shin-1さんの日記

○違う世界に生きる人

 昨日散歩の途中近くに住む友人に出会いました。同じ組内に住みながら、一年間に出会うのはほんの数回ですから、住み方や暮らしの波長がまったく違う世界にいることを、彼と話をしながら実感しました。彼は役所に40年間勤め、一昨年定年退職してから再任用で1年間勤めていましたが、今年の春にその職場も辞めて悠々自適の生活をしているようです。役所在職中からゴルフが飯より好きで、ハンディもシングルですから並ではなく、毎日庭の隅に造った打ちっぱなし練習場で黙々と練習する努力は今も続けているようでした。彼の話によると週に一度か二度ゴルフ場へ行くそうですが、ゴルフを通じて知り合った各界各層の人のことも話題になりました。


 彼も私もリタイア組ですが、ゴルフをしない私にとってゴルフはまったく縁のない世界だけに、ふと「彼がゴルフに費やしている時間一体私は何をして過ごしているのだろう」と思いました。彼の言葉にもそのことは随所に現れ、「近頃何をして過ごしているのか」「体の方は元気なのか」と私の近況を聞いてくるのです。

 彼も私が講演活動やまちづくり活動をしていることは新聞やテレビで見てうすうす感じているようではありましたが、地域活動には殆ど参加しない彼はまったくといっていいほど私の存在を知りませんでしたし、知っていても無駄のようでした。


 さて彼から学ぶのは、何でもいいからひとつの事にこだわって努力しながら続けることです。毎朝3時間の海岸清掃も12年間でリアイアとともに終止符を打ちましたが、今続けているものは毎日3枚のハガキを書くことと、毎日2本のブログを書くことでしょうか。ハガキは20数年間続いているし、ブログも5年間が過ぎました。人はどう思うか分かりませんが、私にとってはこれも彼が真似できない大事な自分流の行き方なのです。

 人には色々な生き方があるものです。私の場合脳の訓練、身体の訓練、心の訓練というおおよそ3つの訓練を毎日しています。ブログは脳の訓練です。日々の思いを文字にすることは容易なことではありませんが、これも慣れてくると最初考えたり人が考えるほど難しいものではありません。だって私のような凡人が続けられるのですから・・・・。


 身体の訓練は歩いたり走ったり、時には人間牧場の草刈りで身体を鍛えています。鍛えるというより加齢による体力の劣化を防ぐ程度かも知れませんが、今のところ別に悪いところもなく元気に日々暮らしているのです。それは栄養を考えて気を配ってくれる妻の存在は欠かせませんが、まあこれからも健康で暮らしたいと願っています。心の訓練は家族や仲間との人間関係、依頼のままに話す話芸、地域づくり活動など、指折り数え切れないほど多くの人たちとの、出会いやふれあいが喜怒哀楽の世界を作り上げてくれるのです。

 加齢により狭められようとしている私の世界ですが、せめて広い世界を望む気概で・・・・・。


  「脳・身体 心訓練 しなければ 次第衰え やがて死に行く」

  「友人と いつの間にやら 別世界 話も合わず 違う道行く」

  「幸せは 仲間沢山 いるからと 顔ヾ思い 感謝をしつつ」

  「人は皆 自分の世界 持っている 人から見れば 価値無き自分」

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shin-1さんの日記

○小さな輪の広がり

 私は縁あって求められるまま色々な場所へ出かけて、講演や講義など色々な話をします。時には日本のど真ん中東京で話したり、時には名前も知られていない小さな草深い山間地へ出かけることもあります。また大は2千人から小は10人足らずまでこれまたまちまちなのです。そしてそれらは池の中へ小石を投げると小さな輪が広がるように小さく大きく広がって、次の機会へと広がって行くのです。それは話をした私にとって無上の喜びであり、声がかかれば遠隔地であったり少人数であっても、無理をしてでも出かけるようにしています。

