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○人間牧場訪問記②

 二日前、私のメールに兵庫県洲本市五色町の商工会職員さんからメールが入りました。「視察研修を計画していて、双海町に立ち寄るので、時間が空いていれば是非逢いたい」というのです。私のその日のスケジュールは午前も午後も夜も詰まっていて、午後1時から3時までなら何とか都合がつくかも知れないと返信しました。

(これから広島へ出張するので、続きは帰ってから書きます)

 その後メールで返信があり、視察先の内子町から少し早めに引き返し午後1時過ぎには立ち寄るので何とか時間を」と書き込みがありました。私はかつて若い頃洲本市と合併する前の五色町へ講演に行ったことがあるので、次のスケジュールを調整して出会うことにしました。

 午前中のお客さんの接客中、彼らから「ただ今伊予インターを降りたので向かっています」と連絡があり、午後1時過ぎに彼らはシーサイド公園へやって来ました。

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 彼らの出迎えに駐車場へ行ってびっくりしました。たった6人の人数なのにバスは中型です。「このバスで人間牧場へ行くのは無理だ」と断わりましたが、どうしてもと懇願され地元の9人乗りタクシーをチャーターするよう手配し、タクシーが来るまで暫くの間恋人岬の石席で観光と所業のあり方についてレクチャーしました。

 やがてタクシーに乗り込み先ほど先約客を案内した山道を走りました。幸いなことのこの日の運転手さんは高岡社長さんだったので、時間が押していることもあって、あの狭い山道を人間牧場玄関先まで乗り入れてもらい、ひやひやながら事なきを得ました。

 商工会青年部の皆さんにとって人間牧場の発想や施設群はとても興味をもたれたようで、矢継ぎ早の質問に答えながら束の間の時間を楽しみました。その後下灘駅、翠小学校、わが私設公民館煙会所を見学し無事4時過ぎに夕暮れ迫るシーサイド公園に送り届けました。彼らの目的はこの日の夕だったのですが、私は大幅に遅れた後約のお客さんを連れて三度人間牧場へ向かいました。

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 この日彼らは私への手土産として淡路島特産のタマネギを段ボールに1箱持ってきてくれました。わが家私設公民館煙会所の軒先に釣っているインテリア風なわが家のタマネギを見て彼らはどう思ったことでしょう。わが家ではその夜妻がカツオのたたきに添えていただいた淡路島特産のタマネギをスライスして食卓に出してくれていました。美味しいタマネギを食べながら彼らのことを思い出しました。

 この日は人間牧場へ3回も往復するなどまあ忙しい一日でしたが、来客それぞれが運んでくれた異文化ギャップを感じながら、充実したいい一日を過ごさせてもらいました。水は必ず高いところから低いところを目指して流れますが、人は必ず文化度の低いところから高いところを目指して動くものです。私やこの町文化度は高いとは思いませんが、せめてこれからも町や自分の文化度を少しでも高めるよう努力したいものです。


  「水何故か 高きに発し 低い方 人低い方より 高きを目指す」

  「五色町 聞いて昔が 蘇る お世話になった 恩を返そう」

  「ああ今日も 人のご縁を いただいて 幸せでした 明日もありなん」

  「双海町 かつて訪ねし 人の子が 年月過ぎて やって来るとか」 

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○人間牧場訪問記①

 戦実日本銀行松山支店で行われた研修会の席上で、愛媛県金融広報委員会の会長を兼務している支店長さんに、「いつか人間牧場へ遊びに来ませんか」とお誘いの言葉をかけていました。日本銀行の支店長さんといえばそうそう私たちの誘いなどに耳を傾けたり来られることはないだろうと思っていました。

 ところが先日、支店長さんから「11月6日の土曜日なら何とか都合がつきそうなので、お邪魔してもいいですか」と電話連絡がありました。支店長さんが来るのならと担当者の女性もお誘いしましたが、残念ながら子どもさんのクラブ活動などがあったようで、列車で来るか車で来るかも二転三転し、結局車で来ることになりました。お約束の10時にシーサイド公園で待ち合わせをしていたら、時間通りぴったり10分前にに支店長さんは到着されました。

