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○新居浜エクスカーション②

 昨日は新居浜の武田信之さんたち石鎚みすヾコスモスが企画した「金子みすヾの宇宙」というイベントに年輪塾生15人ほどで参加しました。山口県長門仙崎出身の詩人金子みすヾは、「大漁」という詩で、「朝やけ小やけだ 大漁だ はまは祭りの ようだけど海のなかでは 何万の いわしのとむらい するだろう」と詩っています。

また代表作である「わたしと小鳥とすずと」では、「わたしが両手をひろげても、お空はちっともとべないが、 とべる小鳥はわたしのように、地面をはやくは走れない。  わたしがからだをゆすっても、きれいな音はでないけど あの鳴るすずはわたしのように、たくさんなうたは知らないよ すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。」と詩っています。

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 わずか二十六歳で死んだ金子みすヾの詩にはどこか違った感性が見え隠れし、読む人を引き付けるのです。

 昨日は愛媛県総合科学博物館多目的ホールに300人余りの人が集まりました。無名ながらわが年輪塾も後援の末尾に名を連ねているため、清水塾頭が中心になって年輪塾エクスカーションとして企画されました。現地では馴染みの直野さんと加藤さんが窓口になって近代化産業文化遺産といわれる別子銅山記念館やマイントピア別子を見学したあと、まんまる食堂で美味しい昼食を食べる前に、短い時間ながら尊徳塾を開講しました。

 その後博物館に会場を移し、午後1時30分から第一部は宇宙物理学者の佐治春を先生の「記憶の中のボイジャーから『はやぶさ』『イカロス』まで」とう話を聞きました。佐治先生はピアノと映像を交えて宇宙へと誘っていただきました。

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 つなぎとして社会人落語家日本一になった精神科医枝廣篤昌先生の落語「はくしょんしてよかばくん」とらくさぶろさんの詩の朗読コラボ、第二部は童謡詩人矢崎節夫さんとらくさぶろうさんとの対談「みすヾさんのうれしいまなざし」を聞きました。

 懇親会ではA・B席を年輪塾生が独占し、佐治先生や矢崎先生と身近にお話できる機会もありました。またテーブルスピーチでは高座が用意され、私もお粗末ながらショートコメントながら落語ならぬ落伍を披露し会場を笑わせました。「くれあ&香」の透き通る歌声も素敵でしたし、車の運転もあって殆どの塾生がウーロン茶で我慢しましたが、非常に密度の濃い内容に身も心も洗われた感じがしました。

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 毎日あくせく暮らす私たちにとって、ましてや地域づくりを志してともに学ぶ私たちにとって、ふと立ち止まって自分や周りを見つめることはとても大切なことなのです。私たちは今回のエクスカーションでまた新しい活力を得ることが出来ました。その時は感動してこだました言葉も、直ぐに忘れてしまうような年齢になりましたが、それでも心の基層にしっかりと残っており、いつか何かの拍子に思い出すに違いないのです。

 さこの日の学びを生かしてもうひと踏ん張り、自分のため人のために頑張りましょう。


  「大挙して 金子みすゞ 講演会 心洗われ よかったよかった」

  「この人は 難し話 分かりよく 話す人だと 感心しきり」

  「いや凄い 物理の学者 ピアノ弾く もしもピアノが 弾けたらなあ~と」

  「指名され 俺はやっぱり 向こう見ず 高座に上がり サジ(佐治)を投げたり」

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○亀本耕三さんという男①

 旧友の亀本耕三さんに数日前、「8時に伊予農協駐車場集合ですから、7時40分くらいにわが家へ迎えに来てください」とメールを入れておきました。そして昨日の朝は妻に、「田舎の人は多分10分前に迎えに来るから7時30分に出発する」との私の予言どおり、亀本さんは大洲市田処から朝ヶ峠を越える双海周りで7時30分に、西田和子さんとじゅんこさんを伴ってやって来ました。