 今年の9月3日、松山市民会館で愛媛県老人クラブ発足50周年記念大会があり、記念講演を頼まれて出かけました。千人を超える高齢者が県内から集まっていました。高齢者は若者に比べ一テンポ遅いと思われていますが、どうしてどうして、参加した人から何枚かのハガキをいただきましたし、わが老人クラブへも話に来て欲しいという講演依頼が何件か届いているのです。私はその都度ハガキで返信し、「講演料がないないのですが・・・」とか、「遠くて小さな集会なのですが・・・」と心配する人たちに、「大丈夫ですよ」と電話で話し講演依頼に快く応じているのです。

 昨日はそんなご縁で、旧友知人の薬師寺智彦明間公民館長さんの声係りもあって、西予市宇和町多田老人クラブの研修会に出かけました。大洲から宇和に抜ける長いトンネルを抜け、急な坂道を下って宇和盆地に入ると間もなく多田地区です。松岡会長さんが手書きで書いて送ってくれた地図を頼りに迷うことなく10時に会場となる公民館に到着しました。2階では既に開会式は始まっているようで、靴箱は満杯で自分の靴の置き場が無いほどでした。入り口では早くも一見豪華な弁当が到着していて多少混雑していました。

 奥まった控え室へ案内されましたが、対応してくれた人は渡辺静子さんという80がらみの女性でした。いきなり「私は松山市民会館で9月にあなたの話を聞きました。面白くてためになって、一緒に行った会長さんと、うちの会員にもあなたの話を聞かせたいと思い、伝を頼って依頼し、やっとのことで夢が叶いました。とても嬉しいです。」と持ち上げられました。それから20分静子さんは私を独占して楽しいおしゃべりをしました。静子さんは自分でも言うように名前と正反対のような方で、「あなたと20分も二人で話せて嬉しい」と話されました。

若松進一ブログ

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会場は既に満席で、それから約一時間、一番前に座ったおばさんの入れ歯が公演中に落ちるのが見えたほど笑い声が充満した講演会でした。講演が終わって控え室でお茶をいただいていると、昔公民館に勤めていた順子さんが懐かしい顔を見せてくれました。ご主人は既に亡くなったそうで、お互い寄る年波を感じながら暫く昔の話に花を咲かせました。昼前に皆さんに見送られて会場を後にしましたが、今日もいいご縁をいただきました。帰宅後早速松岡会長さん宛にお礼のハガキを一枚したためました。

  「松山で 話した話 広がりて お座敷かかり 今日も出かける」

  「私ねえ 名前は静子 言うけれど 賑やかなんよ 吐露して喋る」

  「前の席 座るおばちゃん 入れ歯落ち 思わずあっけ 話しながらも」

  「懐かしき 人も私も 年波の 寄る宿命を 感じて握手」

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shin-1さんの日記

○花三題

 最近町内のあちこちで背丈がジャンボな花をよく見かけるようになりました。近づいて見ると茎は3~4メートルにも伸びて、節もあることからまるで竿竹のようです。淡い紫色の花は花言葉「乙女の純真」が示すとおり気品のある花です。何で皇帝ダリアというのでしょう。多分ダリアの常識を覆すほど背丈が高く見上げねばならないことからこの名前がついたのではないかと思うのです。本当の名前は立木ダリアというのだそうですが、花の色は白や黄色もあるそうです。

 花は晩秋に咲くようですが、花が終わると一節を残し小切りにしてミズゴケで巻いて挿し木をすると、来年の春には根と芽が出て、移植すれば簡単に増やせるのだそうです。近所に住む花好きな姉もどこかで貰ったのを植えたのでしょうが、畑に綺麗な花を咲かせていました。先日友人のブログでもこの花のことが紹介されていて、メッセージを書き込みました。

