shin-1さんの日記

○水仙泥簿

 昨日は妻の実家のお墓参りに出かけました。八幡浜までは高速道路を使う方法と長浜~大洲経由の方法、それに夕焼けこやけラインを長浜~保内を通るコースがありますが、昨日は下灘のお墓にお参りした都合もあって、海岸沿いの道を走ることにしました。

道端には既に春を呼ぶ花としてすっかりお馴染みとなった水仙が咲いていて、芳しく馥郁とした香りを漂わせていました。ふと道端を見ると車が一台何か怪しげな行動をしているのです。どこかのおばちゃん5人が道端の水仙の花を切っているのです。一輪ならまだしも一束なのです。私は車を路側帯に止めて走ってそのおばちゃんたちに近づき、「その花は町民が丹精をこめて育てているので取らないように」と、諭しました。

 「なんじゃあ、このおじさんはいきなり」と、不意を突かれたおばさんたちは私の言葉におののき、それまでの笑顔が一瞬にして曇りました。笑顔の可愛いらしい私好みのおばさんは、「すみません」と平謝りに頭を下げましたが、私が嫌いなタイプのように見えるおばちゃんはふてくされたような顔をして、「これは野生の花かと思って」と言い訳をしました。私は立ちすくんだおばちゃんたちに双海町の花いっぱい運動について話をし、理解を求めましたが、残念ながら詫びられても切った花は元に戻すことは出来ないのです。

ふとこのおばちゃんたちはここで取った花は一体何処へどんな気持ちで飾るのだろうと思いました。多分あの量ですから5人が分けて持ち帰るのでしょうが、この花を野生の花と思って飾ればそれはもう立派なインテリアです。でも盗んだ花となると同じ花でも「×××・・・・」でしょう。

 おばちゃんたちのいうように多分悪気があった訳ではないのでしょうが、水仙を切り取った包丁を見るとこれはもう明らかに計画的な犯行としか思えないのです。手に持った包丁をコートの下に隠すように車に積み込んで、行く当てのない切られた水仙をばつが悪そうにトランクに入れて持ち帰る5人のおばさんたちは今頃、走る車の中でどんな会話をしているのだろうと思いながら見送りました。「意地悪な叔父さんに見つかってしまって今日は最悪だ」と嘯くのか、「悪いことをしてしまった」と後悔するのか、はたまた「あのおじさんから聞いた水仙祭りに今週末はシーサイド公園へみんなで出かけよう」と相談するのか、異論の分かれるところです。

私はこれまでにもこのような光景を何度も見てきました。そして注意を促してきました。その都度謝られたり時には口喧嘩までして不愉快なこともありましたが、「花盗人は盗人にあらず」はもう遠い昔の出来事です。今は「花盗人は最低な盗人」だと思うのです。

 そんないきさつの後、保内町の伊予銀行で妻が預金を引き出したいというので立ち寄りました。銀行の入り口には保内町商工会がありました。講演に来た時立ち寄ったはずですが毎回講演は夜間のためすっかり場所を忘れていました。妻が銀行へ入っている間に商工会へ立ち寄りました。馴染みの事務局長さんや指導員さんに会うより、焼き物干支をいただいたこともある安藤さんの笑顔に会いたかったのが本心(笑い)ですが、皆さん優しい笑顔で対応していただき、指導員さんの案内で妻までお茶の接待をしていただきました。実は銀行で引き出したお金は蒲鉾屋を営む商工会長さんが偶然にも若松さんという方で、前回講演会でお会いして以来中元やお歳暮に使わせてもらっていて、その支払いのためだったのです。事務局長ご夫妻とカナダ旅行が一緒だったことや