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 さて、人間牧場だけでも芸がないと思い、まず翠小学校を案内しました。昨日はあいにく休日で学校はお休みなので、運動場の中にだけ入らせてもらい、校舎の正面玄関で写真を撮っただけの本のさわりだけでしたが、金融教育に欠かせない二宮金次郎の銅像があったりして、ご案内出来てよかったと思います。

 翠小学校へ立ち寄ったついでに近くのピザ釜から煙が立ち登るのが見えたので、おそるおそる中へ入ってみると、皆さんが忙しそうにピザ焼きの準備をしていました。市会議員の岡田さんや中心として働いている西岡さんたちと、時ならぬ名刺交換となりました。加えて折角だからと急遽支店長さんはピザ焼き体験に挑戦させていただきました。短い時間ではありましたが生地こね、生地発酵、生地延ばし、トッピングなどを経てピザが焼きあがり、その合間を縫ってみかんジュース絞りまで体験し、熱々の美味しいピザを二人でほおばりました。

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 そうこうしていると、地域政策研究センターの職員が舞たうんの表紙を飾る絵を描くため、柳原あやこさんを連れてやって来ました。柳原さんとは10年ぶりの懐かしい再会ですが、偶然の出会いにお互い喜び合いました。ピザ釜を出てちょっとわが家へ立ち寄り、私設海の資料館海舟館と私設公民館煙会所を見学してもらいました。

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 昨日は小春日和で風もなく穏やかな天気で、戸外では汗ばむほどの陽気でした。人間牧場へ続く急な山坂を縫うように走る人間牧場までの道沿いにはツワブキや野菊など季節の花々が咲いて、色づき始めたみかんと共に秋を感じさせてくれました。

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 人間牧場では背もたれ椅子をウッドデッキに持ち出してのんびりと海や空を眺めながら過ごしたり、ロケ風呂から豊田漁港の風景などを楽しみながら過ごしましたが、ススキも満開、周囲の山々も少し紅葉が始まり、多少ガスで曇ってはいましたが遠望を楽しました。

 その後下灘駅に立ち寄り、シーサイド公園のレストラン夕浜館で夕日丼を食べ、3時間の短いコース見学会は終わりました。果たして日ごろは激務に追われている日銀支店長さんに、束の間の短い休日を楽しんでもらえたかどうか満足度は分かりませんが、昨日の天気に免じて許して欲しいと思いました。レストランで食事中に次の視察団体到着の知らせが入り午後1時、支店長さんとお別れをしました。

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○夕日の撮影会

 前日の夕方西条からの帰り道、高野川の海岸で撮影した夕日夕やけの写真が余りにも出来が悪かったため、昨夕も松山から夕方同じくらいの時間に帰ったこともあって、着替えもせずにスーツにネクタイという出で立ちで新しいカメラを書斎から持ち出して、夕日のメッカシーサイド公園に出かけて行きました。昨日のダルマの夕日のような写真を撮りたいと思っているのか、アマチュアのカメラマンが何人も思い思いの場所にカメラを三脚セットして撮影をしていました。その殆どの人のカメラはまるで竹筒のような長い望遠レンズで、しかもハイメカなデジタルカメラのようで、私の簡易カメラみたいな安物を持っている人は殆ど見当たりませんでした。私も金ができたらあんなカメラをとふと思いましたが、金ができたらもっと別のことをするだろうと納得しながら撮影モードに入りました。

 近頃はカメラがデジタルになってフイルム交換やフイルム代を気にせず写せるのはいいのですが、その中からデジタル記録として残す作業をしなければならないので、私は適当に時間を置いて何コマか撮影しました。昨日は日が落ち始めるとさすがに冷気が身体に堪え寒くなり、防寒コートを持っていないため、ダルマの夕日にならないことを予測して早々に引き上げてきました。

