shin-1さんの日記

〇第2回四国青年教育系合宿APOLLEに参加して

 Approach On the Long Lifu Education ~教育を人の一生という 長くて広い視野から考える~という、第2回四国青年教育系合宿の分科会講師を頼まれ、香川県五色台にある研修施設へ行ってきました。主催する四国青年NGO HOPUは、主に学生を中心とした四国の青年が、個々で活動している青年団体及び個人の子行っている青年活動をつなぐためのネットワークを作る団体です。青年活動に関する情報発信や場作りのための今回のような合宿研修を行っていますが、講師を依頼されても正直いってまだその内容を詳しく理解している訳ではありません。でも私自身が若い頃に青年団活動を行い、愛媛県青年団連合会の会長として情熱を燃やした経緯もあって、「若い」と「金がない」という話を聞けば、それなりに血が騒ぎ、それなりに支援したい心境になるのですから不思議な話です。

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 この研修会に参加したのは昨年に引き続き2度目です。ゆえにリーダの人たちとはすっかり顔馴染みとなって、午後12時過ぎから午後4時までの短い時間ながら、折に触れ様々な話をさせてもらいました。今の青年たちは私が青年だった頃に比べてしっかりした考えを持っていて、逆にこちらが感心させられたり納得したりしてとても参考になることが多かったようです。

 さて私はこの日のレクチャーで①私が青年団時代に手に入れた4つの道具、②若い頃に立てた生活設計の意外な役割、③21世紀えひめニューフロンティアグループでのボランティア活動、④夕日に魅せられたまちづくり活動20年、⑤退職後の人間牧場での今やれる青春活動を主な内容として90分近くお話をしました。その後全体会では、意見百出の活発な討論が行われました。


 私の印象に残った話に、ある青年が「私は日本の年間自殺者をゼロにする活動を行いたいが、どうすればいいか妙案を」と質問されたことです。「日本の自殺者はもう13年間も連続して3万人を超えています。これは一人ひとりの死を選ばなければならない出来事の積み重ねであり、社会の責任でもあります。3万人をゼロにしたいという願望は結構なことだが、一人の人を救えないで3万には救えないと思います。どうしたら一人の人を救えるか考えましょう」と話をしました。

 ある青年は、「若松さんのように強く生きるにはどうしたらいいですか」と質問しました。私は「目標のない人生はクリープを入れないコーヒーと同じで味がない」などと、楽しいおしゃべりで青年たちの心を引き付けました。年齢さ40歳といういかんともし難い年齢の壁は余り感じることなく話をすることが出来ました。また話をしたいと思いましたが、5月に同じようなお誘いのラブコールがあったものの、残念ながら日程調整が出来ず、又次の機会にすることで決着しました。


  「年齢の 壁など気にも せず話す 若者たちは 傍耳立てて」

  「金がない 青年時代の 特権か ゆえに知恵出せ 汗なら出せる」

  「青年の 意見はかなり 風呂敷が 大きいけれど これもまた良し」

  「再開を 約束しつつ 別れたる 青年メール 嬉し返信」 

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〇「あっ、忘れていた監査会」

 昨日は久しぶりに仕事(会議や講演などを含めた私の日常)が片付き、珍しく午後6時30分から夕食を食べようと妻と二人で食卓に着きました。昨夜の食卓は春の香りが満載で、シイタケの付け焼きに箸を運んで一国地の中へ入れた瞬間、ズボンのポケットに入れていた携帯電話が鳴り出しまいた。誰だろうと電話に出ると、「若松さん皆さんが待っています」と出席の催促でした。「しまった、灘町区の監査が今日だった」と思い出し、ものの2分もかからない灘町集会所へ軽四を走らせました。

 部屋には区長さん副区長さん2名、会計さん、それに私が区長の時に副区長をやってくれたもう一人の監事三千院がお揃いで私を舞ってくれていました。もともとこの会は「23日か24日で如何でしょうか」と打診があったのに、私の都合で変更した経緯があるので、「すみません、遅れまして」と断りを入れ早速監査を始めました。

 私の住んでいる灘町自治会は双海町内で一番大きく300戸ほどで、町内至る所で言われている限界集落ではありません。私も2年前までの2年間は区長をやらせてもらいました。区長は副区長、会計、放送係とともに何がしかの役員報酬をいただきますが、殆どボランティアに等しい雑事に終われます。会計監事は役員といいながら年に1回年度末に会計監査を行い、総会で監査報告をするだけなのです。

