shin-1さんの日記

○選挙に出ない公約も公約

 親しいある人から先日、「若松さん、あんた選挙に出てみないか」といつものことながらお声がかかりました。そういえば合併して早くも4年近くが経つのかと、今更ながら時の流れの速さに驚いています。今年の4月にはわが市でも市長や市議会議員選挙がおこなわれる予定で、「どうやらあの人が出馬するらしい」などと下馬評の上がっている人は正月の恒例行事に顔を出すなど行動が急に騒がしくなっているようです。縁もゆかりもないのにさも100年前からの友人のように笑顔で話しかけてくる人たちを見て、思わず婚譚を垣間見るのです。

 「選挙に出ないか」という話は正直な話、これまで何度もいただきました。しかしその度に私は「選挙に出ると妻から離婚される」などとたわけた笑い話をして相手をはぐらかすのです。ある人が「選挙はイベントみたいなもので、選挙で一儲けしてやろうと思っている人にとっては無投票になると困るから、裏であおっているだけなので、信用して出てえらい目に遭った」などという話もまんざら嘘ではなさそうです。

 人間は自分の力を過信する癖があります。「選挙に出たら」と後押しされると力量もないのに、「私もそんな人物に見られているのか」と過信します。そこがボタンの掛け違えの始まりで、頭の中に首長や議員のバッチが光り、同級生や地域でちやほやされる自分の姿を描くのです。確かに実力を備え首長や議員になっている人も沢山いて、そんなまやかしに耳を貸すことなく、地域をよくするという理想に燃えて働いている人は立派としかいいようがなく、尊敬の念を持つのです。

 私に「選挙に出ないか」といった人の真意は分かりませんが、第一線を退いて既に4年、こんなロートルな男に選挙を戦う馬力も、よしんばなったとしてもまちのために働く活力などはもうないのです。それよりも私にはそれほどの価値もないと自認してしているののです。


 私が政治という社会に魅力を感じないのは、政治の裏を見てきたからかも知れません。全てではありませんが政治には二重人格的なところがあります。一方では本当のことをいいながら、一方では嘘をつかねばならないのです。その人を嫌いだと思っても、少なくとも選挙期間中は好きだと言わなければならないし、できもしない公約をいっぱい並べねば当選もしないため、嘘の上塗りをするのです。4年後にその公約を全てやったと自分が認めていても、周りは冷めた目で公約違反と思っているのです。その証拠に最近は投票率50パーセントなんてザラの選挙区が多いのです。つまり二人に一人は政治や選挙に失望し、それを無視しているのです。かつて選挙権を勝ち得るために血や汗まで流して戦った先人の努力も今や地に落ちているのです。

 私は選挙に出ないことを公約にして生きてきましたが、私たちに代わるいい人を後押ししたり選ぶ努力だけはしなければなりません。でないとオバマアメリカ大統領の言う市民としての責任は果たせないのですから、いい市民となるようこれからも一市民として活動を続けてゆきたいと思っています。


  「妻が言う 選挙に出たら 離婚する だから出ないと これも公約」

  「公約を 変換したら 膏薬と まるで貼ったり 剥がれたりする」

  「私など 何の値打も ないのです 力わきまえ 誘いに乗るな」

  「わが家系 政治家もなく ホッとする 選挙の度に 一憂もなし」

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shin-1さんの日記

○九死に一生を得る

 「生者必滅会者定離」「人間の死亡率は限りなく100%」といわれるように、生あるものは必ず滅び、人間も必ず一度は死ぬことになっているのです。だからといって、せっかく両親からいただいた尊い命を粗末にすることはもってのほかで、自分で命を絶たない限り、天命まで生き続けれるのですから、もっと生きることの喜びを感じながら生きてほしいと思うのです。日本人の自殺者が年間3万人になったといって驚いたのはそんなに遠いことではありません。しかし最近は10年間はコンスタントに3万人を超えている統計を見ると、日本もアメリカのように悩みの深い社会になっていることは確かなようです。人間の生き方には社会が鏡のようになっていて、雪深く冬の長い北日本、しかも裏日本といわれる日本海側に自殺者が多いのも、また世の中が不景気になれば生きる希望を失った人たちが自殺を図るのも、そのせいだと思わなければなりません。自殺者3万人という数字は統計になって現れますが、自殺未遂や自殺願望者の数はこの数字の10倍、つまり30万人とも言われているのですから驚きです。

