shin-1さんの日記

○再び高知県芸西村へ

 高知県の中心高知市から南国市などを通って安芸市に通じる国道56号線沿いに芸西村という小さな村があります。村といっても私の町より少し人口が少ない4千百人ほどの村です。南は太平洋に面していて、昔は松林の綺麗な琴ヶ浜から見える夕日は格別だったと、心ある住民は今も自慢をするのですが、残念ながら松林は殆ど素方を消し、村民会館大ホールのの緞帳が往時を偲ばせているようです。

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 実は2年前の11月21日にも、まったく同じイキイキ会に招かれているのですが、昨年は新型インフルエンザの影響で年に一度の高恒例となっている研修会も、昨年は止む無く中止としたそうです。ところが二年ぶりの研修会を企画する話の中で、性懲りもなく一昨年に続いて私にオファーがかかり、連続して2回も記念講演をすることになったのです。いくら田舎のおばちゃんが物覚えが悪くても、私の名前と顔ははっきり覚えているのです。

 しかし私が前回どんな話をしたか、内容までは覚えていやあしないと、鷹を食ってノコノコ出かけて行きました。

集会は午後6時から始まりました。芸西村のウーマンパワーは素晴らしく、副町長さんも女性、村議会議長さんも女性なのです。失礼な話こんな小さな村でよくもまあこれ程の人が集まると感心するほど椅子が用意されていました。5時半過ぎからボツボツ席が埋まり始め、6時の開会時にはほぼ満席状態でした。

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 イキイキ会の会長である村議会議長さんの挨拶で始まり、村長さんが短めの祝辞を述べて会はスタートしました。お待ちかねは当日のメインイベントである振込み詐欺をテーマとした寸劇でした。前回も見ましたがまあ土佐弁丸出しでの熱演に会場は笑いの渦に包まれました。その後、午後からみんなが出て作ったという美味しい料理の試食パーティーです。お寿司やおでんなど高知ならではの皿鉢料理が所狭しと並んでいました。

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 一番人気は何といっても芸西村特産のナスを使ったタタキです。高知では普通カツオのタタキが有名ですが、ここのタタキはナスを素上げにしてその上に焼き鯖の身をほぐしたものを乗せ、タマネギやねぎをあしらってポン酢で食べるのですが、これがまた絶品であれほどあったものがあっという間になくなってしまいました。酒はなく甘党な饅頭や洋館アドも用意されていましたが、もう満腹でした。

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 芸西村で作られているというトルコキキョウやダリアの花が会場の至る所に飾られ、集まった人が少しお歳を召してさえいなければ結婚式の会場と見まがうほどでした。食事会は講演10分前に切り上げ、5分だけ早くスタートしたので、幾分助かりましたが、私の講演は1時間5分をきっちり守り、8時30分に終わりました。講演が終わると素敵な女性が壇上まで大きな大きな花束を運んで私に下さりました。もう大感激でした。

 直ぐに身支度して帰路に着きました。南国インターから伊予まで高速に乗って自宅へ帰ったのは11時近くになっていましたが、参加者の中にはすっかり顔見知りもいて、今度は人間牧場へ行くからと、固い約束をした顔顔が浮かぶのです。この日は高知へ出張していた馬路村の木下課長さんと芸西村の入り口で待ち合わせをして、山岡さんが作ったミツバチの巣箱を2個受領しました。これで来年の春の分鉢の準備は整ったのです。


  「アドリブな 即興人を 笑わせる 振り込め詐欺は 身近所で」

  「この村の 元気源 野菜かな ナスのたたきに 舌鼓打つ」

  「二度目だが 知り人多く 駆け寄りて 百年前の 旧知のように」

  「馬路村 頼んでおいた 巣箱持ち 指定の広場 友と出会いて」

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○お金持ちになりたいという願望

 わたしたち人間は多い少ないは別として、何らかの願望を持って生きています。それらの願望は生きてきた人生の裏返しであると時々思うのです。例えば不幸せな目にあった人は幸せになりたいと思うし、貧乏にあえいだ人はお金持ちになりたいと思うでしょう。またガンに侵され余命いくばくもない人は健康で長生きがしたいと思うに違いないのです。そしてその様々な願望は、時には幸せそうな人、お金持ちの人、健康で長生きをしている人を羨ましく思ったり嫉妬したりするのです。


