shin-1さんの日記

○送られてきたどっさりのコミック本

 一昨日外出先から夜遅く帰ると、書籍と思しき一個の宅配便がわが家に届いていました。開けてビックリ玉手箱ではありませんが、開けてみると驚いたことに中からコミック本が6冊も出てきました。中に「若松進一様、先日は観光カリスマ塾でお世話になりましてありがとうございました。来年、双海町にあそびに行きたいと思いますので、よろしくお願い致します。御礼の品を同封しておりますので、ご笑納下さいませ。田原拝」と書いた走り書きのお便りが入っていました。

 そういえばと、先月11月18日~19日に広島県三次市で開かれた観光カリスマ塾でいただいた名刺を繰ってみました。その中から見覚えのあるいただいた一枚の名刺が出てきました。選挙の時に使うような志と書いたタスキをかけた自画像イラストは、名刺交換の時目には留まって覚えていましたが、矢継ぎ早の出会いだったため裏までは残念ながら覚えていませんでした。

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(田原実さんの名刺の表)

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(田原実さんの名刺の裏には送られてきたコミック本の宣伝がありました)

 漫画を使った地域づくりはこれまでにも色々な場所で見聞きしていましたが、いやあ世の中には面白い人がいるものです。田原さんはコミック本の裏表紙によると、1965年広島県広島市生まれ。関東学院大学経済学部経営学科卒業。平成4年に株式会社インフィニティ代表取締役に就任。志の確立と実現を通じた企業の経営革新に取り組んでいると書いていました。一度お会いして今度はじっくりお話を聞きたいと思いました。

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(送られてきたコミック本)



  「世の中は 面白き人 いるものだ 漫画の作者 漫画どっさり」

  「気にもせず 名刺交換 していたが 改め見入る 名刺一枚」

  「志 確立会社 よう分からん これで飯喰う 凄いもんだな」

  「幸せ菌 蔓延すると 書いてある 俺も似たよな 味噌菌CM」

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○恋人の聖地

 人間とは欲なもので、松山から宇和までの高速道路が無料化実験区間になると、通行料金が必要だったこれまでは、地道の56号線を通っていた車が一斉に高速道路を走り始め、今では「これが田舎の高速道路?」と見まがうほどな交通量があるようです。

 かくいう私でさえ目と鼻の先の松山へ行くのに時たま高速道路を使い、「高速道路の無料化は反対で、利用者が負担するのが本来の姿だ」などと思いつつ、その恩恵を甘んじて受けているのです。

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 昨日は来週から始まる大学の集中講義の打ち合わせのために、松山市の郊外樽味にある愛媛大学農学部へ出かけましたが、折角だからとちゃっかり高速道路を利用しました。9時過ぎに自宅を出て市役所支所で雑談をしてから出たのに、打ち合わせが終わって自宅へ帰ったのは昼前でしたから、いやはや高速道路の便利さは大したものです。一昨日は愛南への往復に大洲~宇和、宇和~伊予市も利用していて、大洲~双海までは高速道路も地道も時間的にはそんなに変わらないものの、「えっ、早帰ったの?」と驚くほどの早さでした。

 昨日は仕事も一段落したので帰りに伊予灘サービスエリアに立ち寄りました。伊予インターを利用する私としては、伊予灘サービスエリアは余りにも近過ぎてトイレも買い物も必要でないため殆ど利用しませんが、ふたみシーサイド公園とともに「恋人の聖地百選」に選ばれていることもあって、一度は訪ねたいと思っていたのです。

 伊予灘サービスエリアからは伊予市、松前町、松山市の市街が一望できます。加えて沖合いには瀬戸内の海が開け、眺望は素晴らしいものです。お目当ての恋人の聖地を示す石造モニュメントは、敷地内の隅に設置していました。

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 先んじて私のアイディアで造ったシーサイド公園の記念モニュメントとは随分趣が違っていましたが、付近の金網には若者たちが流行にあやかって吊るした愛の鍵が幾つもぶら下がっていました。少し美観を損ねる感じもありますが、若者たちが愛を語ったり夢を見たりするために立ち寄ることはいいことなので、写真に収めて帰りました。サービスエリアは休憩機能や情報機能としてドライバーに利用されますが、物が売れなければゴミとトイレの掃除にかかる費用を捻出することは出来ないので、あの手この手を使っているようでした。