 最近ネットで人を誹謗中傷する事件が警察によって摘発されました。ネットの匿名性をいいことに、電子文字による脅迫や殺人予告をするのです。する方は面白半分やっているのでしょうが、された方はたまったものではありません。まさに現代社会が生んだ悲劇なのです。日本の道徳に「陰徳」という言葉があります。人の見ないところで徳を積むことの大切さ諭す言葉ですが、現代は人の見てないところで間違った「隠匿」を行っているのです。

 今の世の中ネットなしでは考えられないくらい普及発展しています。私のように学校でパソコンを習っていない人間には住みにくい世の中となりました。そんな時代遅れの私でも、毎日の日課としてパソコンを開けてメールをやり取りし、ブログ記事を朝晩二本書いて配信するのです。パソコンやネットが危ないのだったら見ないが一番と、パソコンをやらない人はパソコンを使う人を笑っていますが、人間の発明した道具はすべからくそうで、包丁さなければ怪我もしないし、火さえなければ火事も起こらないのですが、人間はそれらを道具として使いより良く生きているのです。

 死のうと思ったとき、誰かに助けられたという実話をよく聞きますが、これはまさに「九死に一生を得た」話です。私は自分で死のうと思ったことは64年間の半生においてまだ一度もありません。ただ「死ぬかも知れない」と思ったことは何度かありました。高校生の時、宇和島水産高校の練習船愛媛丸に乗ってオーストラリア近くの珊瑚海までマグロを獲りに行きました。マグロを腹いっぱい抱えた帰りの船が伊豆半島沖に差し掛かった折、冬としては珍しい980ミリバールの低気圧の中に入ってしまい、船長さんは私たち実習生に「死ぬかも知れない」と死の宣告をしました。実習生の狼狽は計り知れず大混乱になりましたが、低気圧が二つに分かれて脱出しひん死の思いで日本へ帰ってきました。台風一過の荒れ狂う水平線の彼方に富士山の姿を見た時の感動は今でも忘れることはできず、まさに「九死に一生を得た」私の生の原点となったのです。死ぬのはいつでも死ねるが生きることは難しい、でもつらいことはあっても生きることは楽しいと、今年も高校生の前で命を大切にするよう話をさせてもらいました。


  「死にたいと 言う人多く その度に 九死一生 経験話す」

  「世の中は 暗い話が 多過ぎる もっと楽しい ことを話そう」

  「もし俺が あの時死んで いたならば こんな楽しい ことも知らずに」

  「死の淵を さまよい生きた 人話す 生きていたなら 神は見捨てず」

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shin-1さんの日記

○久しぶりの大家族

 昨日今日は長女の家族4人、長男の家族3人、それに次男がわが家にやって来て、大賑わいの一日となりました。ありったけの布団を出し、どの部屋もまるでタコ部屋のように蒲団が敷きつめられ、この家の主たる私たち夫婦は隅の方で寝ているような感じです。子どもたちは朝が早く、私が起床する午前4時にはさすがにまだ起きてはいないのですが、午前6時前に起きては動きだし、朝から泣いたりわめいたりの1歳半の孫二人が殆ど主役の座を占めて、食事も孫二人を中心に行うのです。このブログでこれまで主役だった孫朋樹は早いもので6歳になり、4月からはいよいよピカピカの一年生なのですが、残念ながら二人の孫にお株を奪われてしまっているようです。

 それでも子どもの鳴き声が聞こえる家とはいいもので、どこか活気があって、私たちが若い頃はこんな風だったと、妻と二人で過ぎし日を述懐しました。それでも私はまだ孫を遊んでやる程度ですからまだしも、妻は4~5日前から布団を干したり掃除をしたり、また食料を調達したりと、土曜日や日曜日で休むはずの休日が骨が折れて、今晩も少し肩が凝ったといいながら二階のマッサージ器で揉んでいたようです。まあ今日はこれから風呂に入った後、マッサージのサービスでもしてやろうかと思っているのです。

