shin-1さんの日記

○花束のプレゼント

 研修会などの記念講演に招かれると、決まったようにお偉い人が出てきて謝辞などを言われることがよくあります。そんな折は礼節なので立ったまま謝辞を聞くのですが、歯の浮くような美辞麗句を並べられると、穴があったら入りたいような心境になるものです。ところが最近二つの集会で謝意に変え、花束をいただく機会を得ました。花束なんて似合わない風貌の私ですが、それでも若いと思しき女性から花束をいただくと悪い気はせず、思わず握手までしたいという衝動に駆られるのです。

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 先日高知県芸西村のイキイキ会に招かれた時は、施設園芸のメッカであるため村内で栽培しているというトルコキキョウや珍しいダリアをふんだんにおり交ぜた、ずっしり重い花束を壇上でいただき、舞い上がってしまいました。今までにも花束をいただいたことは何度かありますが、地産地消の花束は初めてで、2時間半の道程を帰る間にしおれては大変と車内の暖房を切って帰って来ました。妻は鼻が大好きなので何よりも嬉しいお土産に大喜びで、早速大きなつぼを二つも用意して玄関に投げ込み流の活花を生けてくれました。

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 昨日は八幡浜と合併した旧保内町のゆめみかんという立派な文化会館のサブホールで、青少年健全育成推進南予大会が行われ、記念講演を頼まれて出かけました。折角の機会だからと少し早めに出て、保内町宮内の公民館に立ち寄りました。主事をしている金谷さんとは、彼が農協に勤めている時代から深いご縁があって、先日の大洲でも発表をしてもらいましたが、あいにく出番が違ってすれ違い立ったので、お礼方々味噌を持参したのです。お礼に美味しいみかんを沢山いただき、職員や居合わせた馴染みの市会議員さんと懇談しました。


 この日の講演は開会行事と表彰、それに講演だけなのでたっぷり2時間も撮っていただいたので、久しぶりにゆっくり話すことが出来ました。やがて講演が終わり質問を終えてステージから降りようとすると、司会の方から呼び止められ、花束をいただいたのです。若い女性の差し出す花束に芸西村と同じように気恥ずかしいも伊がしました。自宅に帰り妻はまだ蹴れぬ芸西村の花束に加えて活けてくれましたが、まあ我が家の玄関は花に囲まれた思わずうっとりしてしまいそうなのです。

 花は人の心を和ませてくれます。10月の3日の私の誕生日を忘れずこの10年間花束を贈ってくれ続けている緒方二三子さんや西岡真由美さんからいただいた花かごといい、もう花束とは縁がないであろうこの歳で、花束をもらう喜びは格別なのです。今日花束をいただいた陰には八幡浜市青少年センター所長三好佐十先生の気配りがあったものと思われ、あらためて花束の意味を噛みしめているところです。

  「花束を もらう歳でも あるまいに 相次ぎもらい 照れてしまって」

  「わが玄関 ただ今花で 埋まってる 幸せですと 妻も喜ぶ」

  「花束の 花は洋花 裏庭に 咲きし花々 和花一味」

  「この花に 負けず一花 咲かせたい 残り少ない 夢のかけらを」

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○いつの間にか

 このところ何故か忙しく、今月だけでも西条市、松山市、東広島市、今治市、高知芸西村、大洲市、広島市と、県内はもとより県外まで出張し、その間淡路島洲本市、松山市、福井越前市から視察者を受け入れ、妻が「お父さんそんなに忙しくて大丈夫?」「よく行くところも来る人もあるねえ」と感心するくらい忙しいのです。私の日程表によるとこの忙しさは12月中旬まで続くようで、もう一頑張りしなければと自分自身に気合を入れているところなのです。

 そんなこんなで秋の深まりを感じる間もないのですが、いつの間にか季節は巡りてすっかり秋も深まっているようです。このところの忙しさで同じ敷地内に暮らしながら滅多に顔を見ない隠居の親父は、朝晩「寒い寒い」を連発し、まるで雪だるまのように着膨れて過ごしています。それでも体調はいいようで、7キロ向こうの診療所へ92歳ながら自転車で検診に行く健脚ぶりで、風が吹くたびに庭に舞い落ちる落ち葉を掃除したり、畑の手入れをしているようです。