 恋人の聖地に選ばれているシーサイド公園も間もなくサンセットロマンチッククリスマスが始まり、海辺の公園はイルミネーションで美しく飾られることでしょうが、恋人岬のモニュメントも今は年中発光ダイオードの七色の光が夕日のミュージアム屋上から照射されて、夜を演出しています。先日伊予市広報の表紙で紹介されたダルマの夕日もいよいよ最も西よりのコースを通る冬至の頃を迎え、西の端に沈んで、少々見栄えの悪い時期となりますが、その分夜のイルミネーションがカバーしてくれることでしょう。

  「伊予灘と いう名のサービス エリアにて 恋人聖地 石造写す」

  「若者の 夢を吊るした 鍵無数 破れぬように 結ばれるよう」

  「一日で 今日から師走 音楽も ジングルベルに 早くも変わり」

  「見晴らしは ドライバーには 無縁にて トイレ終われば そそくさ去りて」

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○人の来ない寂しい公園

 昨日久しぶりに宇和島市を越え、愛南町へ出かけました。高速道路は西予市までですが、宇和島市から旧津島町まで宇和島道路という高速道路並みの道が開通していて、愛南町は随分近くになりましたが、それでも旧津島町からは国道5号線なので少し時間がかかり、愛媛県の広さを実感しました。

 少し早めに着いたので会場となっているサンパークホテルの後ろに整備されている松軒山公園に登りました。晩秋とも初冬ともいえる穏やかな天気でしたが、公園内には樹木の手入れをする作業員以外は人一人見えない状態でした。愛媛県が南予振興の切り札として大きな投資をした南レク事業も、県都から遠いことと、ハードに依存してソフトが追いつかなかったのか、こんな素敵な講演なのに、訪れる人も殆どいないのです。

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 公園内には冬至愛媛県が威信をかけて作っただけあって、随所に見るべき施設があって、この公園が私の町にあったらどんなにか活かせるのにと思いました。出来てから長い年月が経っているため、地元の人にさえ忘れられたような存在ですから、情報発信もままならないようです。

 この公園にはかなり多くの梅の木が植えられていて、梅の名所になるはずなのですが、その梅の木も手入れが行き届かなく、端々は見捨てられつつあるような感じがしました。梅は月ころの寒い時期に咲きます。ゆえに集客は今一だし、桜に比べ地味な花なので集客には繋がりにくいものの、梅には実がなるためもっと生かせるはずなのです。梅干や梅ドレッシング、梅酒などこれ程大量の梅の木ですから、生かそうと思えばアイディアはどんどん出てくるはずなのです。


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 松軒山からは穏やかな御荘湾が一望できます。かつては海の上をゴンドラに乗って高さ107メートルの宇和海展望タワーまで行ったり、旧日本海軍局地戦闘機紫電改を見学していましたが、その話題も遠い昔のように感じられるのです。