 局長さんの奥さんが若松蒲鉾に勤めていることもこれまた不思議な話です。まああれやこれや世の中は面白いですね。

  「水仙を 盗む人あり 注意する 包丁容易 計画犯行」

  「一年を かけて咲きたる 水仙を いとも容易く 持ち去るなんて」

  「今頃は 車の中で 『糞親父』 なんて悪口 言ってるだろうな」

  「水仙を 取るは推薦 出来ません なんて戯言 一笑付され」

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shin-1さんの日記

○1月4日は墓参り

 大晦日に百八つのお寺の除夜の鐘を聞き、終わって間もなく神社へお参りに行く神仏混合のいい加減さを感じながら、これも日本人の今流にいえばファジーなんだと納得していますが、正月三が日が終わった1月4日は、私たちの地方ではまるで喪が開けたように、親類縁者のお墓参りをするのです。お墓にお供えするものは、小みかんと小さく切った餅と干し柿、それに手向ける線香です。それぞれ一式をお盆に盛り車に積み込みました。親父は既に自転車で朝早くお参りを済ませているようでした。

 朝食を済ませて準備をし、毎年のことなので自分の家のお墓を起点に、どの墓地から行くかを決めて順番にお墓めぐりです。最近は私の親類も高齢化したため海を見下ろすずっと上の方にあったお墓を、少しでもお参りが楽に出来るようにと海沿いに移転したため、特に昨日のような雨模様で足元が濡れてすべるような日は随分大助かりでした。まず自分の家のお墓に行きました。信心深い親父は往復1キロ程度のお墓に、一週間に一度のペースでお参りをして、お墓の拭き掃除をしたりシキビを入れ替えてくれているので、随分綺麗でした。

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(裏山に朝日を拝むわが家の墓地)

 妻がお寺で角桶で水を汲んで持参し、シキビの花活けに水を足したり、湯の実の水を入れ替えました。私は選考にライターで二人分の火を点け、妻の分を渡してそれぞれが線香立てに立て手を合わせ、先祖の供養と家族の安全を祈りました。

機能はひっきりなしにお墓参りする顔見知りの人がお墓周辺を行き来していたため、挨拶や近況立ち話に花が咲きまるで墓地外交のようでした。

 境内にある一昨年末に亡くなり丁度一年の新仏である叔父のお墓、姉の家のお墓、存命中何かとお世話になった新仏である丸山元町長さんのお墓にお参りをしました。この日は官公庁の仕事始めの日で、役場裏の駐車場に車を止めてお墓参りをしたため、顔見知りの市役所の職員に何人かお会いしてあいさつをしましたが、中には合併をしてからこの6年間、こんな小さな田舎町だというのに一度も出会ったこともない人もいて、その人の行動の狭さか、私の行動の範囲が限定的なものなのか分かりませんが、すっかり驚いてしまいました。

 墓地は3ヶ所巡って10数件の家のお墓参りをした後、折角思いついたお墓参りなので、足を延ばして妻の実家のお墓がある八幡浜まで行きました。八幡浜湾を見下ろす大宝寺の裏墓地から見える風景は、妻と結婚して40年近く毎年見ていますが、何処か郷愁をかき立てる見飽きぬ風景です。折りしも12時の時を告げる「みかんの花咲く丘」のミュージックサイレンが鳴って、妻はこの街で過ごした昔を懐かしそうに思い出していたようです。やはり住み慣れた街はいいもののようです。

お墓参りが一段落したので、大洲メッセで買い物を済ませ、オズの湯を楽しもうという相談が二人でまとまりました。これもサンデー毎日のなせる楽しみです。

このところ外食昼食をする時は、二人が別々のメニューを注文し、二人で半分分けしながら二つの食事を楽しむようにしています。これも長年二人で生きてきた智恵でしょうか。機能はお墓参りに名を借りた犬も食わない夫婦水入らずのドライブになったようです。


「正月を 過ぎて二人で 墓参り ついで温泉 楽しむ余裕」

「いつの日か このお墓入る 日が来ると 冗談言いつ 線香たむけ」

「人間の 命はかなき ものにして 町長と叔父 逝き早一年」

「この街で 生まれ育った 言う妻と 歌を聴きつつ 縁の不思議を」

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shin-1さんの日記

○正月三が日も無事終わる

 正月三が日も無事終り、刑していた子どもたちや孫たちも引き上げて、昨晩は久しぶりに妻と二人だけの静かな夜を迎えました。殊勝にも年末年始の忙しさで肩が凝ったという妻の肩を少しだけ揉んでやりました。私も日ごろとは波長の違う孫たちの甲高い泣き笑いの声が頭に響き、多少疲れ気味だし、おせちや雑煮などご馳走ばかりを食べて過ごしたため、多少不食欲気味なようなので、裏山を歩く少し強めのトレーニングを再会しました。