 わが家の長男は設計の仕事をしています。ゆえに今は松山に住んでいますが、そろそろ同居をと昨年真剣に親子で話し、家の増改築まで考えていました。ところが長男の嫁に二人目の赤ちゃんが生まれることが分かり、その話は当分お預けといった感じになってしまいました。両方とを忘れたわけではありませんが、ことその5月に赤ちゃんが生まれれば、当分子育てのために、今のマンションに住むことになるのでしょう。

 妻の心配は、二世代同居になった時の住み分けです。お互いが不可侵の原則を貫きながらも、孫の面倒も見なければならず、嫁に来た時の気苦労を思うと手放しでは喜べず、年齢とともに衰えを感じている気力と体力がどこまで維持できるかということです。

 91歳になる親父は孫にあたる長男家族が帰る日を、折に触れ楽しみにしていることを口にして、「わしが元気なうちに帰って欲しい」というのです。どっちの言い分ももっともな話で、中に入った私と長男がそろそろ覚悟を決めて話さなければならないと思っているのです。幸い長男の嫁は同居に賛成をしていて、子育ての方針さえ決まれば問題は解決するのです。

 久しぶりに帰ってきた次男に「もうそろそろ」と結婚のことを投げかけてみました。次男は今年34歳になります。日赤の看護師をしていますが、女性の職場の真っただ中にいるだけに、女性に対して恐れをなしているのではないかと思ったりもしていますが、警察官をしている三男も30歳の大台に乗ったことでもあるので、親の気持ちとしては早く身を固めてほしいと願っています。

 世の中は中々思ったように順風漫歩で進むものではありません。心配の種は幾つになってもあるもので、退職して早4年が来ようとしているのに一向に悩みは尽きないのです。それでも世の中不景気だといいながら、家族みんな息災で元気に働いているようなので、ひとまず安心をしているところです。

 老いの道が少し気になり始める年ごろとなりました。同年代の人に出会う度に、年金のこと、孫のこと、自分の老後のこと、働く場所がないこと、病気のことなどなど、呑み会でも風呂屋でも、また同級会でもそんな話しか話題に上らなくなりつつあります。ふと気がつくとその端の方に自分の姿が垣間見えるのです。これが世の中、人生かと思う今日この頃です。


  「会う度に 年金病気 孫のこと 耳にするから 俺も歳かな」

  「孫が来た 孫が帰った 二日間 鳴き声聞こえ 疲労困憊」

  「大好きと キッスサービス 孫二人 ハナとヨダレが べっとりついて」

  「疲れたね 妻の言葉に 俺同調 マッサージする 妻のやわ肌」 

  

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shin-1さんの日記

○大和ミュージアムを訪ねて

 昨日は広島県呉市大和ミュージアムで広島広域都市圏形成懇談会主催のフォーラムがあり、早朝より出かけました。立春を過ぎたとはいえ、まだ冬真っただ中のはずなのに、昨日はポカポカ陽気で瀬戸内の海も穏やかに凪いで、松山観光港から約1時間の高速船の船旅は、眠気を催すほど快適でした。

 普通は二便に一便の割合で広島宇品港までの途中寄港地ながら、殆ど降りることもなく通過する呉港ですが、昨日は数少ない昇降客と一緒に呉の港に降り立ちました。港には恐縮ながら主催者の皆さんがお出迎えをしていただき、早速DVDの入力状況や出力タイミングなど簡単な打ち合わせを行い、念願の大和ミュージアムを見学させていただきました。

若松進一ブログ (カメラを忘れたため、いただいたパンフレットより展示されてる戦艦大和の雄姿を転載)

