを見ながらいい修養が出来ました。

  「なるほどと 思う言葉に 行き当たる 耳聞き流す 俺はメモする」

  「六根を 鍛え直して これからも 一生懸命 生きてゆきたい」

  「寝不足が 少々気になる これまでの 暮し見直し 睡眠増やす」

  「手と足を 使う暮しが 今に来る 車なければ それが頼りだ」

  

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shin-1さんの日記

○切干大根を作りました

 やっと全国行脚の旅から開放されて、今日から私は自由人として冬休みに入ります。といっても年賀状は書かなければならないし、仕事も片付けなければならないし、やることは山ほどあるのですが、講演や公式行事はひとまず終わりホッとしています。今朝久しぶりに家の敷地内にある畑へ出てみましたが、親父の世話が行き届いて草の手入れもしっかり行われ、冬野菜が勢いよく育っています。しかし少し離れた私の家庭菜園は惨憺たる光景で草ぼうぼうなのです。草削りの鍬を持ち出して2時間余り毛削り何とか畑らしくなったので、大根の畑に入って大根を抜き、切干大根を作ることになりました。同じ大根でも生の大根と切干大根は何故か栄養価値が違うということを聞いていたので、思い切って10本ほど引き抜きました。今年わが家の大根は今まで出来たこともないような大豊作で、まるでお化けのような大きさに育ちました。引き抜いた大根の葉を落とし水洗いして車状に切って短冊状に切るのです。私は一年に何度も包丁を持つような器用な男ではありませんが、昔取った杵柄で面白いように白い短冊が出来上がりました。20本も切ったでしょうか、最後は少々嫌気がさし2時間近くもかかってしまいました。

 親父が切った大根をセイロに広げて干してくれたのですが、まあまあの状態に仕上がりました。今日は天気もよく生憎の無風状態、しかもわが家は裏山に隠れて冬この時期は余り日当たりがよくないので、乾燥して切干大根に仕上がるのには1週間もかかるのではないかと思われます。途中雨に会ったら大変と家の横の東屋の軒先に垂木を通して干し場を作り準備万端OKです。

 昔は切干大根は丸のまま干したのもあって硬くて食べられないような状態で食卓に出たりしたこともあって、あんなもの食べれないと思っていましたが、歳をとると好みが変わるのか、切干大根を水で戻して油でいためじゃこ天などと一緒に煮付けるとこれが絶品で、美味しいのですから年齢と嗜好の関係は変化するなんて不思議なものです。今はお店でも切干大根を売っていますが、やはり自家製は美味しいため母が生きてる頃から手作りをしているのです。セイロに8個作りましたが、乾燥うするとセイロ1つぐらいになるようです。

 昨日の晩は妻がカブのあんかけを作っていました。カブをわが家では大豊作で、漬物や酢漬けなど様々な料理に変身します。私が褒めるのも変ですが妻は料理が上手です。これだけでも結婚してよかったと思うほどで、特に魚の料理は「お魚ママさん」の講習を受けていますからバッチリです。(少々お惚気になってしまいました)

 冬が来て、正月もそこまでやって来ています。一年間家を空けて全国行脚した家や妻への不義理を年末年始で少し取り戻さなければなりません。だって妻は61歳になっても定年もなくパート働きをして退職して自由人になった私を養ってくれているのですからそれくらいしてもバチは当らないのです。でも良かれと思ってやったことがつい仇になることだってあります。昨晩も風呂を貯めようとボイラーのスイッチを入れ、蛇口をひねったまでは「私は何て優しい亭主なんだろう」と自分で思っていましたが、パソコンに夢中になって結局は蛇口を閉め忘れ湯を溢れさせてしまい大目玉でした。妻曰く「お父さんの親切はどこか抜けてる」というのです。まあいいじゃありませんか。死ぬようなことはないのですから。わが家は年末もどうにか平和です。

  「切干の 大根きざむ 包丁が 指先少し 切って終わりぬ」

  「切干を 乾す頃思う 亡き母の 今はどの辺 旅しているやら」

  「土日なく 働く俺の 冬休み 妻は手ぐすね 引いてあれこれ」

  「日暮れ時 少し遅れて 師走日々 自転車帰る 子どもさよなら」

  