 昨日の夕方妹夫婦が正月のあいさつにやって来て、これも一段落したので姪が持って来てくれた養殖ヒラメを刺身用に料理しました。妻はヒラメと残っていたブリの刺身を使って私のリクエストに応え握り寿司を作ってくれました。普通は台所で食事をするのですが、おせち料理が並ぶ年末年始だけは居間でテレビを見ながら食事をするのですが、昨晩は二人だけの寿司パーティとなりました。ネタがいいので回転寿司など問題にならないほどの味にすっかり満足し、お陰様で満腹となって元の木阿弥でしたが、正月を締めくくる料理としては最高でした。

 私はおせち料理の中で一番好きなのは田作りです。田作りイワシをフライパンで少し炒り、ゴボウと一緒に煮込むのです。鷹の爪を入れてピリッとした感触の田作りはとても美味しく三ヶ日の三度三度の食事の度に味わうのです。数の子や蒲鉾や豆類、刺身などのような少し高級感のする物に比べ田作りは庶民の味なため、家族の誰もが作った時は食べてもその後は殆ど箸をつけないため、今日あたり妻は炊き直して煮詰め、多分これから2~3日は田作りを食事の共にすることでしょう。

 妻は明日から仕事です。サンデー毎日の私の予定は1月8日からスタートです。それまでのんびりと正月気分の余韻を味わう予定で、読む本も4~5冊机の上に用意しています。また新年早々少し長めの原稿も依頼されていて、これも急いで仕上げなければなりません。昨日大阪に帰省中の娘から、「明日帰る。仕事の都合で子どもを2日ほど預かって欲しい」と懇願されました。私は「うーん」と即答を避けましたが仕方がありません。また明日からは賑やかな孫と付き合えるのですから・・・。


「三が日 終りて時の 速さ知る 残り三百 六十二日か」

「田作りを 毎日食べて 過ごしたる 正月終り 未だ残りで」

「ご馳走は 俺にゃ似合わぬ 麦ご飯 炊いて欲しいと 妻に懇願」

「久方に 妻の握りで 寿司パーティ ヒラメとブリは とても美味しく」



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shin-1さんの日記

○春からブログトラブル

 ブログの記事を書き始めて5年が過ぎました。最初は記事を書いてもプリントアウトせずただ書くだけでした。ところがある日のこと、高知県馬路村役場に勤める木下さんを役場オフィスに訪ね出会った時、木下さんは自分の机の後の書棚から何やら分厚い綴りを出してきました。何とこれが私のブログ記事をプリントアウトしたものだったのです。驚くやら恥ずかしいやらでしたが、自分のブログがこうして人に読まれたり活用されたりすることを、お粗末ながら始めて知ったのです。

 その後、色々な人から「私のブログを読んでいる」「読むのが楽しみ」「失礼ながらあなたのブログを活用させてもらっている」などなど、様々な反響の声が全国の知人友人から寄せられ、その度に赤面したりお礼状を出したりしましたが、少しだけ読者を意識して書くようになったことも事実です。

また最初は文字だけだったブログ記事にデジカメという強力な味方が出現し、今では何処へ行ってもデジカメをぶら下げ、特に旅行先などでは珍しい風景や講演会場などを写してルポのような簡単な回想記事も書いているのです。

 高知県馬路村の木下さんが私のブログ記事をプリントアウトしていたのを見て、帰ってから直ぐに何日かかけて全ての記事をプリントアウトしました。かなりの労力だったことや、プリントアウトするのにエプソンプリンターのカートリッジインクが瞬く間に無くなり、また用紙が無くなり、隣町のホームセンターまで買いに走ったり、近所の仲間にお裾分けしてもらったりと、色々な出来事がありました。またプリンターが故障して直すことが出来ず、息子に頼んでインターネットで安いものを購入したりもしましたが、あれもこれも今では楽しい思い出となりました。