 一度は訪ねたいと思っていた施設なのに、中々機会に恵まれていませんでしたが、念願かなっての見学です。しかし残念なことにデジカメを忘れて出かけたため、その全容と感想は紹介できず終いになりそうです。大和ミュージアムは開館以来大変な人気で、年間100万人を超える入場者があるそうす。昨日は土曜日といいながらかなりの人が見学に訪れていました。ボランティアガイドさんの案内でそれぞれのブースを見学しましたが、圧巻は一階に展示している2億円をかけて製作したという戦艦大和の10分の1の模型です。これはド迫力で度肝を抜かれました。戦争という比較的近代の、しかも日本中が巻き込まれた多くの悲劇を、平和への願いを込めて展示している内容は、いつまで見ても、いつまで聞いても飽きないほどの充実ぶりで、もう一度ゆっくりと見学したいと思いながら、駆け足で話を聞きました。

 フォーラムは講演・発表・対話の三本立てで、私の仕事は「すすめよう 協働のまちづくり」というテーマでの講演と、発表に対しるコメントそれに対話への対応でした。午後の5時までびっちり集会に絡みましたが、協働のまちづくりを①ローカルコミュニティ(住んでいる地域を住んでいる人が協働で自立的に守る)⇒求心力のまちづくり⇒虫の目的なまちづくり、②テーマコミュニティ(住んでいる地域と住んでいる地域が共通のテーマのもと協働でネットワーク的に守る)⇒遠心力的まちづくり⇒鳥の目的なまちづくりとの視点で、主にテーマコミュニティについて話しました。

 地域振興、産業振興、観光振興、森林・河川・海の保全、福祉に充実、教育文化の振興などなど、人々の暮らしの広域化の中で、広域行政と協働のまちづくりはこれから益々大切なテーマになって来るものと思われます。平成の大合併で市町村域が拡大し、市町村の中でのネットワーク、近隣市町村とのネットワークなどテーマコミュニティにおける協働のまちづくりは、どこかがしっかりとシグナルを出ししかけてゆかねば他人事となってしまう恐れがあるのです。そのためには何といってもそれぞれが地域が個性を発揮して輝かなければならないのです。

 ①フォレストサポートクラブ、②田舎暮らしを楽しむ会、③くれシェンドの発表は中々のものでした。また対話集会も1時間の時間が短すぎるほど参加者から沢山の意見が出ました。私にとっては初めて聞くような話もあってとてもいい活動が広域圏の水面下で行われているようで頼もしく思いました。

 どの町でも港周辺は何となくさびれを感じるものですが、呉は港周辺に大和ミュージアムという拠点施設ができたお陰で、随分活性化しているように見えます。過去には戦争という歴史の中心地だっただけに、イデオロギーの問題もあってどちらかというと沈黙を続けなければならない運命にあったようです。でも今こそ平和の祈りをこめて戦争の愚かさを後世に伝える大切な役割を果たして行かなければならないと思うのです。

 「広島広域都市圏まちづくりフォーラムin呉」に参加して、これからの協働によるづくりを考えさせられたことに加え、昨日は64歳という私の歳がそうするのか、戦争や戦後について考えさせられた充実した1日でした。


  「訪ねたい 念願かない ミュージアム 戦艦大和 さすがにでかい」

  「戦争は 愚かなことと 語り継ぐ ガイドの声が あちこち交差」  

  「目頭を 押さえたたずむ 老婆あり 人生重ね 感極まりて」

  「名を聞けば 大和魂 浮かぶ俺 戦争語る こともできずに」


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shin-1さんの日記

○残りものに福がある

 仲間と時々飲み会をします。飲み会といっても昔のように二次会三次会と回を重ねて、浴びるほど飲んだ昔とはまったく別人のように、酒を全く飲まずウーロン茶で付き合うのです。最近そのウーロン茶に疑問が生じてきました。というのもウーロン茶を飲んだ明くる日はどこかお腹の調子がしっくりしないのです。料理を食べながらウーロン茶を飲むのですが、他の人のビールの進み具合に習って相手がウーロン茶を進めてくれるのをいい気になって飲んでいました。しかしウーロン茶を三杯も飲むと腹が張ってくるのです。ある人が自動販売機で販売しているお茶などはどんなものかよく分からないので飲まない方がいいというので、それ以来ウーロン茶は少しにして、熱い日本茶をいただくようにしているのです。熱い日本茶はいくら飲んでもタダですからこのくらいの貢献はないのです。会費制だからそこまで気を使うことはありませんが、それでも温かい日本茶はやはり食事を引き立たせてくれるようです。