 昔の人は一部を除いて殆どの人が貧乏でした。勿論わが家も親父や死んだ祖母の話によると大貧乏で、律義者の子沢山といわれるほどの家族を養うために、おしんという朝ドラにも匹敵する苦労をしたようです。でもいつかは幸せになりたいという願望を持って生きてきたお陰で、そして何よりも世の中が変わったお陰で、お金持ちにはなりませんでしたが子孫の私たちは、祖母の時代の人がうらやむほど幸せになれたのです。

 そんな幸せの中にありながら、私たち人間は何故か満ち足らず、相変わらず幸せの青い鳥を探しているし、お金だって毎日あくせくと働いて、「お金持ちになり」という願望のために、妻などは宝くじまで買って一攫千金を夢見ているのです。

 今の世の中は若い頃年金を掛けておけば多かれ少なかれ歳をとると年金をいただくよう福祉が充実しています。また子育てにおいても子ども手当などが支給され、もし食べれrなくなっても生活保護を受けれるなど、様々な手厚い保護が受けれるようになっています。

 しかし一方で介護保険を引かれたり、日ごろの生活だって電気代・ガス代・携帯電話代などなど、少し注意を怠ると、自分の口座から自動引き落としになっているため、引き落とす金が底をついたと銀行や郵便局から督促が来るのです。いわば暮らしに金がかかる時代のようです。

 じゃあ自分の人生において余命を生きて行くのにどれほどのお金があったらいいのか、試算したことがあります。その結果は「えっ、そんなにお金がいるの?」と疑うほどお金がいるようです。しかもその数字は病気や不慮の事故に遭わないということが前提ですから、将来の備えを考えると年金さえ当てにならない時代ですから不安に刈られ、できるだけ使わず質素倹約をして小銭を貯めるという生活を強いられ、頭のどこかに「お金持ちになりたい」という願望が頭を持ち上げるのです。でも宝くじも当たらないし思うようにお金持ちにはならないものだとしみじみ思うのです。年金以外収入の道を断たれた私たちは、もうお金持ちになることは決してありません。でもこうして三度三度の食事にありつけ、考えようによっては幸せな暮らしが出来るのですから良しとしましょうか。


  「貧乏を 経験したほど 金持ちに なりたい願望 強いというが」

  「もし金が あったらあれも これしたい ないゆえ思う だから生きれる」

  「ありそうに 見せる人ほど 借金も あったりするから 見栄え分からぬ」

  「祖母親父 貧乏経験 したゆえに 諺言って 私戒め」


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○悩み多い上司と部下

 昨日の夕方、家庭菜園で妻に頼まれ夕食のための野菜を収穫していたら、唐突に私の携帯電話が鳴り出しました。手には水と少しばかりの土がついていて、「ちょっと待って」とポケットに手を突っ込む間もなく、その電話は切れました。急いで家に戻り手を洗い着信履歴を呼び出して電話をかけ直しました。

 私の携帯電話は他の人のように秘密にしている訳ではなく、私のホームページでも公開しているので、かけようと思えば誰でもかけれるのですが、そんな人は講演依頼か余程の人以外はかけてこないのです。つまり私に電話がかかってきた人は知人なのです。

 電話の相手はかなり深刻そうな話をしていました。要約すると、「自分の部下が仕事を辞めたいと相談してきた」「管理職になってまだ日も浅く、自分のことで精一杯なのに、部下に辞められると自分の管理能力が問われる」「どうしていいか部下も私も悩んでいる」「二人がこれから行くので相談に乗って欲しい」というのです。

 私は仕事柄色々な人から色々な相談を受けますが、上司と部下の二人揃って助言をして欲しいという相談は初めてなので、とりあえず「上司のあなただけ来て欲しい」と話しました。私には彼らに助言をするほどの脳力はないし、ましてや何の責任もないのです。しかし断わることもできず上司の彼はわが家へやって来ました。

 わが家へやって来た彼は、今年の春待望の課長になったと喜び勇んでいた姿とは別人のような冷めた顔でした。煙会所の裸電球に照らされた顔を見ながら事の顛末を聞きましたが、管理職として自分の職責を大事にする余りに上ばかりを見て仕事をしていて、下を見ていなかったことをまず諭しました。

 課長のような中間管理職は上と下に目を配らなければなりません。ノルマも当然あってその成果は上司と部下の信頼関係で勝ち得るものなのです。聞けば「ノルマを達成できないのはお前の責任だ」と部下をののしったことが事の発端だったようですが、部下が「私の努力を分かってくれない」と反論しお互いがパニックになったようです。