 この日も会計簿、領収書、預金通帳などを出来上がった決算書を基にチェックしました。小さな灘町区といえど会計の項目はおびただしく、領収証と預金通帳を電卓を叩きながら照合して行きました。結果的には何の問題もなく承認し、最後は決算書と会計帳簿に署名押印し2時間足らずで監査会を終えました。私が区長をしていた頃区の財政はかなりの黒字に転じていたため、今もその余力で健全財政が維持できていて、嬉しい限りです。

 一年に一度の監査会は恒例で終われば6人だけの小宴がついています。区の心ばかりの弁当を広げて慎ましやかな酒盛りをしました。酒を飲まない私は話の中に加わりながら色々な話をむしろ聞き役に徹して花を咲かせました。町内の出来事が手に取るように分かりました。また他愛のない噂話や思い出話も飛び出して大いに盛り上がりました。皆さんは飲むほどに酔うほどに饒舌になるので、私は早々にお暇をして自宅へ帰りました。

 妻は食事をせずに待っていたので食事を再開しました。食事の門限を出来るだけ9時までと決めているため、滑り込みでセーフでした。ふと気がつくとわが家も私と妻の二人だけの食事です。テレビを見ながらの食事なので別に寂しくも感じませんが、妻は忙しくても食事の手を抜くことは決してなく、私の健康や嗜好を考えて毎日美味しい食事をしてくれているのです。肉は殆ど食べず魚中心の私のために、餃子みたいなひき肉を隠し味にして多少の肉料理もしてくれるのです。

 こんな穏やかな食事や暮らしをこれからもずっとしたいと願っています。


  「あっ忘れ あっ思い出したる 監査会 急ぎ駆けつけ 事なき得たり」

  「知らぬこと 知ったかぶりで 相槌を 打ちつ輪の中 巷の話題」

  「気がつけば たった二人で 食事する テレビ仲介 まるで三人」

  「穏やかな 二人の暮らし いつまでも 続いて欲しい 願いながらも」

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〇黄砂の降るあいにくの天気の中を

 昨日の朝起きて外を見ると、乳白色のもやのようなものがかかって、何やらいつもの様子と随分違っていました。外に出て見ると視界は完全に落ちて、いつもだと鉄橋の向うに見える上灘漁港の赤い灯台の明かりも目を凝らさないと見えないほどでした。

 この日は香川県で行われる四国の学生たちの集まりに講演を頼まれているのを利用して、妻と妻の友人たち3人も同乗するとあって、自家用車を綺麗に水洗いして車庫に入れて置いたのに、シャッターを下ろすのを忘れていたため、強い南風に乗った黄砂が車の至る所に降り注ぎ、わやになって私を落胆させました。急いで車を車庫から出して水をかけて洗いましたが、黄砂はその後も降り注いで返って見苦しくなってしまいました。

 やがて山の端から朝日が昇りましたが、下の写真のように太陽も乳白色の黄砂にさえぎられて、まるでおぼろ月夜のような感じに見えました。

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 私もこれまで65年間生きてきましたが、これほど酷い黄砂現象は始めてて、黄砂を伴った低気圧や前線の影響で北日本や東日本では飛行機の欠航、列車の運転見合わせが相次ぎ、せっかくの3連休に水を指す格好となったようです。

 しかし四国の天気は徐々に回復し、私たち一行は私の車に乗って香川県へ向けて出発しました。高速道路を順調に走り1時間30分ほどで善通寺インター下り、最初の目的地金比羅さんにお参りしました。ご存知金比羅さんは785段もの石段のある難所です。中年の女性たちにとっては少々難儀なお参りでしたが、何とか本田までたどり着き、お参りを済ませました。

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 ノロノロした階段登りで時間を食ってしまい、私の講演予定の時間が迫ったので、予定していた岸という名代うどん屋へ立ち寄って昼食をする暇がなく、結局は善通寺から再び坂出北まで再び高速に乗り、有料道路を経て五色台にある青少年研修センターまで一目散、やっとのことで間に合いましたが、残念ながら昼ご飯を食いっぱくれる羽目となりました。