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 昨日年輪塾の看板を削りに藤建設の作事小屋まで行きました。ホタルの見学地の唐子橋より少し奥まった道端に、何やら白い花を見つけました。帰りに側によってよく見るとどうやら桜のようでした。この時期咲く桜の品種はヒマラヤ桜ではないかと思われます。春咲く吉野桜のようなあでやかさではありませんが、控えめで清楚な淡いピンク色の桜を物珍しそうに見ていると、通りかかった近所の人が数人寄って来て、立ち話に花が咲きました。

 先日行ったマイントピア別子にも、桜の花が咲いていることがニュースで流れていましたが、日本を代表する桜はやはり春爛漫の季節の方が見応えがあるようです。

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  「花はいい どの花見ても 綺麗だな 特に野の花 俺に似ている」

  「いつの日か 暇が出来たら 花作り 始めようかと 密かに思う」

  「口開け 見上げるダリア 皇帝と 言うだけあって 気品漂う」

  「冬近し だのにミツバチ ブンブンと 飛んで花蜜 巣箱に集め」

 花はどんな花でも人の心を和ませてくれます。晩秋なので道端には名残の白い野菊や黄色いツワブキの花がいっぱい咲いて寒そうに風に揺れています。野の花は派手さこそありませんが、私たち凡人には自分の人生と重なるだけに一入愛おしい感じがするのです。師走も秒読みとなってきたこの時期、今年の花をしっかりと目と心に焼き付けたいものです

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shin-1さんの日記

○看板倒れにならぬように

 一昨日は清水塾頭から提案のあった年輪塾の看板を製作するため、高知県馬路村の木下さんからいただいていた魚簗瀬杉の丸太切りした2枚の板を、しまっていた倉庫の奥から引っ張り出し、人間牧場の建設に携わった藤建設に持ち込みました。そして今日は藤建設の作事小屋へ軽四トラックで出かけ板を受け取りました。

 木下さんからいただいた時は一枚でも一人が持ち上げるのがやっとくらい重かった板も、4ヶ月間倉庫の中でじっくり乾燥させたためすっかり軽くなりました。心配していた割れ目もそれほど大きく広がらず、藤建設の親父さんがカンナ掛けとペーパーで仕上げてくれた板を、庭に降ろして周囲の皮を剥く作業をしました。

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(磨き終えた杉の木の板)

 板が乾燥したため杉皮はしっかりとひっついて、手では中々剥げないのです。倉庫にあった竹を削ってくさびを作り、金槌で板に傷をつけないように剥いで行く作業は思ったより手間がかかりました。約一時間弱の作業でどうにか皮が剥けすっかり看板らしくなりました。

 今年の7月24日に八幡浜市日土の清水塾頭宅で開いたあらし山年輪塾に掲げた看板が第1号の看板ですが、年輪塾の出発ともなった人間牧場には年輪塾の看板が未だかかっていないため、来月18日に行われる年輪塾のつどいまでに看板製作を間に合わせようと、松本小番頭と準備を進めているのです。

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(見本のあらし山年輪塾看板)

 見本はあらし山に掲げている看板ですが、3枚一組の板の一番大きなのをあらし山看板に使ったので、人間牧場は真ん中の板を使う予定です。少し小ぶりの残った板は大洲市田処の看板にする予定で仕上げました。文字は書家が書いたデザイン文字を板の大きさに縮尺や拡大をして原画を作り写し取って墨を入れて行くのです。その作業は松本小番頭が一手に引き受けるため、磨き終えた板を松本さんの職場に運びました。松本さんはあいにく出張で留守でしたが、職場の隅に置かせてもらい私の役目を終えました。

 年輪塾の目標はこのような看板を概ね10ヶ所に広げる予定です。つまり年輪塾という私塾を10ヶ所作るのです。既に人間牧場、あらし山に開講していますが、大洲市田処大杉と高知県馬路村に分家も内々決まっていて、構想実現は順調のようです。この看板のようにしっかりと年輪を重ね看板倒れにならないよう励みたいと思っています。