 しかし、プリントアウトしたブログ記事一ヶ月分をまとめ目次をつけ、100円ショップで買った紙製のホルダーに綴ったものの、一年間で12冊、5年間で60歳つも出来た膨大なブログ綴りの収納場所が瞬く間になくなり、ついには人間牧場・水平線の家自慢の長くて大きい書棚の一角を占領して、これも限界かなと思っているところです。そんな折強力な味方が出現しました。大分県佐賀関に住む盟友渡辺又計さんからある日のこと突然に、私のブログをCDRに全て集録して送ってくれたのです。しかも私のブログの記事の誤字脱字や変換ミスも修正する念の入れようにビックリしたものでした。これだとたとえ私のパソコンが痛んでも、私が死んでも残るのです。

 それでもプリントアウトをしなければと思い、毎年正月休みを利用してこれまでは何とかプリントアウトをしてきましたが、昨日から始めようと思って始めてみたものの、途中で用紙が無くなり、また途中でインクが切れるなど散々な混乱に会い、目下のところプリントアウト作業を中断しているのです。まあサンデー毎日の私ですから急ぐこともあるまいと鷹を食っていますが、気になる性格なので何とか早く昨年の分だけでも作業を進めたいと思っているところです。新年早々思わぬアクシデントに見舞われましたが、とりあえず今日は意外と高いカートリッジインクを買いに行く予定です。

  「用紙切れ インクが切れて ××××× トラブル続き 何も出来ずに」

  「手間暇を かけて自作の ブログ記事 プリントアウトし 牧場蔵書に」

  「大分の 盟友俺の 頼み綱 世の中いつも 助ける神あり」

  「五年間 書いたブログの 記事さえも たった二枚の デジタルとなる」

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shin-1さんの日記

○五行歌を作る

 昨年の四月、先輩友人の勧めで五行歌の会に加入して8ヶ月が過ぎました。先輩友人が会費2千円を立替払いしてくれていたのも気になりながら、出会った2、3回はどういう訳か貧乏人のくせに一万円札か持ち合わせがなく、先輩友人も「お釣りがないからまた次でいい」と延び延びになってましたが、元来借金の嫌いな性格ゆえいつも気になっていましたが、先日高知県仁淀川町で開かれた講演会に同行していただいた折、二千円を支払い晴れて松山五行歌会の会員になったような気がしました。

 一ヶ月に一度の句の締切日は直ぐにやってきます。主宰者の見山あつこさんから、それとはなしの督促が来ないと忘れてしまういい加減さにおさらばしようと、年末に届いたハガキのこともあって、慌しい年末に一句を作り送りましたが、句会への出席をそれとはなしに誘われているものの、浅学ゆえの駄作しか出来ない負い目もあって、また土日初春水仙祭りや社会教育実行委員会など千客万来で、新春句会も欠席句の提出と相成りました。

願わくば今年は句会へ出席して飛躍をと密かに願っています。

  正月を迎える度に思うこと

  ああまたひとつ歳をとる

  少しため息混じるけど

  仕方がないと諦めて

  今年もひとつ歳をとる

  百姓じゃ飯が喰えんと 

  米作る

  おじさんぶつぶつ言ってるが

  米を作って何故飯喰えぬ?

  不思議だなあ

  ひょっとして

  俺は認知症なのかしら

  探し物する見つかって

  記憶が戻り

  少し安心

  「どれひとつ やっても奥が 深いもの 中途半端じゃ 何も残らず」

  「五行歌を 作って半年 早過ぎた 未だ締め切り ならにゃ作れぬ」

  「今日が早 過去になり行く 忙し日々 うかうか出来ぬ 性根を据えて」

  

    

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shin-1さんの日記

○正月は自分の年齢を意識する日

 正月は日本中の日本人が自分を意識する日かも知れません。日ごろは何気なく過ごしている自分という人間が、とりわけ年齢を意識するのです。私もたった一瞬ですが自分の誕生日と共に年齢を意識して66年間生きてきました。今年も神様の前で手を合わせ、前日まで66歳だったのに、「今年は67歳になります。一生懸命生きたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します」と決意を述べました。