 個々で妻たちと別れましたが、妻たち一行は妻の運転する車で天下の名勝屋島まで行き、観光を楽しんだようです。その間午後4時まで私は青年の分科会や全体会に出席し熱弁をふるいました。迷いながらも妻たちは楽しい思い出話を大笑いしながら青少年研修センターまで迎えに来てもらって合流し、一路岐路の途に付きました。私たちの反対車線上りは新居浜付近から長蛇の列が連なっていました。今朝の新聞では高速道路の高架橋から人が落ちて3時間にわたって通行止めがあったらしく、その列を尻目に伊予まで帰り、みんなで思い出話をしながらそば吉で夕食を食べ、戻ってきました。


  「一匹の 野獣と美女の? 珍道中 785段を フーフー言いつつ」

  「講演に 出かける機会 生かそうと 四人の美女が お供となりて」

  「年上の 私が一番 先歩く のろまメス豚 口だけ軽く」

  「はいチーズ 顔はまあまあ 尻と腹 写真は?を つかずに写す」

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〇隣の叔父さん叔母さんがもぎたてテレビに登場

 久しく新聞やテレビなどのマスコミから遠ざかっていましたが、昨日の「もぎたてテレビ」に双海町翠地区のピザ釜の話題が登場していました。有志がグリーンツーリズムの一環として翠地区に開設した4基のピザ釜は、木造校舎の翠小学校、イチゴ狩り、ホタル保護活動の3点セットで今や多くの観光客を集めているのです。

 私はあいにく香川県へ出張していて放映を直接見ることはできませんでしたが、妻が録画をしていたビデオを帰宅後自宅で見ることができました。昨日の番組はピザ釜で双海町の春の食材を利用して、色々なピザを寺尾アナウンサーが作るというテーマ設定でした。シイタケやタコ、サワラ、ワカメ、シラス、イワシの塩辛、コンニャク、イチゴ菜の花などなどをトッピングして焼き上がったピザをみんなで試食している姿は、とてもほのぼのしていました。

 昨日の番組でもう一つの話題は、隣に住む手作り傘屋さんの登場でした。渡辺福計さんと笑子さん夫婦は私の叔父と叔母で、二人の名前を合わせると福笑いとなるようなほほえましい夫婦なのです。傘が貴重だった昔は大阪で製造販売していましたが、先を見越して田舎へ帰り、その後病気になったこともあって、リハビリのつもりで始めた和服の生地を再利用した日傘が想像以上の人気を呼び、今はちょっとしたブームが起って、マスコミに度々登場し、70過ぎた今もひっきりなしにお客さんが来ているようです。

 マスコミに登場するのは身内ではこれまで殆ど私でしたが、嬉しい変化を内心喜んでいるのです。

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 先日東京から来た伊藤さんを連れて町内散策をした折、従兄弟の元商工会長をしていた西下さんから「今朝お前の顔がテレビに映っていた」と、藪から棒に言われました。テレビに登場するはずはないのだがと思っていたらどうやら先日、西予市の地域づくりグランプリの表彰式の模様だったようです。一昨日愛媛新聞にその時の模様が掲載されていてある人から「あんた新聞に載っていたな」と声をかけられました。地域づくりグランプリの審査では審査委員長を務めたため、表彰式で審査委員長として講評を述べる姿だったようです。

 講演に行って講演している姿や、シンポジウムのコーディネーター、パネラーーとして出演している姿も時々マスコミにチョイ役で登場しています。まあ何だかんだ話題の多い私の身の回りです。

  「もぎたてで 隣の叔父と 叔母が出る 結婚式の 写真まで出る」

  「そこここで 頑張る双海 嬉しいな 合併しても 地名残りて」

  「出ていたな 載っていたなと 声かける 人多くあり 出会い懐かし」

  「映像に 映し出された 人を見て 歳を重ねる 姿感じる」

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〇小さい春をみ~つけた②

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 ・花の名知らず

 まるで菜の花のようにJR予讃線のヅハ沿いを黄色く彩る花を見つけました。秋にピンクの花をつけるカタバミの花に葉っぱも花も似ているのですが、花の名前が分からないのです。近所の人に聞いてみましたが、近所の人も分からないと言っていました。春を感じる野草に思わず目を奪われ、立ち止まりしゃがんで見とれてしまいました。大きな花は大きな花なりの主張がありますが、こうしたちっちゃな花も群れをなすと綺麗ですね。