 先日の夕方誘われた地元の飲み会に参加しました。前約の打ち合わせがあってかなり遅れての参加になりましたが、みんなが最高に盛り上がっているころ座敷に入るとまるで主役のように大きな拍手で迎えていただきました。「残りものに福がある」と感じましたが、残りものに福はこればかりではありませんでした。皆さんはお酒が進んで、次々に出てくる料理の美味しい部分はほとんど手つかずの状態で、遅く来たのだから食べろ食べろとアワビやウニの乗った刺身や並みでない上のお寿司が私の前に運ばれて、結局食べ切れなし分は折箱に詰められ、持ち帰りの残りものに福となったのです。

 こればかりはではありません。この日は福引がありました。私が行く前に福引は既に終わっていましたが、どういう訳か一番上等なクジが残っていて、それが私に当たってしまいました。幹事さんがあいさつで「残り物には福がある」という言葉を喋りながらその景品を渡してくれたのです。私もお返しのあいさつで「残り物には福がある」という話をしました。時間に遅れて行ったばかりに「残り物には福がある」に出会った嬉しい一日でした。

 私たちはややもすると残りものに対するイメージを悪くとらえる風潮があります。良く妻と二人で話すのですが、結婚も早婚でいい人を探そうとする人もいますが、晩婚でもいい人と巡り合う人はいくらでもいます。私がその例で、私26歳、妻25歳で結婚しました。当時はそんなに早くもなく遅くもない結婚風潮年齢でしたが、妻の場合は25歳と少し晩婚意識があったようです。でも私は残りものといえば妻に失礼ですが、まあブログですから大目に見てください。残りものの妻と結婚し福を引き当てたのです。おノロケではなく本当にそう思うのです。これもブログでのおノロケです(笑い)。

 さてさて私たち夫婦の人生も21年刻みの日時計で行くと、いよいよ4クォーターめに入ってきました。これまでの3クォーターはどちらかというと苦労の多いものでしたが、せめてこれから残りの人生は「残り物に福がある」人生で会って欲しいものだと妻と夜な夜な話すのです。


  「残り物 ついつい悪く 思うもの 意外や意外 福が残りて」

  「ひょっとして 妻も残りか? 思うだけ 残り物には 福があったよ」

  「妻が言う あなたも残り? いや違う 俺はお前に 選ばれし福」

  「残りもの 同士で夫婦 なりにけり 福と福とで 今は幸せ」

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shin-1さんの日記

○間違ったキーで水平線の家のカギは開かない

 わが家には幾つかのカギがあります。乗用車、単車、軽四トラック、自転車など車のキー、家の玄関や勝手口のキーなどに加え、人間牧場のキーや大学研究室のキーなど様々です。その殆どのキーは忘れたり紛失したときを想定してスペアのキーを作っているのです。ですからどれがどれのキーか確認しないととんでもない間違いを起こしてしまうのです。自分の名前とまではいきません、今日は何曜日で何日だったか忘れるような年代になると、このキーをいちいち覚えることは至難の業なのです。そのため妻は玄関の一番見えやすい場所に吊り下げてくれているのですが、時々へまをやる時があります。車に乗ってエンジンをかけようとするとキーが入らないのです。よくよく見れば乗用車の鍵で軽四トラックに乗ろうとしたりすることがあります。家の敷地内ですから玄関に入り別のキーを持ち出せば間違ってもリスクはそんなに高くないのです。ところがてっきり人間牧場のキーだと思って出かけて、約10キロも離れた場所でキーの間違いに気づくとこれはもう最悪で、泣きたくなるような事態になるのです。もう一度引き返してキーを取り帰ると有に1時間はかかるのです。