 小さいころは早く大人になりたいと思って手を合わせました。最近は心のどこかで「歳をとりたくない」という一種の焦燥感があるのか、子どものころや若いころのような新鮮な気持ちは残念ながら持てず、ある意味少し諦め気味で正月を迎えていたようです。

 年末友人の清水塾頭から「くじけないで」という一冊の本が贈られてきました。年末の慌しさから書斎の郵便物箱に入れたまま封を切らずに年を越していましたが、元旦にそのことに気付き、急いで封を切りました。中から一冊の薄い詩集が出てきました。添えられた手紙には、「~前略~、宮沢賢治や金子みすヾもそうですが、厳しい環境に身を置いて生きたからこそ澄んで研ぎ澄まされたものが生まれるんだと思います。冬の厳しい寒さを経ないと野菜は美味しくならないし、白菜は寒ければ寒いほど甘くなります。このおばあさんもそうですが、笑顔がとても素敵です。このような歳を重ねられたらいいですね。かくありたいと思いました。~後略~」

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 「くじけないで」の作者柴田トヨさんは99歳白寿だそうです。普通なら肩の荷を降ろす92歳で詩を始めたというから驚きです。詩集には清水塾頭がいうように、厳しい人生を生きてきた人にしか分からない人生の重みがぎっしり詰まっていて一気に読みました。

 柴田トヨさんの詩には生かされて生きるというつつましさと風を感じる感性のようなものを感じました。また年をとったらこんな生き方をしたいとも思いました。と同時に、柴田トヨさんから見ればまだ66歳の若造なのに、もう歳をとったような気分で正月をを迎えたことを、深く深く反省しました。

   あなたに1

  出来ないからって

  いじけていてはダメ

  私だって 九十六年間

  出来なかった事は

  山ほどある

  父母への孝行

  子どもの教育

  数々の習い事

  でも努力はしたのよ

  精いっぱい

  ねえ それが

  大事じゃないかしら

  さあ立ちあがって

  何かをつかむのよ

  悔いを

  残さないために

  「九十九の 人の詩集に 励まされ 六十六の 俺はまだまだ」

  「何という 遅咲きなんだ この人は 俺は早咲き 過ぎたのかしら」

  「トヨさんに 比べりゃ俺は 三ついちと 勇気のような ものをもらいて」

  「詩を書いて みようと思い 書いてみた 奥が深いな 俺にゃまだまだ」

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shin-1さんの日記

○4つの貯蓄

 無人島に子どもを連れて行った若い頃、無人とのキャンプで、ひょうたん型由利島共和国の大統領として子どもたちに朝な夕な、心に残る話をしてやりたいとない智恵を絞りました。その中に子どもの感想作文によく出てくる4つの貯蓄の話があります。私はこれを四つ葉のクローバーに例え務めて分かりやすく話してやりました。

 先日そのキャンプに子どものころ参加したという青年に会いました。彼はすっかり逞しい青年に成長していましたが、「若松さん、あなたが無人島で話された4つの貯蓄のことは今でもよく覚えています。会社の入社試験の作文にそのことを書いたのですが、お陰様で合格して今の会社に入社しました。子どもが大きくなったら4つの貯蓄の話をしてやりたいと思います」と、嬉しい話をしてくれました。

 まず一つ目は金銭の貯蓄です。世の中を生きて行くのにはお金は大切なものです。お金は足すか引くかの単純なものと思わなければなりません。お金は働いて儲けるもので、お金で自分の欲しいものを買うことができるのです。楽をして設けるお金は得てしてろくなことはなく身につかないものです。例えば10万円儲けても11万円使ったら1万円の赤字になります。でも5万円儲けて4万円使ったら1万円の黒字です。なんでもないこの理屈が意外と分からない人が多いようです。1億円売り上げても2千万円の赤字を出す会社もあれば、1千万円売り上げて百万円黒字を出す会社もあるのです。経営とは金銭の貯蓄を基本原則にしなければ持続はできず、社員の雇用も信用も失ってしまうのです。