 でも昨日の夕日もダルマ状態にはならなかったものの、秋の澄んだ空気のせいでしょうか、雲ひとつない絶好の夕日をカメラに収めることが出来ました。また息子や娘たちが誕生日のプレゼントとして買ってくれた、新しいカメラを初めて使ったため、多少不安だったものの、昨日よりは随分ましな写真が撮れていたようです。

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 それにしても、同じ夕日を同じカメラで同じような場所から撮影しても、随分その雰囲気は違うものだとしみじみ思いました。と同時に私のようなカメラ技術が下手糞な者でも、カメラさえよければある程度はカバーできるものだと、納得しながらパソコンに取り込んだ写真の中から上の7枚をブログに取り込みました。

 私のカメラはもっと画素数が高いのですが、ブログに取り込むには画素数を落とさないと取り込めないため、あらかじめ画素数を落としてセットし撮影しているので、プリントアウトすると画像が荒れるのです。まあ芸術品を作るのが目的ではなく、リアルを表現するだけなので、納得しているのです。

 何はともあれ秋の、夕日本番の写真を記録しただけでもいい一日でした。日本一と自認する美しい双海の夕日を見たい方は、今が旬の夕日を是非見に来てください。

  「カメラ変え 二日続けて 夕日撮る 腕よりカメラ 勝りていい絵」

  「下に雲 残念ながら 見えなんだ ダルマの夕日 諦め帰る」

  「昨日はね ダルマ夕日が 撮れたのと デジカメボタン 再生自慢」

  「七枚の 写真を組んで 表現す ブログ発信 双海の夕日」

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○警察本部からの講演依頼

 何ヶ月か前、「こちら愛媛県警察本部少年課の○○ですが、若松さんですか」と、いきなり電話がかかってきました。警察から、しかも本部からの電話なので幾ら悪いことややましいことはしていないと思っても、「少年課」など聞こえず、「えっ、警察本部から私に何の用・・・・」と思って一瞬こわばりました。そして私のカンピューターはとっさに二つのことを思い出しました。一つは私自身が過去に振り込め詐欺未遂事件に出会ったこと、もう一つは自分の息子が警察官なので、要らぬ心配ですが「息子が何か・・・・」と思ったのです。

 何年か前、わが家に突如として一本の電話がかかってきました。「あなたの息子さんが交通事故に遭いました。つきましては示談に100万円が必要です。」「息子さんは放心状態で電話に出られません。」などと、振り込め詐欺特有の電話なのです。人のことだと冷静になれるのですが、いざ自分の息子となると多少胸の高鳴りを覚えましたが、「お金は今すぐには用意できない。」「貯金通帳も印鑑も妻が持っている。」「妻はあいにく留守なので連絡しても夕方になる。」なとど引き伸ばし、一応電話を切り伊予署へ事の始終を報告して、再び犯人からの電話を待ちました。相手が「これはやばい」と悟ったのか、その後電話は二度とかかってこず、振り込め詐欺は未遂事件に終わりました。

 要らぬ心配のもう一つは警察官をしている「息子がもしかして・・・」でした。最近は警察官の不祥事も全国では結構新聞やテレビ沙汰になっていて、息子を信じてはいるものの少し心が動揺したのはやはり、息子を思う優しい親心なのかも知れないのです。

 結局少年課の○○さんからの電話の用件は、「研修会で講師をして欲しい」という依頼でした。私はこれまでにも各所の警察署や刑務所など、ありとあらゆる場所で講演を経験していますが、今回は警察ボランティアの方々に愛媛県武道館で話して欲しいということでした。