 亀本耕三さんは酪農家で乳牛飼育をしていますが、かつて彼が大洲市柳沢公民館主事をしていた頃に知り合い、さらには私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの主宰したフロンティア塾に塾生として参加し、10年間で40回の塾の殆どに参加した熱心な人です。その後も私が執筆した「今やれる青春」という本に寄稿文を書いていただき、現在は年輪塾の強力なメンバーとして共に学んでいるのです。

 亀本さんの凄さはフロンティア塾の時に感じていました。酪農は乳牛の搾乳や世話など朝が早く夜が遅い仕事です。ゆえに塾活動や昨日のように朝顔は焼く夜が遅い集会に出席するためには、日曜などない仕事なので相互扶助してもらっている仲間にヘルパーとして牛の世話を頼まなければならないのです。

 フロンティア塾の折々にも学習に参加して午前3時頃にそっと会場を抜け出し、夜道を帰って寝ないで朝を向かえ仕事をしている姿を、「向学心に富んだ凄い行動」として常々感じていました。その後今回の年輪塾を立ち上げる時いち早く塾生にならないか誘い、快く門下の一員に加わってこの3年間一緒に活動しているのです。彼はホタルの保護活動や情報発信、それに雲海情報を季節になるとネットで配信するなど、これまた目に見えない地道な活動をやっているのです。

 私の知る限り、ひょっとしたら私の仲間では最右翼に数えられる律儀で謙虚な人ではないかと思うのです。彼の要請で何度か柳沢や田処へ講演にも出かけ、その都度元教師の西田和子さんを中心にした楽しい仲間の和の中に入れてもらい、どこか私と波長の合う田舎暮らしから生まれた感性を共有しながら付き合ってきました。子どもの数が5人に減って今年度で閉校することになっている田処小学校の子どもたちの素晴らしい絵を、後世に残したらどうかという私のアドバイスも素直に聞き入れ実践し、また今回私たちが弾めている桜のミニ公園作りにもにも参加するため着々と準備をしているのです。多分これからも山を挟んだ隣り合わせ地域に住む友人として、一生付き合える友ではないかと、頼もしく思っているのです。

 亀本さんの8人乗りの車に乗せてもらい向かう先は新居浜です。伊予農協で清水塾頭、松本小番頭、愛南の上田さんと合流し予定通り午前8時少し前出発しました。近くの伊予インターチェンジから高速道路を新居浜インターまで100キロ近くのスピードで駆け抜けました。この日は穏やかな小春日和で楽しいお喋りや、これからの塾運営について語り合いながらのちょっとした小旅行でした。新居浜へは我が家を出てから1時間もかからずに到着し、お世話人を務める新居浜の加藤さんと直野さん、それに年輪塾のメンバーとファミリーマートの駐車場で落ち合い、別子銅山記念館やマイントピア別子へと向かいました。

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  「二十年 超えて変わらぬ 人となり 見習うことの 多き旧友」

  「謙虚さと 向学心を  併せ持つ ゆえに成長 ゆえにキーマン」

  「十分前 常に行動 出来る人 余裕を持って 生きれる姿勢」

  「何気ない ことだがそれを 何気なく やれる普通が 平凡非凡」

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○忘れた方がいい事

 「最近忘れ状がよくなった」「何かをしている時、ふと私は何をしていたのだろうと、今やっていることさえ忘れることがある」「今朝食べたものを忘れた」という言葉をお年寄りから聞きます。若い頃はそんな話を聞いても「私はそんな年寄りには絶対ならないし、その人は特別だ」と思っていました。ところが66歳のいわゆる高齢者の仲間入りを果たした私にも、老いはいつの間にか忍び寄り、私も忘れることが多くなってきたのです。そして私が忘れるのは自分のせいではなく加齢のせいだと思っているのです。

 先日広島へ講演に行きました。講演の席で新居浜の十亀さんや加藤さんからいただいた電光掲示板を、少しPRしようと胸のネクタイに着け得意になって話しました。電光掲示板の充電容量が危なくなった気がしたので、講演をしながら取り外しましたが、その時ネクタイ裏の協力マグネットを落としてしまいました。気がついた私は無意識のうちにそのマグネットを拾い背広のポケットにしまったそうです。家へ帰ってポケットを探しましたが見つかりませんでした。