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 私は先日ある公民館のロビーで貰ったニューモラルという雑誌に載っていた三人の石工の話を引用して、部下が仕事によって得られる喜びは次の3つがあると話しました。①自分の能力を発揮することが出来る(自己の成長を実感できる)、②他人や社会の役に立つことが出来る(社会に貢献している)、③報酬を得ることが出来る(生活のための十分な収入がある)、の3つです。そのためには上司と部下が夢や目標を共有しなければなりません。石工たる部下に石を積むことだけを強要し、石垣を造ってその上にお城を建てるという夢や目標を教えなかったら、働く喜びも役立ち感も将来への夢も、ましてや収入にも満足できないのです。


 私の話を聞いた彼は、「もう一度やってみる」と言って帰って行きました。今朝早く私のパソコンに短めのメールが入っていました。私もすぐさま「頑張れよ」と短めの返信をしておきました。部下の時代にはみんな課長になることに憧れますが、自分の働きのなさを棚に上げて、自分が輝けないのは課長の責任だと嘯きます。課長になれば上と下の間にまるでサンドイッチのように挟まれ、身動きが取れない自分を嘆きます。みんなそんな閉塞感に苛まれて仕事をしているのでしょうが、それでも1+1=2は当たり前、1+1=3にも4にもするには上下の信頼関係とスクラム以外にないのです。

  「何してる 聞けば三人 三様に 仕事語るも 夢を語れず」

  「管理職 見た目ほどには 楽じゃない サンドイッチに 頭悩ます」

  「1+1 答えは2だが やり方で 4にも5になる 信頼関係」

  「上司部下 お互い自分で 選べない ゆえに心を 許して励む」

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○深まり行く秋を楽しむ

 少し寒さが増して来たのを体感させるように、最近は妻の手料理メニューに体が温まるような鍋物が増えてきました。二日前は鱧の水炊きを美味しくいただきましたし、明くる日の昨日は昼の在宅だったため、鍋の残りにご飯を入れ卵でとじて鱧おじやを食べました。昨日の夜は少し風邪気味で食欲がないからと理由をつけてうどんすきでした。今わが家は冬野菜の走りで小松菜、春菊、白菜、チンゲンサイなどの軟弱野菜がたくさん採れるため、先日知らすtに来た淡路島洲本市五色町商工会青年部の方からいただいた特産のタマネギも使って作った具沢山のうどんすきは、ストーブを点けた食卓で食べたため、最後は大汗をかいて食べました。私はこれまでごった煮のような鍋物は好きではありませんでしたが、寒くなると何かと理由をつけて鍋物をするため、最近はすっかりなれた感じもするのです。

 寒くなると体を動かす機械が少なくなりの運動能力が鈍るので、できるだけ意図的に身体を動かしたり、朝晩裏山へ散歩に出かけます。家の裏に迫った裏山は少し急峻で少し強めの運動には格好のコースなので、自分の体調に合わせて降りたり上がったりしながら少し汗ばむ程度の運動量を確保しています。こうすることで一定量の運動量が確保でき、腹は減るしよく眠れるので、冬場の自己流多気力保持のためにこれからも、折に触れて散歩したいと思っています。

 この2~3日季節が秋から冬に変わっていることを予感させるように足繁く雨が降り、足元が濡れる場合は倉庫に置いているゴム長靴を履いて傘を差して出かけます。ゆえにやろうと思えば全天候、毎日でも散歩が出来る術を覚えました。

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 散歩コースの途中に大きな柿の木がありますが、3日前の大風で美しく色づいた柿の葉が吹き飛ばされて、道一面を紅葉が散らかっていました。私たちは紅葉の美しさを木々に求めますが、どうしてどうして足元に落ち散った葉っぱはこれまた風情があるのです。色とりどりの柿の葉の落ち葉は踏みつけて歩くのが気の毒なような自然が醸す芸術作品です。鳥の目で紅葉を楽しむのも一興、虫の目で紅葉を楽しむのもまた一興です。行く秋を惜しむように散り染めし落ち葉を踏みかさかさと音を楽しむのもこれまた一興です。冬はもうそこまで来ています。今の時期にしか味わえない季節の移ろいを、モズやカラスの鳴き声と共に聞きながら、今朝もそろそろ夜明けを迎えるので、散歩に出かけようと思っています。