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shin-1さんの日記

○味の作曲家「日本食研」大沢一彦さんと出会いました

 私は今年の9月から生活協同組合コープえひめの学識経験者理事を頼まれ、一ヶ月に一度のペースで理事会に出席しています。一ヶ月に一度の会議なら何とかと理事長さんのご依頼を受諾しました。必ず出席するように心の中では思っているのですが、私のスケジュールもかなり込んで欠席もあったりしてご迷惑をかけた一年でした。私と同じ学識理事に日本食研の大沢一彦さんがいます。大沢さんの多忙は私のようなちっぽけさとは比較にならない程の方なので私以上に出席もまばらですが、昨日の理事会は忘年会まで一緒に出席して楽しい一夜を過ごしました。今をときめく日本食研の代表の話は創業者としての苦労や経営理念がちりばめられてとても参考になりました。

 負けて勝て他人と争わずケンカはしない

 損して得せよ

 バカになって仕事せよ バカ(素直)になって学び、他人の意見を聞け

 我以外皆師(他人の意見を聞く)

 みんなに好かれ仲良くするには笑顔、明るい挨拶、みんなに相談する

 努力して成功せよ(長い間の一生懸命の努力、苦労が実を結ぶ

 棚からぼた餅は滅多やたらにあるものではない


 親孝行をしないもので幸せになったものはいない

 親孝行をしていると子どもが真似をして自分も孝行の恩恵に与えることが出来る、そんな一家は幸福が続き繁栄する

 お墓掃除やお参りに子どもを連れて行くと立派な子どもになる

 自分自身が世の中から与えられたものや

 自分が持っている財産や才能を100%駆使して前向きに精一杯頑張ることが、世の中で一番尊いことである

 世間の人から馬鹿にされたり恥をかいたりすることにより

 こんちくしょうという偉大なエネルギーが生まれる

 他人に迷惑をかけないならば何も気にすることはない

 小さいことから確実に挑戦し体当たりでぶつかっていけば

 だんだんよい方向に進路が定まり、大きな成功に導かれ、幸福と生き甲斐を得ることが出来る

 農業目指⇒農大畜産学科⇒ハム会社⇒ハム調味料で独立(成功)⇒各事業へ挑戦(大成功)

 これすばらしき人生なり


 大沢さんの生き方に大きな影響を与えたのは、日本生協の生みの親であり日本生協連初代会長の賀川豊彦さんだと言われました。長い間神戸の貧民街で救済活動に力を注ぎ、命の大切さを身をもって示された生き方やキリスト教の教えが随所に出ていたようです。

 人は何かの言葉に励まされ、何かの言葉をよすがに努力します。また自分のお過ぎ越し人生を言葉に置き換えて人に諭しの言葉として話すのですが、味わい深い言葉としてメモをしてみました。

  「この人の 人生語る 言葉聞く 端々滲む 苦労の日々が」

  「大業を なし得た人の 言葉にて 直ぐに活かせる その気になれば」

  「お金など ささやか蓄え あればいい 金持言うと 何か皮肉に」

  「着想と 世の中流れ 読んだ知恵 行動起して 今の成功」

 (追伸、昨日は生協理事会の忘年会が道後のホテル茶波留でありました。日本食研の社員が歌のパフォーマンスを繰り広げました。商魂たくましい限りであります。ちなみに理事さんはハンドバルで瀬戸の花嫁の演奏を、私も下手糞ながらハーモニカの演奏で会場を盛り上げました)

 

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shin-1さんの日記

○大人を考えるフォーラム

 「大人って何?」と尋ねられたらあなたはどんなに答えるでしょう。ある人は年齢的な要件で「子ども以外の人間」と答える人もいるでしょうし、「全てに完成された人間」と答えるかも知れません。しかしいざ「大人って果たして何だろう?」と考えるとその答えは曖昧ですっきりした答えは見出せないのです。かく言う私も20歳から62歳の今日まで42年間も大人をやっているのに、大人という自覚はあっても具体的な説明となるとこれまた中々出来ないようです。子どもに比べ大人には責任や働くこと、自立することなど様々な条件が必要です。中には大人であっても責任を果たさず働くことさえしない人や自律していない人もいるようで、その数は社会が成熟すればするほど多くなっていくといわれています。まあよく分りませんが私は子どもではないことも事実だし、ある意味での家庭的や社会的な責任も果たし、働くことによって得た報酬で家族と共に生活しているのです。いわば自律していると思うのです。でもそれだけでは普通の大人なのです。「素敵な大人」というワンランク上の大人を考えると、これまた難しい条件が必要になってきます。では一体素敵な大人とは一体どんな人で、何処に住んでいるのでしょう。「今回の「大人を考えるフォーラムは、そんな素敵な生き方をしている人を探し出し、その素敵さを若者の前で語ってもらおうということになりました。私は今回の事業を主催する国立大洲青少年交流の家からその企画を考える実行委員会のメンバーに選ばれました。年齢が一番上で、しかも暇のある自由人ということもあって昨年に引き続き実効委員長になったのです。何気なく過ごしている日々の暮しの中で自分の身の回りには案外素敵に生きてる人は見つけにくく、実行委員の目の届く範囲で探した結果6人の方が見つかり、若者の前で話してもらうよう頼み了解を得たのです。

