人間牧場

〇駆け足の大分県臼杵市
 一昨日宮崎県から講演を頼まれて出かけました。八幡浜港からフェリーに乗り、2時間20分で臼杵港に到着しました。下船して待合室から外に出て、タクシー乗り場に行きましたが、午前8時10分だというのに乗り場にはタクシーは一台もいませんでした。家を出る時パソコンで時刻表を調べた時港周辺の地図をプリントアウトしていたので、「徒歩約20分」という目安を信じて、歩き始めました。

 川沿いの道に沿って歩きましたがなれない道ゆえ少し不安だったものの、ほぼ予定通りJR臼杵駅に着きました。駅の切符売り場で宮崎行きの往復特急券を買い求め、少し時間があったので、荷物を待合室の椅子に置いたまま外に出ました。駅前には国宝に指定されている摩崖仏大日如来の大きなレプリカが設置されていました。摩崖仏は公民館時代やまちづくり時代に何度も訪れ見ていますが、このレプリカは初めてでした。

JR臼杵駅前の摩崖仏レプリカ

 臼杵は平安時代から鎌倉時代の作といわれている国宝の摩崖仏を始め、沢山の観光資源のある町です。時間があったら今度ゆっくり足を運びたいと思いました。宮崎での講演が終わり特急にちりんでJR臼杵駅に到着したのは、夜のとばりが降りた午後8時18分でした。フェリーの出航時間は午後8時40分です。22分しかないのでタクシーに乗ろうと決めていましたが、駅舎外のタクシー乗り場にはタクシーが一台もいませんでした。

 困り果て、近くにいる人に聞くと、「船着き場までは約20分、あなたならお若いので走れば10分少々で着きます。お急ぎください」と言う言葉を真に受け、折から降り出した雨の中を、小走りに走りました。「あなたはお若い」という言葉に甘えて走った結果、出航5分前に船着き場に到着し、間に合いました。

「行き帰り 船着き場にも 駅さえも タクシー姿 どこにも見えず」
「臼杵には 摩崖仏など 沢山の 文化遺産が あるけど素通り」
「仕方なく 行きはトボトボ 帰りには あなたは若い その気になって」
「降り出した 小雨の中を 大走り お陰様にて 出航間に合う」

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人間牧場

〇宮崎への日帰り講演小旅行(その2)
 宮崎県庁の招きで「第6回美しい宮崎のつどい」に出かけました。この日は美しい宮崎づくり大賞の授賞式と受賞事例発表、それに、まちづくりの新しい風」と題した私の特別講演の2本立てでした。少し遅れてJR宮崎駅に到着しましたが、列車の中でもショートメールでのやり取りをしていたため、宮崎テレビの黒木さんに駅まで迎えに来てもらい、迷うことなく宮崎市民文化ホールに到着しました。

昨日のつどいのパンフレット

イベントホールの楽屋へ案内され、用意してもらった昼食弁当を食べ、次々にやって来る副知事さんや美しい宮崎づくり推進室の担当者と名刺交換しながらのんびり過ごし、開会を待ちました。14時からセレモニーや事例発表があり、用意された最前列の席ででその模様を拝聴しました。私の講演時間は約1時間程度でしたが、普通90分ペースで話す内容を短くしたため舌足らずで、中々骨が折れたものの会場参加者の反応も良く、用意したパワーポイントを使いながらまあ淀みなくお話が出来ました。

 集会後皆さんに誘われて、ステージの前での記念写真に加わりました。この日は10枚限定で名刺を配りましたが、デジタル時代を反映して、今朝は早くも何人かの方々からお礼や感想、質問の嬉しいメールが届きました。中には「講演に来て欲しい」というメールもありました。早速お礼の返信メールを送りました。いい一日でした。

「講演会 60分は 短くて 話飛び飛び それでも納得」
「木のカバン 提げてあちこち 出かけてる まるで寅さん 啖呵を切って」
「凄いねえ デジタル時代 反映し 今朝は沢山 メールが届く」
「お幾つ?と 尋ねられると 40過ぎ 一瞬みんな 顔を見合わす」