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 愛媛県武道館は愛媛県知事さんが、威信をかけて造った施設だけに、それはもう国際大会にも耐えれる立派なもので、まるでお城のような雰囲気です。私も2~3度立ち寄ったことはありますが、武道館で講演をするのは初めてとあって多少緊張していました。多分そのせいでしょうか、折角その日の午前中に作った自分のための講演シナリオを、プリントアウトしたにもかかわらず、プリンターに置き忘れるという大失態を演じてしまいました。でも講演シナリオがなくっても1時間余りの講演ですから、難なく事なきを得て無事終わりました。それにしても講演シナリオを忘れるなんて、妻曰く、「あなたも歳だ」と・・・・・。自分でも「う~ん、やはり歳だな」と妻の指摘に納得し、二人で大笑いをしてしまいました。

 会場には顔見知りも多く、「これは困った。何まりは話せない」と思いましたが、いざ蓋を開けるとそんなことは忘れて、思いつくまま多少冗談交じりの話をさせてもらい、警察のお堅い講演ながら不見識にも、会場の皆さんを笑わせてしまいました。

 昨晩はどういう風の吹き回しか、滅多に電話してこない警察官の息子から電話がかかってきました。妻から私に電話を変わり、事の始終を話しましたが、警察官の息子はやはりガードが固く仕事のことは一切話さず、「元気で頑張っている。」「正月にはひょっとしたら帰れるかも知れない。」と短い会話を交わし、年末調整のための生命保険の払い込み証明書を送って欲しいという言葉を残し電話を切りました。「警察」で明け暮れた一日でした。

  「警察と 聞くと心に 胸騒ぎ 悪いことなど してないいうに」

  「何年か 前に体験 詐欺未遂 経験したこと 脳裏に浮かぶ」

  「もしかして 息子気遣う 親心 違う電話に ホッと胸なで」

  「偶然に 息子の方から 電話入る 懐かし声に 妻はにこやか」 

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○ダルマの夕日

 西条へ行った帰り、ブルーベリーの鉢植えに施す肥料である油粕を購入するため農材スーパーへ立ち寄ったり、あいにく不在の稲葉さんの自動車修理工場へ立ち寄ったりして、帰宅が夕暮れ時になりました。伊予市の裏道を通って帰る頃、車のフロントガラスの前にまぶしいほどの真っ赤に燃えた太陽が西に傾きつつありました。今もなお夕日に思いを寄せ続けている私は、こんな光景を見ると胸が高まり躍り始めるのです。

 「間に合うだろうか?」と多少不安になりながらも、多少車のスピードを上げ気味に三秋峠を上り下りし、やっとの思いで高野川まで帰って広場に車を止め、「間に合った」と思いつつ、急いで手持ちのデジカメを取り出し沈まんとする夕日をカメラに収めました。この日はかぜもなく穏やか、加えて秋の空気は澄んでいて、夕日の近くには大分の姫島や国東半島までもがこれまた印象的にシルエットを描いていました。

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 デジカメの調子が悪く、新しいのに取り替える時期が来たと少々悔やみましたが、それでも何とかダルマの夕日の天体ショーをカメラに収めることが出来ました。沈み始めて沈み終わるまでものの5分ほどは見る人それぞれで、長くも短くも感じるものですが、私にとってはまさに「秋のつるべ落としのダルマの夕日」をラッキーにも堪能することができました。これぞ日本一の夕日だと思いつつ、今日も天気がいいようなので、新しいカメラで狙ってみたいと思っています。

 夕やけが終わって、こやけの空も深い味わいがあり、いつまでも眺めていたい心境でした。この時期は昼間の温度が20度近くまで上がるものの、夜温は10度近くまで下がり、寒暖の差が大きいため、こやけになると急に様差を感じます。しばらくたたずんでこやけを見ていましたが、車の列に分け入り自宅を目指しました。

 自宅に戻りカメラのメモリーをパソコンに入れ再生しましたが、写真の腕は今一で、見たほどの感動夕日は、残念ながら写っていませんでした。


  「こりゃ駄目と 写った写真 落胆す 腕が悪いか? カメラ悪いか?」

  「夕日見りゃ 胸が高鳴り 興奮す これは病気だ 夕日病かも」

  「一年に 何度も見れぬ ダルマゆえ もっと綺麗に 腕を磨いて」

  「そろそろと お払い箱に しなくっちゃ 思いつカメラ 使い慣れして」

 

