人間牧場

〇花の咲く季節
 春が来ると家の庭や近所の人の庭、それに道端に色とりどりの花が咲いて目を楽しませてくれています。私は花が大好きですが忙しくてそれほど花の世話は出来ず、むしろ家の周りの花づくりは妻の役目です。

 それでも自分が植えたか僕は覚えていて、花の時期が来ると思い出しています。その中でも気に入っている花はヤマブキとオオデマリです。ヤマブキは鮮やかなヤマブキ色で、同じ黄色でも菜の花とは違った色合いをしています。

 一方オオデマリは白花系とピンク系それにグリーン系があるようですが、わが家のオオデマリはグリーン系で、近所の人に一枝貰ったのを挿し木して育てたのが大きくなったもので、グリーン系の花は珍しいので毎年花が咲くのを楽しみにしています。

 昨日畑の隅でアザミの花を見つけました。まだそれほど花は開いていませんが、葉っぱがトゲだらけなため、やがて草刈り機の餌食となって刈り取られてしまいます。野趣たっぷりのアザミの花も私の大好きな花の一つです。

「家の庭 ヤマブキ色の 花が咲き 春が来たよと 言ってるようだ」
「オオデマリ 深い草色 珍しく 大好きな花 挿し木で育て」
「トゲがある ゆえにやがては 草刈り機 刈られてしまう 悲しき運命」
「冬を越し 一生懸命 咲いた花 愛でてやらねば 可愛そうです」

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人間牧場

〇お坊さん人形との出会い
  一昨年久万高原町で開かれた四国へんろ道文化世界遺産化の会のフォーラムにパネラーとして招かれた折、ひょんなことから人形作家林さとみさんという女性に逢いました。その後林さんと写真家の展覧会があるというので、妻を誘い久万高原町まで見学に行きました。その折妻は受付でお坊さんの人形を1体買い求めて持ち帰り、お守りにしてはどうかと私にくれました。

 その後そのお坊さん人形は私の机の上に置かれ、朝晩手に持ったり撫でたりしながら、その何ともユーモラスな姿に癒され一年が過ぎました。今年の3月18日同じフォーラムが同じ久万高原町で開かれ、博学でもない私に実行委員長の渡辺浩二さんから再びオファーがかかり、断り切れず再登板となりました。

 何を話そうか悩みましたが、林さんの作ったお坊さん人形のことを話そうと人形の写真をタブレット内蔵のカメラで撮り、パワーポイントに取り込んで当日を迎えました。てっきり林さんも来るだろうと思った私の作戦は見事に外れ、林さんは現れませんでした。仕方なく参加者にお坊さん人形の写真を見せて話しましたが、あああああああああああああああでした。

 もし許せるならこのお坊さん人形を使って、来年は違ったアプローチをしたいと、思い始めています。そのためには林さんに人間牧場や海の資料館、それにゲストハウス煙会所へ来てもらわなければなりません。面白い物語ができそうです。

 

 

 

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人間牧場

〇舞たうん151号 
 えひめ地域活力創造センターの発行している「舞たうん」という雑誌に、「特選ブログshin-1さんの日記」という連載記事を書いています。今回151号でVol.58号になる、私にとっては超ロングセラーの連載です。

 今号の特集テーマは「学生が地域を変える~地域の活力づくりの新しい形~」でした。私の今回のテーマは「子どもや学生も地域を変える新しい戦力である」ことについて書きました。この号には双海町ジュニアリーダー会代表の二宮莉穂さんも寄稿していて、相談した訳ではありませんが、違った角度から書くことができました。

JR下灘駅をバックに世にも珍しい23人のテープカット

 私は原稿を早書きする癖があって、いつも締め切りより早く提出し、校正の段階で23人がテープカットした写真を入れてもらうよう、写真を送付していましたが、一昨日送られてきた印刷物にはその写真が入っておらず、少し残念な気もしますが、印刷物は一度発行すると修正が効かず、後の祭りとなってしまったので、この記事にその写真を添付しておきます。

「記事書いた 校正終わった 添付した 写真掲載 何故かスルーし」
「印刷の 終わった物は 修正が 効かぬ残念 諦めましょう」
「この写真 23人揃い踏み テープカットの 珍しスナップ」
「これからは 念には念を 入れなけりゃ 肝に銘じて これにて落着」

 

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人間牧場

〇どうやら花粉症のようです
 家庭菜園のに植えていた冬野菜の大根や白菜、カブにトウが立ち、菜の花が咲いたため、引き抜いて処分をしました。その折菜の花の花粉が衣服に着いたからでしょうか、この4~5日鼻水が出始め柔らかいティシュのお世話になり始めました。

それは花粉症だと家族も医者もみんなが言います

 妻や若嫁に話すと「それは花粉症だと思うので病院に行った方がいい」と勧めてくれました。一昨日野金曜日早速歩いて5分の場所にあるたけます診療所に出かけました。受付にいた患者さんは午前9時過ぎだというのに私一人でした。