 ホテルサンパールや夏に賑わうジャンボプールなど、至れり尽くせりのレクリェーション施設があるようです。

 ここから足を延ばせば足摺・宇和海国定公園の各地へ行けるので、来年の春は是非とも皆さんをお連れしたいと思いました。


  「遠いから 人が来ぬのか 知恵なさか 勿体ないと 思いつ巡る」

  「県都から 僅かな時間 足伸ばす そんな魅力を 誰が発信」

  「梅の木は 花も実もある 活かせると ついつい知恵を 出す癖あって」

  「この道の 向こうに幾つ 夢がある 人は誰しも それを求める」


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○愛南漁協JF共催推進大会の記念講演に招かれて

 私と海のかかわりを知らない人は、「えっ、何で漁協の記念講演に?」と思うでしょう。多分私の発想の原点は、以下の私の生い立ちから生まれているような気がするのです。

 ①下灘という漁村に生まれ海を見て育った。

 ②生まれた家の家業が漁業で両親が漁師だった。

 ③子どもの頃から漁師の長男として、将来は漁師になるという長男教育を受けた。

 ④小学5年生の時、「ジョン万次郎の生涯」という本を読み、大きくなったらアメリカに行くことを心に念じた。

 ⑤中学校を出ると宿命を運命に変えて宇和島水産高校に入学した。

 ⑥高校3年の時実習船愛媛丸で珊瑚海まで遠洋航海し地球が丸いことに気がついた。

 ⑦親父がガンで倒れ大学進学を断念し帰郷、その後家業を継いで7年間漁師をした。

 ⑧病気で転職し役場に35年間勤めたが、その間産業課で4年間水産行政を担当して荷捌き所、漁村センター

   などを手掛けた。

 ⑨念願叶い総理府派遣青年の船の班長として建国200年のアメリカやメキシコ、ハワイを歴訪して、世界地図

   の真ん中に日本がない世界地図を見た。

 ⑩海に沈む夕日をテーマにまちづくりを行いふたみシーサイド公園などを造り、漁協女性部の指導をした。

 ⑪海の見える標高130メートルの高台に人間牧場を造って活動している。

 ⑫愛媛海区漁業調整委員会委員として活動している。

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 これ以外の海との関係は割愛しますが、まあ指折り数えただけでも海との関係が深いことがよく分かるのです。まさにこれが私のフェースシートであり、これを語らずして若松進一を語ることは出来ないのです。ゆえに今でも全国の水産や漁業関係から講演のオファーがあるのです。

 昨日は漁業共済の加入促進に携わる人たちの集まりでしたので、そんな生い立ちを話しながら、漁業者がどう生きたらよいかをお話させてもらいました。お陰様ですこぶる盛況で、講演が終わってからの懇親会では沢山の方々と交流したり名刺交換をさせてもらいました。

 当日まで講演が終わると漁協が用意してくれた「青い国ホテル」へ宿泊するつもりでしたが、残念ながら今朝早く所用があって、懇親会を途中で抜け出し夜道を帰郷しました。


 嬉しいことに今朝早くメールを開くと参加者から「マーケティングやイノベーション」についての質問や、講演感想が届いていました。昨日の講演は一般向けの話なので詳しい話はしませんでしたが、参加者の中にかなりハイレベルな人がいたことは漁村の未来にとって嬉しいことでした。漁村を変えるのはまさにこのようなイノベーターなのです。愛媛大学の南予へのてこ入れで最近、愛南発の情報が随分発信され始めています。漁村の情報は農村に比べ遅くて少なくて古いようです。


  「水産の 講演何故と 思われる 指折り数え ためしてガッテン」

  「予約した ホテルキャンセル して帰る 妻も驚き 鍵を開けて」

  「水産は 未開の分野 多いゆえ これから先も 楽しみ多い」

  「愛南の 海山の幸 美味いねえ 舌鼓打ち 満腹食い逃げ」



 

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○絵になる光景

 今朝裏山を散歩していると、谷間の向こうに見える長い鉄橋の上をマッチ箱のような小さな列車が、いとも長閑に下って行きました。あの列車はいよ上灘駅で行き違いのぼりの列車が来るかも知れないと、急いで部屋に戻ってカメラを取り出し、再び自宅裏に登りました。案の定直ぐに今度は2両編成の上りの列車が、再び鉄橋の上を走って行きました。伊予灘の海をバックに朝日を浴びて走る予讃線海岸周りの列車は長閑で、まさに絵になる光景でした。

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 わが家がこの地に移転して新築した頃は回りに高い屋根も殆どなく、長い鉄橋の上を通る列車は夜ともなるとまるで空中を走っているようにも見え、わが家へ逗留した元副知事の松友孟さんはこの様子を見ていたく感激し、「まるで銀河鉄道のようだ」と形容されたことを思い出しました。