  「看板は 心表す 表示にて 思いを込めて 製作励む」

  「風雪に 耐えて年輪 刻む板 一年一つ 感心しきり」

  「目標は 十年十ヵ所 開くこと 思いある人 育てにゃならぬ」

  「来年は この木の里に 行く予定 元気頑張り 恩を返しに」

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shin-1さんの日記

○作詞・作曲した「しずむ夕日が照らす海」(大笑い)

 車で走っていると、車内のカーラジオからニュースや様々な話題が聞こえてきます。知っていること知らないことなど、何気なく聞こえるラジオの声は耳学にもなのです。時には面白い話にわざわざ車を道端の空き地に止めてメモしたりするのですが、聞くだけでなく自分自身のアイデアだって浮かぶのです。

 昨日は「ふるさとの思い出」という番組が流れていて、田舎で過ごした昔の懐かしい思い出を沢山の人が語っていました。私はふるさとを離れることなもなく生まれた地域に暮らしているため、望郷の念はありませんが、それでも少年の頃や結婚して間もない、みんな若かった頃の暮らしを懐かしく思い出しました。そしてメモ帳を取り出し、車内でいい加減な歌を作詞までしてしまいました。

  しずむ夕日が照らす海

                 作詞 大根 心

                 作曲 若松進一

 一、ミカンの花の 咲く道を

    親子二人で 荷を背負い

    しずむ夕日が 母照らす

    まなざし優しい 春の海

 二、砂浜渚 きらきらと

    仲間二人で 夢語る

    しずむ夕日が 友照らす

   まなざし愛しい 夏の海

 三、黄金色ずく みかん畑

    夫婦二人で 野良仕事

   しずむ夕日が 妻照らす

   まなざし嬉しい 秋の海

 四、潮風しぶく 船の上

   親子二人で 網を引く

   しずむ夕日が 父照らす

   まなざし逞し 冬の海

 早速車の後部座席に置いていた木になるカバンからハーモニカを取り出し、Amマイナーのハーモニカで、これまた即興で曲をつけ吹いてみました。メロディーは「ズンチャッチャ ズンチャッチャ」くらいなゆっくりとした調子で吹きました。自分で内心大笑いをしながら歌ってみたのです。

 いつか音楽の堪能な方に譜面に楽譜を書いてもらったらと、臆目もなく考えています。いずれ人間牧場で一般公開したいものです。(大笑い)

 実はここだけの話ですが、私が昔NHK明るい農村に出演した番組を見て長野県安曇野に住む作詞家が私の歌を作詞して送ってくれました。そしてその歌に大洲の松田寿雄先生が曲をつけてくれたのがあるのです。楽譜は何処か仕舞い忘れましたが曲ははっきり覚えています。いつかこれも譜面起こしをしたいと思っています。


  「車中にて ラジオ聞きつつ 歌作る 笑いながらも 一曲できた」

  「作詞した 歌に曲付け ハーモニカ 悦に入りつつ 車の中で」

  「今は亡き 母と二人で 山道を みかん運んだ 幼な日思う」

  「出来た曲 妻に聞かせて 褒めてくれ お世辞知らずに ハーモニカ吹く」

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shin-1さんの日記

○戻ってきた貸していたお金

 私は北は北海道から南は沖縄まで行動範囲が広いため、沢山の人と出会う機会があります。その中には一度会ったきりの方もいれば、何度も長く付き合う人もいて人それぞれなのです。毎日毎日これ程動いてこれ程ひとと出会って人を見る目は出来ているはずなのに、時々見込み違いな人もいるのです。そんな時は「私もまだまだ修行が足りない」と、自分の眼力の軽さや浅さを悔い、更なる修行をしなければと心を戒めるのです。