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○石鎚山を望む吉岡公民館へお邪魔しました

 昨日のような天気を秋晴れというのでしょうか、雲ひとつない青空で風もなく日中は小春日和りといってもいいほど穏やかでした。そんな陽気に誘われたからではなく、西条市吉岡公民館から講演の依頼があって、時間もあるのでのんびりゆっくり地道を走り、桜三里の峠を越えて西条入りしました。西条とっても旧丹原は桜三里の峠を越えれば「西条」という看板が程なく見えてくるほど東温市に隣接しているのです。吉岡は旧東予市で丹原寄りなのです。

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 旧丹原の産業道路周辺には深まる秋を象徴するように柿の木畑が何処までも続き、色づき始めた柿の実が秋を演出しているようでした。私の記憶はあいまいで、2007年9月26日にの同じ時間に訪問しているのに、最初は「はてさて?」と公民館の場所をカーナビに教えてもらいました。それでもサスガに近くまで行くと、吉岡小学校など近所の原風景を思い出し、迷うことなく一発で30分前に到着しました。館長室で館長さんと色々な話をして時間通りに集会は始まりました。

 手を上げてもらったところ、私の名前と顔を覚えてくれている人が多数いて、即座に話の中身を替えようと思いました。しかし再度「私が話したことを覚えている人」と手を上げてもらったところ、手を上げたのは2人でしたから、少し安心して話を始めました。確かに私が吉岡公民館の場所をあいまいに記憶していたように、参加した人たちが私の話を覚えていることはまずないのです。ましてや講演で話した私さえここで何を話したか思い出せないのです。でも一番前に座って、熱心にメモを取りながら聞いてくれた女性の顔は、今もはっきり覚えているのです。

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 講演は賑やかな笑い声に包まれ無事に終わりました。公民舘の入り口に飾られた綺麗な菊の匂いと館長さんたちの見送りを受け公民館を後にしましたが、畑中の道からは石鎚山系の山々が綺麗に見えて、思わず車を道端に止め、大きな深呼吸をして写真に山並みを収めました。時折西条の高橋さんから届くメール添付の写真や、今年の夏人間牧場の子どもたちを連れてあの山に登ったことなどを思い出しました。多分石鎚山のふもとは紅葉真っ盛りでしょうが、秋の石鎚山も訪ねてみたいと、これまた何年か前に妻や妻の友人たちを案内して紅葉を見に行った時のことが蘇ってきました。今日もかくてありなん、いい一日でした。


  「三年も 前の話を 覚えてる? 人はいないと 鷹を食ったが」

  「菊薫る 文化の秋や 公民館 人生大学 話頼まれ」

  「あの山に 今年の夏は 登ったと 記憶戻りて 紅葉を思う」

  「ああ綺麗 山に向かって 深呼吸 これで一日 長生きするかも」

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○公民館まつりに集う懐かしい顔々

 昨日は大洲で開かれるイベントに誘われて行く途中、下灘コミュニティセンター前の広場を中心に開かれていた下灘地区公民館まつりに立ち寄りました。10時過ぎだというのに臨時駐車場となった運動講演グラウンドは車がいっぱいで、沢山の人が集まっていました。今年は前日に北西の季節風が吹いて大荒れだったため、お目当ての魚の即売がなにので、少々寂しく感じましたが、それでも仮設テントの下にはそれぞれの集落から持ち寄った産品が並べられ、賑やかでした。

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 顔見知りの人たちが殆どですが、退職してから疎遠になっている人たちばかりなので、そこそこで安否を気遣う立ち話が多くて先へ進めませんでした。ある人は「久しぶりに顔を見ましたがお元気そうで何よりです」という人もいれば、「体調を崩していたそうですがその後如何ですか」と気遣いの言葉をかけてくれる人もいました。また酷い人は「あんたガンだったそうじゃが、治ったんかい」と辛らつな言葉をいう人もいました。まあその人たちは朝からテントの下の机に座り缶ビールを飲んでいる人たちで、酔った気分、面白半分の冗談話なのです。