 最初に基調講演をしてもらう人は最近テレビやラジオの司会などで大活躍の「らくさぶろう」さんです。彼は様々な経歴を持っていますが、ギノー味噌のコマーシャルでお馴染みとなった女装した「らくおばさん」が人気を呼んでいる、県内では知る人ぞ知るキャラクターの持ち主なのです。少年時代の生い立ちやマスコミで売れるまでの苦労話など、集まった若者にハードルを合わせたタイムリーな話をしてくれました。

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 続いて、シェフでありオーナでもある株式会社マルブン代表取締役の真鍋明さん。

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 園芸農業を営む東大出のたまちゃんファームグループ代表玉井和幸さん。この写真を見る限りはどう見ても落語家。

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 外国生活の経験を持つダンディな喫茶店ナチュレ代表の藤山健さん。

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 翻訳や通訳など語学堪能な、イサ翻訳センター&バイリン出版代表の合田正美さん。

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 子育てしながら環境を語るNPO法人自然環境教育えことのは理事長斉藤智子さんの5人です。

 まず私がコーディネータを務めて40分間それぞれの自己紹介と主張を述べてもらい、その後は17分刻みで5つのブースを看板を片手に回ってもらい、色々な話への質問をしてもらいました。5人はそれぞれの人生観やこれまで生きてきたこと熱っぽく話しました。その話の内容は参加した人のみに与えられた感動と知る権利なので、ブログ画面では割愛します。

 その夜は愛媛大学助教授白松賢さんの巧みな司会、明くる日の午前中は株式会社VOCE恋愛プロジューサー北川裕子さんの熱い司会、午後は県立八幡浜高校校長堀田和知さんの楽しい司会でそれぞれのプログラムを消化しました。特に一連の大人を考えるプログラムの最後を締めくくる「10年後の自分からの手紙」は短い時間ながら思わず目が潤むような熱い感動の手紙が若者から紹介され、いい研修会を終わりました。体調を崩して声が出ない私以外はみなさんそれぞれの役割をきちんと果たされ、若者の心に「大人って素敵なんだ」と感じていただいたようです。

  「えっ大人 突然聞かれる 問いかけに 分っている様で 分らぬままに」

  「俺なんか 俺の人生見てくれと 胸張りいえる 素敵な大人」

  「十年後 今の自分に 手紙書く はてさて俺は 生きてるだろうか」

  「おいお前 大人の顔は しているが もっとしっかり 生きねば駄目だ」  

 

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shin-1さんの日記

○教育基本法って

 つい先日まで霞ヶ関を震源地として全国に激震を走らせた「教育基本法ってどんな法律?」と案割の人に聞いてみると、私たち田舎に住む庶民は「関係ないわ」と言わんばかりに顔を背けます。でも一回のタウンミーティングに1千万円以上のお金を使っていた事実を振り向けると、「俺たちの税金を金がないといいながら、赤字財政といいながらこんなに使って許せん」と、声をあらわにして反論するのです。このように肝心の法律がどうなろうと自分には関係がなく、ことお金のことになると「俺らの税金」と主権在民を叫ぶ、まあこれが日本社会の現状でしょう。

 与党の自民党と公明党がいうことも分るし、野党の民主党や社民党がいうのも分るような気がします。でもその主張にはいつも国民不在で、次の参議院選挙にどう影響するのかという目先のことだけを考えての発言が目立ちました。結局は政治家も私たち庶民が法律よりもお金と同じように、法律よりも議席なのだと分っているから、政治家の言うことは余り信用しないようにしています。

 しかし私は少なくても去年まで小さな町の教育長であったわけですから、「辞めたから知らない」「私には関係ない」なんて無責任なこともいえないので、教育基本法の議論の行方を注意深く見守り、時には自分の考えをメモしながら「私だったらこうするのに」という思いを持っていました。だから教育の職にある人たち、特に教育委員会の職員や委員、それに校長先生に議論を吹っかけてみましたが、残念ながら期待したほどの議論も出来ず、むしろ「何も考えていない」ような振る舞いや議論にむなしささえ覚えたのです。