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 菜園の野菜もこの一ヶ月で随分逞しく育って、春菊や小松菜、チンゲンサイ、蕪菜、白菜などが青々と茂って食べごろとなり、毎日の食卓を賑わせているのです。今年は高温と雨不足で大根の種蒔きが遅れたため、大根の太りが多少遅れ気味ですが、葉っぱはいつもの年と同じようによく出来ているので、これから年末までに遅れを取り戻して太ることでしょう。それでも昨日はカマスの塩焼きにたっぷりのおろし大根をかけて食べたし、越前市かの公民館主事さんから貰った越前蕎麦に春菊を一杯乗せて美味しくいただきました。

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 四・五日前まで青々としていた庭のノキシノブの葉っぱも、このところの冷え込みや季節風で一気に紅葉し、書斎の広くて大きな窓から見事な色合いを見ることができるのです。あと10日もすればこれらの葉っぱは散ってなくなり、来年の春先まで茎だけ残って殺風景になるので、せいぜい毎日楽しんで見ておこうと思っています。あれほど巣箱に群がって、活発だった裏山に設置したミツバチの巣箱も今は随分少なくなり、今は冬ごもりのための餌を食べこんでいるように見えました。

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 わが家の正面に見える双海町のシンボル本尊山も、日増しに紅葉が進んで、昨日ふと見上げると、クヌギはまだまだですが、海岸特有のハゼは真っ赤に色づいて、秋の深まりを感じさせてくれているようです。鳥が運んだハゼの実が自然に芽吹いて増えており、松くい虫の被害に遭って枯れた赤松に変わって、季節の彩を添えているのです。いつの間にか秋も深まり、家の内外に冬へと移り変わりつつある季節を感じならが、今日も元気で暮らしています。

 

  「いつの間に 人も自然も 衣替え 巡る季節を 愛でる暇もなく」

  「食卓に 上る野菜で 季節知る カマス塩焼き 大根添えて」

  「ハゼ紅葉 枯れ松代わり 照り映える ♯秋の夕日に♭ 口ずさみつつ」

  「窓越しに 見えるシノブの 見事さに 思わずシャッター 写真に収め」 


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○イキイキと生きる三条件

 日本人の寿命が延びて、日本は世界一の長寿国となりました。今年9月に厚生労働省が発表した全国の百歳以上の人口は3万6276人で38年連続で過去最多を更新し続けているのです。10年前と比べただけでも3倍以上というから驚きです。特に女性は前年より3531人増え、初めて3万人を越えました。つまり百歳以上のお年寄りに占める女性の数は実に86パーセントにもなるのです。何故女性は長生きするのかは様々な説があるようですが、まだ化学的にははっきりと解明されていないようです。

 長寿は喜ばしいことなのですが、最近長寿社会に様々な問題が起っています。高齢者の介護、医療は勿論のこと、老いてからの人生が長くなると、その生き方が問われているのです。私も統計上は65歳を一つ過ぎた高齢者なので、高齢者としてこれからどう生きるか、今年から高齢者になった妻と日ごろから色々話し合っているので他人事ではありません。何はさておいて一番の目標は夫婦揃って健康に生きることだと、食事と運動に特に気をつけています。食事は野菜と魚を中心にして、玄米食や麦ご飯も取り入れ、概ね午後8時を食事の門限にしたりしていますが、これだけでも随分体の状態がいいようです。健康診断も時々行ってまあ今のところは順調に生きています。

 来月から妻が年金をいただく年齢になったので、夫婦揃って年金暮らしです。妻の年金は国民年金なのでそんなに多くはありませんが、夫婦合わせるとつつましく生きれば何とか食べて行けるだろうと鷹を食っています。自分たちの暮らしもそろそろ縮小しなければなりません。妻は最近身の回りの使わなくなっているものを整理をしているようですが、わたしもそろそろ身の回りの整理をしなければならないようです。生活の裏側にある経済はとても重要で、金がないと夫婦や家族のいさかいも起るので、わが家の大蔵大臣たる妻に協力して、出費を出来るだけ抑える努力をしなければならないようです。

