shin-1さんの日記

○ふたみシーサイド公園はオレンジデーの震源地

 「若者が主役になるまちづくりはないものか」、いつもそんなことを考えていました。かつて私たちが若かった頃は青年団活動が活発で、まちづくりといえば青年たちがやるもの決まっていました。夏の盆踊りも村祭りも全て若者たちが仕切っていました。ゆえに多少危ないことをしても地域の人たちは、青年たちを温かく見守ってくれていました。いつの頃からか青年が一人減り二人減りといなくなって、青年団活動といえば役場と農協と郵便局という田舎では三大企業?に働く若者たちが仕方なくやるものに変わっていました。しかしその義理的活動もやがてなくなって、まちづくりの世界から若者が完全に姿を消してしまったのです。

 何とかしたいと思いつつ、残念ながらその答えが見つからないまま長い時を過ごしていました。多分もう田舎では若者によるまちづくりはできないだろうと完全に諦めていました。ところがどうでしょう。最近双海町で若者ではない若者(若者とは概ね20代までをいうのですが、最近は若者の概念が変わって30代も立派な若者)が少しずつ頭を持ち上げて、イベントを中心に活性化しようという動きが出始めたのです。

若松進一ブログ
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 私が役場に勤めていた若いころ、若者らしい活動を再燃させようと様々なことにチャレンジしました。夕焼けコンサートや海外に青年を派遣する人づくり10年計画、青年会議による桜並木づくりはそれなりの成果を収めて他地域よりも元気な活動として評価されていましたが、それらの活動の牽引者であった私たちが第一線を退くと、それらは闇に消えたようでした。しかし夕焼けコンサートも人づくりも桜並木づくりもどこかで細い糸をつないでいたのです。

 昨日まで双海町では青年(私から見れば青年も含む)たちが中心になってオレンジデーというイベントが催されました。バレンタインデーやホワイトデーなどのように、オレンジ産地としての心意気を示そうと企画されたのです。まだ始まったばかりで「えっ、オレンジデーって何?」と思われるほどまだまだ知名度の低いイベントですが、こと双海に関して言えばもうエンジン全開といった感じのイベントに仕上がり多くの人をひきつけました。

 特にこのイベントを企画したのが若者たちであり、運営に携わったのも若者ですから、動かす人も双海の子どもたちにお願いして廃油で作ったキャンドルを2000個も並べ、会場となったシーサイド公園を幻想的な雰囲気にさせました。

 また恋人岬では結婚式もあり、日没前には「海の夢」~詩・ダンス・音楽のコラボレーション~などなど、私たち大人の想像を超えた素晴らしいものでした。まさに恋人の聖地で出会う恋という表現がぴったりでした。

 私は残念ながら別の会議などがあって断片的な参加でしたが、企画や運営に携わった人の感想として確かな手ごたえを感じました。特に1市2町が合併してどちらかというと僻地の感じがしていたのですが、合併によってちりじりになっていた旧双海町の若手職員が勝手連のような形で骨身を惜しまず働いてくれたことは称賛に値する行動と胸が熱くなりました。

 私たちのような古い時代と違い、インターネットなどの情報を駆使し、若者のアンテナにキャッチさせて参加させる技法も、資金集めまでしっかりと目論む姿はさすが若者です。これからはこうした若者のやる気をしっかりと後押ししてやりたいものです。

 夕日の色もオレンジもどこか似ている愛の色、来年も4月をお互いの愛を確認しあう日・オレンジデーとして全国に発信したいものです。若者たちにご苦労さんと声をかけてやりたいものです。


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  「オレンジの 色と夕日を かけ合わせ 恋人聖地 若者集う」

  「おらが町 まだまだ捨てた ものじゃない 若者力 しっかり発揮」

  「シーサイド 公園ここは 震源地 オレンジデーが 社会面載る」

  「二千個の キャンドル子ども 手助けて 幻想的な 雰囲気醸す」

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shin-1さんの日記

○コープえひめ機関紙「ラヴィ」へのエッセー連載終わる

 私はこの一年、コープえひめの機関紙であるLavie[ラヴィ]というタブロイド版に、「進ちゃんの暮らしのエッセー」というタイトルでエッセーを連載してきました。そんな機関紙があることすら分からず、とりあえず何度も書いてということで書き始めましたが、あっという間に一年間が過ぎてしまったのです。最後の2009・5月1日号(4月20日付)とともに連載した1年分の機関紙が担当者のお礼状とともに送られてきました。

 どれ程の人に配布されたのかは分かりませんが、察するにコープえひめの組合員さんに配布しているのならこれはもう凄い数で、読む読まないは別として多くの方々の目にふれ、心ある人は愛読していただいたものと思うのです。愛読していただいた方から感想文やお便りが届いて嬉しい反応も何件かあった一年でした。

若松進一ブログ (一年間私のエッセーが連載され送られてきたLavie)