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 追伸

 わが書斎の窓から見える裏庭の石に絡まったシノブの葉っぱが見ごろを迎えています。深山幽谷の風情を毎日窓越しに楽しんでいます。見ごろはこれから10日くらいでしょうか。わが家の名残の秋です。

  「冬野菜 どっさり入れて 鍋つつく 体ポカポカ 腹は満腹」

  「裏道に 風がいたずら した模様 柿の葉散らし 地上絵書いて」

  「今見ごろ 庭石絡む ノキシノブ 少し色づき 深山幽谷」

  「立冬の 暦が示す 冬来たり ストーブ出して そろそろ暖を」  

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○雲上人の値打ちを高める地上人

 先週の土曜日、私はある人に頼まれて選挙に出るであろうある人の演説集会に参加しました。もうこの歳になると集票能力は皆無な私ゆえに、誰も相手にしないだろうと思いきや、あの手この手で選挙に出るであろう人の側近から声がかかるのです。その都度中立の言い訳をしたり、日程が積んでいて参加できなかったりの理由を言って集会を逃れてきましたが、私に出席を依頼してきた人とは長い付き合いで多少の義理があるので、心許しあえる友人数人に声を掛けて誘い合い出かけました。私のようなものが前日に声を掛けたにもかかわらず、この日は10人近くが義理にもせよ参加してくれ、有難いことだと思いました。

 演説集会は普通偉いと思しき人が次々と登壇して、選挙に出る人に対し美辞麗句を並べるのですが、この日はそんな人がいるのかいないのか、普通の若者やおじさん、おばさんたちが次々に登壇し、むしろ選挙に出る人に自分の考えを述べるような集会でした。中には流暢な人もいましたが、その殆どはまあ私よりも口下手で朴訥な語り口だし、中には原稿を書いて棒読み、司会の方も素人で逆にとても爽やかな感じがしました。

 会場はほぼ満員で私のお願いした人も10人近くそこそこに陣取って、笑顔で手を振って会釈をしてくれました。驚いたことに会場に集まった人の中には顔見知りの方が何人もいて、「若松さん、あなたも・・・」と声を掛けてくれましたが、私は別に運動員でもないので、ゆっくりとみんなの話を聞かせてもらいました。

 何人かの登壇者の最後は「自称後期高齢者」というおばあさんです。私はこのおばあさんの話を聞いて、「この人は只者ではないな」と思いました。腰をかがめながらゆっくりと客席からステージに上る姿を見て、「大丈夫かな」と私も含めて民さんが思ったに違いないのです。でもこのおばあさんの話術はピカイチで、まあ弁舌巧みに会場の雰囲気を一辺に和ませました。聞けば私の友人のおばさんだそうで、若い頃学校の先生をしていたというのです。私はこのおばあさんに惚れました。一度お会いしてお話が聞きたいと思いました。

 この日の集会では思わぬ心地よい感動をいただきました。選挙に出るであろう人は正直私たちの世界から見れば、雲上人のような人です。しかしその人のために壇上に上がった人はどちらかというと地上人です。でもこの地上人が雲上人の価値を高めるのですから不思議な話です。私も雲上人とはこれまで、挨拶を交わしたこともありません。でもこの雲上人を支援する私に参加を依頼した人は雲上人ながら立派な方で、その方がお墨付きをする雲上人の価値を高めているのです。


 気がつけば地上人の私でさえ、多くの仲間が私の価値を高めてくれているのです。そのことにあらためて気付かせてくれた、後期高齢者のおばあさんの話はこれからも折に触れ、戒めとして思い出したいと思いました。

 間もなく愛媛県は選挙一色秋の陣となります。県知事選挙、県都松山市長選挙がダブルで行われますが、選挙というものは候補者を選ぶことは勿論ながら、候補者を支援する人の人格という付き合いを通して選ぶものだとしみじみ思いました。地方公務員を35年間もしていると、「公務員だから」という言い訳で選挙に関わらなくても済んでいましたが、無位無官になるとそんな言い訳も使えず、「あちらを立てればこちらが立たず」で右往左往しているこのごろです。


  「選挙戦 あれやこれやと 誘い来る あちら立てれば こちらが立たず」

  「集票の 能力もなし 無位無官 おだてに乗れば 赤恥かくな」

  「選挙とは 無縁過ごして 来たものの この歳なりて 誘い幾つも」

  「選挙出りゃ 離婚と妻が 口癖に 言うものだから ついつい無縁」

 