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 パットライスのテントでは、米湊大番頭や松本小番頭、それに浜田塾生も遠方から駆けつけお手伝いをしていました。毎回ながら会場を盛り上げようとする彼らのボランティア精神には感心するばかりです。時折「ドーン」と音を立てて爆発させて作るパットライスを容器に入れて砂糖湯で味付けして頭上で振る浜田さんの芸当もすっかりイベントの名物になっているようでした。かつて文化祭と呼んでいた時代に下灘小学校を会場として、主催者の一人として難儀をしたり、私の発案で初めて水族館を作って話題となったことが懐かしく思い出されました。
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 本村の持ちつき会場には餅を買い求める長い行列が出来ていました。餅をつく人、餅を丸める人、殆どの人が、かつて本村成人大学で学んだ懐かしい人たちです。会話を交わしながら過ぎ越し当時のことを思い出しました。あの顔もこの顔もみんな私と同じくそれぞれに歳をとりましたが、みんな元気で頑張っているようです。「お餅をおひとつどうぞ」といただいて食べましたが、みんなの心のこもったあんこ餅は格別の味がしてとても美味しかったです。


   「本人を 前にあんたは ガンじゃとなあ 当の本人 近眼(ガン)ですらい」

   「イベントの ある度助っ人 してくれる 友は遠方 手弁当にて」

   「お互いに 歳をとったと 自慢する 頭は白く なったり禿げて」

   「イベントは 人を元気に する道具 秋空高く 笑い声聞く」 

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○家族で秋を楽しむ

 数日前、妻が友人から大洲の肱川川原で行われる予定の、イベントの話を聞きつけてきました。「何でも渡し舟に乗れたり、カヌーにも体験乗船できるそうよ」と、娘と息子嫁に話したところ、「面白そうだから子どもたちに体験させてやろう」という話がまとまりました。ついては「男手が欲しいのでおじいちゃんのあなたも是非参加を」と、私の日程表に勝手に書き込まれコントロールされてしまったのです。

 昨日は、「体育の日と文化の日は天気が良い」というジンクスどおり、絶好の秋晴れとなりました。娘たちは松山インターから高速道路、息子嫁たちは伊予インターから高速道路、私たち夫婦は地道をと、それぞれの方法で大洲の愛たい菜を集合場所に、12時を目安として集まりました。わが家の秋祭りに集合して以来の終結でしたが、孫たち4人もそれぞれ大洲地方の寒さ対策をして、元気な顔を見せてくれました。

 早速近くのレストランで私たち夫婦2人、娘家族4人、息子嫁家族3人の合わせて9人の大家族で賑やかな食事会となりました。息子は仕事で参加できませんでしたが娘婿も加わり、妻の財布を当てにしてそれぞれが食べたいものを注文して、久しぶりにおご馳走を食べました。食事が終わってお店を出ようとすると、いきなり大洲地方の地方祭のため郷土芸能五鹿踊りの門付けがあって、みんなで見学できる幸運に恵まれました。

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 私も、勿論孫たちもこんなに近くで五鹿踊りを見たのは初めてで、短い時間ながら、私たちの地方にはない郷土芸能なので、あっけに取られて見とれていました。鹿の被り物をして太鼓を打ち鳴らして踊った後、踊り子さんたちが気軽に声を掛けてくれ、お店の外に出てみんなで記念写真まで撮りました。10月の初旬松山地方から始まった秋祭りも、11月上旬の大洲地方の秋祭りでいよいよ幕を閉じそうです。

 さて孫たちのお目当ては河川敷で行われているイベントです。大小40余りのテント村が出現していて、大勢の人が集まっていました。ソフトクリームを食べたり、くじを引いて商品を貰ったり、孫たちにとっても露天屋台はまるでおもちゃ箱のようで右往左往していました。テントの向こうには青く澄んだ秋晴れの空に四層櫓の大洲城が堂々と聳え、絵になる光景を背景に舞台では藤縄神楽が奉納されていました。