 拾ってポケットへ入れたことすら記憶にない私は、相手の探してもらうよう仲介者を通じて頼みましたが、相手から何度探しても見つからないと、気の毒そうな返事が返ってきました。推し量るにマグネットは同じポケットに入れた車のキーに付着してポケットの外に出たに違いなく、何か足元に落ちた記憶がおぼろげながら蘇りましたが、それが一体何処なのか思い出すことも出来ず、今もマグネットがない電光掲示板をナイロンケースに入れて不自由な使い方をしているのです。

 今朝親父が「メガネを何処かへ置き忘れた」と騒いでいました。ふと見ると親父は自分の頭の上にメガネを乗せてめがねを探しているのです。私も今朝携帯電話を何処へ置き忘れたの見つからず探しましたが、出発する時間になっても見つかりませんでした。仕方がないので妻の携帯電話で私の携帯電話を呼び出すと、今朝持って行くリュックの中で呼び出し音が聞こえ難なく見つけることが出来たのです。このように忘れてはならないことは忘れるのに、人間は覚えていなくてもいい事を覚えているのです。

 まちづくりの研修会である人から、「いいことの種を蒔いて実がなったら忘れるという土をかけろ」と教わりました。それは色々なことをして成果を得ると「あれは私がやった」といつまでも自慢する人への戒めの言葉なのです。人間は得てしていいことは自分と自慢し、悪いことは人のせいにしたがるのです。周りの人から見ればそれは自慢や責任逃れに聞こえて鼻持ちならないのです。特に成果は他人に譲り一日も一刻も早くそれを忘れるために、忘れるという土をかけなければならないのです。

 忘れてならないのは恩と責任、忘れるのは成果だと思う時、この世の中は政治家を中心にして何と反対人間が多いことでしょう。責任を逃れ成果を独り占めにする人より、今朝自分の食べたものを忘れたり、マグネットを忘れた私の方がよほどましな、犬も食わぬ人間であることに安堵するのです。

 人に見せるための善行を、人はよく見ているものです。自分の値打ちは人が決めるものであることを忘れないようにしたいものです。

 

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○初孫は早くも8歳に

 7年前、私は新潟へ向かう上越新幹線の車内で妻からの電話を聞きました。それは娘が出産し初孫が誕生したという飛び切り嬉しい知らせでした。私は飛び上がって喜びたいような衝動に駆られました。一人旅だったのですが、隣に座った縁もゆかりもない乗客と会話を交わしていたこともあって、その方は大層喜んでくれたばかりでなく、少し度が過ぎて新幹線の車内で「皆さん隣の席に座られた方は四国愛媛の方ですが、ただ今郷里松山で初孫が出来たと連絡がありました。何という素敵な出来事でしょう。子どもは国の宝です。お孫さんの誕生を拍手で祝福しませんか」と、車内全体に聞こえる大きな声で叫んだのです。すると皆さんが列車一両丸ごと大きな拍手をしてくれたのです。

 驚いたのは私ですが、その時の感動は今も忘れられない思い出なのです。列車は司馬遼太郎の「峠」に出てくる河井継之助や、後に小泉純一郎首相が米百票の教えをなぞらえた話ですっかり有名になった越後長岡藩の小林虎三郎を輩出した長岡市付近を走っていました。

 その時11月23日の勤労感謝の日に生まれた孫朋樹が、早いもので間もなくあと3日で満8歳の誕生日を迎えるのです。孫朋樹の誕生日が近くなったので、お祝いをしてやろうという話になり、前日の夜からわが家へ家族で泊まりにやって来ました。外出先の高知から帰ってみると朋樹は娘に連れられて弟尚樹と親子3人で私の帰りを待っていました。

 久しぶりにその気になって小学校2年生になった孫を見ると、すっかり成長して目を細めるばかりです。その夜は一緒にお風呂に入り一緒の布団で、まるで湯たんぽを抱くようにして二人で寝ました。昨日は私も孫のために予定を空けて欲しいという妻の頼みもあって、孫と一緒に麻生ことにしました。