 そんな間違いを昨日やってしまいました。人間牧場を訪ねた昨日、いつものように軽やかな気持ちで山道を登って行きました。昨日は天気も良く、大河内さんからリクエストなあった習いたての「しあわせのうた」を口ずさみながら、咲き始めた椿の花のトンネルを楽しみ、やっと到着です。車のエンジンを止め急な坂道ゆえにサイドブレーキとギアをエンジンブレーキがかかるようにして降りました。やがてポケットからキーを取り出して玄関の鍵を開けようとするのですが、ポケットから取り出したキーはまったく違ったものなのです。顔から血の気が引くのを覚えましたが既に後の祭りです。どうしようか思案しましたが、後の予定もあるので引き返す時間的余裕はなく、右往左往です。つくづく自分の未熟さや確認の甘さが嫌になりながらも、そこら辺をウロウロしていて、ハッと気が付きました。このようなことがあることを予想して、スペアーキーをどこかに置いていたことを思い出しました。というのも水平線の家を建築した当時、大工さんが完成間近な頃、大工仕事の度にキーを取りに来ることもできず、大工さんと私の約束である場所にスペアーキーを隠していたのです。でももう三年半も前の出来事ですから、多分その場所のキーは息子用に渡しているだろうと半信半疑でした。

 ところがどうでしょう。その場所には3年半も前に置いていたキーがちゃんと置いてあるではありませんか。まさにラッ・キーとはこのことです。嬉しくなって水平線の家の鍵をあけましたがばっちしでした。カギは本来そんな墓所に置いておくためのものではないのですが、幸か不幸か今回は幸運を得ました。泥棒はそんな鍵のありかを探すのだそうですが、もう二度とこんな間違いをしないことを自分に言い聞かせ、そのキーは私のポケットに収まり、3年半ぶりにわが家へ帰ってきました。

 家を出る時に必ず携帯電は持っただろうかとポケットを確認し、腕時計は、財布は、免許証と名刺れは、ハンカチは、などなど毎日やっても携帯電話を忘れて途中で引き返したりする慌て者です。その度に妻に注意され、その度に妻をあきれさせて笑われるのです。

 ブログでその醜態を告白しましたが、これからは沢山ある話がyのキーの中から間違わないように目的のキーを取り出したいと思いました。


  「あれ?変だ 鍵が開かない 間違った ドジな自分に ホトホト嫌気」

  「ちょっと待て 三年半も 前だけど 大工と俺の 隠せしキー出る」

  「ああ俺も やはりぼけたか 歳のせい? 確認もせず 別のキー持ち」

  「多過ぎる わが家の鍵の 置場所に 新たなカギが 一つ加わる」 

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shin-1さんの日記

○春はそこまで

 風邪をひいた年末年始は、「今年の冬は寒い」と思ってたのに、このところの温かさをマスコミは一斉に「温暖化の影響」だと騒いでいます。またスギ花粉も飛び出して花粉症にご用心や、インフルエンザにご用心などと、相変わらず訳の分からぬお天気談義が続いているようです。

若松進一ブログ(松山から25キロ、歩いて到着した中学生)

 それにしても今日は穏やかな日和でした。立春が過ぎるとこんなにも春の足音が早いのか?と思わせるような陽気です。愛媛県では立春前後、中学2年生を対象に各学校で少年式という、全国的には珍しい行事が組まれています。中学2年生といえば昔の元服の年齢と同じだそうで、元服の誓いである「自覚」「健康」「立志」の三本柱を掲げて様々な催しをするのです。私が今日訪ねた国立大洲青少年交流の家には、内子中学の生徒が歩いてきていましたし、帰って訪ねたシーサイド公園には松山南中学校の生徒が25キロも歩いてやってきていました。中にはPTAの役員でしょうか府警の顔もちらほら見えて微笑ましく感じました。


 私は国立青少年交流の家での打ち合わせの前に新任の所長さんや次長さん、それに児玉係長さんを交えて昼食を御馳走になりました。いつものことながらこの施設での食事はバイキング方式で、発足当時の青年の家だった頃には考えられないような充実したメニューで、カレーや日本そばまでいただいて、満腹になりました。打ち合わせが終わり早々にお暇した帰り、大洲のホームセンターに立ち寄り、コンクリートブロックを9枚買い求めました。田舎のオープンカーで出かけていたので、後ろの荷台に積んで帰りました。このブロックは山奥組の井上さんが11日の年輪塾オープンセミナーに先立って、蜂の分家をしてくれるためのものです。多分このブロックを敷いた上に蜂の巣箱を置くのでしょうが、詳しいことは分からないのです。とりあえず指示通りにブロックを用意したので、今年は人間牧場での蜜蜂飼いプロジェクトがスタートします。上手くできるといいのですが・・・。