 その足で川原に下りて、いよいよお目当てのカヌー体験です。会場テントには国立大洲青少年交流の家の新山所長さんや職員が総出でお世話していました。日ごろから顔見知りの職員さんばかりなので、受付を済ませて早速ライフジャケットをつけ、オール片手に順番を待ちました。新山sy長さんの話によるとこの日は500人以上の試乗者がいて朝から大変な賑わいだったそうです。

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 私と小学2年生の朋樹と3歳の尚樹は3人乗り、娘と3歳の希心は2人乗りのカヌーにそれぞれ乗せてもらいました。最初は怖がっていた朋樹も尚樹も馴れるにしたがって嬉しくなり、楽しそうに漕いでいました。尚樹は私の櫂を奪い夢中になり、思わずカヌーに尻餅をついて濡れても平気でキャーキャーいっていました。娘婿は対岸から望遠レンズのカメラで私たちの行方をカメラが趣味らしく撮らえていて、早速帰宅してみるとその様子をリアルにメールで送ってくれました。

  「秋深き 河川川原で カヌー乗る 孫は嬉しく オールをかいて」

  「五鹿の 踊り繰り出す 秋祭り 意外や意外 目の当たりする」

  「秋空に 四層櫓 堂々と 藤縄神楽 囃子に合わせ」

  「孫たちと 秋の大洲路 訪ねけり 束の間暇を 両手握りて」

 

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○新聞記事のスクラップ

 わが家はずっと地元紙えひめ新聞を購読しています。地元紙は多少物足らず読売や朝日を読みたい気もするのですが、地元紙えひめ新聞には長年まちづくりでお世話になっているだけに、どうしても止めるに止められないのです。新聞は休刊日を覗けば殆ど毎朝几帳面に牛乳と共に届きます。これからの寒い季節の早朝に届けてくれる人のことを思うと、購読料を払っているとはいいながら、ついつい頭が下がるのです。

 新聞に地元のことが載るとこれもやはり長年の癖でしょうか、詠み終わるとはさみを入れてスクラップし、書棚の奥の置き場所に投げ入れるのですが、これが欠航沢山たまり何とか片付けたいと思いつつそのままになって美観を損ねているのです。

 2~3日前、島根県隠岐の島へ講演旅行に出かけ家を留守にしました。妻は例によって私の読んでいない2~3日分の新聞をまとめて私の座る台所の椅子に置いてくれているのです。早速目を通しましたが、11月1日付けの新聞の1面に、「加戸県政12年・第2部課題への処方・[]4」という記事に一枚の写真が載っていました。見覚えのある風景だと思いながら、写真のキャプション「提案型パートナーシップ推進事業でNPO法人などが県に事業PRした公開プレゼンテーション=6月、松山市」を読んで、写真の中ほどに座っているのは私のようなのです。私は公開プレゼンテーションの審査員長になっていたのです。それぞれのNPOが与えられた時間内でプレゼンテーションし、私たち審査員の質問に答えてもらい優先順位を決めて、知事に答申するのです。

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 第一線を退き、新聞や雑誌に登場するのは無縁の世界だと思っていますが、未だに新聞や雑誌に時々登場しています。最近は時々の証としてスクラップした記事をスキャナーで取り込んで、こうしてブログに掲載すれば記録と記憶が出来るものと思い、つとめているのです。

 昨日の新聞に、双海中学の記事が載っていました。都道府県バレー出場本件中学女子12選手が双海中体育館で佐伯美香さんの指導を受けたというのです。佐伯美香さんといえばビーチバレーで過去3回オリンピックに出場した人なのですが、詳しいことは分からないものの、これも新聞記事の記録としてスキャナーで取り込み保存することにしました。