 二つ目は健康の貯蓄です。命あっての物だね、健康は何よりも勝る宝物です。身体の健康もさることながら、最近は世相を反映して心の病にかかる人が多くなっています。この10年日本の年間自殺者は3万人を越えているそうで、心の闇の深さを感じます。健康は一朝一夕で保てるものではありません。心と体のバランスも大事だし、快食・快眠・運動など日々の積み重ねが大事だといわれており、健康も貯蓄しなければならないのです。

 少なくとも昨年一年は何とか気力・知力をダウンすることなく過ごせたのもやはり精進の賜物と、今年も健康の貯蓄を心に刻んだところです。


 三つ目は人間関係の貯蓄です。「人生は人間関係に始まって人間関係に終わる」といわれるように、親子や夫婦など家族の人間関係でも難しいし、ましてや他人はもっと難しいものです。私は幸せなことに良好な間関係の中で日々を暮らすことができています。その貯蓄は老い先短い自分の人生の大きな宝物といえるでしょう。

 人間関係身近なほど利害関係が微妙に絡み、一旦こじれると裁判沙汰や殺人にまで発展することだってあるのですから、余程注意をしなければなりません。若い時は一人の方が煩わしい人間関係に振り回されることもなくいいのでしょうが、歳をとって一人で暮らす寂しさは、やはり人間は一人では生きて行くことができないことを物語っているのです。


 四つ目は感動の貯蓄です。「感動は感動という作用によってのみ点火される」というように、感動する心を持たないと伝わりません。私はこれまで様々な感度の場面に出くわし、共感の涙を流したり歓喜を味わってきました。ゆえに感動を人に伝えることができるのです。

 人の悲しみを悲しみと思い、人の喜ぶ姿を見て喜びとするような感動人間になりたいといつも思っています。

 職場の人間関係こそなくなりましたが、家族・近所・グループ・地域・先輩・後輩などとの人間関係の貯蓄をこれからも大切に生きて行きたいと思っています。

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shin-1さんの日記

○氏神様に初詣

 歩いて10分足らずのところに氏神様である天一稲荷神社があります。正月なので午前9時頃妻を誘い二人で初詣に行きました。鳥居をくぐり急な石段を登り、境内へ進むと何人かの顔見知りの人に出会い、立ち話をしながら「おめでとうございます。今年の正月は寒いですね」と、新年のあいさつを交わしました。木々の隙間から見える伊予灘は、白馬のような大きい波が海岸に向かって幾重にも押し寄せ、灯台のある港の防波堤を容赦なく越えていました。

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(氏神様への初詣)

 神社は私が宮総代や区長をしていた4年前に平成の大改修事業が行われ、拝殿、社殿、本殿や屋根尾おすっかり立派になっています。拝殿にかかっていた藁の注連縄も最近銅版製に変えられ厳かな感じがしました。社殿ではお賽銭を入れ、鈴を鳴らし二礼二拍手一拝し敬虔な祈りを捧げました。私は神社やお寺で妻のように、「宝くじが当たりますよう」などと、おねだり型のお祈りはしません。だってこれまでも一度だってこうした願いを神様は叶えてくれたことがないからです。健康すらお祈りしても大怪我したり入院したりするのですから、神様はあ余り信じないようにしているのです。

 神頼みとは所詮そんなものなのです。私は神様に頼むのはむしろ自分に言い聞かせることだと思っています。ゆえに自分の能力の程度を知っているので、あまり高望みをしないようにしています。私がいつも神様に向かって祈るのは家族がとにかく健康であることだけです。お金がなくても健康で働けば何とかなるし、家族が健康ならば家中が明るくなるのです。

 最近寄る年波のせいだけではないと思うのですが、回りには病気持ちの人が沢山いて、病院へ通ったり薬を腹が太るほど飲んでいる人をよく見かけます。また出会うと病気で人生を悲観的に生きている人をよく見かけます。そういう人に限って、健康を他力本願的に捕らえて何もしないのです。健康はあなた任せで勝ち得るものではけっしてないのです。