 昨日の朝私は台所で送られてきた機関紙をめくりながら、妻にエッセーを読んで聞かせてやりました。勿論妻はコープえひめの組合員でもないので、私がこんなエッセーを書いていることは全く知らないし見たことも読んだこともないのです。コープえひめの組合員である松山市に住んでいる娘からは時折、「お父さんがコープえひめの機関紙に面白いエッセーを書いているのを読んだ」と小耳に挟んではいたようですが、中身までは知らされていなかったのです。


 エッセーは短い文章なので読み聞かせるにはもってこいです。妻は笑いながらエッセーを読む私の声を聞いてくれました。それらを目次的に記録しておきます。

 「花の咲く町に住みたい」(2008・5月1回号)

 「リンキャベ」って一体何ですか?(2008・6月1日号)

 ハガキを書いたら人生が楽しくなる(2008・7月1回号)

 性格美人が「美人」への近道(2008・8月3回号)

 肩書のない私は値打ちのない人間(2008・9月1回号)

 臭い話ですみません(2008・10月1回号)

 幸せって何ですか(2008・12月3回号)

 服装で人間の値打ちは変わるのかな?(2009・1月号)

 あんたなんぼまで生きるん?(2009・2月号)

 おばあちゃんの携帯電話(2009・3月号)

 人間進化論(2009・5月1回号)

  一回一回は何を書こうか迷うものですが、こうして集めてみると結構面白い話題を提供しているようです。ちなみに最終回は「人間進化論」を書きました。

 -前略-進化論といえばチャールズ・ダーウィンといわれるくらい、誰もが知っているイギリスの植物学者です。彼は測量船ビーグル号で南半球を周航して育種動植物の異変をもとに、生物の進化を解き明かしました。ダーウィンは「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き残るのではなく、唯一生き残るのは変化できるものである」という有名な言葉を残しています。つまり生き残れる生き残る人というのは、最も強い人でもなければ最も知的な人でもなく、最も変化に適応した人間が生き残れるということなのです。

 進化の基本がダーウィンのいうように「変化への適応能力」だとしたら、私のような凡人でも学習によって適応能力さえ身につければ、生き残ることができるのだと内心喜び、変化への適応能力を磨いてきました。その結果今の自分があると納得するのです。-後略-

 長分の論文にしろ短文のエッセーにしろ、文章に自分の思いを書くことは難しいものです。でもその難しさに挑戦し続け、自分らしく文章が書けるようになるのも進化なのでしょう。脳が衰えないうちにもう少し進化を遂げたいと思っています。

  「書きし文 読み返しつつ 相槌を ほうーこんなこと 思い書いたか」

  「ダーウィンの 進化の言葉 納得す 生き残る者 強者知者でも」

  「何につけ 適応能力 磨かねば 進化もせずに 一生終わる」

  「エッセーの ような短い 文章も 人に納得 させる難し」

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shin-1さんの日記

○今年も地域教育実践交流集会を11月に開きます

 私はこれまで社会教育と深い関わりを持って生きてきました。若い頃には青年団に入団し社会教育主事さんや先輩の指導を受けながら8年間でしたが、愛媛県青年団連合会の会長や四国四県の会長など殆どの人に味わえない活動を体験しました。自らの意志で飛び込んだ13年間の社会教育はプロとして存分の働きをさせてもらいました。また愛媛県公連では主事会の会長として6年間全国を舞台に活躍しました。その後まちづくりの世界に20年間いたので社会教育の現場を離れていたように見えますが、県公連専門委員としてほんの少しだけ関わりながら社会教育の現場へ講演に行くなどしていましたので、実際には離れていなかったのです。最後は教育長として教育を総括させてもらいました。また21世紀えひめニューフロンティアグループというボランティアグループを立ち上げ無人島に挑む少年のつどいなどを主宰してそれなりに社会教育を推進してきたのです。

 自慢ではありませんが、そんじょそこらの公民館主事や社会教育主事には負けないくらいの気概を今も持っているのです。かつて私と同じように社会教育でまちづくりを志していた多くの仲間は、リタイアしたりリタイアの時期に差し掛かっていますが、その人たちは社会教育の現場から去ると、何故かあれほど熱く燃えていたのにまるで知らんふりを決め込んで、声をかけても一切応じないのです。

 多分彼らは飯のネタだからやったのだろうと思われても仕方がないような手合いで、そんな人に出会う度に歯ぎしりするような思いになるのです。「まあ仕方がないか、過ぎたことだから」と諦め、「自分は違うぞ」と自分に言い聞かせながら社会教育的生き方をしているのです。

 そんな社会教育大好き人間が集まって、昨年11月「地域教育実践交流集会」を開催しました。前述のような期待と不安の入り混じる複雑な活動でしたが、160人もの仲間が手弁当で集まり、手づくりの活動を見事成功させました。その裏には多くの秘話もありましたが、その盛り上がりを続けようとの一致した意見に後押しされて、今年度の第1回実行委員会が昨日愛媛大学で開かれました。