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○元収入役藤岡利郎さんの死を悼む

 旧暦の立冬は冬の訪れを意味しますが、秋から冬へと季節が移ることを肌で感じさせるように、昨日のわが町は大荒れの天気で、台風にも似たこの冬一番ともいえる天地を揺るがすような大風が吹き荒れました。その風の中を92歳の親父は止めるのも聞かず自転車をこいで、7キロも離れた下灘の診療所へ診察に行ったのです。診療所の先生や看護婦さんはお余事の無謀とも思える行動に一応に驚いたようで、「この雨風の中をよく来た」と褒めてくれたそうですが、裏を返せば92歳の親父を病院まで車で連れて行かなかった、66歳のどら息子である私の不徳の致すところだと、深く深く反省した次第です。

 何故親父を病院へ連れてゆけなかったのか、言い訳になりますがそれは昨日、役場に勤めていた頃の先輩で、時には机を並べて上司として仕事をした元収入役の藤岡利郎さんが亡くなり、午前中葬儀が伊予市内の農協会館であったため、どうしても外せなかったのです。

 私が66歳になったのですから、役場に勤めていたころ上司だった人たちはそれ相応の年齢になっている人も多く、昨年の年末にはお世話になった元町長丸山勇三さんも帰らぬ人となってしまいました。昨日の葬儀にはかつての先輩上司や友人などがたくさん集まっていましたが、時の流れとは言いながらまた一人お見送りしなければならないことは寂しいものなのです。

 昨日88歳の天寿を全うした藤岡利郎さんは復員後役場に入られ、総務課長や最後は収入役をされた立派な方です。私が駆け出しの頃教育委員会で学校教育課長をされていました。私は社会教育だったので直接の上司ではありませんでしたが、達筆なため再々筆文字を書いてもらいました。当時の役場では珍しい大学卒の博学で、一緒に研修旅行に出かけた時は必ず旅行記を書かれ、コピーして一部をいただいたものです。多分書棚のどこかに埋没しているはずだと、訃報を聞いてから探しましたが残念ながら見つかりませんでした。

 喪主挨拶をされた義理の息子さんの話を聞けば、7月に見つかったすい臓ガンが全身に転移して闘病生活をしていたようで、先日行われたOB会も欠席していたようです。


 藤岡利郎さんの死を悼むように昨日は大荒れの天気で、葬儀に参列するため通った海岸国道には、強い北西の季節風による大波が打ち上げ、まるで塩水で車を洗車しているように沢山塩水を被りました。葬儀が終り自宅へ戻りましたが、降りしきる雨の中で洗車をして塩分を流し車庫に収めました。

 昨日の葬儀会場で昨年12月19日に亡くなった元町長丸山勇三さんの奥さん史子さんにお会いしました。短い時間でしたが、時の流れの速さと思い出を立ち話しました。ある和尚さんの話を思い出しました。「人は二度死ぬ」そうです。元町長丸山さんも元収入役藤岡さんも一度は死んでもう地球上にはいないのです。もう一度の死は人の記憶から消える時だそうです。ゆえに1年・3年・7年・15年と法要をしその人の記憶を蘇らせるのだそうです。法要には参加できませんが、せめて草葉の陰からお二人の思い出を時々思い出してあげたいと思いました。


  「訃報聞く 天も寂しさ 紛らして 波風強く 大荒れ荒れて」

  「旅行記を 達筆書いて いただいた しまい込んだか 探せど見えず」

  「早一年 早いもんだと 立ち話 町長奥さん 少しやつれて」

  「在りし日を 思い出しつつ 遺影見る こぶとり爺さん 一緒演じた」  


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○何気なく読む本の中に知識や知恵が詰まっている

 公民館や病院などの待合室・ロビーなどには無造作に色々な雑誌やパンフレットが置かれています。特に順番を待っている時間などは手持ち無沙汰なので何気なく手の取りパラパラとめくり読みするのです。

 昨日は金融広報委員会の仕事で今治市近見公民館へ行きました。民生委員会のついでに講演するのか、講演のついでに民生委員会をするのか分かりませんが、13時30分からの予定だったので13時に公民館に到着しました。事務所で民生委員会からの呼び込みを待っていました。ところが会議が延びたのか予定の時間になっても声がかからないのです。公民館の職員さんとしていた雑談も途切れたので、入り口に無造作に置いているニューモラルというモラロジー研究所発行のポケットサイズ本を手にしました。ご自由にどうぞということはいただけるものと勘違いして、僅か25ページの本を二冊読み始めました。