 海岸周りが山周りにに本線の座を奪われ、敗戦の危機に直面していたころ、夕やけコンサートをやって起死回生のホームランを放ったことを思えば、この列車にもっと思いを寄せなければならないと思うのですが、人はあるものに価値を見出しにくいものなのでしょうか。

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 市役所に勤める大森さんが作ってプレゼントしてくれた卓上カレンダーも、いつの間にか今日が終われば捲られ、師走の後一枚のみになります。私が今朝撮影したとは反対側の法から鉄橋を見るとこの季節はハゼ紅葉の赤い色やクヌギの紅葉が見事で、町のシンボル本尊山が一際艶やかに見えるのです。

 絵になる光景は気にして見なければ何の意味もないものです。でもこんな小さな町でもその気になって見れば、「ああ美しい」と思い、思わずカメラを向けたり、時には文章に書いたりするのです。せっかくこの町に生まれこの町に生き、この町で死んで行くのですから、これからももっともっと思いを寄せて生きて行きたいものです。


  「この町で 生まれ育って 死んで行く もっと愛して 長く愛して」

  「鉄橋を 渡る列車の ガタゴトと 音する方向 振り返り見る」

  「予讃線 海岸周り 一両の 列車が走る 長閑絵になる」

  「夜走る 列車はまるで メルヘンだ 銀河鉄道 宮沢賢治」

 

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○夢を語った夜でした

 私の名刺の裏が白いのを何かに生かせないかと昨年考えました。「そうだ、この名刺の裏を企業のCMとして売り込もう」と、いつもながら愉快なアイディアが浮かびました。しかし「私のような無名に等しい田舎のリタイアしたおじさんの名刺にCMなど出すはずがない」と、否定する気持ちもありました。

 そんな折、世の中には私の名刺の裏に広告を出してもいいという企業の社長がいたのです。その人の名前は松前町に本社工場を持つギノー味噌の田中正志社長さんでした。田中社長とは奥さんが双海町出身ということもあって、先代も含めてよく知っているし、私の話しにも熱心に耳を傾けてくれ気楽に話せる間柄なのです。ギノー味噌は今年の春先に本社工場が落成し、会社も増収増益をしている頼もしい会社です。

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 私の発案を年輪塾塾頭の清水さんの協力を得て二、世にも不思議で人を喰ったような「裏が味噌」というCM名刺を作ったのです。CM料は名刺の印刷代をギノー味噌に払ってもらうことで相談がまとまりました。100枚入り10箱、つまり1000枚の名刺は私の旅の友として木になるカバンと共にこの一年北は北海道から南は沖縄まで旅を続け、この名刺は県内外で思わぬ評判となって、それなりの成果を収めることが出来たのです。

 ところが、こんな私でも一年余りで1000枚の名刺は使いきってしまいました。先日電話でそのことを田中社長さんに伝えると、継続のゴーサインが出たのです。つまり私のやった名刺作戦の効果を認めてくれたのです。

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 昨晩その作戦会議をしようと、田中社長さんは若い営業担当の社員を連れて、待ち合わせ場所である松前町の和風レストランにやって来ました。お二人とも面識のある方で、二人は私の話に耳を傾けメモを取りながら2時間ばかり話し合いました。名刺の件は「裏が味噌」の名刺をもう一度リニュアールして使うことで内々話がまとまりましたが、清水塾頭と話していた新しい名刺案は次の機会にする方向に向かうようです。

 それにしても、中小企業の社長さんも社員も生き残りをかけて貪欲です。革新とは今を否定して生きることをいうのですが、彼らのみなぎるやる気は、何処かの市役所の人に煎じて飲ませてあげたいような心境でした。この晩お互いが頭を突き合わせて語った夢物語は必ずや大きな成果になるに違いありません。

 夢なき民は滅びるといいますが、夢を持ちその夢の実現に向かって行動する限り、不可能はないと自分の過去を振り返りながら思いました。


  「名刺裏 CMいかが 乗ってきた 社長に感謝 配りまくりて」

  「一年で 千枚名刺 全国に 裏が味噌なる 話題沸騰」

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○今日はいい勉強をしました

 今日は午前10時から午後4時まで、松山市道後のにぎたつ会館で金銭・金融教育研究協議会があって、かなり長時間の研修会に出席しました。参加者の殆どは幼稚園や小中高の学校の先生ですが、私は金融広報委員会の金融広報アドバイザーという肩書きでの参加です。午前中は金融広報委員会から指定を受けている幼小中高の研究発表でした。