若松進一ブログ(自然に温度が上がっている腐葉土づくりの苗床)

 帰り道人間牧場へ上がりました。二日前に覆いを被せた腐葉土づくりも、春の陽気に誘われて熱気ムンムンの状態がビニールの上から見えて、少しだけ安心をしています。この分だと遅れを取り戻して昨年と同じ頃には芋を苗床に伏せれるかも知れません。

若松進一ブログ(出来上がった年輪塾の名札)

 昨日市役所の米井さんに頼んで書いてもらっていた年輪塾塾生の名札に穴をあけ吊り下げました。前期のものは叔父に頼んで書いてもらっていたため多少釣り合いがとれませんが、新しくメンバーに加わった方々の名前が加わり急に賑やかになったようです。塾生は塾長の私と塾頭の清水さんを加えて11人になりました。まだ塾生になりたいという希望者が何人かいるので、そのうち塾生の人数も増えることでしょう。

 今月11日に開催予定のセミナーは塾頭の清水さんと小番頭の松本さんが中心になって準備を進めています。10年間で40回の塾を開いたフロンティア塾以来の開塾です。定員25人に対し直ぐに申込みが満杯になったと松本さんから連絡がありました。

 今日は迎える準備として少しばかり掃除をしておこうと、掃除機を取り出して掃除をしました。窓を全開して春の空気を入れましたが、こんな天気であって欲しいと、11日の天気を祈りました。

  「天気だと 温暖化かも 大騒ぎ インフルエンザ 何処へ行ったの」

  「ブロックを 九枚用意と メール来て 蜂の分家に 期待集まる」

  「墨字書く 名札穴あけ 吊り下げる 開塾準備 万端整う」

  「立春を 期して誓いの 少年が 二十五キロも 歩いてゴール」

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shin-1さんの日記

今治市の旧大西町に住む大河内さんからメールで、「来週人間牧場で開催される年輪塾のセミナーで、ハーモニカを吹いてほしい」とリクエストがありました。お粗末で下手糞ながらハーモニ家を自認する私としては、リクエストに応えなければならず、「どんな歌が所望ですか」とメールのやり取りをしました。その中に「しあわせのうた」というのがありました。私はこのリクエストを聞いててっきり「♭幸せはおいらの願い~」とかつて青年団時代に大声をあげみんなで肩を組みながら歌った労働歌かと思いました。また別の「幸せの歌」をも思い出し、運よく通じた携帯電話で確かめたところ、「しあわせのうた」ではない「しあわせのうた」とこんがらがってしまいました。何度か話すうちに「ああ、あのしわわせのうたか」と「芹洋子」という歌手の名前で二人の意見が一致したのです。

(歌詞掲載不可のため割愛)

 インターネットで検索し、上記のような歌詞は確保しましたが、はてさて私はこの歌を正直言って知っていても、口ずさむ程度で歌ったことがないのです。私の場合楽譜があっても読めないため、体感音楽で声を出して歌えないとこの歌は歌えないのです。妻に聞いても聞いたことはあるが歌えないというし、八方ふさがりです。仕方ないから正直に「知らない」と言えばいいのでしょうが、せっかく楽しみにしているのですから何とかしようと思いつつ、書斎で木になるカバンの中からハーモニカを取り出し吹いてみましたが、正直自信のない音でした。練習する時間もないのでまあ何とかなるだろうと、いつものポジティブな考えが閃き、外出してしまいました。

 私たちは何かにつけて「知ってるつもり」で日々を暮らしています。歌もその通りで「知ってるつもり」で口ずさんでいますが、歌ったり演奏したりとなると中々上手くできないものです。「心に太陽を、唇に歌を」といわれるように生きたいものです。