 午前中は人間牧場へ馬路村の木下さんから届いたミツバチの巣箱を運ぶ作業をしましたが、朋樹と尚樹を連れて出かけました。朋樹は小動物やドングリなどの木の実に興味がある自然派少年なので、ビニールの復路を用意して、人間牧場から池久保地蔵尊まで3人でゆっくり山道を歩きながら、ドングリや椎の実を拾いました。この日は天気も小春日和で温かく、上々のハイキング日和でした。

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 ドングリはまだそれほど落ちていませんでしたが、池久保の市指定記念物椎の木の大木の下には、無数の椎の実が落ちていました。かつて私が子どもの頃には食べ物の少ない戦後間もないこともあって、この木の下に落ちた椎の実をわれ先を争って拾い食べたものです。

 孫たちも私に習って2~3個食べていたようでした。足元にははじけた椿の実や、木には真っ赤に熟れたカラス瓜など珍しいものが一杯あって、孫たちは歓声を上げながらビニール袋に沢山採集していました。

 帰宅後昼食をしてから紙ヒコーキを作って近所の空き地で飛ばしたり、ドングリで遊んだりしましたが、夕方から朋樹のリクエストである松前の回転寿司で食事会をし、エミフルでプレゼントを買い、朋樹が主役の楽しい一日は終わりました。


  「初孫が 早くも八歳 誕生日 歳をとるはず 我らは初老」

  「孫連れて 野山落ち葉を 踏みしめる 拾い集めた 椎の実かじり」

  「私より 積み上げ皿は 高いかな? 食欲旺盛 回転寿司屋」

  「プレゼント 貰って孫は ご満悦 これから先も 健やか育て」  


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○2日間で800キロ

 さて「2日間で800キロ」とは何の数字でしょう。これは私がこの2日間で走ったマイカーの走行距離です。双海町の自宅~松山~今治~しまなみ海道~尾道~世羅~広島県三次市上田~平田観光農園~東広島西条~山陽自動車道~西福山~しまなみ海道~今治~松山~双海町自宅(宿泊休憩朝食)~砥部町~国道33号線~仁淀川町~佐川町~須崎市~高知自動車道~川之江~松山自動車道~伊予インター~双海町の自宅と、まあ走った走った、ただひたすら走り続けました。


 中国地方や四国地方の深まり行く秋の気配を感じながら走りましたが、もし私が車に乗れなかったらこんな小さくも大きな移動は出来ないだろうと、しみじみと車に乗れることの喜びを感じるのです。私が車の免許を取得したのは26歳の時でした。最初はモータバイクしか持っておらず、車は仕事で乗る公用車ていどでしたが、その後中古車に乗り若い頃は余り車に金をかけませんでした。新車に乗ったのはホンダでしたが、その車も免許を取った長男に奪われ、私はもっぱら軽四トラックでした。その後新車トヨタプラッツを1台10年間でブレーキ不具合が生じるまで乗り潰し、昨年新車トヨタカローラを購入し今日に至っていますが、免許取得以来40年間車に乗り続けています。


 私は退職後も相変わらず広域移動をするような日々に追われています。最近は北海道や沖縄、大阪より向こうへ行く時は公共交通機関を使いますが、中国四国それに九州方面は箸がかかっていることもあって車で移動します。車で移動をすると時間が効果的に使えるからです。公共交通機関だと行き帰りのつなぎの待ち時間が多く、結果的に一泊を余儀なくされてしまいます。車だと多少疲れますが夜走って自宅へ帰れるため明くる日の一日が丸々使えてとても便利なのです。普通だと山奥の広島三次市や愛媛県の裏側高知須崎市へ行くには一泊しなければなりませんが、高速道路のお陰で昨日などは早く帰ることが出来ました。