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 発表が終わると司会者から参加者に意見や質問が投げかけられました。「金融広報アドバイザーの若松さん、何かご意見はありませんか」と、意見をまとめる間もなく藪から棒にご指名を受けてしまいました。幼稚園のサツマイモ植えと、小学校の小遣い帳記帳について質問をして答えてもらいましたが、そのことがきっかけで、アドバイザーの皆さんもいろいろと話をしていただきました。


 昼食の後大阪教育大学の先生が、消費者教育について1時間20分ばかり講演し、その後何班かに分かれてワークショップをやりました。最近はワークショップもすっかり板について、皆さんそれぞれ意見を述べ合いましたが、時間も短くまた事前指導が行き届かなかったのか、意見のまとまりは今一といった感じでした。私は4時半に遠来の友と会う約束をしていたので、4時過ぎに会場を後にしました。

 久しぶりに研修を受けると、発表や講演、それに討議など、攻守変わってよく見えてくるものです。発表のテクニック、講演の組み立て方や話芸、ワークショップのファシリテーターの役割など、いつも自分がやっているだけに、「私だったら・・・・」と随分反省の意味を込めて冷静に見させてもらいました。今日の学びはその点大いに役に立ちました。

 人を動かす、人に話を聞かせる、人の話を聞いてまとめる、自分が発表やプレゼンテーションをする、それぞれどれ一つ取ってみても難しいものばかりです。相手を飽きさせず巻き込む術は容易なことで身につくものでもありませんが、次に自分がやる時はさらに磨きをかけて進化したいと思っています。はてさてそんな役割がこれから先何回あることでしょう。

  「人のやる 役割見つめ なるほどと 今日は沢山 学びましたよ」

  「プログラマー その次大事 プロデューサー うまくやれたら プロフェッショナル」

  「ああ俺も こんな目つきで 常日頃 見られているか 感心しきり」

  「延々と 六時間もの 長時間 机座りて 金融教育」

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○喪中ハガキが届く頃

 このところ、私の元へは毎日のように、「喪中につき年末年始のご挨拶は控えさせていただきます」という挨拶状が何枚も届いています。本当はその都度年賀状の整理をしなければならないのでしょうが、忙しさにかまけて机の墨に山積みされ、年賀状を出す頃に一括整理と相成るのです。

 この一年私の知っている人の訃報も随分聞き、その都度葬儀に参列したり、止む無き事情で葬儀に出れない場合は香典を届けたり、通夜に参列したり、中には遠方ゆえ弔電で済ませたりと色々でした。喪中のハガキを手にする度に、その人の思い出が蘇り、行員矢の如く過ぎ去った日々の速さに驚くのです。


 昨日は79歳で亡くなった叔父の一周忌の法要が行われました。あいにく視察受け入れの日程が早々と決まっていて、失念ながらお坊さんの読経やお墓参りには参列できず、参拝と食事会だけの酸化となりましたが、正月を3日後に控えた昨年末に叔父が急逝して早くも一年が過ぎようとしているのです。


 叔父の妻である叔母は私の父親の妹ですが、親父の兄弟姉妹は12人もいて、未だ6人健在なのです。伯母の家が目と鼻の先の3軒隣ということもあって、法要が終わってから皆が92歳になった長兄親父のご機嫌伺いに集まってきました。親父の元気な姿を喜んでくれ、昔話に花を咲かせました。

 寂しい話ですが、残った甥を迎える姉妹からは、一人減りまた一人減りする姿を寂しがったり、親父も「今度はいよいよわしの番だ」と、いつになく弱気な話を聞いたり、足腰膝の不調を訴える話が随分聞かれました。兄弟姉妹の連れ添いを含めるとまだ12人の叔父や叔母が健在なのですから、そんな話も当然かも知れません。