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〇子ども体験塾こぼれ話(その2)
子ども体験塾には沢山のスタッフやボランティアが関わって運営していますが、その中に親子4人で参加している赤石さん家族がいます。お父さんは元公民館主事で、かつて直接子ども体験塾を担当していましたが、今は異動で別のセクションに移りながら実行委員の一人として活動してくれています。赤石さんの長男さんは聖稜高校建築科3年ながら、ボランティアで黙々と活動を続けてくれています。次男さんは中学3年、3男さんは中学一年でいずれもジュニアリーダーのメンバーです。いつも親子4人が参加しそれぞれの立場でそれぞれの役割をきっちりとこなしている姿を見て、いつも感心してみています。赤石さん家族の大きな拍手を送ります。

親子で頑張る赤石家家族
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〇子ども体験塾の収穫祭(その2)
 今回の子ども体験塾の食事は芋粥、焼き芋、大学芋とサツマイモにこだわった素朴なメニューでした。私たちが子どもの頃の貧しい時代は芋を常食にしていましたが、豊かになった最近は、芋そのものを食べる機会さえ少なくなりました。そこで少し粗食を味わってもらうことにしました。

大釜いっぱいの芋粥
大学芋づくり

 大釜で炊いた芋粥は結構美味しくみんなお替りをしました。また芋を細かく切って油で揚げ、砂糖で絡めた大学芋も大好評で、2つ用意した鍋がすべて空になりました。サツマイモを濡れた新聞紙でくるみ、外側をアルミホイルで包んで焼いた焼き芋も美味しかったです。

人間牧場近くの西嶋さんからブドウの差し入れが沢山届き、デザートとして美味しく食べました。新型コロナの感染拡大で食事の提供には気を使いましたが、上灘婦人会や更生保護女性会の皆さんの協力で今回も収穫祭にふさわしいいい食事が出来て満足です。

 県PTA研究大会に行く予定の息子が、早めに人間牧場にやって来てロケーション風呂を沸かしてくれました。各班毎に少し熱めのお湯で足湯を楽しみました。日頃は裏方に徹する更生保護女性会の木曽さんと久保井さんにも足湯を楽しんでもらいました。

「収穫祭 芋にこだわり 芋粥や 焼き芋加え 大学芋とは」
「粗食だが みんなお替わり してくれて 美味しい美味しい 嬉しい言葉」
「わが息子 県P大会 行く前に ロケ風呂沸かし 足湯のサービス」
「あれこれを 多くの人の 協力で 体験塾も 天候恵まれ」

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〇伊予神社を訪ねる
 昨日は子ども夢会議の打ち合わせがあり、松前町東公民館に行きました。少し早めに着いたので、公民館のすぐ近くにある伊予神社にお参りしました。季節はもう秋ながら神社の境内はやぶ蚊が多く、少し歩みを止めると体中にやぶ蚊がまとわりつくので、神社の境内周辺を散策しながら歩き回りました。

 お賽銭を投げ入れお祈りをした後、誰一人人の気配のない境内の拝殿・本殿をぐるりと回りましたが、社殿はとても立派で本殿の裏側の入らずの森には歴史を感じる五輪の塔があり、文化財としての価値があるのか教育委員会の説明版にその来歴が詳しく書かれていました。

 私は巨木が好きなので拝殿横の大楠や槙の木の根元に行き、空を見上げました。社殿や本殿よりはるかに長い年輪を重ねた木々は木霊が宿っていて、大きなしめ縄がまるで鉢巻きのように取り付けられていました。手や耳を押し当てパワーを貰いました。束の間の歴史散策でした。

「公民館 近く神社に お参りし 賽銭入れて 両手合わせる」
「伊予神社 看板読むと 歴史ある これは凄いと あれこれ散策」
「時ならぬ 来客驚く やぶ蚊たち 攻撃受けて 右往左往す」
「しめ縄を 張った大楠 手と耳を 押し当てパワー 元気をもらう」

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〇高野川海岸から見た夕日
 昨日は松前いいとこ見つけ隊の役員会の帰り道、伊予署を過ぎた所で行きつけの理髪店の前を通りました。いつもはお客さんの車がいっぱい止まっているのに、昨日は1~2台でした。「そうだ散髪をして帰ろう」と急に思いつき、バリュー前の信号でUターンして理髪店に入りました。目論見通りお客さんはまばらで、少しすると「どうぞ」と案内されました。普通の日だと1~2時間待ちはざらなので、喜んで座席に座り、「3ミリスポーツ刈りでお願いします」と告げ、散髪は始まりました。