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 やがて呼び込みがあって2階のホールへ案内され、10数人のこじんまりした講演会は始まりました。僅か1時間の話なので気張らず、開会が遅れた分を後に伸ばさせてもらいゆっくりとお話させてもらいました。帰るとその何人かから嬉しいメールが届いて、よかったと胸を撫で下ろしました。

 家に帰ってカバンの中を整理しようとしてカバンの蓋を開けてみると先ほどのニューモラルという雑誌が2冊出てきました。その中に、来年私が主宰する年輪塾に講師として招聘する予定の中桐万里子さんのことが出ていてびっくりしました。

ニューモラル494号のP16に 「思いをめぐらす」というタイトルの記事でした。

 江戸末期に活躍し、多くの荒村を復興させた二宮尊徳(1787~1856)の言葉に、「遠きをはかる者は富み、近きをはかるものは貧す」があります。尊徳から数えて7代目の子孫にあたる中桐万里子さん(親子をつなぐ学びのスペースリレイト代表・教育学博士)は次のように語っています。

 何気ない日常のひとコマは、それをどう理解し、体験できるかによってまったく味わいが違ってきます。目先のこと、目に見える近くのことだけにとらわれてしまうと、どんどん忙しくなり、なぜだかどんどん手ごたえや希望を失い、そして貧しくなってしまう。他方で、ちょっと立ち止まって、目には見えないこと、遠くのことにまなざしや想いを馳せ、そこから生まれるうっかりすると見過ごしてしまいそうな小さな感動や喜びに敏感であることで、人は希望を見出し、豊かになることができる。それが「遠きをはかる者は富み、近きをはかるものは貧す」ということです。~後略~


 なるほどと納得しながら、その本を捲りましたが、裏表紙にモラロジー教育では3つの心を育てますと、書いてありました。「感謝の心」「思いやりの心」「自立の心」だそうで、この言葉にも感心しました。

 ①感謝の心

 大自然の恵み、また家庭や国の恩恵などに対する感謝の心は、自分の命はもちろん、あらゆる命を大切に                  する尊厳性をはぐくみます。そして恩返しをしたり社会や世界に貢献していく勇気を育てます。

 ②思いやりの心

 相手の立場に立って考えることのできる思いやりの心は、人の喜びや悲しみ、痛みへの共感性をはぐくみます。そして自分を反省したり、相手を許す謙虚さや周囲に奉仕する深いやさしさを育てます。

 ③自立の心

 夢や志に向かって、主体性を持って生きようとする自立の心は、家庭人、社会人、また国民としての責任感や使命感をはぐくみます。そして地域や国際社会に目を向けていくたくましさを育てます。

 昨日は講演の時間が遅れただけで、ふとしたことからいい教えに出会いました。


  「時間待ち 短いながら いい教え 学んだものと 反面教師」

  「ある雑誌 私のことが 書かれてた 時々メール 同じ体験」

  「四十円 裏隅ちょこり 書いていた 二冊で八十 円も儲けた」

  「知識得て 少しだけれど 利口なる これを使って 知恵に生かそう」


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○機関紙「風おこし」に松本小番頭の文章が・・・

 先日えひめ地域づくり研究会議が発行している風おこしというタブロイド版の新聞風の機関紙が送られてきました。年2回発行している風おこしも今回で28号を積み重ねていますが、愛媛地域づくり研究会議が発足した時私が、「風おこしの誓い」なる結成の思いを文章に書き、そこから機関紙の名前が引用されているのですから、研究会議の代表を降りた今も愛読者の一人として、送られてくる機関紙を心待ちにしているのです。

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 今回の28号の4面に私が塾長を務める年輪塾について、小番頭の松本宏さんが「二宮尊徳から学ぶもの」「~進化する年輪塾」と題して3枚の写真を添えて投稿しています。年輪塾には塾長である私の他に、塾頭の清水さん、大番頭の米湊さん、塾生第1号の浜田さん、それに今回投稿記事を書いてくれた小番頭の松本さんの5人で運営をしていますが、塾長の私を除けば、彼らはいずれもつわもの揃いで、様々な能力を持っています。