 私昨年、妻も今年高齢者の仲間入りを果たしました。順番から行けば悲しいかな12人の親父を含めた叔父叔母を見送らなければなりませんが、叔父叔母には一日でも健康で長生きをして欲しいと願っています。勿論私たち夫婦自身もしっかりと健康に生きていかねばならないのです。

 昨年末には事故で元町長だった丸山勇三さんも事故で亡くなっており、師走に入ると間もなく一周忌です。お墓が近所なものですから、時々お墓に行ったついでにお墓参りをしていますが、年末にはお墓参りしようかと思っています。わたしに影響を与えた人だけに心を新たにして思い出を噛みしめたいものです。


  「早一年 時の流れは 矢のように 喪中のハガキ 記憶浮かんで」

  「久方に 叔父伯母つどい 賑やかに 今度は誰か 悲し話も」

  「足腰や 膝が痛いと 椅子用意 座布団座る ことも出来ぬと」

  「ああ寂し 人の命の はかなさよ 順番来たと 親父笑って」

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○ダルマの夕日写真が市広報表紙を飾る

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(研修にやって来た香川県高松市植田鉱区コミュニテイィ協議会の皆さん)


 今日は県知事選挙の投票日です。私の町でも基幹集落センターほか3ヶ所の投票所で投票が行われていました。私は今日は視察研修にやって来るお客さんを迎えたり、叔父の一周忌法要があったりと忙しいため、数日前に期日前投票を終えていますが、午前8時に92歳の親父を連れて投票に出かけました。

 午前9時半頃身支度をして再び伊予市役所双海支所まで出かけ、高松からやって来る予定の視察者を待ちました。行政視察ということもあって支所の松本さんと二人でバス一台の来客の相手をするのです。

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(伊予市広報12月号の表紙を飾るダルマの夕日)

 松本さんに用意してもらった資料の中に12月号の伊予市広報がありました。まだ私の家には配られていないため見るのは初めてですが、折角県外遠方から来るお客さんに伊予市双海町の自称日本一と自慢する夕日を宣伝しようと、カラーコピーして配っていただきました。

 高松も同じ瀬戸内ですが、こんな綺麗なダルマの夕日は見たことがないらしく、私の悦にいった夕日の話の効果もあって、皆さん感心をして見ていただきました。

 この写真は表紙裏に、「11月4日のふたみシーサイド公園。夕の傾きとともに刻々と変化する空色。優しく温かな光に包まれた恋人たちは、何を語らうの?」と紹介文章が載っていました。広報を担当している閏木さんはかつて双海町役場で私と同じ地域振興課で仕事をしていた間柄で、合併した伊予市役所で今は広報を担当しています。かつて若い頃私も毎月2回、10年間で240号もの広報づくりに携わりましたが、こんなリアルな写真は写真技術が未熟だったし、カメラもお粗末だったため一度も撮ることは出来ませんでした。この写真を撮ってくれた閏木広報マンの感性とシャッターチャンスをものにした努力に大きな拍手を送ります。

 11月4日の夕日は、この写真のように一年でも数回しか見られないダルマの夕日がしずんだ日です。実はこの日私も同じダルマの夕日を西条から帰る途中高野川から見ていたのです。手持ちの古いデジカメでは望遠機能もなく、手振れのためボケた写真となりました。その模様は11月5日のブログに写真つきで紹介しているのですが、この広報表紙のような写真は撮れませんでした。

 今夕視察に来た人から、「今日はいいお話を聞くことが出来ました。ついては市広報表紙の写真のようなダルマの夕日はいつ見られるのでしょうか。できたら写真を撮りに伺いたい」と、早速嬉しいメールが入りました。広がりますねえ。


  「俺撮りし ダルマの夕日 お粗末で カメラ悪いと カメラのせいに」

  「同じもの 写真撮っても 出来栄えや 主張が違う やはり感性」

  「もう少し お金を貯めて いいカメラ 買おうと妻に 言うも首振る」

  「フレーズを 作った担当 自分にて しずむ夕日が 立ち止まるとは」


 