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 志を同じくする人の集まりは気持ちがいいもので、何のわだかまりもなく、何の損得もなく淡々と会議は進み、11月14日と15日の二日間の開催が決まりました。(内心はこの日愛南町でトレッキング空海があって、案内を受けているのですが大勢なので仕方がないようです)

 昨日は恒例によって近くの居酒屋で懇親交流を深める予定でしたが、私はどうしても外せない所用があってお暇してしまいました。私のような年齢になると考えと行動が中々一致しないものです。昨年も実行委員会の世話役でありながら、全国大会の実行委員長をしていたこともあって、手助けができなかった反省をしており、今年は貢献したいと思っています。

 社会教育も一方では重要といわれながら、市町村合併によってズタズタに引き裂かれた感がありますし、財政難を理由に社会教育に金をかけない風潮が蔓延し始めています。金が無くてもできる社会教育は私が実践済みですが、もう少し知恵を出す社会教育をみんなで考えてみたいものです。

 

  「あれほどに 燃えて理想の 火を掲げ 誓いし人も 燃え尽き寂し」

  「教育は 地域づくりの 基本なり 私だけでも 死ぬまで尽くす」

  「志 同じ人ゆえ 通じ合う 実に楽しい 次も楽しみ」

  「人は皆 自分本位で 動くもの かくいう私 自分本位で」

  

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shin-1さんの日記

○1千円と1万2千円の他愛のない話

 「あんたの車ETCつけてるの?」「定額給付金貰った?」という会話を巷でよく聞くようになりました。それだけ世知辛い世の中になったのかも知れません。民主党が高速道路の料金をタダにするという提案をした時、誰もが「そんな馬鹿な」と殆どの人が相手にしませんでした。その財源はどうするのだろうと疑い、民主党もいよいよ国民のご機嫌取りの政治団体になり下がったかと思ったものです。このことがきっかけではなかったのですが、民主党主小沢さんの株が急上昇し、麻生首相の人気をはるかにしのぐほど上昇、いよいよ政権交代かと期待されました。しかし小沢さんの自民党時代の暗い部分は秘書逮捕によって吹き出し、最近は涙の訴え会見をしてまで政権奪還に執着し、五十歩百歩の感をぬぐえないのです。

 その間隙を縫って自民党や政府は「どこまで言っても1000円」をキャッチフレーズに、高速道路の通行料値下げをテストケースとか景気回復と称して断行しました。バカ騒ぎが好きな私たち国民は早速悪乗りして、土日ともなると用もない群衆が高速道路をわがもの顔で走り、このままだと今年の連休は大渋滞を招くのではないかと危惧しているようです。

  私は天の邪鬼とでもいうのでしょうか、高速道路が値下げになってからまだ一度もその恩恵にあずかっていません。先日仲間と旅に出た世界遺産を巡る旅も中型のマイクロバスだったためアウトだったからです。妻は「せっかくETCをつけているのだからどこかへ行こう」と言っていますが、「無意味な走行は環境にも悪い」とCO2を理由にまだ出かける予定はないのです。

 先日伊予市役所から「定額給付金申請書在中」という封書が届きました。「ああこれが世の中を二分するような話題の手紙か」と思い封を切り中を開けてみました。わが家には家にいるのは私たち夫婦と親父だけですが、長男息子家族と次男も伊予市民です。ですから7人分の名簿と給付金額が記されていました。親父と長男の息子、つまり孫は2万円です。後の私たちは1万2千円です。私は今年の10月に満65歳を迎えますが、「お父さん残念じゃねえ、後少し早く生まれていたら2万円だったのに」と妻に言われましたが、金持ちの私(笑い)はどっちでもいいことなのです。

 それにしても「定額給付金なんて馬鹿げた自民党のばらまき」だと批判していた人たちも、何故かいざ貰うようになると一気にボルテージが下がり、定額給付金を寄付したなんて話は殆ど聞かれず、悪乗りするように1万2千円セールなどというアイディアで庶民の消費を喚起するような悪乗りも多くなってきました。確かに世の中が不景気になったと実感します。コンビニもスーパーも値下げして薄利多売を狙っているようです。悪評を叩かれた定額給付金ですが、ここにきて皮肉にも庶民から評価され始めたのか麻生総理の支持率が少しだけ上がってきたようです。

 それにしても政府にはよく金があるなあと思います。埋蔵金とか言われていますが、どこも火の車だというのに景気回復には何兆円という沢山のお金が湯水のごとく投入されているのです。凡人の私には分からない政府の台所です。

 まあ100円で好きな所へ行け、1万2千円の定額給付金を国民みんなが使えば消費は確実にするのですから、野暮なことは言わず私たちもしっかりと賢い消費をしたいものです。