高野川から見た昨日の夕日
夕日を見た私の自画像

 ほんの20分ほどで散髪は終わり、1320円を支払いすっきりした気持ちでお店を出て帰路に就きました。三秋峠を下り高野川辺りまで帰ると、奇麗な夕日が見えました。行きと同じように同じ場所に車を止め、夕日を見ました。空気の澄んだ秋色の海と空を染め分けて夕日はゆっくり落ち始めましたが、夕方から人に会う約束と集会出席があって、残念ながら最後を見届けることはできませんでした。

 夕日は見る時間と見る場所によって色々な表情をしています。毎日1分ほどずつ日没が早くなり、沈む場所も西寄りに代わり、下灘駅辺りからは西の山の端に隠れ始めています。唯一高野川辺りからかろうじて冬至ころまで夕日を見ることができるのです。昨日は行きに島影を見て、帰りに同じ場所から夕日を見ることができてラッキーでした。

「同じ日の 昼と夕方 同じ場所 島影・夕日 写真に収め」
「高野川 海岸からの 夕日また 味が違って 金色の道」
「西寄りの コースを辿る これからは ここしか夕日 見れない残念」
「いつ見ても 双海の夕日は 日本一 オンリーワンでも 自慢の一つ」

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〇シイタケホダ木の並べ替え
 冬の間に友人のクヌギ山から切り出し、その後息子と2人でその原木に穴を開け、シイタケの種駒を打ち込み、家の裏道沿いに並べて養生をしていたホダ木の周りに草が生い茂っていましたが、日中の最低気温が15度前後になるとシイタケが生えてくると思われるので、一昨日の夕方一旦ホダ木を横倒しに寝かせ、斜面や足元の草を草刈り機で刈り払いました。

草を刈り行儀よく並べ替えたシイタケのホダ木

 その後辺りの草や土を取り除き、行儀よく並べ替えましたが、何本かのホダ木には既にシイタケの芽が見えているようなので、朝晩の気温がぐっと下がれば、お目当てのシイタケが生えてくるものと思われます。シイタケは鍋物にしたり、焼いたりして食べますが、残りはスライスして天日干しにして保存食品としても食べれる栄養価の高い自然食品で、わが家では重宝しています。

 最近は原木を使わずおが屑に植菌して、温度と水分管理によってる菌床栽培する方法によって、年中シイタケを食べることができるようになりました。ホダ木に生えたシイタケに比べて菌床栽培のシイタケは香りが少ないため、シイタケの嫌いな人にとっては、かえって食べやすいと好評のようですが、野菜も人工管理した工場で造る時代がやって来たようです。でも太陽の光や土の香りのする野菜の方が、体には良いのかも知れません。

「シイタケの ホダ木周辺 草を刈る 気温が下がり そろそろ生える」
「最近は シイタケ年中 出回って 季節の変化 感じなくなる」
「シイタケの 独特風味 ない方が かえって若者 好まれるよう」

 

 

 

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◯パソコンの故障
今朝いつものようにパソコンの電源スイッチを入れましたが、画面が表示せずパソコンが動かなくなりました。アナログ人間ゆえトラブルに遭うまったくとお手上げです。「タブレットで応急の記事を書いています。お急ぎの方はしばらくお待ち下さいと書き込みました。

 「急ぎのメールがあるしどうしよう?」と思い、古いパソコンに電源を入れましたが、立ち上がりが遅くヤキモキしました。本当なら毎朝日課の2本のブログを書き終えている筈なのに、モタモタ、イライラが続きました。「そうだ松山の娘婿に診てもらおう」と思いつき。毎朝続けているウォーキングをキャンセルし、軽四トラックに故障したノートパソコンを積み込み、松山に向けて走りました。

 今朝は国道の交通量もそれほど混んではなく、50分ほどで道後北方の娘の家に到着しました。驚いたのは娘です。「こんなに朝早く何事?」と聞かれ、起きていた娘婿に訳を言って診てもらいました。娘婿は持参したコードを電源に差し込みスイッチを入れましたが、あれほど動かなかったパソコンがあらあら不思議、何事もなく起動し画面が出てきました。