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  「新聞の スクラップ記事 スキャンする 記録残すは 大事な仕事」

  「新聞の 一面写真 よく見れば 自分写りて 恥ずかしながら」

  「私など 写っていても 気付かない 知り人メール 新聞見たよ」

  「秋日和 まとめて新聞 読む余裕 ニュースにやっと 追いつきました」

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○人間牧場に深い秋の訪れ

 このところ忙しくて、人間牧場の存在すらすっかり忘れるほど疎遠になっていたので、昨日は久しぶりに午前中出かけて行きました。というのも先日、人間牧場の農場下に畑を持つ92歳のおばちゃんから、栗の実が畑一面に落ちて、草も引けないようになっている」と電話があったのです。このおばちゃんはかつて私が公民館に勤めていたころ、婦人会長をしていたごく親しい人なので笑って話されましたが、これは一大事と丁度芋畑でサツマイモを掘る日に、参加した皆さんにお願いして、栗のイガをキャリー2杯も拾い集めていたのです。

 その後2週間が過ぎ、残った栗のイガが落ちてはいないかと心配もあったのです。人間牧場の農場の一番下の畑に大きな栗の木があります。野生の山栗なので小さな栗が沢山なりますが、その殆どは毬栗だけでこれまで拾う手間も収穫したこともなく、イノシシの餌になっていました。この木の毬栗は秋の訪れとともに越境して隣のおばさんの畑にも当たりかまわず落ちるのです。

 早速大きな栗の木の下まで降りてみると、電話をかけてくれたおばちゃんが草引きをしていました。気楽に声を掛け、近くに住む叔母から持参した野菜のお礼にいただいたかき餅を差し上げて、毬栗が迷惑をかけたお詫びをしたり、世間話をしながら農作業について色々と教えを請いました。今の農村集落は子どもの声も聞こえず、高齢者も多いのですが家と家が離れているため、殆ど人に逢うこともなく過ごさなければならず、毎日が寂しいと漏らしていました。またイノシシやカラス、ハクビシンなどの有害鳥獣の出没被害に頭を悩ませており、秋だというのにサツマイモさえも食べれないと嘆いていました。「寄る年波ゆえこれから何年生きるか分からないけど、死んでも死に切れない」と寂しく笑って話していました。

 さて、この栗の木も紅葉が始まっていて、間もなく葉っぱが黄色く色づき、やがて昨日のような強い北西の季節風で葉を落とすことでしょうが、今は何の役にも断たず迷惑ばかりをかけているこの栗の木を、最初は切り倒そうと思っていました。

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 この様子をブログに書いたところ、愛読者のミツバチ師匠である井上登さんから接木をするのなら手伝うと嬉しい連絡をいただきました。「捨てる神あれば拾う神有り」とばかりに早速来年春の接木を依頼しました。多分「桃栗3年」ですから、上手く行けば3年後には栗の実の収穫が出来るかも知れないと淡い期待を抱いているのですが、「獲らぬ狸」ならぬ「拾わぬ毬栗」になる可能性もあるのです。でも再生可能な何がしかを信じるのも悪いことではありません。12月の中旬井上師匠が人間牧場へやって来る予定なので、現地をしっかり見てもらいたいと思っています。

 人間牧場にもいつの間にか深い秋が訪れ、大きなススキの株が満開で強い風にあおられてなびいていました。また人間牧場の入り口付近には隣の人が植えたアマリリスが真っ赤なラッパ状の大輪を咲かせていました。見る人もなく山里にひっそりと咲くススキやアマリリスの花を、愛おしくなって写真に収め一人楽しみました。

 

  「行く秋を 惜しむが如く 咲くススキ 愛おしくなり カメラに収め」

  「この時期に 咲くさえ知らぬ アマリリス 野辺花なりて 一際優雅」

  「栗の木の 下に座りて 話し込む 老婆の顔に 生きた証が」

  「歌ならば 大きな栗の 木の下で 毬栗落ちて 歌は歌えぬ」

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