やがて診察室に入るよう案内されてノックして入ると、馴染みの先生が「どうされましたか?」と症状を聞かれました。少し大げさな表現で、私「鼻水がゾロゾロ出ます」と言うと、医師「花粉症の症状ですね。薬を出します。何日分がいいですか?」。私「とりあえず1週間分」、医師「はいご苦労様」でした。

 問診だけで「花粉症」という病名をつけて、薬を処方され、受付でお金を払って隣の薬局へ処方箋を持って行き、お薬をいただいて帰りました。朝夕食後2回言われた通り薬を飲んでいますが、一緒に貰った鼻スプレーの使い方が分からず、散歩のつもりで薬局に出かけ使い方を教ええてもらい、自宅で処置をしています。薬が効き始めたのでしょうか、幾分鼻水も収まりつつあるようです。嘆かわしい春先です。

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人間牧場

〇煙会所での飲み会
 昨日わが家の私設公民館煙会所に子ども教室の関係者が集まり、13日の実行委員会に提案する今年度の事業計画について検討会を行いました。主目的は検討会でしたが、この3月末で退任した森田館長の送別会、4月から後任になった奥村公民館長の歓迎会、それにジュニアリーダー会が進めているベンチ製作ですっかりお世話になった北風建設の社長の慰労会、それに社会教育課へ異動になった隅田さんの歓迎会と、あれこれをまとめての飲み会でした。

 この3年間新型コロナの感染拡大で飲み会を伴った交流会が自粛されていましたが、間もなくコロナが1類から5類に引き下げられる予定なので、まさに久しぶりの楽しい飲み会となりました。私は子ども教室の実行委員長をしているので、快く私設公民館煙会所を場所として提供し、酒を呑まない私が氷を買って発泡スチロールでビールを冷やして準備したり、いつものことながら妻に頼んでおでんを炊いてもらいました。10日ほど前首を切ってトウが立つのを防いでいた大根を畑から引き抜いて使いましたが、鍋の底が見えるほどみんなに喜んで食べてもらいました。

 人を迎える準備は何かと大変です。部屋の内外、それにトイレまで綺麗に掃除をしました。また倉庫から木炭を出して炭箱に入れて囲炉裏で火を起こしました。慣れているのでどおってことはありませんが、3時間余りの間は炭を火の中へ足し続けなければなりません。またお開きになった後の片付けも、火事にならぬよう日の始末には特に気をつけ、お客さんが帰った後の片付けや掃除もしっかり行いました。楽しい一夜でした。

「酒の席 久しぶりだと 思いつつ 一人であれこれ 準備おさおさ」
「おでんでも 作ろう妻が 言ってくれ 役割分担 10人分を」
「飲むほどに 饒舌になる 仲間たち 昔私も あんな時代が」
「アルコール ゼロのビールで 気分だけ 酔った気持ちで 仲間に入る」

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人間牧場

〇今年の桜の花の記憶の記録(その2)
ランダムに、綺麗かった潮風ふれあい公園の今年の桜の写真をアップしてみました。

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人間牧場

〇桜の花見途中に目に留まった標柱
これまで穏やかな日々が続いていたのに、昨日の昼頃から低気圧や前線の影響で春の嵐が吹き荒れ、せっかく「今年の桜は殊の外綺麗」とみんなが褒めていたのに、桜吹雪が舞って残念ながら散ってしまいました。

私たち夫婦は一昨日週間天気であらしが吹くことを予想して、潮風ふれあい公園へ見納めの桜を見に出かけました。先日とっておきのその写真を私のfacebookにアップしたところ、沢山のお褒めの書き込みがありました。恐らくその時の花の咲き具合以上に満開で、穴場を知ってる多くの人が満開の桜を見て堪能していました。

 のんびりゆっくり潮風ふれあい公園を歩いていると、藤棚近くで一本の標柱が目に留まりました。この標柱は私が実行委員長をしている子ども教室の、通学合宿夕焼け村が20周年を迎えたのを機に、タイムカプセルを埋めた在処を示す標柱なのです。

 はてさて掘り起こす予定の2029年まで私は元気で生きているだろうか?と、指折り数えてみました。あと6年ほどですから確証はないものの、何とか見届けたいものだと、体調管理を誓いました。

「桜散る 嵐の前に もう一度 満開見たい 妻と出掛ける」
「そこここを 散歩してると 標柱を 見つけあれこれ 思い巡らす」
「掘り起こす 予定の年月 記している それまで私 元気だろうか?」
「あと6年 何とか元気 保持をして 見届けたいと 自分に誓う」

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人間牧場

〇内孫の小さな手土産
 昨年入所先の特養施設で亡くなった隣のおじさんとは、何かにつけて気が合い、存命中は私が代表を務めている21世紀えひめニューフロンティアグループが計画実行した丸木舟の建造時にも手伝ってくれるなど、お世話になりながら言葉を交わすこともなく亡くなりました。