 さて私はあと何年車に乗れるのでしょうか。車に乗れなくなると自分の足と公共交通機関以外移動手段はないのです。当然人間牧場へも行けなくなるし、近くの松山だって汽車で行けば一日がかりになるはずです。

 隣のおじさんが高齢を理由に車の免許証を返納しました。これまで信心している宗教の本部が高知県にあるそうで信者さんを乗せ度々出かけていましたがそれも叶わず、また日常の買い物も近所のお店へ歩いて行っているようで、もどかしい日々の暮らしにどこかかつての元気が失せたような感じがするのです。

 親父のように最初から車に乗れない人間は自転車に乗ったりしてそれなりに暮らしていますが、隣のおじさんは自転車に乗るでもなく、車に乗れた便利に暮らしていた頃と、今の不便な暮らしの落差を肌で感じているようですが、老後の暮らしはまさに小さな世界でしか生きられないのです。

 私もその時を見越して、どう軟着陸するかそろそろ考えておきたいと思っています。

 

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○自分の心の中に潜むもう一人の自分

 人間はあれもやろう、これもやりたいと、色々なことを考えるものです。ところがそう心で思って始めても中々続かず、途中で止めた経験は枚挙に暇がないほど多いのです。「明日から朝早く起きよう」「来年から家計簿や日記をつけよう」「いつか暇になったら旅行に行こう」などと考えるものの、「今日だけは起きれない」「家計簿や日記も3日坊主で止めてしまった」「金と暇がないので未だに旅行に行けない」と、小さなできなかったことだけでも沢山あるようです。

 人間がこのように思っても殆ど出来ないのは何故でしょう。それは「明日から」「来年から」「お金や暇が出来たら」と「「次」に先送りし」「今から始める行動力」がないからだと思うのです。「今から始める行動力」は何よりも大切なことで、これなしに物事は始まらないのです。そのためには自分の心の中に潜むもう一人の自分を発見し、そのもう一人の自分に、「お前は心に思っていることを今直ぐに始めろ」と命令のスイッチを押させなければならないのです。


 人間は無意識な中で、「自分の心の中に潜むもう一人の自分」と絶えず対話しながら、生まれてから死ぬまで対話を続けるのですが、自分の存在に気付いて意識することは殆どありません。例えば自分の目の前に美味しそうなケーキが出されるとします。多分誰でも「美味しそう」と思い、「食べたい」という衝動に駆られるのです。特に甘いものに目がなかったり、お腹が空いていたりすると、それが夜12時であっても何の考える暇もなく手を出して、貪るように食べるに違いないのです。

 ところが「自分の心の中に潜むもう一人の自分」が思慮深いと、「今は何時か」「これを食べると太るかも知れない」など色々な身体に悪い条件が頭を持ち上げ、「食べたい」という自分と、「食べては駄目だ」という自分が喧嘩やせめぎ合いを始めるのです。「今日ぐらいはいいだろう」「ケーキ一個ぐらいならどおってことはない」と食べる理由を探して食べ始める人は、その時「美味しかった」という一時的な満足はあるのですが、多分体重計に乗る度に、「しまったあのケーキを食べるのではなかったと後悔するのです。

 もし「自分の中に潜むもう一人の自分」が強いと、食べない理由を探します。「ダイエット中だから止めよう」「今は12時、食事の門限は8時だから止めよう」と、食べたいけどがまんするスイッチを押させるのです。自分の心の中の我慢のスイッチを押せる人は、体重計に乗ってケーキを食べなかった強い意志を喜び、次にもその成果を続けさせ、結果的に心身ともに健康になるのです。自分がケーキを食べる弱い人間は、太ったり病気をしたりするのは体質や遺伝だと外因のせいにしているのです。

 「自分の中に潜むもう一人の自分」は容易に探せます。でも「もう一人の自分」を強くすることは容易なことではありません。ケーキを食べない強い意志力と行動力、それを続ける持続力、そしてその効果を推し量る観察力がある人こそ小さな成功を勝ち得る人なのです。小さな成功なくして大きな成功はあり得ません。大きな成功を勝ち得た人の全ては、「自分の心の中に潜むもう一人の自分」に打ち勝つ小さな成功のスイッチを押し続けた人なのです。