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 ・菜の花

 この花は双海町を代表する閏住の菜の花畑です。もう木の花の見ごろも峠を過ぎていますが、今年も立派に咲きそろい多くの人の芽を楽しませました。今は名残の花で既に花の散った茎には来年のために実を結んでいるようです。

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 ・黄砂に煙る

 ジェット気流に乗って中国大陸からやって来る黄砂現象が昨日見られました。視界が悪く洗ったばかりの車の上には少し黄砂が積もりました。これも春の洗礼です。前日は見えた人間牧場ウッドデッキからの眺望も昨日は春霞といったところでした。

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 ・ミツバチが飛び交う

 冬越しをしたミツバチが昨日は陽気に誘われて盛んに飛び回り蜜を集めていました。草や花よりも動き回れる小動物たちはいち早く春や陽気を感じるのかも知れませんね。昨年は初めてのこともあってミツバチに翻弄されましたが、今年は養蜂二年目なので何とか納得のいくようにと願っています。何はともあれ種蜂となるミツバチの越冬を確認できたことはこの春一番の大きな喜びでした。昨日の突風に吹き飛ばされないよう、井上師匠が作ってくれた土台にビニールの紐で固定をしました。

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  「この花は 何の花かな 人に聞く 洒落てその人 何~の花(菜の花)」

  「冬を越し 巣箱入り口 たむろする ミツバチたちよ よくぞ耐えたね」

  「春霞 正体黄砂 気流乗り はるばる日本 春の使者来る」

  「花粉飛ぶ 杉の木下で 作業する 花粉症にも ならず鍬打つ」

 

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〇小さい春み~つけた①

 昨日の日本列島は日本海で急速に発達した低気圧の影響で朝から南風が吹き荒れ、九州では歩けないほどの強風にあおられて一人が死亡したり、静岡では山焼きの災に巻き込まれて三人が死亡するなど、各地で強風が原因の悲しい事故が相次ぎました。

 わが双海町でも海は白い水しぶきをあげて南西の、いわゆる「やまぜ」が猛威をふるって吹き荒れました。そのため温度は一気に上昇して、前日より10度も高くなり、各地で初夏並みの気温となったようです。特に夜早くには稲光と雷音がまるで空襲のように不気味に光と音の天体ショーを見せてくれました。

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 ・こんにゃくの芽吹き

 昨日は陽気に誘われて、そこここで小さな春を沢山見つけましたが、何と言ってもこの一枚は春の象徴するようなこんにゃく畑で見つけた芽吹きです。このところの陽気に誘われ土を割るように飛び出したこんにゃくの芽吹きは、作物を作る者にとっても待ち遠しかった出来事でした。

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 ・桜の開花

 この一枚も日本中が待ち焦がれていた桜の開花です。「早咲きは早く散り、遅咲きは遅く散る」は私が考えた一言ですが、冬北風が強く吹くわが町ではまだ蕾が固いようですが、人間牧場に通じる農道の風が当たらない日当たりの良い場所では、早くも桜の花が裂き始めました。この分だと節句には名残の花しか見れないかも知れませんが、昨日の南風で一気に開花が進みました。

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 ・レンゲの花の咲く近所の田んぼ

 私たちが子どもの頃は、殊勝にもレンゲの花を積んで遊んだりしましたが、レンゲの思い出は何といっても、お節句に母が作ってくれた海苔巻き弁当を持ってレンゲ畑に出かけその上に広げて友達と一緒に食べたことです。一年に一度の至福の時でした。そんなふるさとの風習も残念ながら消えてしまったようですが、レンゲ畑を観る度に母の顔を思い出すのです。

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 ・道端で見つけたボタンの花の開花

 「えっ、もう?」と思われそうですが、昨日道端でボタンの花の蕾が開こうとしているのを発見しました。ボタンの中には品種改良が進んで寒の寒さの中で咲く寒牡丹もあるようですが、これも早稲系なのでしょうか。それにしても早過ぎますね。

  「いつの間に あちこち身近か 足元に 小さな春を 見つけ喜ぶ」

  「この時期に ボタンの蕾 開いてる 人も早稲だが 自然早稲系」

  「行く春を 惜しむが如く 愛おしむ 上や下へと 目をやりながら」

  「春雷が 稲光ともに 春告げる 孫は両手で へそを押さえて」  

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〇人間牧場での農作業

 今日は、このところのめまぐるしく変わる天気もあって延び延びになっていた、人間牧場の農作業をしに出かけました。天気予報だと午後には雨が降るかも知れないといっていたので、弁当も持たず予定していた茅刈り、石垣積み、こんにゃく畑の草引き、畑の草取りの順に作業を行いました。