 年末年始にかけて異常とも思える寒波に見舞われました。中国地方山陰鳥取では1メートルもの積雪で国道に車が千台も20キロにわたって渋滞し、自衛隊までが出動する騒ぎとなり、大山スキー場では表層傾で4人が亡くなり、暗くて悲しいまくあけとなりました。

 こんな寒い日は戸外へ出るのも勇気がいりますが、それでも身体を動かさなければ身体がなまってしまいます。防寒のため厚着をし思い切って外に出て坂道を歩くと、身体がポカポカして気持ちがよくなり、何か元気が回復したようで、年末年始の美食にヘキヘキしていた食欲も回復しました。今年も「幸せは皆身にあり」と思い、ポジティブに生きて行きたいと思っています。

  「初詣 賽銭値切る 祈るゆえ 神も承知と 願い叶わず」

  「幸せは 皆身にありて 神様の せいにするなと 言ってやりたい」

  「寒いから 余計戸外へ 出る勇気 身体ポカポカ お腹すっきり」

  「まず健康 それだけあれば 生きられる 少欲多施の 諺どおり」

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shin-1さんの日記

○正月に思う

 元漁家だったわが家では、元漁師の親父と元漁師の息子がいるものですから、年中行事は漁家でなくなった今でも漁家の風習を守り続けているのです。正月元旦の迎え方も、私が子どものころ教わったことを見よう見真似でかたくなに続けているのです。

 わが家では正月元日の朝だけは戸主である男の私が一番早く起きて台所に立ちます。まず若水で顔と手を洗い身体を清めます。そして台所で大晦日に取っただし汁を鍋に入れて、蒲鉾や豆腐などの具材を切りだし汁の中に投入します。煮立てば、前もって洗って水切りした餅を入れます。餅が半煮えになると火元を止めて漆塗りのお皿に二つ盛ります。ひとつは神様棚、もうひとつは二階座敷の床の間に設えた鏡餅を飾った三方の前に供えます。神棚も床の間にも新酒とお光を灯し、敬虔な祈りを捧げるのです。今年の目標を言葉に出して言い、家族の無病息災を祈るのです。一方台所の隅に祀っている仏壇には火で焼いたお餅に生醤油を少し差して供え、お光、線香、白湯茶を供えて感謝の手を合わせて祈るのです。

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 少し冷めた神棚と三方の雑煮を下げて鍋に戻し煮えたら私のお椀に注ぎ入れて私が食べるのです。私の雑煮の儀式が終わった頃家族が起きて来て、前もって聞いていた個々の雑煮餅の数だけ炊いて、おせち料理を並べ居間で家族に雑煮を振舞うのです。

 お酒をたしなんでいた10年前までは、お屠蘇を飲んでいい気分になっていましたが、身体の都合で酒を断ったため、お屠蘇さえも飲まなくなり、形式的なものになってしまいました。

 漁家は船玉様という大漁や海の安全を司る神様を大事にします。子どもころは漁船やあちこちにある小さな祠などを回って小さく切った雑煮や田作り、神酒などを供えて歩きましたが、今はもうその風習は佐sが似なくなりました。こうした迎春の風習も私一代で終りかと思うと何か寂しい気もしますが、願うことなら少しだけでも息子に伝えてやりたいと思っています。

 私が家の存在をしっかりと意識したのは結婚が決まった時でした。親と同居をすることに多少は抵抗もありましたが、同居を了承した妻とやがて生まれた子ども4人に私の兄弟二人、両親、祖母と一時は10人近い大家族を形成して暮らしました。ゆえに妻の苦労は並大抵ではなかったと思うのです。

 30歳で家を建て、貧乏ながらも4人の子どもを育て、やりくりしてどうにかここまで辿り着きました。私の半生からすると37歳になった長男息子はもう代替わりの年齢なのです。楽隠居などとは努々思っていませんが、わが家のルーツを考えると、そろそろ政権交代を決断しなければなりません。息子にとって今は経済的にきついかも知れませんが、日本の家庭はこうして延々と生き続けているのです。