 さて肝心な生きがいですが、私には幸せなことに沢山の仲間とやるべき目標、それに学習意欲があるために毎日が楽しくて仕方がないのです。夫婦揃って健康な体と慎ましやかな経済もさることながら、仲間、目標、学習意欲はどうやらイキイキ生きる三条件ではないかと思うのです。

 飲み友達だった仲間も、酒を辞めたこともあって減り、職場の仲間も退職で殆どなくなりました。しかし私には長いボランティア活動やまちづくりで培った沢山の仲間がいます。また若い頃に作った生活設計に基づいて目標もしっかりと持っています。さらには学習意欲も今のところ旺盛です。これからも人生を楽しく生きようと思うこのごろです。


  「気がつけば 六十六も 歳重ね 年寄りなりぬ 人から見れば」

  「仲間あり 目標ありて 三つ目の 学習意欲 大いにありて」

  「どちらかと 言えばないのは お金だけ 食えたらいいと 思えば気楽」

  「妻曰く 自由奔放 生きている あなた長生き 私短い」

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○今からでは遅いかも・・・

 「歳をとったらつまらん」「今年もまた一つ歳をとってしまった」「歳をとったらどこぞが悪くなるばかりでろくな事がない」と、年齢を重ねることに不満を言ったり、悲観して生きている高齢者をよく見かけます。確かに年齢を重ねると気力も体力も減退し、周りの人からも老人扱いされて、ある意味若かった昔を懐かしむ事だってあるのです。でもそんな悲観的な考えを持って生きても人生、楽観的に生きても人生だったら、少し考え方を改めて前向きに生きた方が、どんなにかいい人生になるに違いないと思うのです。

 しかし、そんな言葉を常日頃言っている人、にいくら「もっと前向きに生きろ」と言っても、「分かりました。じゃあ明日からそうします」と悔い改めることは中々難しいようです。私の浅はかな考えですが、私たち人間は長い人生の出発点となる子どものころに教わったり体得した生き方が、その後の人生の生き方を決めるのではないかと思うのです。だとしたら子ども時代の教育はとても重要で、ポジティブに生きることの大切さをしっかりと教え込まなければなりません。人間は他の動物と違い学習する動物ですから、色々な学びの中でそのことを学ぶのです。


 人間が最初に出会うのは自分を産んでくれる母親です。ゆえに母親の存在は体内にいる間から胎教を得るほど絶大で、子どもが生まれて間もない頃の父親の存在など、取るに足らないのです。母親が抱きしめながら語りかける言葉は理解できなくても、海綿に水が染み込むように子どもの体に教えとして浸透するのです。まさに「三つ児の魂百まで」でしょう。やがて子どもは成長と共に言葉を覚え、「這えば立て、立てば歩めの親心」の願い通り自立の道を歩むのです。ある意味子どもにとって母親の影響は100%なのです。

 ところがつい最近、最も大切な母親の存在が危なくなっているようです。親になるための教育を受けていないため、子ども中心でなく自分中心にしているため、体形が崩れるからと抱きかかえて母乳など飲まさず、まるで荷物のように買い物籠のような道具に入れて持ち運んでいる姿をよく見かけるのです。私が子どもの頃の母親は貧乏ゆえに忙しく働かなければならないため、子どもは帯で背負われ、母の背中から母の汗や息遣いを感じていたのです。私が今ポジティブに生きれるのはひょっとしたら、母親から一生懸命生きることの大切さ刻み込んだスライドの一コマを、与えられたからに違いないのです。