 昨日定額給付金の申請書に所定の項目を記入押印し、本人である証拠として免許証と銀行通帳の写しを同封して発送しました。免許証と銀行通帳という命の次に大切な個人情報をいとも簡単に封筒に入れる不安が少しばかり頭をよぎりました。市役所を信用して送るのですが、もしや詐欺では?と思う私も随分振り込み詐欺などの情報に敏感になっているようでした。

  「千円や 一万二千の 文字並ぶ ささやかながら 心動いて」

  「あれやこれ 言いつつ金に 弱いなあ 小理屈いいつ 最後手を出す」

  「巷では 定額給付に 花が咲く 年金暮らしに ボーナス加算」

  「惜しかった 半年早く 生まれたら 孫と同じの 給付いただく」

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shin-1さんの日記

○散髪屋で男前を上げました?

 私は月に一回程度、大体月中の10日くらいに地元の散髪屋へ散髪をしに出かけます。短めの髪型の私は高校を出た頃からずっとこの髪型が気に入って、一度も長髪にしたことがないのです。「人のことなどほおっておいてくれ」と言われそうですが、長く髪を伸ばした男の人を見ると、どこか憂鬱になるのは性分かも知れません。自分の髪が少し伸びたなあと感じるようになると2~3日前から、妻に「そろそろ散髪しないと」とかまを掛けるのですが、答えはいつも「どこを散髪するん?」と言われます。

 「今日は散髪に絶対行く」と妻に言って午前中、単車で出かけました。今日は春日和の好天に恵まれ、野山も燃え立ち始め気持ちのいい朝です。合併して4年が経ちますが街中を走るとどこかさびしい感じがしてなりません。散髪屋はご夫婦が苅込はご主人、ひげ剃りや洗髪は奥さんとそれぞれ分担していて、大きな鏡に映った私の頭が次第に整い、男前に仕上がって行くのです。

 昔から散髪屋と風呂屋はその町の情報が全て集まるといわれるくらい町中のことがよく分かります。ご主人が開口一番「いい季節になりました」「選挙が近づきましたね」などと話の糸口を見つけてくれました。そういえば明日は市長と市議会議員の告示日のようで、自分には関係ないことなのでうかつに忘れるところでした。聞けば市長さんは無投票の公算が大きいようです。しかし議員は21人の定員に対し22人が立候補する予定でどうやら選挙になるようです。前回は合併ということもあって小選挙区での選挙でした。今回からは全市一区に代わるため、立候補しようとしている人は困惑しながら準備を進めてきたようで、私の家にも何人かの候補者が事前にあいさつに見えられたようです。わが家は私たち夫婦、親父、息子夫婦に次男と6票もある大票田ですから皆さんの当てにするのも無理からぬことです。

若松進一ブログ(街角に設置された選挙ポスター掲示板。明日はこの掲示板に男前の市長及び議員候補者ポスターが賑やかに貼られることでしょう)

 最近わが家のポストには選挙に立候補するある党のちらしが頻繁に入るようになりました。現職の政策実行実績についての意見が殆どですが、それなりに納得したりしながら読んでいます。明日から賑やかな選挙戦が展開され、連呼の声も賑やかになることでしょうが、一週間後には旨にバッチをつける顔ぶれが決まるものと思われます。せめてこれから一週間訴え続ける政策をマニフェストとして謙虚に実行してほしいと思うのです。


 散髪をしていると外を何人かの人が通ります。私が若かったころあの人も元気だったと思う人が高齢になり、まるでロボットのような歩き方をしている人が何人も鏡に写りました。その度にご主人とその人の近況を話すのですが、共通したのは「人事ではありませんな。もうすぐ私たちもあの人たちの仲間入りするのですから」と納得する会話を交わしました。

 老いは誰にも止めることはできません。子どもの数も少なくなり老いた人の数が気になるこの頃です。その分自分も歳をとったものだと実感しました。

 今日は若者たちがシーサイド公園で「オレンジデー」を開く予定になっています。頼もしい若者たちの行動を支援はできませんが、せめて枯れ木も山のにぎわいで参加しようと思っています。散髪して折角男前を上げたのですから見せびらかしたいと思っています。


  「月一度 頭すっきり 散髪屋 俺でも少し 男前なる」

  「歩く人 昔は若く あったけど 今はロボット 歩きのようだ」

  「散髪の 椅子にもたれて うとうとと 何時の間にやら 綺麗さっぱり」

  「散髪を しながら噂 耳向ける 知らないことが いっぱいあって」 

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shin-1さんの日記

○送られてきた一冊の講演録

 一昨日一冊の50ページほどの小さく薄っぺらい本が200冊、宅配便でわが家に届きました。届けた人が「ハンコを下さい」というので在宅だった妻が受け取り、「はて何だろう」と妻が開いて驚いたようです。中にはぎっしり本らしいものが詰め込まれていました。「地域と協力した青少年の健全育成」というタイトルで、人間牧場主(元双海町教育長)若松進一と表紙に書かれているのです。妻は急いで眼鏡を取りに行き玄関に座り込んで目次などを見たようでした。家に帰ると「お父さんあなたの本が届いている」と書斎まで運んできてくれました。