 まず最初は茅刈りです。人間牧場は5年前に荒れた放任園で茅やカズラが生い茂っていましたが、茅もカズラも人力で何とか除けましたが、茅は一株だけ風流を楽しもうとそのままにしていました。案の定その一株は人間牧場の四季を演出してくれ、春の芽立ち、夏の青草、秋のススキと季節の趣を見事に表現してくれているのです。そろそろ茅も新芽を吹く頃になったので、少々遅い作業ですが、遅ればせながら思い切って刈り取ることにしました。一昨年までは鎌で、去年は草刈機でやりましたが、中々はかどらず、今年は思い切ってチェンソーで刈ることにしました。この選択は正解でいとも簡単に刈り取ることが出来ましたが、茅の柔らかい葉っぱが目につまり、後片付けに少々手間がかかりました。刈り取ったススキはブルーベリー園の下草に敷き詰めました。一ヵ月後には切り株に青々とした新芽がでることでしょう。

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 続いて石垣積みです。かまど小屋の新築に伴い引いた給水パイプと排水パイプが露出しているため、これを隠すために、昨年の公開セミナーの折り、皆さんに運んでもらった石を使い無謀にも素人の私が石垣積みに挑戦しました、石垣は石の癖組みだと言われるように、癖を見抜かなければなりません。しかし言うは易し行うは難しのことわざどおり、癖

が分からず四苦八苦しましたが、どうにか石を積み上げ、土をならして屋外からウッドデッキに通じるように道もつけました。邪魔にある杉の枝打ちも行って何とか様になりました。

 これでパイプが隠れいい雰囲気となりました。

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 こんにゃく畑の草引きは、こんにゃくが植わっている場所に竹を立てていたのが目印となって大助かりでしたが、草の中から早くもこんにゃくの芽がニョキリと可愛らしい顔を出していました。新芽を傷つけないように注意を払いながら草を引いてい行きました。植え付けして今年で3回目の芽を出したことになります。二年生の芋を植え付けたので今年で5年生となるはずで、多分今年の秋には立派な芋が出来るだろうと、早くもこんにゃく作りへの夢が広がっています。今年はサツマイモ畑の下の段々畑にもコンニャクイモを作付けしようと思っています。

 種芋は結構高いので少し小ぶりの安い種芋で我慢しようと思っていますが、早速この冬に耕しておいた畑の雑草の山を切り崩して、雑草を畑の外に出す作業をしましたが、少し腹が減ったのと、午後3時に人に会う約束があるので道具類を片付け、下まで降りたところで長男夫婦に出会いました。連休なので遊びに来たようですが、息子の車で孫たちと再び人間牧場へ行き、お風呂を楽しむ息子たちを残して、私は細い道を一直線に駆け下りて自分の車まで行き、自宅へ帰ってきました。

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  「午後雨の 天気予報を信じつつ 弁当持たず 作業熱いる」

  「素人の 私石垣 積みました どうなることか 後が心配」

  「こんにゃくの 新芽発見 草の中 冬の寒さを 堪えて芽吹く」

  「一人だと するようなった 孫が来る 牧場久方 賑やかなりぬ」

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〇東京からのお客さん

 ふとしたことから知り合った国立教育政策研究所社会教育実践研究センター専門調査員の伊藤女史が昨日、調査のために東京からわざわざやって来ました。前日夜遅く松山に入り大番頭の米湊さんと小番頭の松本さんがお相手をしてくれ、昨日は午前10時に松本さんが案内して朝10時に我が家で落ち合いました。

 伊藤さんのご主人は八幡浜の出身らしく、愛媛は馴染みの土地でシーサイド公園などは既に見学しているので、まずリクエストされていた下灘駅へ向かいました。駅には平日ながら列車を待つ人や見学者がいて、運よくプラットホームへ滑り込むように入ってきた一両の列車が、何とも長閑なローカル線の風情を醸していました。最近地元の老人クラブがこの駅に野菊を植えたり掲示板や「ウフフ・・」という落書き帳を備え付けたりして、駅をきれいにしようと取り組んでいますが、その張本人の元商工会長西下芳雄さんにも偶然出会いました。西下芳雄さんは私のいとこで、前日も花活けの花器を作ったらしく、季節の花が彩りよく飾られていました。