 私が常々彼らに言っていることは、人を導くためには、①書くこと、②喋ること、③実践するという3つのことが出来なければならないことです。清水塾頭は年輪塾2期目のテーマが二宮尊徳なので、一念発起して二宮尊徳翁夜話を解読し、塾生に200を超える読み物テキストとしてネットで配信し続けているのです。これはもう凄いことで、ひょっとしたら彼が一番二宮尊徳から学んでいるのではないかと思うのです。彼はその一話一話を塾生に解説できるような話術を訓練中で、もう佳境に入っているようです。

 その点今回の小番頭松本さんの文章もしっかりしていて、えひめ地域政策研究センターへ3年間、研究員として出向し武者修行で腕を磨いただけの価値があるのです。彼はその間培った県内外に張り巡らせた人間と情報とネットワークを持っており、いつかはその花が開くものと期待しているのです。気象予報士として別の顔を持つ清水さんにしても、市役所職員としてまちづくりに関わる松本さんにしても、話せることは山ほどあり、それらを元に90分の話術や話芸に腕を磨いて欲しいと願っています。

 人様に読んでもらえるような文章を書くことは難しく、人様を納得させるように喋ることはもっと難しく、ましてや文章と喋りが融合した話芸はかなり奥が深いものです。かくいう私もこの歳になってもまだまだ書くことも喋ることも道半ばなのです。でも松本さんのこの文章のように一目を意識する場所に自分の文章をさらけ出す機会を作らなければ、前へは進まないものです。これからも一歩前へ、さらに前へ、そしてもっと前へ進んでゆくことを望んでいます。

  「送られし 機関紙記事を 読みながら 同僚腕を 上げた喜ぶ」

  「人の目に 晒して批評 してもらう 更なる上を 目指して修行」

  「書くことも ましてや喋る ことさえも この歳なりて 未だ修行身」

  「早書きと 中身充実 日々修行 ブログは俺の 修行道場」 

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○車修理工場の30周年記念事業に招かれて講演②

 私もこれまで長い間人の前で話す機会がありましたが、車修理工場の30周年などに招かれて話したことはないので、多少困惑しつつ会場となっている神社の境内にある集会所へ皆さんと一緒に出かけました。会場は稲井さんの自宅からは車でものの5分ほどの場所にありました。

 近くに車を止め、神社の鳥居をくぐると正面に神社の拝殿が見えてきました。私はカバンから財布を取り出し、縁起を担いで「十分ご縁がありますように」と15円を賽銭箱に投げ入れ二礼二拍手一拝をして敬虔な祈りを捧げました。講演会は午後2時からなので暫くの間控え室で来賓として列席していた県会議員さんや市会議員さんと雑談を交わしました。

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 やがて「そろそろお時間なので」と係りの人に促されて集会室へ入りました。主催者である稲井さんから事前に「何人ぐらい集めれるか開いてみないと分からない」と言われていました。勿論自分の30周年間に培った信用という武器を持って集める自信はあったのでしょうが、信用を試されるだけに、「心配の余り昨晩は余り眠れませんでした」とご夫婦揃って真情を吐露するほど心配していたようです。「一人は困る、二人も困る、三人集まれば上出来」という私の事前話を聞いていく分気が楽にはなったようでしたが、それでも「果たして人が来てくれるだろうか?、開会の挨拶は上手くできるだろうか?」と悩みのタネは尽きなかったようでした。

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 さあ講演開始時間の2時にいざ蓋を開けてみると、会場は100人を越える参加者で席は満席でした。県会議員さんの短めなお祝辞に続いて稲井さんが挨拶に立ちました。100人の参加者は稲井さんの人となりや日ごろの信用で勝ち得た人たちばかりなので、朴訥と語る挨拶に皆が大きな拍手を送りました。

 さあ大変です。集まった100人以上の人に、私が稲井さんと私に声を掛けてくれた稲葉さんに、恥を欠かさないよう話さなければならないのです。ある意味責任重大です。身震いはしませんでしたが、それでも身の引き締まる思いで時間一杯約110分も熱弁を振るいました。ワンフロアーの演題に伝わった反応はもう最高で、笑顔と笑い声が絶え間なくビンビン返ってきました。勿論お昼寝の時間帯ながら寝る人は一人もなく、楽しい講演会は無事終わりました。

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 家路に帰る人たちから、「今日はいいお話が聞けました」とねぎらいの言葉を何人かからかけられ、会場を後にして再び稲井さんの自宅に戻り懇談をしました。その後東広島市内の料理屋さんに出かけ小宴を兼ねた夕食会に招かれました。秋の風情を演出するような料理の数々に舌鼓を打ちながら懇談交流、7時半ごろ広島を後にして再びしまなみ海道を走って10時30分ごろ自宅へ帰って来ました。