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○視察による経済効果

 5月20日に山口県下関で開かれた山口県漁連女性部の総会に招かれてから、しばらく経った7月13日、同じく山口県漁連の豊浦支店から一通のメールが届きました。てっきり9月24日に行く山口県漁連萩支店からだとばかり思ったら、どうやら豊浦支店からのメールは、視察研修の受け入れ依頼のようでした。

 豊浦支店の河野さんから届いたメールには、「5月20日下関であなたの話を聞きました。11月27日土曜日にそちらへバス一台でお邪魔して、みんなで夕やけソフトクリームを食べながら夕日を見たい」と粋なことが書かれていました。

 私は予定表を調べ空いていることを確認して漁協女性部長の松本さんに連絡を取りました。松本さんの話だと、「この日はあいにく愛媛県産業文化祭りがあって忙しいかも知れないが、あなたが手伝ってくれるのならOKです」という返事でした。私は早速「視察受け入れ快諾」の色よい返信を河野さんに返しました。

 4ヶ月も向こうのことと鷹を食っていましたが、その後この視察研修旅行を企画委託を受けた近畿日本ツーリスト下関支店から、様々な問い合わせが舞い込むようになって、道後に泊まるついでの視察のような感じを持ちましたが、それも止むを得ずと昨日を迎えたのです。

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 前日シーサイド公園のじゃこ天のお店に立ち寄り居合わせた松本部長さんと打ち合わせをさせてもらいました。案の定26日は松山の県民文化会館で開かれる産業文化祭りで、出張販売する準備に追われていました。

 結局予定通り私と残った人たちで受け入れをすることになりました。松本部長さんは律儀な方で、昨日の間に説明用のパンフレットを40人分用意し、イベントホールへアルミ布椅子を並べてくれていました。

 昼ころツーリストの担当者から「しまなみ海道でこれから食事をします。運転手さんの話だと予定より少し早く午後3時過ぎには到着する予定なのでよろしく」とのことでした。

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 この日の午後は予定もないので少し早めの午後3時に現地に到着し、お茶の準備やラブじゃこ天を出してくれる時間と人数を確認しました。バスは予定通り到着し駐車場まで出迎えに行って、代表者の部長さんと再会しました。部長さんはもう10年も前にこの地へ視察に来ており、その時はわが家の海の資料館やメダカの学校などを案内したことを覚えていて、シーサイド公園の変貌ぶりに少し驚いていたようでした。

 私はアドリブで公園の視察を含めて約一時間ばかり滅多に聞けない裏話や案内をしました。「松山に来たついでに双海町へようこそ」と皮肉ると、部長さんは「ここへ来ることが目的です」と、大笑いしながら話されました。

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 その後皆さんは雲ひとつない文字通り日本一と思われる双海の美しい夕日を堪能し、お土産も沢山買ってしずむ夕日に送られながら、多少寒くなったシーサイド公園をお宿に向けて帰って行きました。この人たちは心得ていて、特産品センターで沢山の買い物をしていただき地元へ何がしかの経済効果をもたらしてくれました。元はと言えば私が山口県へお話に行ったことがきっかけでした。しかし視察研修の受け入れを伊予市役所へ打診したものの、「土日曜日は駄目。選挙の準備で忙しいので駄目。当日は産業文化祭りがあるので駄目」と断わられたようでした。結局私が受け入れるのならOKとなりました。いつもそうした言い訳の狭間で右往左往しながら受け入れるのですが、高速道路無料化による客数の現象を嘆きながら、こうした否定的対応をしていたのでは、いつまでたっても発展しないと思いました。「損をして得をとれ」は商売の鉄則、拳拳服膺肝に銘じて欲しいものです。

  「講演が ご縁で視察 バス一台 山口県から しまなみ越えて」

  「松山へ 着たついでだと 皮肉ると ここが目的 胸張り反論」

  「人が来ん 言いつ受け入れ 拒否をする 土日だろうが 来るを拒むな」

  「バス一台 経済効果は 抜群で 買い物袋 提げてお帰り」

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