 「鶏が先か卵が先か」の議論になりますが、日本の子どもをよくするには母親の教育を、日本の高齢者をポジティブにするには、人生の出発である子どもの教育をしっかりしなければならないと思うのです。私は仕事柄あちこちの母親教育や高齢者の集会に出かけて話をする機会がありますが、集会に集まった母親や高齢者は学習意欲のある人ばかりであり、むしろ集会に集まらない母親や高齢者が問題だと思うのですが、残念ながらそうした人たちは野放しで、場と機会はないのです。さてどうするか、難しい問題ですがやはり幼稚園や学校に依存するしかないようです。

  「歳とって つまらん日々と 嘆く人 多分最初に ボタン掛け違い」

  「母親の 教育誰が するのだろう 母の母だが これが危ない」

  「籠に入れ まるで荷物と 勘違い これでは子ども 愛情不足」

  「子育ても 野菜育てと よく似てる 地力なくんば 知力はつかず」

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○福井県越前市からのお客様

 日本海に面した福井県越前市から、はるばるわが双海町へ行政職員と公民館職員の皆さんが8名、視察研修にやって来られました。越前といえばカニや水仙が有名ですが、私も福井県へ何度か講演にお邪魔していて、そのご縁もあることからわが町を選ばれたのではないかと思うのです。

 前日の昨日からえひめ入りしているので、本当は交流をしたかったのですが、あいにく日曜日に広島へ講演に出ていたし、公民館に関係や造詣の深い仲間が全員私とともに国立大洲青少年交流の家で開かれていた地域教育実践交流会に参加していたため、前日は佐礼谷の地域自治を勉強に行かれたとの事でした。

 今日は朝9時にシーサイド公園で待ち合わせをして、いきなり9人乗りのマイクロに私も同乗させてもらい人間牧場を目指しました。私は昨日広島から船に乗って帰る途中、小走りに走っていて右足に軽い肉離れのような痛みを感じていたので、山道を歩くのが少し辛いため軽四トラックで行こうと思っていましたが、説明もあるのでご一緒しました。
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(人間牧場水平線の家ウッドデッキにて)

 今日の人間牧場は、昨日までの黄砂は北東の季節風が強く吹き、殆どなくなくなりかなり遠望が効くようになっていて、周防山口や遠くは広島の島々が見えていました。水平線の家で暫くの間話し合いをしたあと、ロケ風呂やかまど小屋を見学して、途中にある下灘駅もついでに見学しました。下灘駅は老人クラブの人たちが植えたコスモスや野菊が満開で、芳しい匂い賀して、訪れる人の目を楽しませていました。

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(日本で一番海に近かった下灘駅にて)

 公民館の職員もいることから、折角だからと何の前触れもなく翠小学校の見学をさせてもらいました。今時珍しい木造校舎やほたるを中心としたグリーンツーリズムについても少しだけ触れてもらいました。最後はわが家の海の資料館「海舟館」や私設公民館煙会所」なども見学していただき、シーサイド公園でお別れをしました。2時間の予定が3時間になり多少ご迷惑をかけかえる時間が遅れましたが、何とか無事に帰って欲しいと祈りました。

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(わが家隠居の前で)

 追伸

 同行した顔見知りの公民館主事さんたちから越前蕎麦をたくさんお土産にいただきました。早速妻と二人でご相伴にあずかりましたが、とても美味しい蕎麦でした。自分たちだけで食べるのは勿体ないと、出張した西土佐からわざわざお米を運んでくれた友人の小番頭さんに、ほんのちょっとだけお裾分けしてあげました。

  「少しだけ 縁ある私 訪ね来る はるばる遠き 越前の友」

  「あっちこち 僅か時間を 連れ回す 視察研修 車に乗りて」

  「肉離れ した足少し 痛いけど 人間牧場 歩いて案内」

  「お礼にと 貰った越前 蕎麦食べる 勿体ないと 少し裾分け」

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○広島県青少年育成県民運動推進大会に招かれて

 昨日の瀬戸内海は黄砂が降って視界が悪いものの穏やかで、小春日和の海は冬に向かう季節とは思えないほどでした。前日大洲青少年交流の家で行われた地域教育実践交流集会からの帰りが遅かったため、またその熱気や余韻が残っていたため、多少の疲れと眠気を感じながら、松山観光港からフェリーに乗って広島の宇品に着くまでの2時間余り、船内でぐっすり寝込んでの移動となりました。本当は高速船で行く予定だったのですが、広島での講演の組み立てを考える暇がなかったので、船の中で構想を練ろうと思っていたのに、結果的には何の手立ても出来ず広島入りしてしまいました。