 運転をしてくれた高岡さんや同行してくれた稲葉さんに感謝の講演小旅行でしたが、稲井さんご夫妻や稲井さんの自動車修理工場が、30周年を新たな出発点として、今後益々発展することを祈っています。稲井さんご夫妻の「プロジェクトX」ともとれる勇気ある30周年記念事業は無事終わりました。60歳にして挑んだ未知なるものへの挑戦は、稲井さんの今後の人生にとって、大きな自信になったことは間違いないようです。稲井さんご夫妻に大きな拍手と大きな万歳を送ります。


  「新しい 発想で生きる 演題で 110分も 熱弁ふるう」

  「ご夫妻の プロジェクトX 大成功 一歩踏み出す 勇気乾杯」

  「いい人に 巡り合ったと 思いつつ 縁の不思議を 反芻しつつ」

  「三十年 終りではなく 始まりと 思えば今日は 意義ある日だな」

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○運転手と道案内人付きの贅沢な講演小旅行①

 私の友人で、車ハウス砥部という自動車修理工場を営む稲葉さんから2ヶ月程前に電話があって、「先日伊予市青色申告会で聞いたあなたの講演を、広島県でしていただくことは可能でしょうか?」と相談がありました。「私は刑務所以外呼ばれたら何処へでも行く」と常日頃冗談を言っている人間なので、稲葉さんが私の畑を借り受けて農作業をしている、親しい友人ということもあって,喜んで相談に応じました。

 広島県の講演の相先は、稲葉さんの古い友人で、稲葉さんと同じくボディショップ高屋という自動車修理工場を営む稲井誠さんのお店が30周年を迎えるので、その記念に講演会をやりたいというのです。

 私も多い年には年間100日以上も全国へ講演に出かけていますが、自動車修理工場の30周年記念事業に講演をするという奇抜なアイデアに、面白そうだとは思いましたが、相手のことを思うと内心不安を覚えました。それでも稲葉さんの口車と熱心な助言もあってこの話はトントン拍子に進み、稲井さん夫婦は先月、わざわざ私の自宅まで事前の挨拶や打ち合わせに来られ、昨日の日を迎えることになったのです。

 昨日の朝私は稲葉さんの指示されるまま、7時過ぎに自宅を出ました。昨日は前日までの上天気がまったく?のような雨模様の一日となりましたが、友人と高知まで日帰り旅を計画していた妻に車を乗っ取られたため、仕方なく軽四トラックでの出発となりました。

 早朝だったので稲葉さんのお店には20分近くも前に到着し、携帯で連絡を取り合い間もなく稲葉さんと同行する高岡さんが相次いで見えられました。聞けば稲葉さんの友人高岡さんが運転のため同行してくれるそうで、まるで大名、まるで水戸黄門のような講演小旅行に、私自身恐縮してしまいました。車は松山インター~小松ジャンクション~今治~しまなみ海道~山陽道~広島高屋ジャンクション~高屋インターと2時間半の道程を、楽しいおしゃべりをしながら進みました。沿線の紅葉も少しずつ進んで、ウルシやハゼモミジが色鮮やかに秋の雨に濡れていました。稲葉さんの記憶を頼りに間違いなく稲井さんの自宅へほぼ時間通り到着しました。

若松進一ブログ
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 稲井さんとは先月打ち合わせのためわが家へ来られ顔見知りでしたので、臆目もなく自宅へ上がり込み歓待を受けました。そのうちタカキベーカリーに勤める、稲井さん・稲葉さんの共通の友人である小林さんご夫妻も見えられ、奥さんや娘さん、それに小太りの猫一匹も加わり楽しい昼食懇談となりました。稲井さんの自宅は洋風な木造の吹き抜け風で薪ストーブが焚かれていました。家の裏山はドングリや山栗も落ちる雑木林で、前には小川が流れ牧歌的な雰囲気でした。稲井さんの案内で雨に濡れた穏やかな秋の風情をみんなで散策したりしながら、講演の始まる時間間際まで、束の間を楽しみました。


  「自家用車 妻に奪われ 軽四の トラック出発 秋雨の朝」

  「運転手 案内人まで 同行の 贅沢講演 小旅行行く」

  「一度しか 会わぬ人だが 何となく 古い友人 感じながらも」

  「庭先に はじけ飛び散る ドングリに 秋の風情を 見つけ散策」

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