  「体内に もう一人いる 俺見つけ いつも対話し いいこと続け」

  「何気ない 小さな成功 続けると 以外や以外 太き成功」

  「人間は 弱いものだと 思ったが 自分を強く することできる」

  「ああ今日も ささやかなこと 続けてる 自分自身を 褒めてやりたい」


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○観光カリスマ塾三次会場②

 観光カリスマという称号をいただいている人は全国で100人もいます。しかしこの広い日本全国にたった100人ですから、その称号をいただいている人たちは、その名の示すとおり私以外の99人全てが凄い人なのです。

 今回塾長を務めた平田克明さんのカリスマ名称は「四季を通じて多角的な観光農園を展開する農村交流のカリスマ」です。また講師として招かれた松葉登美さんのカリスマ名称は「自然体の発想で銀山町のにぎわい再興を手掛けるわらしべカリスマ」です。さて私のカリスマ名称は「真似しない真似できないアイデアで地域力を作り上げるカリスマ」です。3人が一緒に顔をあわせることは勿論初めてです。

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 第一日目のプログラムは3部構成でした。1部は平田さん、私、松葉さんの順に40分ずつテーマに基づいてレクチャーしました。平田さんは地域観光論について、松葉さんは地域文化論について、私は地域活性化論について持論を展開しました。いずれも味のある話でした。

 2部は立花テキスタイル研究所長の新里カオリさんがコーディネーターとなって、「銀の道から海の道へ・山間部と沿岸部を結ぶ観光」をテーマにしてシンポジウムが開かれました。新里さんの軽快でテンポのよい言葉回しで約2時間10分白熱した議論を戦わせました。

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 この日の会場となったほしはら山の学校は元小学校の木造校舎を活用した施設で、聞くところによると浦田あいさんが塾長を務めているとか聞きました。当日は浦田さんの近くに住む友人の中田一裕さんも駆けつけてくれ再会を喜びました。この日中国地方から集まった参加者は23人でしたが、皆さん熱心に議論に加わってくれました。

 夕方7時からは平田観光農園のやまぼうしという食事処で楽しい交流会が持たれました。私は開会後30分で急いで食事を済ませ、皆さんに別れを告げ、カーナビを頼りに東広島まで出て、西条インターから高速に乗って12時頃にやっと自宅へ帰りました。中止国といいながら往復8時間はかなり遠く少々疲れましたが、それでも今回も沢山のご縁をいただきほのぼのとした気持ちで、深まり行く秋の紅葉を楽しみながら。一人道中を楽しみました。

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 あくる日は午前中「銀の道から海の道へ、観光開発プログラム」というタイトルで、ワークショップをして拡販ごとに発表し講評すると聞きました。夕方外出先から帰ると、事務局の島津さんから「無事終わった」とお礼のメールが入っていました。今頃は参加者も事務局も、講師の皆さんもそれぞれふるさとに帰り、思い出を反芻したり疲れを癒していることでしょう。皆さんお疲れ様でした。

追伸

 昨日初めて顔を合わせた島津さんが、「若松さん、今朝あなたのブログを読んで来ました。書き込み時刻を見ると午前3時ごろでしたが、いつ眠るのですか?」と質問されました。そういえば前日早立ちのため少し早めに寝たため、逆に午前3時に目が覚めてしまい、することもないのでブログを書いた次第です。「歳をとると眠れないのです」と答えておきました。


  「暗闇の 道ゆえどこを 走ってる 分からぬままに カーナビ頼り」

  「カリスマと 呼ばれる人の 共通は 夢とソロバン 両立させて」

  「百人も いやいや百人 しかいない カリスマ人と いわれる達人」

  「美しき 物差しプラス 幸せと 文化物差し 三つ持ちたい」

  「どうしよう 裏が味噌なる 名刺なく 代用使い 語れぬ私」

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○観光カリスマ塾三次会場①

 今年の1月30日、広島県三次市川西地区のコミュニティ推進協議会から招かれて講演に行った折、平田観光農園で食事をし、観光カリスマ百選に選ばれている平田観光農園会長さんと面談、研修会にも足を運んでいただきました。たった一度の出会いでしたが、今年の中国地区観光カリスマ塾の塾長に決まった平田さんから、塾の講師をして欲しいと連絡が入りました。