 宇品から紙屋町経由広島駅行きの路面電車に乗って、紙屋町の一つ手前にある本通という停留所で降りました。本通りは日曜日とあって人通りも多く、さて電話で出張先へかかった電話で言われたとおり歩こうと歩き始めた矢先、青少年育成広島県民会議の常務理事の嶋末さんから、タイムリーにも携帯が入りました。目と鼻の先に会場となっている広島県民文化センターの看板と建物が見える人混みの中から初対面とは思えぬ笑顔で手を振りながら彼女は現れました。偉い肩書きとはえらい違いの容姿と身の軽さにびっくりしながら会場内に入り、控え室の楽屋へ案内され名刺交換しました。

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 大ホールでは既に表彰や発表など開会式のリハーサルが行われていて、とりあえず昼時なのでセンター内のレストランの予約席に案内され日替わり定食をいただくことになりました。私の出番は14時20分から80分なので、食事も久しぶりにゆっくり食べ、ドリンクサービスで注文した食後の冷たいトマトジュースをいただきながら、外の形式や道行く人の姿を眺めて時を過ごしました。

 楽屋に戻ると1時から始まる開会式に出席する来賓の方々が次々見えられ、慌しく名刺交換をさせてもらいました。県議会の副議長さんや、県警本部長さんなど、また県民会議の会長さんや役員さんなど、滅多に出会えない豪華な顔ぶれに無位無官で値打ちのない私は多少戸惑いました。

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 そのうち来賓がいなくなり一人となった控え室に、旧友の旧作木村の安藤周治さんが顔を出してくれました。彼とはもう20年を超えた付き合いですがすっかりご無沙汰していて、積もる思い出話や最近の地域づくりについて意見を交えました。彼は私より若いし私と多少違った切り口で全国を回っているので、随分深い話をしてくれましたが、地域づくりの現場に私たちを引き継ぐようなリーダーが不在だと嘆いていました。多少同感しつつも私の周りにいる仲間たちのことを思い出しながら、自分の後に続く人たちが多く入ることを幸せに感じました。安藤さんも県民会議の役員だそうでした。

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 やがて少し早く進行している時間を告げられステージに案内され私の講演は始まり、音響の素晴らしさに酔いながら90分近く楽しい話を喋り続けました。私の武器はスライドショーなど利用せず、ホワイトボード一つです。ふとケーシー高峰という医学芸人を思い出し、よく似ている自分に気付きました。

 講演後先を急ぐ私のために差し回しのタクシーで宇品港まで送ってもらい16時30分発の高速船に余裕を持って間に合い、黄砂で染まった夕日を右手に見ながら航海し、19時前に自宅へ帰ってきました。この一週間は高知や県内移動でかなりハードスケジュールでしたが、右足の軽い肉離れもあって、少し休養が必要だと実感しつつ、今週も忙しくなりそうな予感です。

 

  「久方に 出会う旧友 切り口の 違った話 頷きながら」

  「値打ちない 無位無官俺 気が引ける 偉いお方と 名刺交換」

  「黄砂振る 小春の海を 行き戻る あっという間の 日帰り講演」

  「ステージで ホワイトボード 図解する ケーシー高峰 似ている苦笑」

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○ファシリテーターとして②

 さてワークショップのファシリテーターとして私が使った手法は、6班に分けたグループの一番若い方にリンゴをそれぞれ1個渡し、さし当りグループの進行役になってもらいました。そして「10万円でできる青少年のための夢の使い方」をテーマに、ひとり1分以内で自分の夢をリンゴを回して述べること、いつ何処で何をと要領よく述べること、いい夢には商品を、グランプリと準グランプリはみんなの拍手で決めてバラの酢を差し上げる、などを手短に要領よく説明してスタートしました。