 そのおじさんが存命中私の親父が、「息子の進一はあちらこちらに出かけていると聞くが、まだ一度もお土産を買ってきたためしがない」とこぼしていた逸話を話してくれました。「そういえば」と深く反省していたものの、ついにお土産を買って親父に渡すこともなく親父は冥土へ旅立ちました。今頃は隣のおじさんたちとあの世でそのことを話しているかも知れません。

孫が買って来てくれたお土産のぼっちゃん団子

ところでわが妻は近場であろうとあちこちへ出かける度に、土産を買って同居している息子家族へ渡しているようです。そんなこともあってか、今度中1と今度高1になる内孫たちは、何処へ行っても妻と同じように土産を買って帰るのです。今は春休みで宿題も殆どなく孫たちは友人たちと相談して、列車と電車を乗り継いで、松前の商業施設エミフルや松山のキスケなどに出かけているようです。

 昨晩中2になる内孫奏心が柗山銘菓うつぼ家の「ぼっちゃん団子」をお土産だと、私たち夫婦のために買って帰ってくれました。友だちと遊びに行っただけなのに、私たちのことをちゃんと覚えてくれていることに、何気ないことですが嬉しくなりました。同居の孫たちとはいつもいろいろなことを話し、時には頼まれて日曜大工などをして楽しくやっています。今のところ優しい心に育っているようです。

「春休み 友と一緒に 遊び行く 孫は帰りに 手土産買って」
「わが親父 隣のおじさん 漏らしてた 息子は何故か 土産を買わぬ」
「先に逝く 親父とあの世 おじさんと 出会って色々 話しているかも」
「勉強は 程ほどだけど 内孫は 心優しく 今のところは」

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人間牧場

〇見る人もなし寂しい桜
 私のウォーキングコースの途中にある、元上灘保育所の園庭に今年も桜の花が咲いているのをフェンス越しに見ました。かつて私の4人の子どもが通っていた保育所だけに懐かしさ一入です。立派な建物なのにアスベスト騒動で、市役所地域事務所横の保健センターへ一年前移転したため、今は空き家状態です。

 ただでさえ人口減少で寂しいのに、下灘中学校跡地といいこの保育所跡地といい、議会の度に跡地空き施設の利用については、「早急に善処します」と答弁しているようですが、「早急とはいつまで」なのか、「善処」とは何を言うのか分らぬまま、恐らく今年もそのまま放置されるに違いないようです。

 この保育所の入口に2本の立派な桜の木がありましたが、管理上の理由なのか突然伐採されてしまいました。桜の苗木をあちこちに植えてきた私としては、桜の木くらいは残しておいて欲しい気持ちですが、今年もけなげに咲いてくれたものの、誰も見向きもせずただ咲いて人知れず散って行く運命にある桜の花を、少しの間鍵がかかり閉まった門扉越しに愛でてやりました。

 かつては元気な子どもたちの賑やかな歓声が聞こえていた園内も、素足で歩かせたいと植えた芝生のあちこちに、背の高い雑草が沢山伸びていました。少し寂しく少し悲しい今年の桜でした。

「閉園に なってしまった 保育所に 今年も桜 奇麗に咲いて」
「一昨年 までは子どもの 歓声が 今はひっそり 人気配なく」
「門扉横 あった大きな 桜の木 管理理由か 伐採されて」
「この施設 どうなるのだろう? 早急善処 言ってはいるが
                      いつのことやら」

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人間牧場

〇瀬戸町今昔
 私が妻の同級生である瀬戸町の奥山さん宅を始めて訪問した時は、まだ平成の大合併をする前の旧瀬戸町時代だったと記憶しています。以来あっという間に20年以上の歳月が矢のように過ぎました。当時奥山さん宅の庭先に植えていた桜の木も、今では見上げるほど大きくなって、今年も見事な花を咲かせていました。

 いつものことながら、案内されて居間に上がらせてもらい、出されたお茶を飲みながらお話をしていると、昔瀬戸町長だった井上善一さんの話になり、早速電話を掛けると運よく在宅で、電話ながら懐かしい声を聞くことができました。聞けば瀬戸大江で農業を営んでいるらしく元気なご様子でした。

 その折20年前に作られたという電話帳を見ましたが、表紙には当時の瀬戸町三机付近の航空写真が写っていました。ダメ元で手持ちのタブレットで写真に、川之浜海水浴場のシャンとともに複写しましたが、今は私たちの町と同じように人口も減り、高齢化や少子化で、中学校も近々統合されるようです。

 井上さんが課長時代作った農業公園を備えた道の駅には、町見郷土館に保存している民俗資料などを展示する資料館の建設が進んでいて、大きな転換期を迎えているようです。太平洋戦争末期真珠湾攻撃の訓練基地となった歴史ある風光明媚な地域ですが、私にとってこれからも時々訪ねたい場所の一つです。

「瀬戸町と 呼ばれていたころ 伺って その後の遍歴 つぶさ覚えて」
「20年 時の流れは 矢のように 相手も私も 歳を重ねて」
「人が減り 高齢・少子化 進み行く これからどうなる 農山漁村」
「この町に 生まれてやがて 死んで行く これ以上ない あり意味幸せ」

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