 私も3年前に四国地区観光カリスマ塾の塾長うを通とめたこともあるし、人間牧場で多くの人の助けを借りて開催したこともあって、予定表を見て一も二もなくお引き受けしました。ところがカリスマ塾は一泊二日の予定菜のですがその後二日目の私の日程によんどころない外せない予定が入り、止む無くお断りをしようとしたのです。しかし一日目だけでもいいからと講師を引き受けることにしました。


 会場となった三次市上田にあるほしはら山の学校までは、双海~今治~(しまなみ海道)~尾道~世羅~山の学校までは車で有に片道4時間もかかる遠さです。逆算すると朝6時半くらいに出発しないと事前打ち合わせの始まる11時には間に合わないのです。そのため前日は少し早めに床に就きましたが、それが帰って災いし、3時過ぎには目が覚めてしまい、仕方ないので夜遅くの帰宅になるであろうからと、起きてブログを2本書いて出発しました。カーナビが行く道を指示してくれるし、前回行った川西地区への道と同じなので、車窓に映る風景を懐かしく思い出しながら、深まり行く秋の気配の中を走りました。

 途中しまなみ海道のサービスエリアでトイレ休憩をしただけで予定通り集合場所の平田観光農園に到着しました。国土交通省中国運輸局のスタッフも相次いで到着し、名刺交換をさせてもらいました。

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(道端の民家の庭の見事に黄色く色づいたイチョウ)

 少し時間があったので、平田観光農園の中を散策しました。前回見学してなかったダッチオーブンの森は早くも落ち葉が沢山落ちていました。クヌギやナラの林の中にダッチオーブンの炉やテーブルが設置されていて、中々いい雰囲気でした。

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(平田観光農園の管理棟)



 そのうちもう一人の講師である観光カリスマ百選に選ばれている当主の平田克明さん、講師の松葉登美さん、コーディネーターの新里カオリさんも見えられ、簡単な打ち合わせの後やまぼうし定食を食べながら談笑しました。会場は車で5分ほど走ったほしはら山の学校なので移動しましたが、前回は残念ながら外からだけの見学でしたが、元小学校の木造校舎は着々と改造が進められていて、人の温もりが感じられました。この日の塾生は23人で、スタッフを入れると35人程度のこじんまりとした塾でした。さてこの日のテーマは「地域資源を生かした観光地づくり」でした。

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(元小学校のほしはら山の学校)

  「あちこちへ 車を止めて うっとりと 紅葉楽しみ ながら行き着く」

  「凄いなあ 紅葉色ずく 自然見て 感心しきり 今が見ごろと」

  「前回は 真冬に訪ね 窓越しに 学校跡を 覗いて歩く」

  「この資源 生かせぬものか 思い出す 上勝町の 爺や婆」

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○庭の紅葉は今が見ごろです

 わが家の入り口に大きな石が二つ積まれています。下灘の国道工事現場から出た太い石で、太過ぎて処分に困るという話を聞いて、貰っ土木業者から貰ったものです。家を新築する際庭にでも使おうと思っていましたが、造園業者からも不恰好だと見放され、その使い道に困っていた矢先、裏の崖の石積み工事の際、とりあえず片付ける形で二つの石をクレーンで吊り上げまるで重ね餅のように積み上げてもらいました。積み上げた姿は結構格好がよく気に入って、時々その石の上に座って物思いに耽ったりしていました。

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 ところがその後移植したしだれ紅もみじがどんどん伸びて、畳6畳以上の広さに広がり、親父が下支えの竹などを組んだお陰でその大きな石はすっかり紅葉の葉っぱで覆い隠され、石があるのさえも分からないほどに同化しているのです。