 そんな見込み違いと思ってたAさんが先日私の元に姿を現しました。その方には知人のよしみでお金を5万円貸していましたが、こちらがお金を貸したことを忘れるほど長く顔を見せなかったのです。私も仕事柄あいにく持ち合わせがないため、相手に頼み込んで寸借することがありますが、私にとって5万円は大金なのでその人の顔を思い出す度に、「貸すんじゃなかった」と貸したことを悔やんだものでした。


 それ以来私はお金を貸すルールを自分で決めました。「貸すお金は1万円まで」「同じ人にお金を貸す場合は先に貸したのを返してもらってから貸す」というものです。このルールだとたとえ返って来なくても1万円で諦めがつくし、お互いが借金の深みにはまることもないのです。人は人に頼みにくい金に困り金策尽きる事だってあるものです。そんな時はなりふり構わず恥を忍んで無心をするもので、貸してくれた時はその人がまるで神様に見えるのです。

 ところがいざ貸した金を返してくれるよう重ねて督促されると、今まで神様のように見えた人が鬼や蛇に見えるのですから人の心模様は当てにならないものです。私もAさんに同乗し5万円を貸した時は神様のように思われたに違いないのです。私はAさんに督促をしたことはありませんが、借用証も取り交わさずお金を貸したことを悔やんだり、貸したAさんのことを「信用出来ない人」と決め付けていたようです。

 私の元に現れたAさんはこれまで10年間、一日たりとも私のことを忘れたことはなかったと真情を吐露し、5万円を返してくれました。「利子はいかほど」と言われましたが、金貸しでもないので利子などいただくつもりは毛頭ないので、元金だけ返していただきました。聞けばAさんも人を信用して連帯保証人になったばかりに印かずきにあって、私が貸したお金もその返済に使ったのだそうで、信用や借金の芋づるで結ばれていました。

 5万円の借金は妻にも誰にも内緒でしたが、妻が在宅中に自宅へ返しに現れたのでばれてしまいました。元々私のポケットマネーでしたが、内情を妻に話し妻にそのお金を全て渡したものですから、妻は私の太っ腹に大層喜んでくれました。私も妻も信用を回復したAさんのことは一生忘れないことでしょう。このことで深く学んだことは、知人友人へのお金の貸し借りはご法度ということでした。年金暮らしで人にお金を貸すほど余裕がないと見えるのか、私に金の無心をする人はいませんが、Aさんから人を信じることの大切さも同時に学びました。

  「人からは そんな小額 思われし 五万円だが 私にゃ大金」

  「金戻る よりにもよって 妻がいる 仕方ないので 太っ腹なる」

  「信じれず 遠ざかる人 戻り来る お金と共に 信用回復」

  「借りた時 神様見える 人さえも 取り立て鬼に なるから不思議」

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shin-1さんの日記

○再び采根譚を読み解く

 私の友人たちはみんな勉強家です。ゆえに会って話すと「○○の本を読んだ」とか、「○○の本に書いてある」とか本の話題が豊富です。私などは友人のような読書家でもなく、むしろ本は「積んどく」程度で、人に話すような本から得た知識は殆どなく、会話について行けないこともしばしばです。

 私の友人たちは研修会などに行くと、会場の入り口で販売している講師著作の書籍に目を通し、何のためらいもなく本を買うのです。私などは本には目もくれず、まず会場に来ている人の顔ぶれを見ながら、近況や考えを話し合うのです。

 先日新居浜の研修会に行った時も、友人たちは書籍に群がり何冊か本を買い求め、熱心な人は講師にサインを貰い、講師とツーショットで記念写真をねだったりするのです。私は本も買わず持っていたデジカメでツーショットの写真だけにしましたが、講師の先生は自著本を買ってもらった人と勘違いして、快く笑顔で諸サインに収まってくれました。

 そんな私でも、友人の話について行くため、時々本を注文します。先日塾頭の清水さんの計らいで米谷さんの送別会に、私と清水さんのポケットマネーで「采根譚」という本を贈りました。