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 その後奥西周りで人間牧場へ直行しました。昨日はこのところの天候不順が?のように青空が広がり、日陰は少々寒いもののウッドデッキからの眺めは最高で、青い空を写した海も真っ青で、遠望も開けて「これぞ人間牧場」と自慢できるほどの眺望でした。伊藤さんは人間牧場の話に耳を傾けたり、そこら辺を見学したりしていましたが、ロケーション風呂からの眺めにも感心していました。人間牧場もいよいよ春を迎え、スモモの白い花が満開に咲いていました。眼下の下灘豊田漁港はこの休漁日のようで漁船が綺麗に並んでいました。

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 潮路というレストランで軽い食事をしながら海を眺め、くじらという妹のお店でソフトクリームをご馳走になりながら菜の花を眺め、最後は改装なった翠小学校を見学に出かけました。この日はチェロの演奏会があったようで、校長先生とも面談しましたが、伊藤さんは松本さんの案内で学校の見学をしていました。

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(改装なった翠小学校)
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(廃材利用のエコ時計)
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(故梶原忠弘さんが寄付された翠小学校の象徴であるカワセミの石造)

 つかの間のご案内でしたが、松本さんや伊藤さんの後ろの時間が設定されていたので、簡単な町内ウオッチングは終わりましたが、伊藤さんと分かれてから、社会教育とまちづくりの話を深く話さなかったと少々悔やみましたが、お互いその辺は分かりあっているのと自分を納得させました。その話は次の機会にとっておきましょう。


  「そこここを 案内歩く 町内で 懐かし人に 出会い懐かし」

  「いつの間に 人間牧場 春が来て スモモの花も 満開に咲く」

  「漁休む 漁船居並ぶ 港町 長閑けき春を 堪能しつつ」

  「都会より 田舎がいいと 自慢する 果たして田舎 本当にいいのか」 


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〇地域づくりグランプリの表彰式

 「せいよ再発見!地域づくりグランプリ」の審査を依頼されたのは昨年でした。年が明けたころ西予市役所から茶色の分厚い封筒が宅配便で送られてきました。中にはイベント部門14件、伝統行事部門23件の応募作品がぎっしり入っていました。2月の始めの締め切りなので少し間があると思いつつ気になって少しずつ読み始め、1月下旬には採点を終えて採点票を事務局へ送り返しました。

 あくる日広島県福山市へ早立ちしなければならない前日の3月2日に本審査会が市役所で開かれました。審査員は友人の前田眞さん、それに愛媛新聞の門田支局長さんでした。年齢が上という理由だけで審査委員長に選ばれ仕方なく撮りまとめを行いました。

 あらかじめ送り返していた個別の審査票に書かれた得点表は集計されて一覧表になっていました。独自性、地域性、具体性、継続性、主体性の各項目ごとに5点満点を積み上げてゆく採点基準は、イベントや伝統行事ゆえにある意味個々の主観が入るものですが、多少の差異はあっても、三人の審査員の採点はそんなにぶれていなくて、ホッとしました。

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 合併して6年近くが経ちますが、海抜ゼロメートルの旧明浜町や旧三瓶町から高知県境旧野村町大野ヶ原までとてつもなく広くなった西予市には特徴あるイベントや伝統行事が数多く残っています。その中で審査員が選び市長さんに答申したのは次の通りでした。

 イベント部門(応募14件)

 グランプリ   土居家観月会(惣川自治振興会)

 準グランプリ  どてかぼちゃカーニバル(どてかぼちゃフェア実行委員会)

 準グランプリ  渓筋川まつり(渓筋自治振興協議会)


 伝統行事部門(応募23件)

 グランプリ   御田植え祭り(土居総務区)

 準グランプリ  渡江歌舞伎くずし盆踊り(渡江盆踊り保存会)

 準グランプリ  三瓶町朝立地区秋祭り(朝立地区)

 審査委員会特別賞

           卯之町秋祭・夏祭

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 昨日地域づくりグランプリの表彰式が西予市役所で行われ、審査委員長として講評をするよう依頼され出かけて行きました。会場には被表彰団体の方が各団体2名ずつ見えられ、マスコミも新聞やテレビが来て賑やかな表彰式となりました。講評は粗相があってもいけないのでメモを読み上げるような形でさせてもらいました。