 この方法は予想以上に参加者が夢中になって、各グループでは面白いアイディアが次から次へ出始めました。グループで一番若い進行役にグループの中で一番面白かったアイディアを独断と偏見で決めさせ発表してもらいました。みんなにその中で一番いいアイディアだと思うものに一回だけ拍手をしてもらい、比較的拍手の多かったのを二つ選びました。ただし自分の半のものには拍手が出来ないように説明していたので、皆さん沈着冷静に選んだ結果、「無人島へ子どもたちを連れて行く」が準グランプリ、「チューリップの球根を10万円で買い子どもたちと植えて花が咲く頃チューリップ祭りをする」というアイデアがグランプリを獲得しました。

 実はこのワークショップにはスポンサーをつけていたのです。私の名刺の裏に「裏が味噌」と印刷したものを使っていますが、これはコマーシャル名刺なのです。そのスポンサーは「裏が味噌」のギノー味噌」なのです。前もってギノー味噌の田中社長さんに訳を言って参加者全員に400グラムの麦味噌とドレッシング40本を、青少年交流の家宛「若松進一気付」で送ってもらっていたのです。交流の家では私が荷物のことを説明していなかったため、食堂とちょっとした荷物の受け取りで戸惑ったそうですが、これもギノー味噌を意識させるちょっとしたアイディアだったのです。参加者の皆さんを巻き込んだ40分間のワークショップは、ギノー味噌一色でしたが、誰も文句を言わず、むしろ商品や参加賞を貰って大喜び、私の作戦は見事成功し、ファシリテーターとしての役目も無事終えました。


 今回の成功の裏にはギノー味噌の田中社長さんの絶大な協力があって実現しました。私たちは二言目には「金がない」と言いますが、「金がなかったら知恵を出せ」「知恵がなかったら汗を出せ」「あせもでなけりゃ辞表出せ」といつも言っているように、どうしたら上手くいくか知恵を出せば方法はいくらでもあるのです。

 ギノー味噌の田中社長からいただいた味噌は、全県下、全国から集まった人たちに持って帰ってもらい、近々に味噌汁として食卓に上り、ワークショップの話をしながらギノー味噌が話題になることでしょう。失礼しました。そうそう今日は広島へ出張するため、夜遅くまで交流会や二次会に10時過ぎまで付き合い、自宅へ戻って風呂に入り寝たのは12時過ぎでした。それでもいつものように午前4時に目が覚め、2本のブログをいつものように書いて、いざ広島へ出発です。読者の皆さん今日もご機嫌よう。


  「味噌会社 社長はやはり 太っ腹 お陰で恩を 少し返して」

  「裏が味噌 これが欲しいと 次々に お陰で名刺 売り切れました」

  「俺役目 ファシリテーター 言うそうな 何のことなし 普通変わらず」

  「行く所 よくあるものと 妻感心 亭主元気で 留守がよいのか」

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○困った、しまった島倉千代子①

 「若松さん、あんたしかおらん」と、時々褒め殺しや持ち上げの言葉に騙されて、色々な役目を言いつけられることがあります。ましてや仕事のような日々が忙しくて、集会の実行委員会や運営委員会に欠席しようものなら、このときとばかり欠席裁判にあって、あれこれと役割に組み込まれるのです。

 今年で3回目を数え、国立大洲青少年交流の家で開かれている地域教育実践交流会のプログラムにも、老骨ながら「歓迎ワークショップ」(ファシリテーター:若松進一)と、私の名前が開催要項の日程表に印刷されているのです。明らかに欠席裁判なのですが、欠席したことの後ろめたさもあって、断わる勇気も理由もなく事後承認となってしまいました。

 はてさて、ワークショップとはいかなるものか、ファシリテーターとはどんな役割なのか、日本人の私には余り本当の意味が分かっていないのです。こんな時頼りになるのはやはりパソコンです。お気に入りから入って電子辞書で調べるとウィキぺディアが出てきます。この項目には、「若松進一」という項目の解説さえ出ている優れものなので、直ぐに見つかりました。