 私が若い頃、「采根譚」という本は手に入れて熟読しているのですが、その後その本がどこかに消えてしまって行き方知れずになっているので、清水さんに頼んで買い求めました。本をいただいた時、大きなお金しかなく金も払わず本だけ受け取っていましたが、妻にきつく注意されて先日であった時、1500円を支払い、やっと「采根譚」は自分の本になりました。さあ読書です。「采根譚」は明代の万暦年間(1573年~1620年)に書かれた本です。この本は中国五千年の人生訓を集大成した奇書」と評価されている名著なのです。内容は儒教、仏教、道教という三大思想のどうりを含んだ傑作で作者は洪応明です。

 「心安らかならば粗末な家でも穏やかに暮らせる。そして堅い采根も美味しく感じられる」というのが作者が伝えたい主旨のようなのです。この采根の含意を通じ、儒教の仁義と、中庸、道教の無為、仏教の悟りを一体化させながら、情と理のバランスの取り方や諸事万端の道理を説明し、出処進退のあるべき姿を説いているのです。

 若い頃この本を読破した頃、この本の意味が殆ど理解できませんでしたが、66年間生きてきた今になってこの本を読むと、いちいちもっともなことが書かれているといちいち深く理解が出来るのですから不思議です。

 これまで生きてきた年数より短い余生ですが、これからこの本を読みほぐしてこれまでの人生を振り返るよすがにしたいと、机の上に置き暇を見つけて読んでいるところです。これまで歩んで来た自分の人生において、説明の出来にくかったことが、納得できるのです。

 あと一ヶ月余りで今年も終わりですが、2010年の締めくくりとして、この本を再読できたことはやはり友人のお陰だと感心する今日この頃です。


  「若い頃 読んだはずだが 采根譚 すっかり忘れ  再度読み解く」

  「同じ本 読んでも理解 できなんだ 今は頷き 理解をしつつ」

  「采根の 堅さも噛めば 何のその 滋養となりて 心身健やか」

  「常日頃 読書勧める 友ありて 凡人私 少し利口に」

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shin-1さんの日記

○北の国から南瓜が届く

 今年の9月17日、わが家に一個の宅配便が届きました。中を開けてみると大小色とりどり、形とりどりのカボチャが出てきました。その殆どは観賞用カボチャでしたが、その珍しさに目を白黒させたものでした。その模様は私のブログに2回にわたって書いています。「記録しないものは記憶されない」という言葉通り、パソコンで自分の記録の中から、忘れかけていた3ヶ月前の記録がしっかりと検索できるのですから、便利な世の中になったものです。私はブログに使う写真も最近は、例えば9月17日であればその年の暦年末尾の10を頭にして日時と順番を10917-1といった風に入力しているので、直ぐに取り出せるのです。その時は孫とカボチャを紹介しましたが、使わなかったのが下の写真です。

若松進一ブログ

 これらの観賞用カボチャは、その後道の駅ふたみシーサイド公園のじゃこ天の店に飾られて、今も来客に親しまれていますが、その時お礼のメールに、「いただいた食用カボチャは大切に取って置き、冬至カボチャとして食べたい」と書いたのです。ところが返信メールでカボチャの薀蓄が語られ、カボチャの食べごろは収穫してからの

日数が大切であることが分かり、「冬至には幻のカボチャを送ります」と書かれていました。勿論忘れた訳ではありませんが、忙しさにかまけて記憶の外に押しやられていたのです。

 昨日カボチャで町おこしをしている北海道佐呂間町の武田温友さんから約束どおりカボチャが1個送られてきました。段ボールを開けると新聞紙を断衝撃材にした中からまあそれは見事で大きいカボチャが出てきました。

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 中から「パンプキンらんどサロマ」と書いた封筒に入った色鮮やかなメッセージ風の手紙と写真が出てきました。送られてきたカボチャはメッセージに書かれている「雪化粧」という素敵な名前のようでした。写真の裏に「お約束どおり冬になると美味しさを増す伝統のかぼちゃ『雪化粧』をお送りします。煮物、天ぷらなどでお召し上がりください」と書かれていました。