娘婿があれこれいじってくれ、気恥ずかしくもノートパソコンを往復2時間をかけて持ち帰りました。まさに骨折り損のくたびれ儲けとはこのことでした。早速facebook記事を一本書いて、予定されていた講演をするため宇和島に向かって車を走らせました。いい一日だったのか悪い一日だったのか分からぬまま、ブログ記事を書いています。

「スイッチを 入れるも画面 出てこない 弱った弱った グリコの看板」
「とりあえず 応急処置を しなくては 6時出発 軽四トラック」
「娘婿 パソコン電源 入れてみる あらあら不思議 きっちり動く」
「朝早く 迷惑じいさん 娘家 出かけお助け 毎度のことで」

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〇「今JR下灘駅に来ています」
 先週の10月14日、講演先の西条から帰宅途中県庁に立ち寄り、打ち合わせを終えての帰り道、双海町入口の高野川に差し掛かったころ、ポケットの携帯電話バイブレーションが揺れました。路側帯に車を止めて電話に出ると、大阪に住むという男性からでした。

 「今JR下灘駅に来ています」。私「えっ?どなた?」でした。聞けば10月14日は鉄道記念日なので列車の旅を楽しもうと一人旅を続けているとのこと、最近は携帯電話が普及しているため「今シーサイド公園に来ています」なんて人も多く、その都度「お会いしたい」という要望に応えていますが、この日は夕方7時30分から別の打ち合わせ会があって、長居はできないことの了解を得て、とりあえず下灘駅へ向かいました。

 その人とは恐らく1度しか会ったことがないし、正直なところ顔など覚えていませんでしたが、聞くほどに記憶が蘇り、「ああ、あそこで・・・」と記憶がやっとつながりました。聞けばこの春65歳となり定年後再雇用の仕事を退職し、今後の生き方を見つけようと旅に出たとのことでした。よくある話でした。松山に泊まるので、あくる日また来たいとのこと、残念ながらその日も私のスケジュールは詰まっていて、出会いは重ねられませんでしたが、その日から私のパソコンに足繁くメールが入るようになりました。

「『下灘の 駅にいます』と 言われても どこの誰だか 記憶おぼろげ」
「とりあえず 駅に到着 したものの 次の集会 余り時間が」
「『もう一度 明日会いたい』と 言われたが 結局あくる日 都合がつかず」
「結局は 通りすがりの 人となる メールでやり取り 友人みたい」

 

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〇八幡浜市松蔭公民館が視察研修にやって来ました
 八幡浜市内に住む私の義姉の紹介で、松蔭公民館の一行16人が、私たちの町へ視察研修にやって来ました。中山のそば打ち道場でそば打ち体験して昼食を終えた後、12時30分に翠小学校で落ち合い、日曜日ながら釣り大会の余勢を借りて校長先生と教頭先生の案内を受け校舎の遍歴や現状を見学説明してもらいました。

校長先生のご案内で学校を見学しました
金次郎さん銅像の前にて

その後わが家近くの県道に車を止め、わが海の資料館海舟館や私設公民館を見学してもらい、妻の用意したお茶の立ち飲みお接待を受けた後軽四トラックで先走りした私は、下灘コミセン前でマイクロバスに乗り、人間牧場までの奥西回りの山道を人間牧場へ向かいました。お天気も上々だったので上の市道にからのんびりゆっくり歩いて下り、人間牧場で見学や私の説明を聞いてもらいました。

人間牧場のウッドデッキにて

 10人以上の団体さんの来訪は2か月ぶりでしたが、午後3時ころまであれこれ過ごし、下灘交差点付近で私だけ下車して一行を見送りました。シーサイド公園にもJR下灘駅にも立ち寄らぬ急ぎ足の日程でしたが、一行は予定していた午後4時過ぎに無事八幡浜へ帰り着いたようで、早速義姉からお礼のメールが届きました。午前の部は釣り大会、午後の部は視察研修と続いたため、気が付くと昼食を食べるのをすっかり忘れていました。大笑いです。

「中山から 峠を越えて やって来た 八幡浜一行 学校落ち合う」
「日曜日 ながら出勤 してもらい 木造校舎 校長説明」
「わが家にて 資料館など 見学し お茶の立ち飲み 妻お接待する」
「マイクロで 山道走り 牧場へ あれこれ説明 食べるの忘れ」

 

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