 私の手元には現行教育基本法の全文と、改正教育基本法の全文が対比されるような形で載っている新聞のスクラップがあります。両方を比較してみると現行の教育基本法と改正教育基本法には大きな違いがあることが分ります。現行教育基本法は僅か11条からなっていますが、改正教育基本法は4章に分けられ18条まであります。第1章の教育の目的及び理念では、これまでの1条から3条までが1条から4条までに広がり教育の目的、教育の目標、生涯学習の理念、教育の機会均等に分けられています。特に3条の生涯学習の理念は真新しいものです。

 第2章は教育の実施に関する基本で、義務教育、学校教育、大学、私立学校、教員、家庭教育、幼児期の教育、社会教育、学校・家庭及び地域住民等の相互の連携協力、政治教育、宗教教育と5条から15条まで細かく教育が分類されています。現行法が6分類だったことを考えると隔世の感があります。男女共学という表現が過去のものとなったことも時代を反映していると思います。しかし生涯の各時期における教育のあり方を列記しながら第9条に教員がサンドイッチのように挟み込まれていたりして何か違和感を感じるのも事実です。

 第3章は教育行政については国と地方公共団体の責務が分けて述べられていますが、教育委員会の形骸化や無用論が台頭するこの頃なので多いに議論しなければならないところです。また17条では教育振興基本計画のを国は国会に報告し公表しなければならないようになっていますが、地方公共団体では定めるよう務めなければならないと、法律用語のあいまいさが垣間見えるようです。

 この改正教育基本法が出来たことによって教育がどう変わるのか、またこの法律に基づいてどんな教育が行われようとしているのか、これこそ議論しなければならないことが山ほどあるのです。法律は人が運用して初めて魂が入ります。いい法律にするには国民がもっと教育に関心を持って教育に当たらなければなりません。野党も反対したのだからと逃げることは出来ない、与党も法律を作ったことは教育の第一歩と考えて欲しいと思います。

 教育基本法論議がオーバーヒートし過ぎて、防衛庁が防衛省に昇格したことなど議論もなくみんなが賛成して法律が出来ました。野党が言うように、近隣諸国が言うように教育基本法が改正され、防衛庁が防衛省になったことだけを考えると、何か戦争に突き進んだ戦前の日本を思い起こします。戦争を放棄した平和な国日本が何時までも平和であるよう祈っています。

  「法律が 変わって暮らし 変わるのか 居直る男 税金未納」

  「ミーティング 金かけ賛成 意見言え 先導した人 誰だったのか?」

  「反対や 賛成いうが 結局は 次の選挙で したい当選」

  「教育は 子どもだけでは ないんです 自ら学び 死ぬまで学ぶ」

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shin-1さんの日記

○なるほどなるほど

 四文字熟語には日本の長い歴史が生んだ深い意味があります。平家物語に出てくる「諸行無常の響きあり」なんて言葉は仏教の根本思想で万物は常に変化して少しの間もとどまらないという意味なのですが、住友生命が今年の世相を反映した「創作四文字熟語」を募集しその優秀作と入選作を発表しました。「諸行無常」を創作した「虚業無常」は、時代の波に乗ったライブドアの堀江貴文社長の逮捕で一転し上場廃止になったニュースを皮肉っています。盛んに持てはやされ、「金で解決できないことはない」と豪語してプロ野球やテレビ会社の買収に乗り出して世間を騒がせた末の結末を見事に表現しています。

 甲子園大会で苫小牧を破って優勝した早稲田実業学校高等部の斉藤祐樹投手の青いハンカチブームも「全国制覇」の制を青ともじって「全国青覇」に表現しています。それにしても青いハンカチに若い高校生が群がるのは分りますが、中年のおばさんがキャーキャーいいながらおっかけをする姿は何とも見苦しく、韓流ブームの再来ではないかといわれました。

 経済に関することではいざなぎ超えといわれる景気回復も庶民の暮らしには一向に実感がわかないようで、「神武景気」を「感無景気」と読み替えれば、なるほどと理解できるようです。それにしても田舎の景気は一向に上向いてくれません。建設業などは各地で倒産が相次ぎ、双海町だけでもこの数年で5本の指くらいの建設業者が倒産しているのです。かつては建設業者の社長さんは33ナンバーの車に乗って、週末にはゴルフ三昧をしていた姿が印象的に目に焼きついています。公務員の給料は社会のバロメーターとして人事院勧告などで保障されてきましたが、今は逆に公務員の給料が民間の給料を上回っているとかで、公務員の給料はどんどん下がっています。それでも民間の一部の人々の懐は豊かもしれませんが、ボーナスも出ず正月を迎える人々のことを思うとまだましのようです。