 ふとカボチャは「南瓜」と書くのに何故北海道で出来るのだろうと疑問も頭を持ち上げました。このカボチャは南瓜ならぬ北瓜ではないかと思いました。疑問はともあれこのカボチャを冬至まで取って置き、武田さんの言うとおり、煮物や天ぷらにして美味しく召し上がりたいと思っています。武田さんありがとうございました。

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(送られてきた雪化粧という名前のついた見事なカボチャ)

  「南瓜と 書くのに何故か 北海道 疑問の館 首横に振る」

  「律儀にも たった一度の 出会いさえ 覚えてカボチャ 送る人あり」

  「雪化粧 名前がいいな 感心す 今年の冬至 今からワクワク」

  「送られし カボチャ大事と 床の間に 置いて日を待つ 間もなく冬至」


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shin-1さんの日記

○妻の手助けをした勤労感謝の日

 今日は昨日一日降り続いた雨も上がり上天気です。でも空の雲が東から西へかなり早いスピードで流れているので、「海は時化るだろうな」と予想していた通り、10時頃になると海は大波が立ち始めました。最近は気象衛星の普及によってかなり正確な天気予報が伝えられていますが、私はかつて若い頃7年間も漁師をしていたこともあって、私にはご当地の天気を予測する能力がある程度備わっているのです。

 今日は勤労感謝の日なので妻も仕事が休みです。サンデー毎日の私もこのところ忙しかったものの、今日は外に出る予定もなく、昨日の夕方妻から「明日は自宅のプランターに季節の花の苗を植えるので手伝って欲しい」と頼まれ、安受け愛していたことをすっかり忘れていました。朝食を済ませると二人で花の苗を買いに行くついでに、日ごろお世話になっている知人宅と今年叔母が亡くなった叔父宅、それに娘や息子宅へそれぞれご機嫌伺いに立ち寄りました。

 その後いよっこらという農協の直売所で、パンジーや桜草などの花の苗を買い求めて自宅へ帰り、さあそれからが大変です。裏庭のコンクリートの土間にプランターの土を、花柄や雑草を取り除きながらひっくり返し、丹念に残根などを集め土だけにしました。その上に鹿沼土、赤玉土、腐葉土、石灰、肥料など、袋に残っている土類を振り撒き、平スコップで何度も何度も切り返して万遍に混ぜ合わせました。プランターも20個近くあるので、土の量もかなりな量で、すっかり汗をかいてしまいました。

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 さあそれからプランタにスコップで出来上がった土を入れてならし、そこへ妻が買ってきた花の苗を植えつけるのです。妻は仕事出忙しく、私もかなり忙しいのでガーデニングなど呼ぶほどの花つくりではなく、雑草に覆われていますが、妻は花が大好きで友人知人から貰ってきた花を植えたりして楽しんでいます。勿論私も花が大好きですが、残念ながらこれまたガーデニングなどという洒落た言葉とは程遠いのです。女性にとって土を混ぜたりプランターを動かしたりする力仕事は苦手のようで、今日は妻から体操感謝されました。

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 植えた花に水をやり、汚れたコンクリートの土間を水で洗い流し、使った一輪車や鍬、スコップなどを片付け一段落した頃には日脚の短い晩秋の夕日が西の端に傾き、気温も下がってきました。これで庭の手入れも終り、あとは友人から毎年届くであろう葉牡丹の寄せ植えを待つのみです。今日植えた花々は冬の寒さに耐えながら貼るにはきれいな花を咲かせてくれることでしょう。殊勝にも手助けをしたことを妻に喜んでもらい、いい勤労感謝の日だったことを感謝する一日となりました。