 ポケットサイズのこの本は、日本赤十字社愛媛県支部と愛媛県青少年赤十字指導者協議会が昨年10月21日、双海町下灘小学校で開いた研修会の折私が講演した講演集なのです。わたしはこれまであちらこちらの集会で請われるまま講演を続けていますが、講演のテープ起こしをして講演集が出版されたことは何度かあるものの、こんな立派な装丁をしていただいたのは久しぶりなのです。私の場合講演はその場の雰囲気で話すことが多く、そんなに筋道を立てて話さない性分なので、少し面映ゆい感じがしながら、思い出をよみがえらせるつもりで一気に読んでしまいました。

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 目次

 1、はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1

 2、下灘小学校の思い出・・・・・・・・・・・・6

 3、青少年活動とのかかわり・・・・・・・・13

 4、青少年を取り巻く社会の変化・・・・・18

 5、青少年の健全育成・・・・・・・・・・・・・38

 6、これからの青少年教育・・・・・・・・・・47

 7、おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・48

 下灘小学校はわが母校です。2、下灘小学校の思い出という項目で私は三つ述べています。

 原風景

 こちらのほうには体育館ではない講堂があって、ここに木造の校舎がありました。そこから見ると、朝な夕な殆ど僅かですが、この校舎の窓から本当に瀬戸内海の穏やかな姿の中にきれいな夕日が落ちておりました。これは潜在能力の一番下の所にあるのかもしれませけれども、わずか七歳から十二歳までという学びの空間の中で、このいわゆる原風景というものが私の心の中にずっとあり、ひょっとしたら今までの町づくりでの夕日をテーマにした町づくりを起こしたきっかけになっているのではないかと思うのです。子どもにとって原風景というのは、大きな教育的な意味があるのです。そう思うと、私たちは今一度自分たちの周りを見渡して、自分の住んでいる所、暮らしている所の原風景の意味というのを、子どもたちに少し伝えていかなきゃいけないんだと思ったりもしています。

 二宮金次郎の銅像

 今の校舎の向こうに二宮金次郎の銅像がありました。

 私はその二宮金次郎の銅像を見ながら、二宮金次郎は何の本を読んでいるのだろうといつも思っていました。ある日のこと、私はその二宮金次郎の上に上がって、何の本を読んでいるのだろうかと見ていたら、そこを通りかかった校長先生から「お前はそこへなんで上がっとるんや」と尋ねられました。-中略ー

 武智信八州先生

 この小学校の二階に図書室がありました。そこで私は小学校五年生のときに、一冊の本と巡る会ったのです。どんな本かというと「ジョン万次郎の生涯」という本であります。-後略ー

 まあこんな具合にストーリーは進むのですが、7、おわりにではこう述べています。

 こうして、色々なお話をさせていただきましたが、かけがえのない子どもたちの未来のために、私たち大人は何をするのか。それは教育の基本である「寄り掛かることを不必要とする」、そして「水から考え行動しようとするような生きる力」を作ってやる以外はないんだろうと思います。

 そう考えると私は、二十一世紀を生き抜く子どもたちにこのJRC活動でそれらを培っていただければ、必ずや都会に行こうが何処に行こうが、ふるさとを忘れない一人の人間として、生きる意味を自分から作り上げていくのではないかと思っています。-後略-


 文字は残る故、書き言葉ではないしゃべり言葉での編集には少々悔いが残りますが、まあ本筋は語っているのでひとまず安心しました。90分間でこんな話をしていたのかと、あらためて喋ることの難しさを痛感した一冊の本でした。

  「送られし 講演集を 読みながら 恥ずかしいやら 面映ゆいやら」

  「アクセント 方言語る 癖ありて 喋り言葉に 臨場感あり」

  「妻いわく こんなおしゃべり しているの? そんなつもりも ないのに話す」

  「ああ駄目だ まだまだ修業 足りないと さらなる飛躍 この本誓う」

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shin-1さんの日記

○舞たうん100号記念号届く

 私は得意というほどではありませんが、機関紙や雑誌にエッセーなどを依頼されると浅学を顧みず好んで書くことにしています。このため最近はエッセーストと見まがうほど様々な分野に登場して、自分の文字での主張を述べています。大体人間は喋れる人は書けないとか、書く人は喋りが苦手の人が多いのですが、私は書けて喋れて、実践する三位一体の人間になることを理想としているため、訓練のつもりで書いているのです。お陰で書くスピードが昔に比べればダントツに早くなったし、話題へのアプローチも幾分飲み込めてきました。