 昨日、今月中旬に講演に行く予定の北海道美幌町から電話がかかってきました。タダ今氷点下15度だそうで、網走ではやっと流氷が接岸したそうです。北に住む人が羨ましいと思わず、南や西に住んでいる私が幸せだと、この歌を口ずさみながら思いました。

 「西に住む 私幸せ 花の咲く 町でポカポカ 来る春を待つ」

  「西に住む 私幸せ 今日もまた 綺麗な夕日 見送りできる」

  「西に住む 私幸せ 海の幸 山の幸食べ のんびり過ごす」

  「西に住む 私幸せ 家族みんなで 笑って暮らす」

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shin-1さんの日記

○車窓から垣間見える社会

 車を運転していて、交差点で信号赤の指示に従って止まります。前の車の様子は余り見えませんが、バックミラーから見える後ろの車と、横の車線に並んで止まった車にはついつい目が行くものです。特にそれらの車の運転をしている人が女性だったら、余計気になって見て見ぬふりをしてさりげなく見るものです。やはり私は男だから異性に興味があるのかもしれません。今朝も松山市内の交差点で一人はメールする人、一人はお化粧する人、もう一人は煙草を吹かす人の姿を見ました。

 運転しながら携帯電話をすることは道路交通法違反ですから絶対してはなりません。かくいう私も止むにやまれぬ用件が入り携帯電話に出た瞬間、後ろからパトカーのサイレンが鳴り捕まった経験があるだけに、今は現に謹んでいるところなのですが、電話どころかメールを打ち続けているのです。信号が青になって他の車は発進したのに、そのことにも気付かず、ついにはブーイングのクラクションを鳴らされ初めてそのことにkがついたようです。最近は歩きながら携帯メール、自転車に乗りながら携帯メール、講演を聞きながら携帯メールなどなど、特に若い人たちに多いようです。音楽を聴きながら勉強することができる「ながら族」にとっては、当たり前のことかもしれませんが、私たちのような一極集中しかできない古い人間には、携帯電話をかけながら運転することなどもっての外だと深く深く反省しながらその女性の姿を見ました。

 車のバックミラーにお化粧する女性が写りました。その人は運転しながら片手に口紅を持っていました。やがて車が止まると、まるで唐辛子のような真っ赤な口紅を塗っていました。最近の若い人は人の前だろうが電車の中だろうが平気でお化粧をします。普通お化粧は人知れずするものとばかり思っていましたが、ひどい人は人の前で小道具を取り出しつけまつげまでつけるのですから驚きです。ある時電車の中で口紅をつけていて電車が大きく揺れ、口紅が唇どころか顔に大きくはみ出した姿を見て思わずくすくす笑いをしたことを思い出しました。朝寝坊をしてお化粧する暇もなく勤めに行く女性にとって車の中は化粧室なのかもしれませんが、せめてつけるのだったらつけまつげくらいは自分の家でつけて外出してほしいと思うのです。つけまつげのできそこないはまるでたわしのようで、興ざめするのです。

 若い女性のたばこを吸う姿も最近はよく見かけるようになりました。「タバコは百害あって一利なし」と言われるように、タクシーも駅のホームだって間接喫煙の害があるということで、禁煙の場所は次第に広がりを見せています。タバコを吸うことは20歳以上になれば別にどうこう言うことはなく個人の自由ですし、自家用車の車内で吸うことも別に悪いことではありません。しかし子どもを産み育てる若い女性だけは止めた方がいいのにと思うのは間違った考えでしょうか。目鼻立ちもよく好きそうな女性が、格好よく煙草を吹かす姿は映画に出てくるシーンとよく似ています。でもそこらへんの田舎の娘がいくら気取って煙草を横食わえにしていても、余り魅力は感じないものです。車の窓から見える女性の人間模様も中々楽しいものだと思いました。おっと、よそ見せず前を向いてしっかりと運転してください。若松進一さん。

  「ふと見れば 隣の女性 スパスパと タバコ吸ってる 顔はいいのに」

  「あの人も 車の中は 化粧室 口紅赤く 唐辛子のよう」

  「メール打つ 信号青に なりました クラクション音 そのこと気付く」

  「色々な ことを窓から 垣間見る 人はどこかで 人を見ている」

 

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