 「注意一秒怪我一生」なんて交通標語がありますが、その言葉の持つ意味は今も昔も変わりはありません。今年は道路交通法が改正され、短時間でも駐車違反となるため「駐違一秒」と上手く表現されています。ちなみに相次いで起こった飲酒運転による重大事故も大きな社会問題となって、「因果応報」を「飲果応報」とした知恵も評価されるようです。先日全国一斉に飲酒運転の取締りが行われました。性懲りもなく愛媛県でも10件を越える検挙者や逮捕者がでたようです。年末年始も近づきましたが、飲酒運転による悲しい事故のないようにしたいものです。

 この他にも姉歯建築士が発端となったマンション建設に絡む、耐震偽装事件の被害者住民の怒り心情を表現した「十人十色」「住人十色」、上流社会と下流社会差がどんどん広がってゆく格差社会の「上下左右」「上下差憂」、阿部首相のスローガン「美しい国」にちなんだ「美辞麗句」「美治麗国」、思いっきり体をそらすイナバウアーの「大盤振舞」「銀盤反舞」、小泉首相が人気を終えて退陣した「獅子奮迅」「獅子退陣」などなるほどといえる世間を騒がせたニュースが四文字熟語として紹介されています。

 言葉は世の中を映す鏡かもしれません。来年こそはいい言葉を期待したいものです。

  「なるほどと うなずく言葉 その裏に 社会のうねり 思い起こして」

  「年賀状 十大ニュースを 書いてみた 田舎の俺にも こんな出来事」

  「一年が あっという間に 過ぎてゆく 四文字熟語 何時の出来事?」

  「歳暮れて 歳暮に届く 牡蠣パック 風評被害 わが家も話題」

 


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shin-1さんの日記

○今年最後の授業

 4年前、愛媛大学法文学部総合政策学科非常勤講師という肩書きをいただいて未知の分野である大学の講義に挑戦し始めました。大学も出ていない私ゆえ大学のしくみも授業の組み立てさえも分らぬまま、独学とでもいうのでしょうか年間60時間の授業計画を立て、苦心惨憺しながら学生との出会いを楽しみにただひたすら授業を続けてきました。私の授業はフィールドワークですから学生を積極的に学外へ連れ出したり、まちづくり人に合わせたりしながら、「地域振興と地域づくり」という独自のワールドを作ってきました。結果がどうであったかは授業を学んだ学生に書かないと分らないのですが、時々出会う学生たちからは「勉強になった」「楽しかった」知らない街や知らない人にあっていい刺激を受けた」とかなり好評のようです。何せ私の話はどちらかというと学問というよりは生き方の学びですから、社会に出ても役に立つことを主眼にしていますので、学生の話が本当ならば最初に目標として掲げた「学びのたのくるしさ」(楽しい×苦しいを掛け合わせた造語)を実感しているのではないかと思うのです。

 この4年間のテーマは「住みたいまちの条件」と「訪ねたいまちの条件」です。一年間の前半はまちづくりの基礎教育に当てました。中盤は県内の市町に出かけて実態調査をしました。そして後半は住みたいまちと訪ねたいまちの理想を求めて議論し、バーチャルの世界で夢のまちを作ろうというものです。私はこの作品に懸賞金を出しました。講義をしていただく何がしかの安い講義料の中から1万円を賞金として学生たちに提示したのです。今の学生にしてみれば1万円なんてはした金かもしれませんが、それでも4人グループだと1回の夕食懇談くらいは出来るだろうと考えたのです。

 今年最後の授業日となる12月13日、法文学部2階202号室で発表会は行われました。





 抽選で決めた順番に従ってそれぞれの班に与えられた10分間の時間内でいかに表現するか、各班の実力の見せ所なのです。多分彼らは2枚の図表を作るために相当な知恵と努力をつぎ込みました。そして発表の原稿たるやこれまた相当な打ち合わせを行ったのではないかと思われます。結果は各班の持ち点を内容5点、図表5点、発表5点として、自分の発表が終わると他の班に採点してもらって集計をするのです。勿論教官たる私も同じような点数で採点し加点しました。結果は以下の黒板採点表の通りで、一点差で3班がグランプリに輝きました。早速賞金を渡して表彰をしたのですが、一年間の学びの集大成とでも言うべき発表会は多くの学びが発表の随所に見られ、大成功でした。