 今年はそのことをわきまえて、身辺の整理をしなければなりません。年末には次男が大掃除を手伝ってくれました。私たちが勿体ないと思っていたものを、平気でゴミ袋に入れてゴミにしてくれました。私もゴミ袋に入れられないようにもう少し隠居予備軍として頑張りたいと思っています。


  「今年は 色々思う ことありて 違う正月 迎えた気分」

  「雑然と していた机 片付きて 何処か違った 雰囲気醸す」

  「神仏に 祈り捧げる 今日の朝 いつもと違い 身も引き締まる」

  「親父より 受け継ぐ風習 長男に そろそろ伝え 役目終えたい」 

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shin-1さんの日記

○今年の目標は「湧潮流」

 昨日と今日、たった一日しか変わらないのに、昨日は大晦日で今日は元日です。家族で紅白歌合戦を見ていましたが、ひいきの歌手が中々出ず、ついには大晦日の大掃除の疲れもあって風呂にゆっくり入り、紅白歌合戦の結果白組が勝った話は、午前零時になって布団に潜り込んできた妻から聞きました。寝入りばなだったので、それから目がさえてついうとうとしていましたが、今朝は正月でもあるし思い切って普通の日より20分も早い3時40分に起床して、書斎で机のパソコンに向かい思いつくまま、今年最初のブログを書き始めました。

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(書斎に張った今年の目標「湧潮流」)

 今年の目標は馬路村からいただいたカレンダーの表紙に「上昇気流」と書いていたので、その4文字熟語に決めようかと思いましたが芸がないので、海の町双海町に住んでいるので、「湧潮流」と決めました。昨年金子みすヾの「大漁を、年末に清水塾頭の旧暦の話を覆いだしたこともこの3文字熟語を選んだ要因のようです。

 「湧潮流」とは海洋用語で、特に漁業関係でよく使われます。海には月の引力の影響で、たえず潮の満ち引きによる潮の流れがあります。私たちは海岸線などの干満の差によってその動きを目視できるのです。


 しかし潮の流れは微妙繊細で、周りの地形や天気、それに月齢によって様々な変化が生じるのです。「湧潮流」はこの流れが何かにぶつかった時海底深い海水がプランクトンを巻き上げながら一気に上に向かって流れます。そんな場所には魚が沢山集まり、漁師にとって格好の漁場となるのです。

 最近はこのような場所を人工的に造ろうと、大きなコンクリートのケーソンを海底に沈めて「湧潮流」を発生させようという実験まで行われているようですが、投資効果はまだ結論が出ていないようです。

 さて「湧潮流」を人間に置き換えて考えて見ましょう。潮の流れは時代の潮流と自分の心の有様を意味します。つまり時代の潮流を的確に捉える判断力と、自己実現の気力がなければいい流れに棹差すことができないのです。またいくら判断力と気力の流れがあっても、心の中にプランクトンになる知識力がなければ、行動力による智恵力は生まれないし、プランクトンに集まる魚を捕らえることはできないのです。思いつくだけでも「湧潮流」は様々な条件が必要で、それらが絡み合ってできる総合力のようなのです。


 今朝パソコンで今年の目標である「湧潮流」の文字を書いてプリントアウトし、昨年の目標として張り出していた二宮尊徳翁の「積小為大」の上に掲げました。①時代の流れを読み「湧潮流という時流に乗る。②自らの心に「湧潮流」という流れを起こす。③「湧潮流」が心の底から巻き上げるプランクトンのような智恵の源を蓄える。④「湧潮流」に人を集める。⑤自ら漁師となって行動力で成果を得る。まあおおよそこの五つくらいを念頭にしっかりとこの一年をs語したい誓いを新たにしました。

  「今年の 三文字熟語 『湧潮流』 海の町ゆえ 新たな視点」

  「いい言葉 思いついたと 早速に プリントアウトし 壁に掲げる」

  「『湧潮流』 おおよそ五つ 念頭に 今年生きよう 誓いも新た」

  「馬路では 上昇気流 俺は俺 『湧潮流』で 向こうを張ろう」

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