 ワークショップとは「学びや想像・問題解決やトレーニングの手法」、「参加者が自発的に作業や発言を行える、環境が整った場において、ファシリテーターと呼ばれる進行役を中心に、参加者全員が体験するものとして、運営される形態」と説明されていました。「うーん、よう分からん」と思いつつ、その集会を明くる日に控えた前日、その役割の重さに少々気が重くなってた矢先、郵便局へ郵便物を出しに行った郵便局の窓口で、「訳ありリンゴ」のサンプルとして展示しているリンゴを見て突然ひらめいたのです。


 「そうだこのリンゴを使おう」と思い、副局長さんに「このリンゴのサンプルを6個下さい」と頼みました。わが家では毎年「訳ありリンゴ」を10箱近く買い求めている上得意なお客さんとあって、「どうぞ使ってください」と6個のイミテーションリンゴいただき持ち帰りました。さあどうする、色々思案した挙句、参加者全員200人にインタビューで、「リンゴを見て何を思い出しますか」と質問してやろうと思いました。リンゴといえば「ニュートンの引力発見

リンゴ」「白雪姫の毒入りリンゴ、「ウイリアム・テルの弓矢のリンゴ」「リンゴの歌」「青森のリンゴ」などを思い出しますが、そのリンゴの思い出し方でグループ分けをしたらワークショップが出来るかも知れないと最初は思いました。しかしこれでは人数がバラバラになるので、ホイッスルゲームで6人にしてジャンケンで順番をつけてもらい6班に分ければ平等だと思いました。

 さあそれからどうしようと、凡人の私はない知恵を絞りましたが、中々出てこないのです。相談する相手もなく、ついには別の仕事に悩殺されてすっかり忘れてしまって当日の朝を迎えました。妻と朝食をしながら、「お前に10万円やるといったらお前は何に使う?」と唐突に質問しました。「えっお父さん、私に10万円くれるの?」と妻の顔に色気がさしてきました。「違う違う、これはワークショップの進め方の参考だ」と打ち消し、妻の意見を求めましたが、妻からは明確なアイディアは残念ながら出てきませんでした。

 さてあなただったらどんなアイディアが出てくるでしょう。続きは「shin-1さんの日記」をお読みください。


  「この歳に なると横文字 意味不明 ネット検索 余計分からぬ」

  「研修会 大事な役を 任された 能力なくて どうにでもなれ」

  「実物と 見まがうほどの リンゴ持ち 勇み乗り込む 青年の家」

  「昨年も 一昨年も 今年また 三年続く 出番仕切りて」 

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○「うまい」「うまい」「うまい」「うまい」の連呼

 先日松山五行歌会の代表を務めている見山あつこさんから、今月もウグイス色の封筒定期便が送られてきました。文化人でもない私が友人で先輩の玉井さんに誘われて五行歌を作るようになって7ヶ月が過ぎました。最初の内は恥をかくまいと少し暇があったら、自分の気付きを歌にしてパソコンに打ち込んでいましたが、丁度活動期とも重なって歌を作るのを忘れ、時々見山さんから「締め切り迫る」の優しいメールが届き、その度に深く反省しながら即興で作って、歌会にも出席せず欠席句としてお茶を濁しているのです。

 そんな不義理な私ですが、月に一度来る見山あつこさんからの便りはとても楽しみなおです。それは私のような駄作のそしりを免れない欠席出題句にまで丁寧な選評に加え、心温まる私信を添えてくれるのです。(今朝見山さんからの封筒を取り出したら何と中から一枚の写真が出てきました。高島屋での作品展を見たときの写真を送っていただいていたのです。すっかり見落としてしまっていました。大変失礼をしてしまいました。)