 グランプリを獲得したのはこのグル-プです。発表会の終了後会場で財布を出して1万円を4等分するあたりはさすが現代人ですね。

 今年の授業はこれで終りです。後は学生から1月10日までに送られてくる2枚のレポートと出席簿、それに授業態度を見て点数をつけ、資料と共に大学へ提出して長かった一年間の授業を終えるのです。

 今年の学生は22人でしたが、今年初めて授業を無断欠席した一人にペナルティとして単位を与えないと通告しました。「たのくるしい」ということはしっかりと学ばせたつもりです。でも今年もいい学生に恵まれ楽しく学ばせることが出来たと喜んでいます。今年は3回生、4回生もいてレベルの高い授業が出来たように思います。自分にも学生にも「ご苦労様」でした。

  「大学を 出てない俺さえ 教壇に 立てるのだから 誰でもできる」

  「ああ俺も 生まれ変われる ものなれば こんな暮しが してみてみたい」

  「一万円 賞金出して 誘発す それに応える シビア学生」

  「学生の やっと名前を 覚えたに さよならするは 惜しい気もして」  



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shin-1さんの日記

○山猿と海猿の出会い

 山猿というペンネームで私のメールアドレスに手紙を送り続けている人がいます。高知県馬路村の木下君です。彼と始めて知り合ったのは今年2月24日、えひめ地域政策研究センターが愛媛松山で開いた「地域の自立とは何か」というシンポジウムがきっかけでした。その打ち合わせを兼ねた会合が前年の11月、高知県馬路村に登壇者を集めて行われ、東谷馬路村農協組合長の声かけで参加していた地元の青年が木下君でした。木下君は参加した徳島県上勝町の横石さんや愛媛県内子町の森本さんなど四国を代表する地域づくりの達人たちが居合わせていることも知らされぬまま酒席交流の人となっていました。多分「酒でも飲みに来ないか」という高知県人お得意の気軽さからの参加だったのでしょうが、その席で私と知り合いました。勿論2月24日には東谷組合長の応援団長として愛媛に乗り込み、人間牧場も見学し多くの人と交流をして帰って行きました。以後彼は私を馬路村魚梁瀬の講演会に呼んだり、ウナギを食べたりともう10年前から知っているようなそぶりでどんどん私と深くて広い交流をしているのです。

 魚梁瀬での講演会の模様はその日のブログで書いているので割愛しますが、その折知り合った湯浅建設の社長さんご夫妻と知り合い、口相撲の約束を果たすため魚梁瀬杉の板をわざわざ運ぶため人間牧場へやって来たのです。正直いって口約束ですから何の当てもないのに、湯浅社長は奥さんを伴って山猿と一緒に12月15日、約束の午後2時きっかりにわが家へ到着しました。しかも片道5時間もかかるような遠い道のりをトラックに魚梁瀬杉の一枚板を積んで来たのです。呆れるやら嬉しいやらで、年甲斐もなく少し涙ぐんでしまいました。

?これが木下君が軽四トラックで運んでくれた魚梁瀬杉の一枚板です。埃にまみれているためまだその全容は明らかになっていませんが、3人でやっと持ち上げる重さといえば想像がつくでしょう。足にする枝木も一緒に運んでもらい、これからの作業が楽しみです。

 さてこの日は、先日までの雨も止み絶好の小春日和でした。木下君と湯浅社長ご夫妻の3人をわが愛車に乗せて人間牧場へご案内させてもらいました。風もなく穏やかな日和で、少しガスがかかっていたものの眺望はまずまずで社長さんご夫妻も満足したようでした。

 折角夫婦で来られたのに、社長さんと奥さんの間に入って写真に納まるあたり、木下君は相変わらず意地が悪いと思いました。その夜は3人が松山のワシントンホテルへ泊まるというので、別々の車に乗ってホテルで落ち合い、近くの炉端焼きのお店でささやかな交流会を持ちました。まあ社長さんご夫妻の楽しい会話には正直参りました。

 人の縁とは不思議なものです。木下君もさることながら湯浅社長ご夫妻とは二度目の対面なのにこうも楽しく、こうも奥深い話をしていいのだろうかと思うほどご縁を深めることが出来ました。人は夢を食べながら生きる動物です。夢を持った人に会うと、また会いたいと思うのです。また会いたい馬路村の方々とまた会いたいものです。