  「手助けで 今日は勤労 感謝の日 妻が喜び 私喜ぶ」

  「プランター 秋から冬へ 衣替え パンジー可憐 春が楽しみ」

  「任せとけ 力仕事は 得意だと 張り切り過ぎて 腰が少々」

  「花愛でる 心はあるが 手入れせず 雑草茂り 花だか草か」

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shin-1さんの日記

○送られてきたリンゴと柿

 昨日外出先から帰り、勝手口にある郵便受けから郵便物を取り出しました。その郵便物に混じって、「○○様からのお荷物をお届けに来ましたがあいにく留守でした。今日中に届けたいと思いますので、下記にご連絡ください」と書いているメモが2通もありました。私は早速郵便局と宅配業者に電話をして、「自宅にいるのでそちらの都合のいい時間に届けて下さい」と伝えました。やがて夕方雨の中を郵便局員さんと宅配員さんが相次いで訪れ、どちらも受取人の名前をサインして荷物を受け取りました。送られてきた荷物は、私の大好きな果物であるリンゴと柿でした。送り主は広島県東城町に住む松永さんと和歌山県和歌山市の橋口さんからでした。


 松永さんはもう35年以上も前に総理府派遣青年の船で一緒にアメリカへ行った人で地元の役場へ勤めています。30年ぶりに出会ってから毎年自分で作ったリンゴを送り続けてくれています。一方橋口さんは県庁に勤めている人で、研修会の講師で招かれて以来柿を送り続けてくれているのです。

 リンゴは外国産のものもあって年中出回っていますが、私は毎朝1個のリンゴとキャベツを食べる「リンキャベ」食をもう30年以上も励行していて、嬉しい贈り物なのです。松永さんから送られてきたリンゴは蜜入りリンゴで、酸味も程よくあり、とても美味しいリンゴなのでこれから毎朝の食卓が楽しみです。

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 一方柿はあまり保存が出来ないことから今が旬で、柔らかくて甘みのある柿は舌もとろけるような美味しさなのです。郷土愛媛が生んだ俳人正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の句に橋口さんの顔を重ねながら、妻のむいでくれた柿を楽しんでいます。

 柿といえばもうそろそろ「あまぼし」の季節です。「あまぼし」とは吊るし柿のことですが、わが家でも毎年正月用に渋柿を買って2連ほど作ります。あの渋い柿がどうしてあのような甘い柿になるのか、浅学の私には説明は出来てもメカニズムは理解できません。柿大好物の私としてはそろそろ外気温が下がり、北西の季節風が吹き始めたので、いつにしようかと迷っているところです。

 名僧一休禅師の言葉に、「悪しくとも ただ一筋に捨つるなよ 渋柿を見よ 甘干となる」と詠んでいます。私が子どもの頃は食べるものとてなかった頃だったので、柿の実の余りの見事さにうっかりがぶり渋柿をかじり、そこら辺の茂みの中へ捨ててしまったものです。当時は捨ててしまったあの渋柿が甘干になるなんて思っても見ませんでした。祖母や母などは甘干作りのために剥いた渋柿の皮さえ干して大根と一緒に漬け込み、黄色い沢庵を作るのに役立てていたのです。

 渋柿の皮も捨てればゴミ、利用すれば香味になる生活の知恵は今も妻によって受け継がれていますが、渋柿の悪縁も考え方一つで善縁になるという教えを一休禅師はこの言葉で説いているのです。友人から送られてきたリンゴも柿も味わって食べたいものです。

 追伸

 柿どころ西条市丹原に住んでいる佐伯さんからも美味しい富有柿が沢山届きました。

  「柿リンゴ  季節果物 宅配便 籠盛り卓上 秋を演出」

  「太ってる ことを果物 せいにする 朝フルすれば 太らず済むに」

  「柿食べて リンゴを食べて 友の顔 思い出しつつ 妻に説明」

  「届いたと 電話の向こう 友人に お礼の言葉 深々頭」

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