 昨日外出先から帰って車庫に車を入れて見上げると、まあその色は真っ赤に染まって見事で、まさに紅葉といった感じがしました。自分の身近にこんな立派な紅葉があるのにその美しささえ見失っていたとは大失態で、早速夕闇迫る頃官らを持ち出してパチリ一枚写しました。

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 今が盛りと燃えるように紅葉しているこの紅葉は、若い頃行商人から買い求めたものを大事に育てていたものです。その後あちらこちらに移植していましたが、今の場所に移してからもう30年近くになりました。木は老木になると陰になる部分の枝が枯れますが、新しい芽も育つので当分はこのままの姿を保ってくれるものと思われます。玄関先のヤマモモが少し元気がなくなりやきもきしていますが、庭に植えた木々のことも忙しさにかまけて親父任せにしていました。そろそろ私の出番かもしれないようです。


  「気がつけば 庭のもみじが 紅葉し 今が盛りと 言ってるようだ」

  「北風が 根こそぎ葉っぱ 吹き飛ばす 間もなく冬が 足音立てて」

  「枝広げ 畳六畳 四・八方 いつの間にやら 大きく育つ」

  「もう少し 自慢したいと とりあえず 妻に伝えて ふたりで見上げ」 

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○家庭菜園にタマネギの植え付け

 秋が深まって、いよいよ冬支度です。例年より生育が遅れて心配していた大根も、季節機構の手助けを得てしっかりと台地で育まれ、この分だと間もなく天日干しを経て沢庵漬け込みに間に愛想でホッとしています。大根は葉っぱと地中の白い部分は相関関係にあるため、葉っぱの勢いが青々として強いので、夕日亭大根心という私の落伍芸名と同じように、これから春先まで大根サラダやおでん、おろし大根、なめしご飯、漬物などにしてせいぜい沢山食べたいと思っています。

 そろそろタマネギの植え付けをしなければなるまいと思ってましたが、親父も同じようなことを考えていたようです。親父は既にタマネギを植え付ける場所に牛糞を振り、準備をしていました。親父から頼まれて一昨日外出から帰って耕運機でその畑を中耕しておきました。親父は昨日一日をかかって畝立てをして作付けが出来るように聖地をしたようで、タマネギの苗を買ってくるよう注文されました。午前中は広島県呉市音戸町から視察が入り、支所の松本さんと二人で受け入れしていたので、昼食後思いついて松前の三好種苗店まで車を走らせました。

 昨年は確か一束100本の苗を5束買ったような記憶があるので、もみじという品種を4束、そして女性店員さんが勧める晩成中手品種を1束買い求めました。自分の家で食べるには多い量ですが、タマネギは弟や息子、娘にお裾分けするので、これでも足らないくらいです。早速午後3時半から親父と二人で畝に筋溝を掘って植え付けました。腰をかがめてする作業に親父は何度も背筋と腰を伸ばしていたようですが。その作業する姿を見ながら、来年はそろそろ渡し一人でこの作業をしなければなるまいと、寄る年波を心配しました。

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 それでお親父の支持は厳しく、もっと感覚を短くしろ、植え終わったら牛糞と籾殻を降れなどと、いちいちさいきょうを焼いていました。1時間もすると全て植え終わりましたが、畝にまだ余裕があるので、あと2束ほど買い求めて植えたいと思っています。タマネギはこれから寒い中で約半年間深い眠りにつくのです。野菜の中でこれほど長い間生育するのに時間がかかる作物も珍しいと思うのです。来年の5月初夏の頃にはその名のとおり丸々太ったタマネギが収穫できることでしょう。インテリアのように軒先に吊るしたタマネギも、いよいよ残り少なくなりました。


  「年老いた 親父の指図 この歳で 言われるままに タマネギ植える」

  「腰丸め 腰伸ばしつつ 畑仕事 親子を足せば 百五十越え」

  「三列に 仲良く伸びる 放射線 籾殻撒いて 作業を終える」

  「半年も 冬の寒さに 耐えながら 初夏に取り入れ 頭に描く」

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