  「はるばると 馬路魚梁瀬の 山路より 約束積んで お供従え」

  「二度目とは 思えぬ程の 出会いにて 交わす盃 程よき酔いに」 

  「次は何時 会えるだろうか ワクワクと 握手の温もり 今もこの手に」

  「いい人は いい人連れて やって来る 俺もいい人 いい人連れて」  

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shin-1さんの日記

○中小企業の活性化

 最近は異業種交流などの会合で話す機会が多いものですから、私のアドバイスをいただきたいという中小企業の社長さんもいて、結構親しくしてもらっています。その中の一人に隣町松前町のギノー味噌の田中社長さんがいます。奥さんが双海町出身ということもあったり、奥さんのお父さんとじっ魂の間柄なので、最近急速に関係が深まりました。たまの日曜日にお風呂で会う彼は創業者であるお父さんや子どもさんと連れ立ってお風呂で出会うのですが、父親をいたわる姿や私に接する姿はまあ礼儀正しいのでこちらが恐縮するほどなのです。裸の付き合いとはこのことをいうのでしょうか、風呂でも彼は真面目な仕事の話をサウナの中で汗をかきながら話します。多分彼の頭の中は会社の経営のことでいっぱいなのでしょう。創業者から家督と暖簾を譲られる二代目の社長はこの世の中には多く、私の知ってる人でも指折り数え切れないほどいるのですが、意外と「親難儀、子道楽、孫乞食」といわれるほどに、苦労忍耐の足らぬノホホン社長も見かけます。しかしこの社長の生き方は少し違っているようで、今時珍しい子沢山な子どもを山村留学に送るなど、自分の生き方に留まらず、次の世代をも見越した壮大なスケールで人生を見ているような気がするのです。

 一昨日の土曜日、会社の社員研修に呼ばれました。休日の早朝8時からの研修は目覚めの遅い人たちからはブーイングでしょうが、8時から研修会を始めようとするやる気こそ大切なのです。50人を越える社員全員で社是や会社の基本方針を朗読唱和して確認する光景に、会社の並々ならぬ意気込みを感じました。また年商目標や粗利、経常利益など様々な数値目標からクレームへの対応に至るまでこれほどまでに気をつけなければならないのかと思うほどの厳しさを垣間見ました。

社長の説明によると、これまで経営方針は主に社長が作り、会社の名の元に実行していたそうです。今年からは社長の肝いりで幹部職員と合作の方針を作り上げたようです。私はこのプロセス転換に大きな拍手を送ります。会社は縦社会を作らないといけない部分もありますが、チームワークも必要です。トップダウンとボトムアップが上手く組み合わされなければこれからの会社は生き残れないと思うのです。

 さて私の話は「新しい発想で生きる」というタイトルでした。喉を傷めていたこともあって参加した方々には聞きづらい点もあったのではないかと思われますが、演台から見る限り反応は上々のようでした。新しい発想はものの見方を変えることから始まります。やらないことをやれないと諦めていたことでも、その気になってすれば結果は自ずから生まれてきます。「鮮やかに想像し熱烈に望み心から信じ魂を込めた熱意を持ってすれば何事もついには実現する」というポール・J・マイヤーの言葉のような生き方を社員一人一人が自覚したとき、会社は大きく成長することでしょう。この会社は新しい社屋の計画があるようで、まだまだ伸びる成長過程の会社とお見受けしました。だから私のような人間の小さく素朴なアイディアにでも耳を貸そうとするのです。

 この研修会には驚いたことに社長の友人や取引先の社長さんも招かれ、席のあちらこちらにちらほら顔見知りの顔が見えていました。このように「会社をオープンにする」ことも社員の刺激になることでしょう。更には地産地消や地域貢献といった言葉も社長や幹部職員の話の中に沢山聞かれました。「食」という人間にとって極めて大切なものを扱う商売は「安心と安全」というテーマも更には「環境と共生」というテーマもクリアしなければなりません。また「食文化」も追求しなければなりません。その上で利潤を追求しなければならないのですから、まさに奇跡の産業とでも言うべきでしょう。「店と屏風は大きくなったら倒れる」というジンクスを肝に銘じ頑張って欲しいと思います。ギノー味噌頑張れ。