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 2~3日前、えひめ地域政策研修センターから舞たうん100号が送られてきました。この記念号を担当した清水研究員は既に出向元へ帰っていますが、彼が満身の力を込めて作り上げた力作だけに、手に取った重さはページ数はいつもの機関紙と変わりはないのに、随分重く感じました。

 私と舞たうんとの出会いは創刊1号からですからもう23年も前になります。以来今回の100号まで、時には執筆者として、時には読者として様々な深くも浅い付き合いをしてきました。当時はインターネットなどなかった活字が唯一の情報手段でしたから、随分舞たうんから全国の先進事例や人間の生き方・考え方を学ばせてもらいました。いわば舞たうんはまちづくりを志した私にとって恩人ともいえる貴重なものなのです。

 私ははからずも今回の100号記念号で巻頭言ともいえるプロローグに、「舞たうん百号とともに生きた日々」と題して、えひめ地域づくり研究会議代表運営委員の肩書で寄稿しました。先月のえひめ地域づくり研究会議運営委員会で長年務めた代表運営委員を辞しましたので、私にとってはこれが辞任の挨拶文のようになってしまいました。でも書いた温故や知新の数々は紙面校正の都合で次々にカットして舌足らずになったことは否めませんが、それでもいい記念になりました。表紙を入らけると翠小学校の校舎をバックに少しすまし顔の私の写真が、「大役を降りてホッとしたよ」と言いたげに載っているのです。

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 今回の100号記念誌の企画が担当の清水さんから持ち込まれたとき、愛媛県内で活躍する達人たちに登場してもらうと人選に耳を貸しました。また私たちが憧れて止まない宮本常一研究の第一人者である作家佐野眞一さんに特別寄稿をお願いする夢も聞きました。紆余曲折の苦労を経て佐野眞一さんから寄稿のOKを貰ったと、嬉し第一報を遥か沖合いに浮かぶ周防大島に出かけていた清水さんから届いた時は、わがことのように喜んだものです。佐野眞一さんの原稿はゲラの段階で読ませていただいていましたが、改めて読み返してみると作家の視点の鋭さに驚き、かけがいのない100号になったと喜んでいます。

 「旅する巨人」で大宅荘一ノンフィクション賞を受賞している佐野眞一さんとは、一度だけ周防大島で講演を聞いただけのご縁ですが、この特別寄稿がご縁で、今年の11月には人間牧場で開いている年輪塾の公開セミナーに招きたいと今から気の早い話に花を咲かせているのです。

 佐野眞一さんは「宮本常一から学ぶもの」という寄稿の中で宮本常一という人間を通して私たちに熱いメッセージを送っています。

 「樹をみろ、いかに大きな幹であっても、枝葉がそれを支えている。その枝葉を忘れて、幹を論じてはいけない。その枝葉に大切なものがる。学問や研究はあくまでも民衆や庶民の生活を土台に築きあげるものだ」

 昨日その言葉をかみしめながら人間牧場に置かれた樹齢150年の高知県馬路村産魚梁瀬杉の切り株の上に座りました。既に枝葉も根も切り落とされていますが、自分が目には見えない枝葉や根にならねばならないと、決意を新たにしたのです。

 編集に携わった清水さんが編集後記に「散る桜 残る桜も散る桜 答えは常に風の中にある」と書き残しています。枝葉を揺らす風の存在、根から吸い上げる水や養分の大地の恵み、さらには燦々と降り注ぐ太陽などなど五輪の書に表すべき自然とのネットワークも大切だと痛感しました。いい100号を届けて下さってありがとう。

  「百号は 終わりではない 始まりと 思えば意味の 深さ更増し」

  「いい記事を 読みほぐしたる 度量なば 何の意味あろ 百号いえども」

  「短か文 長い文章 ちりばめて 想い心に ビンビン響く」

  「カーラジオ 風に吹かれて ボブディラン 形ないもの 大事と歌う」    

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shin-1さんの日記

○人は人によりて人となる

 周りに見える山々の色が日増しに燃えるような若草色に替わり、春まっ盛りを実感するようになってきました。わが家の前にそびえる本尊山はまさに借景と呼ぶにふさわしく、山桜などの雑木遠望が見事で、下手糞だったウグイスも随分練習を積んで「ホーホケキョ」を連発、「ケキョケキョケキョ」と谷渡まで挑戦しているのです。

 それと同じように人間牧場からの眺望も見事で、野村町山奥組の井上登さん方から興し入れしてきたミツバチたちも活発にそこら辺を飛び回り、蜜を運んでいるようです。分封の兆しなのでしょうか空家状態のもう一つの巣箱に、よく見ると何やら虫が飛びこんだような感じもして、じっと観察したりしてみましたが、ミツバチなのかどうかは確認ができませんでした。

若松進一ブログ(右端新山所長さん、その隣國府次長さん以下職員とともに)