 さて私の先月の句は次の通りでした。

 秋刀魚がうまい

 栗がうまい

 新米がうまい

 あれもこれもうまい

 人肥ゆる秋だもの

 選評には「☆美味しい秋が溢れた歌。「うまい」の連呼で作者の喜びが伝わります。五行目の『だもの』の女性の口調も効果的、食べる喜びを素直に表現していて、全員納得の作品です。」と書かれていました。そして嬉しいことに朱色で欠席句「第三位」と標記していました。

 ちなみに出席句第一位は見山敦子さんの次の句でした。

 祭りがくると

 思い知る

 何十年住んでも

 ここは

 第二のふるさと

 ちなみに欠席句第一位はつく志さんの次の句でした。

 孫娘が毎日

 メールを呉れる

 約束1

 婆ちゃん

 百まで頑張るわ


  「いかんなあ もっと修行を しなければ 人の秀作 納得しつつ」

  「今月も 締め切り二日 前送る しかも欠席 すまんことです」

  「主宰者は 一位常連 俺などは くずかご行きだ 天地開いて」

  「丁寧に 選評添えて 導くも 浅学ゆえに 上達もせず」


 

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○内子から大洲へ

 昨日は隣町の内子幼稚園へ人権教育講演会に出かけました。幼稚園のPTAにお話を頼まれたのですが、人権教育は得意ではないので、80分の話をどのように組み立てようか悩んだような顔をして壇上に立ちました。見れば一番後ろの席に顔見知りのさっき会ったばかりの80歳に近い友人のお母さんが同年代の人を誘ってデンと腰を下ろしているではありませんか。この方は元校長先生の奥さんです。息子さんは私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの事務局長を務めている元県庁職員なのです。

 時々内子町へ来る時はご機嫌伺いに立ち寄るのですが、元校長先生も耳は少し遠くなったものの元気でお過ごしのようで安心しました。それにしても30分の間に友人を誘って私の講演を聞きに来てくれるなんて、凄い人だと感心しました。最初はその人の姿を見て「やばい」と思いましたが、直ぐに参加者の一員として意識しないようになって、スムーズに話を終えることが出来ました。

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 内子幼稚園は昔ここにあった内子公民館跡地に内子自治センターと共に建て替えられ、1ヶ月前に引越ししたばかりという木造の立派な施設でした。園長の高松さんは聞けば既に務めていた郵便局を退職されているご主人が、かつて双海郵便局に勤めていて顔見知りだし、内子町の立山に住む友人亀田慶孝さんの近所だそうで、世の中の狭さと縁の深さを感じました。

 またPTA会長さんは子どもが5人いる優れた人で、初対面で出会うなり「若松さんの書かれた記事を切り抜いて持っています」と突然言われました。聞けば私がコープえひめの雑誌に連載していた記事のようで、拙文ゆえに赤面してしまいました。

 昨日は午後、今日始まる第3回地域教育交流集会の準備があるので、道の駅からりで、妻に頼まれた内子町特産の富有柿を買い求め国立大洲青少年交流の家へ向かいました。無料区間でもあるので内子インターから大洲インターまで高速道路を使い、高規格道路を経て北只まで走りました。交流の家の道沿いにはカエデの目の冷めるような紅葉を見ることができ、しばし車を止めて見とれていました。

 青少年の家職員の児玉さんさんとは青年団時代からの友人で、食堂で味噌ラーメンをいただきながら積もる話に花を咲かせました。やがて外出先から帰ってきた新山所長さんや準備のためにやって来た堺雅子先生や小笠原さんたちと全体会場や分散会場設営のために2時間余りお手伝いをさせてもらいました。本当は今日と明日の二日間なのですが、私は明日どうしても外せない用事で広島へ行かなくてはならず、世話人の一人として責任を取るべく今日の準備手伝いとなったのです。さあ今日も元気に仲間と共に大洲入りして頑張ります。


  「得意なら 張り切り話す 人権も 不得意ゆえに 謙虚に話す」

  「へーそうか 会う人毎に 深い縁 世の中不思議 糸で繋がる」

  「北只の 高台黄砂 煙るとは まるで春先 気象異変か」

  「道沿いの カエデ紅葉 車止め 見とれていると クラクション鳴る」

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