  「何時の間に 味噌買うものと なったのか 合わせ味噌汁 あったかご飯」

  「脳ミソの ミソ元味噌と ある学者 それがミソだと 味噌汁すすり」

  「味噌汁も 出来ない世代 増え過ぎて 朝飯食わず 子ども学校」

  「おふくろの 味はやっぱり お味噌汁 死んでも舌が 懐かし思う」

 

 


 

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shin-1さんの日記

○私の映像と声が世界10カ国へ配信されました

 世の中には目に見えるものと見えないものがあります。今見えている周りの景色や新聞などは直接物体として見えるけれど、人の意識やテレビの電波などは実体のない見えないものなのです。空気も汚さずわが家の家庭に電波がそのようにして送られてきて、テレビやラジオが見たり聞いたり出来るのか、不思議といえば不思議な世界に私たちは生きているのです。まさにこれは神様や仏様のなせる業としか言いようのないものなのですが、このメカニズムを作った人がいるのですから人間の想像力や実践は大したものなのです。

 そんなこれまた不思議な大宇宙を電波に乗って私の映像と声が世界10カ国に配信されたのですから、私にとっては驚くべき重大ニュースなのです。

 つい一週間前、私はJICA本部に招かれ、その横にあるテレビ会議室で衛星で結ばれた回線を使って世界10カ国の観光関係者とテレビ会議を行いました。前回のテレビ会議は9月5日でしたから2回は3ヶ月ぶりなのです。前回はスリランカという国だけでしたが、今回は南米やアフリカ、それに東南アジアと様々な国々です。

 英語の喋れない私のために通訳までついてコーディネーターが双方のやり取りをコントロールするというものです。相手国の時間の関係から一日目は午後9時から11時まで、二日目は午後2時から4時までという二時間が設定されていました。まず簡単な自己紹介や会議の進め方をオリエンテーションした後、私がスライドショーを使って約1時間通訳されながらレクチャーするのです。そのレクチャーに対してあらかじめプリントアウトした資料をもとに討論するのですが、相手の国も観光客をどのようにして増やすか、観光によってどのようにして経済効果を高めるか同じような悩みを持っているため、楽しい会話が繰り広げられました。


 前回と同じ顔ぶれの谷口さんと徳重さんの豊富な経験に助けられて、持ち前のアドリブで彼らの欲している私のノウハウと情報を一生懸命伝えました。彼らもまた常に真摯な態度で討論し、それなりの成果があったのではないかと質問の内容を反芻しながら思っているところです。

 それにしても世の中は便利な社会になったものです。私の映像や声が双方向通信回線によって、多少の時差はあっても瞬時に送ったり」送られたりしてくるのですから情報化の進展は目覚しいものがあるようです。ふと谷口さんが用意してくれた相手国の資料と地図を見ながらまだ見ぬ国の姿を想像してみました。今回の相手国である10カ国はまだ一度も訪れたことはありませんが、是非一度は訪ねてみたいものです。

 今回は話題に出ませんでしたが、私はショートコメントとして日本の観光の現状を少しだけアドリブで3つについて追加し話しました。1つは安部総理大臣の「美しい国日本」という言葉の表現以来、日本の美しい原風景が見直されつつあることです。イザベラバードの日本奥地紀行で賞賛されたアルカディア(桃源郷)として、日本の美しさをもう一度見直さなければならないといいました。二つ目は市町村合併によって観光の受け皿が大きく変わりつつあることです。3千2百が千7百になったのですから、大きな変化としか言いようがありません。その原因は少子高齢化と財政赤字であることも話しました。三つ目は日本全国で世界遺産にしようとする宇賀気が活発になっています。乗り遅れまいとする追随意識は否めませんが、世界遺産に登録されれば経済効果が期待できるという安直な金儲け主義が見え隠れしているようです。

 いずれにしても観光は国の光を見るという基本がしっかりと守られなければ末路は哀れです。いい観光の前にいいまちづくり、いいまちづくりの前にいい人づくりが求められていることを伝えました。

 外に出て東京の街中を歩きましたが、空は冬の青い空、ビルも整然、街路樹も綺麗、だけど地上やそこを歩く人間は?、少し考えさせられました。折りしも美しいクリスマスツリーの飾り付けがホテルの中にきらめいていました。

  「俺の顔 俺の映像 十カ国 電波で送られ 大いに議論」

  「日本を 知ってるつもりの 俺だけど 知ってることは ほんのちょっぴり」

  「教えたり 教えられたり するうちに 仲良くなりて 世界は平和」

  「俺に似た 人の沢山 いる会場 東南アジアは 俺のふるさと?」

 

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