 昨日は国立大洲青少年交流の家の新任職員さんが10人余りやって来て、人間牧場で新任職員研修会を開きました。お約束の時間はマイクロバスが道に迷い多少遅れましたが、新山所長や國府次長以下新しい顔ぶれの人が集まって私の話を聞いていただきました。

 私に依頼された講話の演題は「地域における青少年教育の在り方について」でしたが、それなりの知識を習得されている青少年教育のスペシャリストばかりなので、思いつくままに1時間余りお喋りをさせてもらい、その後は皆さんと和気あいあいの座談の会となりました。驚いたことに私の話を10年も前に聞いたという女性もいて、木になるカバンのことを覚えていたようで、はてさて私の話の進化具合はいかがだったのか、少々赤面してしまいました。

 全国各地から青少年たちが集まる施設の職員の心構えの第一は、はやはり心に希望と夢を持つことが大切です。夢や希望、それにやる気を持っていれば、相手を感化感動させることができるのです。今の時代は不況感や悩みが多く混沌としていますが、だからこそ青少年に勇気を与えて自覚を促さなければならないのです。

 結局は自分が「どう生きるか」ということに尽きるのです。これまではどちらかというと、施設職員として必要なテクニックを磨いてこられたようですが、これからは「自分らしく生きる」ことが求められるのです。施設職員として手つなぎの連帯も必要ですが、それぞれが自立した集団、つまり「手放しの連帯」こそ重要と考えます。その点人間牧場でやっている年輪塾やかつて10年間で40回のフロンティア塾を開催したような「自分づくり」は参考になるのかも知れません。

 昨日は全国各地が晴れ渡り、25度の夏日を超えた所もあるほどの陽気でした。研修が終わり交流会が始まる頃には西の空がサーモンピンクに染まり、その色が海に映えて素晴らしいシチュエーションを見せていました。用意していただいたお弁当を広げて舌づつみを打ちながら交流を深めました。久しぶりに水平線の家に灯りをともし、短い時間ながら夜の部を終えて帰る頃には陽もとっぷり暮れていました。

 都合で先に帰られた國府次長以下女性3人には、不思議で可愛い窪田赤トンボ先生が作ってくれた荷物にならない赤トンボを手土産に渡しましたが、いい思い出になったでしょうか。

 これまで30年以上にわたって長くかかわってきた国立青少年交流の家の真摯な職員の姿に感動しながら、一人山を降りました。新山所長以下皆さんの今後の活躍に期待しています。

若松進一ブログ(美女に囲まれご満悦、赤トンボも私も興奮して真っ赤でした)

  「どう生きる? いきなり言われ 戸惑いも それが大事と 熱弁ふるう」

  「鏡です あなたの写る 姿見て 人を感動 させればいいな」

  「人により 人は人なる 故に人 大事とばかり 人に力説」

  「いつの間に サーモンピンク 染まる空 心も染めて 欲しいと願い」

 

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shin-1さんの日記

○今日から大学の授業が始まりました

 今日は愛媛大学法文学部総合政策学科の今年度授業の始まりで、2時限目(10時30分~12時)にガイダンスがありました。2回生100人余りを集めて5人の担当教員がそれぞれの授業内容について約10分間ずつレクチャーをしました。この仕事も6年が終わりそろそろ潮時と思っていましたが、担当の先生に懇願されてまた一年やることになりました。昨年度まで担当していた丹下先生も加わるもののチーフ役は木村先生だそうですが、打ち合わせ会やガイダンスの調整が遅れてヤキモキしたもののこれで何とか軌道に乗って行けそうでホッとしています。

 今日のガイダンスに当たってシラバス概要を一枚用意し今日の会に臨みました。その内容は次のとおりです。

 ①担当教員    私の自己紹介です。

 ②授業テーマ  地域振興・まちづくりー地域活性化論です。

 ③サブテーマ  住みたいまちの条件・尋ねたいまちの条件

 ④主な授業   ・講義(地域振興・地域づくり概論・全国実態・県内実態・人づくり・若者の意識と行動

            ・フィールドワーク現地調査(都市近郊・山間地域・南予地域・漁村地域)

            ・住みたいまちの条件・尋ねたいまちの条件ワークショップ

            ・モデル事例発表会

            ・報告書提出

 ⑤時間配分   講義30時間・現地調査30時間=合計60時間(4単位)


若松進一ブログ

 毎年春先のガイダンスでは一抹の不安と期待が交錯します。ガイダンスはいわば教員の腕比べです。専任教員2人と非常勤講師3名がそれぞれ違ったテーマに沿って話すので比べようがないのですが、聞いて自分の好きな教員の講義を第一から第4まで希望を書くのです。つまり人気投票ですから、第一希望が多いとフィーリングが合って一年間の授業が上手くいくのです。私は他の4人に比べ決して引けを取らないと思っても、選ぶ相手は学生なので自分の意志は通らないのです。さてどれだけの学生が私を選んでくれるかは定かではありません。でも来週には担当の先生によってクラス編成され、掲示板に張り出されるのです。