 西予市では限界集落といわずイキイキ集落と呼んでいるのだと市長さんの説明を受けましたが、集落の高齢化や少子化による過疎化は深刻の度を増しているようです。ゆえに応募のあったイベントは伝統行事の存続はかなり厳しい状態になっていますが、遺し伝えることの意味をかみしめながら今後も、存続して欲しいと願い、願わくば多に類を見ない素晴らしいものが沢山あるだけに、これらを観光資源として生かして交流を深め、活性化に一役買って欲しいと締めくくりました。

 今年は私もその幾つかを見に行こうと思っています。

  「グランプリ 表彰式に 出席し 講評述べる 機会恵まれ」

  「そこここに 遺し伝える ことありて 将来不安 隠しきれずに」

  「賞金と ともに賞状 市長より いただき帰る 笑顔残して」

  「今年こそ グランプリなる お祭りを 見たいものだと 予定に入れる」

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〇もりともバリバリ

 昨日は昼休みを利用して松山駅の近くにある商工会連合会の建物に立ち寄りました。この界隈も郊外を通る環状線が抜けたためすっかり通らなくなり、見覚えのある建物もすっかり様変わりした感じがして、ついついその場所を忘れるほどでした。今月中旬からえひめ政策研究センターが日本銀行松山支店の直ぐ隣から商工会連合会へ引越ししたのです。センターの引越しは南町の農業指導センターから松山市民病院隣の生活保健ビルを経てこれまでの元松山地方局と移転しており、今度が4度目なのです。20年余りで4度目ですから事務所移転としては多い方で、一昨年前まで私が代表を務めていたえひめ地域づくり研究会議の事務局があるものですから、ついつい便利に使っていたものの、いざ事務所移転となるとこれから当分は慣れるのに苦労するなあと思いつつ、フジグラン松山の5階駐車場に車を止めて、松本さんに携帯電話で場所を聞きだしました。

 かつて双海町商工会が活発に活動していた合併前、特にむらおこし運動華やかなりし頃は商工会連合会の補助事業でむらおこし運動に取り組み、連合会へも度々出入りしていました。記憶にある連合会の茶色い建物はグランフジの直ぐ隣にありました。ゆっくり歩いて行きましたが、今回移転した事務所はよく会合で訪れた3階の大ホールでした。商工会連合会も市町村合併で喧嘩の加盟商工会が合併して激減し、年に何回しか使わない大ホールなどは必要なくなってしまったようで、ビルを維持管理するためには賃貸した方が得策と選択したようでした。

 入り口には既に「えひめ地域政策研究センターの看板が掲げられ、3階までエレベータに乗りました。かつて大ホールだった事務所は既に350個ものダンボールが殆ど片付けられて、事務所としての昨日を再開していました。所長さんとは会えませんでしたが、お二人の主任とは松本研究員を交え久しぶりに面談しました。伊予市から出向して私の手足となって陰に陽に働いてくれた松本研究員も、3年間の出向を解かれ伊予市へ帰ってゆくのです。多分今日出るであろう県庁の異動内示でお二人は古巣の県庁へ帰られるのでしょうが、一つの時代の終わりを感じました。

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 松本さんが「若松さんのことが「もりともバリバリ」というブログで紹介されていましたよ」といわれ、帰ってからパソコン画面でそのブログを開いて読みました。今治の方が先日今治市玉川町であった学集会の模様をルポしていました。私は話をしなければならないのでこの写真は取れないため、貴重な落伍風景の3枚の写真入りで色々書かれていました。参加者を前に裂き織の羽織を着てその気になって高座で熱演する私の姿を見て、思わず笑ってしまいました。

 芸人気取りではありませんが、何とか様になっていて、村上さんの活けてくれた活花や森さんが持参した椿の花も美しく会場を飾っている姿が写っていました。

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(もりもとバリバリで紹介された落伍風景)

  「移転した 事務所を訪ね 懐かしく 辺り見渡し 思い出よぎる」

  「落伍する 私の姿 写真入 ブログに書いて 友は発信」

  「何となく 様になってる 自分見て 思わず一人 含み笑いを」

  「この後で 足がしびれて ヒョロついて 足首捻挫 今も痛くて」



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