 私の授業は日程の都合もあって4月30日からスタートすることを伝えました。つまり私の404教室に4月30日に集まってくる予定の20人ほどと一年間授業をすることになるのです。

 こうした不安のほかに期待もあります。限られた60時間で、若者たちがまちづくりに目ざめてくれればこんな嬉しいことはないのです。過去6年間の授業で学生たちの心の変容が見られました。また今日学内で偶然にも出会った昨年度の学生たちと懐かしく楽しいおしゃべりをしました。学生たちは私と過ごした60時間が懐かしくて様々な思い出話をしてくれました。

 訪ねてみたいまちも、住みたいまちも結局は、自分が積極的にまちづくりにかかわらなければ実現しないことをしっかりと教えて行きたいと決意を新たにしました。

 毎年今年が最後と思って一生懸命かかわってきた法文学部総合政策学科の授業も7年目、今年こそは最後になるかも知れないと腹をくくって頑張りたいと思います。


  「今年こそ 最後と思い 七年目 大学講師 すっかり板に」

  「ガイダンス 自分の実力 試される 学生希望 果たして来るか?」

  「何処となく 余裕出てきた 講師業 週に一度は 教壇立って」

  「大学は 奥が深くて 分からない 分け入り進む それしかないな」

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shin-1さんの日記

○せっかく撮った写真なのにドジだねえ私は

 ブログに写真を取り込むようになって三年余りが経ちました。そのため私は最近出歩くたびにカメラを持って外出します。昨日は少し時間的に余裕が出来たので、人間牧場や潮風ふれあい公園の桜の写真を撮りに出かけました。また昨夕は仲間との楽しい飲み会(残念ながら酒の飲めない私はお茶で濁しましたが)があり、その酔うほどに元気になる仲間の姿もバッチリ撮りました。

 今朝起きてカメラに内蔵しているチップを取り出し、パソコンにそれらの写真を取り込もうとしましたが、カメラの中には消し忘れた世界遺産を巡る旅の写真ばかりで、昨日撮った写真は一枚も記憶されていないのです。「しまった」と思いましたが後の祭りです。よく見ればパソコンの本体にそのチップははめ込まれたままで、カメラはフィルムのないカメラと同じ状態になっていました。

 残念としかいいようがありませんが、昨日という日のカメラの記憶は完全に私の手元には残らなかったのです。はてさて困りました。もう一度同じ場所で同じ写真を撮ることもできず、歴史の生き証人たるカメラの重要性と、私の不注意を改めて悔んだ次第です。

 それにしても私のパソコンには膨大な資料が記憶されていることに驚きを禁じ得ません。この3年半書き綴ったブログの記事は全て記憶されていて、呼び出せば直ぐに活字になるのです。しかもそれは私のパソコンだけでなくみようと思えば誰でも閲覧できるように公開されているのです。またそれ以外にも私がこれまで書いた殆どの原稿や、私が撮影した写真なども記憶されていて、探すのに暇はかかりますが、探そうと思えば瞬時に出てくるのです。

 息子の話だとそれらを整理しないとだんだん重たくなるので気をつけるようにと注意を受けていますが、そんな暇もなく毎日データーは蓄積されているのです。先日三月末までセンターにいた谷本さんが私の殆どのブログ記事をPDFに記憶させて送ってくれているのですが、それさえもまだCDに移し替えて保存することすらやっていないのです。まあいいかと思いつつ貯め込んだパソコンの情報を近いうちしっかりと整理したいと思っています。


 CDやDVDなど、いわゆるデジタル情報を記憶させているものも増えてきました。私の書斎の書棚の一角にはワープロ時代からの古いフロッピーや最近のCDまで乱雑に置かれています。ワープロ時代の記録はもう使うこともないだろうと思っていますが、それでも捨てきれず、ワープロ本体も机の隅に埃をかぶって残されています。

 またビデオテープやラジカセ用テープも沢山あって、これらの処分もいつかしなければならないようです。息子に相談したところ、ビデオテープはDVDに再生可能ということなので、少しお金がいっても記録として残したいものだと思っています。私はこれまでテレビやラジオに滅茶苦茶出ています。人間マップなどは30分も私が全国放送されていますし、ラジオ深夜便心の時代は、2時間も出演しているのです。まあそのうち暇になるでしょうから、じっくり楽しみたいと思っています。

  「フイルムを 入れぬカメラで 撮影し 開けて驚く 後の祭りか」

  「あらためて 注意怠る 自分恥じ こんな失敗 心に誓う」

  「はいポーズ 言った自分が 情けない 今頃彼ら どんな顔して」

  「パソコンは どんな頭を してるのか 記憶正確 私はとても」

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